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ひもろぎ逍遥

カテゴリ:「脇巫女Ⅱ」( 47 )

佐賀小城市 須賀神社はヤマトタケルに滅ぼされた弥生の集落か


先月(2019・12・20)の佐賀のバスハイクの報告をまだしていませんでした。

佐賀は「風土記」が完全に残っている所です。

バスハイクも風土記をメインに地元の伝承を組み合わせながら、旅をしています。
肥前風土記に登場するのは主に景行天皇、日本武尊、神功皇后です。

景行天皇は久留米の高良山の方から佐賀に出て、西へ西へと巡行しながら進みました。

この時、まつろわなかった人々がいたので、それを日本武尊が一掃しながら西へと進軍しています。
この後、神功皇后が筑後平野から唐津へ、南から北へと抜けて行くようすが描かれています。


この佐賀の南西部に小城羊羹(おぎようかん)で有名な小城市があります。

「おぎ」という地名は古代語の砦(とりで)「こぎ」がなまったものだと記されています。

小城市の砦にいた土蜘蛛は景行天皇の命に従わなかったので、日本武尊が進軍し、その日の内に全滅させたと風土記は記しています。

それが小城の何処かは伝わっていないようですが、砦があるなら、地形を見れば一目瞭然だと思って、現地入りし、須賀神社~千葉城址の地形こそ高地性弥生集落のあった所だとにらみました。



で、砦だったと思われる須賀神社には石段が真っすぐついているのです。




佐賀小城市 須賀神社はヤマトタケルに滅ぼされた弥生の集落か_c0222861_2013377.jpg

バスハイクの中でも最高に厳しい石段です。
この日のラストにメインイベントを持って来たのは、自由参加にするためでした。

登らない方は、すぐ麓の小城羊羹でお買い物を楽しんでいただいて・・
と予定していましたが、結局、ほとんどの方が登りました(*’▽’)

そして、偶然、地元の可愛い五人の小学生がどんどん私たちを追い抜いて、千葉城址に登っていくので、何となくみんなもつられて、千葉城址を制覇したのでした!(^^)!


で、展望台に登って思い出したのが、チェリーさんのつぶやき。
ここからの眺めの画像が欲しいということだったので、載せておきます。








佐賀小城市 須賀神社はヤマトタケルに滅ぼされた弥生の集落か_c0222861_20135744.jpg

近くは福岡、遠くは熊本の山々が見えています。

この左右も撮っているので、必要ならコメントください。

<20200107>


追加
佐賀小城市 須賀神社はヤマトタケルに滅ぼされた弥生の集落か_c0222861_19593511.jpg

左手の方を拡大してみました。少し写っているような印象です。<20200108>



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佐賀小城市 須賀神社はヤマトタケルに滅ぼされた弥生の集落か_c0222861_18414040.jpg

by lunabura | 2020-01-07 20:15 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(3)

脇巫女Ⅱ45 斎長 タケルの最期に遭遇した僧



この日、もう一人、関連があると思われる男性が居合わせていた。
その人から、この時代の魂の記憶を取り出した。

崋山に懸かった過去の人は、胡坐を組んで背筋をすっと伸ばし、女人とも思われるしなやかな姿をしていた。しかし男性だった。

菊如は語りかけた。
「はじめまして」
「何か私に聞きたい事があるのですか?あの時代の事で。もう話をしないといけない時が来ましたか」

「そうですね。よろしかったら聞かせてください」
「私が何故ここに来たのかは、私があの方の・・ヤマトタケルの最期を看取ったという事でいいのですね」

「はい」
「私の名前は斎長。私は各地を回っていました」

「お坊様でいらっしゃいましたか。どういうご縁でいらっしゃいますか」

「戦が多く、あちこちで農民や村人が震えあがり、家の中で小さくなっていました。
大きな戦いがあちこちであったのです。

ヤマトタケルと物部の者たちが戦っていました。
そこには、どちらの者か分からぬ遺体、瀕死の者、うごめいているものが行き先々にありました。
私は瀕死の者の最期の言葉を聞いてあげ、息を引き取ると傍に埋め、念仏を唱えて行きました。

ある時、山を登り、下りた所で遺体を見ました。背中を大きく斬られていました。
近づくと瀕死の状態で、手足は動かないのに肩が少し動きました。
刀を抜こうとしたのです。

私が敵ではないと分かると、近寄る事ができました。
その人の口元に耳を近づけると、「自分はヤマトタケルだ」と言いました。
「我が軍勢は戦って先に行った」と。

私はその男の話を聞くことにしました。
沢山の話を教えられました。
幼少の頃から大きな軍の保営地に集められ、様々の国の言葉、戦い方、性質、性格、所作、髪の色、目の色などを学んだ事を。

そして「私の仕事はヤマトタケルとなる事」と言いました。

「なる事」とはどういうことかと尋ねると、その男は「私の名前は、さがとくのすけ。それが五歳までの名。それからヤマトタケルとして訓練された。様々の地から力を持った子が集められていた」と言いました。

その人に
「思い残す事はないですか。幸せでしたか。やりたい事をやり遂げましたか」と尋ねると、
「やりたい事は分からぬが、やらねばならない事はある」と言うので、
「やり遂げましたか」と尋ねると、
「今になっては分からぬ」
と言いました。

私が「つらい事や幸せな事はありましたか」と尋ねると、その方は
「私は何の為に生きて来たのだろう。何がしたかったのだろう。楽しい事もつらい事もあった。裏切られたし、裏切りもした。幸せだったかと聞かれれば、うなずけぬ」
と言いました。

私は言いました。
「私の考えでは輪廻転生といって、命が絶えると生まれ変わるという教えがあります。何に生まれ変わりたいですか」
「普通の人でいい。普通の農民でよい。自分の力でいろいろ試してみたい」
と言って、逆に私に聞きました。
「そういうお前は幸せか」

私は驚きました。
「幸せかどうかは分かりませんが、自分に正直に生きています」と言うと、その方は薄く笑い、「そんな風に生きてみたい」と言いました。

私が「今度生まれ変わったら、一緒に普通の人生を生きましょう」と言うと、その方はにっこりと微笑み、目を閉じ、永遠に旅立って行きました。それがヤマトタケルの最期です」


――これは第二ヤマトタケルの最期の話だ。斎長は偶然にもタケルの最期に遭遇し、その言葉を聞いたのだ。ここで、第二タケルかどうか、確認するためにその場所を尋ねた。タケル本人は熊本で死んだと語っていた。

「それは何処での話ですか」
「今の佐賀に入る手前の山。熊本から佐賀に入る手前。それまではヤマトタケルは二人いました。三人目が用意されていました」

――間違いなかった。斎長は熊本まで流れていったのだ。
しかし、当時仏僧になれるような場所が日本にあったのだろうか。私はそれを尋ねた。

「あなたはどこで仏教を学び、僧侶になったのですか」
「行橋(ゆくはし)で僧になりました。それから行脚をしました」

――行橋市は福岡県の東海岸部にある。そこにこの時代仏教が渡来したという。

ゴーダマ・シッダルタ(仏陀)は紀元前五世紀の人物だ。仏教渡来の時期を日本書紀だけで考察する人もいるが、数百年の間に、例えば船乗りたちによって原始仏教が日本の港に直接もたらされた可能性は十分にあると思う。

