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ひもろぎ逍遥

<   2018年 04月 ( 20 )   > この月の画像一覧

ウーナ34 ヌカタノキメ



ウーナ34

ヌカタノキメ
 


さて、前回、額田王の事を書いたが、菊如からその具体的な話が知らされた。

宗像の猿田峠にある豊日社で、古代の物部が鼻息荒く言ったのは
「ヌカタノキメの鏡は何処に行ったのだ!ここに無いではないか!」
ということばだった。
「ヌカタノキメとは額田王の事ですか?」
と尋ねると、
「あーそうだ!」
と答えたという。


「ヌカタノキメ」という発音は珍しい。「妃女」で「キメ」と読むのだろうか、ということだった。

もともと「額田王」と書いて、「ぬかたのおおきみ」と読み、女性だと考えるのも、考えてみれば不自然だ。

初めて教わった表記が刷り込まれていっただけのことだ。

表記はこの他に、額田女王、額田姫王、額田部姫王というのがみられる。
読み方も定まってはいない。

だから、菊如が「ヌカタノキメ」と聴き取ったのは興味深い。
現代に伝わらぬ発音は多々あり、その一つなのかもしれない。


面白いのがもう一点ある。
この額田王の父は鏡王というのだ。
父の名に「鏡」が付いているとか、いったい誰が知っているだろうか。

その鏡王の娘が持つ鏡を物部が欲しがったというのだから、不思議な符合だ。
面白い。


ところで、その鏡の在り処は前回「安座」と書いたが、正しくは「安ノ倉」だった。

美しい緑の湖と赤い滝と川がある所だ。

過去記事を読み直してみた。

妙見神社  龍神と北斗七星



懐かしい。
このような秘められた聖地に既に案内されていたこともまた不可思議なことである。

ここで祈れば龍が北斗七星に祈りを届けてくれるという。

そういえば、鏡探査はまだだ。
再びあの聖地に出掛けるのが楽しみになった。

<20180430>







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by lunabura | 2018-04-30 20:24 | 「ウーナ」 | Comments(0)

歴史カフェ お礼 



歴史カフェ お礼 




今日はゴールデンウイークの行楽日和でしたが、
多くの方が歴史カフェに参集してくださいました。
ありがとうございました。

一つの講座の準備に何週間か、かけるのですが、
繰り返しながら少しずつ掘り下げていって、
大きな枠組みを描き出す段階にたどり着いたのだなあと感慨深いです。

一つ謎が解ければ、また次の謎が生まれる世界。

これからもボチボチと参りましょう。

さて、
『歴史と自然を守る会』のバスハイクの予定も発表されました。
5月は「安曇の里」として、宮地嶽神社から志式神社、志賀海神社など、
当ブログの中心的な世界を回ります。
宮地嶽古墳も見学できる豪華版です。

6月は「住吉の里」として、那珂川町の裂田溝(さくたのうなで)など、日本書紀にも書かれた現地を歩きます。

申し込みは直接『歴史と自然を守る会』にどうぞ。
電話が一番確実です。
詳細はまたのちほど。


歴史カフェ小城
5月12日(土)第2回 3時~5時
1部:天山神社創建の人たち 藤原房前・持統天皇など
2部:神功皇后の伝承
申し込みはコチラへ    
第1回詳細はコチラ
会場:小城鍋島家Ten

歴史と自然をまもる会
バスハイクの旧記事はコチラ
5月18日(金) 安曇の里
6月14日(木) 住吉の里






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by lunabura | 2018-04-29 21:19 | 歴史カフェ | Comments(0)

羌人(きょうじん)にやっと会えた



羌人(きょうじん)にやっと会えた


 

