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ひもろぎ逍遥

<   2019年 03月 ( 25 )   > この月の画像一覧

歴史カフェご参加ありがとうございました




今日は20回目の歴史カフェを開催しました。
ご参加の皆様ありがとうございました。

講座のあと、皆さんとのおしゃべりで、龍神の話などが出てきました。

志賀島は「龍(たつ)の都」といいます。
ワダツミの神が龍神でもあるわけです。

参加者の方が、
「龍神や龍が私たちを守護し、縁を結んでくださっている。」

「自分たちの祖先や歴史を思う事を喜んでくださっている。」

そんな話をしてくれましたが、ちょうどその時、窓の隙間から風がすり抜けて「ぴゅ~~」と音がしました。

私のように見えない人には「音で知らせてくれている」んだね、と笑い合いました。
面白いタイミングでしたねえ。


アフタートークは何が飛び出すのか分かりませんが、皆さんのお話しを聞くのはとても嬉しいです。

話の中に、いろんな答えが含まれています。

今日も良いひと時をありがとうございました。



次回のテーマはもう決まっています。
準備が出来上がったらお知らせしますね。








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今日の会場前の桜は一部咲。









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入学式の頃に満開になりそうです。



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by lunabura | 2019-03-31 19:44 | 歴史カフェ | Comments(0)

今日は歴史カフェ



ただいま、町内会終了。

午後から福津市に向かいます。

久し振りの歴史カフェで、ワクワクしています。


「安曇城」が志賀島にあったことが『志賀嶋所聞録』に書かれていますが、かつてはその場所の特定がやっとでした。
今回は「金印出土地」との関連も考察できるようになりましたよ。



ところで、この公民館は宮地岳の麓にあります。
時間があれば、宮地嶽神社の桜はお勧めですよ。でも、桜は3分咲き程度かな。

今日は寒いので、暖かくしてお越しください。

今日、参加できるにようになったよという方、コメント欄に「非公開」でお知らせください。
1時ごろまで大丈夫です。


20190331




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by lunabura | 2019-03-31 11:34 | 歴史カフェ | Comments(0)

『志賀嶋所聞録』のパワポ ほぼできました。



いよいよ、明後日(2019年3月29日)、久し振りの歴史カフェですが、パワーポイントの準備がほぼ出来ました。

今日はその一部をご紹介します。









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今回のトップページ。
糸島から宮崎大門が志賀島に来て記録したものを読んでいきます。

一緒に読んで、古文にも慣れて行こうと思っています。







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一枚目と同じ沖津宮の画像ですが、これは上陸した時のものです。引潮の時に歩いて渡ることができます。ご祭神が重要ですね。











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こちらは海ノ中道にある志式神社の話です。右下にある二匹の亀は志賀海神社の境内にあるもの。その由来のページです。











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こちらは中西姓についてのページです。神功皇后が尋ねた風の理由がよく分からなかったのですが、筥崎宮の氏子さんから、秋の大風のことだと教えていただき、理解できるようになりました。











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こちらは「君が代」です。
江戸時代の記録に既に書かれているのですが、この場合の「君」は「安曇の君」のことですね。




御馴染の話や新しい話、謎が解けた物、かえって謎になってしまった物など、いろいろです。
歴史は何度も繰り返すことで、新たな発見がありますね。

皆さんのご参加をお待ちしています。





日時 2019年3月31日(日)2時~4時(1時半開場)
会場 福間中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。
会費 1500円(当日払い)


申し込み方法
1 氏名 フリガナ(あればハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (番地は不要です)
3 タイトルに歴史カフェ331希望と記入。

申し込みは
himorogi888@yahoo.co.jp
(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合があります。気にせずにご来場ください)

なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)を購入希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。



福間中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。





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by lunabura | 2019-03-29 19:57 | 歴史カフェ | Comments(0)

春の花苗



頭の中がキャパ・オーバーで、リセットに時間が掛かっておりまする。



そこで今日は野菜とハーブと花の苗を植えました。








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ビフォア。







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アフター。

今日は元気な色を選びました。
ペチュニアがこんもりとあふれて、黄色のナスタチウムが下がる予定です。

この二種類はこれまで上手く育てられなかったので、小さな挑戦になります。




実は花の苗を植えるのは数年ぶりなのです。ずっと頭の中で走り続けてたからなあ。

花を植える心のゆとりがなかったんですね。
庭は自分の心を映し出してる。




20190328





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by lunabura | 2019-03-28 20:11 | にっき | Comments(0)

