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<   2018年 05月 ( 23 )   > この月の画像一覧

ウーナ45 七つの珠10 綿津見神社にて



ウーナ45

七つの珠10

 綿津見神社にて
 
 

第一回目の大島紀行については
「ウーナ10 宗像大島行 市杵島姫の縁はつづく」
https://lunabura.exblog.jp/28323964/ 
に簡単に記している。
昨年の11月21日のことだった。

それから互いに連絡取り合うこともなかった。
七つの珠の奉納は菊如と崋山の課題だった。
二人は上手くやってくれるだろう。


しかし3月に入っても動き出している気配がなく、心配になってきた。

聞くと「豊玉姫と綿津見神の関連社」「福岡県内」に絞られていた。
期限も「5月3日の竜宮祭」と分かったらしい。
そして、何処に行こうか相談中だった。



私は自分の知っている神社をとうとうと並べていくうちに、案内しないと分からないだろうと判断して、同行することにした。

何せ、バスハイクやら執筆取材などで何度も出掛けた所ばかりなのだ。
まずは福岡市東区から糸島方面に奉納先を探しに行くことにした。

それが2018年3月11日のことだった。

ウーナ22 七つの珠1 に簡単に記している





そして「5月3日」の満願の日のことも簡単にメモしている。

ウーナ36 七つの珠9 任務完了






今回から、3月11日当日の記録を詳細に残していこうと思う。

その日は午後12時の出発だった。
菊如と白皇と私の三人だった。



まずは福岡市東区の綿津見神社に案内した。





c0222861_2117449.jpg

着くと、菊如はここが奉納先の一つとすぐに分かったようだ。



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祭神は志賀三神と豊玉姫命。
志賀三神とは綿津見三神のこと。

まさしく、始まりにふさわしい宮だった。





菊如は神前に七つの珠を入れた宝箱と志賀島金印を置いて祝詞を上げた。





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祝詞が上がる間、左手の木の上でカラスの鳴き声がする。
仲睦まじい。サインかもしれない。





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すると、祝詞を終えた菊如がその木の下に立った。
そして白皇に何やら指示をしている。

木の幹にはちょうど目の前の高さに、枝を落として丸く成長した部分があった。
白皇はそこに珠を一つ納めた。
そして、何か代わりの法具を貰って宝箱に入れながら、
「丸くて暖かい」と感想を述べた。

もちろんどちらも肉眼では見えない。


崋山が後で鑑定すると、それは「太陽の鏡」だという。
足つきの鏡で、鏡の周囲にフレアがある。

高祖神社(糸島)に置かれた「石の鏡」に良く似ていた。

それは人を写すものではなく、太陽の光を海に反射するものだそうだ。










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その後、私は二人を三苫海岸に案内した。
3月11日のあの日に手を合わせて。

この海からは相島が正面に見えた。
そう、若宮神社には豊玉姫が祀られている。







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そして、左手を見ると志式神社の渚が見えた。
今からそこに行く。
そこには豊玉姫が荒ぶる神として祀られていた。



今更ながらに気づいた。
ここは豊玉姫が、
相島、綿津見神社、志式神社と、海を囲んで祀られていたエリアだったのだ。


この海域を通る船は帆を半分降ろして通るという。
それは志式の神に対して表す敬意の印だった。


拙著『神功皇后伝承を歩く』
「下巻75綿津見神社」
「下巻72志式神社」

20180531






歴史カフェ小城
6月9日(土)第3回 3時~5時
1部:佐賀の女神たち よど・とよ・とよたま姫
2部:神功皇后の伝承
申し込みはコチラへ
①氏名(よみがな)②簡単な住所(字まで)③609希望
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会場:小城鍋島家Ten

歴史と自然をまもる会
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申し込みは 092-408-7140
6月14日(木) 住吉の里
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異世界小説 
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by lunabura | 2018-05-31 21:55 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(0)

