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ひもろぎ逍遥

<   2019年 08月 ( 22 )   > この月の画像一覧

雨の小休止



豪雨のために佐賀や筑後に被害が出ていますが、皆さん大丈夫でしたか。

当方はそれほど雨も降っていません。
明け方は雷雨で恐ろしかったですが、夕方には草取りが出来ました。

再び秋雨前線が下がってくるので、小休止ということでしょうか。




パソコン前の作業をやりつつ、グラウンディングするために、草取りや縫物をして過ごしました。





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<20190829>


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by lunabura | 2019-08-29 20:08 | にっき | Comments(0)

脇巫女Ⅱ 7 金星の聖図形


脇巫女Ⅱ


7 金星の聖図形


さて、
「るなさんが謎解きして、私がゴメンナサイをするのです」
と言った七色は人知れず黙々とそれを実行していた。

六ケ岳の崩落部にある鳴谷の卍の場所が土砂崩れに弱い地形と分かると、すぐに祈りのために登っていた。
七色は本気だった。

新たに、日本武尊から小狭田彦が香月姓と褒賞を貰った話、そして星読が想像した過去の話を聞くと、すぐに祈りに発つために計画を立てて言った。
「これでやり残した宿題は終わるかな?」

しかし、どうもそれほど簡単に終わるものではなかった。
これは単なる序奏に過ぎなかった。


フルツキが鞍手の神社群を地図上で調べていて、不思議なラインが存在することを発見した。

各神社それぞれの道路や参道などを見ていると、五芒星が描けるというのだ。
その五芒星の頂点や交点などに神社やランドマークがあるという。

この五芒星は「天空の星を時計とするための目盛りを大地に刻んだもの」だそうだ。

各神社の描く五芒星の大きさは少しずつ違っていた。
その星を一つずつ描いていくと、それぞれの五芒星が一本のラインに乗って来た。
そのラインはカーブを描いた。
その行き先は六ケ岳の最高峰の旭岳だった。

つまり、六ケ岳の旭岳から五芒星がしだに大きくなりながら大地に描かれていたというのだ。
それを「金星による聖図形」と名付けた。


それはフィボナッチ数列で描かれているという。

フィボナッチ数列 ――― 

それは阿蘇山の「噴火を鎮めるために配置された神社群」にも使われている。
阿蘇の場合は「炎のピラミッド」という名称で学会で発表されて公認された。
それは古墳時代に配置された神社群だった。

私はそれを知って、直ちに阿蘇を廻り始めたが、二日かけてようやく半分しか廻れないほど広大な絵図だった。そして、後半を廻る計画を立てている途中、あの阿蘇の大地震が起きた。


話を鞍手に戻そう。
五芒星が描くラインは旭岳から三本、ラセンを描きながら広がっていた。

そして、ラインの一本が一箇所で断絶し、少しずれた状態で再び描き直されていた。
その断絶した所を繋いでいくと地図上に断層が現れたというのだ。

つまり、誰かがラセンを描いた後、地震が起きて断層が走ったために大地がずれてしまい、ラセンもずれてしまったために、修復するために新たにラインを引き直しているというのだ。

大地に描かれたラインの断絶が示す断層は六嶽神社の傍ギリギリを通っていた。

この断層はまだ世に知られていないものだという。
既知の断層の延長上にある。

しかも、修復されたラインは三重なので、ズレは一度だけでなく、二度起きているという。

いつ断層が出来たのだろうか。
もちろん、断層が起きた話などは歴史書には書かれていない。

取りあえず、日本書紀や真鍋大覚が記している地震などについて列記しよう。

まずは西暦200年の新羅の慶州を震源とする地震。
神功皇后の船団が着いたタイミングで大地震が起きた。
その時の津波が新羅国の半ばまで押し寄せた話が日本書紀に書かれている。
今、その浜辺には原発団地が並んでいる。
新羅を揺らした津波は玄界灘も揺らしたのではないかと考えている。


