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ひもろぎ逍遥

<   2019年 07月 ( 18 )   > この月の画像一覧

熊本美里山都2 通潤橋 庄屋たちは切腹覚悟で完成に臨んだ






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通潤橋は江戸時代の水道橋だ。

耕作可能な白糸大地があるのに、豊かな水は遥か下の方を流れている。
そこで谷底を流れる水を高台に送る施設が求められた。それが通潤橋だ。

完成したのは嘉永7年(1854)。地元の惣庄屋の布田保之助が中心となって、地元や細川藩の資金を借りて計画した。

施工は前回と同じ種山石工集団だ。近隣の農民もこぞって作業に参加したという。

このアーチを作るためには、木枠を大工が作った上に、石工が石を置いていく。

完成すると木枠を外すのだが、この時には橋の中央に白装束を着た布田が鎮座し、石工頭も切腹用の短刀を懐にしていたという。


2016年の熊本地震で亀裂が入り、水漏れがするために、現在、復旧工事がなされている。

写真に写っている「美女と野獣」は地元の材料だけで造られたものだろう。八朔祭がこの町にあり、地元の材料だけで作る習わしがある。

何と魅力的なことか。








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さて、橋は工事中で渡ることができないが、左手の山に登れば橋の様子が上から眺められる。
通水管が三本通っているということなので、手前の石組で三つに分けられていくのだろう。

勾配と水の流れの向きを計算して、電力も使わない永遠の通水管が造られた。

このあと、その分水地に行ったが、複雑な山の形、勾配を観察して利用する叡智に、人間の可能性を強く感じた。


この話を夫にすると、「ローマの水道橋みたいだね」という。

「ローマの水道橋」


これを聞いて、私は忘れていた『ガイアの森』のラストを思い出した。

ネタバレになるが、五人の内、一人は地球に森を造ることに目覚めるのだ。

砂漠という砂漠に森を造る。
これが「ガイアの森」のタイトルの意味なのだ。

今、欧州に42度の熱波をもたらしているのがアフリカの乾燥した熱風だ。
アフリカ、中東、中央アジア。
そこにローマに負けない灌漑用水を造る。

小説とはどんな嘘を書いてもいいという。
それなら、私の夢を書こう。
こうしてガイアに森を造って行く話を書いた。

ガイアの森の「古代の森研究所」を共同体と勘違いしている人もいるが、そうではない。
研究所には二年しか在籍できない。

その間に、過去生療法を学び、心の森を癒す。
合気道をしながら心と体を造り、愛を体現する。
畑で野菜を育てることを学び、自活の道を学ぶ。

学び、癒されて行くうちに、それぞれの魂の使命に目覚め、それぞれの役割を果たすために世界に羽ばたく。

そんな概念で、夢を描いた。

主人公たちが次々に思い出していく過去生のかなり物は私自身の過去生だ。それを四人に分けて表していった。四人の名は夢で教えられた。

この本を読んだだけで、自分の過去生を思い出した人も何人か知っている。

私が、石橋に強く反応したのは、このことを思い出すためだったようだ。

インドに行くと真っすぐ伸びた道路の両側に並木が延々と続いている。これを植えたのは日本人だ。しかも私費で。

アフガニスタンの不毛の大池に灌漑用水を造ったのは中村哲だ。朝倉の山田堰の技術が応用された。

この通潤橋は私が忘れかけていた森を造る世界を思い出させてくれた。



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by lunabura | 2019-07-29 20:48 | バスハイク | Comments(2)

熊本美里山都1 霊台橋 石橋のアーチは心を揺り動かす



日が長くなる夏のバスハイクは熊本だ。

福岡からだと阿蘇山の南の町へは3時間半はかかるので、今回のスケジュールは
通潤橋―男成神社―幣立神宮
の三ヶ所だった。

一般のドライブでは幣立神宮から足を延ばして高千穂峡や神社に行って夕方から帰福するコースで日帰りできるが、バスハイクなので、最低夕方6時頃までには天神に戻らねばならないので、三ヶ所行くのがやっとだ。

