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ひもろぎ逍遥

カテゴリ:バスハイク( 111 )

熊本美里山都7 二俣橋 光でハートが 出る恋人の聖地はココ



幣立神宮を後にしてバスに乗り込むと、珍しく私は鼻歌が出て、気分がとても軽くなっていました。

これから高速道路に向かうという時、運転手さんが「二俣橋に行きますか?」
と言ってくれて、「ええ?行けるんですかあ?」と大喜び。

この「二俣あ橋」は光でハート型が出てくるという素敵な石橋だったんです。
10月から2月にかけて、11:30から12:00ごろまでに出現するということで、もちろん今回は見ることは出来ないのですが、場所を知っていたら楽しい。

ということで、帰りしな、ほんの少しの寄り道で美里町の石橋をもう一つ見ることができました。


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「二俣橋」というように、文字通り二つの石橋があるんですが、左手の橋はたもとに降りてアーチをしっかりと見ることが出来ます。






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で、私はこの手すりの手作り感が何とも気に入ってしまいました。

中世ヨーロッパのおとぎ話に出てきそうな石組です。




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そして、こちらは右手の橋の上から同じ橋を反対側から撮ったもの。

このアングルでハート型の光が差すのです。






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水がとてもきれいで、魚釣りをしている清流なんて久し振りの光景。

美里町の石橋は、幣立や高千穂の行き帰りに水に親しめる、素敵な寄り道でした。

熊本はダイナミックな自然と、共存する人智に感動できる素敵な所でした。


この夏はまだまだ熊本に出掛けます♪


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by lunabura | 2019-08-12 21:35 | バスハイク | Comments(0)

熊本美里山都6 幣立神社2  人類が助け合う和合の世界を祈る宮





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国道218号線を東に向かうと、左手に幣立神社の大きな看板が目に入る。
手前に駐車場があり、鳥居の前に立つと石段がいくつも続く。
傾斜のある岬状の突端に神社が建てられていた。






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祭神は 神漏岐命、神漏美命、天御中主神、天照大神、阿蘇十二神

とあるが、境内掲示板や配布資料によると、「大宇宙大和神」(おおとのち大神)が加わっている。
「生命の源を司り、人類の文化創造の原点となる尊い神々である」と説明されている。

由緒は
「太古一万五千年前、地球上で人類が生物の王座に就いたとき、この人類が仲良くならないと、宇宙自体にヒビが入ることになる。

これを天の神様がご心配になって、「火の玉」に移ってご降臨になったのが、カムロギ・カムロミの命という神様で、この二柱を祀ったのが「日の宮」である。

ですから、日の宮は地球の平和を根本の使命として、鎮座せられているのである。
その日の宮の初代の人格神が、大宇宙大和神(おおとのち大神)で、一万二千年前の大和民族の大祖先である。」
と記されている。

縄文以来の祭祀場ということになる。考古学的には更に古い旧石器時代の石刃核が近くから出土している。縄文、弥生、古墳時代と、15000年以上前から人々がここに住んでいた事が明かされている。



「幣立」(へいたて)という社号は健磐龍命に因(ちな)むもので、
「社伝によれば、神武天皇の孫である健磐龍命が、阿蘇に下向した際この地で休憩し、眺めがとても良い場所であると、幣帛を立て天神地祇を祀ったという。」
と別記事に記されている。


「ふるさと寺子屋」に春木宮司の言葉として、

「阿蘇開拓の主、健磐竜命は神武天皇の孫に当ります。日向国から五ヶ瀬川に沿って三田井(高千穂)、馬見原を通って草部に入られました。

このとき一羽の白鳥が幣立神宮へ案内しました。命は御幣(ごへい)を立てて奉祀されたので「幣立神宮」の名が起こったといわれています。でも、それは偶然の結果といったものではありません。命はこの地が高天原・日の宮であることを知っており、阿蘇開拓に情熱を注がれたのもこの"神代の神都"の備えを固めるためです。