先ほど、NHKで「四川美人谷」が放映された。

本当に美人ばかりで見とれたが、頭には「かふり」を被っていた。
埴輪の女性と同じ被りものだ。

取材されていたのはギャロン・チベット族ということだが、
もともと羌人(きょうじん)がルーツだったという。

羌人は旧唐書には「東女国」と書かれている女王国の民だ。

番組によると、この民は夏王朝をうちたてた禹(う)のルーツだそうだ。

殷が建国されると羌人はいけにえとされていた。
次に周が起こると、羌人は王の妃として入り込んで身の安全を確保したという。

この羌人について、ずっと探していて、手掛かりがなかったのだが、この番組でようやく会えた。

何故探していたかというと、「羌人」は真鍋の本に出てくるからだ。

ところが、真鍋の本では「羌人」「姜人」の二つの単語が混在している。
どちらも「きょうじん」と発音するので、真鍋の語りを書き写す時に混同したのだろう。

このために、渡来人の整理がストップしていたのだが、もしかしたら、これで整理が進むかもしれない。


☆ ☆ ☆



明日の歴史カフェ429は当日参加でもOKです。
資料は数部多めに印刷しますが、出来たら午前中までに連絡入れてください。

消された大王 アントンイソラ
―安曇と阿部(阿倍)姓の王たちは日本書紀から封印されたー

1章 安曇磯良 白い覆面の神
2章 日本書紀に書かれなかった磯良の存在 各地の伝承から半生を描く
3章 各地に伝わる磯良と干珠満珠の記憶    
4章 中国正史に書かれた倭王・阿毎氏とは阿倍氏である
5章 高良玉垂宮で玉垂命(磯良)が高良の神(武内)に変わったのは白村江戦の十年後だった

前半は初めての方でも理解しやすいように、パワーポイントで全体を見ていきましょう。


会場は福津市の福間中央公民館です。
駐車場は145台分あります。
ここでの団体名は「ひもろぎ歴史愛好会」です。

今回は『神功皇后伝承を歩く』の下巻がメインです。

日時 2018年4月29日(日)2時~4時
会場 福間中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。
会費 1500円(当日払い)


申し込み方法
1 氏名 ヨミガナ(ハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (丁目や番地は不要です)
3 歴史カフェ429希望と記入。

なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)を購入希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。

初めての申し込みは「コチラ」あるいは、サイドバーの「メールはコチラ」から。

二度以上の方は、当方からの返信をご利用くださいませ。

(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合があります。
受け付けておりますので、気にせずご来場ください。)

福間中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。







歴史カフェ福津
4月29日(日)第18回 2時~4時
「消された大王 アントンイソラ
安曇姓とアベ姓の王たちは日本書紀から封印された」
詳細は コチラ 過去記事はコチラ

歴史カフェ小城
5月12日(土)第2回 3時~5時
1部:天山神社創建の人たち 藤原房前・持統天皇など
2部:神功皇后の伝承
申し込みはコチラへ    
第1回詳細はコチラ
会場:小城鍋島家Ten

歴史と自然をまもる会
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5月 安曇の里




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by lunabura | 2018-04-28 23:13 | <真鍋大覚儺の国の星> | Comments(1)

ルソン足 筑紫舞と高良玉垂宮絵巻


ルソン足 

筑紫舞と高良玉垂宮絵巻



筑紫舞に「ルソン足」と呼ばれる所作があります。

足を上げた画像があったので、宮司に見ていただいて、「ルソン足」ということを確認しました。

このルソン足、高良玉垂宮縁起絵巻の磯良像を見ると、その足がそっくりなのです。






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高良山に伝わる絵巻ですが、志賀島で磯良が黄金の亀に乗って踊りながらやってくるシーンが描かれています。この磯良に対して八乙女が神楽を奉納しているんです。


ただし、この話は現地の志賀島では、神功皇后に召されたのに、行かなかった磯良が、天の岩戸神楽が始まると、我慢できずに金の亀に乗ってやってきたという話になっています。

その舞は細男舞(せいのおのまい)とも天鈿女舞(あめのうずめのまい)とも言われています。

こうやって比較してみると、筑紫舞に伝わるルソン足とは磯良の舞に通じるものなのかなあ、と思ったりしています。

また、筑紫舞の手は軽く握り、馬のたずなを持つ所作に似ていますが、鞨鼓(かっこ)(大きい鼓)を打つ所作の名残かもしれないなあと思うこの頃です。






歴史カフェ429

消された大王 アントンイソラ
―安曇と阿部(阿倍)姓の王たちは日本書紀から封印されたー

1章 安曇磯良 白い覆面の神
2章 日本書紀に書かれなかった磯良の存在 各地の伝承から半生を描く
3章 各地に伝わる磯良と干珠満珠の記憶    
4章 中国正史に書かれた倭王・阿毎氏とは阿倍氏である
5章 高良玉垂宮で玉垂命(磯良)が高良の神(武内)に変わったのは白村江戦の十年後だった