次に雄略9年(465年)。宗像で大陥没が起きた。
そのため大島と陸が分けられた。大島はそれまでは陸続きだったという。

物部氏(真鍋家)は、その深夜に天頂に足した星に倶楽羅星(くららのほし)という名をつけた。
大島と陸の間の瀬戸の名は倉良(くららの)瀬戸という。
語源はギリシャ語の谷(キダラ)であろうという。

その瀬戸が出来る前には、大島と宗像が陸続きだったとなると、古代の物語の解釈も変わる部分が出るかもしれない。

この大島が西山断層の延長上にある。
つまり、西山断層が出来た時に、端っこが激しく揺れて、海溝が出来たのではないか。
あくまでもイメージだ。西山断層とは犬鳴連峰と言ったほうが地元には分かりやすいだろう。


雄略9年(465)。日本書紀には雄略天皇が自ら新羅を討とうとして胸肩神を祀らせると、神は「行ってはならぬ」と神託を下した、と記されている。
真鍋は、それについて、神が災害を予知したのではないかと記す。


雄略17年(473)筑紫野市の針摺瀬戸が大洪水で埋まり、玄界灘と有明海の水路が断たれた。


欽明14年(553)3月、阿蘇山が大噴火した。(阿蘇社記)


西暦573年に大雨のため、筑紫の水城が決壊して、博多湾周辺が大洪水になって家々が流された。


天武7年(679)に筑紫大地震が起きた。耳納山脈に大断層が生じた。
この6年後に南海トラフが起きている。


そこまで書いたとき、夢でもう一つ記すようにとメッセージを受けた。

仲哀帝6年(197)に瀬戸内海と響灘を結ぶ関門海峡の一部、早鞆瀬戸(はやとものせと)が出来た。(真鍋大覚による)

ここで思いがけず、台風や地震などを知ることになった。

星読の2015年11月17日(十)「言の葉」に出た

「月守の民」「星読の民」は共に「闇神」を拝す

「星読の民」追われしとき、「月守の民」この地を追われる

「闇神」荒ぶる神、
人々恐れ敬うも、遅し
人々災い恐れ、この地より去る

は、これと関係があるのだろうか。

フルツキと七色と私は一月に鞍手で会う約束をしていたが、直前にこのようなデータに遭遇したため、鞍手巡りはこの「金星の聖図形」や断層などを検証していくものになった。



<20190827>



脇巫女31 金星の聖図形と断層




異世界小説
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by lunabura | 2019-08-27 19:51 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

デカイのと小さいの





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先日の夕暮れ時の空。

デカイのと小さいの。

雲って不思議ですね。




さて、懸案だった原稿の書き直しが終了しました。

先日、思いつきがあったので、迷うことを止めて実行しました。


もしかしたら、ドアが開くかな。

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<20190825>


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by lunabura | 2019-08-25 19:39 | にっき | Comments(2)

第10回バスハイクは菊池川の装飾古墳!など




昨日の熊本の菊池川沿いのバスハイクは、朝は曇天で気温もさほど上がらず、みんな元気に過ごしました。



最初に行ったのは江田船山古墳とその古墳公園。

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あの、七十五文字の銀象嵌の大刀が出た所です。石棺が阿蘇の地震で壊れて、一時期見学が出来なくなっていたので、今回はどうかな、と恐る恐るドアノブを回すと、開いた!

皆さんにも見ていただけました。
相変わらず、羨道がなく、いきなり石室、という謎の古墳です。

図を手に清原古墳群全体を見て回りました。歴史資料館は肥後民家村の中にありましたよ。
時間ぎりぎりで発見。出土品のレプリカがありました。鏡が沢山。





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それから同じ清原台地にあるトンカラリンに。
いよいよ、懐中電灯を持って入るのですが、虫やヘビがいないか、先発隊三名で通ってみました。
何もいなくて大丈夫!

でも、中が狭い上に水たまりがあって、渋滞するところがあるので、数名ずつ入ってもらいました。
地隙の数メートル上に石の蓋がしてある何てことないトンネルなんですが、ここは体験しないと帰れませんね(^_-)-☆
案内役としては、無事に通れて一安心です。




午後からは熊本県立装飾古墳館へ。




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以前、行ったはずなのに、全然風景が違う\(◎o◎)/!