それが宗派を形成するほど成長しなくても、個人の信仰によってもたらされたと考えるのは自然の理だ。

仏教は砂漠を通り、シルクロードを経て中国語に訳されて伝わるのもあったが、インドの港から直接渡った僧もいただろう。

ちなみに糸島の清賀上人は奈良時代の人だが、インド人だった。サンスクリット語の経典が糸島では唱えられたことだろう。そのような渡来ルートが古代からあったのは否めない。興味深い話となった。

そこで、私は彼の信仰する仏を尋ねた。
「仏はどんな仏様を祀られていましたか」
「阿弥陀如来です」

「行橋に、当時、寺があったのですか」
「はい」

――行橋市なら国際的な港町だったので、瑜伽業をする集団がいたかもしれない。

さて、最後に、当初出て来たタケルと物部の戦いについて鞍手の話かどうか確認しておくことにした。

「タケルと物部が戦っていた話について何かご存知ですか」

「周りから聞いた話ですが、初めからではないそうです。友好的に手を結ぶ、結ばないという話から内紛という形になったそうです。一つにまとまろうとした時に一方が反旗を翻して分離し、戦った犠牲を出したと聞いています。
村人や農民から聞いている話なのでその程度しか知りません」

――やはり、鞍手での戦い、フルべ物部とサンジカネモチ率いる熱田物部の戦いのことだろう。

斎長は行橋から西へと向かい、鞍手に着き、野ざらしになった死者を弔い、さらに西へ西へと行脚していった。偶然にも火の国熊本で第二ヤマトタケルの最期を看取った。




さて、ここからは、現世の本人が自分の過去生に直接尋ねることとなった。

「僧として悟りに辿り着くことはできましたか」
「そのようなことはとても、とても。悟りというのはどういうものを言うのでしょうか」

「それでは人間の幸せとは何ですか」

「私が思うのは、正しいか間違いかではなく、自分らしく生きる事。自分の心から生きる事。共に生きたい人と、信じた人と。

人は善悪を決めたがりますが、善悪は時代や立場によって変わります。
自分が信じた人が幸せになってくれればいい。何か出来ることがあればさせていただく。その場所で。それが人間の幸せだと思います。

私は死者を見送ることしかできませんでした。
輪廻転生を信じていました。行き先々で巡り合った死に行く人に輪廻転生を話していく事だけしかできませんでした。瀕死の人に出会うのに縁があったのかもしれません。

一人寂しくではなく、そばに誰かいて看取ってあげる。

悟りは先の話。
求めている間は永遠に手に入りません。

善悪は私たちが判断する事ができるものではない。間違ってもいい。
そう思っています」

「そう私も思います」

「自分を知ることはいい事。
沢山の亡くなっていく者たちを看取っていると、腕に自信がある故に亡くなって行く者もいました。
私は私で、タケルと話して、幸せとは何だろうと考えました。

彼の方が周りから注目され、周りからは幸せに見えたかもしれない。
ただ、話していて本当の幸せとは何だろうと思ったのです。
私は自分のしたいことをしているから幸せです。

タケルとは約束したのです。また会おうと。
彼は武将。こういう死に方をしなくていい方法があったはず」

「それを教えていくのですか」
「心にあるでしょう。その方法を教えてあげることがあれば、多くの死者も救いとなるだろうと、私は思います」


斎長が二代目タケルの最期を看取った時、来世で会おうと約束した。
現世で再び出会うと、無二の親友となっていた。


<20200105>

さて、この「脇巫女Ⅱ」もここからはリアルタイムに突入します。ですから、また動きがあった時に続きを書いていくことになります。

異世界の物語はこの「脇巫女」の時代だけでなく、「ウーナ」や「ワダツミ」など幾つもの時空からメッセージを受けています。
時代が混信して届けられているので、分類して記録している最中です。

この福岡県の鞍手町の六ケ岳の物語はもう一つ進行中です。それが「ウーナ」です。
いくつか連絡事項を投稿してから、ウーナの物語にも入ろうと思います。




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脇巫女Ⅱ45 斎長 タケルの最期に遭遇した僧_c0222861_18414040.jpg

by lunabura | 2020-01-05 21:10 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

脇巫女Ⅱ44 スクネ 気づき

脇巫女Ⅱ44

スクネ 

気づき



ヤマトタケルが去ると、入れ替わりにスクネが出て来た。

頭を抱えて痛がっている。
「何故じゃ。何故じゃ」と泣きながら。

「あんなに楽しかったではないか。何故じゃ、何故じゃ。
私はそなたのために頑張って来た。
私を分かってくれるのはそなたしかおらん。
私を、私の力を受け入れてくれるのはそなたしかおらん。

私より神功皇后が大事か。
私より神功皇后が大事か。

そなたを失ったら私には何もない。
私には・・何もない。
何もない・・・

勝ち負けなど、どうでもよかった。
共に居て、語らい、戦い、酒を酌み交わし・・・そなたは分かってくれると思った。
私の思い。
でも、そなたは私より神功皇后を選んだ。
そなたは・・・」

ひとしきり泣くと少し収まったのか、スクネは自己を振り返り始めた。

「分かっておる。私も沢山の者を裏切って来た。そなたの目が語っている。
これ以上、罪を重ねぬようにタケルが私の命を絶った。
分かっておる。
でも、私の子供が・・のう・・・

人に無い力があるというのは・・・皆怖がって近寄らん。
都合の良い時には助けに力を求めてくれるが・・・
タケルは違った。私の能力は関係なかった。

タケルは普通の友のように付き合ってくれた。
私にとってタケルは唯一であった。

タケルが死なずに済むように戦略を立てた。
安全な所に居られるように戦略を立てた。
タケルが戦わずに済むように私が交渉した。

なのに、タケルが神功皇后の方を取った。

私には何も無くなった。
残るのは悲しみと、この痛みだけ。
海の中に。
暗~い海の中に沈んでいく。

いろいろと考えたが、自分には答えが出ぬ。
何故だ。
私が邪魔になったか。

私は自分の子を手元に置きたかっただけだ。
神の子なんて、どうでもよい。我が子を手元に置きたかっただけ。
それが間違いか」




菊如は語りかけた。

「間違いではないけど、方法が、手段が、間違っていただけかもしれませんね。反対の立場だったらどうなさいますか」

それを聞いて、スクネははっとした。何かを思い出した。
「話していた。そう、酒を飲みながら、どちらかが道をはずれたら、どうするか。
私はお前の手で死にたいと言った」

「思い出されましたか」
「タケルは約束を守っただけか」

「ええ。つらかったと思います」
「タケルは約束を守った。最後の最後に約束を守ってくれた。
そうか。そうか」

スクネの顔が明るくなった。

「またこうやって会うことになるんですね。時空を超えて」
「形を変えてな。今度は形を変えて。方法を変えて、戦略を変えて」

「今の時代に会うやり方でね」
「人タラシには気を付けよ。
不思議よのう。こういう力を元々持つというのは。
つらいことも多いのう。

でもそういう人たちが世に出るという事は、その力が必要だということ。
私にもまだまだ出来ることが。
今一度心してみる。
そうか。約束を守ってくれたのか」

スクネは納得して去っていった。



<20200104>



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脇巫女Ⅱ44 スクネ 気づき_c0222861_18414040.jpg

by lunabura | 2020-01-04 19:44 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

