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ひもろぎ逍遥

<   2019年 09月 ( 16 )   > この月の画像一覧

バスハイク 飯塚・嘉麻 面白かった!(^^)!



バスハイク 飯塚・嘉麻 面白かった!(^^)!

昨日、9月27日のバスハイクは、午後から雨の予報でしたが、予報が外れて無事に催行できました。

今回も楽しくて。
(ま、自分が好きな所ばかりセレクトしているので、当然ちゃ当然ですが(笑))

二度目の探訪は、方角や位置などの謎が解け、現地でもう一度それが確認できる面白さがありました。
今日は備忘です。






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ここは内野宿。
前回は大雨の中で堪能できかなったので、今回初めて歩いてみると、江戸時代の雰囲気がかなり残っていて、素敵でした。

50分の散策予定を組んだのですが、まだまだ足らず。
ガイドの方の話では1時間半は掛かるとのことでした。
カメラ小僧には堪らないスポットがかなりありましたよ。

ガイドの方が当ブログを読んでくださっていて、私たちが来るのを待ってくれていました。
ありがとうございます。
お食事も予約すれば食べられます。
既に食べた方があって、「美味しかったよ」と言ってありましたよ。

今から、里の秋~冬~春、と素敵な季節を迎える宿場町。
邪馬台国論争に出てくる短里760mを実感できます。
ここは、もう一度じっくりと廻りたいな…。








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王塚古墳の左壁です。
楯が並んでました!
右の壁には靫(ゆぎ)が並んでましたよ。

熊本の装飾古墳を観たばかりなので、その共通点と差が感覚的につかめました。
共通点は石屋形。また、靫や双脚輪状文など、シンボルが共通。
絵の緻密さは王塚古墳が群を抜いてました。

熊本も王塚も、もう一度見たいです。
実は写真がブレブレが沢山。(ドキドキしすぎ)
プロが克明に撮ったカタログがあればいいのになあ。

ここは撮影OKになってましたよ。











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嘉麻市に移動して。
稲築八幡宮は神功皇后が大分(だいぶ)からここに来た伝承があります。







そこからすぐ近くに沖出古墳があります。





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68mなので、画像に収まりやすいサイズです。
これが岩戸山古墳だと、大きすぎて森しか写らない( 一一)









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鮭神社はウガヤと彦ホホデミと豊玉姫を祀っています。
安曇族が来た証しですね。祭神の組み合わせは糸島の綿積神社と同じ。
鮭は豊玉姫の使いです。
これが佐賀ではナマズに変わります。











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馬見神社。
沢山の石段を登っていきますが、相変わらず、その雰囲気が素敵です。
コノハナサクヤ姫とニニギ尊ならこちら。

ようやく正面の写真が撮れました。前はトラックが止まってた。
リンゴやナシが近くで買えます!










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益富城址。
秀吉の秋月城攻めの時の一夜城がここです。
展望所まで車で行けるのかと思ったら、ずっと歩いて登っていくようになっていました。
これぞ山城。攻めるのが難しそう。平地に在る神籠石とは全く別物でした。
神籠石の山城説はそろそろ止めにしてほしい。


昨夜は写真の整理をしていたら、飼ってない猫がやってきて、撫でていたらそのまま寝てしまいました(;’∀’) 私の方が…。


<20190928>



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by lunabura | 2019-09-28 21:12 | バスハイク | Comments(0)