ところが、今回はドライバーが運転しながら
「左の下に石橋があるでしょ?」
「え?あ、見えた!」

さらに、しばらく行くと、
「ハートが見える石橋が近くにありますよ」
「ええ、あの有名な石橋はこの町にあったんですか」

さらに、
「石橋の横を通るので、止まりましょうか」
「お願いします!」
「歩いて渡れるので、バスは橋の先で待ってます」
と、いくつもの石橋があるのを教えてくれた。

松橋インターから幣立に行くまでに石橋が沢山あったのだ。
石橋が美しいので美里町というのか、と思ったほどだった。
石橋を軽く捉えていたが、心に深く感動させる力があった。

それは人の手によって命がけで造られたのものだからか。
人智の素晴らしさからか。

名画や名曲と同じように宇宙の叡智を降ろして三次元の形を取らせていた。
だから、アートの側面もあった。

しかも、冷たいはずの石が暖かい表情で人の暮らしに寄り添っている。
固いものが人の曲線と繋がり、分離することはない。

今回、いくつもの石橋のアーチを見てそう思った。

石橋には人馬が渡るためのものと、水を通すためのものがあった。

最初に渡ったのは人馬を通す「霊台橋」だった。






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国道218号線を走っていると、緑川を渡る橋がある。
その橋の横に霊台橋が現存していた。

築造は弘化4年(1847)だ。それまでは木の橋があったが、何度となく流されたという。
見るとかなり深い谷なので、人馬は荷をかついで川原に降りて橋を渡り、また登っていったのだろう。
今日の緑川は梅雨の豪雨で流れが激しい。こんな流れには木橋は耐えられなかっただろう。

壊れない橋が欲しい。
惣庄屋の篠原善兵衛ら地元住民が立ち上がり、延べ4万越えで、わずか七か月で完成させたという。

種山石工は宇助ら72名。大工の棟梁もいた。

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この橋は改良されて昭和41年まで使用され、バスもトラックも通ったという。
横に橋が出来て、昭和42年に国の重要文化財に指定された。






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歩いてみると土が載っていて、途中やや勾配があったが、これは昭和55年の復元工事によるのだろう。
架橋当時の形に復元されたという。







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渡ったあと、振り返ってみると、美しい姿全体が間近に見渡せた。



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by lunabura | 2019-07-26 20:34 | バスハイク | Comments(0)

梅雨明け



遅い梅雨明け。今日の夕空はとても綺麗でした。






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龍さんも、帰ってる。
このあと、巨大な龍顔が出たんですが、カメラを持ってなかった。











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庭の蝉の抜け殻も沢山。
これは、昨年の抜け殻に重なったヤツ。

遅れながらも季節が進行しています。

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by lunabura | 2019-07-24 20:35 | にっき | Comments(0)

連絡 725のバスハイク参加の方へ



明後日、7月25日の「九州のへその神社群」バスハイクの出発時間について、それぞれに連絡が入ったと思いますが、30分早くなりました。

8:00に出発です!
遠方から参加の方、始発かな?私も早起き頑張ります^^


幣立神宮は個人の願いはしない所と聞いています。
天気も良さそうで、楽しみですね。

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by lunabura | 2019-07-23 13:07 | バスハイク | Comments(0)

歴史カフェ ありがとうございました




今日の午後は歴史カフェ。
ご参加の皆様ありがとうございました。

そろそろビールを飲みながら、「酒をほむる歌」から座右の銘(?)を選び終えた頃でしょうか。
歴史カフェからの宿題でした♪

今日は雨の為に参加できなかった方もありました。
福岡の中~南部域の降雨はまだまだひどいようです。災害にならないように祈るばかりです。


さて、旅人と友人たちの交流にすっかりハマった私は、旅人の私家集(しかしゅう)なんぞを作りたくなりました。

手元に置いて、本のようにしてバラバラとめくりたい。
縦書きがいい。

そんな希望を叶えてくれたのが、100均で買ったA5版のクリアファイルでした。
そこにセレクトした万葉集を差し込んでみると、歌の世界がぐっと迫ってきたのです。

旅人は梅花の宴の32首や松浦川の海人の娘とのやりとりなどを都の吉田宜に送りつけた話は以前書きましたが、その返事を打ち込んで、独りニヤニヤしています。憶良なんか、生真面目過ぎるなあ、とか思ったり。