脇巫女Ⅱ43 第二ヤマトタケル2 セオリツは何処に隠した

脇巫女Ⅱ

43 第二ヤマトタケル2 

セオリツは何処に隠した


私は尋ねた。
「セオリツは誰に預けたのですか」
「もう言っていい話か」

「ええ。神功皇后は話しました。あなたに預けたと」

それを聞いてタケルは納得して語った。

「私が連れて、一人で隠せる場所。私が独りで行ける場所といえば・・・
私が連れ去った、と神功皇后は話しているのだろうが、私は何処にも連れ去っておらぬ。
木月宮で過ごした」

――タケルはセオリツが元々預けられていた木月宮に戻したというのか!全く想定外だった。

「それを神功皇后は知っていましたか」

「いいや。一番近くに隠した。近くの場所に隠すのが一番。セオリツはそこで育った。神功皇后に言えば見に行く。」

――そうすると、セオリツは自分の出生の秘密を知らずに育ったのだろうか。まさか、そういうことはあるまい。タケルが長生きしたら、伝えたはずだ。


「あなたは永く生きていましたか」

「その地を離れた。長く人といると情が移る。それを避けねばならなかった」
――答えがそれた。この話はそらせられない。私は食い下がった。

「セオリツは父も母も知らずに育ったのですか」
「木月の婆さんが知っていた」

「サガミですか」
「婆さんだ。あの婆さんだけには正直に話した。この子は大事な子。名を伏せて育ててくれ。我々とは連絡は取らずに、と。有り難いことに女の子だったので、戦いに出ることもなく育っただろう」

「セオリツが成人するのを見ましたか。どうなったか知りませんか」

「それどころではない。西の方に行き、意気揚々と戦うも、運が尽きる時が来た。

第三代ヤマトタケルが準備されていた。

熊本の地で背中を斬られ、三日間苦しんだ。いろんなことを思い出した。

スクネと楽しく戦っていたこと。
自分が本格的にヤマトタケルとして出たこと。
その位置にいると、見えないことも見えるようになる。私にとって、人は駒だった。

この戦に勝ち、ここを平定させたら、その先は考えておらぬ。次の地に行くだけ。

戦いのあとの土地は死体だらけだった。血の流れた土地がもとの草木に戻るには何十年もかかる。
そのことを一つも考えていなかった。

倒れて草原に倒れた自分・・・雲が見えて、小さな雑草が目に入った。
こうやって土に還るのかと思った。息を引き取る三日間考えた。

自分についてきた者はどうなったであろう。
自分に子供を預けた神功皇后の思いは。
共に戦った自分に殺されたスクネの思い。

私は何のために生きて来たのだろうか。

村を治めたのではなく、武力で収めただけ。
それが何に繋がるのだろう。
私は他に生き方があったのか。

その三日間、私は考えた。

ただ、しなければならないこと、やることに必死で、いろいろな人の思いに、私は考えたり耳を傾けることもなく、心を寄せなかった。あの頃の私には情は邪魔であった。

そしてふと気づいた。

私も単なる駒に過ぎなかったと。

――第二ヤマトタケルもあれから間もなく亡くなっていた。

「ヤマトタケルの前のあなたの名前は?」

「幼少の名か。タケルの前の名。クサカベユウシン。草加部友信だ」


「生まれは何処ですか」
「奈良だ。そこから木月へ連れて行かれた」

「それでは神功皇后は途中で亡くなったのですか?亡くなったあと、メイを下したのはどなたですか」

「仲哀天皇の弟だ。少しの間だがな。
ただもう、大きな神功皇后を失くすということは、ある意味崩壊を意味した。バラバラになっていった。

兵も昔の勢いなはなく、様々な戦いに勝ち続けて身に付けた自信でもって、自分が正しいと主張を始めた。

今までの戦略や剣に優れていると思わせることで、有利な立場に立とうとした。あの者たちが歯向かえば、私は一たまりも無いであろう。

殺したスクネも次の世代に変えられた。私は一人息絶えたとしても、戦うのは次が動き出す。何の変わりもなく。

「スクネを殺した後、第二スクネが誕生したのですか」

「第二代スクネは準備されていたが、気が合わなかった。自然と一代目と比べてしまう。私がとらわれていただけなのだが。

その時に誓った。もう二度と友を裏切らぬと。裏切られるくらいなら自分の命を絶つ。そう決めた」

「あなたの転生者に伝えたい事はありますか」

「私が言えることは何もない。言えるとしたら、自由に自分の思い通りに戦うことだ。戦法は頭の中にきちんと入っておる。先程言ったように、そなたが先陣を切っていけば、周りの者は後ろにいることを決め込む。

そなたは後ろにてそれぞれの分野に精通した者を使い、にこやかに象徴として居ればよい。戦いとはそうやってやっていくものだ」


その転生者自身がタケルに向かって尋ねた。

「スクネはどんな私情を挟んだんですか」

「神功皇后と関係を持った。表は仲哀天皇だが、あれはスクネの子だ。それを私にだけは秘密を話した。そして我が子を手元におきたいと。それは許されぬ。

あくまで天皇皇后二人の子。スクネはそれがたまらなかった。

私情を挟んではならぬ立場となり、このことを公にすると、すべてのものがひっくり返る」

「熊本で誰に殺されたのですか。次のタケルですか」

「我を殺した…者は…三代タケルの側近。駒に過ぎぬ。
そなたたちは我を英雄とのたまうが、英雄などいない。そう。世の中も英雄を創りたかった。

親元から離され、心動かぬよう、人に接近せず、分かり合わず。任務の為、役割のために生きた。
英雄などおらん。

そなたは英雄になるな。自由に生きろ。

それに賛同する者が集まる。英雄は目指すものではなく、死したのち、周りの者が決めること。ただ、そなたも人タラシ。そこを上手く使っていけばよい。戦いはそれを好む者に任せよ。よいか」

過去生の魂が、現代に転生した自分に語るひと時だった。

<20200103>



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脇巫女Ⅱ43 第二ヤマトタケル2 セオリツは何処に隠した_c0222861_18414040.jpg

by lunabura | 2020-01-03 20:01 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

脇巫女Ⅱ42 第二代ヤマトタケル1 スクネの最期の真実は

脇巫女Ⅱ

42 第二代ヤマトタケル1 

スクネの最期の真実は




この日、菊如が第二ヤマトタケルではないか睨んでいる人物も居合わせていた。
この人がそうなら、セオリツの行方を知っている。
その時代の魂の記憶を取り出して崋山の第三の目に入れた。

崋山は男の姿になった。
男は胡坐を組むと片膝を立ててニヤリとした。
「何か聞きたい事があるのか」

菊如が尋ねた。
「お名前は?」
「ヤマトタケルだ。第二代目のな」

「鞍手に居られたんですよね」
「ああ。あのころは楽しかった。一番楽しかった」

「なのにどうして出て行かれたんですか」

「私にはせねばならぬことがある。一つの地域に留まれない存在だ。心はどこにも置かぬ。
まだまだこの国を直さねばならぬ。そのために私は造られた。私のそばには仲間がいた。