脇巫女Ⅱ 12 香月物部サネアツサブロウタ 


脇巫女Ⅱ


12 香月物部サネアツサブロウタ 



ヤマトタケルは鞍手(くらて)で何者かに殺された。
その時の様子を語るとヤマトタケルは崋山から去った。
そのあと、香月(かつき)物部が現れた。


◇◇ ◇
続いて「香月物部」がお見えになった

星読はその男に嘆きと怒りを感じた
菊如さんが落ち着かせようと話しかけるが、香月物部は怒りをぶちまけた
「ヤマトタケル」の名を挙げた

内容はこうだ

九州は今のような形ではなく、いくつもの島が点在していた
九州が日本国だった

この地はわれらモノノベが守ってきた地
なぜ、ヤマトタケルに渡さねばならぬのか

モノノベたちは反発した
ヤマトタケルは自分たちが守った地を取り上げた、と。


菊如さんはかねてから疑問を持っていた「草薙の剣」のことについて尋ねた

ヤマトタケルは戦いに行く直前に、なぜ草薙の剣をミヤズ姫に預けたのか
――預けていない
答えがあった
・・・やはり、戦いの時、ヤマトタケルは剣を持っていた

菊如さんは続けて尋ねた
新羅僧が盗んだ「草薙の剣」が何故「古物神社」にあったのかと

香月物部は「モノノベが奪った」と答えた

星読は「熱田モノノベ」について尋ねてもらった
なぜ、「熱田」は武器を「古物神社」に移したのか

香月物部は「フルベ」は数が多かった、三千を越していたと答えた

つづけて菊如さんはヤマトタケルについて尋ねた
「ヤマトタケルを刺したのは誰か、ご存知か」

香月物部はいやーな笑顔で星読を見た
「俺?」
星読は思わず自分を指差して声にした

大きく笑う香月物部
星読は両手をついた

その姿を見た香月物部は手の震えは「この時の震えだ」と言った

つづけて菊如さんは
「香月物部はなぜこの地を離れたのか、逃げたのか」と尋ねた

香月物部は
「逃げたのではない。去ったのだ。
われらは、ヤマトタケルが来てからモノノベが分裂したのに嫌気がさし、
この地から去ったのだ」
と答えた

つづけて菊如さんは香月物部に名前を尋ねた

香月物部はサネアツサブロウタと名乗り、お戻りになった

崋山さんが「星読さん、誰も恨んでないよ」と言ってくれた
・・・やさしい響き・・・すーっと心に入ってくるような・・・

◇◇ ◇
香月物部については、歴史的には、小狭田彦がヤマトタケルを援助して共に戦い、娘も差し出している。クマソ討伐に成功して戻ってくると、香月姓をタケルから賜った。この時、鞍手の六嶽神社と直方の剣神社も与えられている。

今回、崋山を通して語った香月物部は、香月はもともと鞍手にいたが、ヤマトタケルが来て物部が受け入れ派と反対派に分裂すると、嫌気がさして遠賀川の右岸の香月に移ったという。

この香月物部は物部サネアツサブロウタと名乗った。
そして、その男は、ヤマトタケルを殺したのは星読だと語った。星読の手の震えはその時の魂の記憶だという。

ああ、だから、星読はヤマトタケルが水銀の汚染水を飲んだ場所が「泉水」(せんすい)だと知っていたのか。1800年も前の話だが。




<20190925>





異世界小説
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by lunabura | 2019-09-25 20:42 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

脇巫女Ⅱ 11 ヤマトタケル


脇巫女Ⅱ


11 ヤマトタケル



2016年1月31日。

星読は七色夫妻と共に鷹ノ口おだ山に入った。二時間ほど回ったが、格別な発見は無かった。考古学的にも調査が入ったが、何も出なかった。表面は炭坑があった時、攪拌されたらしい。

それを聞いた夜、私は夢を見た。

土中から横長の岩が出ていた。
その向こうには丘のピークが見え、白いものが見えた。

その白いものをじっと見ていると、例のイチキシマ姫の写真そっくりの女性だった。
丘から風に吹かれながら下界を見ていた。
後の時代、そこには木々が生い茂った。

そんな夢だった。
丘とは「鷹ノ口おだ山」だろうか。確信はないが、そこに立つ優美な姿は忘れがたかった。

後日、チェリーが他県からやって来て調査に入った。
鷹ノ口おだ山と剣山の現地調査だった。七色が案内した。

そして、菊如と崋山もこの話に巻き込まれていった。
菊如と崋山は尼僧だ。

菊如のもとに、星読に関わる過去の物部の魂たちが訪れ、いろいろと訴え事をしてきたのだ。
菊如は仕事中だったので、改めて機会を設けて話を聞くと言って説得した。

そして崋山は原因不明の猛烈な痛み、腹を切られるような痛みに襲われた。

その時の事情を星読が記録していた。

星読はサウスポーだった。手が震える症状を抱えていた。
菊如はその原因が鞍手町の鎧塚(よろいづか)にあるとにらんだ。


2016年2月22日。

朝、メールが届く
・・・「菊如さん」だ!・・・手のことを気にかけてのメール
続いて「鎧塚」周辺についてのメールが届いた
・・・すぐには行動できない 午後確認することにした

再びメール 突然内容が変わった
「崋山さん」が胴体を真っ二つに切られるような痛みが出てる
・・・えっ???なに???崋山さんって誰なん?