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これはまだ紹介していない、友人たちの別れの歌の数々。


今日はこの続きを縦書きに変換していきましょう。

もっともっと友情を知りたい、という声と、ホドホドにせえ、という声が聞こえてくるのでした。

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by lunabura | 2019-07-21 20:30 | 万葉・日本書紀の風景 | Comments(0)

会場付近は雲が切れ始めました





今朝は福岡各地で大雨となっているようです。災害が無いように祈っています。
こちら、会場付近は雲が切れ始めて青空が少し見えています。
まだ黒い雲が動いていますが、雨も時々パラパラと降る程度です。

ご参加の皆さん、安心してお越しくださいませ。

なお、今日、急に時間が空いたので行けるな、という方、正午まで受け付けます。
コメント欄も非公開でご利用ください。

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by lunabura | 2019-07-21 10:02 | 歴史カフェ | Comments(0)

明日は予定通りです



明日は歴史カフェ721です。
明日の午前中は雷雨のようですが、次第に回復するようなので、予定通り行います。

沙弥満誓が「痛き恋」と旅人への想いを詠みましたが、その魅力に私も次第に惹(ひ)きこまれています。

歌の数々から8世紀の筑紫の様子が彷彿(ほうふつ)とするのも魅力ですが、今回は旅人が福岡でどんな日々を送ったのか、友情や家族愛なども含めて全体を見て行きます。

3世紀の神功皇后、6世紀の磐井、7世紀の斉明天皇と天智天皇。8世紀の大伴旅人。
いずれもが福岡で多くの足跡を残しました。

これらを俯瞰していくと、あれこれと繋がっていくのは感激ものです。

大伴氏、6世紀は磐井の敵でした。
その大伴氏がどうなっていくのか。

鏡山で佐用比売が領巾を振った相手が大伴狭手彦ですが、大伴金村の子です。磐井討伐の後、狭手彦が高句麗や新羅に出征し、その記憶を旅人は辿っていく。

バラバラの時代のイベントが、俯瞰することで見えてくるのですね。
福岡には掘り起こすべき歴史が沢山あるのを感じます。

旅人らの歌を通して、福岡の歴史が腑に落とせたらと思っています。

なお、メールを送られた方で、当方からの返信が戻ってきている方があります。気にせずにお越しください。






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by lunabura | 2019-07-20 20:58 | 歴史カフェ | Comments(0)