使命を受けて訓練された仲間が。幼い頃集められ、教えられ、使命の為に生きる者たちだ。
そう、私は今では私を祀ると剣が強くなると言われておる。しかし私は剣などは信じておらぬ」


「戦略を立てるのが得意だったのですね」

「ああ。戦いは理に合わぬ。
スクネは私を人タラシと呼んでいた。

戦略といってもほとんどはスクネが立てていた。それに乗っかれば良かった。私の方が人に好かれた。

私たちは考えた。交渉の場はスクネが前に出て、私は後ろから見つめるだけにしようと。戦は戦の上手な者がすればいい。
顔色一つ変えず、どんなに窮地に置かれても、私が平静にしておれば、皆は安心して盛り返す。私が慌てれば兵たちは心を失う。

私はいつなんどきもこの姿勢を崩さず。一番トップの者が一番先に出て戦うのはいけない。
それじゃあ駄目だ。微笑んで馬に乗っておれば良い。あとはスクネが整える。私を慕う騎馬兵たちが沢山いる。

あの日は、私の発動命令が出て、行ってみると死体でいっぱいだった。戦のあとだった。

その情勢を把握するため、馬に乗って見廻ると、あのカネモチが膝を尽き、最期の力を振り絞って私を見て驚いていた。

私は何故驚くのか分からなかった。不思議であった。
私はそれを見て、この地を後にした。私はこの地ですることは何もない。

あちらの山の方で強い男が戦っている。兵が進まんと聞いて、その山に向かった。
鞍手を後にした。鞍手はその時が最後だ」


「どの方向、西の方ですか。佐賀の方ですか」
「ああ。石占いの女に聞いた。三本の道がある。どれがいいかと。一本の道を教えられた。そこを進むと良いと。怖いものなどなかった」

「一つぐらいは、あったと思いますが」
「楽しかった。戦が楽しかった。思うように事が進む。私は一つ心残りと言えば、最大の友を失くしたこと」

「それはどなたですか」
「ここで私に申せというのか。・・・最大の友を失くした。この手で殺めた。スクネを殺した」

――あのサンジカネモチが登場した。第二ヤマトタケルが見たのは物部同士の戦いの後だった。
第二ヤマトタケルは幼い時から戦う人間として徹底して仕込まれた。
そして、スクネを殺したことも認めた。

私は尋ねた。

「スクネを何故殺したのですか」

「スクネは信頼の友、最大の友だった。何故かと?使命のためだ。私が任務の為に最大の友をこの手で殺めた。
この任務を遂行するために私は呼ばれた。後悔はしておらぬが、心にぽっかりと穴が開いた」

「つらかったのですね」

「つらい?つらいという心を持てば自分が苦しい。我々のような者は心を持たぬ方が生きていける。スクネも同じようなものだ。ただ一つ、スクネは人間の心を出してしまった。人としての私情をこの任務に挟んでしまった。それ故、亡き者にするしかなかった。私は後悔などしておらぬ」

「どうやってスクネを殺したのですか」

「スクネの最期か」

「舟に乗せたんでしょう」

「二人でセオリツを迎えに行こうと誘った。暗闇の中、沖ノ島に舟を進めた」

「それは偽りの誘いだったのですね。セオリツを迎えに行くというのは」

「そうだ。スクネの最期を見ぬため、暗闇を選んだ。夜なら、皆の目にさらされない。スクネの遺体が人目にさらさずに済む。そして私はスクネに対して刀で斬ることは出来なかった。刀を握れなかった。

知っておるか。
刀を抜くというのは、斬ったとしても、すぐに死んだりできない。一日、二日と苦しんで死ぬ。
上手な位置を切れば一瞬で死ぬが、私にそんな腕は無かった。

沖ノ島に行こうと誘い、二人で行った。舟を漕ぐ者もいた。 
沖ノ島に近づくと、船の底に石が当たるようになった。スクネが灯りを持って先端に立ち、前を見ているところを、後ろから丸太で殴った。スクネの頭をぶち割った」

――タケルの言葉はスクネの言葉と呼応していた。ただ、セオリツについては、名が出て来なかった。

「スクネはセオリツと共に沈んだと言っていましたが、セオリツを抱いていましたか?そのセオリツは違う者ですか」
「スクネは赤子を手にしていなかった」

「でも、一緒に死んだと言っていますが」
「私はセオリツを殺すことはせぬ。スクネと一緒に赤ん坊の命を取ることはせぬ」

――そうすると、赤ん坊と一緒に沈んだというのはスクネの記憶違いだったのか。
セオリツの行方はタケルしか知らない。ここで突き止めないと二度とチャンスは来ないかもしれない。
(つづく)

<20200102>





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脇巫女Ⅱ42 第二代ヤマトタケル1 スクネの最期の真実は_c0222861_18414040.jpg

by lunabura | 2020-01-02 15:07 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

脇巫女Ⅱ41 神功皇后4 セオリツは

脇巫女Ⅱ

41 神功皇后4 セオリツは




神功皇后が語り始めて、かなり時間が経った。もうそろそろ終りの時だ。
しかしもう一つ、どうしても確認せねばならないことがあった。

それは神功皇后が生んだ双子の妹、セオリツの行方だ。
私は尋ねた。

「セオリツは生まれたあと、どうなったんですか」

「ある時、夜にお告げを受けました。夢うつつの中で『そなたは神の子を生む』と。その頃、自分が生んではいけない子、スクネの子を身籠りました。

私は迷い、不安の中にいました。生まれなければいい。しかし神の子を生まねばならないのなら、心して生もうと覚悟を決めました。
が、まさか双子とは思っていませんでした。

最初に生まれた男の子が神の子、この国を治めてくれる子だと思いました。
ところが、二人目の陣痛が始まって、女の子が生まれました。その子を見た時、光り輝き方が違う、神の子は女の子の方だと分かりました。でも、双子は不吉とされていました。

考えている余裕はありませんでした。隠さねばならない。神の子が一人で生きていけるため、しっかりと隠して育てなければならないと思いました。

何処に隠すか。

私は、一番信頼できる、感情が入らない二代目タケルに相談しました。

タケルは表情一つ変えず、分かりました、この子を守っていきます、と言いました。ただ、守るためなら、完全に縁を切らなければなりません。さもないと情報が洩れます。誰かが気づきます、と言いました。

私は娘をタケルに委ねました。私の思いは付けておりません。母の思いは伝えませんでした」



「二度と会わなかったんですか」

「ええ。それ以降、どうなったかは知りません。私が関われば、あの子の身に危険が及びます。もとに戻るわけにはいきませんでした。あの子を守るためなら、どんな我慢でもできる。

神の子を生んだのは事実です。それから一切の消息は取っていません。何処かで必ず生きている。様々な人のため、神の子として役に立っているだろうと思っています」


「でも、二十年ぐらい経ってなら、大丈夫だったんじゃなかったのですか」

「誰も信用できません。軍が大きくなりすぎました。身動きが取れなくなりました。あの頃に戻りたい。大きくなり過ぎました。進み出した船は止まりません」


「あなたは最終的には自分の宮を何処においたのですか。出雲ですか」

「仲哀天皇が生きているなら出雲に戻る気になったでしょうが。一番楽しかった香椎に戻りました。あの頃が一番大変だったけど、楽しかった。目を輝かして国の事を語り合っていました」

