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ひもろぎ逍遥

<   2019年 04月 ( 18 )   > この月の画像一覧

日本武尊の足跡 浅木神社 日本武尊と斉明天皇が船を寄せた


日本武尊の足跡


浅木神社 日本武尊と斉明天皇が船を寄せた


フィールドワークに勝るものは無い。
今日は遠賀川の下流から上流にかけて、四社ほど訪問してきた。
北から南へのルートだ。


最初に参拝したのが浅木神社である。

遠賀川の土手を上流に向かって走ると左手に川が流れているが、右手も江戸時代までは広大な川が広がっていた。

今は田園が広がっているが、朝木神社の鎮座する小山は遠くからでも良く分かる島のような姿をしていたはずである。







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一の鳥居の奥に小山がある。







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心地よい参道だ。小山の雰囲気が伝わるだろうか。
この道もかつては海だった。











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石段を少し上ると拝殿前に出る。





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そして、拝殿に掲げられていた「浅木神社略記」にまさにその歴史が簡潔に書かれていた。


<祭神 日本武尊、応神天皇、素戔嗚尊

<昔時、淺木神社の周辺は岡湊よりの内海であった。

日本武尊、熊襲御征伐の帰途、臨幸の神跡の霊地である。第三十七代斉明天皇また此の淺木山に御船を寄せ給う。この御代より鎮祭し奉る古社である。>一部読みやすく変更


日本武尊


 武尊は熊襲討伐の帰途に立ち寄ったとある。
「福岡県神社誌」では、

<「船をこの浅木山麓に寄せて従者と共に山上に登り、四方を眺望し、旅懐を慰められ、自ら桜の木を追って麓の岸に挿し、

「私はこの山に心を留めた。願わくは、枝葉が茂り、陽春を迎えて美しい花を咲かせ、千年の春を迎えてほしい」と言った。

従者たちは争って柵を作って記念とし、海を渡って東に帰って行かれた。桜はいくばくも経たずに枝葉を茂らせて、武尊の心に応えた>(意訳)
とあり、日本武尊は麓に桜を植えたという。



斉明天皇

のちに斉明天皇も船を寄せたという。これも「福岡県神社誌」の続きに、

<斉明天皇が筑紫に下られた時、嵐に遭い、航路を変更して岡湊より内海に入られたが、夜になるまで嵐は収まらず、船は漂い揺れ続けた。この山の木でお食事の煮炊きをしたところ、その香りがふくいくとしたので、天皇が大いに称賛され、この山を朝木山と名付けられた。>

とある。

斉明天皇が長津宮への到着が遅かったのは、嵐のために遠賀川流域に避難したためだ。船を点検し、修理をするために滞在したのである。

その間、斉明天皇は川向こうの水巻町の八所神社で日本武尊に倣って先勝祈願をし、中間市磐瀬の御館山を行宮としている。

これまでは、何故斉明天皇の一行が遠賀川に入りこんだのか、理由が分からなかったが、ここにその理由が書かれていた。

実は、過去「ことのかたり」に書いているが、崋山に入り込んだ天智天皇に筑豊滞在の理由を尋ねた時、嵐のせいだと言っていた。これを裏付ける伝承が出てきて驚いている。









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さて、この本殿がなんと、茅葺(かやぶき)だった。
これは初めて遭遇だ。

この美しい本殿に三神が鎮座している。


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福岡県遠賀郡遠賀町浅木3丁目22-13





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by lunabura | 2019-04-21 21:08 | 日本武尊 | Comments(0)