第23回歴史カフェ「大宰帥 大伴旅人」のご案内 


第23回歴史カフェ「大宰帥 大伴旅人」のご案内 





大宰帥 大伴旅人 -万葉集から描く筑紫の日々―

 「令和」の典拠となった「梅花の宴」の主催者は大伴旅人でした。

旅人は西暦720年に隼人の討伐軍の大将軍として九州に来ているので、神亀4年(727)に大宰帥として来たのは七年ぶりになります。

 大宰帥は新任の時、香椎廟に参拝することになっていたので、大伴旅人も例外ではなかったでしょう。

ところが翌年に、連れて来た妻が病死したため失意の中の日々を送ることになってしまいました。

旅人はこの時、64歳でした。

多くの人が弔問に訪れ、挽歌も詠まれました。この時、旅人を支えたのは沙弥満誓山上憶良たちでした。


旅人はそのあと、基肄城、大野城、二日市温泉など各地に赴き、妻をしのぶ歌を詠んでいます。

その年の暮れには再び香椎廟を参拝しました。

その帰りに香椎潟に立ち寄って玉藻刈りをします。神功皇后の故事にならったのでしょう。

 さらに次の年、神亀4年、年明け早々に都では長屋王の変が起き、太宰大貮の丹治県守が都に戻りました。

旅人は筑前の夜須で飲むことを約束していたのに、独り酒を飲むことになった、という歌を贈りました。

その丹治県守の娘が旅人のもう一人の妻と考えられます。

丹治郎女大伴家持を生んでいました。その妻から手紙が届くと、二人は無事に再会できるように歌を贈り合いました。

また、その年の内に旅人は藤原房前に対馬の琴を贈りました。

 そしてその翌年の新春、天平2年に旅人の屋敷で盛大に梅花の宴が催されました。

九州の各地から長官たちが集まって、歌を詠み交わしました。

この宴の序文から「令和」の元号が採用されたのでした。

 その後、旅人は唐津に行き、神功皇后の鮎釣りで有名な松浦川や、旅人の祖先である大伴狭手彦の故事が伝わる鏡山を尋ねています。

松浦佐用比売が領巾を振ったことで知られていますね。

この大伴狭手彦は大伴金村の息子です。大伴金村は物部麁鹿火磐井君と戦わせた人でしたね。



 6月になると、旅人は病気にかかりました。死を覚悟すると、遺言を伝えようと、義理の弟や甥などを呼び寄せます。

この時、長男の家持や妹の坂上郎女が来福しました。


幸いに病気は治り、家持らが帰る途中立ち寄ったのが、粕屋町の夷守(ひなもり)駅です。

日守神社に歌碑がありますね。神功皇后が宇美町で出産する前に日を見守ったという所です。

また、坂上郎女は福津市の名児(なちご)山で大己貴の歌を詠みました。あんずの里の横の運動公園に歌碑があります。



 この年の冬12月、ついに旅人も都に戻ります。この時、書殿、水城、蘆城で別れの歌が詠まれました。

その年が明けた天平3年(731)の7月に旅人は薨去しました。 

 大宰府では旅人は多くの友人を得ました。観世音寺の初代管長の沙弥満誓や山上憶良など、折々に交わした歌などが数多く残されています。また、酒を誉むる歌、望郷の歌なども詠まれました。


 今回の歴史カフェでは、大伴旅人の70数首の歌を時系列に並べて、筑紫での四年近い日々を追っていきます。


大伴旅人は筑紫の万葉歌壇を理解するための基調となる人物ですね。ここを押さえて置くと、前後の歴史が解りやすくなると思いました。神功皇后の旧跡がたびたび出てくるのも、私たちには理解しやすくなっています。


7月21日(日)にいつもの場所、いつもの時間に開催します。
皆様のご参加をお待ちしています。


なお、香椎宮の近くの香椎東公民館でも、大伴旅人の話をします。短縮バージョンとなります。
こちらは、公民館の地域の方対象です。公民館だよりに日程が書かれているので、地元の方はこちらにどうぞ。





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日時 2019年7月21日(日)2時~4時(1時半開場)
会場 福津市中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。
会費 1500円(当日払い)


申し込み方法
1 氏名(フリガナも)(あればハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (番地は不要です)
3 メールのタイトルに歴史カフェ721希望と記入。
申し込みは
himorogi888@yahoo.co.jp
(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合があります。気にせずにご来場ください)

なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)を購入希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。

福間中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。






 
 




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by lunabura | 2019-07-19 21:23 | 歴史カフェ | Comments(0)

梅花の宴に陰陽師も参加していた



梅花の宴に陰陽師も参加していた



令和出典の「梅花の宴」には32人の歌が載っているが、その中に陰陽師の名を発見。(いや、私が知らなかっただけかも(;^ω^))

その名は
陰陽師磯氏法麿。

大宰府に陰陽師の職があったとは、大変興味深い。この人の伝承は無く、磯氏は磯部氏ではないかとの注書きがあるだけだ。

この梅花の宴の時の名前はいずれも簡略化されていて、山上憶良は「筑前守山上大夫」、葛井大成は「筑後守葛井大夫」という風に苗字だけになっているが、苗字が省略されている人もいる。
佐伯氏は佐氏のように、一字だけになっているのである。

