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ひもろぎ逍遥

<   2018年 12月 ( 22 )   > この月の画像一覧

大晦日

 

大晦日も夕方五時を過ぎました。
おせちを作っている途中で休憩です。

今作ったのは「リンゴきんとん」。
ハガキ道の坂田道信さんが我が家で「重ね煮」の料理教室をされた時に習った一品です。

お砂糖の代わりにリンゴを煮たものを入れます。
サツマイモは皮をむいて普通にゆでてつぶし、リンゴは小鍋で煮てつぶして合わせるだけです。

でも、リンゴはすごく焦げやすいので、少し水を入れて煮ています(邪道(笑))
その甘い煮水も一緒にサツマイモに投入すると、イモがふわっとなって口触りが柔らかくなります。
塩とバターも入れています。(邪道(笑))
バターを入れると日にちが経っても口触りが変わりません。

フルーティな「きんとん」は、お砂糖なしで甘くて美味しいですよ。

量は適当です。
サツマイモ一袋とリンゴ一個、バター大さじ1かな。

あれ、いつのまにか料理の話になっちゃった。

大掃除も一週間前から少しずつやりました。
例の如く積み残しがありますが、続きは夏にします(笑笑)

昨夜はタケシのピラミッド番組を見ました。
吉村作治さんが、ついにクフ王の墓の場所を特定して、許可を得て2021年から発掘するそうですね。
その場所はスフィンクスを通る夏至ライン上にあります。
夏至ラインは二つのピラミッドの中間を通っていて、スフィンクスから見ると、その間を夕陽が沈みます。

日本でいえば二上山の間に日が沈むイメージです。このような地平線を「アケト」というそうです。

太陽の船、二艘とも吉村作治さんの発見ですが、キャビンとか、船首の形状とか、やはり日本の装飾古墳の画と同じです。見れば見るほど。発掘が楽しみですね。


12月には篠田謙一さんの「DNAからみた弥生人と安徳台の有力首長たち」を受講してきました。この内容を書く力量はありませんが、歴史カフェでお話しした「糸島―木花咲耶姫伝承とエジプト人渡来伝承ー」の裏付けとなる内容でしたよ。

今年はこれまでの記事をまとめながら、一方で不思議な体験も綴りました。
来年は何が起きるのでしょうか。まっさらな気持ちで迎えたいと思います。



それでは皆様よいお年を。


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by lunabura | 2018-12-31 17:48 | にっき | Comments(0)

北部九州の古墳 3、4、6世紀 分布図 2018年版だよ


北部九州の古墳分布図 

3、4、6世紀 2018年版





この年末は古墳を学んできましたが、更新中の分布図を並べてみようと思います。

私が行った古墳を中心にしているので、学術的なものではありませんよ。

取りあえず、2018年度版として並べてみます。


まだまだ在庫はあるし、ブログに書いていて洩れているものもあります。
でも時代感というのが分かって凄~く面白いです。






3世紀後半

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4世紀後半


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ピンクは女性と判別しているもの。







6世紀

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□は群集墓。※訂正 仙⇒仙道古墳。小竹町 竹原古墳 ⇒ 宮若市 竹原古墳。

不思議に、他の時代はほとんど行っていません。
これらの古墳は破壊されずに残されていて、一般人が見学しやすい環境だという条件をクリアしたものばかりです。
個人的な縁で訪問したものに限っているので、先程書いたように学術的なものではありません。

でも、通してみると古墳の形の変遷がよく分かります。
前方後円墳は柄鏡型からバチが開く形へ変化しているのは間違いないでしょう。



また、磐井の乱後、八女や糟屋ではまだ大きな前方後円墳が造られますが、その後は美しい円墳に横穴石室、その中に装飾画が施すのがブームになっていくのもよく分かります。

6世紀が多すぎて、この先どないしようと思ってしまいます。
三つの時代に分けるのが良いのかな。

でも、資料で年代がはっきりしないのがあるので、それをどうするのか、という問題があります。



20181229




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by lunabura | 2018-12-29 21:29 | <古墳シリーズ> | Comments(2)

♪ツタノから




ツタが紅葉していました。








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「イソラ2018」の舞台となった多次元ホールの壁です。
ツタは好きな植物で、庭にも植えています。
庭花に添えて活けるのが好きです。