ここに伝承の背後に秘められた歴史の真実があると思うのです。」
とあり、健磐龍命は宮崎日向からここに至る道筋を伝えている。









境内からは展望は効かないが、裏手の八大龍王を祀る社からさらに奥の山に入ると、展望が開ける所があるので、健磐龍命はそこから眺めたのかもしれない。



「五色神面」は古代の人々が「地球人類の生命を豊かに育み、大自然の生命と調和する聖地としてこの地を選び、世界平和の祈りの基とした」ことの物証であるという。

この「五色神面」は四年に一度の祭の時に開帳されるが、幸運にも私も拝見した。
木彫りの面で、五枚とも作風が違う古面だった。長い時代の中で奉納されたものだろう。

この熊本から宮崎に掛けては古面の文化圏で、収集された展示館が宮崎に引っ越した話を読んだことがあるが、今はどうなっているだろう。


春木宮司曰く
「今の蘇陽町、清和村、五ヶ瀬町、高森町一帯はかつて知呆(ちほ)郷と呼ばれていました。

この地名の由来を日向風土紀では「皇孫の尊、千穂の稲を搓(ても)みて籾と為して、投げ散らしたまひければ、即ち、天(そら)開(あか)晴(り)り、日月照り光(かがや)きき。

因りて高千穂の二上(ふたがみ)の峰と曰ひき。後の人、改めて知鋪(知呆)と號(なづ)く」と記しています。高千穂とは知呆にほかならず、その知呆郷の中心に位置しているのが幣立神宮というわけです。」
と「ふるさと寺子屋」にあり、風土記からはここが高千穂圏内にある中心的な宮だという事が分かる。

高千穂に天の岩戸があるが、天照大神が岩戸籠りの神業を終えてここに帰還したという祭は旧暦十一月八日に行われている。


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裏手の八大龍王社の水は今も湧き出している。
ここは九州の屋根(へそ)で、分水嶺となるのだろう。古代の人はそれを見極めて祀ったのかもしれない。

境内には「当神宮は民族の起こりであったが、応神帝の時、勃発した内乱の為に、自ら隠れ宮となった尊い歴史がある。ところが、人類の危機が迫ったので、再び世界の世直しの神として、出現し給う」
という看板があり、驚いた。

歴史に記されていない「応神帝の時代の内乱」。
神功皇后の亡きあとのことになる。その内乱で隠れ宮となり、今、再び世に出たという。


「五色神祭は世界の神々が集まって人類の幸福、世界の平和を祈る儀式です。

祭典は時代を超えて人々の霊的精神のなかに生き続ける根源的なものを呼び覚まし、その波動は参列者の魂を深くゆさぶらずにはおきません。

五大人種が互いに認め合い助け合う和合の世界の実現は全地球的願望です。」
と、春木宮司の言がある。

この波動に共鳴して多くの若い人たちが集う。


社伝の方には
「その後、延喜年間(901年 - 923年)、阿蘇大宮司友成が神殿を造営し伊勢両宮を祀り幣立社と号した。天養元年(1144年)には、阿蘇大宮司友孝が阿蘇十二神を合祀し大野郷の総鎮守とした。」
とあり、裏伊勢と呼ばれる所以もここにあろうか。



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by lunabura | 2019-08-11 16:34 | バスハイク | Comments(0)

熊本美里山都5 幣立神社1 思い出が多すぎる



国道218号線をさらに東に向かった。
何度も何度も参拝し、そのたびに出会いがあった不思議な宮。
世界から人が集まる神社。
それは、まさに九州のへそ地点から車で五分の所にあった。

五色人面祭の日、全国から人が集まっていた。

中には既に神懸かり状態になっていた東京の男性もいた。
東京の友人がその人がチャネリングをすることを教えてくれた。
私はその人の前に立って、「何かお言葉を」、そんなことを言ったと思う。
「あなたはそのままで良い。そのままで良い」
と言われた。