春ワカメ







先日、3月21日の志賀島の沖津宮の神遊瀬でワカメを採る人たちがいました。







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ここは「御手洗」とも言い、
「イザナギ大神、与美国の穢れを洗い清め給いし所という」(訳)
と、『志賀嶋所聞録』に記されています。
ここを「大戸小戸」とも言います。


ちょうど、こんな風にイザナギ命は海に入り、黄泉の国の穢れを清めたのだろうな。

江戸時代には周知の話がいつの間にか忘れ去られたのでしょう。








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沖津宮の西の方は強風のため、波が泡立っています。泡は波の華のように固まっていて手に取れます。



そして、東の方は一転して波が穏やかです。

私も春ワカメが欲しいなと思ったのですが、海に入るわけにはいかないし。
打ち寄せられたワカメは、思えば砂だらけで、洗うのが大変なのですね。

ワカメを採るということは海に入らないとできないことで、これが「禊の印」でもある訳です。
だから、玄界灘の神社ではそんな風に砂だらけの海藻が奉納されているのを見かけます。

ああ、これを持って来た人は本当に海の中に入って禊(みそぎ)をした証拠を持ってくるんだなと理解するようになりました。

丸い袋がついてる海藻は「ガラモ」というんですね。
それが志賀海神社の奉射祭で採られるもの。

「冬至にうたう『阿知女作法』」のアフタートークで教えてもらいました。


さて、よい風物を見せてもらって有り難いなと思って帰ると、その二日目に採ったばかりのワカメをいただきました。

小さなレジ袋に入っていたのですが、これでも意外と量が多く、大鍋でやっと茹でることが出来るほどの量なのです。


そして、今日もいただきました。砂が付いていないので、やはり海に入って採られたのでしょうが、春の海は冷たいよねえ。

先月もいただいたし。海の幸は嬉しいです。

さて「大量 ワカメ」の時には、ワカメスープにします。

ごま油でワカメとシイタケを炒めて、水を入れ、お吸い物の味付けにするのです。
ワカメは炒めると意外にも茶色になりません。

とろけるような春のワカメスープです。

あとは冷凍しようっと。





歴史カフェ福津
3月31日(日)2時~4時 江戸時代の志賀島の記録 ―志賀嶋所聞録を読むー
申し込み先 himorogi888@yahoo.co.jp 詳細




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by lunabura | 2019-03-27 21:02 | 志賀島の各地 | Comments(0)

動画が出ましたよ 冬至にうたう「阿知女作法」~ISOLA2018~




動画が出ましたよ 

冬至にうたう「阿知女作法」~ISOLA2018~




昨年末、2018年12月22日の冬至に藤枝守氏による

冬至にうたう「阿知女作法」~ISOLA2018~

が催されましたが、その動画がUPされました。

会場に来れなかった皆さん、ご覧になれますよ!

実際にその場で鑑賞するのとは少々趣は違いますが、「阿知女作法」がどんなメロディーや音色で奏でられるのか、を知る事ができます。

あぢめ  おう~~~~


その神秘的な響きを実際に聞いてみてくださいね。

歌は石川高(歌/笙)です。


「阿知女作法」は大嘗祭でも奏上されるのでしょうか。

それを確認することは出来ませんが、資料には次のように書かれています。





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『即位及大嘗祭』(赤堀又次郎)「鎮魂の儀」




映像に出てくる白いものは床に映し出された志賀島です。

そしてゆらゆらとゆれるのは志賀島で撮影された波です。

潮が満ちて行き、引いていくようすが、志賀島の上に映し出されています。

上方からの画像もあり、当日鑑賞した方も違う角度の映像なので、新たな発見があります。






◾演目
 神楽歌「阿知女作法」
 神楽歌「千歳法」
「植物文様琴歌集〜藻塩、月読」
「植物文様ハープ曲集」
「笙・笛・琴・声」奏上 ほか

◾出演
石川高(歌/笙)
中村理恵(竪琴)
山中すなお(声)
渡辺融(土笛)
磯部久子、比屋根綾子(シンギング・ボール)

プロデュース 藤枝守

一時間ほどの動画です。
ゆったりとした日に古くて新しい神楽の世界を鑑賞してくださいね。

ちなみに私の感想なども過去記事に書いています。








今月末の31日には志賀島の話をするので、タイムリーでした。






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ちなみに、今年の春分の日に私はこの沖津宮に参拝してきました。