「朝廷は香椎宮になったのですね。何歳で亡くなったのですか」
「今でいう28歳。胸を患いました」

「その後、夫はいたのですか」
「いいえ」

「看取ってくれた人はいましたか」
「いいえ。木月の方から巫女が三人来ました。タケルが向かっているという知らせが来ましたが、間に合いませんでした。二代目タケル…タケルは次の世代になりました。それまでです」

――神功皇后は我が娘を守るために、セオリツを二代目タケルに預け、一切の消息を絶ったという。神功皇后の覚悟は壮絶だった。


 神功皇后は28歳で亡くなったという。
日本書紀は100歳まで生きて武内宿禰と共に政をしたように書いている。

『高良玉垂宮神秘書』では、誰よりも先に亡くなったように記す。そのため、妹の豊姫も武内宿禰も玉垂命も都を出なければならなくなったと。
史書もさまざまに記しているのが現状だ。


さて、最後に神功皇后は、セオリツを菊如に見せたいと言って、赤子を抱かせた。

やっと会えた…。

――セオリツの行方は二代目タケルしか知らない。


<20191226>



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by lunabura | 2019-12-30 18:01 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

脇巫女Ⅱ40 神功皇后3 倭の女王と来雲の巫女

脇巫女Ⅱ

40 神功皇后3 倭の女王と来雲の巫女




神功皇后は倭国に魏が攻めて来たという。

「魏の国が攻めて来たのですか。戦いはどうなりましたか」

「あの者たちは力で押してきました。力では及びません。私たちは三方から囲みました。私が居ると見せかけた陣営にはタケルとスクネが構えました。
敵はよほど力に自信があるのか、前しか見ていませんでした」

「その陣営とは香椎宮ですか?神功皇后は木月宮にいたのですか」

「ええ、そうです。内通者がいるのに気がついていました。スクネが気づきました。ですから嘘の情報、私が香椎宮に居るように見せかけました」

「で、勝つことは出来ましたか」
「完全勝利とはいきませんでしたが、大きな戦争を終えました」

「敵は上陸してきたんですか」
「ええ。上陸しました。船で戦うのは上手くいきませんでした。悔しい思いをしました」


「で、和平交渉したんですか」

「一度は撤退させました。その時、こちらから使者を送りました。あの内通者を使者にしました。そのあと、スクネが正式の使者となっていきました。和平交渉は同じ立場でないとできません。向こうを有利に立たせる訳にはいきませんでした」

――魏の国と正式に交渉した人となると、倭の女王になる。その名が卑弥呼だ。神功皇后が卑弥呼というのか。



「魏の国の本に書かれている卑弥呼は神功皇后ですか」

「そうです。スクネの話を信じたのでしょう。私はこれ以上、戦う方法もないし、終わりにしたいと思いました。しかし、五分五分でないと攻め込まれます。

嘘でも、やっつける力があると見せかけねばなりませんでした。
そのための話をスクネがやって、魏からの攻撃は止まりました。
私は内を固めねばなりませんでした。それに専念しました。私は疲れてきました」


「スクネはあなたがもう戦いたくないのを、戦わせようとしたのですか」

「ええ。出雲に帰りたかった。今のような生活は疲れていって。仲哀天皇が亡くなり、私たちを取り囲む人たちの思いがいろいろと変わってきました。違う方向で物語が進められていきました。
元の位置に戻りたくなりました。それをスクネは許しませんでした。身も心もボロボロになり、元の位置に戻りたかった」

「元の位置とは出雲ですか」
「ええ」

――ちなみに、史書では、神功皇后と仲哀天皇の新婚の宮は福井県の気比宮だ。

また、時代的には神功皇后が香椎宮にいたのは西暦200年、神功皇后が死んだのは248年と日本書紀は記す。一方、卑弥呼が死んだのは西暦248年と、魏志倭人伝は記す。
史料的には神功皇后と卑弥呼は同時代の人である。

それが同一人物かどうかは、私は否定的な立場だ。しかし、当時の「倭の女王」となると、神功皇后がとなる。その辺りの矛盾が解けないでいる。

しかも、「脇巫女」の場合、ヒイラギ・ミクマナルも自分は卑弥呼だと言っていた。ここは確認しておかねばなるまい。私は尋ねた。

「ヒイラギ・ミクマナルは飯塚の出雲の人ですが、飯塚の出雲と島根の出雲はどう違うのですか」

「平塚の方が元出雲です。今の出雲大社の場所は私たちが住んでいた宮廷で、神社ではありませんでした。
元は飯塚の方です。大国主・ヌタが祀られる場所が飯塚です」

「ヌタはあなたの時代ではないのですか」

「ヌタとは個人の名ではありません。地域の人たちが出雲の神の事をヌタさまと呼んでいました。
出雲大社の大国主も元は飯塚です」

「ヒイラギ・ミクマナルにイヨという娘がいて、魏から嫁取りしたいと言ってきた話はご存知でしたか」
「知っています。魏にはスクネが行きました」

「ヒイラギさんも自分は卑弥呼だと言っていますが」

「私とは違う、出雲の流れの巫女の方々が代々いました。
それを魏の国が嫁取りしたいと言ってきましたが、嫁には出したくない、と。
私が魏と戦ったのを聞きつけて、私に嫁取りの話を相談してきました。どうにかならぬかと。

私は娘に聞きました。一緒になりたいかと。娘はこの地を離れたくない、この地で一生過ごしたい。役目もある。離れたくないと言いました」

「では、断ったのですか」
「ええ。再度、私がそこを通った時の出来事です。知らぬ顔は出来ません。使者の名前はスクネ。二度目の使者を魏に送りました」

「どういう内容ですか」
「娘をどうしてもやれない。和平のため、そちらが嫁取りをあきらめてくれぬかと。

魏は黄金が目当てだったので、そこの問題が解決しなければ、永遠に続く。この地を守るために交渉せよ。必ず奪いに来る。金と交換するように和平を結んで、お互いに物々交換できるようにするのがよい。金を渡す代わりに何か欲しいものはないかと尋ねました。

すると、鉄が欲しいというので、鉄と金を対等交換するように話を進めました。偶然にも互いに融通が利き、魏との物々交換を交渉することになりました。そのうち、男女で愛し合うものも出来て、上手く交流が出来るようになったと聞きました。

九州以外の国とのやりとりの先駆けとなったのです」

――この話では卑弥呼とは普通名詞として取り扱っているようだった。

来雲(古出雲)の巫女の名声は魏にも届いていたのだろう。そして、魏と戦った神功皇后が来雲の代わりに交渉に臨んだ。

魏志倭人伝にも、倭には30ほどの国があり、その代表として倭の女王が交渉したように書かれている。来雲の件を倭の女王が代表して交渉したというなら、意外にも辻褄が合って面白い。

もちろん、この「脇巫女Ⅱ」は史実として論考しているのではない。パラレルワールドの住民が私たちに何を伝えたいのか、楽しめばよいだけである。

<20191229>



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by lunabura | 2019-12-29 20:09 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