で、ツタといえばペギー葉山の

♪つたのからまるちゃぺるで 祈りを捧げた日♪

という歌を思い出します。
子供の頃、聞きながら、私もそんな「学生時代」を送りたいと、女学生姿に憧れたものです。

でも、「蔦野からマルチャ・ぺルデ」とは何処だろうかとずっと思っていました。
ドイツあたりの話だろうと勝手に思い込んでいたのです。

「蔦の絡まるチャペルで」という意味だと知ったのは、それこそ少女時代になってから。笑笑。

こんな話をすると、
「神の味噌汁」ってどんな味噌汁かと思ったという話をする人も。
「神のみぞ知る」という意味だと知ったのは大人になってから。

子供の頃、あるある、ですね(*’▽’)


ところで、今日はバスハイクについて連絡がありました。
  1月31日 残席あり
  2月22日 キャンセル待ち
だそうです。2月の方が先に満席になりました。タケル人気、恐るべし。
遠方からの申し込みもあったということで、ありがとうございます。

2月22日は新延大塚古墳の中に入るので、懐中電灯を持って来てください。百均で買える小さいのがお勧めです。

3月と4月も格別なところにご案内すべく、計画に取り掛かります♪

20181228



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by lunabura | 2018-12-28 20:29 | バスハイク | Comments(0)

小正西古墳 飯塚市 6世紀後半 美人巫女 円墳 二つの石室 



小正西古墳 

飯塚市 6世紀後半 美人巫女 円墳 二つの石室 



小正は「おばさ」と読みます。
飯塚市小正の丘の上、住宅に囲まれて古墳公園として残されています。




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何よりも、巫女の埴輪が魅力的な古墳です。
頭に「かふり」を付けていますね。これが島田髷という髪型ではないのがよく分かる埴輪です。アジアの民族衣装に残されている「布製のもの」です。







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かわいい古墳です。






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石室が二つあるのが印象的でした。







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正面にあるのは1号石室です。掲示板に
「盗掘のため奥壁の一部と右壁が破壊されていました。長軸4.5m、短軸2.1~2.9mを測る平面羽子板形の横穴式石室です。奥壁より約0.7mの位置に碓井板石を立て、屍床として区画し、石室壁面には赤色顔料が塗布されていました。
出土遺物 木芯鉄張鎧、壺鐙、f字形鎧板、鉄刀、鉄鏃、翡翠製勾玉、碧玉製管玉、ガラス玉等」
とあります。

6世紀後半で鎧や馬具などが出ています。磐井の乱527年ですから、その後も武具が副葬される時代が続いていることになります。



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これに直角に造られた石室は2号石室で、盗掘犯も気づかず、未盗掘でした。

こちらは小ぶりです。人骨が四人分検出されています。

主な出土品は銅鏡(珠文鏡)、鉄刀、鉄鏃、鉄刀子、鉄鉇、鉄鑿、鉄鋸、水晶製勾玉、瑪瑙製勾玉、石炭性算盤玉、ガラス玉等
となっています。

武器以外にノコギリ、ヤリガンナなど、大工道具が納められていますね。

当初から石室を二つ設計したと想像していますが、一家が埋葬されているのか、DNA検査など進むといいですね。

これらの出土物や埴輪をどこで見学できるのでしょうか。不明です。







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これまでブログに挙げたもの、訪問してまだ挙げていないものを載せてみました。

6世紀の前半と後半に分けたいのですが、「6世紀」だけしか書かれていない古墳があるので、取りあえず100年分を載せました。 

大型古墳からだんだんシンプルな円墳に変化していくようです。小さな古墳群や横穴も出てきて、磐井の乱後は首長中心の世界観から、個人や集団を第一に考える意識が芽生えていくようにも見受けられます。価値観が変化していくような気がします。

この分布図を作成していると、行った所が多いので驚きました。神社巡りの時に近場の古墳もついでに回る程度でも、意外に沢山の古墳を見学していました。

これに加えて歴史資料館の出土物も見るように心がけていますが、こうして掲示されていないとすご~く困難な作業となります。

「古墳―出土物―歴史資料館」この連動が大切ですね。


20181227





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by lunabura | 2018-12-27 20:17 | <古墳シリーズ> | Comments(0)

焼ノ峠古墳 絶景の前方後方墳 四角だよ 3世紀後半


焼ノ峠古墳 

前方後方墳 3世紀後半






 広~い筑後平野の真ん中にポツンと見える独立丘。
それが花立山(城山・じょんやま)です。






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隼鷹神社 上巻34)
どこからも見えるのですが、その丘に前方後方墳があります。









