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ひもろぎ逍遥

聖地巡礼としての小説『豊玉』

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Amazonで昨日、『豊玉』の電子書籍が、遅れて午後に紙書籍のストアが無事に開きました。KU登録の方は無料で読めるようになっています。
作品は書き上げて、形にして、読者の方の手許へが本来の姿。

今まで書くだけだったので、新しい届け方が生まれたのを本当にうれしく思います。

ただ、一人で紙書籍と電子書籍を出すのはケアレスミスが生じやすく、これからは別々にするのが安全だと痛感しました。

また、前著の『星の迷宮へのいざない』は出版を待つ間、皆さんに紹介する余裕がありましたが、『豊玉』は内容を紹介するゆとりもありませんでした。

しかも、昨日書いたように、いきなり企画書作りに取り掛かったのですから。まあ、無理せずに想いのままお知らせしたいと思います。

今日は、NOTEのマガジンのサムネイルを新たに変更しました。

この本は福岡県の海神の神々を祀る神社巡りにもなる本です。
聖地巡礼のガイドブックをいずれは作りたいと思っていますが、この本を読むだけでも、どんな神社なのか、イメージが造れるのではないかと思っています。

だって、ずうっと、海が見える神社が舞台なんです!
いずれも阿曇族の神社群がほとんどですが、海の色は様々。
潮の色も、潮風も。

海が見たいという願いを持っていましたが、
海水浴場とは異なって、神社がある聖地の海は格別で、
私の心を満たしてくれました。
いつも、どの海も心に存在しています。

『豊玉』は昨日、出版したばかりですが、すでに読了された方からのコメントをいただきました。
本の中には沢山の神社が登場しますが、その中で「ここだ!」と感じて鳥肌がたった神社があるそうです。
それが宗像大社の大島の中津宮だそうです。
今度の新月の日に参拝されるということで、とてもうれしく思いました。

小説は潮の満ち引きにも影響される主人公たちが満月の大潮で動くシーンもあります。
潮まみれ、砂まみれの物語でもあります。

<20260215>









# by lunabura | 2026-02-15 16:01 | 小説『豊玉』 | Comments(0)

糸島の豊玉姫の岩がずっと支えてくれた

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いよいよ明日は小説「豊玉」の発売日です。電子書籍と紙書籍を一緒に出すという無謀な挑戦でしたが、無事、形を整え、明日を待つばかりになりました。紙書籍はペーパーバックです。

今、Amazonでは「電子書籍の予約ページ」がオープンしていますが、既に予約してくださった方があり、ランキングが出ていて驚きました。予約してくださった方、ありがとうございます。

紙書籍は明日2月14日、バレンタインデーの0時にオープンする予定ですが、審査が通っていない場合は数日待つことになります。

オープンすると、「今の電子書籍の予約ページ」に追加で掲載されるらしく、今日の深夜12時の前と後に見ると変化が分かると思います。

kindle出版のシステムが分からず、何度も校正本を取り寄せては校正しました。後で気づいたんですが、ページの端っこにPDFをダウンロードする小さな文字がありました。これを先に知っていたら、校正本は一回で済んだのに、とぼやいたものです。取り寄せには一週間かかるのでスケジュールが押すのです。

小説は最終的に12・5万字になりましたが、何度も書き換え、推敲し、最後の最後まで読み返しました。

その時に心の支えになったのが、糸島市にある志登神社からの光景でした。
そこには「豊玉姫が腰かけて髪を櫛削った岩」があるのです。

岩のそばには一本の木があって、美しい風景を作っています。


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福岡県糸島市 志登神社からの光景

この岩を知ったのは巨石文化研究会の探査会でした。

岩は支石墓だったのです。そこにはいくつもの支石墓があり、一番大きな支石墓に「豊玉姫が腰かけて髪を櫛削った岩」と掲示板がありました。ちょっと大き過ぎるな、と思ったものです。
今見ると、それとは異なる、かなり小さな岩が指定されています。

