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<   2018年 02月 ( 23 )   > この月の画像一覧

ウーナ18 天山3 三社と明星山を結ぶライン



ウーナ18

天山3 

三社と明星山を結ぶライン
 


さて、天山神社が三つ並んでいるが、チェリーが画像を作ってくれた。







c0222861_2223092.jpg

三社が一直線上に並び、そのラインを東に伸ばすと明星山に届いている。







c0222861_22232886.jpg

さらに詳細図が並んでいる。
広瀬の方は50mずれているが、許容範囲だそうだ。

明星山からのそれぞれの神社の距離は
    明星山から厳木町広瀬の天山神社まで 45.650km
    明星山から晴気天山神社までは 38.735km
    明星山から岩蔵天山神社までは 35.873km

ところが、広瀬と晴気同士は目視できないそうだ。
もし、広瀬をライン上に載せるとなると強い意志が必要だという。
明星山からはこう見えている。









c0222861_22241168.jpg

磐井の山城がある山から天山がよく見えていた。
ただ、天山神社の物語は700年代になるので、磐井の時代はとっくに過ぎ去っている。一つ、重要な転換点は少し前の663年の白村江の戦いだ。
倭国滅亡という傷跡がまだ残るような時代の話になる。








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岩蔵の天山神社は現人神社から特別な位置に当たるという。
その北には大島御嶽神社。
そこなら三女神との関わりも出てくる。








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一方、岩蔵から松尾弁財天でも三女神がらみだ。
一つひとつのラインが意義深い。不思議なライン群だ。


これらが何を意味しているのか。皆さんの感想もいろいろあるのではないか。

晴気(はるけ)はもともとそこにあったわけではない。
次回は晴気を読んでみよう。


 


つなぎレンガ座
3月4日(日)3時~5時佐賀の神功皇后伝承「天皇家を支えた武内宿禰の里」-神功皇后は三度、訪れたー会場 小城鍋島家Ten詳細はコチラ
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by lunabura | 2018-02-27 22:26 | 「ウーナ」 | Comments(4)

ウーナ17天山2 安芸の宮島からの影向だった 岩蔵の天山神社 705年


ウーナ17

天山2 

安芸の宮島からの影向だった 
岩蔵の天山神社 705年
 


 不思議な光が松にとどまり、水が湧き出し、七歳の童女が東海から飛んできた神霊の託宣(たくせん)伝えたのが702年のことだった。
 『小城郡誌』の続きを読もう。
 
<それから三年後、慶雲二年(705)に芸州厳島(安芸の宮島)の人が当地にやってきて尋ねた。

「近頃、宮島から清らかな光が輝き起こって、西の海の方に飛び去りました。それからずいぶん経ちますが、どこに飛んで行ったのか分かりません。

不思議に思ってその光が留まった所を尋ねると、当地に留まったのが分かりました。何か不思議なことはありませんでしたか」と。

 里人が、奇瑞が起こって託宣が降りた話をすると、社人は大変驚き、宮島には帰らず、永らくここにとどまって社務をつかさどっているというのである。

現在、馬場に宮島姓が多いのはこのためである。

 最初に松本に神霊が影向した時には、はるか南の松林からも清らかな光が見えたので、小さな石祠を建てて、下の宮というようになった。
 
 それから後、祭の時には神輿(みこし)をそこまで降すといい、今は南松と称し、小祠がある。
 
 同年の冬10月、国司が右の奇瑞を帝都に上奏して天山大神宮と勅許をえて、北山は天山岳と名付けた。>

 こうして、岩蔵の松に飛んできた光は広島の宮島から飛んできたものだということが三年後に分かった。
 
 
 その話を都に上奏したのち、北山は天山岳という名になった。
 すると、天山という山名は705年以降の呼称ということになる。天山と名付けた由来は分からない。が、帝都と無縁のものではないことになる。

 帝都では誰が天皇だったかというと、文武天皇だった。文武天皇は14歳の若さで即位したので、持統太上天皇が院政を敷いていたという。持統太上天皇は大宝2年12月22年(703)に崩御しているので、当社の話はそれを挟んだ前後の年のものとなる。

 当社の三女神は宮島から飛来してきたもので、宗像からではないことが興味深い。



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3月4日(日)3時~5時
佐賀の神功皇后伝承
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会場 小城鍋島家Ten
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by lunabura | 2018-02-25 21:34 | 「ウーナ」 | Comments(0)

