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ひもろぎ逍遥

<   2019年 11月 ( 15 )   > この月の画像一覧

『神秘書』「別所」に天竺から流れて来る水と戒壇があった



「高良玉垂宮神秘書」に「別所」についての記述がある。

「別所」とは久留米市高良山(312m)の山頂付近の地名で、山頂から二キロほど下った所に毘沙門堂と別所の清水があり、戒壇があった。

戒壇とは唐より招かれた鑑真が太宰府市の観世音寺の横に戒壇院を設けているが、高良山でも出家できたということになる。



三五四条
一、戒壇の在所、別所の毘沙門天の前なり。大菩薩の御宝を納め給う在所なり。これによりて、本尊を毘沙門天とは定めおかるるなり。


【訳】戒壇のある所は別所の毘沙門天の前である。大菩薩の御宝を納められた所である。これによって本尊を毘沙門天と定められた。



―ー大菩薩とは高良大菩薩のことで、仏教が入る前は高良大明神と言った。安曇磯良のことである。三韓討伐の大将軍だったので武神である毘沙門天が祀られた。そこには大菩薩の宝が納められていたという。




三九六条
一、別所ということは、天竺ムネ池、水を流し給う。又は、戒壇の在所なるゆえに別所とは名付けたり。


【訳】「別所」という地名は、「インドの善女龍王の住む無熱池から、ここに水が流れている」ことからついた。または、戒壇があるゆえに「別所」と付いた。



――天竺とはインドのこと。ムネ池とは「無熱池」(ムネッチ)のことで、インド神話に登場する八大竜王の一、沙掲羅(しゃから・シャガーラ)の第三王女である善女(善如)龍王が住んでいた所とされる。

即ち、「別所の清水」はインドの善如竜王が住んでいた無熱池に通じているという「特別」な所だった。

沙掲羅は沙伽羅とも記す。八大竜王の一つで海龍王のことである。
「海龍王」との縁が語られるのも、安曇磯良が当山を治めていた名残だろう。


高良山の戒壇で使う聖水はインドの聖地に繋がっているという思想があった。



<20191117>


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by lunabura | 2019-11-17 17:17 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Comments(0)

水鏡



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水鏡。








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夕暮れ散歩。







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私はこのアオサギを「ラドン」と呼んでいる。
翼を広げて降りてくると、圧倒的にかっこいい。







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 秋だね。





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by lunabura | 2019-11-16 19:45 | にっき | Comments(0)

発芽 



 

2019年11月6日に遅い種まき。一週間後に発芽。

そして、今日のようす。





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赤い種をくっつけたほうれん草。







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春菊は黒い種をかぶったものも。


あの物語を思い出した。



ニンジンは細々としていたが、手のひらのような葉っぱをしっかりと広げていた。

葉を開く力で殻を振り捨てようとしていた。

葉っぱの先にまだ黒い種をくっつけているのもある。

生長する為には、古い殻は捨ててしまわねばならないのだ。

ニンジンはこれまで自分の生命を守ってくれていた殻を突き破り、新しい段階に入ろうとしていた。

「自分を守ってくれた殻が、今度は生長の邪魔になるんだね。」
と、ヒプソットが言った。




拙著『ガイアの森』より



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by lunabura | 2019-11-14 19:53 | ◆ガイアの森◆ | Comments(0)

『神秘書』書き換え



「第一章を変えよう」
そういう声がずっと内に響いていた。
「高良玉垂宮神秘書」のことだ。
ようやく章を変え始めたのが先月10月22日のことで、昨日の満月の夜に作業が一段落した。

今から詳細を詰め直す。





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項目をブログタイトル風に説明が多い形にしたら、目次だけでも内容が掴みやすくなった。
また本文と訳を上下に並べたら、読みやすくなった。

これから詳細を見直し、分析していくので、作業は半年以上はかかるのだろう。

何故、私はこんなに高良山の事が好きなのか。
作業をしながら思い出すのが、
私自身、わずか10歳から16歳頃、高良山を何かにつれて彷徨したこと。

女の子がただ一人で山中のいくつもの分け道を歩きまわったのだから、尋常ではない。
よほどの縁があるのだろう。

文献をいろいろ提供してくれた方に感謝。


<20191113>

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by lunabura | 2019-11-13 20:17 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Comments(0)