初めて見た時から何年も経って、再び志登神社に訪れてその岩を探しましたが、全く見つかりませんでした。

帰宅して、観光協会におそるおそる尋ねると、そこでも分からず、あきらめたところ、数日たって、見つかったという連絡がありました。

それが、画像の一本の木の下の岩です。支石墓群は消滅し、畑になっていました。


画像
福岡県糸島市 志登神社からの風景

この風景が私が小説を書く間、毎日毎日浮かんで、心の支えになりました。

ついに、この小説を書き上げて、kindleにアップロードした日、夢を見ました。

それは山の頂上の絵でしたが、頂上部は半分、雲に覆われていました。
(あれ? これで完成じゃない?)
そう思ったのですが、その後のメッセージが「ネットフリックス」でした。

小説をネットフリックスでアニメ化してもらうことかな、と考え、調べましたが、一般人からは持ち込みは出来ません。

すると、翌日のメッセージが「webtoon」でした。縦読み漫画のことです。AIに聞くと、webtoon経由でネトフリにアピールするルートがあるということでした。

そこで、企画書作りに取り掛かりました。もともと漫画にしてほしかったのです。脚本は書けないのですが、いろいろ方法があるのが分かりました。

これが成功するかどうかは分かりませんが、「ひらめき」があると「行動する」が鉄則です。

チャレンジの日々ですが、こうして書いている時も、この風景が浮かんで私の後押しをしてくれています。

志登神社には豊玉姫が主祭神として祀られています。

そこでは何度も不思議な事がありましたが、それは「ひもろぎ逍遥」の方に書いています。

さて、明日はバスハイクです。雪のために延期しましたが、明日は暖かそうですね。佐賀県の遺跡と神社巡りは何度も何度も行きましたが、まだ網羅していません。『風土記』が残る奇跡的なエリア。皆さんとは最後の訪問になります。新しい道の駅も楽しみです。

『星の迷宮へのいざない』を少し持っていきますね。

<20260213>










# by lunabura | 2026-02-13 10:15 | 小説『豊玉』 | Comments(2)

明日のバスハイクは2月14日(土)に延期します 大雪予報のため

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またまた、バスハイクの延期のお知らせです。


明日の予定だったバスハイク、毎日予報を見ていて、これまでは雪がぱらつく程度の予報でしたが、今日のお昼ごろから大雪の予報に変わりました。

平地で3cmほどなので、お昼には溶けるのではと思ったのですが、「守る会」から延期の連絡がありました。佐賀~鳥栖あたりは雪が多いので仕方がありません。

2月14日(土)に催行します

またもや、これで参加できない方が出ると思うと残念ですが、雪の中の吉野ヶ里遺跡は厳しいなと思っていました。

既に電話で、一軒ずつ連絡が入っていると思います。
まだの方は手許にスマホを置いて待ってください。

2月14日は小説『豊玉』の出版日でもあります。
(ちょっと、頭が付いていけない。)

<20260207>


バスハイクの申し込みは「歴史と自然をまもる会」

092-406-8725(2024年7月から)

(火曜日~金曜日 10時~16時)


参加費 5000円 当日払い

集合場所 天神日銀横(ファミマ横)勝立寺の前

出発時間 9時出発 

集合時間 8時45分


初めての方、日銀前ではなく、日銀横の勝立寺の前です。ファミリーマートまで出るとバスが見えます。

雨天決行です。



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# by lunabura | 2026-02-07 13:00 | バスハイク | Comments(0)

吉野ヶ里遺跡の南祭壇の真南に風浪宮の磯良塚があった

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チェリーさんがまたまたとんでもないラインを発見しました。

今週バスハイクで行く吉野ヶ里遺跡では太陽祭祀線が高度に計算されていることはよく知られています。北内郭はその顕著な例で、私も何度が紹介しました。

ところが、あまり注目されないのがマウンドです。北のマウンドと南のマウンドがありますが、南の祭壇の真南に風浪宮の境内にある磯良塚があることをチェリーさんが発見しました。


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磯良塚は人間が寝てもはみ出さないほど巨大なドルメンですが、磯良丸神社はそのそばに建てられており、長らく阿曇磯良丸の墓と伝えられました。
ただ、近年、考古学の専門家から、もっと昔に遡るものと鑑定されています。

阿曇磯良丸の墓については、私は高三瀦の「玉垂廟」がそれだと、何度か記しました。これは地元の伝承と『神秘書』の記述から割り出したものです。磯良丸を象徴する牡蠣殻が封土の上にびっしりと置かれて真っ白に輝いていた円墳です。(今はセメントで保護されています)

