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カテゴリ:宮地嶽神社と古墳・福津市( 32 )

桜散歩




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昨日のようす。








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やっぱり、ここは美しい。











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「古代にとても重要な所だったんだね」と夫がいう。
あらためて同感。



例の如く、宮地嶽神社でした。




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by lunabura | 2018-03-31 22:53 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Comments(0)

初詣 20180106



初詣 20180106



 今日は初詣。宮地嶽神社に行ってきました。
ようやく渋滞も少なくなっていましたよ。








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宮地岳。












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光の道。










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神門を潜って参拝。









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古墳から戻る途中、立花山が見えるのに初めて気が付きました。

その麓に香椎宮があるんですね。



ラジオ収録で香椎宮に年末に伺ったばかりなので、ちょいと不思議な感じ。



神功皇后もきっとここから香椎宮を思いやったんでしょうね。




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by lunabura | 2018-01-06 19:53 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Comments(2)

王城神社縁起 胸肩県主に阿部高丸・助丸の名が



王城神社縁起 

胸肩県主に阿部高丸・助丸の名が



 太宰府市にある王城神社の縁起を見ていると、
胸肩県主阿部高丸・助丸 今宗像郡宮地村の宮地嶽大明神なり」
という記事が出てきて、思わずのけぞった。

これはどういうこと?????

胸肩県(むなかたのあがた)の長は「阿部高丸・助丸」だというのだ。
この二人はもちろん宮地嶽神社の失われた祭神で、安曇族だ。
宗像の長は宗像氏ではないことになる。
そして、宗像は安曇族の領地だったということになる。

これをいったい、どう解釈していいのだろうか。
大体、あの時代、釣川の河口域に平地があったのだろうか。
かなり奥まで海が入っていたはずだ。
そして、奥には安曇族が入っていた。八所宮然り。安倉然り。

宗像大菩薩とはいったい誰だったのだろうか。

改めて、この「胸肩県主=阿部高丸・助丸」でどのようなストーリが出来るのか考察せねばならなくなった。 

この一文の前後は神功皇后が出産ののち、王城神社で「皇子の賢くましまさんこと」を祈った時のことが書かれ、阿部高丸・助丸と武内宿禰が側で祈ったとある。

すでに阿部高丸・助丸は豊浦宮で戦死しているはずだ。
忌宮神社(豊浦宮)で戦死している。それは出雲でも神楽になっている。


実はここに『日本書紀』がどうしても隠したい歴史がある。
それは新羅が先に倭国の皇居を襲って侵略しようとしたことだ。

三韓征伐の真の目的は新羅の侵略を食い止めるためだったのだ。
徹底的に隠された戦いが今でも古代史家を欺いている。

真実は忌宮神社に残されているのだ。




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それにしても、阿部高丸・助丸(高麿・助麿)兄弟が宮地嶽神社の祭神であるという記録に初めて遭遇した。

この史料は『大宰府市史』の「王城神社縁起」だ。



ところで、王城神社の神紋の扇は安曇磯良が神功皇后から賜った紋と同じだ。
当社の真魚箸神事(まなばし)は志式神社の早魚(はやま)神事の継承変形だ。

明らかに安曇族の聖地だったものが、白村江戦ののちに事代主命に上書きされている。

王城神社にはいくつも大事な記録がある。

神武天皇の城が四王寺山に築城された件もその一つだ。中国史に載る筑紫城の候補となる。
水城の水は山口川から入れられた。

今日は取りあえずメモしておこう。
ちょっと、時間をかけて取り組む内容だ。史料には間違いも含まれているので慎重に当たらねばならない。



最近、当たる資料が多すぎ、アイデアも、どこに書いたか忘れて探すこともしばしば。
ブログに書いておくのが一番確実だと気付いた。

自分で、自分のブログのサイドバーで検索するっちゃ。(´・ω・`)

『神功皇后伝承を歩く』上巻1 忌宮神社 p11「塵輪の襲撃」





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by lunabura | 2017-12-25 20:56 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Comments(2)