古墳館の地下に装飾古墳のレプリカが沢山、沢山あったのです!!!
何で、最初訪問した時に案内されなかったのか(-_-;)

ここ、マジ、ヤバい。好き過ぎる!!! 





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石棺のある古墳よりも、ドームの中に石屋形があって、土壙墓のように大地の上に直接おかれるタイプがマジ好きだと分かりました。

平原遺跡は土を掘った四角い穴に埋葬されていますが、それが石になったタイプ。
周囲に赤や緑の色の石壁に囲まれて。
ははは。
古墳と言ってもお墓の話ですな。( 一一)



いずれも菊池川沿いにある古墳群ですが、先月行った神竜八大龍王も水源の一つとし、多くの流れを集めていたのが、菊池川でした。

それから、あの不動岩を目印にして一つ目神社とその水源に行きました。
水源はやはり八大龍王。水がコンコンと湧き出して、手ですくって飲みました。
まろやかな水です。





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その水を利用して「鉄穴流し」(かんなながし)があっていた現場です。


それから、最後に金栗四三の生家へ。
8月22日は生誕日で、入場無料でした。
建坪100坪という大きな家でしたが、山の中。
今は道路が通っていますが、かつては寂しい所だったことでしょう。
ここから福岡との県境まで毎日走って通っていたなんて。
現地に行って理解できるものが沢山あります。


装飾古墳は一つひとつ学びたいけど、今日は備忘のみ。

この菊池川流域の装飾古墳と遠賀川流域の装飾古墳が、全く別の物ではないことは肌で分かりました。
共通のシンボルがあるんですね。
石室の形とかも。
じっくりと時間をかけて復習したいな。
来月は、その遠賀川流域の最たる古墳、王塚装飾古墳に行くので楽しみです。

<20190823>



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by lunabura | 2019-08-23 21:16 | バスハイク | Comments(2)

連絡 バスハイク参加の方へ


明日は熊本へのバスハイクです。
天気も上々のようですね。

参加される方へ。

トンカラリンも足場が良かったら中に入ろうと思います。
よって、懐中電灯と、出来たら軍手を持参してください。

虫がいたら、中止かも。( 一一)

汚れてもいい恰好で、とか、どんなバスハイクなんだか(;^ω^)

タフなバスハイクです。


<20190821>

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by lunabura | 2019-08-21 16:47 | バスハイク | Comments(0)

脇巫女Ⅱ 6 月守の民は古月にいた


脇巫女Ⅱ


6 月守の民は古月にいた



クリスマスの夜に「シリウスの出」を六嶽神社から見たあと、私は鞍手町史を読み返し、六嶽神社の祭祀について、香月の小狭田彦(おさだひこ)が神勅を受けて山上にヒモロギを営んだという話を読んだ。

この小狭田彦は物部氏だが、ヤマトタケルから香月姓を賜(たまわ)り、六嶽神社と直方(のおがた)の剣神社の地を褒賞としてもらった。

何の褒賞かというと、遠賀川の右岸にいた金剛タケル(弟)と佐賀にいた熊襲タケル(兄)を滅ぼしたからだ。

兄弟クマソがヤマトタケルから滅ぼされた時、クマソは滅んだ。

佐賀では、死の間際に熊襲タケルはヤマトタケルの名を自分を殺そうとする青年に献上した。

当時、小碓(おうす)という名だった青年は、この日からヤマトタケルと名乗るようになった。
以上は、各神社誌に書かれている縁起から描いたストーリーだ。

この時、星読流に言えば、クマソは名前を小碓(天皇家)に奪われた。

星読の「言の葉」はこの時代とリンクしているのだろうか。

年が明けると、星読からまた「言の葉」が送られてきた。

<2016.1.3>
聖地「六ケ岳」

月と六ケ岳が見える地に「月守の民」は幼き巫女と暮らす
そこが「古月」
その中心が「木月の剣神社」
そこから、駆けつけるも「神巫女」を守りきれずに、この地を追われる
「星読の民」「月守の民」は共にこの地を離れる