万葉の里 糸島市綿積神社 遣新羅使や柿本人麻呂が詠んでいる


万葉の里 糸島市綿積神社 

遣新羅使や柿本人麻呂が詠んでいた



糸島市志摩船越竜王崎の綿積神社の境内は「万葉の里公園」ともなっています。

まずは福田赳夫元総理の揮毫による石碑があるのに驚きました。





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万葉集巻十五 3674

天平八年(736) 遣新羅使人 引津亭舶泊之作歌

草枕 旅を苦しみ 恋ひ居れば 可也の山辺に さ男鹿鳴くも

(長い旅が苦しく あなたを恋しく思っていると この糸島の可也山の山辺で 雄鹿も鳴いている)るな訳

新羅への使者を乗せた船は難波津からこの糸島まで来るまでも、難儀の旅だったようです。

掲示板にその航路が描かれていました。












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掲示板に書かれている文を読んでみましょう。

<天平八年の遣新羅使人の航跡

天平八年(736)、阿倍継麻呂を大使とする遣新羅使人の一行は、旧暦六月に難波を出航し、瀬戸内海を西に進んだ。

途中、佐婆の海(周防灘)で暴風のため遭難し、分間(わくま)の浦(大分県中津市付近)に漂着した。

七夕の頃に博多湾岸の筑紫館(つくしのたち)に着き船団を立て直して荒津を船出したが玄界灘が荒れていたため、韓亭(からどまり・西区唐泊)で三日間海が静まるのを待った。

糸島半島を廻って引津亭(ひきつのとまり・志摩町引津湾内)に停泊し、狛島亭(こましまのとまり・唐津市神集島)から壱岐・対馬を経て朝鮮半島へと渡って行った。>

神功皇后伝承で見かけた地名があるので、何となく様子が分かります。

佐波海から関門海峡を目指す時、暴風の為に大分に流されています。

分間は和間の浜のことでしょう。
そこなら、船大工たちがいた所なので修理もできたと思われます。

荒津は鴻臚館があった所でしょうか。
そこで船団を立て直して糸島に出るまでにも嵐に遭い、この引津湾に避難したのでしょう。

ここまで来るのに航路の三分の二を要しています。

ここから新羅への方が短い距離なのに、いよいよ外海に出るのですから、大変な思いをしたことでしょう。







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こちらの歌碑は巻七の旋頭歌です。揮毫した人の名は見当たりません。(正面からは)

柿本朝臣人麻呂之歌集出 1279

梓弓 引津の辺なる 莫謂花(なのりそのはな) 
摘むまでに 逢はざらめやも 勿謂花(なのりそのはな)


(引津の浜辺の「なのりそ」の花
摘むまでは 逢えないが 摘む時が過ぎたら 逢えるので 人に言わないでください)るな訳

「なのりその花」は「莫告藻」とも書き、ホンダワラという海藻を指します。
花は丸い実のように見えるものを指しているのでしょう。

志賀島の沖津宮でミソギの時に採る海藻の「ガラモ」と同じもののようです。

「逢う」の漢字は男女の逢瀬を指すので、恋人に逢いたい気持ちを表します。

ホンダワラの花が咲く季節までには必ず逢います。
でも、「莫謂」(言うなかれ)のように、人には言わないでくださいという意味が込められています。

秘密の恋人に逢う約束をしているようですね。

柿本人麻呂はこの引津湾まで来たのでしょうか。
秘めた恋のお相手はどなたでしょうか。

和歌は公でも私事でも詠むので、秘密の恋なのか、みんなの気持ちの代表なのか、一首だけでは分かりませんね。







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(綿積神社に奉納されていた海藻。茶色の藻に花のような袋がついている)








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この引津湾で詠まれた歌はもっと沢山あります。

日本書紀には筑紫の事が沢山書かれていますが、万葉集もまた各地で詠まれていて、そこに立つと嬉しくなります。魅力的な世界ですね。


20190420


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by lunabura | 2019-04-20 21:47 | 万葉・日本書紀の風景 | Comments(0)

心施





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心施


他人の為に 心を配り 共に喜び 共に悲しむこと



「他人」とは

この地球に共に生きる人すべてを指すのだろう。

だが、せめて目の前の人にこうありたい。


20190419




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by lunabura | 2019-04-19 20:49 | 繁栄の種 | Comments(0)

身施



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身施

自分の身体を使って 奉仕すること




奉仕することは目の前に現れている、と思う。




マザーテレサに「自分もインドに行って奉仕したい」と言う日本人がいた。

マザーテレサは「自分の目の前にいる人に手を差し伸べてください」と答えた。



20190418



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by lunabura | 2019-04-18 20:48 | 繁栄の種 | Comments(0)