前半は初めての方でも理解しやすいように、パワーポイントで全体を見ていきましょう。


会場は福津市の福間中央公民館です。
駐車場は145台分あります。
ここでの団体名は「ひもろぎ歴史愛好会」です。

今回は『神功皇后伝承を歩く』の下巻がメインです。

日時 2018年4月29日(日)2時~4時
会場 福間中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。
会費 1500円(当日払い)


申し込み方法
1 氏名 ヨミガナ(ハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (丁目や番地は不要です)
3 歴史カフェ429希望と記入。

なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)を購入希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。

初めての申し込みは「コチラ」あるいは、サイドバーの「メールはコチラ」から。

二度以上の方は、当方からの返信をご利用くださいませ。

(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合があります。
受け付けておりますので、気にせずご来場ください。)

福間中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。







歴史カフェ福津
4月29日(日)第18回 2時~4時
「消された大王 アントンイソラ
安曇姓とアベ姓の王たちは日本書紀から封印された」
詳細は コチラ 過去記事はコチラ

歴史カフェ小城
5月12日(土)第2回 3時~5時
1部:天山神社創建の人たち 藤原房前・持統天皇など
2部:神功皇后の伝承
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第1回詳細はコチラ
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5月 安曇の里


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by lunabura | 2018-04-27 19:46 | 歴史カフェ | Comments(7)

にっき




昨日、ある用件で、書類がどっさりと届きました。
200枚近い書類の厚さは2センチ近く。
急に読むことになりました。(;’∀’)

内容は書けませんが、
脳味噌の中でも、普段使わないエリアを使ったためか、
ブログ用の脳味噌は真っ白。

今夜もまた、真っ白なのでありました。♪





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by lunabura | 2018-04-25 22:48 | にっき | Comments(2)

邪馬台国論ではなく




邪馬台国論ではなく


倭国とは何処にあった国か。

今回の歴史カフェでは、それを中国正史から、一部ですが、ピックアップしていきます。

邪馬台国論争をみていると、その位置を持論に結び付けるために、データを変えてしまう傾向がみられます。

そこで、今回は試みとして、邪馬台国を全く無視して、
倭国の所在地を示す文も並べて読んでみようという試みもします。

たとえば、韓国の南部に狗邪韓国(くやかんこく)があります。

中国正史には、この国について、「その(倭国の)北岸の狗邪韓国」と書かれています。

これは倭国の北に海があり、海の向こうに狗邪韓国があるという意味です。
奈良の北には海が無く、韓国もありませんね。
倭国は奈良にはないことになります。

「倭国の地勢は東に高く、西に低い」と書かれています。
これは、例えば福岡ならありなれ川の東部などが該当しますが、
吉野ケ里は該当しません。吉野ケ里なら北に高くとなります。
奈良には、それなりの地があります。

中国正史には倭国の「気候は温暖で草木は冬も青い」と書かれています。
福岡は平野部なら、冬でも田んぼには草が生えて青いです。
奈良はどうでしょうか?

倭国には「阿蘇山」があります。
誰が見ても、奈良の話ではありません。

こうしてみると、奈良に倭国がないのは明らかですね。

倭国には卑弥呼が生きていた時代もありますが、それは奈良ではないことが全体から分かります。


今回の歴史カフェではほんの一部の抜粋ではありますが、
各中国史から倭国のイメージを捉えたいなと思っています。

磯良の時代から倭国の滅亡の時代まで、ざっと俯瞰してみる試みです。

<20180423>


日時 2018年4月29日(日)2時~4時
会場 福間中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。
会費 1500円(当日払い)


申し込み方法
1 氏名 ヨミガナ(ハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (丁目や番地は不要です)
3 歴史カフェ429希望と記入。

なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)を購入希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。

初めての申し込みは「コチラ」あるいは、サイドバーの「メールはコチラ」から。

二度以上の方は、当方からの返信をご利用くださいませ。

(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合があります。
受け付けておりますので、気にせずご来場ください。)

福間中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。







歴史カフェ福津
4月29日(日)第18回 2時~4時
「消された大王 アントンイソラ
安曇姓とアベ姓の王たちは日本書紀から封印された」
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歴史カフェ小城
5月12日(土)第2回 3時~5時
1部:天山神社創建の人たち 藤原房前・持統天皇など
2部:神功皇后の伝承
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by lunabura | 2018-04-23 21:00 | 歴史カフェ | Comments(0)