確かに、自分の心のまま、スコットランドに行ったり、天神からそのまま着替えも持たずに天河に行ったり、東京であった天河弁財天のシンポジウムに出掛けたり、鞍馬のウエサク祭に行く友達に会うために京都に行ったり。
我が思うままに出かけて行ったっけ。

この日はジュディス・カーペンターは拝殿の前で上気した顔で立っていて、声を掛けても言葉が出ない状態だった。

クレイグ・カーペンターはこの日も緑のイヤリングをしていた。初めて会った日、私も緑のイヤリングをしていたので、祭の日にも同じイヤリングをしていった。多分、私の顔は覚えていなくても、イヤリングは覚えているだろうと思って。

声を掛けると、やはり彼は私の顔を覚えていなかった。そこで、イヤリングを示すと、「ああ、あの時!」と思い出してくれた。

クレイグ・カーペンターはホピ族の人で、ビッグフットの型を持ち歩き、確か太陽族と熊族を日本で探していた。そこで、ここを紹介されて、奇しくも五色人面祭に赤人の代表として参加することになった。

「その二族に会えたか」と尋ねると、クレイグは「その場では分からず、家に帰ってから分かるものだ」と言っていた。

ある年には女三人で正月に幣立に行って、大晦日に裏手にある平和道場に泊めてもらったことがある。あれは熊本の清栄山に登ってご来光を見るためだったっけ。麓で車の中で仮眠しようとして、あまりに寒くて、急遽平和道場にお願いしたのだった。

ところが夜なのでどこから脇道に入ったらいいのか分からなくなった。
誰一人歩いていない。
唯一車を見つけて道を尋ねた。
青年が乗っていて、平和道場の道を尋ねると、クスリと笑った。
その青年は平和道場の家の人だった(驚!)

私たちは大晦日の掃除などを手伝って、お礼をした。
途中で食料の買い出しをしたが、どこも早々と店が閉まり、わずかにカップラーメンが手に入っただけだった。
お湯を貰って、大晦日の食事にしたっけ。

どれもこれも、行き当たりばったりで、適当で、面白い日々だった。

それから二十数年?
私は歴史を学んでから再び参拝する。不思議な感じがした。






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by lunabura | 2019-08-05 00:07 | バスハイク | Comments(0)

熊本美里山都4 男成神社 健磐龍とは神八井耳命の子供だった




国道218号線に戻ってさらに東に向かうとすぐに左手に大きな鳥居が出て来た。
男成(おとこなり)神社だ。




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鋭角に脇道に入ると、高度が上がりながら果樹園らしき所を抜けていくと杉並木の参道に出た。








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周囲に人家が無いのに、良く祀られている。









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祭神は天照皇大神、神武天皇、神八井耳命。

配祀神として阿蘇十二神、須佐之男命、稲田姫神が祀られていた。


社伝によると、「神武天皇76年、神武天皇の孫である健磐竜命(阿蘇神社の主祭神)が行宮を建て皇祖を祀ったことがおこりである」という。

「舒明天皇12年(640年)、阿蘇大宮司が阿蘇十二神を勧請し社殿を建て、阿蘇神社の分社とした。建久3年(1192年)には、祇園宮を相殿に奉斎し、祇園宮と称した。男成という社名の由来は、阿蘇大宮司家代々の元服が行われたためである。明治8年(1875年)郷社に列した。」
とある。

神武天皇の子に神八井耳(かむやいみみ)命がいて、その子が健磐龍(たけいわたつ)命(阿蘇都彦)だという。

この健磐龍命は阿蘇神社でも一宮として祀られている。

驚いたことに健磐龍命の名は次の幣立神宮にも出てくる。
幣を立てたのが健磐龍命なのだ。


今通っている国道218号線は日向往還に沿って造られたらしく、健磐龍命は日向から幣立神宮、男成神社と、巡行したことになる。私たちのバスは逆コースを辿っている。







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健磐龍命はここでは祖先神を祀った。それが当社の三祭神だ。
そのためか、阿蘇大宮司家がここで代々元服を迎えるという。