第21回 歴史カフェ「日本武尊」のご案内


第21回 歴史カフェ 

「日本武尊」のご案内




日本武尊 ―福岡佐賀の伝承と日本書紀を比較するー


ヤマトタケルの話は古事記と日本書紀に載っています。が、二つの本を比較すると異なる部分がかなりあります。

一方、福岡の遠賀川流域と佐賀には日本武尊と熊襲タケルの伝承が集中し、両地域だけでも一つのストーリーとして完結します。

また、肥前国風土記にもヤマトタケルが佐賀を巡幸したことが記録されています。ところが古事記や日本書紀にはこの地域の記述が全くありません。


例えば、熊襲タケルについて、古事記では兄弟がいますが、日本書紀では一人です。一方、福岡では熊襲タケル(川上タケル)と金剛タケル(江上タケル)がいて、兄弟だったことが書かれています。

熊襲タケルの方は筑紫にいて、金剛タケルは遠賀川流域の金剛丘(直方付近)にいたことになっています。










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これは八幡西区、水巻町、鞍手町、直方市に集中する神社を地形図に載せたものです。
各社の縁起をつなぐと次のようなストーリーが浮かび上がってきました。

日本武尊は洞海湾の皇后崎から上陸し、①の仮宮で、砧姫を娶ります。

ここで軍備が整えられますが、その間、日本武尊は香月氏に案内されて④に至ります。そこは香月氏がもともと居た地域です。

そのすぐ南に金剛山(赤マーク)があり、その付近で江上タケルがクニを治めていました。

日本武尊は④から山に登り、稜線を伝って⑦まで行って敵状視察をしています。

 ⑥の植木は陣営地です。江上タケルを正面にして陣営を構えますが、実戦は④経由で背後から攻めたようです。

⑨~⑫は鞍手で、日本武尊はここで筑紫の情勢を聞いて兄の川上タケル討伐に向かいます。

川上タケルはいちはやく佐賀市の真手山に逃げますが、女装して侵入した日本武尊に殺されます。

これについて、記紀は同様の話は書いていますが、地名を書いていませんでした。

今回は比較対象として「日本書紀」を簡単に読み、各地の伝承を詳しく見ていきます。


以下は採取した神社群です。

福岡県
水巻町
① 八劔神社  日本武尊の仮宮 砧姫を娶る
② 八所神社  日本武尊は十握剣を立てて天地の神に祈った
八幡西区
③ 杉守神社  日本武尊は小狭田彦に香月姓を授けた 常磐津姫を娶る
④ 尺岳神社  日本武尊は尺岳の山上で石と背比べとした
⑤ 八劔神社  日本武尊が立ち寄った
直方市
⑥ 御山神社 日本武尊の熊襲討伐の陣営地 木を植えた
⑦ 鳥野神社 日本武尊が熊襲を眺望した地 戦勝祈願をした
鞍手町
⑧ 剣神社 日本武尊が立ち寄った 武運長久を祈った
⑨ 豊日別神社 今朝麿は日本武尊を歓待し仮宮を建てた
⑩ 八剣神社 今朝麿は賢木を飾って日本武尊を迎えた
⑪ 熱田神社  日本武尊は亀甲で地祇を祀った
⑫ 劔神社  日本武尊は行在所に太刀と冑(鎧)を納めた
遠賀町
⑬ 浅木神社 日本武尊は凱旋して山に登り、桜を植えた
田川市
⑭ 白鳥神社 日本武尊の陣営地 土折猪折を討伐した
⑮ 白鳥神社 日本武尊は父景行天皇の陣営地 最澄が祀る
佐賀県
神崎町

① 白角折神社 日本武尊は的に向かって矢を射た
佐賀市
②日本武尊は巨大な楠を見て「栄の国」と名付けた
③真手山 日本武尊は女装して熊襲タケルを殺した
小城市
④土蜘蛛の砦
藤津郡
⑤日本武尊の船が停泊した