そう思いながらも、鎧塚に行ってみた
・・・何もない・・・何も感じない・・・

七色さんに連絡してみた

七色さんはチェリーさんと一緒に「剣岳」に移動していた
剣岳はヤマトタケルに関係がある山だ

二人が「御神木」と思われるような木のそばを通りかかった時、
切り倒されようとしていた
チェリーさんが声を掛けたが、むなしく、チェーンソーが幹に押し当てられた

七色さんはそんな話をしてくれた

この話を菊如さんにメールした


◇◇ ◇

崋山は、この神木が切られる痛みを体験させられていた。

チェリーと七色は「鷹ノ口おだ山」から「剣岳」に移動していた。その時、木が何本か切り倒されている所に遭遇した。神木と思われる木を切ろうとしていたので、「それは御神木ではないですか」と尋ねたが、木は切り倒された。

この時、それを知らない崋山が胴体を切られるような痛みで苦しんだ。

この時のことをチェリーは次のようにコメントした。
<(おだ山では)ここだというような場所は見つけることができませんでしたが、
不思議なことがあったのです。

入山中に周辺で停電があったのです。信号も消えちゃったみたい…
しかも、そのあと剣岳に向かったのですが、原因というのがそこで行われていた大規模な伐採作業だったようなんです。九電の人が走ってたもの…>

後で聞くと、神木は神職によってお祓いがされていたという。
山の木々はあっという間に大きくなって視界をさえぎり、道を覆ってしまう。その為に定期的な伐採が必要だ。剣山はその点、よく手入れされていたが、この神木は特別な木だったのだろう。
停電も、伐採中に電線が切れて起きたものだった。

当日は事情が分からず、混乱した。
そのため、この日も星読と七色とチェリーは菊如のもとに集まった。
この時、初めて崋山も合流した。崋山は神懸かりをする尼僧だった。
霊媒の役目をした。英語で訳せばチャネラーということになる。

この時の事も星読が記録していた。

◇◇ ◇

夕方、ふたたび菊如さんを訪ねることとなった

「崋山さん」登場!!
・・・何が起こるの???

何かの準備が始まった
・・・どうしたらいいの?

いつもとは雰囲気が違う菊如さん
「星読さんはメモしてね。それと、目を合わさないように」
「誰と?」
「崋山さんと」

菊如が経をあげる
・・・二人の経は心地よい・・懐かしいようで・・・落ち着く・・・

菊如さんと崋山さんが向かい合って座った
・・・何が起こるの???

突然、崋山さんに何かが憑依した
・・・「猿田彦」がお見えになった
菊如さんは懐かしそうに猿田彦とお話をした

そして、猿田彦はお戻りになった


続いて「ヤマトタケル」がお見えになった
左手で腹部を押さえ、右手で水をすくい、口元へ・・・

菊如「場所は?」
星読「泉水」(せんすい)
何故か星読がとっさに答えると、ヤマトタケルがうなずく

菊如「苦しいのですか?」
ヤマトタケルがうなずく
菊如「誰にやられたのですか?」
ヤマトタケルは何も答えない

・・・なんとなく居心地が悪い
星読はそんな気がした

やがてヤマトタケルがお戻りになった

崋山さんが見たことを話し出した

ヤマトタケルは刺された後、五人の家臣に守られながら逃げてきたが
苦しさのあまり、自分の鎧を取るように命じ、家臣は鎧を脱がせた
ヤマトタケルは、のどが渇き、「血が滴る右手」で水をすくった
飲んだ水は「赤く濁った水」だった
その後、隊列とは別行動で「鎧塚」までたどり着いたが、ヤマトタケルは絶命した
亡骸(なきがら)を剣岳の裏手の裾に埋葬した五人は木の枝を持ってその場を離れた
やがて戻ってきた五人は埋葬した場所を囲み自害した