20191112 満月 日貫(ひぬい)太陽と水星







今夜は満月。
薄雲が広がって面白い表情を見せてくれる。





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昼は水星が太陽面を通過したとか。

これを「日貫」(ひぬい)と、確か呼んだ。
真鍋の記録。
後で確認しよう。

出雲には「日貫」という地名がある。

何度か訪ねた。


日貫からエネルギーが各地に伝わる。
全国の各地に同様なスポットがあって、つながっていく。

そんなイメージが湧いた土地。

今、どうなっているだろうか。





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今夜の雲は龍が満月を抱いている印象がある。





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<20191112>





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by lunabura | 2019-11-12 20:24 | にっき | Comments(0)

ラジオで自分の声を聴くのは…



私にとって3シーズン目を迎えたラジオ出演ですが、日曜日の早朝になったので、RKBラジオの収録分を聞くことにしました。

朝から聞いてもいいのですが、自分の声を聴くのは勇気が要るので、朝からは無理なんです(;^ω^)

今日、緊張せずに楽しく聴くにはどうしたらいいか、と考えて、
タンスの引き出しを整理しながら聴くことにしました。

「令和」が、RKBの拠点がある福岡で行われた梅花の宴の序文から採られたというので、今シーズンは太宰府の話からスタートしています。

普段、旅人や憶良の歌を声に出して読む事もないし、その話をしたのも歴史カフェや香椎だけなので、どうやって伝えたらいいか、ずいぶんと時間をかけて考えました。

今日、聴いてみると、言い間違いをして訂正したり、質問に対してどの程度答えたらいいのか、悩み悩み話していて、もっと上手く説明できたらいいのにな、と思いましたが、ま、いいか、と受けいれています。
旅人の屋敷は何処にあると思うか、とも聞かれちゃいましたよ。

旅人の苦しみや、憶良の友情などを話しながら、香椎や太宰府、嘉麻市、また久留米、筑前町など福岡の地名が出てくるたびに、一人でキュンとしているのでした。

お酒におぼれていった話、隼人の乱後に苦しんだ薩摩大隅の人たちの租税の免除をした話なども、話術はなくとも、作品の持つ力が補ってくれたように思いました。

旅人の頃の歌が筑紫万葉歌壇として、格別に取り上げられるのも、納得です。

私の担当は第3回と第4回です。
第1回と第2回は学芸員さんの話で史跡のことがよく分かります。





スマホの方はラジオクラウドのアプリをダウンロードすると聞けるそうです。


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<20191111>


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by lunabura | 2019-11-11 20:08 | RKBラジオ 古代の福岡を歩く | Comments(0)

脇巫女Ⅱ 28 タギツ 石占い

脇巫女Ⅱ

28 タギツ 石占い






 
次に現れたのも女性だった。崋山の顔を見て、菊如がクスっと笑った。
「オタフクさんですね」。
美人ではなかったようだ。菊如が改めて尋ねた。

「地の人ですね。お名前は?」
「タギツ。浜の名前、タギシの浜から付いた名」

タギツの言語は柔らかい外国語だった。言語変換がされて、日本語となった。
「出雲に多芸志(たぎし)の浜があるけど」
「こちらにもタギシの浜があります」
出雲と鞍手周辺には似た地名がいくつかある。特に鞍手のキヅキ(木月)は出雲のキヅキ(杵築)を連想させた。この話になった。

「木月は杵築だったのでは?」
「その字は使えなくなりました。隠さねばならないものがあるのです」

「何を隠すの?」
「『築』が使えないのです」
それ以上のことは分からない。

「木月に大己貴は住んでいたの?」
「よく分かりません。あそこの地は沢山の小さなお屋敷がありました。一つの集落になっていました。不思議なことに、他とは違っていました」

お屋敷について尋ねると、
「一人住まいのような」と言って高床式らしき家のようすを手で表した。「他の人は地面に住んでました」
これは竪穴式住居のことらしい。木月には高床式と竪穴式の住居があった。これは吉野ケ里遺跡と同じだ。