脇巫女Ⅱ39 神功皇后2 出雲の日々

脇巫女Ⅱ39 神功皇后2 出雲の日々

さて、仲哀天皇と神功皇后は何処から来たのか。
その辺が知りたかった。都という言葉を使わずに尋ねることにした。

「もともと仲哀天皇と結婚したのは何処ですか」
「仲哀天皇とは、幼い頃、一度会ったことがあります」

「それは何処ですか。九州ですか」
「いいえ」

「日本海の方ですか」
「ええ。宮廷の庭で。幼いころ、6~7歳の頃でした。
お庭の松の木の枝にウグイスが止まっていました。
幼い仲哀天皇がウグイスを呼ぶと手に止まりました。

その姿を見て、すごい人だと思いました。声を掛けようとした私を見て、宮殿の中に入っていかれました。寝巻のままでした」

「その頃の朝廷は何処にありましたか」
「私は宮中に手を引かれて、美しい中庭を、長く続く廊下、その廊下の先に部屋があり、手前に御簾かかかっていました。仲哀天皇は階段ではなく、渡り廊下によじ登って行かれました」

――何処という質問から、神功皇后は仲哀天皇との出会いを思い出していた。結婚した所も、宮廷という答えになろう。確かにそれも答えだったが、私が知りたいのは何県なのかという事だった。質問は曖昧でなく、直球で率直に出さねばならないことを知った。

「現在の何県か分かりますか?奈良県ですか」
「いいえ」

――私は候補を挙げた。石川県?山口県?広島県、能登半島?
そして出雲を挙げた時、反応があった。

「出雲です。白い石が敷き詰められている庭に渡り廊下があって、入り口に御簾か掛かっている。部屋と部屋を丸い太鼓橋のような廊下でつないでいました。
男の子は渡り廊下の横からよじ登って入っていきました。

庭がきれいだったので、私は入り口から入らずにお庭から入ってしまいました。
沢山の部屋が廊下で繋がっていました。

縁談が14の年に来ました。お名前が慈恩さまと聞きました。
見たことのない方との縁談は良くあります。13~4歳といえば、嫁入りの年でしたので。
でも相手の方が、久方ぶりに会ったウグイスの君で、嬉しく思いました。
慈恩さまは身体が弱く、床に臥せていることが多い方でした」

「神功皇后のお名前は?」
「慶」の字を紙に書いた。これは漢風の対外的な名だろう。本当の名、幼名をどうやって聞き出そうか。そうだ。母からの呼ばれ方で分かるはずだ。

「お母様はあなたの事を何と呼ばれていたのですか」
「幼いころですか。美筒姫です。みつづきひめ」

――おお、これは美しい名だ。「筒」とは星のこと。「美しき星姫」という意味になる。

「仲哀天皇と結婚した時、天皇は何歳でしたか」
「私より五つ上の19歳です。身体が細く、小さい方でした」

「お二人の間に子供はできましたか」

「できませんでした。そういう状態でもあれ、そちと一緒に過ごしたい、と言われ、一緒に海辺に出掛けたり、そう、馬に乗って出かけたりしました。馬には良く乗りました」

「その仲哀天皇が戦いをしないといけなかったのですか」

「ええ。無理に決まっています。しかし、こちらが攻め込まれ、何もしない訳にはいきません。立ち上がらねばなりませんでした。私は、あなた一人が戦うのではなく、みんなで戦いましょう、と言いました。それに、仲哀天皇が戦略を立てた如く動いてくれる心強い者がおりました」

「それはどなたですか」

「スクネです。スクネは私たちの側にいました。天皇とは幼馴染の関係です。スクネは側近をしていたので心強かったのです。ですから、仲哀天皇が身体が弱いことを表にせずに戦えたのです。

周囲の者たちは私より仲哀天皇を慕っていました。しかし、私が表に出されるようになりました。
天皇の周囲が勢いづくと資金が入り、多くなり、豊かになりました。民の顔の色も良くなりました。

軍が大きくなると仲哀天皇はさみしそうでしたが、私は気づきませんでした。途中でやめられなくなりました」

「敵は何処なんですか。日本の中?朝鮮半島?」

「海の向こうの乾燥した地帯の者。水に囲まれた私たちを狙ってくる者。土地が欲しく、豊かな風土、気候が欲しくて荒々しくやって来る者。すべて力でねじ伏せようとする者たちです」

「今でいう中国の砂漠の国?魏の国ですか」
「そう。魏。鬼そのものでした。大きな船でやって来ます。大きな声で叫びながらやって来る。正面から」

「それで九州に来られたんですか」

「ええ。九州は敵が入りやすい。逆に、あそこをきちんとしておけば入りにくい。船は人手と風に乗ってやってきます。だから、潮の流れと風によって入って来る所が決まって来ます。

福岡に的を絞りました。四方八方から入る船を見張られる場所に。
月、星、潮、それら自然そのものに卓越した者が九州という場所にいる。
森羅万象と共存する者がいる。この四方を海に囲まれてすべてを読み取る者。

その人たちを探しました。地元の人を味方につけるのが一番です。
その信仰を損なわぬようにし、宮を建てて。地元の民を抑え込む訳ではなく」

「その人達が大切にする神様を大切にしたんですね」

「ええ。私はどんな小さな祠であろうと、礼を尽くすのは当然と思っています。
わたしたちは他の民の神を抹殺するようなことはしません。
山の方から来る敵はタケル、スクネに任せました」

ーーここで、タケルの名が出て来たので、初代かどうか確認することにした。

「ヤマトタケルは今でいうドイツ辺りから来た一代目ですか」

「ええ。穏やかな人物でした。優しすぎるものがありました。
私たちは移動して元の場所に帰る日々です。その地に深くかかわるので、心を置いていくと、後で苦しみが訪れます。
私たちはいずれ去る者。一代目タケルは深く関わりすぎました。優しすぎました」

「ヤマトタケルの父は景行天皇となっていますが」
「景行天皇の正室ではなく、外に作った子。側室の子供です」

「景行天皇の子が仲哀天皇ですか」
「違います」

「仲哀天皇とスクネの関係の方が深いですか」
「ええ」

「スクネは何人ですか」
「倭人、日本人です」

「物部氏ですか」
「そうです」

「スクネの名前は?幼いころ何と呼んでいましたか」
「物部篤盛。香月物部です。幼いころに離されています」

「どこでその力を」
「特別な力を持っているゆえに、皇族に呼ばれました。様々な事が分かる。それがスクネ。幼いころ、侍の手に惹かれて宮中にやって来ました」

「そのスクネの年は、神功皇后より年下ですか」

「三つほど下です。仲哀天皇の年下。7歳の時、仲哀天皇の側に、お付きのように。香月から出雲へ連れて来られました。お気持ちが合うので、私たちは三人で仲がよかったのです」

――スクネもまた香月物部だった。その名は篤盛という。幼いころから霊能力が目覚めていたのだろう、わずか7歳の時、福岡の香月(かつき)から島根の出雲に連れていかれたという。仲哀天皇の側近として育ち、そこに神功皇后が14歳の時に輿入れした、ということになる。

 
 敵は新羅(しらぎ)ではなく、魏(ぎ)だったという。

 ここには大きな謎がある。日本書紀では朝鮮半島の事しか書かず、中国の事は書いていない。一方、魏志倭人伝では、魏の役人が倭国に来ている。

魏は建国後、拡大していて、朝鮮半島の北部では大量虐殺を行っていた。その風聞は船乗りたちから九州に届けられただろう。

<20191228>



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by lunabura | 2019-12-28 22:00 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