広瀬アリス主演映画は宮地嶽神社で



広瀬アリス主演映画は
宮地嶽神社で



二年前に完成した「宮地嶽神社と磐井の末裔たち」の原稿ですが、
この二年間に新たな情報も多々出て来ました。

3月、金星が逆行する時に、この原稿を書き直す、と決心して
大幅に書き直し始めました。

この数日は集中して推敲をしています。

副題には九州王朝の名も入れていましたが、
これは古田氏の造語だし、
正面切って「倭王朝」の名を使うことにしました。

『日本書紀』は安曇磯良の名も、磐井の姓も、
また鞍橋君の姓も隠し切って、
私たちの真の歴史を奪ったんだなあと、つくづく思っています。

あと少しで一度目の推敲が終わりますが、
今月はまだ公表してない歴史講座もあって、
資料作りに取り掛からねばならないタイムリミットと競い合っています。

そして、ふと思い出した映画の話。

広瀬アリスの映画の舞台が宮地嶽神社なんですね。
今年の夏に公開されます。

私の本も間に合うように、と頑張っておりましたが、
もう6月だから、間に合わんちゃけんど。

映画のタイトルは「巫女っちゃけん。」








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この画像の後ろが「光の道」ですねえ。




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by lunabura | 2017-06-04 20:19 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Comments(5)

宮地嶽神社 20170330



宮地嶽神社、一昨日のようす。

今年初めての参拝です。







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ほうき桃でしたっけ?
名前どうしても覚えん。二分咲きかな。




桜は全然です。






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これはモミジの花。







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もうちょっとしたら、竹トンボのようにキュルキュルと飛んでいく。




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by lunabura | 2017-04-01 20:55 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Comments(2)

筑紫舞 2016



筑紫舞 2016





天気予報では一日中、雨だったが、
今年も奇跡的に午後から回復。


宮地嶽神社で筑紫舞が舞われた。


「光の道」が参道に出現して秋祭の始まりを告げると、

九州王朝に伝えられたという筑紫舞が

あでやかな和の彩りを添える。

ご覧になる神は

神功皇后。
勝村神。
勝頼神。



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「千代の友」
千代の友とは菊の事。









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千代に八千代に、国が豊かであるようにと祈る。












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「鑑の曲」かんのきょく
筑紫秘舞。











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浮き立つ春の曙に 白み渡れる山の端の
雲の衣も紫のうら珍しき春の香










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「千鳥」










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梅が枝にこそ 鶯は巣をくへ
風吹かばいかにせん 花に宿る鶯











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「橘」










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雲居の庭に色変えぬ 花橘にほととぢす
千代を鳴らして久方の 空にぞ声の聞こゆる










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浮神(うきがみ)
芸能の祖と言われる阿曇磯良が舞ったという。

天上神が磯良に舞い降りて舞う「つくし神舞」の秘舞。










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イソラ神はここにもおはす。

鞨鼓を持ちて舞いたもう。







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by lunabura | 2016-10-22 20:34 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Comments(2)

「光の道」テレビ取材



「光の道」テレビ取材





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嵐のCMですっかり有名になった宮地嶽神社の「光の道」。

今年はNHK福岡が取材されます。

先週、宮地嶽神社から連絡があり、
「NHKが取材されるが、光の道だけでなく、それを熱く語る女性を」
という話をいただき、および腰でしたが、話をすることにしました。

スタッフが九州に来られて間もないとこのことなので、
土地勘がないのに歴史を聞くのは大変だろうと思って、
前夜に急遽パワーポイントを作りました。

いただいたテーマは
「宮地嶽神社と相島をつなぐ光の道」
 
そして安曇であること。


話したのは

宮地嶽神社
磐井の末裔
筑紫舞
相島
志賀島
奈多の浜
磯良の舞

などなど。



当ブログの訪問者は「またか」というほど馴染みの話ですが(^^;
まだまだマイナーです。



「熱くは語らないぞ」
と思って話し始めましたが気付くと2時間経っていました。

熱くはなかったけど「長~く」話してしまったのでした。

厭きずに聞いて下さってありがとうございます。

この日は顔合わせでした。

テレビに出るのはチョット苦手だなあと思っていましたが、
今日連絡があって、
出なくて良いとのこと!
安心しました。(笑)


