2010年 08月 30日
三環鈴ー天河神社の「五十鈴」が伽耶でも出土していた
三環鈴
天河神社の「五十鈴」が伽耶でも出土していた
『伽耶文化展』の第3弾。今日のテーマは「三環鈴」です。

馬具の飾りに分類されていました。
咸陽って中国だけかと思っていましたが、伽耶にも咸陽があるんですね。
(写真は実物より大きくなっています)

天河神社とは
正式名称は「大峰本宮天河弁財天女社」ですが、普通は「天河神社」と言います。
紀伊半島の中央部・奈良県吉野郡天川村にあります。
修験道の重要拠点で、今でも護摩焚きなどがあっています。
この御祭神は市杵島姫。(宗像大社の女神ですね。)
それが密教を通して弁財天となりました。この二神はよく同一化されています。
この弁財天が芸能の仏さまという事で芸能人やミュージシャンがはるばると天河神社に訪れます。
その神社の御本尊の三環鈴は実際に音が出ます。
天河神社のHPには、天照大御神の天の岩戸隠れの時に、岩戸の前で振られたものとも書いてあります。
どうやったらよく音が出る?
三環鈴は考古学的には馬鈴として分類されていますが、少し疑問が残ります。
これはぶら下げるようには出来ていないのです。
普通の馬齢は紐通しが必ずついています。
私は天河神社の五十鈴のお守りを持っているのですが、
ぶら下げてジャンプしても肌に当たった時、音が消えてしまいます。
(馬のようには走れないから?ではないと思う)
つまんで振れば音が出ますが、それでは三つの形が活かせません。
音を上手く鳴らすには、棒に挿して両脇を固定する方がよさそうです。
なんとなく巫女さんの振る鈴っぽい形になります。
三環鈴の日本での出土例を探す
そこで、三環鈴をネットで調べてみました。ちょっと数えただけでも16例ありました。
どの三環鈴も馬具と共に出土しています。
馬鈴と解釈するのが一番多かったです。
しかし、ルナ的には今だに「はいそうですか」とは言えない気分が残ります。
(と、リングの中央をしげしげと見る)
サイズの変化が気になった。
ネットではサイズまでは書いてあるものが少なく、三つほど書いてあったので小さい順から並べます。
●中央のリング3,8㎝、鈴の直径2,7㎝(佐賀・花納丸古墳・6世紀)
●長さ13㎝、厚さ5,3㎝、鈴の直径5,5㎝(静岡・山ヶ谷古墳・6世紀)
●高さ6,3㎝。(ボストンにある伝仁徳稜)
伽耶では長さ6㎝厚さ2,8㎝だったのが、倍以上に大きくなっていきます。
まるで銅鐸のようですね。
イメージの助けに、CDの直径を測ると12㎝でした。
初期の三環鈴はその半径の大きさです。
面白い事にCDぐらいの大きさになると、手で持って振りやすくなります。
実際、天河神社ではそのレプリカを手に持って振られます。

日本では神器へと昇華していった
三環鈴は古墳からの出土がほとんどですが、珍しい例として、
神社に奉納されたものがありました。
福岡県北九州市の岡田神社。神武天皇の神社です。
藤原の純友の乱を鎮圧した小野好古が奉納したと伝えられています。
三環鈴が神器のように、特別なものになったのが分かります。
この三角形という形が、三つ巴という神道思想に合致する形だったので、
倭人に特に好まれて、手のひらサイズに大きくなって、
神を呼ぶ時に鳴らされる祭祀の神器となっていったと思われます。
天河神社では鎮魂(魂を丹田に鎮める)に使われるそうです。
三種の神器の玉・鏡・剣の三点セットのようには注目されていないので
見落とす事が多いのでしょうが、
ワカタケルの刻印がある有名な鉄剣が熊本と埼玉にありますが、
これには両方とも三環鈴が一緒に出土しています。
三環鈴は王位の象徴のアイテムとしても検討してもいいのではないかと思いました。
参考文献
『天河』 監修 柿坂神酒之祐 扶桑社
『伽耶文化展』 編集―東京国立博物館 発行―朝日新聞社 1992年
写真はこの二冊から転載しました。
ちなみに、不思議な天河神社参拝記は別項でいつか書こうかなと思っています。
