ひもろぎ逍遥

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<   2018年 01月 ( 29 )   > この月の画像一覧

曇っとった



全国の皆さん、月食は見えましたか?
福岡は曇りでした。
(「曇っとった」は方言?意味分かりますか?)

月が出たころは雲を通して光が見えていましたが、
欠けていくにつれ、暗くなって、最後は真っ暗。
そんな月食でした。

で、北海道のライブを見て過ごしました。
飼ってない猫に膝を占領されつつ(=^・^=)

ところで、話は全く変わりますが、
バスハイクで神功皇后のコースを順に回っていますが、
みやま市の次は佐賀(武雄)から唐津に抜けます。
ちょうど、桜のタイミングなので、
「歴史と自然を守る会」に打診したら、
既に決まっていた日程を当方の案に変えてくださいました。

言ってはみるもんですね。
ただし、三日以内にコース提出が条件でした。
それで、バタバタと作り上げたのですが、
佐賀の方に教えていただきたいのです。

御船山楽園をHPやパンフレットで調べるのですが、
画像ばかりで、地図がありません。
桜の時期には入園料が値上がりするのは分かりました。
いつも、いくらに上がっているのでしょうか。

また、庭園内の所要時間は大体どのくらいかかるのでしょうか。
地元の小学生が遠足に行くような所でしょうか。
弁当とか、食べていいのかな。

武雄神社と隣接していますよね。
武雄神社から歩いていけますか?

よかったら、教えてください。
また、お勧めの桜の名所(武雄~唐津の間)がありましたら、それも。

非公開希望の方は非公開のボタンを押せば、私しか見えません。
よろしくお願いします。( ..)φメモメモ







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by lunabura | 2018-01-31 23:16 | バスハイク | Trackback | Comments(3)

朝倉の回り方2



朝倉の回り方2




時間が許すなら、粟島神社からそのまま寺内ダムに向かいましょう。
そのゲートのちょっと手前に矢埜竹神社があります。

今回は、秋月から寺内ダムの羽白熊鷲の墓を経て
二つの美奈宜神社を巡るコースです。

そして、少しずつ斉明天皇と中大兄皇子の足跡が重なってきます。
今回氾濫した桂川は斉明天皇たちの舞台でもあるのです。




秋月野鳥を拠点としていた羽白熊鷲は神功皇后軍に攻め込まれて、
寺内ダム方面に逃走します。

それを追った皇后軍は矢埜竹神社で矢の補充をし、
皇后と武内宿禰は喰那尾神社で戦術を練ります。

その後、羽白熊鷲は「あまぎ水の文化村」の敷地で
矢に討たれて亡くなったといいます。

勝利を収めた皇后軍は美奈宜神社で報恩の祈りを捧げて山を下り、
太刀八幡宮、福成神社で次なる敵、田油津姫討伐の準備をします。

今回はこれらの宮を辿り、さらにもう一つの美奈宜神社、
平塚川添遺跡、甘木歴史資料館を訪れます。

 なお、福成神社は斉明天皇が先勝祈願をした宮でもあります。

斉明天皇が藤原鎌足に命じて作らせた宮野神社と、
天智天皇が斉明天皇病気平癒を祈願するために作った別所神社にも
訪れましょう。



矢埜竹神社(上巻49)矢野竹984 
            皇后軍が矢竹を刈り取った

喰那尾神社(上巻48)三奈木4933 
            神功皇后は戦勝祈願をして陣を敷いた

羽白熊鷲塚(上巻50)矢野竹831 あまぎ水の文化村
            羽白熊鷲は矢に射られて死んだ
 
美奈宜(みなぎ)神社(寺内)(上巻51)荷原2421
            神功皇后は神々に戦勝の奉告をした

  三連水車の里(昼食)