「見出し」は暫定的なもので、この先、変えていきます。
なお、これ以外に伝承地があったら、遠慮なく教えてくださいね。


この話を5月5日にします。皆様のご参加をお待ちしています。

日時 2019年5月5日(日)2時~4時(1時半開場)
会場 福津市中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。
会費 1500円(当日払い)


申し込み方法
1 氏名(フリガナ)(あればハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (番地は不要です)
3 メールのタイトルに歴史カフェ505希望と記入。

申し込みは
himorogi888@yahoo.co.jp
(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合があります。気にせずにご来場ください)

なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)を購入希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。

福間中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。




20190417









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by lunabura | 2019-04-17 21:33 | 歴史カフェ | Comments(0)

愛語施











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愛語施

優しい言葉を 思いやりのある態度で かけること



言葉には力がある。


20190416


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by lunabura | 2019-04-16 20:29 | 繁栄の種 | Comments(0)

日本武尊の伝承地 こんなに沢山あった


日本武尊の伝承地 

こんなに沢山あった







現在、福岡と佐賀での日本武尊の伝承地を整理し、分析しているところです。
資料としては、今のところ13ページ、歴史カフェ史上最大ページになりつつあります。

既にブログに挙げた神社を整理したあと、念のために「遠賀郡誌」を読んでみたら、次々に関連神社が出てきまして、筑豊だけでも合わせて15社になりました。
とても多いと思います。


それぞれの地域に支援者たちがいて、それが直後の仲哀、神功へと繋がっていきます。
そして、記紀では日本武尊も仲哀、神功もこのエリアの記事が欠落しているのです。

地元の方も、断片的に出てくる日本武尊の名に、不思議な感じを持っているのではないでしょうか。
バラバラに伝えられた伝承を繋いでいます。

量的に多くなっても、出会った神社はすべて網羅して、丁寧に作っていこうと思いました。それというのも、これが「本」になる機会はないからです。

一期一会。
という思いで資料作りをしています。

日本武尊は筑豊を始まりとして筑豊に戻ってきます。
このため、エリアごとにまとめることにしました。

福岡県
水巻町
① 八劔神社  日本武尊の仮宮。砧姫を娶る
② 八所神社  日本武尊は十握剣を立てて天地の神に祈った

八幡西区
③ 杉守神社  小狭田彦は香月姓を賜った
④ 尺岳神社  日本武尊は尺岳の山上で石と背比べした
⑤ 八劔神社  日本武尊が立ち寄った

直方市
⑥ 御山神社 日本武尊は陣営地に木を植えた
⑦ 鳥野神社 日本武尊は国見をして先勝祈願をした

鞍手町
⑧ 剣神社 日本武尊が立ち寄った
⑨ 豊日別神社 今朝麿は日本武尊を歓待し仮宮を建てた
⑩ 八剣神社 今朝麿は百枝の賢木を飾って日本武尊を迎えた
⑪ 熱田神社  日本武尊は亀甲で地祇を祀った
⑫ 劔神社  日本武尊は行在所に太刀と冑(鎧)を納めた

遠賀町
⑬ 浅木神社 日本武尊は凱旋して山に登り、桜を植えた


田川市

⑭ 白鳥神社 日本武尊は陣営地で天神地祇を祀った
⑮ 白鳥神社 日本武尊は景行天皇の陣営地に陣を敷いた


佐賀県
神崎町
① 白角折神社 日本武尊は的に向かって矢を射た
佐賀市
② 日本武尊は巨大な楠を見て「栄の国」と名付けた
③ 真手山 日本武尊は女装して熊襲タケルを殺した
小城市
④ 土蜘蛛の砦
藤津郡
⑤ 日本武尊の船が停泊した