クマソに守られ
多くの者は舟で「宇佐」へ
多くの者は陸路で「佐賀」へ

この地を奪いし者たち「勝月」を名乗る
奪いし者たち、
この地の力 抑えられず
六ケ岳に屈する



星読は追記した。

<ヤマトタケルへの功績により「オサダヒコ」が「ひもろぎ」を行なった、と美化した物語にすりかえたと思います
「イチキシマ姫」(神巫女)を処刑した事実を隠すために
その処刑の地が「オダヤマ」
「香月」を受けし者たち
この者たちは現在の北九州市八幡西区香月そのものではないでしょうか?
なぜか今でも十数人の方々が「六嶽上宮」へ参拝しているそうです
ルナさん、こんなイメージが頭から離れません>

七色がしきりに謂れを知ろうとして奔走しているのが「鷹の口おだ山」だった。
この「鷹の口おだ山」こそ、私の夢の中で馬上の武人が立っていた所だった。
星読は、そこでイチキシマ姫が処刑された気がするという。

その後、月守の民と星読の民は「宇佐」と「佐賀」に逃げて行った。
いずれも三女神信仰が篤い地なので、興味深い。


さて、「言の葉」には、月守の民の居場所が綴られていた。

話題の「鷹の口おだ山」の北の方、二キロほどの所に古月(ふるつき)、木月(きつき)という地名が集中する所がある。鞍手町の中でも北の方に当たる。

そこに剣神社(つるぎ)神社があるが、そこで月守の民が巫女となる子供たちを育てていたという。奇しくも、現在幼稚園がある。

古代の日本では子供たちは集団で育てられていたという話もあるので、上の話も妙に納得したものだ。


この剣神社には「須佐之男命、日本武尊、宮須姫命」の三柱が祀られている。いずれも草薙剣に関わっている。

ここは古代は島だった。

日本武尊はここにやって来て滞在した。

その後、仲哀天皇が神功皇后を連れて来て、皇后は杉の枝を折って大麻(おおぬさ)として祈ったあと、その枝を地に挿した。それが根付いて大樹となったことから「木付き」「木月」という地名になったという。
これは「福岡県神社誌」に書かれている話だ。

今も島の名残があり、桜並木の参道を抜けて石段を上ると拝殿があるが、その左手には広い境内がある。途中で道路が貫通しているが、周囲は田が広がり、かつては海に囲まれた安全な所だったことが分かる。

そして、下の方の赤い祠には今「市杵島姫」が祀られている。



ここからは六ケ岳も良く見える。月守の民から出した姫巫女(神巫女)が六ケ岳で祈る姿を拝して手を合わせていたかもしれない。

「月守の民」というからには、月を観測していたはずだが。
そう思っていると、京都のフルツキ(人名)がそのシミュレーション図を作成してくれた。
それは、遠賀川の対岸の山脈から昇る月だった。

そこに記された山の名は
皿倉山、帆柱山、金剛山、福知山
これらの山々から日々形を変えながら月が昇る。

月は日々時間をずらして昇ってくるので、朝の時もあれば、昼間の時も、夜の時もある。
日が落ちて昇る月は満月だ。
ここできっと満月の祈りを捧げたことだろう。

そして、上の山の名にある「金剛山」!
ここにクマソの金剛タケルがいた。

香月氏の案内で日本武尊は背後に回って観察し、
正面に回って陣を構えたことが各神社に記された縁起から分かった。

歴史と星読の「言の葉」が次第に接近してきた。

星読に出会った後、出て来た「言の葉」にヤマトタケルの名が出ていた。

ヤマトタケルはなぜ「くらて」に立ち寄ったのか
   勝利を祈るためか
   戦いの時期を聞くためか
ヤマトタケルは戦いの民でもある「もののべ」にクマソタケルに嘘の報告をさせ勝利した
   大和の高い位をその報酬として・・・・・



