ひもろぎ逍遥

lunabura.exblog.jp ブログトップ

<   2018年 04月 ( 15 )   > この月の画像一覧

邪馬台国論ではなく




邪馬台国論ではなく


倭国とは何処にあった国か。

今回の歴史カフェでは、それを中国正史から、一部ですが、ピックアップしていきます。

邪馬台国論争をみていると、その位置を持論に結び付けるために、データを変えてしまう傾向がみられます。

そこで、今回は試みとして、邪馬台国を全く無視して、
倭国の所在地を示す文も並べて読んでみようという試みもします。

たとえば、韓国の南部に狗邪韓国(くやかんこく)があります。

中国正史には、この国について、「その(倭国の)北岸の狗邪韓国」と書かれています。

これは倭国の北に海があり、海の向こうに狗邪韓国があるという意味です。
奈良の北には海が無く、韓国もありませんね。
倭国は奈良にはないことになります。

「倭国の地勢は東に高く、西に低い」と書かれています。
これは、例えば福岡ならありなれ川の東部などが該当しますが、
吉野ケ里は該当しません。吉野ケ里なら北に高くとなります。
奈良には、それなりの地があります。

中国正史には倭国の「気候は温暖で草木は冬も青い」と書かれています。
福岡は平野部なら、冬でも田んぼには草が生えて青いです。
奈良はどうでしょうか?

倭国には「阿蘇山」があります。
誰が見ても、奈良の話ではありません。

こうしてみると、奈良に倭国がないのは明らかですね。

倭国には卑弥呼が生きていた時代もありますが、それは奈良ではないことが全体から分かります。


今回の歴史カフェではほんの一部の抜粋ではありますが、
各中国史から倭国のイメージを捉えたいなと思っています。

磯良の時代から倭国の滅亡の時代まで、ざっと俯瞰してみる試みです。

<20180423>


日時 2018年4月29日(日)2時~4時
会場 福間中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。
会費 1500円(当日払い)


申し込み方法
1 氏名 ヨミガナ(ハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (丁目や番地は不要です)
3 歴史カフェ429希望と記入。

なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)を購入希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。

初めての申し込みは「コチラ」あるいは、サイドバーの「メールはコチラ」から。

二度以上の方は、当方からの返信をご利用くださいませ。

(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合があります。
受け付けておりますので、気にせずご来場ください。)

福間中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。







歴史カフェ福津
4月29日(日)第18回 2時~4時
「消された大王 アントンイソラ
安曇姓とアベ姓の王たちは日本書紀から封印された」
詳細は コチラ 過去記事はコチラ

歴史カフェ小城
5月12日(土)第2回 3時~5時
1部:天山神社創建の人たち 藤原房前・持統天皇など
2部:神功皇后の伝承
申し込みはコチラへ    
第1回詳細はコチラ
会場:小城鍋島家Ten

歴史と自然をまもる会
バスハイクの旧記事はコチラ
5月 安曇の里






[PR]
by lunabura | 2018-04-23 21:00 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