ウーナ16 天山1 三女神の影向 岩蔵の天山神社 702年



ウーナ16

天山1 三女神の影向 

岩蔵の天山神社 702年
 


影向(ようごう)とは神仏の来臨という意味だ。

佐賀の山々に三女神が祀られていることが意外に思われるが、『小城郡誌』を見ると、天山に祀られるようになった事情が書かれていた。

チェリーによると、
「広瀬・晴気・岩蔵の天山神社と明星山をつなぐと、ほとんど一直線」
ということだが、あいにく地図がない。

作図はチェリーに期待するとして(てか、ほぼ強要(^^♪)
今回は現地入りする前の下調べを先に記録しよう。
のちに、現地の方に案内いただければと思う。

事の始まりは岩蔵の天山神社のようだ。
時は飛鳥時代の終盤、大宝2年(702)になる。
『小城郡誌』より。


天山神社 小城市岩蔵2348


<岩松村大字岩蔵字馬場にある。
祭神は多紀都毘売命、市杵島毘売命、多紀理毘売命の三柱である。
当社は天山頂上にある上宮に対し、晴田村天山社、東松浦郡厳木村大字広瀬天山社と共にその下宮である。>
 ということで、祭神は宗像三女神。
一直線に並ぶという三社は共々天山の上宮に対する下宮となる。

<当社は文武天皇の大宝2年(702)口宣によって建立したもので>
文武、一条、二条天皇の勅願所だったという。
天皇の在位を調べると、
文武天皇(697~707)
一条天皇(986~1011)
二条天皇(1158~1165)
とあり、断続的に勅願所となっているのが分かる。

さて、「口宣」とは天皇からの勅命を口頭で伝えたものを文書化したものだが、何故天皇が命令したのかという点について、郡誌は「参考」として不思議な話を残している。
口語訳しながら紹介しよう。

<伝記書によれば、42代文武天皇の大宝2年(702)4月1日、小城郡高隅の里(のち岩蔵と改めた)の北山に不思議な奇瑞が現れ、松の梢(こずえ)に清らかな光が輝いてとどまった。

 その松のそばに木こりの家があった。光は里に照り渡った。人々は奇異の目でその光を見守った。
その日の夕方、村の七歳の童女が急に物狂いして話し始めた。
「われは東海より飛んできた神である。この地に長らく留まって国家を守護し、もろもろの災難を祓おう」と。

 その翌朝、松のそばに池が出来て清水が湧き出した。この里の九郎康弘という者が、清水の湧出を見て里人を集め、その松のそばに社を建てて神霊を祀った。
 この時からこの村を松本村と呼び、この松を「影向の松」と呼ぶようになった。

 この童女の子孫代々は命婦(みょうぶ)となって神事、祭祀を預かり神座を勤めた。そして九郎康弘が亡くなると里人はその末社に祀り、九郎大明神と名付けて本社の側に安置した。>

つまり、三女神の神霊が七歳の童女に神懸かりして、清水を湧出させ、ここで国家を守護すると語ったということだ。

 この神霊は東海から飛んできたという。それは何処かという答えは3年後に判明する。
(つづく)








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膨大な量のリンクなので、気づいたら少しずつ訂正します。



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by lunabura | 2018-02-24 23:27 | 「ウーナ」 | Comments(0)

ウーナ15 ジュディス・カーペンターの訃報に接して


ウーナ15

ジュディス・カーペンターの
訃報に接して
 



歴史カフェに東京から参加してくれた、まーりんのブログを今日の午後、拝見して、そのリンク先に行くと、大野百合子さんのブログに入った。

懐かしい名前だった。
そして、サイドにジュディス・カーペンターの写真が載っているのでその記事を見たら訃報の記事だった。ほんの昨日、2018年2月22日に永眠されたという。

