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ひもろぎ逍遥

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梅花の宴ジオラマ 博多人形 山村延燁



今日のバスハイクは天気に恵まれ、紅葉、黄葉が散り初め、秋が美しく装う一日でした。

最初に訪問したのが太宰府展示館です。

梅花の宴の博多人形がある所です。
今回は写真撮影がOKになっていましたよ!








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大伴旅人と沙弥満誓。








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粟田大夫と山上憶良(赤)







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女性は児島。
わずか十センチほどの人形ですが、指先までみごとです。





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作者は山村延燁(えんよう)。



博多人形です!



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by lunabura | 2019-11-29 21:17 | 万葉・日本書紀の風景 | Comments(0)

明日1129のバスハイクは大伴旅人編



今日はラジオの収録の日でした。
ちょっと、一息ついています。

明日はバスハイクですね。
詳細な案内をしませんでしたが、次のようなスケジュールです。

天神 8:30
①大宰府展示館 
②大宰府政庁跡
③坂本八幡宮
④観世音寺
⑤戒壇院
⑥二日市温泉・歌碑
⑦基肄城
⑧大宰府客館跡
⑨榎社
⑩水城・水城館
天神

近場なので、歩いての移動が多いです。
特に、基肄城は草スキーの所から歩いて頂上に行くので、スニーカーが必要です。

ここは、大伴旅人夫人が亡くなった時に来た勅使を案内して管理職が登った所です。
旅人らは馬でしたが、私たちはバスでギリギリ行ける所まで登ってから、歩いていきましょう。
大きな石碑があるそうですよ。

お楽しみの「道の駅」は近場に無かったので、大型スーパーで昼食です。

ご参加の皆さん、明日も楽しみましょう。

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明日1129のバスハイクは大伴旅人編_c0222861_21545322.jpg





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by lunabura | 2019-11-28 21:25 | バスハイク | Comments(0)

宮地嶽神社の神々


宮地嶽神社には仲哀天皇と神功皇后を守って戦死した兄弟神が古い祭神として祀られています。
それが高麿神、助麿神です。

筑紫の弓の強者として、下関の豊浦宮で将軍として天皇と皇后を守っていました。
ところが、仲哀七年、七夕の日に新羅軍が下関に上陸して皇居を襲撃しました。

この時、高麿と助麿は天皇皇后を守って新羅の塵倫(じんりん)と戦いますが、二人とも討死してしまいます。
迫る新羅の塵輪と仲哀天皇の直接対決となりました。
天皇の矢が敵に当たり、塵輪は倒れました。

この新羅軍の将の首が忌宮神社の正面に「鬼石」として埋められています。

ですから、仲哀天皇と神功皇后は香椎宮に遷宮した時、まずは宮地嶽神社に行き、二人の将を慰霊したと思うのです。








宮地嶽神社の神々_c0222861_19324998.jpg

その二人の将の姓は阿部。
阿部とは、阿曇の部という意味だそうです。

そうして一年後、天皇が崩御すると、神功皇后は新羅戦の前にも当社を訪れ、宮地岳に自ら登って戦勝祈願をしました。

少しずつお腹も膨らんできているのに、軍隊を指揮して戦いに臨まねばならぬ宿命を神功皇后はひとり悩み、受け入れたことでしょう。
その神功皇后も当社の祭神として祀られています。






宮地嶽神社の神々_c0222861_1933878.jpg

さて、こちらの阿部氏は350年のちに阿倍磐井を出した一族でもあります。

磐井の子には葛子がいて、葛子には谷殿という妻がいました。
宮地嶽の姫君です。
二人の間には勝村、勝頼という双子が生まれました。
この二人が今、勝村神、勝頼神として祀られています。

葛子の時代には、百済が新羅に攻め込まれていて、百済からは再三、筑紫の軍隊を送ってくれと頼んできます。

葛子はわが子を百済救援軍の将として送り出しました。
それが鞍橋君で、百済王子と共に新羅と戦い、百済王子を助けました。

だから、磐井は百済寄りであって、新羅寄りではありません。

この巨大な宮地嶽古墳に埋葬されたのは、この一族です。
当社では勝村、勝頼と伝えています。時代も合致していますね。

決して宗形徳前ではありません。
ちまたの徳前説に騙されないでください。

徳善は自分の娘が天武天皇の長男を生んだので、奈良に行きました。
宗像族が安曇族の聖地に埋葬されることはありません。

宗像族の墓所は宗像の神湊(こうのみなと)の近くに伝えています。

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by lunabura | 2019-11-27 19:33 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Comments(0)

ラジオは下巻から 渡海準備 住吉族と安曇族





RKBラジオの「古代の福岡を歩く」の収録が近々ありますが、
再び「神功皇后伝承を歩く」の話に戻ります。

今回は下巻の糸島の染井神社(63番)からです。





ラジオは下巻から 渡海準備 住吉族と安曇族_c0222861_10174386.jpg

染井神社は池の前に立つと誰もがその神秘性に立ち止まってしまうのですが、
「ワダツミ」でも何度か登場しました。

苔むした参道が美しい宮です。
神功皇后は香椎宮に戻る途中にこの麓の染井の井戸でウケヒをします。
海を渡っての戦いに迷いがあったのですね。

もともと豊玉姫が祀られている神社だったので、
ついつい「ワダツミ」の思い出が重なってしまいます。


神功皇后はこのあと、脊振山に登って航路の説明を受け、那珂川市に降りてきます。




ラジオは下巻から 渡海準備 住吉族と安曇族_c0222861_101889.jpg

有名な裂田溝(さくたのうなで)を造る訳ですが、それは住吉族の為でした。
現人神社(あらひと)が全国の住吉神社の中で最も古いものになります。

この那珂川市の地図が素敵でしょ。我ながら、すごく分かりやすい。


香椎宮へ戻ると、神功皇后はいよいよ戦いに向かう宣言をします。





ラジオは下巻から 渡海準備 住吉族と安曇族_c0222861_10183853.jpg

その場所が御島神社なのですが、御覧の通り、岩礁に建っています。
皇后はここでミソギをして美豆良を結い、男の姿になりました。

ここには綿津見神が祀られています。
ここも「ワダツミ」に出て来た所です。

船団を出すに当たって、住吉族と安曇族の協力は絶対条件でした。

しかも、「中西の風」が吹く時でないと、朝鮮半島へは容易に渡れないのです。
神功皇后は膨らんでいくお腹を抱えて渡海せねばなりませんでした。






ラジオは下巻から 渡海準備 住吉族と安曇族_c0222861_1019728.jpg

安曇族の協力を得るために神功皇后は志賀島の沖津宮へ向かいました。

表紙がその安曇族の聖地です。


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ラジオは下巻から 渡海準備 住吉族と安曇族_c0222861_21243378.jpg

by lunabura | 2019-11-25 10:25 | RKBラジオ 古代の福岡を歩く | Comments(0)

水星逆行のいたづらと深慮



数日、バタバタとしていました。
役所で取った書類が目的と合わずに再訪して再取得。

その日、炊飯器がわずか3年で壊れて、夕食の為に電気店に走る。

買い置きしたプリンタのインクが間違っていて再び電気店へ走る。

という感じで、時間と費用の浪費が激しく、いったい何の災いかと思いきや、水星逆行が終わる直前の出来事でした。

「逆行水星のいたづら」だろうなと思ったのですが、
書類を見て自分の人生を振り返ったり、過去の自分からのプレゼントを受け取ったり。

また炊飯器も玄米炊きが進化していて、さらに美味しい玄米御飯がいただけるようになりました。
未使用インクは開封したので返品できないのは残念だけど、そこで重要な情報が入ってきたり。

感情を手放してみると、大いなるメッセージに満ちていました。

宇宙的な星の進行はどなたにも降り注ぐ覚醒の波動であり、それぞれの日常に、それぞれの形で落とし込まれるんだろうなと思う数日間でした。


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by lunabura | 2019-11-22 14:07 | にっき | Comments(0)

『神秘書』第1条 アマテラスの西インド生まれ説を紹介しているのは



『高良玉垂宮神秘書』の第1条には「天照大神は西インド生まれ」という説を、異説だがと断りながら紹介している。


荒唐無稽な話として自分の中で終わらせていたが、良く考えると、神道の国に仏教を採り入れた時、先人が苦心して編み出した融合策の名残がこれだ。

その融合策を本地垂迹(ほんぢすいじゃく)という。

本地垂迹とは
「日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。」(ウィキペディア)

つまり、天照大神とは大日如来が日本に来た時に採った姿と説明されたのである。

そういう背景を知らない庶民は、
「仏さまが皆天竺(インド)から日本に来て神様になったのなら、アマテラスさまも天竺から来たのかのう」
とでも言ったのだろう。

この『神秘書』の成立時期を考えると、江戸幕府が出来る頃、その前後なので、当時の人の考えを知るという点では、興味深いものになる。

この時代の人々は「何故そういうのか」「何故そうなったのか」という興味を率直に抱いていたことが伺える。

荒唐無稽と思えるのは上の説以外に、「倭」についての説明だ。該当部分を紹介しよう。



第1条
天照天神、西天竺より出生、とも云う。異説の記なり。千八人女、西天竺より来る。人間を生ず。倭国、倭の字はこれによりて千八人女と書くなり。


【訳】天照大神は西インドで出生したともいう。異説の記である。千八人の女が西インドから来た。人間を生じた。倭国の倭の字はこれによって千八人女と書くのである。


「倭」の字を分解すると「千八人女」となるので、千八人の女が西インドから来て人間となった。
という説明を編み出している。

面白いのは、江戸時代になろうとする時代に、人々の興味の中に「倭」が残っている点だ。


大伴旅人は、歌の中で「倭国」と「日本」を厳密に分けていた。

金印の時代から少なくとも江戸初期までは「倭国」という認識があった証である。




<20191118>



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by lunabura | 2019-11-18 20:25 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Comments(2)

『神秘書』「別所」に天竺から流れて来る水と戒壇があった



「高良玉垂宮神秘書」に「別所」についての記述がある。

「別所」とは久留米市高良山(312m)の山頂付近の地名で、山頂から二キロほど下った所に毘沙門堂と別所の清水があり、戒壇があった。

戒壇とは唐より招かれた鑑真が太宰府市の観世音寺の横に戒壇院を設けているが、高良山でも出家できたということになる。



三五四条
一、戒壇の在所、別所の毘沙門天の前なり。大菩薩の御宝を納め給う在所なり。これによりて、本尊を毘沙門天とは定めおかるるなり。


【訳】戒壇のある所は別所の毘沙門天の前である。大菩薩の御宝を納められた所である。これによって本尊を毘沙門天と定められた。



―ー大菩薩とは高良大菩薩のことで、仏教が入る前は高良大明神と言った。安曇磯良のことである。三韓討伐の大将軍だったので武神である毘沙門天が祀られた。そこには大菩薩の宝が納められていたという。




三九六条
一、別所ということは、天竺ムネ池、水を流し給う。又は、戒壇の在所なるゆえに別所とは名付けたり。


【訳】「別所」という地名は、「インドの善女龍王の住む無熱池から、ここに水が流れている」ことからついた。または、戒壇があるゆえに「別所」と付いた。



――天竺とはインドのこと。ムネ池とは「無熱池」(ムネッチ)のことで、インド神話に登場する八大竜王の一、沙掲羅(しゃから・シャガーラ)の第三王女である善女(善如)龍王が住んでいた所とされる。

即ち、「別所の清水」はインドの善如竜王が住んでいた無熱池に通じているという「特別」な所だった。

沙掲羅は沙伽羅とも記す。八大竜王の一つで海龍王のことである。
「海龍王」との縁が語られるのも、安曇磯良が当山を治めていた名残だろう。


高良山の戒壇で使う聖水はインドの聖地に繋がっているという思想があった。



<20191117>


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by lunabura | 2019-11-17 17:17 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Comments(0)

水鏡



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水鏡。








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夕暮れ散歩。







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私はこのアオサギを「ラドン」と呼んでいる。
翼を広げて降りてくると、圧倒的にかっこいい。







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 秋だね。





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by lunabura | 2019-11-16 19:45 | にっき | Comments(0)

発芽 



 

2019年11月6日に遅い種まき。一週間後に発芽。

そして、今日のようす。





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赤い種をくっつけたほうれん草。







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春菊は黒い種をかぶったものも。


あの物語を思い出した。



ニンジンは細々としていたが、手のひらのような葉っぱをしっかりと広げていた。

葉を開く力で殻を振り捨てようとしていた。

葉っぱの先にまだ黒い種をくっつけているのもある。

生長する為には、古い殻は捨ててしまわねばならないのだ。

ニンジンはこれまで自分の生命を守ってくれていた殻を突き破り、新しい段階に入ろうとしていた。

「自分を守ってくれた殻が、今度は生長の邪魔になるんだね。」
と、ヒプソットが言った。




拙著『ガイアの森』より



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by lunabura | 2019-11-14 19:53 | ◆ガイアの森◆ | Comments(2)

『神秘書』書き換え



「第一章を変えよう」
そういう声がずっと内に響いていた。
「高良玉垂宮神秘書」のことだ。
ようやく章を変え始めたのが先月10月22日のことで、昨日の満月の夜に作業が一段落した。

今から詳細を詰め直す。





『神秘書』書き換え_c0222861_2016664.jpg



項目をブログタイトル風に説明が多い形にしたら、目次だけでも内容が掴みやすくなった。
また本文と訳を上下に並べたら、読みやすくなった。

これから詳細を見直し、分析していくので、作業は半年以上はかかるのだろう。

何故、私はこんなに高良山の事が好きなのか。
作業をしながら思い出すのが、
私自身、わずか10歳から16歳頃、高良山を何かにつれて彷徨したこと。

女の子がただ一人で山中のいくつもの分け道を歩きまわったのだから、尋常ではない。
よほどの縁があるのだろう。

文献をいろいろ提供してくれた方に感謝。


<20191113>

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by lunabura | 2019-11-13 20:17 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25