ウーナ44 七つの珠9 筑前大島へ



ウーナ44

七つの珠9 

筑前大島へ
 


2017年11月11日に糸島で七つの珠を預かった。
それは年を越した4月までに七つの神社に奉納すればよかった。

ことの起こりを尋ねると、崋山が何故か大島に行きたくなったので、
菊如を誘って観光に出掛けたことから始まったという。

フェリー乗船まで時間があるので岡垣町の大国主神社に参拝することにした。
ところが、そこにいたのは豊玉姫の分御霊で、崋山に懸かってしまった。

豊玉姫は「志賀島に帰りたい」という。
しかし、その日は手立てがないので、豊玉姫が懸かったまま二人は
大島に渡ったという。

大島の巡回バスに乗っているとき、菊如のビジョンに神社の映像が浮かんだ。
港に戻ってその神社を探すうちに、辿り着いたのが厳島神社だった。

大島といえば宗像大社の仲津宮が有名で、厳島神社の存在は全く知られていない。
地図を見ると、港から東の方の岬の上にある。

二人のアンテナは厳島神社の近くの氏子の家を指した。
二人は導かれるまま民家に上がり、祭壇に祝詞を上げた。

すると、床の間に掛軸が懸かっているのを知った。
その掛軸に二つの亀が描かれていた。
その亀には筆のようなしっぽがあった。

この時、崋山に懸かっていた豊玉姫が現れて、
その亀に乗って志賀島に帰ると言い出したという。
そして、豊玉姫は志賀島に戻っていった。


二人が豊玉姫に関わりだしたのはこの時からだった。
それから糸島に行って七つの珠を預かった。11月11日のことだ。

それから十日後。
菊如と崋山はお世話になったお礼もかねて、
厳島神社の祭に参加することにしていた。
それが11月21日だった。

私はまだ大島に渡ったことが無かった。
訪ねる予定の先方が入院されたり、
大島の回り方が分からなかったり、とご縁が出来なかった。

そこで、今回はチャンスとばかりに二人に同行させてもらうことにした。

当日、朝9時25分のフェリーに乗って初めての大島行となった。

少し早目に集合して、すぐ近くの宗像大社の頓宮に参拝した。
みあれ祭の時に沖ノ島と大島の姉姫たちと市杵島姫が三柱の神輿が揃って神事がある岬だ。


20180530


その時の記事の再掲をしよう。





辺津宮―大島―沖ノ島

海底に沈んだ陸と遺跡

いまだに信じられない。

かつて大島は陸続きだったという。


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神湊の頓宮から大島を撮ったのだが、この間は陸地だったというのだ。

しかも、この海が出来たのは475年。倉良の瀬戸という。

今から約1500年前のことだ。

そんな話を伝えるのは、もちろん真鍋大覚ぐらいしかいない。






しかし、海底に沈んだのはこちらだけではない。

大島の向こう、沖ノ島の手前にも海底に沈んだものがある。




30mほどの石柱が四本。一本には螺旋階段がついている。

これは真鍋の口碑の裏付けになろう。



もしかしたら、両方とも同じ時期に沈んだのだろうか。


鼻栗瀬もそのとき、一部が崩壊したのか。



合わせ鏡の舞台だ。





話は逸れるが、大島には洞窟が沢山あるそうだ。

かつてそこで金を採掘していたという。

陸地の方も孔大寺山は金を産出していた。

金の鉱脈が繋がっているのか。





<2017年12月4日>


リンクをいくつかしているがリンク先が出ないので、上の記事のリンクを次に。

https://lunabura.exblog.jp/28469444/








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by lunabura | 2018-05-30 20:51 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(1)

ウーナ44 七つの珠9 庸(よう)は玉依だった



ウーナ44

七つの珠9

庸は玉依だった
 


玉依(たまより)とは個人名でなく、養育係の役職名だったという。
庸(よう)はその一人だった。
ワダツミの力を持つ者と人間の間に生まれた者で、他の玉依たちと共に、豊玉姫の姉妹のようにして育てられた。

豊玉姫は双子を生んだが、縁起が悪いと言われて一人が殺された。
怒ったワダツミの神は豊玉姫を海神の宮に連れ戻した。

双子の一人、生き残ったのがウガヤフキアエズだった。

庸はウガヤフキアエズの養育係となった。

そして三日間育てると、自分で育てたくなってしまった。
四日目。
ひそかにウガヤフキアエズを抱いて陸へと向かった。

ところが、途中、海の中でサメに襲われた。
子供を奪った罪で足を食われ、しゃべらぬように舌を取られた。

庸は砂浜に打ち上げられた。
そこは志賀島だった。

庸は姉の玉依に子供を預けた。


20180529

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by lunabura | 2018-05-29 23:40 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(1)

ウーナ43 天山11 晴気天山神社2 1002年に現在地へ



ウーナ43

 天山11 

晴気天山神社2 1002年に現在地へ
 


晴気天山神社の縁起を「小城郡誌」から紐解こう。

「参議藤原安弘文武天皇の口宣をこうむり、大宝2年(702)10月15日天山池の中に島を築き、蓬莱(ほうらい)島(仙人が住む島)と名付け、上に祠を建立して天山神の上宮と定め、下宮を靈貴山(一名烏帽子嶽という)に建立す。

