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ひもろぎ逍遥

ひめちゃご75 英彦山神宮 奉幣殿



ひめちゃご75

 英彦山神宮 

奉幣殿
 


英彦山には福岡県の男子が成人するとみんな登っていた。
父がそう話していたことを思い出した。

母に聞くと、母の故郷でもそうだったという。
福岡県の南部からも英彦山に登ったというのだ。

同じ話が真鍋大覚の本にも出ていたので、一般的な話だと分かった。







ひめちゃご75 英彦山神宮 奉幣殿_c0222861_20261913.jpg

福岡県中から成人した若者が英彦山に登っていたとは。

何のイニシエーションだろうか。

いったい何を求めて青年は登らねばならなかったのか。

英彦山神宮の主祭神は天忍穂耳命だ。
天忍穂耳に何故、祈らねばならなかったのか。


あるいは修験道にちなむ風習だったのか。

今は聞かない。
戦争でその風習は消えたのだろうか。

思えば、神武天皇も北九州の一宮神社の磐境神籬から
祈ったのは天忍穂耳だった。

日子、すなわちアマテラスの子と呼ばれる天忍穂耳。

この山は日子山から彦山となり、英彦山となった。

農耕の神、鉱山従事者の神の性格を持つ。当初は後者だろう。

筑紫の曙の頃の記憶を伝える神でもある。



友人から聞いたエピソードも思い出された。

友人が熊野に参拝したとき、社務所で、どこから来たのか尋ねられた。
福岡から来た、と答えると、
「お疲れさま、英彦山が元宮ですよ」
と言われたそうな。











ひめちゃご75 英彦山神宮 奉幣殿_c0222861_2027918.jpg

奉幣殿に着いた。








ひめちゃご75 英彦山神宮 奉幣殿_c0222861_20272327.jpg

昔と何も変わっていなかった。










ひめちゃご75 英彦山神宮 奉幣殿_c0222861_20274138.jpg

シャクナゲが咲く水場で水をいただく。
そうそう、高住神社も英彦山神宮も水がおいしい。
というか、神水だ。
ペットボトルを持っていこう。
リュックがあれば帰りも重くない。










ひめちゃご75 英彦山神宮 奉幣殿_c0222861_2028111.jpg

スロープカーで登って来た人たちがどっと訪れる。
憧れても登れない人たちがいた時代が千年以上もあったことからすると、
なんと良い時代になったことか。











ひめちゃご75 英彦山神宮 奉幣殿_c0222861_2028182.jpg

こちらは遥拝所で、頂上への登山口だ。
中宮に市杵島姫が姉姫たちと共に祀られている。

スロープカーで奉幣殿まで来て、ここから登れば
時短で市杵島姫に参拝できる。それも一手か。


二女神のラインが日王山を通って六ケ岳グランドクロスに届く。

地のラインだが、天空のラインとも呼びたい神々の世界だ。


奉幣殿から先は登山靴が必要だ。寒い季節はアイゼンも。

かつて春でも石段が凍って滑り台になっていたために断念したことがある。



雷鳴の間隔が短く近くなってきたが、不思議にあわてる気にならない。

なるようになるさ。








ひめちゃご75 英彦山神宮 奉幣殿_c0222861_20291439.jpg

長い石段を下りていく。

車に乗ると、ついに雨が降り出した。
ヒョウも降る。



途中、高木神社の祭に遭遇した。
ここだけは雨が降っていない。

そして、その町を抜けると土砂降りだった。

神輿を担ぐ人たちは周囲が雨とは知らなかっただろう。

神懸かった不思議な光景を見せられた。


『神功皇后伝承を歩く』上巻2 神功皇后は神武天皇の旧跡で祈った


<2017年5月7日>



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# by lunabura | 2017-05-07 20:31 | 「ひめちゃご」 | Comments(12)