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四角と四角が組み合わさったものです。「やきのとうげ古墳」です。


保存していた画像が行方不明(-_-)
撮らなかったのかも知れないなあ。ま、1月のバスハイクで撮り直してきます。




この珍しい古墳は3世紀後半となっています。
前回の光正寺古墳と同じ時代なのです。


確か掲示板には発掘のためにトレンチをいれたものの、埋葬施設が見つからなかったという内容が書かれていたと思うのですが、古墳の本では墓壙の輪郭のみ確認されたと書いてあります。曖昧なので、来月、掲示板を確認してきます。


3世紀後半ですから、卑弥呼が死んで(248年)、男王が立ち、それから壹與が立てられる頃になります。

被葬者はやはり卑弥呼の事を知っていることになります。



ここは朝倉郡筑前町四三嶋(しそじま)です。
「四三」は北斗七星を指す場合があります。
「三」は南北を指す場合もあるので、いずれなのか検討を要します。

この朝倉郡筑前町からは1世紀の硯の破片が複数発見(再評価)されたので、かなり古くから文字を知った人たちがいることが分かっています。

大己貴神社からも4キロほどなので、羽白熊鷲の滅亡が3世紀初頭(日本書紀による)とすると、それから朝倉は平穏になっていたかもしれません。

それからしばらくして3世紀後半にここの豪族は前方後方墳を選んで埋葬されました。







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同じ3世紀後半に宇美町では前方後円墳の光正寺古墳が造られたのですから、二種類の形が存在するのは興味深いですね。





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で、グーグルなどを見ていると、近くには前方後円墳の痕跡がいくつも見えるのです。消失した古墳もあるとのことですが、どれを指しているのかは分かりません。
確か、石室が残っている古墳もあります。



焼ノ峠古墳 前方後方墳
【クロスロードふくおか】より
城山の北麓にある古墳時代前半(3世紀後半)の前方後方墳です。全長40mで前方後方墳としては九州最大です。当時この地方一帯を治めていた首長の墓と考えられています。





来年、2019年1月31日(木)のバスハイクは小郡や鳥栖方面ですが、この焼ノ峠古墳(やきのとうげ)にも行く予定です。



20181225



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by lunabura | 2018-12-25 20:24 | <古墳シリーズ> | Comments(2)

祈りとは交歓か

   