野氏なら大野、小野、三野さん?
板氏なら板茂、板持さん?
荒氏なら荒木、荒田さん?
と、推測するしかなく、陰陽師の磯氏も磯部ではないか、としか推則されていない。

今でも、親しい間柄では苗字の一部だけで呼んだりするが、天平の頃から、くだけた所では「山さん、板さん」と呼んでいたのだろうか。

阿氏は阿部か。
土氏は土師か。
という例もあった。

何だろう、大人になって読む万葉集は現代の私たちにグッと近づいてくるものがある。

さて、話を戻して、磯さんの歌。
836番
梅の花 手折り挿頭して 遊べども 飽き足らぬ日は 今日にしありけり
うめのはな たおりかざして あそべども あきたらぬひは きょうにしありけり

(梅の花を手折って挿頭に挿して遊んでいるが、飽き足らぬ思いがする日は今日の宴だ)
すごく上手くまとまっている。ただ、御題の「落梅」は無視しているが(^_-)


さて、太宰府には国際的な呪詛返しの話がある。
「四王院が宝亀5年(774)に新羅による宗教的呪詛に対し、眺望のきく清浄の地を選んで建立された。」
という伝承が有り、実際に日本から呪詛返しをしている。

これは仏教による呪詛返しかもしれないが、場所の選定などは、陰陽師が関わったかもしれない。
ただ、磯さんは730年に活躍している人なので、直接関わってはいないだろう。


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歴史カフェ 7月21日

太宰帥 大伴旅人 -万葉集から描く筑紫の日々ー

https://lunabura.exblog.jp/30342060/




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by lunabura | 2019-07-18 20:34 | 万葉・日本書紀の風景 | Comments(0)

バスハイクデザイン



昨日は急遽、バスハイクのデザインをしました。
依頼は12日。締め切りは7月中旬。「???」
でも、今回は一つだけなので間に合います。

6月のバスハイクは雨の予報だったので、前日に中止になりましたが、私の町は雨は降りませんでした。中止になった嘉麻~飯塚は9月に催行します。参加希望の方はもう一度、HPをチェックしていてくださいませ。王塚装飾古墳や沖出古墳の日は晴れていてほしいですね。

来週は幣立神宮など山都町に行きますが、梅雨の大雨の時、水に浸かっているニュースなどが流れて心配しました。きっと来週は道も大丈夫でしょう。

幣立神宮では不思議な出会いがいろいろとありました。
五色人面祭の内、四つの人類が揃った年の大祭に参拝しましたが、赤人と白人はその前に知り合いになった人でした。ホピ族とジュディス・カーペンターです。
ジュディスもホピ族の集落に行ったばかりと言っていました。
ホピ族の人の名はクレイグ・カーペンター。私はこの男性と同じ緑のイヤリングをしていたので、思い出してもらいました。
二人とも偶然にもカーペンターさんでした(^^)/

ホピと出会い、夢に出て来たのがホピの酋長だったのが分かりました。
それから私のネイティブ・インディアンの頃の過去生を思い出しました。

また、神木の前で気功をしていた人がブンと飛ばされたのを目撃したり。
別の日に、同じ所で友人はひっくり返されたり(^^♪
久し振りの幣立神宮はどうでしょうか。

こうして、思い出していると、「ガイアの森」の世界に時間軸が遡っていきます。

「君の名は。」を見た後、ヒカルランドから原稿を返してもらおうと思って、HPを見ると、画面が空っぽになっていました。メールをしても返事が無く、電話をしても返事がありませんでした。

何が起こったのか、心配しましたまま、忙しさに紛れて、今に至ります。
下巻を公開する方法を再び探る時が来たようですね。

原稿を初めて送った時も、占星術で「この日は忘れていた夢が叶う」という日に、忘れていた「ガイアの森」を思い出して、原稿を読んでもらえないか、直接電話したことがきっかけでした。
そうして、夢が叶ったのです。でも、上巻だけですね。

最近、「ガイアの森」の感想などを再び伺うことがあります。
昨年も何人か東京や大阪から私に会いに来られました。


もう一度、あの神社に立って、原点のエネルギーに触れたいと思います。

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by lunabura | 2019-07-17 20:36 | バスハイク | Comments(0)

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