脇巫女Ⅱ38 神功皇后1 明かされた秘密

脇巫女Ⅱ
38神功皇后1 

明かされた秘密


実は王塚古墳でドゥックが語る三日前に、私たちは結願(けちがん)をしていた。
2019年12月19日のことだ。
その日は午前中に直方市の龍王峡に鎮座する龍王神社と秋葉神社に行った。

さて、この物語の終着点は何処なのか。

鞍手にヤマトタケルが登場してから、物部同士の戦いが起きた。
そして古出雲ではヒイラギが神功皇后を待っていた。

二つの地域の物語は同時代の話だった。
バラバラのピースが少しずつ繋がりながらも、範囲が拡大していった。
これ以上は広げるとキリがない。

これら全体に関わっているのは誰か。
謎が解ける中心的人物は誰か。
私たちは話し合った。

その結果、神功皇后の名が挙がった。

神功皇后の双子の父親は本当に初代スクネなのか。
仲哀天皇を殺したのはそのスクネなのか。
スクネ殺害を命じたのは神功皇后なのか。
スクネを実際に殺したのはタケルか。
その訳は?
さらに、仲哀天皇と神功皇后はいったいどこから来たのか。

神功皇后に尋ねれば、一気にパズルが繋がる。

しかし、神功皇后を呼べるのか。
相談しているとき、崋山が神功皇后の出産を体験させられていたことを思い出した。

神功皇后は双子を出産した事を、崋山を使ってわざわざ知らせてきたのだ。
だから、アクセスできる、と我々は確信した。

「分かった」と言って、崋山は当時を思い浮かべた。
すぐに神功皇后が懸かった。



「ついに来ましたか」
神功皇后は待っていたかのような素振りだった。

菊如が「お久しぶりでございます」と挨拶した。
皇后はすべてを承知していた。

「すべての物語の中の、一つの筋書きが聞きたい、ということでよろしいですか」
「はい」

「私は誰にかに操られている訳ではございません。
仲哀天皇と一緒に、外の国から我が国を守るために戦ったのでございます。
わたくしを神の力が宿った巫女と言う者もおるが、そうではありませぬ。

この地域の風土、天候、あらゆる暦などから、森羅万象を捉えただけで、神の力が宿った訳ではありません。
星、月、風、波の高さから自然を読み取る力を、周りの者たちは、私に神の力が宿ったと思っていました。

まず一つ、この地域、この国が黄金の国と呼ばれるようになった時、この国を守らねばならなくなりました。
海賊や船で襲ってくる者、この地を我が物にしようとする者に対して、もともと初めから住んでいる者たち、それだけでは国を守ることができません。
外からこの地域を守るため、私は剣を取りました。

ただ、仲哀天皇はお身体が弱ったのでございます。ただ、弱いだけではなく、自然の営みからいろいろな予測が出来る方でした。

それでも身体が弱く、横になっている時間が多かったから、分かるのは潮の香、海の音など、風に乗ってくる物を良く感じておられました。大雨が来る時の湿気の香りなど、読み取る力は仲哀天皇の方にありました」



私は尋ねた。
「仲哀天皇の本当のお名前は?」
「慈恩(じおん)です。彼は天皇とは言えども、いつも日陰に隠れ、私の方が表に出ておりました。
彼は寝間(ねま)から窓の外を見ていました。そして、そろそろ雨が来る。大雨になる。船を海ではなく、川の内側に入れるように、と命じたりされました。

私たちは燃えるような激情の愛ではありませんでしたが、彼の存在はとても暖かく、決してないがしろにした訳ではありません。彼は、すまない。すまない、といつも私に言われるのでした。

私は仲哀天皇が亡くなった時、考えました。

何故。彼が亡くならねばならなかったのか。女が何故、何千何万の兵達の先頭を切っていかねばならないのか。

今までがむしゃらに、流れに乗ってやって来ましたが、亡くなった時に振り返りました。
仲哀天皇が亡くなったあと、私の中で彼の存在はとても大きかった。

仲哀天皇を世の中の為だと言って殺したスクネを許すことはできませんでした」

――仲哀天皇は病弱で、それゆえの感性の鋭さで未来を予測していたという。このため、神功皇后の方が表に出ていた。二人は穏やかな愛情を育んでいた。

しかし、神功皇后の双子の父親は誰か。スクネは自分の子だと主張していた。これを直接確認せねばならなかった。



「双子の父親は誰ですか」

「スクネです。あの頃の私は今から戦わねばならない敵の大きさ、新たなこと、おのれの知らぬ世界に出て行かねばならない状況に、我ながら恐れおののいていました。本当に自分にできるのだろうかと。

向かってくる敵から守るためにこちらから攻めて行かねば、と考える事はとうてい出来ませんでした。

先頭に立たねばならない不安を解消してくれるタケルとスクネの存在は大きいものでした。仲哀天皇は、存命の時、まずそれをやり遂げねばと言いました」


「その時のタケルは二代目ですか」

「ええ。青い目ではない。タケルとスクネ。あの二人の背中を見ていると、何でもできると思いました。私は穏やかに、普通の女性で過ごしたかった。タケルとスクネの二人で面白いように話が進んでいくので、恐ろしくなる時もありました。

あの二人が全てを整えてくれました。たくましさと恐ろしさを感じていました。
その不安を抱いて心を泳がせていると、スクネが声を掛けてきました。

お察しします、これはこの地の為、人の為、今あなたがた迷っていれば、付いてくる兵達も迷います。しっかりと心を保つ時、今ひと時、心しっかりと保ってください、と」
 
「そういう話は木月の宮でされたのですか」

「あの場所では、先陣を切る私ではなく、普通の私に戻れました。
立ち入るべき人物が決まっていました。私はタケルと会っていました。スクネも来ていました。
そういう時でした。タケルが居ない時に…。
あの日、あの時を境にタケルとスクネと私のバランスが崩れました」


「それはどうして?」
「私はスクネの子を身籠ることが許されません。
それを明らかにすることも先々決して出来ません。
しかし、スクネの子を身籠ってしまいました」

「スクネが上位に立とうとしたのですか」

「ええ。それが見えました。
二人の子を仲哀天皇の子として育てなければならないのに、スクネは毎晩来て、自分の子と言いました。私は認めませんでした。

ついに、タケルに正直に話して、授かった子の父親がスクネだということは表沙汰にできない、仲哀天皇の子として育てるために力を貸してほしい、と頼みました。私が距離を置きたいと思うのをスクネは感じ始めていました。

同じ立場で、三人は同等の力関係でいなければならないのに、私が女になってしまったばかりに起きたのです。三人のバランスが崩れると陣営に影響を及ぼしてしまいます。

私の話をタケルは受け止めました。

木月では三人で話し合うべきものを、タケルと二人で話し合いました。スクネを遠ざけた訳ではないのです。三人の均衡を保とうとしたのです。スクネの態度に心が揺れ動き、関係も変わってきました」