歴史カフェ「アントンイソラ」の詳細です



歴史カフェ

「アントンイソラ」の詳細です






c0222861_20341855.jpg






「日本書紀」で一番長いのは「神功皇后紀」ですが、そこには安曇磯良の名がありません。

また、豊浦宮に新羅軍が上陸して皇居を襲撃し、天皇と皇后を守って筑紫の将軍、阿部高麿、助麿兄弟が討ち死にした記録もありません。

神功皇后の御座船の舵取りをした磯良の伝承を拾い出し、その半生を描くと、安曇族とその一族の阿倍(阿部)氏の存在が意図的に消された事が見えてきます。

さらに、次の時代の阿倍磐井の姓も消されていたため、磐井が安曇族ということも分からなくなっていました。

その意図は百済王子を助けた鞍橋君の名の隠蔽にも及びます。

この鞍橋君もまた、宮地嶽神社の阿部勝村、勝頼の兄弟でしたが、姓名が書かれていなかったことから、そのつながりが全く不明となっていたのです。

中国正史を見ると、「倭王の姓」は「阿毎氏」と書かれています。阿倍をアベと読むことができるように、安曇の一族を指していると考えられます。

宮地嶽神社と高良玉垂宮、明星山を拠点とした倭国王の歴史を俯瞰し、白村江の戦い後、日本書紀で意図的に消された状況をみていきます。

消された大王 アントンイソラ
―安曇と阿部(阿倍)姓の王たちは日本書紀から封印されたー

1章 安曇磯良 白い覆面の神
2章 日本書紀に書かれなかった磯良の存在 各地の伝承から半生を描く
3章 各地に伝わる磯良と干珠満珠の記憶    
4章 中国正史に書かれた倭王・阿毎氏とは阿倍氏である
5章 高良玉垂宮で玉垂命(磯良)が高良の神(武内)に変わったのは白村江戦の十年後だった

前半は初めての方でも理解しやすいように、パワーポイントで全体を見ていきましょう。

会場は福津市の福間中央公民館です。
駐車場は145台分あります。
ここでの団体名は「ひもろぎ歴史愛好会」です。

今回は『神功皇后伝承を歩く』の下巻がメインです。

日時 2018年4月29日(日)2時~4時
会場 福間中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。
会費 1500円(当日払い)


申し込み方法
1 氏名 ヨミガナ(ハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (丁目や番地は不要です)
3 歴史カフェ429希望と記入。

なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)を購入希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。

初めての申し込みは「コチラ」あるいは、サイドバーの「メールはコチラ」から。

二度以上の方は、当方からの返信をご利用くださいませ。

(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合があります。
受け付けておりますので、気にせずご来場ください。)

福間中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。







歴史カフェ福津
4月29日(日)第18回 2時~4時
「消された大王 アントンイソラ
安曇姓とアベ姓の王たちは日本書紀から封印された」
詳細は コチラ 過去記事はコチラ

歴史カフェ小城
5月12日(土)第2回 3時~5時
1部:天山神社創建の人たち 藤原房前・持統天皇など
2部:神功皇后の伝承
申し込みはコチラへ    
第1回詳細はコチラ
会場:小城鍋島家Ten

歴史と自然をまもる会
バスハイクの旧記事はコチラ
5月 安曇の里





[PR]
by lunabura | 2018-04-22 20:36 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

ようやく集大成かな



ようやく集大成かな



福津の歴史カフェの準備にいそしんでいますが、
アントンイソラについては既にこれまでも、何度か話をしています。

例えば、『高良玉垂宮神秘書』の解説をすれば、玉垂命としての磯良の話となり、
『志賀島所聞録』を紐解けば、やはり磯良神のことになります。

また、方向を変えて磐井の末裔たちの話をしても、安曇族の話に戻ってきます。
アベ一族が安曇族だからです。

中国正史と照合していくと、やはり安曇の話となります。

今回は、磯良の時代から白村江の時代まで、全体を俯瞰していくことで、
中国正史に書かれた阿毎氏とはアベ氏のことではないかという、
漠然とした考えをきちんと説明できるようになりました。

これで次回の「消された大王 安曇磯良」は私にとって、
「磯良と倭国」の集大成になるのかな、と思った次第です。

章立てなどは、後日お知らせしますね。




歴史カフェ福津
4月29日(日)第18回 2時~4時
「消された大王 アントンイソラ
安曇姓とアベ姓の王たちは日本書紀から封印された」
詳細は コチラ 過去記事はコチラ

歴史カフェ小城
5月12日(土)第2回 3時~5時
1部:天山神社創建の人たち 藤原房前・持統天皇など
2部:神功皇后の伝承
申し込みはコチラへ    
第1回詳細はコチラ
会場:小城鍋島家Ten

歴史と自然をまもる会
バスハイクの旧記事はコチラ
5月 安曇の里







[PR]
by lunabura | 2018-04-20 21:39 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

ウーナ32 額田王



ウーナ32

額田王
ぬかたのおおきみ 


鸕野讚良(うののさらら)が13歳で叔父の大海人皇子に嫁ぐ前、
大海人皇子には既に複数の子が生まれていた。

一人は宗像徳前の娘・尼子娘(あまこのいらつめ)との間には武市皇子。

そして、前年には額田王との間に十市皇女(とおちのひめみこ)が生まれていた。
653年のことだ。
この時、大海人皇子は23歳だったが、額田王の年齢は分からない。
多分、年下だったろう。


