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ご来福しよう 「福岡古代コラム」 UPされました



ご来福しよう 

「福岡古代コラム」 UPされました
 



福岡県の古代史を含む観光スポットを案内するホームページ
「ご来福」しよう
に「福岡古代コラム」欄がありますが、
私が書いたコラムがUPされました^^

01~05です。
5本あります。

画像も私が撮ったものを使っていただきました。
ブログでも掲載した画像がほとんどですが、
大判なので見応えがあって、感動です。



HP「ご来福しよう」

から入って

右の「古代探訪」の方に入って、



福岡古代コラム


を見つけてくださいね。



今週書いた
「日本書紀に書かれた磐井と福岡の伝承」
も掲載されました。
長すぎるので(;'∀') PDFにしてくださっています。

最初は字数制限内に書いたのですが、
字数制限を取り払うことになったら
3000字を超えちゃいました。(^^♪
(書き過ぎだとは分かってたんですけどね)

内容は、
日本書紀の磐井の乱の現代語訳と
福岡と佐賀に残る磐井一族の話
をかいつまんで書いています。

ブログでは既に書いてはいますが、ランダムに書いているので、
このPDFなら、あらすじがよく分かると思います。

磐井の話は胸がキュンキュンしますね。


以下からPDFのあるページに飛べます。





トップページの鈴をクリックすると、
「おみくじと推薦神社」が出てきます。

今日は末吉でした。(´・ω・`)
で、これから運が良くなるんだって(^^)/


推薦神社は宇美八幡宮でした^^
ちょっと年齢的にはご利益がアレですが(;’∀’)

泉とクスノキに運をもらいに行こうかな。







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by lunabura | 2018-01-19 20:20 | ご来福しよう | Trackback | Comments(0)

今日は朝倉へ 2回目のバスハイク



今日は朝倉へ 

2回目のバスハイク



今日は『歴史と自然を守る会』のバスハイクで、朝倉に行ってきました。

朝はまだ雲が低く残っていましたが、午後からは晴れ間が見えました。

都市高速が渋滞していたのですが、なんと黒猫が道路に入り込んだためだったと、帰宅してニュースで知りました。

今回は神功皇后軍が秋月の羽白熊鷲を追い詰めて寺内ダム付近に行った所からのスタートです。

水の文化村の羽白熊鷲塚を見学して朝倉の平野部に下って各地を参拝してきました。
山は幻想的な雲が掛かっていましたよ。



林田の美奈宜神社ではちょうど小学生の学習があっていたので、参加させてもらったり、と面白い体験をしました。


平塚川添遺跡も初めて見学しました。
広大な弥生の環濠の中の遺跡は水の豊かな環境で、吉野ケ里遺跡とはまた趣が違っていました。福岡にこんな素敵な弥生遺跡があったとは!また改めて紹介したいと思います。


朝倉は何処も桜の木が沢山ありました。
春、秋月は渋滞するけど、他の神社でた~くさん見られることを発見しました^^






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上の2枚は美奈宜神社(林田)上巻43で撮影しましたよ。


バスハイクも十回かけて上巻50社をほぼ回りました。
次回から下巻の内容、田油津姫の里からとなります。





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by lunabura | 2018-01-18 20:42 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

「三星堆のイ族」と「一目国のイ族」は同じか



「三星堆のイ族」

「一目国のイ族」は同じか



 賀茂氏は日本の開拓者で、刀剣より、百姓の鋤鍬の生産を主としていたという。蹈鞴の名人で北方系の胡人だった。火を見る時、目を守るために片目を閉じる事から、隻眼一目(せきがんひとつまなこ)の神として倭人の間で崇められた、と真鍋は言う。
その目は緑色。

その祖国である一目国が中国の北方にあったという。

中国最古の地理書といわれる『山海経』(せんがいきょう)にその記述が出てくる。『山海経』は紀元前4世紀~3世紀頃の成立とのことで、日本の弥生時代の早い時期には一目国があったことになる。

ウィキペディアによると、
「一目人たちの姓は威(い)であり、古代中国の帝・少昊の子孫であるということ、また、キビを食べているということが記されている。人々はこの国を怖がっており、鬼国(きこく)とも呼んでいたという。」
とある。鉄の民は目が一つだという話になった。

単眼の巨人はギリシア神話にはキュクロプスの名で、卓越した鍛冶技術を持つ神として登場する。
キュクロプスは一目の神であり、噴火口の神であり、蹈鞴の神だと真鍋は記す。