菊如はさらに尋ねた。
「他の人たちってどんな人?」
「他の人とは会ったことはありません」

「六ケ岳はどんな感じの山?」
「とても高い山で、上が雲にかかる高さ。とうてい登れるような山ではありません」
いったいいつの時代か、また疑問が生じる。
菊如が私に質問を促した。私は驚いてばかりで、思考停止中だった。
この女性がタギツ姫なら大己貴と結婚していたはず、と思い当たって尋ねた。

「誰かと結婚していましたか?」
「していません」
三女神の一人ではなかった。予測が外れた。
菊所が尋ねた。
「お仕事は?」
「石で占いをしておりました」
タギツは50センチ×60センチほどの平らな石を手で描いた。右手で複数の小石を石台に投げる動作を繰り返した。私はルーン文字を描いた小石で占う姿を連想した。

「どこにいたの?」と菊如が尋ねると「亀甲(かめのこう)」と答えた。
亀甲とは!熱田神宮の縁起では、ヤマトタケルが熊襲討伐から戻ってきて、戦勝のお礼の祈りをした所ではないか。熱田神社の宮司が心身清めて祭祀をしていたという。それは剣岳の麓にある。
そして、術師がいたという話を星読が書いていた。

「誰か来た?」
「二人で占いに来られた方があります」
二人と聞くと、ヤマトタケルと武内宿禰が連想された。

「目の色は?」
「一人は黒、一人は悟られぬように伏せて、違う色の目でした」
やはりヤマトタケルと武内宿禰だ。私の夢に出て来た二人。タケルの目は青。

「何を聞かれた?」
「今いる場所からどの道を通って西に抜けると良いかと。三つのルートを示されました」

「どう答えたの?」
「その一番真ん中。川と海から離れた場所。陸路です」
西!

それはヤマトタケルと武内宿禰が佐賀の熊襲タケルを襲う時の話に違いない。『風土記』にもタケルが何度も出てくる。

佐賀大和への遠征ルートを占ったのだ。熊襲タケルが逃げ込んだのは佐賀大和だった。
鞍手からヤマトタケルたちは陸路を通って当時「ありなれ川」と呼んだ三笠川~筑後川に出て、有明海の波が洗う佐賀に出たことになる。

菊如が尋ねた。
「白山には誰か他の姫がいた?」
「私には分かりません」
白山とは鞍手にある山のことだ。ここにも多くの歴史が埋もれているが、まだ手が出せなかった。

ここで、話は終わり、タギツは抜けていった。崋山の自意識が戻って来たとき、「出雲はヤマトタケルを快く思っていなかった」と言った。

<2019年11月10日>



以下は佐賀の記録

http://lunabura.exblog.jp/21648939/
ヨド姫三社めぐり(6)大願寺廃寺~健福寺
日本武尊が熊襲タケルを討伐した所だった

http://lunabura.exblog.jp/21679856/
ヨド姫三社めぐり(7)真手(まて)山
熊襲タケル対ヤマトタケル

木月剣神社 『神功皇后伝承を歩く』上巻17 神功皇后が日本武尊の旧跡で祈った







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by lunabura | 2019-11-10 19:28 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

脇巫女Ⅱ 27 シンロンの長はロージ―/田心姫


脇巫女Ⅱ

 27 シンロンの長はロージ―/田心姫


前回割り込んで来た沖ノ島の関守・ジンヨウの部族にも姫がいた。シンロンという名だった。

崋山にシンロンが懸かった。

菊如は船乗りのふりをしてシンロンに尋ねた。
「はじめまして。関所の方から聞きました」
「わらわのことですか」

「お名前は?」
「われ。シンロン。日本語で田心と書く人と同じ。われ心田(シンロン)」

「タゴリ姫と呼ばれていたのですか?」
「我はあの者の仲間ではございません。そこに居たことはありますが。
その人は大切にされていました。
宗像の田島に住んでいる「心」の字が付く女性で通訳をしていた。
田島に住むシンロンさん。「田心」さん」

「その人はどういうことをなさっていたの?」
「雨が降らなければ降らしたり、祈りを捧げたり。
神ではありません。雨が降り過ぎて波が高くならぬように祈りを捧げただけ。神ではありませぬ」