万葉歌に二人の問答歌が残されている。

茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(巻1・20・額田王)

紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも(巻1・21・大海人皇子)


人妻になった額田王を大海人皇子が恋する歌だ。

額田王は中大兄皇子からも大海人皇子からも愛されていたという。

しかし、これ以上のことは不明で、小説などには自由に描かれている。

ただ、その8年ほど前、中大兄皇子が蘇我入鹿を討ったことを考えると、
額田王もまた中大兄皇子の気性を恐れたのではないかと思われた。

中大兄皇子を思うと、血のりのついた刃が浮かぶ。

どんな女性もそんな男性を無邪気には愛せまい。



ところで、今、何故、この時代の人々を学んでいるのか。

その始まりは天山神社と持統天皇の関わりからだと思ったが、
すでに学びはずっと前から始まっていた。

そう。
「ことのかたり」に書いた額田王の話だ。

実は、あれは、「脇巫女」の話があった頃、
菊如と崋山の結願から生まれた話だった。

ヤマトタケルの時代をサーチしていたのに、額田王が突然出て来た。
しかも、私のカケラから。

私が額田王の転生者なのかと驚いて伏せることにした。
過去生に有名人がいるとなると、疑わしいことが多いのだ。

しかし、今ではカケラには当事者の魂だけでなく、関連した魂も出てくるパターンがあるのが分かったので、私のカケラから額田王が出て来たとしても、転生者とは限らないことが分かった。


だから、今になって、ありのままに書くことにした。
再掲だが、一部書き加えている。


あの日は、宗像市の猿田峠の豊日社に、
古代の物部たちが参集して鏡を探していた話を崋山たちがしていた。

物部たちは鏡が無くなって、かなり怒っていたらしい。
また、すぐ南の「にぎた」の津の話をしていた。

額田王には有名な「にぎたつ」の歌がある。

熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕(こ)ぎ出でな
(万葉集 巻1・8)

この「にきたつ」の漢字は実際は「熟田津」ではない。変換文字が無い。
しかも、この場所も諸説あって特定できていない。

それなら、鞍手の「饒田」にあった「津」(港)も候補に挙げられる。
そんな話をしていた。


その話題の途中で額田王が出て来たのだ。

みるからに優美な姿で、左手に短冊を持ち、右手に持った筆でさらさらと歌をしたためていた。

その時の問答を編集して記そう。

「わらわに新北津(にぎたつ)の話を聞きたいのか。
鏡のことを聞きたいのか。

物部はあの土地を大事にしておった。
神が降りてくる所だ。

あの土地、山の上、豊日宮の山に二か月、宿を取らせてもらった。
大きな神社があった。そこで二か月過ごした。
わらわはそこで祭祀をしておった。

物部に、わらわの六角形の鏡が欲しいと言われ、礼に差し上げた。
鏡を渡した者の名は三郎サネアツ。小さいが、のちに頭首になった。
その鏡、嬉しそうに持っていたぞ。

心を鎮める鏡。

物部は鏡を何故探しているのか?
失くしたのか。

その鏡の場所を聞きたいのか。
―石の鳥居の右側に池がある神社。池の中。
安座。
そこには行ったことがある。宮があった。」


「大きな船でやってくる者たちの攻撃はひどかった。
この地を守らねばならなかった。

戦は好かん。

我らの船は嵐で行けなくなって磐瀬宮に留まった。
磐瀬宮の主は女帝。斉明。ご神託をされていた。」


「天智?
天智を愛してはおらぬが、結婚せねばならなかった。
子は3人。
男一名、女二名。

天武とは腹違いじゃ。わらわは天武を愛しておった。
のちに、天武天皇と結ばれた。

ののしる者も多かったがな。」

そう言いながら横目でこちらを見た。

この話が真実かどうかは分からない。
しかし、通説でもまた混沌としていた。

例えば、天智と天武が実の兄弟なら、斉明が自分の孫を次男に嫁がせるのは不自然だ。
もし、腹違いなら有り得ることになる。

しかし、真実は藪の中。
それでも、いいのではないかとこの頃はよく思う。

ただ、額田王も天智も天武も持統も、みんな筑紫に来て命の火を燃やした。
愛あり、憎しみあり、恐れあり。

そんな血の通った歴史がここにはある。
それを魂たちは伝えたいのではないか。

知ってもらうだけで癒されることは多々あるだろう。


◇◇ ◇
磐瀬宮 中間市
豊日宮 宗像市 猿田峠



歴史カフェ福津
4月29日(日)第18回 2時~4時
「消された大王 アントンイソラ
安曇姓とアベ性の王たちは日本書紀から封印された」
詳細は コチラ 過去記事はコチラ