歴史カフェ「アントンイソラ」の詳細です



歴史カフェ

「アントンイソラ」の詳細です






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「日本書紀」で一番長いのは「神功皇后紀」ですが、そこには安曇磯良の名がありません。

また、豊浦宮に新羅軍が上陸して皇居を襲撃し、天皇と皇后を守って筑紫の将軍、阿部高麿、助麿兄弟が討ち死にした記録もありません。

神功皇后の御座船の舵取りをした磯良の伝承を拾い出し、その半生を描くと、安曇族とその一族の阿倍(阿部)氏の存在が意図的に消された事が見えてきます。

さらに、次の時代の阿倍磐井の姓も消されていたため、磐井が安曇族ということも分からなくなっていました。

その意図は百済王子を助けた鞍橋君の名の隠蔽にも及びます。

この鞍橋君もまた、宮地嶽神社の阿部勝村、勝頼の兄弟でしたが、姓名が書かれていなかったことから、そのつながりが全く不明となっていたのです。

中国正史を見ると、「倭王の姓」は「阿毎氏」と書かれています。阿倍をアベと読むことができるように、安曇の一族を指していると考えられます。

宮地嶽神社と高良玉垂宮、明星山を拠点とした倭国王の歴史を俯瞰し、白村江の戦い後、日本書紀で意図的に消された状況をみていきます。

消された大王 アントンイソラ
―安曇と阿部(阿倍)姓の王たちは日本書紀から封印されたー

1章 安曇磯良 白い覆面の神
2章 日本書紀に書かれなかった磯良の存在 各地の伝承から半生を描く
3章 各地に伝わる磯良と干珠満珠の記憶    
4章 中国正史に書かれた倭王・阿毎氏とは阿倍氏である
5章 高良玉垂宮で玉垂命(磯良)が高良の神(武内)に変わったのは白村江戦の十年後だった

前半は初めての方でも理解しやすいように、パワーポイントで全体を見ていきましょう。

会場は福津市の福間中央公民館です。
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ここでの団体名は「ひもろぎ歴史愛好会」です。

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日時 2018年4月29日(日)2時~4時
会場 福間中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
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1 氏名 ヨミガナ(ハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (丁目や番地は不要です)
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by lunabura | 2018-04-22 20:36 | 歴史カフェ | Comments(0)

ようやく集大成かな



ようやく集大成かな



福津の歴史カフェの準備にいそしんでいますが、
アントンイソラについては既にこれまでも、何度か話をしています。

例えば、『高良玉垂宮神秘書』の解説をすれば、玉垂命としての磯良の話となり、
『志賀島所聞録』を紐解けば、やはり磯良神のことになります。

また、方向を変えて磐井の末裔たちの話をしても、安曇族の話に戻ってきます。
アベ一族が安曇族だからです。

中国正史と照合していくと、やはり安曇の話となります。

今回は、磯良の時代から白村江の時代まで、全体を俯瞰していくことで、
中国正史に書かれた阿毎氏とはアベ氏のことではないかという、
漠然とした考えをきちんと説明できるようになりました。

これで次回の「消された大王 安曇磯良」は私にとって、
「磯良と倭国」の集大成になるのかな、と思った次第です。

章立てなどは、後日お知らせしますね。




歴史カフェ福津
4月29日(日)第18回 2時~4時
「消された大王 アントンイソラ
安曇姓とアベ姓の王たちは日本書紀から封印された」
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by lunabura | 2018-04-20 21:39 | 歴史カフェ | Comments(0)

ウーナ33 額田王



ウーナ33

額田王
ぬかたのおおきみ 


鸕野讚良(うののさらら)が13歳で叔父の大海人皇子に嫁ぐ前、
大海人皇子には既に複数の子が生まれていた。

一人は宗像徳前の娘・尼子娘(あまこのいらつめ)との間には武市皇子。

そして、前年には額田王との間に十市皇女(とおちのひめみこ)が生まれていた。
653年のことだ。
この時、大海人皇子は23歳だったが、額田王の年齢は分からない。
多分、年下だったろう。


万葉歌に二人の問答歌が残されている。

茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(巻1・20・額田王)

紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも(巻1・21・大海人皇子)


人妻になった額田王を大海人皇子が恋する歌だ。

額田王は中大兄皇子からも大海人皇子からも愛されていたという。

しかし、これ以上のことは不明で、小説などには自由に描かれている。

ただ、その8年ほど前、中大兄皇子が蘇我入鹿を討ったことを考えると、
額田王もまた中大兄皇子の気性を恐れたのではないかと思われた。

中大兄皇子を思うと、血のりのついた刃が浮かぶ。

どんな女性もそんな男性を無邪気には愛せまい。



ところで、今、何故、この時代の人々を学んでいるのか。

その始まりは天山神社と持統天皇の関わりからだと思ったが、
すでに学びはずっと前から始まっていた。

そう。
「ことのかたり」に書いた額田王の話だ。

実は、あれは、「脇巫女」の話があった頃、
菊如と崋山の結願から生まれた話だった。

ヤマトタケルの時代をサーチしていたのに、額田王が突然出て来た。
しかも、私のカケラから。

私が額田王の転生者なのかと驚いて伏せることにした。
過去生に有名人がいるとなると、疑わしいことが多いのだ。

しかし、今ではカケラには当事者の魂だけでなく、関連した魂も出てくるパターンがあるのが分かったので、私のカケラから額田王が出て来たとしても、転生者とは限らないことが分かった。


だから、今になって、ありのままに書くことにした。
再掲だが、一部書き加えている。


あの日は、宗像市の猿田峠の豊日社に、
古代の物部たちが参集して鏡を探していた話を崋山たちがしていた。

物部たちは鏡が無くなって、かなり怒っていたらしい。
また、すぐ南の「にぎた」の津の話をしていた。

額田王には有名な「にぎたつ」の歌がある。

熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕(こ)ぎ出でな
(万葉集 巻1・8)

この「にきたつ」の漢字は実際は「熟田津」ではない。変換文字が無い。
しかも、この場所も諸説あって特定できていない。

それなら、鞍手の「饒田」にあった「津」(港)も候補に挙げられる。
そんな話をしていた。


その話題の途中で額田王が出て来たのだ。

みるからに優美な姿で、左手に短冊を持ち、右手に持った筆でさらさらと歌をしたためていた。

その時の問答を編集して記そう。

「わらわに新北津(にぎたつ)の話を聞きたいのか。
鏡のことを聞きたいのか。

物部はあの土地を大事にしておった。
神が降りてくる所だ。

あの土地、山の上、豊日宮の山に二か月、宿を取らせてもらった。
大きな神社があった。そこで二か月過ごした。
わらわはそこで祭祀をしておった。

物部に、わらわの六角形の鏡が欲しいと言われ、礼に差し上げた。
鏡を渡した者の名は三郎サネアツ。小さいが、のちに頭首になった。
その鏡、嬉しそうに持っていたぞ。

心を鎮める鏡。

物部は鏡を何故探しているのか?
失くしたのか。

その鏡の場所を聞きたいのか。
―石の鳥居の右側に池がある神社。池の中。
安座。
そこには行ったことがある。宮があった。」


「大きな船でやってくる者たちの攻撃はひどかった。
この地を守らねばならなかった。

戦は好かん。

我らの船は嵐で行けなくなって磐瀬宮に留まった。
磐瀬宮の主は女帝。斉明。ご神託をされていた。」


「天智?
天智を愛してはおらぬが、結婚せねばならなかった。
子は3人。
男一名、女二名。

天武とは腹違いじゃ。わらわは天武を愛しておった。
のちに、天武天皇と結ばれた。

ののしる者も多かったがな。」

そう言いながら横目でこちらを見た。

この話が真実かどうかは分からない。
しかし、通説でもまた混沌としていた。

例えば、天智と天武が実の兄弟なら、斉明が自分の孫を次男に嫁がせるのは不自然だ。
もし、腹違いなら有り得ることになる。

しかし、真実は藪の中。
それでも、いいのではないかとこの頃はよく思う。

ただ、額田王も天智も天武も持統も、みんな筑紫に来て命の火を燃やした。
愛あり、憎しみあり、恐れあり。

そんな血の通った歴史がここにはある。
それを魂たちは伝えたいのではないか。

知ってもらうだけで癒されることは多々あるだろう。


◇◇ ◇
磐瀬宮 中間市
豊日宮 宗像市 猿田峠



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異世界小説 

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by lunabura | 2018-04-18 21:48 | 「ウーナ」 | Comments(0)