太刀八幡宮(下巻52) 大庭7504 
            神功皇后は田油津姫攻撃に向けて太刀を奉納した 

福成神社(下巻53) 入地1673 神功皇后は宗像三女神に祈った 

美奈宜神社(林田)(上巻43)林田210川蜷が一夜で城を作った
     
平塚川添遺跡 平塚444-4 
 
甘木歴史資料館 甘木216−2 

宮野神社 宮野1248  斉明天皇が藤原鎌足に祖神を祀らせた

別所神社 須川3197 中大兄皇子が斉明天皇の病気平癒を祈った

バサロ 杷木久喜宮1665−1



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平塚川添遺跡は初めてでした。
水の環濠が2~3重あって、風情がありました。

天気が良かったら良い雰囲気の弥生集落が撮れそう。
朝倉邪馬台国説の確認にはここは最適です。


羽白熊鷲は太宰府や飯塚までも荒らしまわっていたので、
この集落の人たちも襲撃の対象だったのではないかな、
と考えたり。

緑のきれいな季節にもう一度行きたいな。

ここには工人たちがいたんですって。


出土物は甘木歴史資料館にあるということで訪問すると、
絵画の展示があって、考古資料はほとんどありませんでした。

以前は資料が沢山展示されていたのです。

筑後地方の豊富な出土物を集めているのに、
それを見学できないようにするのは良い事ではありません。

歴史の抹殺になってしまいます。

展示法について、再考を求めたいと思いました。
美術館では無いのです。
歴史資料館は担うものが大きいのです。









下の「バスハイク」をクリックすると画像付きの現地案内が出てきます。


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by lunabura | 2018-01-30 20:05 | 神功皇后伝承を歩く ガイド | Trackback | Comments(0)

朝倉の回り方1 



朝倉の回り方1 





何度でも行きたくなる秋月。

そこに羽白熊鷲と神功皇后の戦いがあったとは、想像もしませんでした。
今日は、バスハイクで回った朝倉のコースの紹介です。

神功皇后が辿った道を車やバイクで回れます。
いい写真も撮れます。

朝倉でランチやカフェを楽しむだけで応援になります♪



<秋月編>

祭神仲哀天皇の崩御後、神功皇后は羽白熊鷲攻めに取り掛かります。

古処山の麓の秋月野鳥(のとり)を拠点としていた羽白熊鷲に対して、
皇后軍は筑前を通って山かげの道を行軍しました。

武器を砥がせた砥上神社、大本営となった夜須の松峡(まつお)八幡宮、
軍士達が敵前逃亡したために祈ったという大己貴神社、陣屋を敷いた老松神社。

秋月の垂裕(すいよう)神社前の黒門、秋月八幡宮、粟島神社と、
敵を追い詰めながら次々に敷かれた皇后軍の陣営地を訪ねます。

また、お腹が痛くなったという松尾宮にも訪れましょう。


松尾宮(下巻54)筑紫野市永岡587 神功皇后はお腹が痛くなった

砥上(とがみ)神社(上巻40)筑前町砥上上980 
               皇后が軍衆に武器を研ぎ磨かせた

みなみの里
 (道の駅)


松峡(まつお)八幡宮(上巻41)筑前町栗田605 
                 皇后が羽白熊鷲と戦うために宮を建てた

仙道古墳(上巻41)筑前町久光111-2 装飾古墳


大己貴神社(上巻42)筑前町弥永697 軍士たちが逃げ出したので
             皇后は大三輪の神を祀った


老松神社(上巻44)朝倉市下渕840 
               皇后軍は陣営「御府の森」を敷いた

垂裕神社(上巻45)朝倉市秋月野鳥666 
           皇后軍は陣営「梅園の森」を敷いた


秋月八幡宮(上巻46)朝倉市上秋月1717 
             皇后軍は陣営「宮園の森」を敷いた

粟島神社(上巻47)朝倉市日向石600 
             神功皇后が松に鎧を掛けて休息した

 三連水車の里 あさくら(道の駅)


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by lunabura | 2018-01-29 21:53 | 神功皇后伝承を歩く ガイド | Trackback | Comments(0)

こっち向いて♪ 真冬


こっち向いて♪

真冬



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植込みが揺れると思ったら、小鳥がいたよ。
背中のラインがきれいだね。


ねえ、こっち向いて。








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おお、虫を取ってる。










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ほっぺが白い。
君の名は?