歴史カフェ小城
5月12日(土)第2回 3時~5時
1部:天山神社創建の人たち 藤原房前・持統天皇など
2部:神功皇后の伝承
申し込みはコチラへ    
第1回詳細はコチラ
会場:小城鍋島家Ten

歴史と自然をまもる会
バスハイクの旧記事はコチラ
5月 安曇の里






異世界小説 

[PR]
by lunabura | 2018-04-18 21:48 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(0)

ウーナ32 持統天皇2 草壁皇子は福岡生まれ



ウーナ32

持統天皇2 

草壁皇子は福岡生まれ
 


草壁皇子が福岡生まれとなると、がぜん、身近に感じてしまう。
これまでは全く遠い存在だった。
私たちは九州の歴史の、何を、いったい知っているのだろうか。

タイトルは草壁皇子だが、その母の持統天皇の筑紫滞在などを考えてみたい。

持統天皇がまだ鸕野讚良(うののさらら)と呼ばれていた頃の話だ。

夫の天武天皇は大海人皇子と呼ばれていた。

鸕野讚良が大海人皇子に嫁いだ時、13歳。
今なら中学1年生。
夫は27歳。
夫は既に宗像徳前の娘と結婚していて長男がいた。
長男は既に数えで3歳。
可愛いさかりだ。

通い婚の時代なので、鸕野讚良はその男の子を見ることはなかっただろう。

父の中大兄皇子は32歳。
時の天皇は斉明天皇、64歳。
斉明天皇はどのような考えで孫を自分の子と結婚させたのか。
同じように嫁がせたのは鸕野讚良だけではなく、他にもいた。

鸕野讚良に子が授からぬまま、4年後の661年に
筑紫の倭王に呼ばれて斉明天皇一族は筑紫に渡る。


斉明天皇は661年に筑紫の朝倉に到着した翌日、宮地嶽神社、
次の日には福成神社と、落ち着く暇もなく精力的に先勝祈願をしてまわった。

この時、父の中大兄皇子の名は福岡や佐賀に若干残るが、
大海人皇子の名は見当たらない。
その名が各地に出てくるのは天武天皇に即位したあとになる。




鸕野讚良は筑紫で懐妊し、出産した。
18歳になっていた。
百済の滅亡や百済王子の返還など、不安な情勢の中でのことだった。



鸕野讚良が草壁皇子を出産したころ、父の中大兄皇子は筑紫で天皇に即位した。

663年の白村江戦の敗戦を耳にしたとき、鸕野讚良は19歳。
数えで2歳になった皇子を抱きしめた事だろう。
倭国はこれからどうなるのか、と。

そして、再びの戦いは国内戦。
自分たちに直接、降りかかってきた。

壬申の乱だ。

吉野に逃れる夫。
鸕野讚良は子を連れて付いていった。
この時、鸕野讚良は28歳になっていて、自分で決断することが出来た。
子は11歳。

戦いは勝利した。

鸕野讚良が45歳になった時、夫の天武天皇は崩御した。
そして、みずからが即位して持統天皇となる。
愛する我が子はその3年後に28歳で薨去してしまった。
689年のことだ。

その頃、対馬に異国の風俗の者たちが乗り込んできた。
その討伐を不比等の子に命じた。
のちの房前(ふささき)だ。

房前が討伐に成功すると、褒賞として佐賀の天山の麓「晴気の里」を与えた。

そこからは次々と良い知らせが来た。
天山に天御中主を祀ったのち、光が飛んできて四方を照らし、
童女が神懸かりして国家鎮護を約束すると、泉が湧き出した。

この時は既に持統天皇は孫に天皇の座を譲り渡していた。
孫の治世の安泰を心から願ったことだろう。

701年、厳木(きゅうらぎ)の広瀬で天山神社が創建された時、
持統太上天皇は57歳。文武天皇は19歳。

2年後、持統太上天皇は崩御。天皇初の火葬を選ぶ。

神道と仏教。
持統天皇は二つの世界にすがって生きて来た。

天山と持統天皇の接点は?