この月守の民の時代とどう関わるのか。
星読の単なるイマジネーションなのか。

判断は出来ないが、「言の葉」の描く古代社会は少しずつ輪郭を描き出してきた。


<20190820>





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異世界小説
by lunabura | 2019-08-20 21:10 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

脇巫女Ⅱ 5 六ケ岳のシリウスの出


脇巫女Ⅱ


5 六ケ岳のシリウスの出


 

星読は町の危険地域のチェックに乗り出した。

それは実際に三年後に大雨警報が出た時に役に立った。大雨の中、チェックした現地に入ると、民家に大水が流れ込もうとしていた。星読は水の進路を土のうで塞いで流れを変えて浸水を食い止めた。



さて、話を戻すが、タツが計算して見つけ出した「六嶽神社から見えるシリウスの出」を星読は実際に確認しにいった。そして、メールで実況中継のように刻々と連絡をくれた。12月8日だった。

20:20
「三女神はオリオン座の三連星に関係あるのでは」
20:26
「別の星が山頂から上がった」

私はパソコンにフリーソフトのステラ・シアター・ライトを立ち上げて、星図を見ていた。
それはミルザムという星だとすぐにわかった。

真鍋大覚によると、和名は鐸石別星(つくしわけのほし)で、蹈鞴(たたら)に関連する星だった。

いくつもの和名を持つ星だが、「ささらのほし」と呼ぶ民もいた。これは「さざれいし」の古語で、砂鉄を指す。ポツンと「砂鉄の星」が出て、その直後に「白金色に輝くシリウス」が出てくるのだ。蹈鞴の民はきっと、砂鉄が見事な白銀色の鉄となることを祈ったのだろう。

この後、シリウスが出ると、星読は直接電話で興奮したようすで状況を説明した。
「シリウスは山の稜線に沿って山頂に昇っていった」

私もシリウスを見にいく予定にしていたが、その年の冬は雨や曇りが多く、12月25日にようやく天気予報に星マークが出た。
この日は満月だった。
古代人は月の朔望の日に併せて神事をするのではないか、と狙った日だった。

私は星読と神社の前で合流して観測地に向かった。最初は六嶽神社の正面から参拝するつもりだったが、冬の漆黒の参道はライトを持っていても恐ろしげだった。

民家の間の車道を通って拝殿の裏手に上がり、そこから参拝した。

拝殿の上を見るとオリオンの三ツ星が縦になっていた。確かに、意味ありげな位置だった。

ここからは六ケ岳は拝殿が邪魔をして見えない。その裏手の公民館の脇に出ると、ほんの一箇所、六ケ岳が見える所があった。

タツの予測した時刻は20:30。
山頂に達する時刻だ。シリウスが出るのはその10分前。

満月に照らされて山の稜線が良く見えた。
二つのピークが見える。
その左手の山にシリウスは昇る。
そしてその山こそ崎戸山(さきとやま)だという。
そう、三女神が降臨したのは六ケ岳の内の「崎戸山」なのだ。


外気温は5度。
満月に照らされる崎戸山を見つめた。宙でピカッピカッと何かが光った。そしてその真下からついにシリウスが出て来た。

樹木の間からクリアなプラチナ色がぽつんと見えた。太陽と違って光芒がないのでクリアだ。色は赤、青、緑、黄色、白と変化しながら光彩を放っている。白銀色ではあるが、チカチカと変化していた。
星の全体が出ると、稜線を昇り始めた。速い。シリウスの動きが目で観測できた。