これが
崋山さんが見た内容だった

◇◇ ◇

ヤマトタケルが出て来た。

ヤマトタケルは終焉の姿を見せたかったようだ。
刺されたヤマトタケルは鎧を家臣に脱がせ、赤く濁った水を飲んで死んだ。これが水銀の混じった水だった。

その亡骸は五人の家臣によって剣岳の裾に埋葬された。
五人の家臣はそこで自害したという。

泉水も鎧塚も鞍手町の地名で、鎧塚にはヤマトタケルの伝承があった。

それにしても星読は何故、ヤマトタケルが水を飲んだ場所が泉水(せんすい)だと知っていたのか。

その謎は徐々に明かされていった。



<20190924>



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by lunabura | 2019-09-24 21:46 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(2)

無事通過



昨夜は台風17号が通過しましたが、皆さま、大丈夫でしたか。
当方は無事です。
九州各地で一時期17万戸が停電し、今も5万戸が停電中だそうです。
佐賀や千葉など復旧途中の地域は大変だったのではないかと思いを馳せています。

さて、10月の久留米大学の公開講座を控えて、前倒して準備をしています。
それというのも、10月早々にRKBラジオの収録が入ったからです。

今回は令和の記念として、大宰府特集から始まります。
二回ほど、太宰府の関連遺跡などの紹介があり、その後、私が大伴旅人の話をすることになりました。

歴史カフェなどでは、資料があって万葉集の歌も一緒に読むので古い言葉も伝わりやすいのですが、ラジオではどう伝えたらいいのか、沢山の工夫が要りそうです。

それで、少し早目の準備の期間が必要で時間のやりくりをしています。

まるで公開の口頭試験を受ける気分ですよ。

ラジオ放送の時間が日曜日の朝6時10分に変更になりました。
ブラタモリとは、かぶらなくなったのですが、早朝はなかなか聞けませぬ。
録音バージョンで聴くことになりそうです。

スマホの方は「ラジオクラウド」というアプリがあって、放送後にいつでも聴けるようになっています。パソコンの方はRKBのHPから聴けます。
「古代の福岡を歩く」という小さなバナーを見つけてくださいね。

11月のバスハイクでは、実際に「大伴旅人ゆかりの地」を廻ります。
ラジオで紹介される場所はもちろんですが、足を延ばして基肄城などにも行きます。

案内は「歴史と自然をまもる会」のHPを御覧ください。
そちらからUPされたあと、こちらでも案内します。


<20190923>


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by lunabura | 2019-09-23 10:30 | RKBラジオ 古代の福岡を歩く | Comments(0)




ん?

何か視線が…。






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窓の外を見ると雲。







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翼、生えてない?


<20190921>


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by lunabura | 2019-09-21 23:00 | にっき | Comments(0)

脇巫女Ⅱ 10 鞍橋君(くらじのきみ)


脇巫女Ⅱ 10


鞍橋君(くらじのきみ)



一方、私は私で、夢の中に現れた「馬上の武人」を探していた。

武人の「私たちは国のために戦ったのだ」という言葉。
古墳時代のような鎧と甲(かぶと)の姿。
出現した場所は「鷹ノ口おだ山」の丘の手前。

この三点から、候補として、鞍手の武人で、歴史的に重要な鞍橋君(くらじのきみ)を挙げた。

朝鮮半島の南西部には十数基の前方後円墳がある。
これは主に九州北部から派遣された武将たちの墓で、一部は遠賀川流域からも派遣されている。

この鞍手も遠賀水軍に含まれており、古墳時代に遠賀水軍が朝鮮半島に派遣されたという事実は、馬上の武人の「私たちは国のために戦ったのだ」に符号していた。

鞍手には大きな古墳が二つある。

新延大塚古墳(6世紀後半)と八尋1号墳(6世紀末)(銀冠塚古墳)だ。

後者は破壊されてしまっているが、その石室の土の中から銀の冠という重要なものが出ている。
消失したこの八尋古墳1号は観光マップからも消えている。一行の記述もない。そこには今は県営住宅が建っているらしい。

この二つの古墳の距離は二キロほど。築造時期が近いので両雄はお互いの事を知っていたと思われた。

私の夢に出て来た「馬上の武人」は、この銀冠を持った八尋一号墳の主ではないかという思いがあった。証拠はない。漠然とした思いだけだ。

そして、それは鞍橋君(くらじのきみ)ではないかという思いも消えなかった。
そう、百済王子と共に新羅に侵攻して籠城し、敵を打ち破った武将だ。
この状況が「私たちは国のために戦ったのだ」という言葉をよく説明しているのだ。