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メジロもいたよ。
つがいかな。
サザンカの蜜を吸ってる。

ねえ、こっち向いて。






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おお。
不思議な顔だね。


真冬なのに、寒くないんだね。


枝にピントがあってるなあ(;'∀')

しかも、部屋から窓越しに撮る、ずぼらさ(^^♪




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by lunabura | 2018-01-28 20:10 | にっき | Trackback | Comments(0)

深き山里より下りて 美奈宜神社(寺内)



深き山里より下りて  

美奈宜神社(寺内)







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神功皇后が天神地祇を祀って祈った喰那尾神社から
数度の遷宮を経て現在地に鎮座した美奈宜神社。










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その古社の風情は格別だ。
それでも秋月種実の頃に鎮座したというので、意外と新しい。

朝倉に来てからはバスハイクの皆さんの滞在がずいぶん長くなった。
それぞれに心の中で対話しているのだろう。

苔むした境内の建造物たち。

立体的な境内の地形。










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ずらりと並ぶ祠に知った社号を見つける。

志登神社がここに。
織幡神社もここに。


そして、パズルのカケラがはまり、意味を伝えてくる。

祭神と歴史が交錯する。










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宮地嶽神社だけが格別高いところに鎮座していた。

この意味は?
そう、斉明天皇も朝倉に来て翌日には傍の宮地嶽神社で祈願した。

朝倉の宮殿を準備したのは安曇族だろう。
白村江の直前まで、朝倉の支配層にいたのだろう。

そんな事を考えていると、
「これは十字架?」
という声に誘われて見に行く。









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すでにアンドレアス十字を砥上神社で見つけていた。
ここは、正十字。ケルト十字架にも近い。
隠れキリシタンがいたのかもしれない。

宣教師が入って来た時、海の人たちは先祖の言い伝えの断片をその言葉に聞き、
キリスト教徒となった人もいるという。
海には境がない。




さて、この宮は仁徳天皇の勅命で祀られたという。
神功皇后の孫。
仁徳天皇の名を最近はよく耳にする。
そこにも光と影があるのだろう。









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ほら、桜の枝が赤くなり始めた。
ここは、あ・さくら。だ(^^♪











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川の上流に寺内ダムがある。
この川はダムが流木を防いでくれた。


『神功皇后伝承を歩く』上巻51 神功皇后は戦勝の奉告をした





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by lunabura | 2018-01-26 20:45 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

神功皇后の刀剣の銘を残す太刀八幡宮・朝倉



神功皇后の刀剣の銘を残す太刀八幡宮

朝倉



神功皇后軍は羽白熊鷲討伐後、
寺内ダムからの佐田川(荷原川)を下っていきます。

その足跡通りにバスを進めると、田園に出ました。




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その中に杜があって、遠方からも太刀八幡宮と分かります。









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地名は朝倉市大庭(おおば)ですが、
かつての小字には乙王丸(おとうまる)という名がついていました。