月が輝く冬至の夜に、
冬至にうたう「阿知女作法」~ISOLA2018~
(藤枝守作)が催された。

暗いホールの中に一歩踏み込むと、背後から波の音が聞こえてきた。

円筒形の暗い空間はすでに海の中だった。
左右から、また上から波の音が聞こえてくる。

あのワダツミの神の世界へ、海の底へ、
現身(うつしみ)を持ちながら踏み込んでいく、しつらえだった。






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床の中央には志賀島が白く映し出されていた。

そこを貫く塩の道。

この日、冬至の太陽はこの塩の道を通って行った。

到達点は沖津宮。


志賀島に重なって満潮の波のたゆたいが映し出されると、自分は浜辺に立っていた。
波の音が上から響くと海の底で揺れている。

観客は音と映像によって、海の底、荒磯の浜辺、そして天空からと多次元の視点を持たされた。
それは肉体の耳ではなく、魂の次元で聞くことを促した。

そこに風の音か、海の中の音か、形を成す前の未分化の精霊の吐息か、土笛が結界を歩む。

それは鳥のさえずりに変わり、あるいは精霊の目覚めの歌なのか、響きを刻々と変えていく。
竪琴が植物の唄う歌を奏でる。

塩の道に対峙して座る二人の人間によって
「あぢめ~ おう~ おう~」
と磯良を呼び出す言霊が唱えられた。


阿知女作法という神楽は宮廷深く1000年以上も前から奏されているという。
冬に天皇の御霊を奮う御神楽として。

その美しいメロディーは魂の記憶を揺さぶる。

磯良の出現を促す御神楽は祈りそのものだ。


「祈り」とは願いではなく、交歓なのかもしれない。

「いのり」という言葉も「い」(神聖)と「のる」(言葉を発する)からできている。

精霊や神に届くのはその世界の音魂や言霊なのだ。

研ぎ澄まされなければ到達できない波動の世界。

いにしえの日本人はそれを良く知っていて、このような御神楽を生み出したのだろう。

「神楽」とは「神が楽しむ」と書く。



笙(しょう)は天上界の音の響きを持つという。

それによって天上界を演じるのではなく、天上界と人間を結ぶ音魂として創造されたのだと、この日理解した。



万葉歌が新しいメロディーを得て歌われた。

海原の 道遠みかも 月読の 光少なき 夜は更けにつつ 巻七1075

志賀の海人は め刈り塩焼き 暇なみ くしらの小櫛 取りもみなくに 巻三 278

志賀の海人の 塩焼く煙 風を疾み 立ちは上らず 山にたなびく 巻七 1246



それは曙光の女神のように
萎えた太陽の新生の寿(ことほ)ぎのように響き渡った。


このような世界を生み出そうとする藤枝守と志賀島。

この鬼才と同じ時代を生きて目撃していくことの不思議を思う。




20181223

ブログを見て沢山の方が来てくださいました。ありがとうございます。
最後、アフタートークで藤枝氏からヤバいこと言われましたねえ。
それが叶うように精進します^^ 



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by lunabura | 2018-12-23 20:47 | 甕の音なひ | Comments(2)

光正寺古墳 3世紀中~後半 前方後円墳 箱式石棺・割竹形木棺



光正寺古墳 

卑弥呼を知る世代





光正寺古墳は福岡県糟屋郡宇美町にあります。








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施設入り口から、後円部がど~んと目に入ります。



博多湾に注ぐ宇美川の右岸の丘陵の上で、宇美川流域を見下ろしています。


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後円部から前方部の中心ライン上で撮りました。







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これは前方後円墳ですが、柄鏡型なので、これまで見て来た4世紀後半の古墳に繋がっていくような存在になります。

やはり竪穴式の墓壙がありますが、何よりも特徴的なのは三種類の棺が並んでいる点です。これを見て何としても見たいと思ったのです。

そして、驚いたことに、沖出古墳の真西にあることをチェリーさんが発見しました。
埋葬施設も東西軸です。今日のキーワードは「東西」ですね。


埋葬の様子がよく分かる絵が掲示板に掲げられています。








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番号順に埋葬されているそうです。
注意してみると、1→2、それから3→4→5なので、二つのグルーブには少々時間差があります。

一つずつ見ていきましょう。

①は川原石を敷き詰めて箱式石棺を組んでいます。これは福岡では各地でよくみられる棺ですね。

そして興味深いのは、その石材が能古島、月隈、若杉山から持ち込まれたものだという事です!これはいったい何を伝えているのでしょうか。

能古島も月隈も奴国のエリアにあります。

若杉山はどうでしょうか。神功皇后がこの木の杉を香椎宮に植えたという話があるように、地元では聖山です。当然ながら、この被葬者は神功皇后の話を知っています。

三ヶ所から運び込まれた石は被葬者の縁がその三ヶ所に繋がっているから使用したのでしょうね。

しかもこの人が一番最初に埋葬されています。男性か女性かは分かりませんが、立地からは首長なのでしょう。

②の小さな箱式石棺はその人の子供と思われます。地元の砂岩の石棺に納められました。親に続けて亡くなったのでしょうか。すぐそばに埋葬されています。






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この復元レプリカは宇美町歴史資料館にあります。朱のようすが良く分かりますね。

宇美八幡宮の右手にある資料館です。隣接しています。




③は割竹形木棺です。配偶者と思われますが、自分の故郷の埋葬型式を持ち込んだのだと思います。

割竹形木棺で、これまで出会ったのは糸島市、那珂川市、宗像市です。もちろんこのほか沢山の地にあるので、特定はできないのでしょうが、印象としては福岡県の西部や西南部の感じがします。この人の脇にも子供が一人埋葬されているんですね。それが④です。

④の甕棺はやはり奴国や伊都国のイメージと重なってしまいます。子供が甕に埋葬されるケースは板付遺跡でも見ましたね。ちなみに宗像市では甕棺は出ないそうです。
(一点のみ吉備式が出土している)

⑤の箱式石棺も小さいですね。一人だけ方角が違っています。両親の上座に埋葬されたような印象です。

これらを見ていると、夫婦と子供たちの家族が一緒に埋葬されているように見えます。子供が小さいので若夫婦だったのでしょう。流行り病などで短期間の内に亡くなったのかとも思いました⑤の子だけは少し生き延びたけど、やはり幼くして亡くなったような。