武人は「鷹ノ口おだ山」の前に立っていた。
そこは「星読の言の葉」と「私の夢」の接合点でもあった。
イチキシマ姫と鞍橋君とでは、1000年以上の差があるのだが、武人はその禁足地を守り続けていたのかもしれない。

取っ掛かりとして、「馬上の武人」=「鞍橋君」=「八尋古墳一号の被葬者」という仮説を立てて追ってみることにした。違っていれば、それはそれで収穫がある。

この鞍橋君は筑紫君磐井の孫にあたる人物だ。
鞍橋君に「君」の字が付けられているのは、磐井君の末裔だからだろう。

この鞍橋君の名が鞍手町の熱田神社の系図に出ている。
現在の宮司家(社家)はこの鞍橋君が始まりなのだ。
多分、褒賞として熱田を与えられたのだろう。

鞍橋君という名は百済王子から貰った、と日本書紀に書かれているが、その本名が記されていない。その父葛子、また祖父の磐井の姓も記されていない。

すべて阿倍姓だ。阿倍姓を抹殺したため、百済を救った鞍橋君が磐井の孫ということが分からなくなっていた。葛子は家を再興し、我が息子を半島に遠征させていたのだ。

もし、この鞍橋君がいなかったら、百済国は王と王子が戦死して、新羅に滅ぼされていただろう。
それほどの重要な人物だが、鞍手ではその名が聞かれない。

私は「宮地嶽神社と筑紫君磐井の末裔たち」を執筆中だったので、その登場人物が夢に現れたのだろうと思ったのだった。

忘れ去られた武人にもう一度歴史の光を当ててほしいと。

<20190920>




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by lunabura | 2019-09-20 21:32 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

脇巫女Ⅱ 9 猿田峠 


脇巫女Ⅱ


9 猿田峠



2016年1月17日。

志賀島歴史講座のあと、いつものように皆さんから個人的な質問を受ける中、久しぶりに愛音(あいね)の姿があった。愛音とは八所宮や豊日社以来の縁だった。愛音が豊日社での出来事を話してくれた。

鞍手町から宗像市に向かう途中、グローバルアリーナの近くに猿田峠がある。比較的緩やかな勾配だが、雪が少しでも降ると車は立ち往生するという。

そこに豊日社があり、麓に猿田彦とアメノウズメを祀っている。豊日社そのものは長い石段の上にある。

かつて、菊如と崋山たちがその社に呼ばれ、荒れ果てた境内の石造物を立て直し、手入れをした。そして、晴れて麓の猿田彦などの神々をお祀りすることが出来るようになったという。

この大祭に参拝した時、私はブログに次のように記した。

豊日社(とよひしゃ)

 猿田峠のかたわらに鎮座する豊日社。
長い眠りから覚めて集われた猿田彦さまら、六柱の神。

今日はその一周年の神事に参加させていただきました。
その数日前「猿田彦は倭国の大神」と「豊日別神社」(行橋市)に書かれているのを知ったばかり。

真実の歴史の再興のとき。

あたらしき枠組みの起こりのとき。

心強き神々の出現を寿(ことほ)ぐ。


以上が過去記事だ。

愛音が言うには、この神事のあと、地元の人たちから宮に関わることを遠慮するように言われたという。

そして、最近、菊如たちが再び猿田彦を祀る神事をしていたところ、上の方で何やら不穏な雰囲気が伝わって来たので上がってみると、残念ながら手入れがされていなかったらしい。

そして、物部の兵士が324人現れて「ここは聖地だったのに、どうしてこのようになった」と怒ったという。

「鏡も無くなっている」と。それは額田王の鏡らしい。

そして「ニギタツ」の歌の話が出たという。
そう、
  饒田津に 船乗りせんと 月まてば 潮もかないぬ 今は漕ぎ出でな
の歌ではないかと思われる。

饒田津は瀬戸内海にあるというのが定説だが、鞍手の新北(にぎた)にもまた「津」があったのではないか。そんな話は七色とも話題にしていた。実際、「ニギタ津は鞍手の新北津」という説もある。