長保4年(1002)、康家烏帽子嶽の下宮を当所に遷座し、諸祭祀を興した。

建立当時には文武天皇の口宣をいただいて小城郡神祇官領を下され、次に永代神領として郡内居住の四方三百町を寄進された。」

のちに参議という高い身分になった藤原安弘とは房前(ふささき)のことだ。
文武天皇は持統天皇の孫にあたる。

安弘は702年の10月15日に天山池に島を築き、祠を建立して上宮とした。
持統天皇はこの時、存命していたが、二か月後の12月22日に崩御している。

だから、上宮と下宮が出来たことの報告を受けていた可能性がある。


縁起の続きには、ちょうど300年後、1002年に烏帽子嶽の下宮を現在地に遷座したとある

すると、「烏帽子嶽(561.27m)の下宮」とは現在「中宮」と呼ぶところで、川内分校付近にあり、巨石を神体としている所となる。(広瀬天山神社の縁起による)


以上から、明星山と結ばれた二つの下宮(岩蔵と広瀬)のライン上に晴気が乗って来て、三つの下宮が揃うのは1002年のこととなる。


【長崎県肥前国小城郡村誌】には
「郷社、村の北内浦にあり。今の本社は天山社の下宮で、畑田ケ里天山絶頂9合目にあり、高山にあって、修繕保護が困難なため、中古に下宮の地をもって云々。」

とある。






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現地は急な斜面で、はるか遠く佐賀平野が見渡せる地だ。
しかし、ここからは他の下宮も上宮も見えない。
特殊な測量をして、意図的にここに遷座したということだろう。


【肥前古蹟集】によれば、
「大宝2年(702)霜月15日、弁財天が天山岳に飛来した。本山烏帽子ケ岳に影向された。ここを宮床と名付ける。(略)」


とあり、702年11月15日に新たに弁財天の飛来をみている。
その場所が天山で、影向したのは烏帽子嶽ということだ。
詳しい状況は書かれていない。




さて、ここで天山の神の変遷について整理しておこう。
701年の少し前に天御中主命が祀られたが、
光が飛来する奇瑞があり、安芸の宮島から光を追って来た人たちの話から、
市杵島姫および二女神、合わせて三女神が加わる。

そして、弁財天の飛来を見て、弁財天信仰となる。
市杵島姫と弁財天は同一で、神式から仏式となったともいえる。

これらがわずか数年の間に起きたことだ。

そうすると、持統天皇が与えた「晴気の里」とは、中宮、すなわち川内分校を含めた地域がメインと考えられる。



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チェリーが地図を作ってくれた。
中宮から東南の方向に、他と比べて傾斜が緩い小平野がある。
天山山系の稜線には赤いラインで示されたような、崩落と思われる地形がある。

氷河期が終わると、雪解け水は山を削りながら山津波となって下っていった。

土砂崩れに流された流木が途中に引っ掛かって堆積して、湖沼の地下で天然の亜炭になっていく。
土砂には粉砕された鉱物が含まれていた。


賀茂氏はわざわざそのような地を選んで入植していくという。

すぐ南に「八丁ダム」など、「八丁」(はっちょう)の地名が見られる。
「八丁さま」こそ、賀茂氏のことである。

おそらくは、ここで金属加工をする賀茂氏がいて、
その生産品の所有権を持統天皇は褒美として与えたのだと思う。


それと似たような例が東の方、綾部神社にある。
「忍海漢人をこの地にとどめ、兵器を造らしめたが、そのまま土着し」たという
綾部一族にとって、そこが工人として魅力的な土地だったのだ。

背振~天山の山塊は鉱物資源と薬草を生み出す黄金の地だった。
黄金と弁財天の名もまた融合していく。




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さて、もう一つの下宮が残っている。
広瀬があるが、参拝したあとに記録しようと思う。





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by lunabura | 2018-05-28 23:12 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(3)

ウーナ42 天山10 晴気天山神社1 三つの下宮社の中央の宮



ウーナ42

天山10 晴気天山神社1 

三つの下宮社の中央の宮
 



さて、三つの下宮の内、中央に鎮座するのが晴気天山神社だ。
晴気は「はるけ」と読む。



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天山から流れる川沿いに登っていくので、ずっと天山を見ていく感じがする。
右手の川の名は晴気川で良いのだろうか。







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道が途中で別れる地点だ。

正面奥が天山で、最終的に天山が望めるポイントになる。
天山にはどちらから行っても着くようだが、下宮に行くには右手に進む。

駐車場は民家が庭を提供してある風情で、数台止められる。








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「あめやまはし」を渡って行く。







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川の名は晴気川だろうか。
大岩がゴロゴロしていて、雨が降れば激流になりそうな川だ。