ひめちゃご74 英彦山神宮 参道にて



ひめちゃご74


英彦山神宮 参道にて
 

高住神社から車で数分、英彦山神宮にも足を延ばした。


ひめちゃご74 英彦山神宮 参道にて_c0222861_22543345.jpg

別所の駐車場から英彦山が見えた。









ひめちゃご74 英彦山神宮 参道にて_c0222861_22545737.jpg







ひめちゃご74 英彦山神宮 参道にて_c0222861_22551068.jpg

ここから歩いて行ったが、道が広くなって崖の上の道だと気付く。
記憶に無い舗装道路だった。



スロープカーが出来てから様変わりしていて、土産物店も二つほどに減り、
参道のそばまで駐車場が出来ていた。


ひめちゃご74 英彦山神宮 参道にて_c0222861_22554080.jpg






ひめちゃご74 英彦山神宮 参道にて_c0222861_2256891.jpg

石段は途中から登りづらくなった。
こんなに大変だったのか、石段の記憶も景色も何もかも違って見えた。

視点が変わると世界が変わる。





参道の両脇には大きな僧坊の跡が左右に残っている。
高良山にも300以上の坊があったが、草木に埋もれて姿を留めない。
英彦山はそれよりもスケールが大きい。




「ここは都だったね」と夫が言う。

この僧坊群の大きさからいうと、かなり大きな消費生活があったはずで、
それを支える町は当時の日本でも大きかったことだろう。

「熊野より大きかったかもね」と正直思った。





数年前の新聞記事に
航空写真から壮大な僧坊群があった地形が読み取られたことが載っていた。

地形だけ残る宗教施設の山はマチュピチュを思い起こさせた。


「まるでマチュピチュ」
天空の宗教施設という意味で同じ営みを感じた。









ひめちゃご74 英彦山神宮 参道にて_c0222861_22573313.jpg


「都」という言葉から、
久山の伊野神社(天照皇大神宮)の豊丹生(ぶにゅう)氏の話を思い出した。

大和国丹生で丹生氏に改姓し、皇大神に仕えていた小山田氏の曾孫が
公の場で席順の争い事を起こし、英彦山に流されることになった。

その時、アマテラスが「自分を連れていくように」と夢に出て来たので、
この英彦山に神体を持って来た。
さらにその子供に神託があって、
神体を久山の天照皇大神宮に移したことから豊丹生氏となった。

そんな話だった。

古文献を見ていると時々英彦山が出てくるので、
よほどの都会だったのだろうと思ったので「都」ということばに
いやに納得した。

こうして、左右の僧坊群を見ながら登ると、
食いっぱぐれても、ここに駆け込めば生きていける。

仏教にはそんな懐の深さがあって、
今より食べ物のない時代でも、誰でもが生きていけたんだろうなと思った。

コンクリートの中の暮らしでは想像もつかない豊かさが山の中にあった。



遠雷が時々響く。
雨に遭わなければいいが。

後で知ったが、博多どんたくを中止に追い込んだ雷雲がここまで及んでいた。







『神功皇后伝承を歩く』
上巻38 天照皇大神宮 神功皇后は天照大神を祀った





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# by lunabura | 2017-05-05 23:00 | 「ひめちゃご」 | Comments(0)

ひめちゃご73 英彦山・高住神社に参拝してきた



ひめちゃご73 

英彦山・高住神社に参拝してきた
 


という訳で(どういう訳?笑)、
今日は高住(たかすみ)神社に参拝してきた。

連休を利用して5月3日に参拝する予定にしていたので、
ちょうどブログ記事にリンクした。












ひめちゃご73 英彦山・高住神社に参拝してきた_c0222861_20145152.jpg

遠賀川中流域から英彦山(右)と鷹ノ巣山(左)がずっと姿を見せる。
特に鷹ノ巣山の二つのピークは人の心を捉える。

添田町に入って、二つの山が撮れる所に出たので車を止めて撮影。
目的地は英彦山山塊の中の北(左)ピークの麓にある高住神社だ。











ひめちゃご73 英彦山・高住神社に参拝してきた_c0222861_20151053.jpg

急なカーブの連続の途中、一瞬鷹ノ巣山が見えた。

あれを見て登りたいと思う人もいるのだろう。
「いかにも修験の山らしい」と夫が言う。

途中の道の駅で弁当を買っておいて良かった。
食事が出来る所は無い。









ひめちゃご73 英彦山・高住神社に参拝してきた_c0222861_2015368.jpg

高住神社の一の鳥居。銅製だろうか、緑青色が美しい。











ひめちゃご73 英彦山・高住神社に参拝してきた_c0222861_20155681.jpg

参道に差し込む光が幽玄の世界を醸し出す。別次元のような参道だ。











ひめちゃご73 英彦山・高住神社に参拝してきた_c0222861_2016144.jpg

新緑の美しさに何度も立ち止まる。








「磐座信仰だ」と夫が言った。


ひめちゃご73 英彦山・高住神社に参拝してきた_c0222861_20163667.jpg

まさに、そう。
磐座に向かって祈るようになっていた。











ひめちゃご73 英彦山・高住神社に参拝してきた_c0222861_20165591.jpg

ご祭神の組み合わせが不思議だ。

豊日別大神、
天照大神、
天火明命、
火須勢理命、
少名毘古那命

木花咲耶姫が生んだ天火明命、火須勢理命がここに。
糸島の細石神社の近くでコノハナサクヤが出産した伝承があったことを思い出す。

この二神は志式神社では豊玉姫と共に荒ぶる神になっている。
この謎は全く解けていない。
ここで、遭遇するとは思ってもいなかった。

二神の母と父である木花咲耶姫とニニギ尊は
もう一つの霊峰・馬見山に祀られている。
どうやら、英彦山と馬見山は一セットでアプローチしなくてはならないようだ。

また、天照大神が祀られているのも意外だ。

少名毘古那命も何故に?