鞍手は意外に標高が低く、奥の方でもわずか1~2メートルだという。だから、いま、津波災害の問題を話題にしているのだが。

話はそれるが、長い付き合いの友人が先週、唐突に、鞍手で大水害があった話をし始めた。

彼女は鞍手病院の近くに住んでいたが、胸まで水に漬かりながら家に帰ったという。それは昭和28年の大水害だ。

地方史を調べると、28年の水害は必ず出てくる。どこもかしこも堤防が壊れた。

こんな話を突然彼女がすること自体、タイミングが合いすぎた。常にこの問題は忘れてはならないのだろう。

そして、地元の人からも次のような話が入った。

28年の水害の後、近くの人にどうして目の前の丘陵に住まないのかと尋ねたら、
「そこには禁足地があるから」と言ったという。


そう、そここそ、例の「鷹の口おだ山」だった。
禁足地があったとは。


さて、話を猿田峠に戻そう。

怒れる324人の物部の兵士たちが言うには、豊日社は鞍手への入り口を守る地として聖地としたのだと。今は倒木や落ち葉で荒れているという。そのただならぬ怒りに、菊如や神職たちは必死の祓いで鎮めたという。

そして、その話題に新北(にぎた)、古物(ふるもの)などが出たという。
古物神社は本来の呼び方「ふるべもののべ」と呼んでほしいと。

これを聞いて、私はもう一つの話を思い起こさずにはいられなかった。

ある人が、高倉神社、古物神社、古門横穴墓に行ったあと、夢を見たという。

「朝方、古代の恰好の若者達が争っている夢を見ました。場所は古物神社の下部に土俵がある広場があったと思いますが」と。

物部の兵士たちは、鞍手が大切なのだ。
そして、鞍手の聖地を守ることが出来るのは鞍手の人たちだった。


以上の記事を投稿すると、菊如自身から連絡があった。

「直接お話ができますでしょうか?ここに至るまでの様々な神のおしらせから、物部だけでなく、いろいろなことが関係しています。それらについてお話する機会を作っていただければと思います。」

菊如とは八所宮に招かれて以来、久し振りの再会だった。


愛音(あいね)が車で迎えに来てくれた。猿田峠を通って菊如の元に行くという。

私が、豊日社がどうなっているのか確認したい、と言うと、愛音は快く車を止めてくれた。
鳥居の右手には猿田彦大神が祀られていた。

菊如によると、ここは埋もれていたのだそうだ。落ち葉に埋もれていて倒れていたものを復活させたという。当時は石段の存在もかすかに分かるような状態だったそうだ。

菊如が語るには、そもそもの始まりは、「六柱の猿田彦を探せ」と告げられたことだった。苦労の末、六柱とも探し出してここに合わせて祀った。

私は愛音と共に参拝した。

小雪が舞い、大風が吹く中、石段を見上げると薄暗い。
石段に落ち葉はあるが、思ったより新しい葉で、きれいにしている。

雲が切れたか、薄日が石段を照らした。
途中に巨大な磐座があった。祭祀の始まりはこの磐座だったのではないか。
そんなことを考えた。

磐座を迂回しながら頂上に出ると、フラットな境内が広がり、祠にだけスポットライトのように日が差していた。正月を迎えるために清められたのだろう。すがすがしい境内だった。

「豊日社」の祭神は不明だが、豊受の神とも縁があるという話だった。

当初、祠も破れていたのを菊如が新しく奉納したという。
地名は「吉留」(よしとめ)。神々が留まるのに良き地だった。

祠が破れていたとき、ご神体石はある所に預けられ、保管されている。


菊如の営む庵で話を聞いた。


菊如が探させられたのは六体の猿田彦だけではなかった。それ以外に、八本の剣、干満の珠などなど、数々の神器を探させられた。

それをすべて探し集めて、伊勢と出雲の遷宮の時に奉納したという。それらは、この鞍手や宗像を中心とした筑紫にあったものだった。もちろん、凡人の私の目には見えない神器の数々だった。


「鷹の口おだ山の禁足地」という言葉に星読が反応した。

<2016.1.19>

「禁足地」それは朝廷が「封印」したい土地

神を「ヤマトタケル」に書き換えたように・・・・

再び、「封印」したいのか
それほど、わが力が怖いのか
ならばなぜ、わが地を奪ったのだ

「六」に仕えし者たちよ、今こそ集え

「八」に惑わされし者たちよ、その基をみよ


さらに伝えて来た。


<2016・1・19>

古物神社・・・「ふるべもののべ」
 六嶽のタタラで製鉄の技術を覚え、「月守の民」を守るために人目に付きにくい山裾でひっそりと武器を創っていた者たち


六嶽神社・・・お札は五角形
 五角形のお札!
 収まりが悪いと思っていたが・・・意味があった・・・五芒星
 今頃気付いた・・・遅し!