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原初の海。

この日は風が強く、砂が飛ぶような日でした。

その歴史に再び光が当たればと思っています。



20190325



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by lunabura | 2019-03-25 20:52 | 甕の音なひ | Comments(0)

岩戸山古墳(6世紀前半)と岩戸山4号墳(7世紀前半)


バスハイク

岩戸山古墳(6世紀前半)と岩戸山4号墳(7世紀前半)




インターチェンジに近い広川町の石人山古墳を後にして、岩戸山古墳に行きました。

バスが来ると、スタッフの方が出迎えてくれました。

でも、ここでは墳丘巡りを先にしてから、展示館に行く予定にしていたので、別区にさっさと向かっていると、パンフレットを持って来て追いかけてくれました。

実は、私たちはバスの中で墳丘図を見たり、説明文を読んだりして予習しているのです。


でも、せっかく来てくださったし、スタッフの方に説明していただければもっと面白くなるので、「ご一緒にいかがですか」と、こちらからなんだか変なお誘いを♪








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で、スタッフの方の説明を聞きながら別区から右回りに墳丘の麓を回り、鳥居から墳丘に上がりました。


135mの前方後円墳ですが、ここでは前方部の脇から上ることになります。


画像は前回の訪問記に




円墳上には大正14年に大神宮の石碑が建てられています。

以前は不審に思ったのですが、あとで調べると大神宮は近くから遷されたものでした。


その玉垣の近くに石室の天井石らしきものがあるという話を聞きました。
土の下なので、見ることはできません。
また、盗掘されかかったが、石室には到達していないという話も聞いています。


古墳の上には石段を上がった所に松尾社があります。
神紋は三つの松があります。三階松ではなく、下二つ上一つです。
こちらが重要だと思っています。

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さて、墳丘を降りると、「4号墳は行かれましたか?」と尋ねられました。
「いえ」
「それなら行きましょう」
と即決しました。

岩戸山4号墳の存在さえ知らなかったのですが、前方部の角にある鳥居から外に出て行きます。

細い小道を通りながらゆるやかな坂を登ると4号墳がありました。

円墳です。





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そして裏に回ると、石室が開口していました。


奥行きがあまりなく、7~8人やっと入る広さですが、構成する石が大きくて驚きました。


掲示板より
岩戸山4号古墳(下茶屋古墳) 所在地 八女市大字押田字下山

岩戸山古墳前方部より浅い谷をへだてた西側150mの所にあり、墳丘の一部を削平されている。
昭和61年(1986)の調査によって、高さは不明であるが直径30mほどの円墳と判明した。

石室は全長7.5mでほぼ南に入り口がある。石室内は全室、中室、玄室と三室ある、特異な構造の横穴式石室で、全体に結晶片岩の一枚石を用いては古式に組合わせてつくられている。

遺物は出土していないが、石室等の構造より7世紀前半期に築造されたものと思われ、八女古墳群における最も新しい時期の大型古墳である。

平成4年3月 八女市教育委員会」


磐井君の百年後ですね。




正面奥の鏡石には「卍」が線刻されています。
仏教関係のものなので、開口してから付けられたと思われます。
信仰の対象になったということなので、不動尊などが祀られたのでしょうか。
ちなみに、八女津媛神社の神紋も「卍」です。


この鏡石の天井部が空いていて、他の古墳とちょっと違っているのです。

人が多かったので石室内は上手く撮れませんでしたが、筑後国造さんとか、すでに投稿していないかな。

岩戸山古墳から2、3、4号墳と並んでいて、2、3号墳は民家の庭にあるそうです。

4号墳は一番高い所にあって展望が良く、岩戸山古墳より少し高い所にあるのかもしれません。

でも、前回の「石人山古墳と弘化谷古墳」で感じた断絶感はそれほど感じなかったのです。



磐井の乱の後の八女の古墳群から各氏族の力学関係が分かると面白いですね。

スタッフさんのおかげで、岩戸山古墳を新たに立体的な視点で捉えるチャンスをいただきました。

ここも素敵な散歩道でしたよ。



ここから再び別区に戻り、磐井の郷へ。







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新しい資料館は美術館のようなライトで照らされて、素敵になっていました。
写真撮影もOKです。
以前は書類を書かねばならなかったので、簡単になりました。