筑紫滞在の間に、天山の険峻な姿を筑後川の対岸から眺めたのかもしれない。

朝倉からは見えるだろうか。
山門県からか。
あるいは吉野ケ里の南の田手神社からか。

見知らぬ土地で夫と父を頼りに幼子を抱いて背振から天山を眺めた
ーそんな持統天皇の姿が浮かんでくる。

<20180417>




歴史カフェ福津
4月29日(日)第18回 2時~4時
「消された大王 アントンイソラ
安曇姓とアベ性の王たちは日本書紀から封印された」
詳細は コチラ 過去記事はコチラ

歴史カフェ小城
5月12日(土)第2回 3時~5時
1部:天山神社創建の人たち 藤原房前・持統天皇など
2部:神功皇后の伝承
申し込みはコチラへ    
第1回詳細はコチラ
会場:小城鍋島家Ten

歴史と自然をまもる会
バスハイクの旧記事はコチラ
5月 安曇の里





異世界小説 


[PR]
by lunabura | 2018-04-17 21:17 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(0)

ウーナ31 持統天皇は筑紫で出産 中大兄皇子は普通に即位していた!



ウーナ31

持統天皇は筑紫で出産

中大兄皇子は普通に即位していた!
 

 
中大兄皇子は白村江戦の時、天皇の地位にあったはずですが、
日本書紀の天智紀に「称制」と書いてあるので、
天皇代行のまま即位しなかったと解釈する人が殆どです。

しかし、「太歳」という即位前後に行う暦制選定儀式を行っているので、
「称制」は斉明天皇の崩御年だけで、
年が明ける前、みやま市(旧山門郡)の太神宮で日々祈ったあと、
翌年には即位している。

そういう話を歴史カフェなどでしたのですが、
今日、持統天皇紀を読んでいると、
「持統天皇は天智天皇元年に草壁皇子を大津宮で出産された」と書かれていて、
天智天皇元年=662年となり、
やはり中大兄皇子は普通に即位していたことが判明しました。

なんだ。
やはり一部分だけで解釈するのは良くないですね。

また、「大津宮」とは「娜の大津」ということなので、
(通説=高宮、真鍋説=那珂川)
持統天皇は筑紫で草壁皇子を出産したということになります。

佐賀の天山神社の奇瑞を何故、持統天皇は敏感に反応するのかな、
そういう観点で調べていて、
まずは斉明天皇や父の中大兄皇子に付いて朝倉に来て、
筑紫や佐賀の土地勘があっただろうと書きましたが、
やはり、滞在は少なくとも2年以上、
しかも白村江の敗戦のトラウマを持っていることは間違いないなと
思いました。

この時の持統天皇の名は鸕野讚良(うののさらら)で、
夫は大海人皇子です。
657年に13歳で嫁ぎ、出産は18歳。

そのあと壬申の乱に巻き込まれたり、
草壁皇子がわずか25歳で亡くなったりするのですから、
悲しみの多い、波乱万丈の人生だったようですね。

<20180415>

分類に悩んだけど、天山つながりで、<ウーナ>に。


歴史カフェ福津
4月29日(日)第18回 2時~4時
「消された大王 アントンイソラ
安曇姓とアベ性の王たちは日本書紀から封印された」
詳細は コチラ 過去記事はコチラ

歴史カフェ小城
5月12日(土)第2回 3時~5時
1部:天山神社創建の人たち 藤原房前・持統天皇など
2部:神功皇后の伝承
申し込みはコチラへ    
第1回詳細はコチラ
会場:小城鍋島家Ten

歴史と自然をまもる会
バスハイクの旧記事はコチラ
5月 安曇の里



 



[PR]
by lunabura | 2018-04-15 21:54 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(0)

小城での第1回 歴史カフェでした



小城での第1回 歴史カフェでした


今日は雨。
天山の話だから龍神さまですよ、と言ってくださった方もありました。
かつて天山登山にチャレンジした時も2回とも雨か霧だったので、何故か現地に入れない、るなでございます。