「六」は六嶽・・・「星読の民」「月守の民」とそれに従う者たち
「八」は八剣・・・朝廷側の者たち

わが「神棚」には両方のお札が・・・俺はいったい・・・???



七色からもコメントが入った。

<物部夫からです。

猿田峠から猿田谷(村)、一ノ谷、ニノ谷、、、六ヶ谷、七ヶ谷と続いているよ!!
↑↑↑
と言っておりました。紐解きが必要な場所です。>


いっせいに情報が集まり出して、私は混乱するばかりだった。



<20190918>



異世界小説
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by lunabura | 2019-09-18 21:48 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

脇巫女Ⅱ 8 集う 


脇巫女Ⅱ
8 集う 



私と七色(なないろ)と星読(ほしよみ)の三人が出会ってから二ケ月目、2016年1月9日に古月(ふるつき)も加えて四人で鞍手町を廻った。

流れに任せてみようということになり、まずは六嶽(むつがたけ)神社に向かった。二週間前の夜中にシリウスを観に訪れてその闇の暗さに恐れた宮は、さわやかな表情で迎えてくれた。

ここにはかつて宇佐宮があったという。「宇佐」という地名も近くに残っているが、宇佐宮はここから北九州市の到津(いとうづ)へ遷り、何ヶ所が移動しながら現在の大分県宇佐市に遷ったという話を聞いた。

また、石の鳥居が鉄サビのように赤色が浮いていたことから、水銀の話が出た。星読が、この近くで水銀が採れていたが、近年採掘が禁止されたと教えてくれた。

神社の裏手に出ると谷があった。断層の陥没によって出来た谷だ。そこから水銀が採れた場所が右手に見え、また左手にはタタラグチという地名があった。ここの断層は上下にずれて鉱脈が露出したために採掘しやすかっただろう、という話になった。

白山神社のある山の麓には鍛冶屋の字名があった。

小狭田彦がこの六嶽神社の神官となったのは、やはり水銀採掘地を褒賞としてもらったのではないかと、と思われて仕方が無かった。水銀は弥生人が愛した朱だ。


さて、話題に虚空蔵菩薩の名が出て来た。京都では事代主とされているということで、虚空蔵菩薩を祀る長谷寺に向かうことになった。鞍手には長谷寺がある。

長谷寺の裏手の急な石段を上ると、虚空蔵菩薩が祀られていた。そこから下りて別の石段を登って長谷寺に出た。ここにはかつて国宝だった十一面観音が鉄の扉に守られて祀られていた。十一面観音はセオリツ姫と同一視されている。

その境内に二つの瓦が置かれていた。御堂を立て直した時に残されたものだが、その瓦に月とラセンがあった。満月と三日月と花のような渦巻きだ。
しかも、「大月守」という字が彫られていた。この鞍手には何と「月守」姓が今も残っているという。

花のような渦巻きラセンを見ていて、あの「月守の民」が描いたのだろうか、という話になった。もちろん想像に過ぎない。

しかし、驚いたことに、この長谷寺の地こそが「金星による聖図形」のラセンがズレ始めた所だという。
それを聞いて地形を見ると、先程の虚空蔵菩薩と十一面観音の間には急激な陥没跡があった。

それは断層だった。聖なるラインの引き直しの実例が目の前にあった。


それから、次の目的地は新入(地名・しんにゅう)にある剣神社と決まった。聖ラセンの起点近くにある神社だった。七色は物部の匂いのする神社だという。

石段を登った所にある。神紋は亀。拝殿を背にすると福智山が見えた。裏手から六ケ岳が見える。展望の良い神社だ。

七色が聖図形に記したバッテンの位置を古月に尋ねた。現地で地図と照らし合わせて、それは六ケ岳の最高峰、旭岳だと分かった。雲の中から太陽の日足が出て、その場所を示した。