数年前、この神八井耳命を探して草部吉見社に行ったが、その気配が無かったのも、ようやく理解できた。草部吉見社の方は兄の「日子八井耳命」(国龍神)を祀っていたのだ。


日子八井耳命
は古事記の方に載っている。

つまり、阿蘇に祀られる兄弟神(神八井耳と日子八井耳)は、古事記でしか理解できないことになる。

そして、健磐龍の別名は阿蘇津彦命という。

つまり景行天皇の時に出てくる阿蘇津彦とはこの神霊が現れたということになろうか。








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ここに来て、阿蘇の神々のことが、少し見えて来た。



男成神社 上益城郡山都町男成519


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by lunabura | 2019-08-03 20:10 | バスハイク | Comments(0)

熊本美里山都3 円形分水工 憧れの分水工に行けた!



「運転手さんが円形分水工に行きますかと言われていますが」
とスタッフの方が尋ねられた。
「え?円形分水工は近くですか?行けるんですか?お願いします!」

前々から写真で見て、行って見たかったが、場所を知らなかったので、バスハイクのコースに入れていなかった。まさか、ここでお目に掛かれるとは。

実際に通潤橋まで来てみると、円形分水工も射程距離に入っているのが分かったが、男成神社の近くにあるとは思っていなかった。
218号線を東に向かうと左手に標識があり、少々登りながら、すぐに着いた。





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水が中央から湧き出してどんどん溢れている。







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円の外にあるコンクリートの直線の仕切り壁によって水を分配する。
左奥の水は前回の通潤橋に流れていく水だ。
ここから道路を潜って水路を通り川に流れ込んでいく。
昭和31年に造られたものだ。

この水は右手に流れる笹原川の上手から水路を造ってここに水がぶつかるようになっている。

分水工が造られる前、測量機の無い時代に、標高や勾配を考えてここから水が引かれた。
水が流れたいように流してやる。
歩いて川を遡上し、この地点を見つけたのだろう。
その叡智に感動した。









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砂漠に用水路を、灌漑用水路を造ろう。
そんな夢を持ったことを思い出した。

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by lunabura | 2019-08-02 20:41 | バスハイク | Comments(0)

熊本美里山都2 通潤橋 庄屋たちは切腹覚悟で完成に臨んだ






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通潤橋は江戸時代の水道橋だ。

耕作可能な白糸大地があるのに、豊かな水は遥か下の方を流れている。
そこで谷底を流れる水を高台に送る施設が求められた。それが通潤橋だ。

完成したのは嘉永7年(1854)。地元の惣庄屋の布田保之助が中心となって、地元や細川藩の資金を借りて計画した。

施工は前回と同じ種山石工集団だ。近隣の農民もこぞって作業に参加したという。

このアーチを作るためには、木枠を大工が作った上に、石工が石を置いていく。

完成すると木枠を外すのだが、この時には橋の中央に白装束を着た布田が鎮座し、石工頭も切腹用の短刀を懐にしていたという。


2016年の熊本地震で亀裂が入り、水漏れがするために、現在、復旧工事がなされている。

写真に写っている「美女と野獣」は地元の材料だけで造られたものだろう。八朔祭がこの町にあり、地元の材料だけで作る習わしがある。

何と魅力的なことか。








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さて、橋は工事中で渡ることができないが、左手の山に登れば橋の様子が上から眺められる。
通水管が三本通っているということなので、手前の石組で三つに分けられていくのだろう。