木のてっぺんを一つ一つ辿りながら動いているのがよくわかる。まるで意思を持つ者のように。

三分の一ほど稜線を辿るとシリウスは上を見た。そしておもむろに稜線を離れていった。
離陸した飛行機より大きな角度でぐんぐんと頂上を目指す。

シリウスが頂上のラインに達した時には山頂からかなり上の位置にいた。
タツが計算した通りだった。

そして、私たちは更にその上で淡く輝くオリオンの三ツ星も気にしていた。

この後、山頂と三ツ星とシリウスが一直線に並ぶのではないか。

シリウスがガンガン昇ってくるのを三ツ星は歩調を緩めて待っていた。
それはまるで三女神がセイリオスを待つ姿に見えた。

シリウスの別名、セイリオス。

これがセオリスと変化したのなら、まさしくセオリツ姫を三女神がお守りするような位置関係だった。だから、六つのピークのうち、三女神が降臨したのは「崎戸山」でなければならなかった。三女神が降臨したというのはこの瞬間ではないか。

「周囲の四つの星は三女神を祀っているように見えるね」
と星読が言った。

まるで四天王のように三つの星を囲んで四方に鎮座する星々の位置関係は仏教の曼荼羅とそっくりだった。阿弥陀の両脇を脇侍仏が固め、四天王が四方の睨みを利かす。四天王の発想もまた、オリオン座から生まれたのかもしれない。

崎戸山の稜線は黒く神奈備山のシルエットを描いていた。シリウスを追う間、白い雪のようなオーラが山を覆ったり、雲のように下がったりした。不思議な現象だった。

そして、私たちは拝殿前に戻って三ツ星を見上げた。ようやく三ツ星が拝殿の真上に移動してきた。シリウスがあれほどの距離を移動した間に三ツ星はほんの少ししか移動していなかった。

それから後のことだが、ヨーロッパの狩人オリオンの絵と六ケ岳のオリオン座を並べていて、はっとした。
オリオンの三ツ星はベルトで、その下にオリオン大星雲がある。その星団がオリオンの剣だ。

そう、日本神話では、三女神はスサノヲの剣から生まれていた。
ギリシア神話のオリオンとスサノヲの剣神話が重なった瞬間だった。

<20190818>



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by lunabura | 2019-08-18 21:00 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(1)

脇巫女Ⅱ 4 セイリオス 焼き焦がすもの


脇巫女Ⅱ


4 セイリオス 焼き焦がすもの



「われ」とは「月守の民」の祀る唯一絶対神で、セオリツ姫という名だった。

その血を受け継ぐ巫女の中で選ばれし者が「星読の民」の姫巫女となり、星の声を聞き、その脇巫女がモノノベに託宣を伝えていた。

その姫巫女は六ケ岳で星の声を聞いていた。

この話が始まると、南阿蘇や京都、愛知からアドバイスが届いた。

六ケ岳(むつがたけ)は鞍手町の南東部にあった。
その下宮が六嶽神社(むつがたけ)だ。

南阿蘇のタツが六嶽神社から見てシリウスが六ケ岳に昇ることを発見した。

それは現在でも冬になると見ることが出来るが、奇しくも2700年前も同じだったという。
2700年前こそ、この六嶽神社が始まった時だった。

六嶽神社の境内掲示板には
「紀元前700年のころ、皇女三神、霊山六嶽崎門(さきと)峰に御降臨あり、この地を上宮と定め、室木の里に下宮を建立し、云々」
とある。

星は宇宙を廻っていくので、今日の星は明日にはほんの少し場所を変えて昇るが、2万年以上の旅の中で、シリウスは2700年前と同じように今、六ケ岳から昇っているというのだ。

「われ」の三度の降臨は
    一度目が2700年前。
    二度目はセオリツ姫の名が奪われた時。
    そして、多分今なのだ。

シリウスは今は青白く輝くが、縄文、弥生、古墳時代は赤く輝いていたという。

シリウスはギリシャ語では「焼き焦がすもの」という意味で「セイリオス」と言った。
タツは「セイリオス→セリオス→セオリツ」と変化したのではないか、と言った。
これは大いに可能性がある。

ギリシャ語が日本で音韻変化した例として、
   キタヒ(暦)→ヒタキ(暦を燃やす神事)
   リソス(石)→イソの神(石上)
が挙げられる。(思えばいずれも物部氏に関連がある単語だ)