この夫婦は、別の国の首長同士の縁で結ばれたように見えますが、仲が良かったのでしょうね。

そして、この埋葬の優しさからは、あまり男女の格差が無いクニの姿が思い浮かびます。


さて、二つ目の特徴は「東西のライン」です。
古墳自体は東西軸ではないのですが、埋葬施設が東西軸で造られ、頭は西向きだそうです。

西が開けています。被葬者は自分の治めた国を向いているのでしょう。
でも、完全な東西なら、また何らかの思想があるのかもしれませんね。仏教に西国浄土の思想があるように。


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もう一つ、特徴は、沖出古墳の東西ラインに重なっている点でした。

何故一致しているのかは謎です。
るな的には血縁関係があったのだろうかと、考えたりしています。

この光正寺古墳が造られて100年ほど経ってから、真東の嘉麻市に沖出古墳が造られたんですね。古墳の形は同じ柄鏡型で、竪穴式石室です。でも棺は板で造ったものから、石を削って造ったものに変わりました。


築造時代は3世紀中頃~後半です。ということは、卑弥呼の死248年の同世代か次世代の人たちです。

被葬者たちは卑弥呼について知っている人たちです。







粕屋郡宇美町 光正寺古墳




見学するのは古墳が先か、宇美町歴史資料館が先か。悩みますね。
宇美町には宇美八幡宮があり、その西には巫女たちではないかと思っている古墳群があります。またいつか紹介します。

【宇美町HPより】
光正寺古墳の築造年代は、第1主体部から出土した古式の土師器で甕の制作年代が3世紀中頃から後半であり、県内の前期古墳の中でも最古期の古墳に位置づけられます。また、光正寺古墳は糟屋郡内最大の前方後円墳であることから古墳の被葬者は、当時糟屋地域を支配した豪族(王?)の墓と考えられます。

墳丘規模は全長約54m、後円部径約34m、前方部長20mで前方部2段築成、後円部3段築成の糟屋郡内最大の前方後円墳です。





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by lunabura | 2018-12-21 20:12 | <古墳シリーズ> | Comments(1)

冬至にうたう「阿知女作法」〜ISOLA2018〜 ご案内



冬至にうたう「阿知女作法」

〜ISOLA2018〜 のご案内



今年の冬至は12月22日。土曜日です。

海と神話をつなぐ〜志賀島プロジェクト2018
冬至にうたう「阿知女作法」〜ISOLA2018〜


というタイトルで神楽と新神楽があります。


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以下は案内文からです。
演目
 神楽歌「阿知女作法」
 神楽歌「千歳法」
「植物文様琴歌集〜藻塩、月読」
「植物文様ハープ曲集」
「笙・笛・琴・声」奏上 ほか

出演
石川高(歌/笙)
中村理恵(竪琴)
山中すなお(声)
渡辺融(土笛)
磯部久子、比屋根綾子(シンギング・ボール)


◾総合ディレクターのことば

 宮中の『御神楽』のなかで唱えられる《阿知女作法》。

「アチメ、オウ オウ」と呪文のように繰り返されるこの神楽歌は、海のなかにいる阿度部磯良(あどめのいそら)という神を呼び出すために唱えられたと言われています。

その磯良を呼び出す舞台となったのが志賀島の突端の勝馬。

そして、磯良を呼び出すために、この地で七日七晩にわたって歌や踊りが続き、それが神楽の発祥だったとの説もあります。


 今年8月から始まった「海と神話をつなぐ〜志賀島プロジェクト2018」。

その最後を「冬至にうたう阿知女作法〜ISOLA2018〜」と題するシアター作品で締めくくります。

公演日となる12月22日は、冬至にあたり、古代では、この日を1年の始まりとして、あるいは、生と死との境目として、特別な意味づけを与えていました。

 志賀島・勝馬の沖津宮を起点として、冬至に昇ってくる日の出の方向にラインを延ばしてみると、ほぼ、その線上に箱崎宮や宇美八幡宮、竈門(かまど)神社など、いくつかの神社が並びます。まさに、冬至の日の出のなかに神々がつながるのです。