勾配と水の流れの向きを計算して、電力も使わない永遠の通水管が造られた。

このあと、その分水地に行ったが、複雑な山の形、勾配を観察して利用する叡智に、人間の可能性を強く感じた。


この話を夫にすると、「ローマの水道橋みたいだね」という。

「ローマの水道橋」


これを聞いて、私は忘れていた『ガイアの森』のラストを思い出した。

ネタバレになるが、五人の内、一人は地球に森を造ることに目覚めるのだ。

砂漠という砂漠に森を造る。
これが「ガイアの森」のタイトルの意味なのだ。

今、欧州に42度の熱波をもたらしているのがアフリカの乾燥した熱風だ。
アフリカ、中東、中央アジア。
そこにローマに負けない灌漑用水を造る。

小説とはどんな嘘を書いてもいいという。
それなら、私の夢を書こう。
こうしてガイアに森を造って行く話を書いた。

ガイアの森の「古代の森研究所」を共同体と勘違いしている人もいるが、そうではない。
研究所には二年しか在籍できない。

その間に、過去生療法を学び、心の森を癒す。
合気道をしながら心と体を造り、愛を体現する。
畑で野菜を育てることを学び、自活の道を学ぶ。

学び、癒されて行くうちに、それぞれの魂の使命に目覚め、それぞれの役割を果たすために世界に羽ばたく。

そんな概念で、夢を描いた。

主人公たちが次々に思い出していく過去生のかなり物は私自身の過去生だ。それを四人に分けて表していった。四人の名は夢で教えられた。

この本を読んだだけで、自分の過去生を思い出した人も何人か知っている。

私が、石橋に強く反応したのは、このことを思い出すためだったようだ。

インドに行くと真っすぐ伸びた道路の両側に並木が延々と続いている。これを植えたのは日本人だ。しかも私費で。

アフガニスタンの不毛の大池に灌漑用水を造ったのは中村哲だ。朝倉の山田堰の技術が応用された。

この通潤橋は私が忘れかけていた森を造る世界を思い出させてくれた。



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by lunabura | 2019-07-29 20:48 | バスハイク | Comments(2)

熊本美里山都1 霊台橋 石橋のアーチは心を揺り動かす



日が長くなる夏のバスハイクは熊本だ。

福岡からだと阿蘇山の南の町へは3時間半はかかるので、今回のスケジュールは
通潤橋―男成神社―幣立神宮
の三ヶ所だった。

一般のドライブでは幣立神宮から足を延ばして高千穂峡や神社に行って夕方から帰福するコースで日帰りできるが、バスハイクなので、最低夕方6時頃までには天神に戻らねばならないので、三ヶ所行くのがやっとだ。

ところが、今回はドライバーが運転しながら
「左の下に石橋があるでしょ?」
「え?あ、見えた!」

さらに、しばらく行くと、
「ハートが見える石橋が近くにありますよ」
「ええ、あの有名な石橋はこの町にあったんですか」

さらに、
「石橋の横を通るので、止まりましょうか」
「お願いします!」
「歩いて渡れるので、バスは橋の先で待ってます」
と、いくつもの石橋があるのを教えてくれた。

松橋インターから幣立に行くまでに石橋が沢山あったのだ。
石橋が美しいので美里町というのか、と思ったほどだった。
石橋を軽く捉えていたが、心に深く感動させる力があった。

それは人の手によって命がけで造られたのものだからか。
人智の素晴らしさからか。

名画や名曲と同じように宇宙の叡智を降ろして三次元の形を取らせていた。
だから、アートの側面もあった。

しかも、冷たいはずの石が暖かい表情で人の暮らしに寄り添っている。
固いものが人の曲線と繋がり、分離することはない。

今回、いくつもの石橋のアーチを見てそう思った。

石橋には人馬が渡るためのものと、水を通すためのものがあった。

最初に渡ったのは人馬を通す「霊台橋」だった。






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国道218号線を走っていると、緑川を渡る橋がある。
その橋の横に霊台橋が現存していた。

築造は弘化4年(1847)だ。それまでは木の橋があったが、何度となく流されたという。
見るとかなり深い谷なので、人馬は荷をかついで川原に降りて橋を渡り、また登っていったのだろう。
今日の緑川は梅雨の豪雨で流れが激しい。こんな流れには木橋は耐えられなかっただろう。

壊れない橋が欲しい。
惣庄屋の篠原善兵衛ら地元住民が立ち上がり、延べ4万越えで、わずか七か月で完成させたという。

種山石工は宇助ら72名。大工の棟梁もいた。

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この橋は改良されて昭和41年まで使用され、バスもトラックも通ったという。
横に橋が出来て、昭和42年に国の重要文化財に指定された。