資料館は行くたびに、少しずつ見るポイントが変わっていって、同じ出土物でも受け取る情報が変わっていくのがいいですね。



さて、午前中に古墳巡りを済ませ、午後からは女神たちの聖地へ行きましたよ。



20190324


<古墳シリーズ>




歴史カフェ福津
3月31日(日)2時~4時 江戸時代の志賀島の記録 ―志賀嶋所聞録を読むー
申し込み先 himorogi888@yahoo.co.jp 詳細




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by lunabura | 2019-03-24 21:32 | <古墳シリーズ> | Comments(2)

石人山古墳と弘化谷古墳の素敵な散歩道



石人山古墳と弘化谷古墳の素敵な散歩道



昨日のバスハイクは八女(やめ)に行きましたよ!


午前中は八女古墳群の中でも代表的な石人山古墳弘化谷古墳岩戸山古墳、そしておまけに予定外の4号墳に行きました。


石人山古墳弘化谷古墳(こうかだに)は八女郡広川町にあります。
かつてナビで調べ調べ行って、駐車場にも困ったのですが、まさかの至近距離。


しかも「こふんピア広川」に駐車すれば良く、出土品などを見学したあとに古墳巡りすれば、歩いて30分ほどのそれは素敵な散歩道でした。

資料館に予約をすれば展示品の説明を受けられるそうですが、HPに書かれていなかったので知らずに残念でした。

でも、古墳巡りはガイドをしていただけました。
何しろ団体なので、道を間違うと大変だったので、とても助かりました。




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「こふんピア広川」は資料館ですが、無料なのにこんなに沢山の資料をお土産にいただきましたよ。
ファイルには装飾古墳画が載っているし、絵葉書までいただきました。

特に、石人山古墳の家形石棺の絵葉書には直弧文がくっきりと。
現地でも撮影はもちろん出来るのですが、扉の手前から写すのでこんなに鮮明には取れません。
あとで観察するのにはもってこいです。







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さて、資料館の入り口には弘化谷古墳の実物大レプリカがドーンとありました。正面に双脚輪状文が見えますね。




おまけに資料館の中は直弧文が沢山!




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こちらは石人山古墳の装飾文様です。

子供たちの作品がみんな直弧文なんです!(^^)!
各地の装飾古墳館ごとに個性的な文様があふれてます。これは面白い。

直弧文、謎杉!


また、絵葉書の一枚に鬼塚2号墳から出土した銀象嵌柄頭(つかがしら)が載っていました。(画像の緑の分)

資料館にも現物があり、写真撮影もOKでしたが、やはり上手く撮れないので、絵葉書に載っているのは有り難い。

刀身は日本刀ほどの長さで、新宮町で見た長~い刀に比べて小振りに思えました。






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さて、古墳巡りはこの石人のレプリカの横を通って行きます。

遊歩道と思いきや、すでに石人山古墳の墳丘を登り始めています。

桜の間を抜けて登ると参道の途中に出ました。参道とはすなわち前方後円墳の前方部。

後円部に向かって参拝していく感じがよく分かります。

地元では「石人さんに手を合わせに行こう」という感じで参拝されていたそうです。








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石室を守って立つ石人。







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そして、巨大な石棺。高さは140cmほどですから、露出していたら人の身長ほどの高さです。




次の弘化谷古墳へは、登って来た道を反対側に降りて行きます。

そこからの方が古墳の全容がよく分かります。







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小道に出たら左手に歩いていくとため池がありました。これは周濠という訳ではありません。




ここから長い石段を上ると展望所に。
何々?弘化谷古墳に行くのに坂を登る!!!







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振り返ってみると、矢印の石人山古墳が低く見える。
弘化谷古墳は石人山古墳よりも高い所に造られた!








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後から造られた弘化谷古墳は意図的に高い所に造られている!

石人山古墳は筑紫君磐井の祖父ぐらいの世代です。
弘化谷古墳は磐井のちょっと後。

石人文化より上に立つように、わざわざ高い所に造られている。
ふむふむ。
現地に立つと気づくことがいろいろありますね。


頂上に立つことができるのも、前回は気づきませんでしたよ。








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奥の小山が石人山古墳。

周辺で一番高い所に立ち、石人文化を見下ろす装飾文化。その石室には肥後系の石屋形。
しかも、弘化谷古墳の装飾と石屋形は王塚古墳に似てる。

そして、あの双脚輪状文が重なっている。




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肥後―八女―飯塚ー肥前
これは大きなヒントをくれています。