古月は二つの聖ラセンのバランス点、すなわち中央の点を求めると旭岳になると結論付けた。そして、三つ目の聖ラセンの始まりも同じ所だろうと予測した。すなわち、旭岳から三つの巨大な聖ラセンが大地に描かれていつ可能性があると確信した。

この神社の境内の見晴らしの良さは断層から成り立っていた。正面には福知山断層。背後には西山断層。断層の間に川が流れ、道が通り、人々の営みがあった。

そして、コメントが入った。
剣神社の元宮近くには、かつて金鉱があり、その坑口から正月の二日に三本足の白馬が飛び出して天を駆け回ったとか。その馬を見ると一年間幸運に恵まれるというので、近隣から人々が押し寄せていたと。

三本足の白馬。
不思議な馬だ。人々が押し寄せたとは、これも面白い話だ。

そして、金と水銀と鉄。そして断層。 鞍手巡りは古代の人の求めるものが潤沢に供給される地だったことを知る小旅行となった。

<20190917>



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by lunabura | 2019-09-17 22:57 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

彼岸花





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今年も彼岸花に会えました。






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まだまだ猛暑が続きますが、季節が確実に進んでいることを教えてくれています。






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私たち人間も循環の中に生きている。







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ささやかな祈りでも天は知っている。









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そんなことを考えた一日でした。



<20190915>




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by lunabura | 2019-09-15 22:01 | 繁栄の種 | Comments(0)

靫(ゆぎ)を愛する人は武人か工人か



まだまだ熊本県立装飾古墳館の印象が心に残る。

靫(ゆぎ)を見ていると、添えられた円文が的に見えたり、楯(たて)に見えたりする。
今回の印象を書き留めておこう。
靫とは矢を入れて背中に負う容器だ。





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石に精巧に彫り付けた靫。上の方には矢も彫られている。左の巴形は多分、鞆(とも・ほむた)。
弓を引いたときに手首に弦が当たって怪我をするのを防ぐもの。
そうすると、一番右にある円文は的ではないかと思われる。
被葬者は弓の名手だったのだろうか。







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こちらは赤色が良く残っている。靫、靫、靫。どれだけ靫が好きなのか。
弓の名手が埋葬されたのだろうか。
その間に円文が二段に彫られている。すると、やはり円文は的に見えてくる。

どこかに弓が彫られていないだろうか。あいにく良く見えない。
彼らはどんな弓を弾いていたのだろうか。










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こちらは見えにくいが、弓が彫られている。
左から弓、靫、となると中央の円文は楯(たて)だろう。そして鎧、刀と飾りの円形の玉。
私にはそう見えた。
その中でひときわ大きいのが靫だ。鎧は可愛い大きさだ。








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珍敷塚古墳壁画を見ると、靫が三つ並んでいるように見える。
こうなると、擬人化しているようにも思われる。

弓の名手たちか。
右手のカエルは古代中国展でも馬具(杏葉)のデザインなどに見られた。
左手にはエジプト壁画に似た船と鳥。円文は位置からして、太陽に見える。



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さて、こちらは靫靫靫靫。14も!
靫(ゆぎ)と靫の間に鞆(とも)が見える。
すると、右の円文はやはり的だろう。

この被葬者も弓の名手か。
もしかしたら靫や弓を造る工人集団の長かも知れないとも思ったりする。

武器工人となると、かなりの豪族だろう。その長なら弓の腕も立たねばならない。

靫を愛するこれらの人たちは武人だけでなく、工人もいたのかも知れないと思い始めた。
靫のデザインも四角のものと、くびれがあるものの2パターンがあるようだ。

靫を愛する人たちが熊本やうきは市にいた。
次回バスハイクで行く王塚古墳では鎧(よろい)がずらりと並ぶ。

被葬者の個性か、氏族の違いか。
いろいろと想像されて面白い。

「矢」については、実際に残っていた「古墳時代の矢」を古賀市船原古墳で見たが、それは驚くほど精巧な造りだった。既に矢は進化を極めて、完成形だった。


円文も鏡か的か、太陽か魂か、それぞれ違っているようだ。



<20190914>

熊本県立装飾古墳館 山鹿市鹿央町岩原3085 電話 0968-36-2151



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by lunabura | 2019-09-14 20:18 | <古墳シリーズ> | Comments(0)

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