話を戻しますが、それでは、風浪宮の墓は誰のものか。墓そのものは複数あっても問題ないのですが、そのドルメンは阿曇磯良丸たちが上陸する時には既にあったもの、となります。

いったい誰の墓か。手掛かりが無かったのですが、ここと吉野ヶ里遺跡に南北の祭祀ラインがあるとなると、面白くなってきました。阿曇族が神功皇后と共に筑後にやってくる前の世界が見えてくるのかもしれません。

そこで、2月8日のバスハイクでは吉野ヶ里遺跡の南の祭壇に行ってみようと思っています。そこからどんな景色が見えるのか、実地踏査です。

滞在時間は前回、2時間半では足らなかったので、3時間以上を当てています。初めての方は北のエリアに行くべきです。是非とも。

ですから、私だけ南に行くのは問題かなあと考えています。それとも南を先に見て、北に行きますか?
とにかく広いので、何度行っても未踏査の地が沢山あります。

さて、拙著『星の迷宮へのいざない』をお持ちの方は第六章2「月ターラ 日ムツォ 星マル」
を御覧ください。


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『星の迷宮へのいざない』第6章2


暦作りの話のページjですが、偶然にも風浪宮の剣先州浜紋が日、月、星を表していることと、吉野ヶ里の夏至冬至ラインを書いています。同じ項目の中で紹介していたので、自分でもびっくりしています。


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『星の迷宮へのいざない』第6章2


とにかく、吉野ヶ里遺跡の北内郭の存在は、弥生時代から日本で高度な天体観測がなされていたことを証明しています。星の巫女(と私が勝手に呼ぶ)の星座の石棺も復元されて展示されたと聞いています。楽しみですね。

この日は、吉野ヶ里遺跡のすぐ手前の都紀女加(つきめか)王の墓にも行きますが、吉野ヶ里の時代と重なっています。
風浪宮も都紀女加も吉野ヶ里も時代は重なっているのです。
ただ、都紀女加を調べると、通説が矛盾しているので、この辺りもバスの中で整理したいと思います。

当日は、雪の予報もあります。
前回は交通機関がマヒする予報が出たので延期しました。飛行機で来て前泊された方には本当に申し訳ありませんでした。
今回は雪が降る程度なので、変更はないかと思います。
かなり寒い日になりそうです。着込んで参りましょう。

弥生時代の人はこんな寒い日は、どうやって生きていたのでしょうか!
竪穴住居はどんな気温かな。

<20260202>

バスハイクは2026年3月1日をもって終了します。

バスハイクの申し込みは「歴史と自然をまもる会」092-408-7140 

092-406-8725(2024年7月から)

(火曜日~金曜日 10時~16時)


参加費 5000円 当日払い

集合場所 天神日銀横(ファミマ横)勝立寺の前

出発時間 9時出発 

集合時間 8時45分


初めての方、日銀前ではなく、日銀横の勝立寺の前です。ファミリーマートまで出るとバスが見えます。

雨天決行です。



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# by lunabura | 2026-02-05 20:02 | バスハイク | Comments(2)

豊玉姫と山幸彦② 出産 ウガヤ(鸕鶿草)とは ワニと龍女

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一方、海神の娘の豊玉姫は、夫のホオリノミコトがいなくなった後、妊娠している事に気付きました。みずから夫の国に行って、言いました。


「赤ちゃんが出来たわ。もうすぐ生まれるの。どこで出産したらいいかと考えて。天神の御子となる子だから、海原じゃなくて、陸の方がいいと思ったの」
 そう言うと、すぐに海辺の波打ち際で、ウガヤ(カヤツリグサ)を屋根に葺いて、産殿(うぶや)を造らせました。

 ところがまだ屋根が葺きあがらない内に急に産気づいてしまいました。産屋に入ってお産をしようとする時に、夫に言いました。

「人間界とは違って異世界の者は生む時になると、本来の世界の姿になって生むの。私も本来の姿で生むから、見ないでね」と。

 しかし、ホオリノミコトは「妙だな」と思って、産屋を覗き見しました。すると、妻は八尋和邇(やひろワニ)となって腹這って、うごめいていました。これを見たホオリノミコトは驚いて逃げてしまいました。

 豊玉姫は夫が覗き見した事を知って、本当の姿を見られたのを恥じに思い、
「この子を生んだ後は、いつも海の道を通って育てようと思っていたのに」
と言って、御子を残し、海坂(うなざか)を塞いで帰ってしまいました。