今日は第1回目の小城鍋島家Tenでの歴史カフェ。
現地の方に現地の神社縁起を話すという体験はとても喜ばしいものです。
参加の皆様ありがとうございました。

三つの天山神社の由緒を時系列に並べてみると、
この小城と皇室がダイレクトに繋がっていることをさらに強く感じました

次回は創建に関わった藤原房前や持統天皇など、同時代に生きた人たちの略歴を学んで、晴気の里の重要性にアプローチできたらと思っています。


高速道路も小城にスマートインターが3月に出来て、カードがあればダイレクトに乗り降りできるようになりました。
霧がかかる美しい山里を降りていきます。
早く現地調査したいですね。

歴史カフェ小城の2回目は5月12日(土)です。


さて、今から福津の歴史カフェの準備です。
今回は流れをパワーポイントで追ったあと、
『高良玉垂宮神秘書』を読み合わせしていこうかなと思っています。

今日も、原文を綾杉訳ではありますが、皆さんと読んでいると、原文の持つ力というものを強く感じました。

あれこれと説を説くよりも「読む」という体験は、縁起の持つ力をダイレクトに伝えてくれます。

この感覚を『神秘書』でも体験したいと思います。

「玉垂命とは誰か」「玉垂宮とは何か」
それがダイレクトに書かれた文章を読む。
想像すると、ワクワクしてきます。


それと、5月のバスハイクでは宮地嶽古墳の中に入る許可をいただきましたよ。
ネットの公開日が楽しみです。


歴史カフェ福津
4月29日(日)第18回 2時~4時
「消された大王 アントンイソラ
安曇姓とアベ性の王たちは日本書紀から封印された」
詳細は コチラ
過去記事はコチラ

歴史カフェ小城
5月12日(土)第2回 3時~5時
1部:天山神社創建の人たち 藤原房前・持統天皇など
2部:神功皇后の伝承
申し込みはコチラへ
第1回はコチラ
会場:小城鍋島家Ten

歴史と自然をまもる会
バスハイクの旧記事はコチラ
5月 安曇の里





[PR]
by lunabura | 2018-04-14 21:33 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

イソラ元年から4年目



イソラ元年から4年目



今日は某マスメディアに出掛けて、磯良の話をしてきました。

熱心に聞いてくださって、ありがとうございました。
また、この機会を作ってくださった諸兄に感謝したいと思います。

思えば磯良の創作能が造られたのが2015年。
志賀海神社でも創作劇が奉納されたりして、
「イソラ元年」と書いたことを思い出しました。

それから3年ちょっと。

玉垂宮神秘書を読み、中国正史を読み、
それらを突き合わせていく視野を得て、
倭国のなかでは、どのような歴史があったのか、
矛盾なく整理がついた段階を迎えたような気がします。

テーマは従来と同じでも、進化し続けるものですね。

今日の話は「初めての方」を対象としましたが、
歴史カフェでは少し突っ込んでいきたいと思います。

久しぶりに皆さんと会えるのも楽しみです。
明後日は小城鍋島家Tenで、初の歴史カフェ。
こちらも明日、資料印刷などの準備をします。

これが磯良の話と繋がってきて、驚きましたよ。
天御中主が志賀島の沖津宮と天山に祀られていたのです。
「阿部氏が何故藤氏でもあるか」という次の難問のヒントですよ。





[PR]
by lunabura | 2018-04-12 23:04 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