何というタイミングだろう。

大野百合子さんとジュディスに会ったのは第一回の幣立神社の五色人面祭だった。会ったと言っても、当方はセミナーの参加者という立場に過ぎないが。

偶然にも、その前日に人に誘われて参加した阿蘇でのセミナーの講師がジュディスだったという訳だ。

ジュディスは二つの石をタスマニアの海で拾い、それを二か所に納めよと言われた。その場所を探し求めてホピの村に行き、それから阿蘇にやって来たというタイミングだった。

ホピの村にも阿蘇にもトウモロコシがある。
そんな所は世界にない。
そんな話も彼女はしていた。


「ヘイタテ」という言葉はホピも使っていて、確か「戸を開ける」という意味だと話したと思う。

それから一ケ月ほど経った頃だったか、東京の友人が幣立神社の祭に来るというので、その友人に会いたくて参加したのが阿蘇の幣立神社の五色人面祭だった。

この時、ジュディスと再会した。(と言っても私は大勢の中の一人なので覚えられているはずはないのだが)
声かけしたら、大変上気したようすだった。すでに半分トランス状態だったのだろう。
彼女は幣立の巫女をしていた過去生があったという。

この時の祭は数千年ぶりの約束の時で、五色人が集まる年だったが、三人だけが集まり、一人足りない形になった。

ジュディスは白人代表だった。

赤人代表はホピのメッセンジャ―のクレイグ・カーペンター。
私はこのクレイグの方と何度か会い、縁を感じていた。

その後、ホピから届いたメッセージを『ガイアの森』の下巻に書いたのだが、未刊だ。

すっかり忘れていた話をこうして思い出しているが、ほんの十日ほど前、話の一部を大阪から来てくれた人、また東京から来てくれた人、とそれぞれに話したばかりだった。

ジュディス・カーペンターのご冥福を祈りたい。

その名に触れて、ホピ族と出会ったり、天河―天山を二、三度往復したり、穂高に行ったりしたことに思いを馳せた。


九年サイクルで春夏秋冬を迎えるとしたら、二巡目が今か。飛び回った土地との縁を掘り起こして意味を知る時が来ているのかもしれない。


<20180223>


ホピのメッセージ全文












明日はラジオデー♪
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by lunabura | 2018-02-23 20:55 | 「ウーナ」 | Comments(0)

ウーナ14 再開



ウーナ14

再開
 


昨年、2017年11月30日にウーナの記録をやめた。

多次元を書き止めながらの進行だと思っていたが、「唯一絶対神への崇拝」という石板の内容に私は拒否反応を起こした。

それはそれとして、記録しておきたいことは相変わらず出てくる。

先日、アリサがメモをくれた。
思いやりのある提示に深い心配りを感じた。


そもそも、「脇巫女」も「ひめちゃご」も現在起こっていることを記録していったものだった。

とくに「ひめちゃご」の場合は、何がテーマなのかも分からずに書きとどめていった。

先日からその記録を地域別に分類し始めているが、その一番のテーマは三女神だったと今さらながら理解した。福岡に行っても大分に行っても何処に行っても三女神が祀られているのだ。

そして、来月縁をいただく小城鍋島家Tenさんから「天山神社」(てんざん)が一直線になっていると聞いて、くるまざさんも同様の事を言っていたことを思い出していた。

天山もまた三女神を祀っている。

「ひめちゃご」の地図を広げると、天山と八女の松尾弁財天が有意のラインで結ばれていた。どちらも三女神を祀りながら、市杵島姫の名はサヨリヒメだ。これは同一神なのだが、後者の名を掲げる神社は珍しい。

チェリーが引いたそのラインの先、天山の先にも何かあるのだろうか、と思いつつブログを見るとチェリーがコメントを入れていた。

「不思議なことに、広瀬・晴気・岩蔵の天山神社と明星山をつなぐと、ほとんど一直線なんですよ~」

このタイミングに来るか・・・

この三社が明星山と縁を結んでいるとなると、まだまだ浮上していない謎があるのだろう。

天山(てんざん)との縁を思い出すと、奈良の天河神社の琵琶、岡山の吉備津神社、七山の琵琶と、かつて飛んで回った頃の記憶が何度も何度も浮かんでは交錯する。

とりあえず、記録をしよう。

ということで、「ウーナ」を再開することにした。
これまで起きたこともおいおい記録するとしよう。

<2080222>







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by lunabura | 2018-02-22 21:21 | 「ウーナ」 | Comments(4)

小城羊羹




今日は小城羊羹(おぎようかん)をいただきましたよ。
え?
2週間後に歴史講座のある小城の名産が!(^^♪
なんだか嬉しいですね。

かつて三輪山登山を決めた時、三輪そうめんをいただいたことを思い出しました。
白山比咩神社に参拝した直後、白山の無農薬リンゴを頂戴したことも。
ちょっとした話ですが、忘れがたい経験です。