一目は燕語でカナムリと言い、それがカモに変化したという。燕国は鉄で知られる。賀茂氏は雷神を信仰する一族でもある。


武器ではなく、農工具を造ったという賀茂氏は、鉄も銅も加工できたのだろうか。
賀茂氏がつくった黄金の延べ板は「八つ橋」という土産物に、砂鉄で出来た玉鋼(たまはがね)は「おこしごめ」という土産物になったという。



以上は、過去記事に書いた内容でもあるが、昨日は一目国の人たちの姓を見て驚いた。

一目国の人は「威」姓、すなわちイ族なのだ。
先日、三星堆のイ族は追われ追われて絶壁の山に暮らしているのを書いたばかりだ。

いずれも「イ族」、青銅、鍛冶など共通項がある。


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ギリシア神話の時代に鍛冶をしていた賀茂一族は一目国を造り、南に移動して蜀を造り、東に移動して高句麗壁画に鍛冶と八咫烏の図を残した。
そういうストーリも可能になった。

一方、日本の筑後川沿いにも賀茂氏はいたが、神武天皇以前には入植していたことになる。それが浮羽の賀茂神社の持つ意味だ。


脊振山系で栄えた賀茂氏の祭祀はのちに弁財天信仰に置き換えられていく。
ヒカゲノカズラを髪に差す優美な祭りは中大兄皇子によって京に伝えられた。


賀茂氏は祭祀用具も造ったのではないか。
鉄鐸が岩戸開きの時に造られたというが、銅鐸の製造の担い手はだれか、と考えるとき、この賀茂氏の存在が一番に挙げられるのである。
加茂岩倉遺跡の加茂には賀茂氏がいて、製作にかかわったのではないか。


そして、その技術があったからこそ、
仏寺の梵鐘も早期に国内で作ることができたのではないか。
そう思われて仕方がない昨今である。



歴史カフェ 2018年2月11日(日)
日本の開拓者 賀茂氏
古代の北部九州に展開した出雲と水沼のハイブリット
―観世音寺の鐘、安心院・浮羽・高良山―




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by lunabura | 2018-01-17 20:58 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

小春日和に





今日のお昼の気温は18度。ほっかりとする小春日和でした。

この数日、小論を書いていました。
目覚めのメッセージはその訂正箇所の指摘ばかりで、
ブログの案が浮かびません(;’∀’)

小論の合間には歴史カフェの準備をしています。
賀茂氏があれこれと繋がって、謎がいくつも解けています。

歴史カフェでは、その説明をしていくのでストーリが分かるのですが、
ブログに書くにはボリュームがありすぎで、書けないでいます。

でも、どうやったら伝えられるか、いろいろ考えています。
何度か書いていますが、
バラバラに知ったことをまとめる時期に来ているんですね。

るな的な興味は、権力闘争ではなく、
渡来氏族たちがどうやって調和していったのか、
そんな所です。

毎日、発見するワクワクを伝えられるように、
力を付けていきたいな。




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by lunabura | 2018-01-16 22:03 | にっき | Trackback | Comments(0)

阿志岐山山名考 アテラ 宮地岳 アシキ 天山



阿志岐山 山名考 

アテラ 宮地岳 アシキ 天山




筑紫野市の阿志岐山(339m)の山名には複数の名称があります。
アテラ山、宮地岳、阿志岐山、天山です。

その由来について、過去記事をリンクしておきます。
直接に由来を書いている訳ではありませんが、その説明を含んでいます。



(1)アテラ(左手等)山
朝倉の麻氐良山(右手等)に対応して「左手にある山」という意味。
高良山から見れば左右が該当する。



麻氐良と阿氐良




(2)宮地岳
北極星を宮地の星ということから、
南から観測して北にある神奈備山を宮地岳(嶽)という。

阿志岐山は高良山から真北にあることから、宮地岳というのではないか。
宮地岳は福岡の数か所にある。

下のリンクの記事の一部に高良山と阿志岐山のことを書いています。

湯の隈装飾古墳 朝倉市宮野湯ノ隈1326-2
被葬者は宮地嶽神社を守っているのか






(3)阿志岐山

舟人を「あきしき」或いは「あかし」といった。
蘆木(あしき)はまさに太宰府に直属して
千歳川の水行を司った氏族の名であった。(真鍋大覚)

千歳川とは筑後川のこと。荒船神社は阿志岐山の山麓にあり、南の高良山麓にもアシキの地名がある。その中間には赤司の地名もある。これらを結ぶ連絡船があったのではないか。地名はその名残か。