「鎮西彦山縁起」や「彦山流記」で想像していた
神々の世界とはかなり違っている。



第一神の豊日別大神は豊の国の国魂だ。


この北嶽に住んでいたという大己貴と二女神の名は消えていた。
やはり、遠く海を目指して遷っていったのだろうか。
もともと大己貴と少名毘古那の組み合わせも存在した可能性も出てくる。

ここは祭神が幾層にも祀られた歴史を留めているようだった。





『神功皇后伝承を歩く』
下巻72志式神社 神功皇后は荒ぶる神々に神楽を奏した




                     <2017年5月3日>


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# by lunabura | 2017-05-03 20:20 | 「ひめちゃご」 | Comments(2)

ひめちゃご72 英彦山は宗像に転写されたのか



ひめちゃご 72

英彦山は宗像に転写されたのか
 

前回は
「英彦山―六ケ岳」の間には
「三女神ライン」と名付けた一直線のラインが存在し、

それと重なりつつ、角度を変えて存在する
「日子ライン(日子―日王―日子)」が存在すること、
また、六ケ岳グランドクロスの持つ意味の考察などを記した。


が、
これらのラインが実際にどうやって測量されたのか、
という疑問が当然ながら出てくる。


それに簡単に答える画像をチェリーは添付してくれていた。

なんてことはない。
英彦山から見れば日王山と六ケ岳は目視できるのだ。
それが次の画像だ。










ひめちゃご72 英彦山は宗像に転写されたのか_c0222861_14444954.jpg


まるで神々の視点を得たように美しく見えている。
英彦山からは日王山、六ケ岳がよく見えていた。
その奥には孔大寺山が雄大な姿を見せている。
この山の向こうは玄界灘だ。















ひめちゃご72 英彦山は宗像に転写されたのか_c0222861_14451459.jpg


これは六ケ岳の上宮からの英彦山。逆からも当然ながら見えている。
こうしてみると、「英彦山北嶽ー中岳」は不思議な形だ。

この「英彦山北嶽」にいた「二女神」は「市杵島姫と合わせて三女神」となって、
「日王山」を経てこの「六ケ岳」に降臨した。

このように完璧な一本ラインが存在することは、
三女神の降臨神話は何らかの「寓話」として、あるいは「暗号」として
伝えられたのではないかという、新たな思いを生じさせた。

これまでは、「氏族は氏神を持って移動する」という考えで考察してきたが、
天空のこのラインはそれでは上手く説明できない。

何らかの別の意図があったのではないかと思うと、
かえって謎が深まってしまった。




つぎに「大己貴ライン」について考えた。

一枚目の画像に見える孔大寺山についてだが、

この山には宗像大社の摂社である孔大寺神社(こだいじ)がある。

その祭神が大己貴少彦名だ。

その麓に指来(さしたり)神社があり、

祭神は気長足姫命、阿蘇津彦命、大己貴命、高龗神、

少彦名命、水波能売命、豊日別命。



この指来神社の位置は綿密に目視しながら測量して決められたことを

チェリーはブログですでに証明していた。







二女神と暮らしていた「大己貴」は「英彦山北嶽」から宮若市の
「若宮八幡宮」を通り、「指来神社」に到達する。
そのラインは宗像大社辺津宮を通り、中津宮(大島)に延伸する。

大己貴と二女神が宗像でそれぞれの宮に鎮座しながらも、
英彦山への繋がりを伝えようとしているかのように見える。

大己貴は宗像の「許斐山(このみやま)」にも鎮座する。

まるで「英彦山」が宗像に転送、あるいは転写されたように見えてきた。
チェリーが「豊前坊」(高住神社)が孔大寺にあることを述べているが、
これも「英彦山」の拡大写し絵である印象を強くしている。