 9月8日に志賀海神社にて「長月にうたう阿知女作法」という奉納演奏が執り行われました。

その奉納演奏に引き続いて、本公演では、12月22日の冬至の日に多次元ホールにて、ふたたび「阿知女作法」を唱えることになりました。

唱えるにあたり、多次元を志賀島に見立てる手立てが施されています。

まず、葉脈のように絡み合う志賀島の等高線の地図がフロアに映し出され、そのうえに沖津宮近くの潮が干満する磯辺の映像が重ねられます。

つまり、この舞台での演目は、潮の干満のプロセスのなかで展開するのです。



 神功皇后の伝説では、龍宮にて干珠満珠の二つの珠を磯良は受け取り、皇后に渡したとあります。

この霊力のある二つの珠は、干満という海の秩序の象徴とも考えられ、また、潮についての古代の海人(あま)の知恵とみなすことができるでしょう。


 冬至のラインが塩によってくっきりと描かれ、地図上の砂嘴(海の中道)を「橋懸かり」に見立てた多次元ホールの舞台は、志賀島そのものに変換します。

まさに、志賀島という仮想の舞台のうえで、潮の干満が響き合い、「阿知女作法」や「千歳法」という志賀島にゆかりの神楽歌が唱えられ、さらに「月読」や「藻塩」などの「植物文様琴歌集」が織り込まれていきます。


 イタリア語で「島」を意味する「ISOLA」は、また、身体を海水に浮べたような感覚をもたらす「isolation tank」を想起させます。

おそらく、海中のISOLAは、変性意識のなかにあったのかもしれません。

そして、海から呼び出されたときに、海藻などが付着した顔を隠すために白布でおおったといわれています。

その顔の表情は、まさに、潮が引いたときの磯そのものであり、ISOLAが海の精霊の化身であることを物語っています。


                        藤枝守



◾日時:12月22日(土) 17:00開演(16:30開場)

◾会場:九州大学大橋キャンパス多次元デザイン実験棟ホール
  
      福岡市南区塩原4-9-1
      西鉄天神大牟田線「大橋」駅より徒歩5分

◾定員:100名

◾入場料:無料(完全予約制・要事前予約)

◾予約方法:以下のいずれかの方法でご予約ください。

1)peatix:https://isola-2018.peatix.com

2)e-mail:info@accordion-lab.com

3)電話:090-8624-1670(山口)



※※ ※
今回の内容は今秋、志賀海神社で奉納された内容と同じだそうです。
るな的には秋の奉納は見れなかったので、再演されるのが有り難いです。

申し込みは三つの方法があるので、ご自由に申し込んでください。

無料なので「確実に行けることが分かった段階」で申し込んでくださいね。
また、やむなくキャンセルする時には速やかに先方に連絡してくださいませ。



なんと、当ブログの読者の参加は大歓迎だそうですよ(^^♪
遠慮なく申し込んでください。


次は翌日のイベントです。

2018年12月23日(日)11:00-14:30


音響展示「干珠満珠」(制作:藤枝守)
場所:九州大学大橋キャンス多次元デザイン実験棟ホール

神楽歌《阿知女作法》のなかにも歌われる磯良は、志賀島・沖津宮周辺の海から現れたといわれています。

その沖津宮周辺の磯辺での大潮における干満の変化を収録した映像(渡辺圭介制作)とともに、その潮の変化を音響化したインスタレーション。

入場無料・申込不要





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by lunabura | 2018-12-21 09:12 | 甕の音なひ | Comments(2)

北部九州 古墳分布図 四世紀後半



北部九州 古墳分布図 

四世紀後半



 「四世紀後半」の向野田古墳と沖出古墳を続けて投稿したら、やたら「四世紀後半」のキーワードが目につきまして。

 自分の過去ブログを見るといくつかUPしていました。それを整理してみると、みんな柄鏡型古墳でした。

 柄鏡型古墳だから四世紀半なのか、埴輪が朝顔形だからそうなのかは分からないのですが、地図に落としていくと、何となく倭国の力学関係も見えるような感じがして、ちょいと面白い。









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小郡市の消滅した三国の鼻一号墳が四世紀中頃ということなので、この中では一番古いです。沖出古墳は四世紀の終わり頃なので、一番新しいと思います。

 名前の後の数字が全長で、メートル単位です。

 大きさでは一貴山銚子塚古墳がダントツで、副葬品も一番多いです。一度行ったことがあるのですが、あまり価値が分からない頃だったので、今はこの古墳をもっと知りたいと思っています。埋葬状態がそのまま残っていたのです。