以下に前後の内容を書いています。
荒船神社(3)蘆木氏は太宰府に直属していた







(4)天香山から天山に変化した

阿志岐山はかつて天香山(あまのかこやま)といい、神武天皇や神功皇后がこの山の土から土器を造って祭祀に使った。天香山が変化して天山(あまやま)となった。

阿志岐山を天山というのはこれだろうか。




以上、るな的考察でした。

<20180115>





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by lunabura | 2018-01-15 21:41 | <地名・地形・伝承> | Trackback | Comments(0)

阿志岐山を天山というのはこれだろうか




阿志岐山を天山というのはこれだろうか



筑紫野市阿志岐(あしき)にある阿志岐山(339m)は宮地嶽、阿氐良山
(あてら)、天山(あまやま)といくつもの呼び方がある。

それぞれに由来があるが、天山に関してはまだ情報がなかった。
ところが、王城神社の縁起を見ていると、
神武天皇と神功皇后に由来する可能性が出て来た。

一文が長いが、口語訳しよう。【 】の中は原文中の注書き的なもの。



「神功皇后が橿日宮(香椎宮)にいらっしゃった時、
事代主神らが宝の国がある事を神託されたので、
武内宿禰【宗像郡鐘崎小屋形山(サヤカタ山)鎮座。織幡の御神なり】
と共に此の山(四王寺山)において、

天香山(あまのかこやま)の土
【今天山(あまやま)という。四王寺より辰の方にある。
私が思うに、天の香山(かこやま)に準じたか、
又、香山のゆえんがあるか】を採って、天の平瓫(ひらか)を造り
【瓦器なり。そこを今は瓦田という。
鞭懸(ぶちかけ)の木【今社を造るのに鞭懸という木がある。

私が思うに、今ブチカケ町という所がそこであろうか】を切って、
御舎(みあらか)を作って、天神地祇を祭り、
宝の国を得んことをこの御神に祈誓された。
【神武帝、東征の御時、神のお告げによって、
八十平瓦を造り、神祇を祭って東夷を平らげられた吉例からくるという】


注書きが多くて読みづらい。
時系列に言い換えると、神武天皇が四王寺山にいた時、八十平瓦を造って東征を成功させたので、神功皇后もこれにならって、阿志岐山の土で土器を造って四王寺山に御殿を造って天地の神々に祈られた。
これが由来で、天香山に準じて天山というのではないか、
という私見が書かれている。



『高良玉垂宮神秘書』の一条に四王寺山が出てくるが、問題の多い箇所だ。
(系図が他の条と全く不整合という点で)
だた、四王寺山で神功皇后が祈ったという伝承がこれで合致した。

阿志岐山

宮地嶽

阿氐良山

の名の由来はすでに記事にしているので、近々、リンクしておきまする。

<20180114>





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by lunabura | 2018-01-14 23:22 | <地名・地形・伝承> | Trackback | Comments(0)

ラジオでした



夜はRKBラジオ、神功皇后の話5回目を聴きました。
自分の声にもずいぶん慣れましたよ。

剣神社は鞍手の剣神社の話でした。
脇巫女の舞台ですが、もちろんその話はしませんでしたよ。
懐かしいですね。

剣神社の後は、ロケに行った香椎宮の話になったので、
鞍手古道は省略かもしれませんね。
物部氏の話になるので、どうせまた長~くなりそうで、どうしたもんかとチョイ悩んでました。
星読さんには鞍手を宣伝しとってと言われていましたが、(;’∀’)ごめんね。

そういえば、番組では神社名はアナウンスされるけど、住所を知らせていないので、
何処の話か分からないですね。次回から言うように気を付けます。

この番組では祭神を聞いてくださるんですが、これってめったに無い事なんです。
以前にも書いたけど、神社マップが出ても、まずご祭神は書かれていないのがほとんどです。

祭神を知ることは、氏族を知ることになるのです。
氏神さまは「氏族の神さま」なんですもん。

古代、そこにどんな氏族がいるか、重要な手がかりになるので、これから出来る神社マップにはそれを期待したいです。

次回6回目は来週、2018年1月20日の予定です。






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by lunabura | 2018-01-13 23:00 | RKBラジオ 古代の福岡を歩く | Trackback | Comments(0)

第17回 歴史カフェ 2月11日のご案内「 賀茂氏」



第17回 歴史カフェ 

2月11日 のご案内 「賀茂氏」



2018年最初の歴史カフェのご案内です。

第17回は、真鍋が「日本の開拓者」という「賀茂氏」について、北部九州の神社と寺の由緒から全体像を描いていきます。

ネットで賀茂氏を検索すると京都以降の事は書かれていますが、その前の姿が見えてきません。

賀茂氏は神武天皇以来八咫烏(ヤタガラス)として天皇家を支えた一族で、三女神の一人が大己貴との間に生んだ男子を始まりとしています。

つまり、出雲と水沼の通婚によって賀茂氏が生まれたわけです。その男子の名は阿遅鉏高日子根(あじすきたかひこね)と言います。福津市の楯崎神社(下巻70)にもそのことが書かれていますね。