この、きっちりと測量されたラインが何の意味をするのか、
別次元の暗号があるのどうかも分からない。

今は、このラインを知ったことで十分だろう。

思えば、ここに挙げた山のうち、
許斐山、孔大寺山、六ケ岳、英彦山は全部二回(以上)は登っている。

チェリーの画像を持って、もう一度すべてを登り直したい気分になった。





                          <2017年5月1日>

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ひめちゃご72 英彦山は宗像に転写されたのか_c0222861_15184581.gif

# by lunabura | 2017-05-01 14:47 | 「ひめちゃご」 | Comments(6)

ひめちゃご71  英彦山―日王―六ケ岳三女神ラインは 日子―日王―日子 ラインだった



ひめちゃご71

英彦山―日王―六ケ岳
 

三女神ラインは 日子―日王―日子 ラインだった

謎のグランドクロスの手掛かり




次の画像は「姫神の謎を追って」3で作製した三女神関連の画像。
数年前のものだ。
http://lunabura.exblog.jp/23357916/


ひめちゃご71  英彦山―日王―六ケ岳三女神ラインは 日子―日王―日子 ラインだった_c0222861_21415577.gif

「英彦山」の伝承と他の神社縁起をアバウトにつないでみた。

大己貴と二女神が結婚して住んでいた北嶽に天忍穂耳が来たので、
大己貴と三女神が宗像に遷るようすをライン化したものだ。

今見直してみると、その当時の理解から殆ど前進していない(´・ω・`)


前回70の話題は青いライン上にある日若(日少)神社などのことだったが、
「日若」「日少」と「日王山」に共通する「日」が気になっていた。




すると、
チェリーがピンクのライン上に「日王山」が乗ってくることを発見した。

私がアバウトに描いたピンクの三女神ラインは
チェリーの厳しい基準をクリアして存在したのだ。







ひめちゃご71  英彦山―日王―六ケ岳三女神ラインは 日子―日王―日子 ラインだった_c0222861_19433338.jpg

英彦山―日王山―六ケ岳のラインだ。
英彦山には三つのピークがあり、六ケ岳は六つ以上のピークがあるが、
図に描かれた三本の微妙な角度差のラインは全部日王山を通っている。








次はその部分拡大図だ。南から載せよう。

ひめちゃご71  英彦山―日王―六ケ岳三女神ラインは 日子―日王―日子 ラインだった_c0222861_19435336.jpg

青(南岳)、紫(中岳)、赤(北岳)から発するラインは










ひめちゃご71  英彦山―日王―六ケ岳三女神ラインは 日子―日王―日子 ラインだった_c0222861_19441563.jpg

すべて日王山を通り、











ひめちゃご71  英彦山―日王―六ケ岳三女神ラインは 日子―日王―日子 ラインだった_c0222861_19443021.jpg

六ケ岳の三つのポイントに届く。

青(南岳―日王山―羽衣)、
紫(中岳―日王山―グランドクロス交点)、
赤(北岳―日王山―崎門・六嶽神社上宮)

この中の「グランドクロス」の名はチェリーが発見して命名したもので、
「天冠―旭(六ケ岳頂上))と「羽衣―出穂」のラインが
東西と南北を正確に結ぶことからつけている。


この天冠と旭と羽衣の三つには重要な共通項がある。

それはニニギ尊だ。
ニニギ尊のなきがらを「旭」に、冠を「天冠」に、
衣を「羽衣」に埋めた伝説がある。

それらが作る十字架の交点に、英彦山中岳―日王山の矢が突き刺ささっている。
それが紫ラインだ。


英彦山はもともと日子山と表記していた。日子である天忍穂耳を祀る。

一方、日王山は日神(アマテラス)と三女神を祀る。
天忍穂耳はアマテラスの子だ。

天忍穂耳とニニギは父子だ。

だから、このラインはアマテラス三代のラインとも言い換えられる。

日神(アマテラス)―日子(天忍穂耳)―日子(ニニギ)の三世代が
山の上では
日子(英彦山)―日神(日王山)―日子(六ケ岳)
と繋がっていることになる。



これを整理すると、
ニニギ尊に関わるものを埋めた六ケ岳の十字架の交点に
日子―日王ラインが差し込むということだ。

まるで、暗号に満ちた宝の地図のようだ。

ニニギの関連のものを「埋めた」という暗号は
グランドクロスの交点に何かを埋めた。
という暗号ではないか。



そんな、目眩のするようなラインの発見だった。

(画像はチェリーの作図で、国土地理院を利用している。)







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ひめちゃご71  英彦山―日王―六ケ岳三女神ラインは 日子―日王―日子 ラインだった_c0222861_15184581.gif


# by lunabura | 2017-04-28 19:48 | 「ひめちゃご」 | Comments(6)

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