古代エジプトではシリウスはナイルの氾濫を知らせる星だった。
その時の名はイシス。



七色の祈りは、災害があっても大難を小難にするものだという。

七色がかつて脇巫女だった時代、災害の日時と場所を伝えた託宣が曲げられて真実が伝わらず、多くの人が災害の犠牲になったというトラウマを抱えていた。

その失敗を正すために今、災害を鎮める祈りを各地で行っている。

私たちはどこで失敗したのだろうか。
それを知らねば解決策は生まれないだろう。

今、教えられているのは二度目の降臨の時の失敗ということか。



チェリーが六ケ岳の地形を調べてくれた。
六つのピークは馬蹄形をしていて、山体崩壊した痕跡があった。

その馬蹄形の中にある卍マークに七色が反応した。

その場所と名前を知りたいと星読に連絡した。

星読は即座に現地入りした。
そこは「鳴谷」という地名だった。入山すると、しだいに石が剥離してガラガラと落ちてくるような所に出た。せせらぎがあり、それを辿って登ると三体の石仏があった。

真中の石仏の手には巻物があり、顔はこの物語の冒頭の写真の顔と同じだった。

その時、星読は理解した。


「月守の民」から選ばれし巫女「姫巫女」(神巫女)は その名も受け継ぐ「セオリツ姫」

「姫大神」は多くのセオリツ姫の名を受けた魂の集合体。

この地を追われた「姫巫女」(神巫女)はその名を「イチキシマ姫」と名を変えられた



下りながら、星読は鳴谷が六ケ岳の二つのピーク、高祖山と天冠山の間の谷を登った所にあることを示す看板を見つけた。

その時、「山が動く」という言葉が胸に響いた。

「谷が鳴る」時、土砂崩れが起きる。地名はそれを教えている。
その谷の麓の住人は、もし大洪水が起きると逃げる手段が無く、ヘリコプターでしか救出できない。星読はやらねばならない事に気づいた。



<20190817>




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by lunabura | 2019-08-17 20:40 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

脇巫女Ⅱ 3 月守の民とセオリツ姫


脇巫女Ⅱ

3 月守の民とセオリツ姫




 

星読に「月守の民」について尋ねると、次のように伝えて来た。


2015年11月17日(十)

「月守の民」たち

「月守」は闇を支配する者たち、災いを予知する者たち
「月」に仕える者たち
闇を恐れる者たちのために、新しき太陽が東の空に生まれるまで「月」を守る民

「月」は闇を照らす夜の太陽

「月」は天候をつかさどる神
「月守の巫女」は「月神」の声を伝える

「月守」は低き地より「神」の声を聞く
「星読」は高き地より「神」の声を聞く
「神」の声、ともに「もののべ」に伝える

「月守の民」「星読の民」は共に「闇神」を拝す

「星読の民」追われしとき、「月守の民」この地を追われる

「闇神」荒ぶる神、
人々恐れ敬うも、遅し
人々災い恐れ、この地より去る

月守の民、星読の民仕えし神「月神」は生命の営みを支配する神「セオリツ姫」

セオリツ姫は「生命を司る神」
潮の満ち引きを行い
全てのものに「生」と「死」を与えしもの
すべての神々を支配する絶対神

「天皇」は神の子
その神を支配するものの存在を認めることが出来ない
セオリツ姫は「天皇」によって「その名」を奪われた

この地に住みし者たちは「セオリツ姫」を守れずこの地を追われた



「月守の民」は名のごとく、「月」を「守る」民だった。
「月守の民」にも巫女がいて、「月神」の声を聞いて伝えていた。
この「月神」の名を「セオリツ姫」という。

「セオリツ姫はクマソの神だったのです。その当時、クマソは九州全体をクニとしていて、絶対唯一神を信仰していました。それがセオリツ姫だったのです。クマソは部族単位で九州の各地に集落を形成していたのです」
と星読は言った。

天皇家の祖は当時は一つの部族に過ぎなかったが、その祖にとって、アマテラスより上の神の存在は認められなかった。そのために、セオリツ姫の名は奪われた。

星読の民が鞍手を追われた時、月守の民もこの地を追われた。
荒ぶる神の名を奪った祟りを人々は恐れた。

このクマソについてさらに「言の葉」があった。


2015年11月19日(十四)

