2011年 08月 26日
神功皇后伝承を追って
神功皇后伝承を追って
最近は神功(じんぐう)皇后の足跡を追っています。
飯塚市(いいづかし)から京都郡(みやこぐん)にかけては
お乳を飲んでいた皇子が両足で立つまでのようすが伝わっていて、
母としての神功皇后を見ることが出来ました。
撃鼓神社 ⇒ 日若八幡神社 ⇒ 位登八幡神社 ⇒ 生立八幡神社
今回からは時間を遡って、戦う神功皇后の姿を見て行きます。
ずっと前に小郡市の老松(おいまつ)神社まで行った時、知ったのは
皇后軍が羽白熊鷲を討ったあと、
ただちに田油津姫(たぶらつひめ)攻撃のための陣営をそこに置いた事でした。
その時私は、神功皇后は陣に残って戦況を見守っただろうと想像しました。
物部軍は仲哀天皇を亡くしたあと、
まさか危険な戦地に皇后を連れては行くまいと。
どうやら私は甘かった。
筑後川流域の神社を調べて行くと、神功皇后の名前があちこちに出て来ました。
まさか、船に乗ってそこまで行く?
本気で戦っている…?
彼女がそうまでする理由を探しに、田川郡に行って見ると、若八幡神社に
「田油津姫が皇后を暗殺しようとして失敗した」という伝承がありました。
暗殺実行場所は古賀市の小山田斎宮。ここは仲哀天皇の死後、極秘に少人数で神掛かりをした所で、護衛も手薄。
そこで事件が起こったとすると、皇后が激昂するのはよく分かる。
若八幡神社の伝承では「ここで直ちに田油津姫は殺された」となっているけど、
山門で戦ったとなると、彼女は密かに脱出に成功したという事になる。
田油津姫は香春岳を中心とする遠賀川流域と
羽白熊鷲の秋月と
筑後川流域の山門郡(やまとぐん)を挟む山岳地帯で
緩やかに連合する広大な国グニの頂点に立った姫神だったのかもしれない
と思うようになりました。

田油津姫は何故に神功皇后を殺そうとしたのか。
筑紫の頂点にたつ姫神が小山田斎宮に連れて来られている事自体が
その手掛かりになる。
一種の人質だ。田油津姫は忠心を装った。屈辱に耐えた。
そして仲哀天皇が死んだ。
皇后も死ねば、ふたたび自分の国に帰れる。
護衛が少ない今がチャンスだ。
そんな事でも考えたのだろうか。
しかし暗殺は失敗し、羽白熊鷲は討たれ、
皇后軍は田油津姫を追って山門に進軍してきた。
これが今のところ考えられるストーリー。
でも行って見ないと分からない。
という事で、次回か筑後地方の五社を廻ります。
これまで通り、一社ずつ見て行くので、
小説を読むように、このストーリーの続きがある訳ではありません。
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