石人もまた肥後と筑後に多く分布する。

また時代的には
石人山古墳(石人・直弧文)-岩戸山古墳(石人)-弘化谷古墳(装飾・双脚輪状文)
となっていて、
三つの古墳は年代が連続しているのに、大きな隔たりがある。
「装飾古墳」という一括(ひとくく)りでは捉えられない断絶がある。

現地に立つと時代感と地域感が深く理解できますね。

八女の細長い丘陵の上の支配層の変遷。興味深いです。


私たちはこのあと車で15分ほどの岩戸山古墳に向かいました。



20190323

<古墳シリーズ>

歴史カフェ福津
3月31日(日)2時~4時 江戸時代の志賀島の記録 ―志賀嶋所聞録を読むー
申し込み先 himorogi888@yahoo.co.jp 詳細




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by lunabura | 2019-03-23 18:13 | <古墳シリーズ> | Comments(0)

第20回歴史カフェ「志賀島所聞録」のご案内



『香椎宮史』(広渡正利)の附録に「志賀島所聞録」(宮崎大門)が載っています。

幕末に糸島の老松神社の神職だった宮崎大門が志賀島で聞き取りをしたものです。

小さな書物ですが、目録には
○志賀嶋 ○神社 ○神号 ○安曇連 ○古戸清水 ○長生竹 ○神遊瀬 ○大戸小戸 …

などなど、志賀島の地名由来や家紋由来、二つの亀の由来、安曇連の城の場所、
安曇氏の紋が扇、中西氏の紋が舛である理由など簡潔に記されています。

その中に
○御手洗 伊邪那岐大神与美国の穢を洗清給ひし處と云。

という驚きの一文を見つけて、何度も志賀島に通い、神社に尋ね、また地元の方に教えていただいて、勝馬の沖津宮の海域の話だと分かりました。そこを大戸小戸とも云います。

イザナギ大神が大戸小戸でミソギをし、そして生まれた八百万の神々の内、ワダツミ三神が沖津宮、中津宮、表津宮に祀られています。

また豊玉彦の母系としては豊玉姫、玉依姫が知られていますが、父系の記録も書かれています。

志賀海神社の神楽歌に君が代が含まれていますが、これもこの史料に書かれています。ずっと変わらずに言上されているのですね。

また、香椎宮の綾杉はこれに干珠満珠を付けて奉納されたもの。


それぞれの内容については既にブログや拙著に書いていますが、今回あらためて史料を通して志賀島と安曇族を見ていきましょう。

パワーポイントで現地の画像を見るので、ガイドブック代わりになります。



タイトル
江戸時代の志賀島の記録 ―志賀嶋所聞録を読むー


日時 2019年3月31日(日)2時~4時(1時半開場)
会場 福間中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」

所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)

交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。

会費 1500円(当日払い)


申し込み方法
1 氏名 フリガナ(あればハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (番地は不要です)
3 タイトルに歴史カフェ331希望と記入。


申し込みは
himorogi888@yahoo.co.jp
(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合があります。気にせずにご来場ください)

なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)を購入希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。




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拙著『神功皇后伝承を歩く』下巻より 志賀海神社


福間中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。




歴史と自然をまもる会
HPはコチラ
バスハイクの旧記事はコチラ
申し込みは 092-408-7140
3月22日(金) 岩戸山古墳と八女津媛神社


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by lunabura | 2019-03-23 08:44 | 歴史カフェ | Comments(0)

5エジプトシンボル オシリス2 ジェド柱に三笠宮は穀霊を見い出した オシリス神話


5エジプトシンボル オシリス2 

ジェド柱に三笠宮は穀霊を見い出した オシリス神話






オシリス神の姿については前回記したが、そのオシリスはジェド柱で描かれることがある。








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これがそのジェド柱。護符として身に着けるためのミニチュアなどが見られる。
これがオシリスと同じというのだ。


『エジプト神話シンボル事典』によると、

「最もありうる解釈はジェドとは、もともとそのまわりに穀物の穂が幾重にも結びつけられた棒であったというものである。この柱は田舎の豊穣の儀式でひと役果たしたのである。それは柱が穀物のエネルギーがたまっている力のシンボルであったからだ」
とあり、訳もこなれていないせいか、理解しにくい。