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一の鳥居。


山につけた石段をいくつも上っていく。






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拝殿前の広場に出た。


祭神は【小城郡誌】によると、
多紀理毘売命、狭依理比売命、多岐津比売命。
市杵島姫は「サヨリ姫」の名になっている。同一神だ。
古い名を伝えていると考えていいのだろうか。







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神殿の千木は縦と横の中間程度の趣。



住所は小城郡の頃、春田村大字晴気字本山だった。

「春田」は「原田」という表記を縁起で見かけた。
また「本山」という地名も縁起に出てくる。

20180527



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by lunabura | 2018-05-27 21:59 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(3)

ウーナ41 天山9 岩蔵天山神社2 七面天王



ウーナ41

天山9 岩蔵天山神社2 

七面天王
 

前回、岩蔵天山神社から見える山を載せると、すぐにチェリーが作図してくれた。






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以下、メールより。
「岩蔵天山神社からのカシミール画像を作成してみました。

(かなり広角にしてありますので、実際と少し違った感じになるかもしれません)
「天山」は見えるようです。直線距離で5.5kmくらいです。


「あめ山」と「上宮」は419mの山にギリギリ隠れてしまうようです。

きれいな三角形に見えるのは、ピークではなく、愛宕山から延びる稜線の端になります。
ここからなだらかに愛宕山まで登る地形になっていますので、愛宕山の頂上は見えません。
この三角形の左下を、明星山からのラインが通ります。

参道から社殿の方向は、真西より南へ2°くらい傾いた方向のようです。
少し角度がずれますが、lunaさんが感じられたように、この三角形に見える山か、ラインの通過点を意識して社殿が建てられたのでは?と私も思います。

まあ、その、たまたまラインの通過点を白い印にしてあるのですが、松の梢にとどまった「光」の場所をここに仮定すると、ちょうど「里に照り渡った」という感じになるんじゃないかと、ふと思いました。」
以上、メールから。

見えている三角形の山は愛宕山の稜線の端だそうだ。
ちょうど三角屋根の家を横から見たら三角形に見えるようなものだ。

此処から見える姿の美しさからは、このように見える場所だからこそ、
ここを聖地として選んだようにもみえる。



さて、光が松の梢に留まった場所についてはまだ不明だが、「あめやま」の頂点近くではないかと思っていた。

チェリーはラインが通る白い点の場所だったら、里に照り渡ったという描写に合致するのでは、という意見だ。
なるほど。
異なる意見を交わすことでより詳細な世界が描きだせる。








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これは境内の右手の道路から天山方面を撮ったものだ。

正面の少し尖ったピークより左奥に見えるフラットな山頂が「あめやま」のようだ。








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これは境内の池のようす。小島がある。
弁財天を祀る池のパターンと思われるが、その水の透明さは格別だ。







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そして、これは境内にあった祠。
石で作った神像が鎮座していた。

左の女神は「七面天王」と書かれている。
これは七面天女のことだろうか。そうすると弁財天となる。

「ひめちゃご」で七色が七回、七面山に登ったことを思い出した。





異世界小説 
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by lunabura | 2018-05-26 22:05 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(1)

第14回 バスハイクは裂田溝(さくたのうなで)



第14回

バスハイクは裂田溝(さくたのうなで)



6月14日のバスハイクは那珂川町など、福岡の西、南西部をご案内します。


福岡市の鳥飼八幡宮や小戸大神宮は神功皇后の出港や帰還の話を伝えています。
そこに龍のパワースポットで有名になった妙見神社がありますが、参拝しますよ。
歴史的には見張り台だったんじゃないかな。

壱岐真根子社もすぐ近くです。


『日本書紀』には住吉神が仲哀天皇に「天皇の船と神田」を求めたために、
天皇が怒ったという話が書かれています。

神功皇后と武内宿禰が裂田溝を作ったことも書かれていますが、
那珂川町に行くと、それは住吉神のためだということが分かりました。

全国の住吉神社の元宮が現人(あらひと)神社ということになります。

裂田溝のスタート地点には伏見神社、途中に裂田神社、
下流域に現人神社が鎮座します。
轟の丘もすぐ横です。
今回はバスがあるので裂田神社から少し歩いて、
下流でピックアップしてもらうようにしました。

自家用車ではなかなかできない散策です。
阿蘇Ⅳの溶岩など見れるんではないかと期待しています。
真夏でも涼しかったので、楽しみです。
また丸ノ口古墳公園は露出した石室やかつての博多干潟の眺めを。