菊如は話題を変えた。
「いっぱい素晴らしいものが届きよったんですね」
「そう。光る石も採れるし」

これを聞いて私は質問した。
「それは金ですか?そこでも精製していたのですか?」
すると、シンロンは首を横に振った。
「ほら見たことあるでしょ」
とシンロンに言われたが、私はその時は思いつかなかった。
今思えば、鞍手の大塚古墳の石室にあった、ラメをまぶしたようにキラキラと輝く石のことだろうか。
よく分からない。

「農耕をしていました。畑だけでは暮らしていけなかった」
とシンロンが答えたが、菊如は話題を変えた。
「タギツさんは御存じ?」
「知らない」

「イチキシマヒメは?」
「知らない」

「他の女の人は知らない?」
「山の上に女性が一人住んでいると聞いたことがあります」

シンロンは四つの山の連なりを手振りで示し、海から三つ目の山を指した。
明らかに宗像の四連山だった。それを地元では四塚(よつづか)と呼んでいる。釣川を挟んで宗像大社の対岸にあった。

「四塚ですね。海から三つ目の山」
と、私が確認した。
四塚は海から湯川山、孔大寺(こだいじ)山、金山、城山。
金山!!
そこに女性が一人で住んでいたという。
孔大寺山は金が採れていた。
そこで、私は「金を採っていたのですか」と尋ねた。
「いいえ」

「金細工は?」
「それもしていません。関所から宝は来ていました」

菊如が尋ねた。
「長の名前は?」
「長はオージー様」

「姓は?」
「ウエクサ ジン・・(不明)」

「どこに住んでいるの?」
「釣川の上流に行きついた所」
そこはグローバルアリーナの南側になる。猿田峠の南。

さて、菊女が、時代が知りたいけど、どうしたらいいか、私に振って来た。
私も困ったが、北極星と北斗七星の名前を尋ねてみた。

「星には名前は付けません。ぐるぐるまわる・・あれ。名前でなく、形で伝えます。絵を見るように。人に知らせる時は絵に描いて知らせます。名前を付ける感覚はないんです」

西暦や年号の無い時代、何を以って時代を確認したらいいのだろうか。

シンロンの声が良く聞こえない。
以下はその断片。

「今は六ケ岳にいます。姫が集まるから。それぞれの姫が集まっています。それぞれの名前でこの国を表しています。
一つは田畑・・・田心(たごり)
一つは鉱山・・・市杵島(いちきしま)
一つは魚や水産・・狭依(さよりひめ) 海はさよりひめ
この三つで表しています」

シンロンの語りはここまで。次の存在が待っていた。

ここで分かったのは、シンロン(心田)の部族は中国から来ていて、宗像のグローバルアリーナの南に住んでいた。長はオージー ウエクサ? パオタン(泡丹)の元にジンヨウがいて、沖ノ島に関所を設けていた。農耕をしていた。

四塚の金山に女性が一人住んでいる。
宗像の田島(宗像大社の付近)には田心(たごり)姫と呼ばれ、通訳をする女性が住んでいた。



<20191108>



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by lunabura | 2019-11-08 22:10 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

脇巫女Ⅱ 26 ジンヨウとパオタン 沖ノ島


脇巫女Ⅱ

26 ジンヨウとパオタン 沖ノ島



2016年12月5日。

スクネが初めて出てきておのれの最期を語った日、話が一段落すると、話題は沖ノ島に移った。

菊如はスクネに当時の沖ノ島について尋ねた。話に出て来る場所は昨日挙げた皐月宮の周辺だ。宗像大社のそばに釣川(つりかわ)が流れ、対岸に皐月宮、鎮国寺がある。

「沖ノ島は本来どんな島なのですかね。宝物がいっぱい出るんです」
「海から入ったり出たりする関所だ。金の無い者はすべてを置いて行かせた。入れるか入れぬかはそこで決める。外からの金銀財宝が眠っている」

「神の島と言われているんですが」
「近寄らせぬためじゃ。3、5の1。湊から入って来た。石があり、小高い山がある。そこから下に降りていく道がある。あの大社はそれらを隠すためのもの。島には神などおらぬわ」