これについて、明解な解説をしているのが『古代エジプトの神々』(三笠宮崇仁)である。


穀霊【オシリス】
そもそもオシリス神話は、農耕生活の中から生まれてきた。

本来オシリスは穀物―それは穀霊におって生を得、成長し、実を結ぶ生物―であった。」

とあり、ジェド柱に「穀霊」という概念を打ち出している。

これが日本人には良く理解できる。日本人と古代エジプトに共通する概念である。



一部を省略して続きを読もう。
「ジェド柱は―略―本来は植物の茎を束ねた柱だったらしい。

上方に横棒が数本あるのは、その柱に結びつけられた麦穂を表していると見られる。

そうすると、この柱が農耕儀礼に用いられたことは確かであり、ジェド柱には穀物のエネルギー、つまり穀霊が宿っていたことになる。

そしてジェド柱は「安定」とか「永続」とかを願う護符に用いられるようになった。」

と記されている。

ジェド柱はこの他、「シリウスの背骨」とも言われている。




さて、オシリスが冥界の王であり、穀霊でもあるということを理解するためには、オシリス神話を知る必要があるのだが、ウィキペディアを見ても要領を得ない。

オシリスとイシスは兄妹でありながら、結婚した。

この近親婚は古代エジプト人にとって重要なテーマを含んでいるからこそ、語り継がれたはずである。

神話はエジプトの数千年間の各地の話が集合して、形成されたものなので、ストーリーは簡単には描けないという難点があるのだろうが、『古代エジプトの神々』(三笠宮崇仁)に良くまとめられているので引用しよう。




<さて、大地「ゲブ」(男)と天空「ヌト」(女)との間に生まれたオシリスは、すぐれた王として全エジプトを統治し、国民に農業や金属加工術を教え、法を定め、神を信仰するようにすすめた。そして全国を巡回して、平和のうちに貧困だった民衆の生活を向上させた。彼の妻は妹の「イシス」で、弟の「セト」も妹の「ネプテュス」を妻としていた。

かねがねセトは兄を妬んでいたが、ひそかにオシリスの背丈ぴったりの箱をつくり、謀反人をかたらって饗宴の場でオシリスをだまして箱の中に入れナイル川に流した。箱はデルタのタニス分流を経て地中海に入り、ビブロスに流れついた。

悲嘆にくれたオシリスの妻イシスは、オシリスの入っている箱を探し求めてビブロスへ赴いたところ、ある植物がその箱を包み込むように成長していた。これをみたビブロスの王はその幹が大変大きく美しかったので、それを切って宮殿の柱にするように命じた。イシスはそれを知って、その柱を賜るよう王に懇請し、エジプトに持ち帰った。

ところが、セトはまたもその箱を見つけ出し、オシリスの遺体を寸断してエジプト全土に撒(ま)き散らした。イシスは再び苦心してバラバラになった夫の遺体を拾い集め(性器だけはナイル川の魚に食べられてしまった)、妹ネプテュスの助けを得て、それをつなぎ合わせた。

そして呪術的儀礼を行ない、イシスは自分の羽根で命の息を送りこんでオシリスを蘇生させた。よみがえったオシリスはもはや地上の王に復帰せず、西の方、つまり冥界の王となった。

イシスは夫の遺体を取り戻した際、呪法によって夫の種を受け、みごもって「ホルス」を生んだ。成長したホルスは、父オシリスの王位をめぐって、おじにあたるセトと困難な長い争いを続けることになる。しかし、最後には王位継承者としてホルスの正当性が神々によって認められ、ホルスは全エジプトの王となった、というのである。>









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この絵の中央がオシリスで、左に玉座の冠のイシス女神、右に祠堂のネフティス女神がいて、神話の「オシリスを蘇生させるシーン」が描かれているのが分かる。

二女神は姉妹だったね。




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三笠宮については名島神社で少々紹介している。

戦時中に福岡市東区名島神社の傍にあった通信施設に勤務されていたため、名島神社に来られた時、茶屋の娘が境内で出土した金箔のついた瓦を奉納したことから、オリエント文化の研究をされるようになったという話を現地で聞いた。

今思えば、名島はかつては島であり、瓦が出土しただけでも大変な事だが、それに金箔が残っていたというのだから、その重要性が伺える。

発掘調査した京都大学はその出土品をきちんと公表しているのだろうか。

また、三笠宮ゆかりの石碑が公園に見当たらないが、整備した福岡市はどこに移設したのだろうか。
続報が知りたいところである。










20190321
<エジプト>



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by lunabura | 2019-03-21 21:12 | エジプト | Comments(0)

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