ウーナ32 持統天皇2 草壁皇子は福岡生まれ



ウーナ32

持統天皇2 

草壁皇子は福岡生まれ
 


草壁皇子が福岡生まれとなると、がぜん、身近に感じてしまう。
これまでは全く遠い存在だった。
私たちは九州の歴史の、何を、いったい知っているのだろうか。

タイトルは草壁皇子だが、その母の持統天皇の筑紫滞在などを考えてみたい。

持統天皇がまだ鸕野讚良(うののさらら)と呼ばれていた頃の話だ。

夫の天武天皇は大海人皇子と呼ばれていた。

鸕野讚良が大海人皇子に嫁いだ時、13歳。
今なら中学1年生。
夫は27歳。
夫は既に宗像徳前の娘と結婚していて長男がいた。
長男は既に数えで3歳。
可愛いさかりだ。

通い婚の時代なので、鸕野讚良はその男の子を見ることはなかっただろう。

父の中大兄皇子は32歳。
時の天皇は斉明天皇、64歳。
斉明天皇はどのような考えで孫を自分の子と結婚させたのか。
同じように嫁がせたのは鸕野讚良だけではなく、他にもいた。

鸕野讚良に子が授からぬまま、4年後の661年に
筑紫の倭王に呼ばれて斉明天皇一族は筑紫に渡る。


斉明天皇は661年に筑紫の朝倉に到着した翌日、宮地嶽神社、
次の日には福成神社と、落ち着く暇もなく精力的に先勝祈願をしてまわった。

この時、父の中大兄皇子の名は福岡や佐賀に若干残るが、
大海人皇子の名は見当たらない。
その名が各地に出てくるのは天武天皇に即位したあとになる。




鸕野讚良は筑紫で懐妊し、出産した。
18歳になっていた。
百済の滅亡や百済王子の返還など、不安な情勢の中でのことだった。



鸕野讚良が草壁皇子を出産したころ、父の中大兄皇子は筑紫で天皇に即位した。

663年の白村江戦の敗戦を耳にしたとき、鸕野讚良は19歳。
数えで2歳になった皇子を抱きしめた事だろう。
倭国はこれからどうなるのか、と。

そして、再びの戦いは国内戦。
自分たちに直接、降りかかってきた。

壬申の乱だ。

吉野に逃れる夫。
鸕野讚良は子を連れて付いていった。
この時、鸕野讚良は28歳になっていて、自分で決断することが出来た。
子は11歳。

戦いは勝利した。

鸕野讚良が45歳になった時、夫の天武天皇は崩御した。
そして、みずからが即位して持統天皇となる。
愛する我が子はその3年後に28歳で薨去してしまった。
689年のことだ。

その頃、対馬に異国の風俗の者たちが乗り込んできた。
その討伐を不比等の子に命じた。
のちの房前(ふささき)だ。

房前が討伐に成功すると、褒賞として佐賀の天山の麓「晴気の里」を与えた。

そこからは次々と良い知らせが来た。
天山に天御中主を祀ったのち、光が飛んできて四方を照らし、
童女が神懸かりして国家鎮護を約束すると、泉が湧き出した。

この時は既に持統天皇は孫に天皇の座を譲り渡していた。
孫の治世の安泰を心から願ったことだろう。

701年、厳木(きゅうらぎ)の広瀬で天山神社が創建された時、
持統太上天皇は57歳。文武天皇は19歳。

2年後、持統太上天皇は崩御。天皇初の火葬を選ぶ。

神道と仏教。
持統天皇は二つの世界にすがって生きて来た。

天山と持統天皇の接点は?

筑紫滞在の間に、天山の険峻な姿を筑後川の対岸から眺めたのかもしれない。

朝倉からは見えるだろうか。
山門県からか。
あるいは吉野ケ里の南の田手神社からか。

見知らぬ土地で夫と父を頼りに幼子を抱いて背振から天山を眺めた
ーそんな持統天皇の姿が浮かんでくる。

<20180417>




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by lunabura | 2018-04-17 21:17 | 「ウーナ」 | Comments(0)

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