この「乙王丸」こそが神功皇后が奉納した太刀の銘だったといいます。










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今も刀を埋めた場所が伝えられています。


皇后が剣を抜いた所は「内抜剣区」といいます。
読み方は伝わっていませんでした。場所も分かりません。

そのすぐ南に荷原川が流れていますが、
そこから300mほど南の地域が「塗器」(ぬるげ)と言い、
剣や槍などに漆(うるし)をぬった事が地名の由来になっています。

今は田園です。
そこから東南部に「徳次」(とくつぎ)という地域があり、
「磨剣」(とぐつるぎ)から変化したといいます。
刀剣を磨いた所ですね。

川の近くで刀剣を砥いで磨き、漆を塗った。
これがそれぞれに小字名で伝わっていたのです。
漆はサビ止めなので、この刀剣が鉄と分かりました。

本に地図を載せるとき、場所が分からず、
思い切って朝倉観光協会にお尋ねしたら、
二か所を教えていただけました。

古代の場所を特定するのは簡単ではないので、とてもありがたかったです。
それを地図に反映させています。


現地は田園で、減反した所に樹木の苗が美しく紅葉していました。

ところが、荷原川の流域の田には川石が広がっていました。
夏の洪水の土石が田を覆っているのです。

現地はまだまだ大きなプロジェクトの力が必要なのが分かりました。

神功皇后の時代は流域の定まらない広大な川原が広がっていたことでしょう。

さて、神功皇后が何故、乙王丸を奉納したのか。
それは三女神にささげるためです。
三女神は剣から生まれた女神たち。
戦の勝利を願ったことが分かります。
このあと、皇后軍は再び戦いに向かいます。
それは筑後川の下流域に逃げた田油津姫を討つためでした。

このあとバスで太刀八幡宮から南2キロほどの福成神社を目指しました。
そこも三女神が祀られています。
神功皇后はここでも勝利の祈願をしたのですね。

筑後川の三女神は「水沼三女神」。
三女神を祀る聖地ですから、水沼の里といえます。
水沼の里はそれはそれは広大です。
バスハイクは水沼の里めぐりを次回にわたってすることになりました。



20180125

下巻52 太刀八幡宮 神功皇后は田油津姫攻撃に向けて太刀を奉納した





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by lunabura | 2018-01-25 20:50 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

武内宿禰VS羽白熊鷲 朝倉の戦い



武内宿禰VS羽白熊鷲 

朝倉の戦い



朝倉は神功皇后軍の陣営地が神社となってかなり残されていたので、
二回に分けてのバスハイクでした。

秋月八幡宮は羽白熊鷲の聖地と思われましたが、
そこに皇后軍が陣営を張ったということは、
すでに羽白軍は逃走した後。





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その後をバスで追っていくのが理想でしたが、
日を改めて、二回目は水の文化村を目指しました。







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そして、玄関前を通過して矢埜竹神社へ。
そこは羽白熊鷲たちに娘たちをさらわれて苦しむ里でした。

神功皇后が来た時には「もつそ汁」という葛の団子汁を差し上げたといいます。
皇后軍はここで矢の柄の補充をしました。

実は取材した時、この宮の祭神も歴史も分からなくて
分からないまま挙げることにしていたのです。

ところが、直前になって編集者がここの伝承を書き取った本を見つけました。
それは閉店前日の古書店にあったのです。
偶然にその本が手に入り、記事を全面的に書き換えました。

ダム建築に当たって、地元の伝承を掘り起こす作業が行われていたのです。
本の中に掲載されていた写真で、神功皇后の腰掛石が分かりました。

自分の写真を見ると、偶然に写りこんでいたのです。

そし、今回行ってみると、腰掛石は祠の中に移動して祀られていました。
神社の説明版も掲げられて、歴史が分かるようになっていました。

この矢埜竹神社の元宮は別の所にあったのですが、
水害で流されて、神託によって、現在地に決まったといいます。








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さて、そのあと、私たちは喰那尾神社に向かいました。
山道の参道を通っていきますが、ここも新たに整備されていました。

神功皇后はここで天神地祇を祀り、
武内宿禰が戦略を練ったといいます。

この狭い山頂のようすから、側近だけが来たことが分かります。
この宮も風水害のために下に下にと移動して美奈宜神社になりました。
そして、中宮はダムに掛かってしまったといいます。

ダムにはもう流木は見られませんでしたが、
この地域は常に水害の危険にさらされていることがよく分かりました。









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羽白熊鷲の終焉地は急な崖だったのかもしれません。
その向こうの山々が幻想的でした。