多数の鏡など、出土品は京都大学が持ち去ったので、地元の私たちは見ることが出来ません。平原遺跡と共に博物館で見られるようにしていただきたいなと焦がれている古墳です。

せめてカラーのパンフレットが欲しいですね。いつも書いていますが、持ち出した大学や資料館は地元に還元して啓蒙する義務があると思います。年に一度の里帰り展などを積極的に企画してほしいですね。

 さて、免ケ平古墳は現在、西日本新聞で掲載されているのですが、三角縁神獣鏡が出ています。卑弥呼より100年以上経っても、銅鏡が愛されているのが良く分かります。
 
 この分布図は今現在出会っている古墳ばかりです。これから少しずつ更新していくことになると思います。

謎の四世紀と言われますが、神功皇后を支えた豪族たちと重ね合わせていくと、誰がここにいたか良く分かりますね。

次の時代になると鎧や兜が見られるので、四世紀後半はまだまだ弥生の彩りが残っているような印象があります。

20181219




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by lunabura | 2018-12-19 22:48 | <古墳シリーズ> | Comments(0)

バスハイク 2019年1月と2月 ご案内



バスハイク 2019年1月と2月




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来年、2019年の1月と2月のバスハイクのご案内です♪


小郡~鳥栖   ヒメコソ神の里めぐり 2019年1月31日(木)
 



筑紫野市の五郎山古墳は装飾古墳で、すぐ近くに筑紫神社があります。小郡市の竈門神社は山下影姫(武内宿禰の母)の神廟と伝えられ、近くに壮大な小郡官衙遺跡があります。

福童神社は火明命を祀り、二つのヒメコソ神社は肥前風土記に出てきます。これらヒメコソ神とニギハヤヒ神信仰の里を訪ねましょう。

藤原広嗣創建の大中臣神社も近くです。このほか、井ノ浦古墳公園や前方後方墳の焼ノ峠古墳なども見学します。

天神8:30―(筑紫野市)五郎山古墳―筑紫神社―(小郡市)井ノ浦古墳公園―竈門神社玉母宮―小郡官衙遺跡―福童神社―(鳥栖市)姫古曽神社―(小郡市)大中臣神社―媛社神社―(筑前町)焼ノ峠古墳―天神 



中間・水巻・鞍手 

日本武尊と斉明天皇の足跡を訪ねて 2019年2月22日(金




天神8:30―(中間市)御館山―(水巻町)八所神社―八剣神社―立屋敷遺跡―水巻町歴史資料館―(八幡西区)杉守神社―(鞍手町)剣神社と鎧塚古墳群―新延大塚古墳―熱田神社―八剣神社―六嶽神社ー天神



中間市に斉明天皇の行宮を伝える御館山があります。斉明天皇は近くの八所神社で戦勝祈願をしますが、そこは日本武尊も祭祀をした所でした。

周辺には日本武尊の足跡が多く、愛姫の砧姫を伝える八剣神社、香月氏の発祥の杉守神社、武尊が鎧を脱いだという剣神社、武尊を歓待した八剣神社、熱田神社などがあります。

また、三女神の降臨を伝える六嶽神社や新延大塚古墳なども回りましょう。


◆申し込み 歴史と自然をまもる会 092-408-7140 (火~金)10時~16時
      4000円


 
◆神功皇后100社巡りが終わって、新たにポイントを決めてバスハイクの案内をします。取りあえず、物部氏関連の神社を回ろうと思って企画しました。真冬なので平地を中心にまわります。雪の心配がなくなったら山の方にも行きたいですね。


1月31日(木)はヒメコソ神とニギハヤヒ神関連です。古墳も沢山あるのでそれも回ります。そのエリアに小郡官衙があるので、神社や古墳などと共に地域の特徴が掴めたらいいなと思っています。焼ノ峠古墳は前方後方墳で、卑弥呼の次世代の頃になります。帰り道に寄ります。



2月22日(金)は日本武尊とそれを支えた物部氏がメインですが、そこに斉明天皇がやってきています。後半は「脇巫女」舞台の中心的存在・六嶽神社に行きます。新延大塚古墳の石室見学もします。石室のキラキラ光る石とか、必見です。この日はヤマトタケル関連ばっかりです。



20181218





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by lunabura | 2018-12-18 19:45 | バスハイク | Comments(0)

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