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歩いてみると土が載っていて、途中やや勾配があったが、これは昭和55年の復元工事によるのだろう。
架橋当時の形に復元されたという。







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渡ったあと、振り返ってみると、美しい姿全体が間近に見渡せた。



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by lunabura | 2019-07-26 20:34 | バスハイク | Comments(0)

連絡 725のバスハイク参加の方へ



明後日、7月25日の「九州のへその神社群」バスハイクの出発時間について、それぞれに連絡が入ったと思いますが、30分早くなりました。

8:00に出発です!
遠方から参加の方、始発かな?私も早起き頑張ります^^


幣立神宮は個人の願いはしない所と聞いています。
天気も良さそうで、楽しみですね。

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by lunabura | 2019-07-23 13:07 | バスハイク | Comments(0)

バスハイクデザイン



昨日は急遽、バスハイクのデザインをしました。
依頼は12日。締め切りは7月中旬。「???」
でも、今回は一つだけなので間に合います。

6月のバスハイクは雨の予報だったので、前日に中止になりましたが、私の町は雨は降りませんでした。中止になった嘉麻~飯塚は9月に催行します。参加希望の方はもう一度、HPをチェックしていてくださいませ。王塚装飾古墳や沖出古墳の日は晴れていてほしいですね。

来週は幣立神宮など山都町に行きますが、梅雨の大雨の時、水に浸かっているニュースなどが流れて心配しました。きっと来週は道も大丈夫でしょう。

幣立神宮では不思議な出会いがいろいろとありました。
五色人面祭の内、四つの人類が揃った年の大祭に参拝しましたが、赤人と白人はその前に知り合いになった人でした。ホピ族とジュディス・カーペンターです。
ジュディスもホピ族の集落に行ったばかりと言っていました。
ホピ族の人の名はクレイグ・カーペンター。私はこの男性と同じ緑のイヤリングをしていたので、思い出してもらいました。
二人とも偶然にもカーペンターさんでした(^^)/

ホピと出会い、夢に出て来たのがホピの酋長だったのが分かりました。
それから私のネイティブ・インディアンの頃の過去生を思い出しました。

また、神木の前で気功をしていた人がブンと飛ばされたのを目撃したり。
別の日に、同じ所で友人はひっくり返されたり(^^♪
久し振りの幣立神宮はどうでしょうか。

こうして、思い出していると、「ガイアの森」の世界に時間軸が遡っていきます。

「君の名は。」を見た後、ヒカルランドから原稿を返してもらおうと思って、HPを見ると、画面が空っぽになっていました。メールをしても返事が無く、電話をしても返事がありませんでした。

何が起こったのか、心配しましたまま、忙しさに紛れて、今に至ります。
下巻を公開する方法を再び探る時が来たようですね。

原稿を初めて送った時も、占星術で「この日は忘れていた夢が叶う」という日に、忘れていた「ガイアの森」を思い出して、原稿を読んでもらえないか、直接電話したことがきっかけでした。
そうして、夢が叶ったのです。でも、上巻だけですね。

最近、「ガイアの森」の感想などを再び伺うことがあります。
昨年も何人か東京や大阪から私に会いに来られました。


もう一度、あの神社に立って、原点のエネルギーに触れたいと思います。

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by lunabura | 2019-07-17 20:36 | バスハイク | Comments(0)

明日、627のバスハイクは延期になりました



明日は「歴史と自然をまもる会」主催のバスハイクの予定でしたが、
梅雨前線が北上して雨がひどくなる予報が出たため、中止になりました。
あらためて別の日に設定されるそうです。

申し込みの方には今から(16時半以降)直接、連絡が入ります。
よろしくお願いします。

延期の日程が決まったらまたブログでも紹介します。



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by lunabura | 2019-06-26 16:32 | バスハイク | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25