――双子の父親はスクネだと、神功皇后はあっさりと認めた。しかし、あくまでも仲哀天皇の子として育てなければならないのを、スクネは我が子として育てようと主張した。

戦いを前にして、タケルとスクネと皇后の三人で合議する場において、スクネの態度が大きくなっていったことに神功皇后は不安を覚えていった。

スクネは仲哀天皇を殺した。そして神功皇后を表に立てて、そのカリスマ性を利用しようとした。神功皇后はそれに我慢できず、スクネ殺害をタケルに命じたということだった。

<20191227>



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by lunabura | 2019-12-27 20:06 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

脇巫女Ⅱ37 ドゥック3 王妃の目

脇巫女Ⅱ
37 ドゥック3 王妃の目




菊如が貴船神社のヒイラギ・ミクマナルについて尋ねた。
「貴船のあの方は」
「あれは、王妃が後継ぎと思って育てていた者。雷を呼び、呪術をする者。ヒイラギ・ミクマナル。王妃はその貴船から来た。その場所が元住んでいた場所だ。あの場所が、お屋敷があった場所だ」

私は確認した。
「出雲ですね」
「ああ。祭祀をし、雨雲を呼び…」

「住んでいた所ですね」
「ああ。ここは後の場所。ここは住む場所ではなかった」

――出雲の貴船神社の所が屋敷があった所で、王塚古墳の場所には住んでいなかったという。
この地はアルゴラというが、国としての名前は違うだろう。それを尋ねた。

「この国の名前は何というのですか」

「この地は今では日本になっているが、あの時代、百もの国があり、どの国が治めているというものではなかった。様々な者が来ていた。ここはいわゆるフリーな場所だった。逆に言えば、いろんな国の事は、侍より知っていたと思う。鉱山に来る、船に乗って来たやつらの方が知っている」

――具体的な答えはなかった。そういえば、異邦人が集う所、それを真鍋は八重洲と記していた。

「八重洲だったのですね」

「そう。この日本の始まりは九州から、と言っても嘘ではない。王妃がここに納められたのちに、大きな地震が起きた。この地だけは不思議に守られたが、見よ、この地一帯を見渡せるようになった」

――そう言われて、冒頭に述べた景色を思い出した。カルデラの中央に出来た古墳のような印象なのだが、ドゥックは、地震によって周囲が陥没した地形だという。

たまたまこの王塚古墳の丘は陥没しなかったらしい。そういえばヒイラギも周囲が低くなったと言っていた。その意味が良く分からなかったが、王塚古墳から周囲を眺めると、その話が理解できた。

地震と陥没があったとすれば弥生時代が終わって古墳時代に入った頃のことになろう。この陥没地帯に水が流れ込んで、今は川が流れる豊かな地となった。

 当地は石炭鉱脈の上でもあり、現代の話だが、坑道によって各地で陥没が起きた。鉱害対策費用で新築の家が沢山建てられた話を、古墳の上でしたばかりだった。



ドゥックはさらに言った。
「その、墓の下の掲示板に絵があるな。あれは王妃の目だ。いつも見ているという象徴だ」

「双脚輪状文の事ですね。でも、あの絵は王妃より300年以上も後のものですが」
「我々の棺に納められて、王妃の目として掲げていたものだ」

「それを継承して変化したものなのですね。王妃の目には入れ墨があったのですね」
「そう。困った時、この地を守る。そう約束をした」

――これを聞いて、私はエジプトの神、ホルスの目を思い浮かべた。目の下に二つのラインがある。これが「双脚」のことだろうか。
エジプトの棺の中の側面にはホルスの目が描かれていて、ミイラはそこから外を見るという説がある。台湾辺りの船にも船首の左右に双脚輪状文が描かれているのがある。
これを目とすれば、説明はつく。

周囲の三角形の文様を「まつ毛」とするのは少し不自然に思えるが、その翌日、まさに「まつ毛」を三角形で表現する古代の人形を偶然にも見ることとなった。

双脚輪状文は、まだ定説をみないが、「目」か…。
ヤバい、そう思うと、そう見え出したではないか。
ま、いいか。


かなり時間が経った。そろそろ終りの時だ。最後に確認した。
「ここにいる国造を知っていますか」

「ああ。この話を聞いて、心の奥底に動くものがありはせぬか。また共に働けるぞ。のう。そなたにしか出来ぬことがある」
と言った。
そして、「それでは、私もずっと寝ている場合ではないではないか」と伸びをした。

菊如が言った。
「一度帰りますか」
「ああ。この地を守る」
そういうと、男は崋山から去った。

時計を見ると11時11分だった。
12月12日11時11分とはまた、ゴロが良かった。

気温は11度だったが、不思議に暖かい時を過ごした。



ドゥックが去ったあと、崋山は
「国造とは、生まれ変わってまた会おうぞ、と言い合って殉葬された」と言った。そして、
「ここは水が足りなかった所」とも。旱魃に苦しむ土地柄だったらしい。だから、この地の巫女は雲や雨、水の祈願が重要だったのだろう。

ちなみに、王妃の名、天のミクマリの命のミクマリとは漢字で水分と書く。


墳丘を下りて掲示板の前に立つと、そのすぐ手前に気を発している所があった。
この下に棺があるのだろうか、と話し合っていると、見学の人が初めてやってきた。

男の人だ。
すれ違いざまに魂が「アラッスゥ」と菊如に伝えて来た。
アラッスゥは殉葬された五人の一人に違いない、と菊如は言った。

五人の殉葬者は「ドゥック、国造、アラッスゥ」の三人まで分かったことになる。


私たちは、この後、出雲の貴船神社に行った。
銀杏の大木の根元に母子草が黄色い花を付けていた。
季節外れの母子草。
12月というのに不思議な光景だった。そこにヒイラギミクマナルの石棺はあるという。

一年前、菊如と崋山が初めてここに迷い込んだ時、ヒイラギは高台から誰かを待ち続けていたそうだ。待っているのはヌタか神功皇后かという話になった。

この日、改めてヒイラギを崋山に懸けて、尋ねた。
「ヌタを待っているのなら、手を挙げよ」
何も変化がなかった。

「神功皇后を待っているのなら、手を挙げよ」
その手がするすると挙がった。

氏子さんがちょうど掃除に来ていた。
挨拶をすると、いきなり「ここは出雲です」と言われた。
今は平塚だが、小字に出雲が残っているらしい。
平塚にはもう一つ神社があって、八大龍王神社があると、話してくれた。

また、近くで前方後円墳が発掘されているとも。
この話に菊如が反応した。
私たちはその古墳に向かう事にした。

ここを出る時、ちょうど12時の町内チャイムが鳴り響いた。
12月12日12時00分だった。

そして、教えられた古墳に到着したのは12時12分だった。
12月12日12時12分。ゴロが良すぎるが、意味がある数字なのだろう。

現地で学芸員に尋ねると、前方後円墳が築造されているが、弥生土器も出土しているという。
もともと集落があったのではないかとのことだった。
まだ調査中なので、この古墳の詳細は公表されてからにしようと思う。

最後に八大竜王神社に向かった。
氏子さんが言っていた平塚の神社の二つ目だった。
また、時期が来たら紹介することになろう。

こうして、冬の出雲の小旅行は終わった。

<20191226>



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by lunabura | 2019-12-26 15:55 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

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