小城は天山をいただく町ということで、天山の資料を読み込んでみると、面白い発見があります。(私にとっての発見なので、一般には知られていることかもしれませんが)

でも、これをまとめるには時間が必要なので、ブログ記事に書くに至っていません。
もどかしいです。
目の前の仕事を一つ一つ片づけていく事を優先しているので、仕方ないなと思っています。


この最近の出来事を思い出すと、
先日の歴史カフェの直前から、「ガイアの森」の話になったり、神道の話を伺ったりして、久しぶりにスピリチュアルな世界の内容が増えました。

いや、「脇巫女」も「ひめちゃご」も十分にスピですね。見えない世界と現実世界の融合でしたから。

ただ、スピ系は先生と生徒みたいな関係が強くなるので、あまり触れないようになっていました。

で、歴史カフェでは自由な対話の時間が無くなって、ガチンコ古代史になっていきました。


4月から始めることになる小城鍋島家Tenでの歴史カフェに関しては、古代史はもちろんですが、見えない世界の話などもオープンに話せるといいなと思っています。

質問や会話が無ければ古代史一本になるのかな。でも、古代史に登場する人物はみんな神様として祀られていますから、その歴史を伝えることが自分の役目だとも思っているのです。

今回の話も、「佐賀の神々」とでも言うべきものなんですね。
皆さんが初詣に行かれる神社の神様たちの歴史の話になるわけです。

「場」に合わせた展開にしてみたいと思っています。



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by lunabura | 2018-02-20 20:17 | 歴史カフェ | Comments(4)

小春



小春




雪や雨が続く日々。

福岡は日本海気候なので、冬はおおむね、どんよりとするのですが、
気が付くと庭に花がいくつも咲いていました。






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これは真冬にも咲くようになったツツジ。







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今、小さな花を咲かせるべく、パソコンに向き合っています。


いずれご案内できる日が楽しみです。





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by lunabura | 2018-02-19 19:56 | にっき | Comments(0)

邪馬台国論争 拝聴



邪馬台国論争 拝聴



今日は飯塚コスモスコモンで「古代の鉄」のフォーラムがあったので、
拝聴してきました。

鍛冶施設が全国規模で展開する話など
普段は聞けない内容がありました。

中国北部から朝鮮半島にかけて古い形態の鉄生産があり、
漢などに先進の鉄が出てきても、その技術は渡らないようにしていたそうです。

古い形態のエリアが、ちょうど一目国~高句麗壁画の分布と重なります。
賀茂氏が全国に展開するのも似ていますね。

「戈」(か)は北部九州独特のものらしいです。
飯塚の綱脇神社境内から出土したのも銅戈でしたね。

「鉄戈」もまた段々巨大化していくそうです。

武器が「祭器」となっていくのは日本独自の展開ですが、
武器が殺傷のためでなく、神を宿すものとなっていく様子は、
例えば物部氏が「ふつのみたま」「ふるのみたま」など、
「剣の霊力」を神として祀る点と符号します。

また、剣から三女神が生まれてくるという思想も武器とは違う霊性を
剣に見出したからといえます。


鉄の素材を朝鮮半島に求めたと魏志倭人伝などにありますが、
弥生時代の製鉄遺跡は朝鮮半島ではまだ出てこず、
古墳時代からようやく出てくるそうです。

素材としては鉄鋼石か砂鉄しか話題に出てきません。
スズ鉄に関しては、これまで一度も考古学では調査結果を聞くことができないので、誰も研究していないのかな、と寂しく思いました。
工学系の古代鉄にはスズ鉄の話がきちんと出てきます。



邪馬台国の時代は鉄に関しては北部九州が圧倒的に進んでいたそうで、
奈良ヤマト説の論拠として、北部九州が進みすぎでいる。
卑弥呼のクニはもっと原始的な世界だ、
だから奈良なのだという話が出ました。

鉄は国家というほど、重要な要素ですが、
鉄が無いクニが鉄を持っているクニを支配したような論の矛盾を感じます。

そして、北部九州より原始的な奈良ヤマトが、
その時代にいきなり日本で一番進んだ前方後円墳を造ったようなデータを出されたので違和感を感じました。

奈良の前方後円墳だけが弥生時代になってしまった考古学の世界。
全国のデータもきちんと整理してほしいです。

奈良ヤマト説の方々は最終的に「そうあってほしい」という言葉を言われましたが、感情や希望論は捨てて、論理的な整合性のある話を聞きたいなと一般人は思うばかりです。



20180218


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by lunabura | 2018-02-18 20:46 | ◆古代鉄・スズ鉄 | Comments(4)