 賀茂氏と神武天皇の足跡は宇佐市安心院(あじむ)や浮羽(うきは市)に残っています。また景行天皇や神功皇后の時代にもその姿が文献に留められています。

この賀茂氏の末裔が太宰府市観世音寺の初代管長になりました。満誓沙弥と言います。筑紫万葉歌壇で知られた人ですね。天智・天武両天皇が篤く信頼したのも、長い歴史があってのこととなります。
 
 真鍋大覚の伝承を紐解くと、そのシンボルから、山鹿の一ツ目神社、高句麗壁画に描かれた三足烏にもまた一族の姿を留めていることが分かります。

北部九州からアジアまで、その足跡を俯瞰(ふかん)しましょう。

 一昨年、「八咫烏」のテーマで使った資料を再編成して、別の角度からアプローチしていきます。



タイトル 仮題

古代の北部九州に展開した賀茂氏
―安心院、浮羽、高良山、観世音寺の鐘―


会場は福津市の福間中央公民館です。
駐車場は145台分あります。
ここでの団体名は「ひもろぎ歴史愛好会」です。

お持ちの方は『神功皇后伝承を歩く』上下巻 を持参してくださいね。


日時 2018年2月11日(日)2時~4時
会場 福間中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。
会費 1500円(当日払い)


申し込み方法
1 氏名 ヨミガナ(ハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (丁目や番地は不要です)
3 歴史カフェ211希望と記入。

なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)を購入希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。

新規の方の申し込みは「コチラ」あるいは、サイドバーの「メールはコチラ」から。
過去に申し込んだ方は当方からの返信もご利用ください。

(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合があります。
受け付けておりますので、気にせずご来場ください。)

福間中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。










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by lunabura | 2018-01-12 20:42 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

にっき



歴史カフェの日程を決めました。2月11日(日)2時~4時です。
ちょうど一か月後ですね。
賀茂氏です。
詳しい案内は少しお待ちくださいませ。

今日は、磐井の乱を改めて読み直していました。
歴史は読み直す度に発見がありますね。
そして、知らないことがあるのにも気づかされます。
歴史はキリがありませんな。

失われた歴史を再発見するのに、一人で歩いても仕方がありません。
少しでも発見内容をシェアしながら共に進みたいと思っています。





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by lunabura | 2018-01-11 23:00 | にっき | Trackback | Comments(0)

真鍋ノート 魏志倭人伝「生口」とは海士・海女のことなり



真鍋ノート 

魏志倭人伝「生口」とは

海士・海女のことなり



魏志倭人伝に「男女生口三十人を献上す。」とあり、「生口」の意味は奴隷など、さまざまに訳されますが、真鍋は海士・海女のことであると伝えています。

海産物を不老長寿の薬として珍重したので、それを採る熟練士を献上したという意味になります。中国大陸の都は海から離れた所にあるので、海藻やウニ、アワビなどは特に珍重されたのでしょうね。

「生口」は「まかり」と読んだそうです。
「めかり」とは和布刈神社(めかり)にその名が残っていますが、旧正月に夜中の海に入ってワカメを採って、神に捧げます。これも安曇磯良の干珠満珠の秘法からきています。

さて、真鍋から
魏志倭人伝に曰く、
 男女生口三十人を献上す。
 
韓国済州島の海女を「まかり」と言う。昔は能登舳倉(へくら)から淡路岩屋まで季節を定めて出稼ぎにきていた。豊前企救(きく)和布刈(めかり)や筑前宗像鐘崎はその根拠地であった。
大陸民族は水を渡ること、あたかも戦々(恐々)として薄氷を踏むがごとくおそれるが、不老長寿の貴薬としての海藻(なまわかめ)、それから海肝(なまうに)の類は珍重するが、これを自ら衣を脱ぎ水にひたって採集することはできない。
そこで倭人の練達の士を召し抱えてこれに当たらせていたのである。「生口」(まかり)とは「なまめかり」と訓ずべき氏族であった。


「生口」のイキグチの字は「魚」を表す近東語の「イクシス」から来たものだそうですよ。




過去記事に詳しく述べています。


済州島はもともと耽羅国であり、韓国とは違っていましたよ



※和布刈神社は下巻100です。



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by lunabura | 2018-01-10 20:56 | <真鍋大覚儺の国の星> | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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