「誰が島に最初に入ったんですかね。中国から三隻の船が入ってくるのが見えるんですが。水軍の長はスサというのではないですか」

この時、新たな男が来ていたらしく、菊如はスクネをはずしてその男を呼んだ。

「どけどけい」
男が割り込んできた。右手には武器を持って威嚇していた。菊如は悠然として尋ねた。

「お名前は?」
「ジンヨウ。あの地、我の地。入るでない」

「中国から来たんですか?中国から三隻の水軍で来ましたね」
「関所を通してほしくば、置いて行け」

片手を出して金を催促するジンヨウの言葉に応じて菊如はまるで船乗りのように演じはじめた。
「他のクニの船はどんなものを置いていってますか。我らも置いて行きますよ。ちょっと聞いたんですけど、あなたに任せた人を知ってるんです。ムカカタにいる人から任されたんでしょ。その人の名を出せば何もいらん。通行できると聞いてますよ。」
「パオタンか。パオタンがわれにこの地を守れと言った」

「どこからやって来たんですか」
「パオタンはわれと同じだ」

私が横から尋ねた。
「パオタンはどういう地域に住んでいるのですか」
「川だ」

「釣川ですね」
「関所で取ったものを箱に入れて腕に抱えて持って行って、赤橋の所で待ち合わせをした」

菊如はそれが何処か分かったらしい。
「鎮国寺の橋の所ですね。今は宗像大社になっている。何があったのですか。三人の姫様がおられることになっていますが」
「神様は海に住むわけがない。海に住む神といえば大亀か龍神かだ。ワニ族とか。
いいか。
われの時代は島ばかりだ。陸などない。海を船で行き来する。領土、線引きなどないね。
今の宗像大社の所も海だ」

菊如はさらに突っ込んで行った。
「パオタンって誰?」
「われらの船は陸に停泊なぞしない。海に留まって小さな舟で陸にあがるのだ」

ジンヨウは質問には答えなかった。が、菊如はさらに尋ねた。
「三女神の話があるけど」
「われらの時にはいなかった。月巫女は見たことがある。金と銀の扇を持って舞う。
突起した岬の上で巫女が踊っていた。われは神など見たことは無い。海の安全保障などできないぞ。で?」
ジンヨウは再び片手を出して金を催促した。

菊如はしらばっくれた。
「何もない。その人が名前を言えば通れると言ったんで。パオタン。どんな漢字なの」
「みな地域の名前を付ける。泡丹と書く。うちにもヒメがいるぞ」





――ジンヨウは沖ノ島の関守のようだ。中国から渡来し、パオタンの元で働く男だ。

これはまだ三女神の信仰が生まれる前の話だ。だからジンヨウは三女神の話を知らなかった。

これを聞いて思った。

日本海を航海するとき、沖ノ島は水の補給地として重要ではなかったか。水の補給地は陸の方は年毛宮(としもぐう)だった。
安曇族も宗像族もここで水を汲みだして海に向かったという。

沖ノ島は現在、水は少ししか出ないようだが、腐らないという貴重なものだ。
そうすると、航海中に水を分けてくれる関守がいたとしたら、宝物を置いていくことは大いにあるだろう。実務的だ。水の話は出なかったが。

<20191107>






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by lunabura | 2019-11-07 21:36 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

皐月宮・瀬織津姫と速秋津姫と三女神を祀る宗像の宮


皐月宮
さつきぐう
瀬織津姫と速秋津姫と三女神


あの清らかな皐月宮が心に宿っていた。

日常の事をこなしながら、ふとした時に心に問うと、「皐月宮の事が知りたい」という思いが浮かぶ。

「「重々秘訣」で検索すると出てきますよ」
ユキさんが教えてくれたキーワードを入れると
三女神と比売大神と神功皇后の謎に触れられたページが出て来た。

「千時千一夜」というブログだった。
そこには瀬織津媛の名も出て来た。

瀬織津媛は天照大御神の荒魂ということらしい。

そうすると瀬織津媛は仲哀天皇に祟ったあの女神だということになる。
どういうことだろう。

仲哀天皇に祟った女神。
かつて、それを書こうとしてパソコンが音を立ててシャットダウンしたことがある。
その日以来、私はこの女神に触れるときには慎重になっている。

撞賢木厳之御魂天疎向津媛命
(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)
これが小山田斎宮で名乗った神の名だ。