RKBラジオは鞍手町でしたよ




RKBラジオは鞍手町でしたよ



今日のラジオ放送『古代の福岡を歩く』は鞍手町でした。
脇巫女の舞台です♪

古物神社や神崎(こうざき)神社がメインでした。
懐かしいですね。

鞍手には物部二十五部衆のうち、熱田、芹田、饒田が地名に残っている話。
古物神社の剣信仰。

新羅僧・道行が盗んだ草薙剣がここに落ちた話。
スサノオが通った話。

六ケ岳に三女神が降臨した話。
そして、磐井の乱のあと、磐井の子の北磐津が奴婢になった話。

それから、鞍手の英雄、鞍橋君が百済王子を助けた話。
その鞍橋君は磐井の孫だった話。
などなど。

特に、磐井の時代の話はカットされるかな、と思いつつ、
話だけはしておいたのですが、全部放送していただきました♪

この話はブログには全部書いていますが、
一つのストーリとしては話していないので、
新鮮に聞けたのではないかと思っています。

で、星読さんに連絡したけど、途中でようやく連絡がつきました。
鞍手宣伝しておいたからね。
と言いつつ。

星読さんが歴史カフェに来てくれた時も、
鞍橋君の話のタイミングで電話が入って退席されたりして、
伝わっていなかったのです。
だから、安心しました。


番組の後半では、
レポーターの中島さんが、いつもおいしいものを見つけて
レポートしてくれるのが楽しみになりまして(^^♪

今日は「さわら」のイベントの話とかあってて、興味津々。
芦屋の「さわら」は一本釣りだって!
これは美味しいはずだね。



今日は無線ルーターのトラブルで何時間もロスしました。
こんな日もありますね。
ラジオを聴いて元気になりました。


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by lunabura | 2018-02-17 21:13 | RKBラジオ 古代の福岡を歩く | Comments(2)

風土記 メモ



          風土記 メモ




「肥前国風土記」とこれまでに訪問した佐賀の神社をリンクしたいなあ、
と思いながら平凡社の文庫本『風土記』を見ていると、
違うページ、どれもこれも面白くて、
記事を書く時間に間に合わなくなってしまいました。

で、今日は面白かった所などのメモをしておきましょう。

纏向にいた天皇
「纏向の日代の宮に天の下を治められた天皇」
って誰?
答えは景行天皇です。

纏向といえば、卑弥呼か邪馬台国かという論争がありますが、
景行天皇の日代宮があったんですねえ。
いったい何処にあるのでしょうか。
何らかの伝承や神社が残っているでしょうか。
ご存知の方教えてくださいね。



「美奴売(みぬめ)の神と息長帯比売天皇」

うっ。
「みぬめ」って「みぬま」?

「息長帯比売天皇」は神功皇后のことです。
やっぱり神功皇后は天皇になっていたんですねえ。
中国正史にも天皇と書かれているし。


風土記では、この息長帯比売天皇が筑紫の川辺郡の松原で神々に祈った時に、
「美奴売」神が「私も守護してお助けしましょう」といって
自分の山の杉の木で船を造るようにいわれたと書かれています。

最後に船が動かなくなった場所を「美奴売」というそうです。
「美奴売」は「敏馬」と書いて、
現在の神戸市灘区の海岸にあったそうですよ。
もし、三女神が祀られていたら、かなり面白い事になりますね。

ちなみに筑紫の「川辺郡」は糸島の志摩の方にありました。
一般には神戸で探してあるようです。



宇治天皇
宇治のワキイラツコが何故だか、志賀島の山中に祀られていますね。
神功皇后の孫に当たりますが、自分は即位せずに
仁徳天皇に位を譲って自害したという話があります。
が、風土記逸文には天皇だったと書かれていますよ。


日本書紀とは違うアレコレ。
忘れ去られたアレコレ。
筑紫の伝承を沢山学んだあとなので、新しい観点で読みました。




◆サイドバーより◆
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by lunabura | 2018-02-16 20:44 | 風土記 | Comments(4)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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