歴史カフェではこれらを詳細に、また全体像がつかめるように伝えたいと思います。

日本武尊ファンも多いですが、まさか、福岡佐賀にこれほどの伝承地があるとは驚きだと思います。

日本武尊の歴史を知り、関連神社を参拝することは、
遠賀川流域の古代の人々の思いを知ることにもなると思われました。

「日本遺産」にふさわしい神社群です。



日時 2019年5月5日(日)2時~4時(1時半開場)
会場 福津市中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。
会費 1500円(当日払い)


申し込み方法
1 氏名(フリガナ)(あればハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (番地は不要です)
3 タイトルに歴史カフェ505希望と記入。

申し込みは
himorogi888@yahoo.co.jp
(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合があります。気にせずにご来場ください)

なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)を購入希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。

福間中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。




20190415


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by lunabura | 2019-04-15 20:10 | 歴史カフェ | Comments(4)

眼施





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眼施


優しい眼差しで 相手のことを思い 見つめ 見守ること

これは前回の和顔施より、難易度が高い。

特に、身近な人たちについて、このように見守れたら菩薩の境地だ。

しかし、自分と天の関係で見てみると、自分がネガティブな思考にはまっている時でも、天はこうやって見つめてくれていたのだ。

それを思い起こせば、変われるのかもしれない。




自分の思考を客観的に見るチャンスをくれる言葉でもあるんだね。




20190414



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by lunabura | 2019-04-14 22:14 | 繁栄の種 | Comments(0)

バスハイク資料完成



2019年4月25日(木)のバスハイクの資料が完成しました。









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こんな資料をバスの中で読みつつ、神社や遺跡に行ってます。

今回は宮若市と飯塚市で、もう既にどちらもバスハイクでも複数回行っているのですが、切り口を変えると全く別世界に感じますね。

宮若市の天照神社はニギハヤヒを祀っていて、その元宮が笠置山にあり、その麓の穂掛神社が下宮になる。と、複雑な関係になっています。

今回は遡るコースを選びました。昔の人は農繁期に歩いて笠置山まで行っていたと思うと、その遷宮の理由もよく理解できます。

宮若市といえば、竹原古墳の装飾画が教科書に載ってますね。

その宮若市の笠置山はニギハヤヒの降臨地である訳で、力丸ダムの近くです。

笠置山は考古学的には弥生の石包丁の石の産地ということで、別の楽しみがあります。この石がどうやら飯塚の立岩遺跡で加工されていたようですが、偶然にもそのルートを通って飯塚に入ります。


❸は飯塚の川島古墳公園ですが、その南に立岩遺跡があります。ここも装飾古墳が出ました。
それから、東に向かって厳島神社と鹿毛馬神籠石へ。

飯塚は神功皇后の移動ルートと交差したりして、3度目?のバスハイクになりますが、まだまだ重要スポットを残しています。

この日の帰りは八木山ルートを取りますが、その途中に神功皇后にちなむ椿八幡神社があります。道を挟んで巫女埴輪が出た小正西古墳があるので、同じクニだったのかも。

われら旅人は西から東へ、北から南へと通り抜けて行くだけで、なかなか全体像が描き切れないのですが、古代には重なりあう歴史があったと思うと、何とも魅力的なエリアです。



バスハイクの申し込みは「歴史と自然をまもる会」まで。
092-408-7140 (火)~(金)10時~4時
現在の申し込み数は分かりませんが、キャンセル待ちでも、かなり参加できているようですよ。


車で回る方。宮若と飯塚の回り方は、これでは不十分ですが、竹原古墳や立岩遺跡、曩祖八幡、撃鼓神社、伊藤伝衛門屋敷など組合わせて古代筑豊を楽しんでください。

20190413




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by lunabura | 2019-04-13 19:52 | バスハイク | Comments(0)

和顔施



最近は時々、ポストカード作りをして遊んでいます。

「令和」を聞いてからは、急に和柄が恋しくて。

「美しい調和」

で、私の大好きな言葉に久しぶりに出会ったので、カードを造ってみました。









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和顔施

いつも和やかで、穏やかな顔で、人に接すること

私は「ほほえみ」と解釈していますよ。

20190412


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by lunabura | 2019-04-12 21:48 | 繁栄の種 | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25