「光の道」は天気次第なので、取材は何日にも及ぶことでしょう。

渾身の「光の道」を楽しみにしています(^^)/

放映はNHK福岡 ロクイチ 
6時10分からの番組で21日前後だそうです。

時間は4分程度。
歴史は無しです。
多分、筑紫舞も写されるでしょう。


飛び込みニュースが入ったらずれるでしょうから、
数日間、要チェックですね。



なお、「光の道」は18日の前後一週間が見ごろですが、
参道の石段は時間帯によって締め切られて、
車道を歩いて参拝するようになるそうです。

地元の方によると、昨年は近くの道路が正月よりも混んでいたということです。
正月は入場制限が掛かって正面から入れなかったから、
すごかったんですね。

「光の道」は天気次第です。

宮地嶽神社のHPで確認してから参拝されると安心ですね。

他のテレビ局のクルーも見かけたので、
あちこちの報道で「光の道」が出現しそうです。






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by lunabura | 2016-10-10 20:59 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Comments(2)

参道




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某所。
バレバレですね。

もうすぐ光の道が出現。

すると、祭が始まるのでした。



本日ご縁をいただいての参拝です。






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by lunabura | 2016-10-06 20:36 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Comments(3)

胸形君徳善は684年には生きていた



胸形君徳善は684年には生きていた



各地の考古学の専門家の一般向けの講座には出来るだけ足を運んでいる。
先日も話題の中に「宮地嶽古墳の被葬者は胸形徳善」という話が出た。

考古学会では全くこの説は疑われていないようだ。
聞くたびに悲しくなる。

宮地嶽神社は安曇族であり、宗像族ではない。



今日は中大兄皇子が天智天皇に即位した時期を年表にしていたのだが、
意外な所に徳善の名が出て来た。

岩波文庫で『日本書紀』を読んでいたのだが、
本文では天武天皇2年に
「胸形君徳善の女(むすめ)尼子娘(あまこのいらつめ)」
と出てくる。

その補注に、
「胸形君は天武天皇13年11月に朝臣姓を賜った」
という内容が書かれていた。

天武13年は684年だ。
宮地嶽古墳の築造は600年前後だ。

これで、完全に徳善説を否定する資料が出て来た。
646年には薄葬令が出ている。
徳善の時代にはあれほどの巨大な墓を造ることはなかったはずだ。



今日は宮地嶽神社に参拝したからかなあ。

思いがけない資料に出会った。






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by lunabura | 2016-09-26 23:36 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Comments(0)

宮地嶽神社 参拝


宮地嶽神社 参拝



先日、久留米で磐井君の末裔たちの話をするに当たって、
事前に宮地嶽神社に参拝する時間が取れず、
ようやく、今日、参拝することができた。








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菖蒲の花の盛りは過ぎたが、
社殿前に敷き詰められた花々を見ると、
祀られている神功皇后や勝村・勝頼神への祈りの思いが
伝わってくる。






神々が一番喜ばれるのは何か。
それは花を見て喜ぶ参拝者の笑顔ではないか。
そう考えたという宮司の話を思い出す。














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宮地嶽古墳へと続く小道。
いつも巨大なクスノキが迎えてくれる。

この小道は禊池(みそぎいけ)を造る時に、土取りのために作られたという。




宮地嶽古墳は宮地岳と不動を祀る山と、今は無いもう一つの山の
三つの山に囲まれた所に秘めて作られた。

もう一つの山は、池を造る時に削られて堤となった。







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古代にはこの岬に海がすぐ近くまで迫り、相島から巨大な石が運ばれた。
磐井の孫たちの世代はひそやかに日本で一番大きなものを作ってみせた。
そんな気概が込められていることを知った。








私はいつのまにか、この宮に祀られている
神功皇后の下関と筑紫での歴史を人々に伝えるようになった。




そして、ついに勝村・勝頼の歴史的位置づけを語り始めた。
筑紫君磐井の末裔たちの居城がここだ。


私の物語はすべてこの宮地嶽神社に立ち返ってくる。


思ってもいなかった。
私がそれらの歴史をしたためる日が来ようとは。








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この境内の美しさを記録にとどめられたら、と思った日から、
消された倭国の王たちの歴史が私の前に展開されていった。




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私は傀儡舞をジプシーのように伝えた安曇のように、
この歴史を伝えていくのだろう。

覚悟。

そんな言葉が響いてきた。




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by lunabura | 2016-06-15 22:13 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Comments(7)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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