どこもどこも急な斜面だらけの中、
この付近は平らな頂上部だったようです。
ここに羽白熊鷲が逃げ込んだのは、
最終的な砦でも、あったのかもしれません。



最後は皇后軍の放った矢で討たれました。
その飛距離が長かったので、地元の人は不思議だと言われ、
私は弩だったのだろうと考えました。

それは豊浦宮に秦の始皇帝の末裔が亡命してきたとき、
きっと朝貢品に入っていたと思い、弥生時代の弩を探すと、
出雲から弩が発見されたのと出会ったのです。

武内宿禰の率いる皇后軍は精鋭隊だったようです。
武器は石器ではありません。
刀は鉄剣でした。
その証拠を探し求めて、「漆」を「塗」ったという地名に出会いました。

こうして、不思議なことが続いて
矢野竹で起こった歴史を掘り起こすことができたのです。

あいにく、羽白熊鷲の墓の跡に建物が建ったのが分かったのは、
建築後の後の話でした。



羽白熊鷲は弥生時代の邑の王だったのですね。

付近には「荷」がついた地名がいくつかあります。
原料を抱えて運び込み、武器生産をしていた一族だったと考えています。




<20180123>

『神功皇后伝承を歩く』
上巻48喰那尾神社 神功皇后が先勝祈願をして陣を敷いた
  49矢埜竹神社 皇后軍が矢竹を刈り取った
  50羽白熊鷲塚 羽白熊鷲は矢に射られて死んだ
  51美奈宜神社(寺内) 神功皇后は神々に戦勝の奉告をした



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by lunabura | 2018-01-23 20:20 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

夢の一つが





賀茂氏の資料作りのラストスパートです。
ラストに来て、シンクロが始まりだしました。
それでもって、ミッシングリングが繋がったのです。

ずっと漠然とした世界がこれほどクリアになるとは。

神社縁起と真鍋と古代中国の歴史。
渡来人たちが九州に来て、葦原を「ささら舟」で渡って蹈鞴を始める。
糸島、安心院、筑後、熊本。
そこに残る営みの断片。

断片の意味は真鍋が教えてくれた。

思いがけず、一つの民の歴史が描き出されました。

歴史カフェで早速、話が出来るのが嬉しいですし、
一度では話し尽せないストーリーでもあります。

ようやく願っていた夢が一つ、叶いました。

このパターンを手にして日本を回れば、かなり応用が利くような世界。

豊葦原、すなわち豊かな葦原の物語。
葦は稲ではない。
葦は葦。
真実が語り出す。

<20180122>





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by lunabura | 2018-01-22 23:13 | にっき | Trackback | Comments(2)

何故か「こだま」たちが(^^♪  羽白熊鷲塚



何故か「こだま」たちが(^^♪

羽白熊鷲塚




朝倉バスハイクⅡで羽白熊鷲塚を見学に。

すると、何故にか「こだま」たちに遭遇。








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ほよ。









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ほよよ。










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いいね。










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羽白熊鷲塚。




水の文化村の職員駐車場付近で熊鷲は倒されたという。





羽白熊鷲塚 熊鷲は矢で射られた



『神功皇后伝承を歩く』上巻50




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by lunabura | 2018-01-21 22:52 | バスハイク | Trackback | Comments(2)

ラジオの日でした



先ほど、8時からのラジオを聴きました。
サイドバーからRKBに入ってラジコをポチって聞いています。


香椎宮の本殿から古宮のサニワ斎場までの放送でしたね。
私がとても好きな所です。

案内したのをこのように放送していただいてすごく嬉しく思いました。

誰もが自由に参拝できる天皇の旧跡なのです。
本当にありがたいですね。

来週も続きがあるように言われていましたね。

古宮の後は、武内宿禰屋敷横の不老水に行き、
栄西の寺、御島神社などに行ったので、
その放送があるのかもしれません。

外での収録はとても楽しかったです。

拙著には更に詳しく書いていますが、
スマホやパソコンで検索してHPなどを見ながらだと、
地形がよく分かると思います。

神功皇后伝承地は地形が面白いんです。
一昨日の羽白熊鷲塚も、戦術を練った喰那尾神社と組わせて行ったので、
地形の持つ意味深さを体感しました。

朝倉の様子、ボチボチご案内しますね。

ラジオのタイトルは「古代の福岡を歩く」です。

「ご来福」しよう
は「福岡古代コラム」
だんだん混乱してきちゃいました(;’∀’)






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by lunabura | 2018-01-20 20:48 | RKBラジオ 古代の福岡を歩く | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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