小山田斎宮の祭神に天照大神の名があった。
その後、ガイドブックを書きながらも、ずっと注意して見ていたが、どの神社でも向津媛はアマテラスだった。

しかし、祖神が子孫に祟る理由が分からず、この問題を棚上げにした。



もっと、基礎から。
そう、皐月宮の祭神から押さえよう。

あらためて「皐月宮」で検索すると同じブログにヒットした。

そして、皐月宮は「辻八幡宮」に合祀され、そちらに祭神の名が書かれていたのを見つけてあった。

「皐月宮は今はこの神社に祀られています」
と車を走らせながらユキさんが教えてくれた宮が「辻八幡宮」だったんだね。

次は「千時千一夜」より
昭和十八年に初版刊行された『宗像郡誌』(上巻)は、「辻八幡社」「神湊村大字江口字皐月にあり」、同社には「境内神社五社」があるとして、そのなかの皐月神社の項を、次のように書いています。

皐月神社 
祭神 瀬織津姫命 宗像三柱神 速秋津姫命 神功皇后

由緒 祭神瀬織津姫命、宗像三柱神、速秋津姫命ハ無格社皐月神社トシテ、大字江口サツキニ祭祀アリ。古ヘ田島宗像宮ノ頓宮地ニシテ、五月五日大祭アリ。競馬ヲモ執行シアリシト。又祭神神功皇后ハ大字江口字原ニ、無格社原神社トシテ祭祀アリシヲ、大正十四年四月一日許可ヲ得テ合祀ス。
神功皇后は後に合祀されているので、皐月神社の祭神は「瀬織津姫命 宗像三柱神 速秋津姫命」ということになる。

私はユキさんに案内されて皐月宮へと向かった。



宗像市の釣川の河口の橋の右岸、宗像大社関連の建物の横から海に向かって歩いた。


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そこある古木は枝打ちが古くになされていた。
このような広々とした所で枝が邪魔になるとしたら、かつては建物かなにか施設があったのではないか。

この杜の先に古社があるのかな…
そう思って進むと松林に出た。


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白い案内板がここが境内だと教えている。
「あそこですよ」
「え?」
右手の奥に神籬(ひもろぎ)があった。


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まさに古式ゆかしい祭祀場。
瀬織津姫命 宗像三柱神 速秋津姫命。

ここに五月会の時、宗像五社(第一宮・第二宮・第三宮・織幡神社・許斐神社)
の神輿が集ったという。

織幡からは…竹内宿禰も。
これはただならぬ宮だ。

瀬織津媛を祀る宮としては、波折宮があった。
どちらも川が海に注ぐ所にあるという共通点がある。

大祓いの祝詞より(るな訳です)
天つ神は天の岩戸を開いて祓い清め、国つ神は高い山から低い山まで祓い清め、風の神があまねく吹き渡って、残っている罪穢れはないかと祓い清め、早川の瀬にいる瀬織津姫がそれを大海原に持ち出して、大海原にいるハヤアキツ姫が呑み込んでくれる。
それを息吹き戸主の神が根の国底国に吹き飛ばして、根の国底国にいますハヤサスラヒ姫という神が背負ってさすらって無くしてしまう。
こうして罪という罪がないように祓い清めて下さいと、天つ神、国つ神、八百万の神々に申し上げる。
ここには罪穢れを大海原に持ち出してくれる瀬織津媛と、
大海原でその罪を呑み込んでくれる速秋津姫命が祀られていた。

そして、川を一キロ半遡った所に鎮座する宗像三女神と。

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写真の対岸の山のずっと左に宗像大社はある。


棚上げしていた向津姫の問題。
「棚上げ」と書いて驚いた。

昨日の夢は「棚を空にして綺麗に拭き上げる夢」だったのだ。
白い棚に何を置く?

それがこの女神たちの事だったのだろうか。



地図 宗像市 皐月宮





<2014年6月18日>
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by lunabura | 2019-11-06 21:23 | (サ行)神社 | Comments(2)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25