第18回 歴史カフェ 福津 「アントンイソラ」のご案内



第18回 歴史カフェ 福津

 「アントンイソラ」のご案内


福津での歴史カフェの日程が決まりました。

4月29日(日)2時~4時です。

タイトルは

「消された大王 アントンイソラ
安曇姓とアベ姓の王たちは日本書紀から封印された」


「アベ」姓は「あづみの部」という意味だそうです。

「日本書紀」で一番長いのは「神功皇后紀」ですが、
そこには安曇磯良の名がありません。

新羅遠征の時の船はどうしたのでしょうか。
各地の伝承では、安曇磯良が神功皇后の御座船の舵取りをしたといいます。

磯良は歴史から封印されましたが、

神楽や傀儡舞(くぐつまい)、高良玉垂宮縁起絵巻、
志賀島の鞨鼓(かっこ)の舞、
宮地嶽神社の浮神(うきがみ)などなどに
「白い覆面の神」として描かれ続けました。

神秘書ではその名を「アントンイソラ」と書いています。

安曇族とその一系のアベ氏は意図的に消されています。

磐井の姓「阿倍」も消され、葛子、鞍橋君(くらじ)の姓も消されていたため、中国正史に書かれる「あべ」の歴史が全く分からないようになっていたのです。


今回は磯良の半生を再現して、日本書紀が封印した倭国の歴史の一端を描きます。


遠方の方も来られるように、連休中に行いますよ♪





c0222861_2015028.jpg

(高良大社の絵巻と「志賀島所聞録」の一文)



会場は福津市の福間中央公民館です。
駐車場は145台分あります。
ここでの団体名は「ひもろぎ歴史愛好会」です。

今回は『神功皇后伝承を歩く』の下巻がメインです。

日時 2018年4月29日(日)2時~4時
会場 福間中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。
会費 1500円(当日払い)


申し込み方法
1 氏名 ヨミガナ(ハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (丁目や番地は不要です)
3 歴史カフェ429希望と記入。

なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)を購入希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。

初めての申し込みは「コチラ」あるいは、サイドバーの「メールはコチラ」から。

二度以上の方は、当方からの返信をご利用くださいませ。

(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合があります。
受け付けておりますので、気にせずご来場ください。)

福間中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。








c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2018-04-10 20:18 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

第1回 歴史カフェ小城 何と!天山神社は「日本遺産」レベル!



第1回 歴史カフェ小城 

何と!天山神社は「日本遺産」レベル!



今週末、4月14日に小城鍋島家Tenで歴史カフェ第1回を開催します。
2部構成にして、第1部は天山神社、第2部は神功皇后の伝承を話します。

第1部の構成は次のようになります。

三つの天山神社の始まり 年表を作ろう 祭神の変化
1章 広瀬 天山神社 
2章 黒尾大明神(九郎)は藤原安弘(房前)藤原四兄弟の一人
3章 岩蔵 天山神社
4章 晴気 天山神社
5章 奈良 天河大弁財天社
6章 年表

資料を作っていて、これは「日本遺産」レベルだ!!
という気持ちがあふれて来てやまないんです。

「世界遺産」に対して「日本遺産」はストーリー性が重んじられます。
以下は文化庁による定義です。HPより。


「日本遺産(Japan Heritage)」は(地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。

ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を,地域が主体となって総合的に整備・活用し,国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより,地域の活性化を図ることを目的としています。
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/nihon_isan/



天山神社が創始されたのは701年。
その時の状況がきちんと残っていて、ストーリー性が高いです。
しかも、広島の宮島とも繋がっています。

 この歴史を掘り起こして日本に発信することはとても有意義です。
小城は観光地ですが、皆さん、歴史興しに積極的です。

歴史カフェ小城では、皆さんに「日本遺産」への取組みも推奨してみたいと思います。

そこで、今回は「年表づくり」をテーマにしました。

天山三社の縁起を調べながら年表を作りましょう。
(私が既に作っているので、確認作業になりますが♪)

また、第2部は拙著を資料として、一番目の豊浦宮から解説していきます。

豊浦宮は現在、忌宮神社といいます。シルクが伝来した所でもあります。吉野ケ里の古代絹のエピソードなども交えてお話ししていきます。
こちらはパワーポイントで画像を楽しんでください。




c0222861_20243232.jpg





歴史カフェ小城 第1回
4月14日(土)3時~5時 会場:小城鍋島家Ten
1部:天山神社の始まり 2部:神功皇后の伝承 豊浦宮から
申し込みは直接、小城鍋島家Ten、あるいは当ブログコチラへ
詳細はコチラ

歴史カフェ福津 第18回 予定(明日10日に決定します)
4月29日(日) 2時~4時 会場:福津市中央公民館
消された大王 アントンイソラ
―安曇と阿部(阿倍)姓の王たちは日本書紀から封印されたー

歴史と自然をまもる会
バスハイクの旧記事はコチラ

5月  安曇の里





いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2018-04-09 20:26 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)
line

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー