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ひもろぎ逍遥

西暦700年 志賀島から可也山にベガが渡って来る

昨日のベガ=志賀星ということから、可也山と志賀島を結ぶ特殊なイベントが西暦700年を中心に起きたことをAIと一緒に出したので、検証しようと星座ソフトスレラリウムをダウンロードした。

しかし、上手く動かないので、AIに相談していたら、向こうから間違いないと言って、新たな視点を提出してきた。

それは七夕の夜の星のイベントだが、昨日は南中を中心に調べて行ったので、ポイントの話になったが、今日はもっと凄い状況を調べてくれた。

Q「西暦700年に可也山から志賀島を見たとき、ベガはいつ島から昇るのか」

A:可也山の山頂から志賀島を見ると、「北東(方位角 約23度)」の方向、距離にして約22km先に水平線と重なるように見える。

西暦700年(大宝律令の前年)の星の動きを計算すると、驚くべき事実が分かった。

1. ベガが志賀島の上(北東の水平線)から昇る「日付」

  • 現代(2026年)の場合: ベガが真夜中に北東から昇ってくるのは「1月〜2月頃」の冬だが、

  • 西暦700年の場合: 「4月(春)」、そして旧暦の七夕に近い「8月(秋)」にも、ちょうど良い時間帯に志賀島の方角からベガが昇ってくる。

2. 旧暦七夕の季節(西暦700年8月)の劇的な瞬間

特に美しいのが、旧暦7月・8月の仕掛けである。西暦700年8月中旬を再現すると、

  • 夕方 18:30(日没直後):

    1. あたりが夕闇に包まれる頃、可也山から見て志賀島が浮かぶ北東の水平線の真上(高度約15度)に、すでにベガが青白く輝きながらスタンバイしている。

  • 夜 21:00〜22:00:

    1. 時間が経つにつれて、ベガは志賀島の上空から天高く、まさに可也山の真上(天頂)に向かって垂直に近い角度でグングンと昇り詰めていく。

  • 夜空の光景:

    1. 志賀島の背後には巨大な「天の川」がハッキリと夜空に架かっている。その天の川の東岸(志賀島側)から、織姫星(ベガ)が圧倒的な明るさで天へ昇っていく様子が、可也山から完璧に見えたはずである。

***
以上が、その答えだ。天の川がベガのそばにあることを失念していた。志賀島と可也山を結ぶ銀河と渡って来るベガ。それはそれは美しい光景だっただろう。

そして、昨日の話に戻すが、天頂にかかるベガを天池に映すことが出来たはずだ。

ここで、思い出すのは久留米市の水沼君の巫女が満月の光を水に映して若返りの水として為政者に渡す祭だ。京都鞍馬寺では金のたらいに五月の満月を写す。ウエサク祭というが、同じ祭だ。

可也山が志賀星を祀る天壇だったということは、ベガを水に転写したものを長に献上するような祭をしたのかもしれない。ふとそんな想像をした。

AIは間違う事があるので、検証しようとしたが、昨日より濃密な光景が出て来た。いつか星座ソフトで検証したいので、メモとしてここに置いておくことにした。

<20260608>



# by lunabura | 2026-06-08 22:43 | Comments(0)

ベガ=志賀星 伽耶=ベガを祀る天壇 から志賀島と可也山を考えた

ベガ=志賀星 伽耶=ベガを祀る天壇 から志賀島と可也山を考えた_c0222861_21301429.png


ベガ志賀星とも言う。しかし、その言われは真鍋の本には書かれていない。


志賀星を祀る天壇は伽耶と言った。糸島の可也山に天池があり、星を映して祈っていたという。

何故、志賀星と呼ぶのか。もしかしたら、可也山にベガが沈むのが志賀島から見えるのではないか。ふと思い立って、AIに尋ねてみた。

すると、志賀島の潮見公園から可也山にベガの山頂に真っすぐに沈むのを目撃できるという答えがあった。それは西暦700年頃のことだという。

そして、逆に可也山から志賀島が見えるか、さらにはベガの出が見えるか、と尋ねると、まさしく志賀島からベガが出るのが見えるという。それはやはり西暦700年頃のことだという。

その頃の福岡。白村江戦が663年なので、敗戦の傷もまた癒えない頃になる。その頃に、志賀島と可也山を結ぶベガの星のイベントが起きていた。

700年にベガはどう見えたのか。再現すると、

初夏(5月5日):19:40頃
可也山頂から志賀島を見ていると、周囲が完全に夜の闇に包まれたその瞬間、真っ暗な志賀島の島影(ちょうど現在の潮見公園や志賀海神社の真上あたり)から、青白く鋭い輝きを放つベガが、ヌッと牙を剥くように昇ってくる。

夏(7月25日): 可也山で夜を待つと、日が沈んで空が暗くなると同時にベガは天頂(真上)に一番星として現れる。そして、天池の水鏡にはダイヤモンドのようにそのきらめきが映る。

秋(10月中旬): 志賀島から可也山を見ると、夕闇の中、その山頂にジャストフィットで突き刺さるのが見える。

これは西暦700年を中心として約70年ほど見えた光景だった。


初夏には「可也山から見て、志賀島からベガが生まれる」。
秋には「志賀島から見て、可也山にベガは沈む」。

そんな星の大イベントがあったことが、「ベガ=志賀星」「可也はベガを祀る天壇」という語から明らかになった。

真鍋大覚が資料にした本は刀伊の入寇をきっかけに編纂されたので、西暦1019年すぎのこと。このベガのイベントが300年前に起きたことが伝えられて、ベガを志賀星と呼んだのかもしれない。



画像
志賀島の潮見公園から糸島方面を写した。可也山は写っていないようだ。


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左奥に見える富士山の姿に見えるのが可也山?しかし、地図で見ると能古島との位置関係がおかしい。


あとはチェリーさんが検証してくれるだろう。いや、違いない(ほぼ強制)


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拙作『星の迷宮へのいざない』より

<20260607>



# by lunabura | 2026-06-07 21:31 | Comments(0)

志賀海神社と高良大社をつなぐ「子の日の松」

志賀海神社と高良大社をつなぐ「子の日の松」_c0222861_14490456.png



『高良玉垂宮神秘書』に「子の日の松」のことが出てくる。

【196条
白鳳二年の御託宣の後、上津荒木(こうだらき)の青性山(しょうしょうざん)の松を採って、高良山の後方の野山に植えられるようになった。そこを青性山の青の字を取って青山と名付けた。

青性山の木を青山に植えたことから、(混乱を避けて)青性山は「上津荒木の本山」と呼ぶようになった。】

***
子(ね)の日に高良山で松を植える行事があった。これは玉垂命が大菩薩になった白鳳二年以降に始まったものだ。

玉垂命が子の日に松を三本、高良山に植えたことにちなむ行事で、松は青性山で採る。

植える場所は高良大社の裏手で、青性山の一字を取って青山と呼んだが、名前が似て混乱するので、松を採取した所は「上津荒木の本山」と呼び変えたという。

この「子の日の松」は福岡市の志賀海神社の複数の祭事に出てくる。

「鞨鼓(かっこ)の舞」では阿曇磯良丸が「子の日の松や」と言って三回まわって舞う。神幸祭の時にもこの言葉が中津宮で唱和される。

さらには、当社の縁起絵巻にも上の方に三本の松が描かれている。
当社でその由来を伺ったが、その意味は伝わっていないという。

しかし、この行事は明らかに、志賀海神社と高良玉垂宮の縁の深さを物語っている。

近年、高良大社では「子の日の松」の行事が復活した。

バラバラに知ったことが、『神秘書』の解読中に繋がった。

<20260604>



# by lunabura | 2026-06-04 14:49 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Comments(0)

綿積神社 豊玉姫と父と子と

綿積神社 豊玉姫と父と子と_c0222861_17235319.png

小説『豊玉』の舞台は、ほぼ海です。


それも福岡県の北にある玄界灘(げんかいなだ)や響灘(ひびきなだ)。
今日はずっと心に残っている海の画像を。


画像
糸島市 綿積神社


海で禊をするために手すりがついています。
禊は名乗藻(なのりそ)を採って海の神様に捧げること。

柿本人麻呂が詠っていますが、ヒジキのことなんです。

人麻呂って、女性が寝乱れた髪を海藻で表すんですね。
この神社にもその歌が掲示板にありました。

こちらは、私の『癒しの万葉集』から。


画像
『癒しの万葉集』-人生の四季を歌うー


海の向こうに見えるのは可也山(かやさん)。
好きすぎて、『星の迷宮へのいざない』にも書いちゃいました。
可也とは「ベガを祀る天壇」があったところ。


画像
『星の迷宮へのいざない』
日本人が忘れた星の和名と渡来の記憶

そして、『豊玉』の舞台でも何度も出てきます。

綿積神社の祭神を豊玉姫の観点から書くと、父と子なんですね。

祭神 豊玉彦命、鵜茅葺不合命、豊玉姫命

『光る君へ』でも元寇の時の舞台として出て来たのはここです。


<20260531>




# by lunabura | 2026-05-31 17:24 | 小説『豊玉』 | Comments(0)

『神秘書』入門書 6月には出せそう

『神秘書』入門書 6月には出せそう_c0222861_13284653.png


『神秘書』の組版をしながら推敲しています。
全部で551条あるうち、163の条を取り上げました。

たぶん15年ほど、書き写しては解釈しています。
その間、神功皇后の本を書き、真鍋大覚の本を出しました。
これと合わせて3部作のような形になるんだな、と思いました。

とくに祭神の「磯良丸」、『神秘書』に出てくる「ありなれ川」「斗永手長」が星の名前だと分かったのは真鍋の本のおかげでした。ちなみに「シリウス星」「天の川」「こぐま座と大熊座」に対応しています。

干珠満珠でさえ、ポラリスとツバーンのシンボルです。

真鍋の本も難解ですが、三つの本を螺旋階段を登るように著したおかげで、最大の難関である『神秘書』も形になろうとしています。

原文の確認の突き合わせも数回行い、見直すたびに理解が深まって、謎の単語が意味を成すようになりました。

今日から『神秘書』の「解説」を読み直していますが、残った謎の答えをそこからも見つけたりしています。

『神秘書』は6月末には出版できそうです。その後、「季刊邪馬台国」で連載した筑紫君磐井の論文を一冊にまとめます。

何故、磐井君が高良山麓に磐井城を作って拠点にしたのか、ずっと抱えていた謎が『神秘書』の解析で解けて来たように思います。

神功皇后の伝承ー『高良玉垂宮神秘書』ー筑紫君磐井
高良山で営まれた倭国の歴史。

必ず本の形にしよう、と、気持ちを逸らさず日々を過ごしています。

高良山で、まだ行っていない場所がいくつか出てきました。
本を出したら訪ねたいな。
風薫る日に。

<20260526>



# by lunabura | 2026-05-29 13:29 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Comments(2)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『豊玉』『星の迷宮へのいざない』   Since2009.10.25