そこから南下して春日市奴国の丘歴史資料館で見学とレクチャ。
さらに南下して装飾古墳の五郎山古墳石室見学とそばの筑紫神社へ。
近場なので、ずいぶんたくさんまわります。

天神を9時に出発して5時ごろ帰着の予定。
いつもは8時半出発なので、時間を間違えないでくださいね。


① 鳥飼八幡宮(下76)福岡市
② 小戸大神宮(下74)福岡市
③ 小戸妙見 福岡市
④ 壱岐神社 福岡市
⑤ 現人神社(下65)
⑦ 伏見神社(下64)
⑥ 裂田神社(下66)
⑧ 丸ノ口古墳公園 
⑨ 春日市奴国の丘歴史資料館
⑩ 五郎山古墳   
⑪ 筑紫神社

参加できない方も、効率良い回り方として参考にしてください。
(下)は『神功皇后伝承を歩く』下巻のことです。


住吉の里
2018年6月14日(木) 参加費 4000円    
主催 歴史と自然をまもる会

申し込み 092-408-7140(火~金)10時~4時
メールより電話が確実です。




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by lunabura | 2018-05-25 21:32 | バスハイク | Trackback | Comments(5)

一つできた



二回分のバスハイク、取りあえず一つ分を作り上げました。
(締め切りが近い(;'∀'))


心に浮かぶ方を先に作ることにしたのですが、
安心院の京石やこしき石、川籠石、
あるいは丘に鎮座する神社、
火口湖にできた田んぼなど、
もう一度訪れたいシーンが次々に出てきます。

そこで安心院の方を作りました。
天神から高速で約2時間かかりますが、
一つの地域だけに絞るので安心院内での移動時間は少なく、
8か所もリストアップすることができました。

帰り着く時間も6時ごろ。
まだ明るい時間に戻ってきます。
もうすでにワクワクです。

このご案内は来月にはできそうですよ。

その前に、6月に行く那珂川~春日~筑紫野の方の詳細をUPしますね。




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by lunabura | 2018-05-24 23:05 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

やっぱり来た



そろそろ、7,8月のバスハイクの準備にはいらなきゃ。
と思っていたら、やっぱりきましたよ。
打ち合わせの電話。

昨年は、真夏はお休みしたのですが、
今年は8月も行こうかなという気分。

温度差の激しいバスと外界を何度も乗り降りするのは良くないので、
遠距離をクーラーの効いたバスに乗っていくのがいいなと思っていました。

そこで、安心院(あじむ)行きを決定。

実は、安心院は糸島の女神巡礼のバスツアーの企画後、
すぐに心に浮かんだエリアでした。

緑の広葉樹が緑陰を作っているシーンが何度も浮かぶのです。

多分、安心院のあの神社。
歴史と自然をまもる会のHPで公開後にこちらでもご案内します。


ある人に「昨年はビールの試飲だったけど、今年は?」
と聞かれたのですが、今年はワインの試飲となります^^

7月は神功皇后の出産への道のりを伝える糟屋郡巡りです。
駕与丁公園のバラもまだ綺麗だと思う。

何処でご飯を食べるか、今から調べます♪

そうそう。

6月14日(木)のバスハイク、
春日市奴国の丘歴史資料館での「須玖岡本遺跡の講座」と、
五郎山古墳の石室入室の手続きも完了しました。

申し込みは「歴史と自然をまもる会」火~金 10時~16時
092-408-7140
にどうぞ。
どなたも参加できます。参加費は4000円です♪






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by lunabura | 2018-05-23 21:21 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

にっき 豊姫信仰など



二日もブログを書いていませんね。

その間、小城鍋島家Tenでの歴史カフェの資料を作成していました。
淀姫と豊姫と豊玉姫
ブログではもう何度も過去記事に書いていますねえ。

今回は與止日女(よどひめ)神社(佐賀)と止誉比咩(とよひめ)神社(下巻56赤司八幡神社の古称)の比較もしてみます。


すると、豊姫信仰が筑後川流域に広がっていたのが見えてきました。
豊姫とは神功皇后の妹ですね。
武内宿禰の妻となりますが、なかなか子宝に恵まれなかったようすも與止日女神社の話から伺えます。

それでも、シャーマンとしての力が広く信仰されていたのでしょう。
志式神社の浜で干珠満珠を海神から授かった巫女ですから。

與止日女神社と止誉比咩神社の共通点は数メートルもの高さが変わる有明海の波が寄せる所ということです。

そこは夜渡(よど)七十という七十年に一度の大津波が有明海から遡上する地域。

女神たちの祭祀から古代の人の営みが見えてきます。






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by lunabura | 2018-05-22 22:01 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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