 生まれた御子はこの話から、天津日高日子波限建鵜萱草葺不合命(あまつひこ・ひこなぎさたけ・うがやふきあえずのみこと)と名付けられました。

 龍宮に戻った豊玉姫は、夫が覗き見しなかったら、こんな事にはならなかったのにと、恨みましたが、夫が恋しくて仕方がありませんでした。

 妹の玉依姫が御子を養育することになった時、夫への歌を預けました。

 赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装し 貴くありけり
 【読み】 あかたまは おさえひかれど しらたまの きみがよそいし とうとくありけり
     赤い玉はその紐までも輝かせるほど、光輝いているけど
     それにも増して白い玉のようなあなたの姿は貴いものだったわ

 これを見てホオリノミコトは返歌を贈りました。
沖つ鳥 鴨つく島に 我がいねし 妹は忘れじ 世のことごとに
【読み】おきつとり かもつくしまに わがいねし いもはわすれじ よのことごとに
     沖の鳥の鴨が棲むような遠い島で、
     一緒に寝たお前を忘れない 生きている限り
 こうして日子穂々出見命(ひこほほでみのみこと)は高千穂宮に580年間住みました。
お墓は高千穂の山の西にあります。
         (古事記 火遠理命の巻より)
※ ※
『古事記』から豊玉姫と山幸彦の出会いと別れを紹介しました。
 こののち、豊玉姫が生んだウガヤフキアエズノミコトは玉依姫と結婚して、その第四子が神武天皇になっています。

山幸彦の名前
 さて、『古事記』を訳していると、山幸彦の名前は天津日高日子穂々出見命だったり、火遠理(ほおり)の命だったり、虚空津日高(そらつひこ)だったりします。名前の違いは出典の違いでしょうか。複数の資料を合わせた時、そのままにしたり、書き換えたりしているように思われます。

八尋和珥とは
 豊玉姫が出産した時、どんな姿だったのでしょうか。ここでは「八尋和珥」になったと書かれていますが、「尋」(ひろ)とは両手を広げた大きさで、八尋となると、相当大きいものになります。

 「和珥」はワニと読みますが、鰐(ワニ)と訳すと海に生息していないので不都合です。一般にはサメと訳す例が多いのですが、由来が繋がりません。

 このほか、「和珥」には亀の意味があります。例えば太占(ふとまに)という言葉に出てきますが、これは亀の甲羅を焼いて占うもので、バニ(亀)がマニ・ワニと変化したものです。

 豊玉姫の出産の様子はどことなく海亀を連想させます。古代の人は砂浜で涙を流して出産する海亀の姿を豊玉姫に重ねたのかもしれません。

 これ以外に、『日本書紀』の一書には龍の姿に戻って出産したように描かれています。大綿津見神が海龍なので、娘の豊玉姫は「龍女」と記される例もあります。理屈から言えば、龍の娘は龍がナチュラルですよね。

鵜萱草とは
 「ウガヤ」は一般には「鵜の羽根」と解釈されますが、鵜の羽根を屋根に葺くとなると、大変な数の鵜が必要になって現実的ではありません。

 ウガヤの字をよく見ると、「鵜萱草」と書かれており、「草」の字がついているように植物のことです。この草はオオカヤツリグサのことだと伝えるのが真鍋大覚です。これなら自然な状況になりますね。

拙著『星の迷宮へのいざない』でそれを紹介しました。

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4章8 金星『星の迷宮へのいざない』



豊玉姫の伝承が集中する玄界灘
 豊玉姫の伝承は福岡市を中心とした海岸地域に集中しています。

 糟屋郡新宮町の相島(あいのしま)には二人が出会った井戸とユツカツラの木が伝えられています。

 また糸島市の志登(しと)神社は豊玉姫が上陸して髪を櫛削った岩が伝えられています。

 福岡市の志式(ししき)神社ではなんと、荒ぶる神として祀られています。

 長崎県対馬では豊玉姫と山幸彦が一緒に住んだところが神社になっています。このように伝承が集中するところは他にありません。

拙作『豊玉』の舞台としても海のそばの神社が沢山登場します。

<20260203>









# by lunabura | 2026-02-03 17:59 | 小説『豊玉』 | Comments(0)

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