すべてを奪い取られた「クマソ」

「鬼」は高等な文化を伝えた

鉄の精製術
錬金術
航海術
占星術
気象観測術
土木技術
治水技術

「鬼」は伝え、地域は繁栄した

その末裔たち「クマソ」

クマソの力を恐れ、騙し討ち、暗殺、殺戮

クマソは技術、土地、文化、神をも奪い取られた

クマソが崇拝していた神
すべての神を束ねる神
絶対神

クマソを騙し討ちにした「朝廷」はタタリを恐れ、
長の命だけでなく、その痕跡さえも消し去りたかった

自分たちの「神」のために

クマソは九州そのもの
クマソが仕えし「神」は唯一絶対神

すなわち「セオリツ姫」

「神」の名も奪われ、消された



クマソは渡来人だった。
高等な文化を携えた「クマソ」は九州全体に広がった。

当時の九州は倭人から見たら異人の世界だったと星読は言った。

クマソの神は八百万の神ではなく、唯一絶対神で、その名がセオリツ姫だった。
その神の声を聞く巫女もまたセオリツ姫と同一視された。
セオリツ姫の血を引くと言われる巫女は「月守の民」の中にいた。

「月守の民」の中で、その血を引く子供たちが集められて一緒に育てられ、その中で一番力のある者が選ばれて、「星読の民」の姫巫女となった。

ゆえに「星読の民」にとって姫巫女とは神に等しかった。
この姫巫女の降ろした神託が「物述」によって各々のクニに伝えられていった。

一方、「月守の民」の男の子は「星読の民」を守る者として育てられたと星読は語った。




2015年11月18日(十二)

<十一>2015年11月18日
鬼は海からやってきた

鬼は「黒潮」「親潮」に乗って渡来した白色人種
赤ら顔した鬼(白人)は背も高く、奇異なる者
強力な武器を持ち、舟を操り、異質なる者、言葉が通じない者

恐怖に支配された人々は「鬼」の命を奪う
無残に殺される「鬼」たち
多くの「鬼」の命が奪われる

「鬼」との交流をするクマソ
クマソは鬼の血を引くもの
クマソは優しき民、勇敢なる民

クマソの力を恐れた「朝廷」は「もののべ」を操り、クマソを騙し討ちにする

騙された「クマソの民」


新たに白色人種が渡来した。人々は鬼と恐れた。彼らは舟を操り、強力な武器を持っていた。
しかし、クマソには「鬼」の血が流れていたので交流が行われた。

その力を朝廷は恐れた。

クマソを滅ぼすために策が練られ、多部族のクニだったモノノベが操られた。
モノノベはクマソを騙し討ちにした。



<20190816>



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by lunabura | 2019-08-16 22:55 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(3)

想い癖



今日の台風は風も無く、雨もそれほど強く降らず、嘘みたいに穏やかな一日でした。

先日から始めた「脇巫女Ⅱ」の冒頭を読んで、台風にも関わらず関東から飛んできてくださった方があり、午後に会ってお話しをしました。

よほどのご縁があるのでしょう。

私たちは何故転生をするのでしょうか。

その目的は分からないのですが、転生をするたびに経験をし、その経験が思考を造り、その思考が想い癖となり、新たに生まれ変わっても同じパターンを繰り返しています。

生まれるたびに記憶は新しくリセットされているようで、意外にも過去生から多く持ち込んでいるんですね。

「脇巫女」を読みながら動かされる感情や衝動を見つめることで、「想い癖」を見つめるきっかけになればと思います。


怒り、嫉妬、被害者意識。正邪を決めようとする心。せつなさ。などなど。

そういう感情を十分に味わったら、魂の意識にシフトしてそれを見つめてください。
これは一つの「技術」です。

私たちは各々が個であり全体です。

全体とは「愛」だと思います。



<20190815>






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by lunabura | 2019-08-15 23:40 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

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