ひもろぎ逍遥

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八咫烏5 結社



八咫烏5 結社


「八咫烏」という結社があるそうです。
多分、「八咫烏」というタイトルを見て、そちらを連想した人の方が多いのではないでしょうか。

るな的には、結社については全く知識がありません。ただ、今回の賀茂氏のテーマの延長上にそれが出てきます。歴史カフェでは触れる時間がないので、ウィキペディアで予習しておきましょう。


ウィキペディアより 一部抜粋

八咫烏とは古代氏族の賀茂氏の一部が日本における神道、陰陽道、宮中祭祀を裏で仕切っているとされる組織。正式名称は八咫烏陰陽道。

八咫烏の代表者とされる林裕之によると八咫烏は賀茂氏の祖とされる吉備真備が天平十六年十一月(西暦744年)に藤原氏の朝堂独占に対抗するために 聖武天皇の密勅により丹波国で結成したのが始まりという。

その他、天皇の身に危険が及ぶ事態が起こった場合、聖護院に連れて行き事態が収束せずに更に危険が拡大すれば聖護院からあらかじめ決められた極秘の道に従って神社や寺等を点々として、最終的に天皇を奈良吉野に逃がす役割を担っていた。 この間に滞在する神社と寺の主はすべて八咫烏の構成委員またはその血族者で固められていたという。 

八咫烏は下鴨神社境内にある糺の森河合神社を仮本宗と位置づけており、 組織内では八咫烏神賀茂建角身命、秦伊呂具、役小角、聖武天皇、八咫烏開祖の吉備真備を祭神として奉っている。



結社の八咫烏は吉備真備が結成したんですね。
しかも、聖武天皇の密勅で。

吉備真備も賀茂氏で、筑前守や肥前守になっています。糸島の怡土城も造っているので、要チェック人物です。

また、聖武天皇行基に命じて福岡でいくつか寺を造らせ、行基は佐賀で神功・武内軍に殺された地元豪族や壱岐真根子の供養をしています。最近やたらに資料に出てくるので、聖武天皇、行基、最澄を追うと、九州の怨霊問題が見えてくるなと注目しているのです。

このあたりの話は時間内に話せないので、機会を改めたいと思います。
今回の内容は以上、ネットで収集できる賀茂氏のデータを埋める内容になります。

歴史カフェ17回は2月11日(日)です。







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# by lunabura | 2018-02-06 21:31 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(4)

八咫烏4 賀茂神社 うきは



八咫烏4 賀茂神社 うきは



 古事記や日本書紀に描かれた八咫烏は、神武天皇の道案内をする烏として描かれていました。高木神か天照大神が遣わしています。

一般的に、道案内として小動物や鳥、蝶などが登場する物語があるので、
読んだ人は烏が神武天皇の前を飛ぶ様子しか想像できませんね。

「八咫」という大きさは様々に言われますが、
真鍋の言う「八咫」のサイズは
「十三歳の少女が両手の親指と親指、小指と小指を合わせてつくる丸い形」だといいます。

そうすると、日本書紀の「頭八咫烏」という表現は「普通の烏よりも頭が大きい烏」という意味で書かれたのかもしれません。
頭(かしら)=長(おさ)というニュアンスかもしれませんね。

ところで、八咫烏とは烏ではなく、賀茂大神すなわち賀茂建角身命(たけつぬみ)の事だというのは、うきはの賀茂神社の縁起に書かれています。

浮羽(うきは)賀茂神社
「賀茂大神は最初にこの地に天降り鎮座され、神武天皇が日向から大和へ御東遷のみぎり、宇佐から山北へ来られ、賀茂大神は八咫烏となって御東幸を助け奉られたので、今も神武天皇と賀茂大神を奉祀する」
 
山北というのは浮羽の地名です。
神武天皇は宇佐から山北へ来た、というのですから、
記紀とは違うルートがあったのかもしれませんね。

のちに景行天皇もここを訪れますが、
その時には県主すなわち猿大海が案内しています。
猿大海は水沼ですね。
水沼と賀茂氏が同系統だと考えて古代を見ると、
これまでとは違う世界が見えてきます。

20180205





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# by lunabura | 2018-02-05 20:39 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

八咫烏3 日本書紀



八咫烏3 日本書紀



昨日は『古事記』でしたので、
今日は『日本書紀』の八咫烏を調べていきましょう。
やはり訳しますが、あらすじとなります。

神武天皇は神(かむ)日本磐余彦(やまといわれびこの)天皇、
海童は「わたつみ」すなわち豊玉彦
舟師は「みふねいくさ」、
一柱騰宮は「あしひとつあがりのみや」
莬沙津彦は「うさつひこ」
天種子命は「あまつたねのみこと」
丹敷戸畔は「にしきとべ」
武甕雷神は「たけみかづち」
韴霊は「ふつのみたま」
岡水門は「おかのみなと」遠賀川河口域
頭八咫烏で「やたのからす」

と読みます。



 神日本磐余彦天皇は、母は海童の娘の玉依姫で、
45歳の時に兄や子たち、舟師を率いて東征する。

筑紫国莬沙(宇佐)では莬沙津彦・莬沙津媛が一柱騰宮を造って饗応した。

命は侍臣の天種子命(中臣の遠祖)に莬沙津媛を娶らせた。

 11月9日に天皇は筑紫国岡水門に着き、翌月安芸に着いた。

(こののち、五瀬命、稲飯命、三毛入野命死去)

 熊野で丹敷戸畔を殺すと、神の毒気で軍勢は気を失った。

一方、熊野の高倉下が夢を見た。

天照大神武甕雷神に「行って討て」と命じたが、
武甕雷神は自分の代わりに韴霊を降ろせば国は自然と平定される、
と言う夢だった。
高倉下が目覚めると倉の底板に剣が立っていたので、
それを天皇に渡すと皆目覚めた。

 天照大神が天皇の夢に出て、頭八咫烏を遣わすので郷導(くにのみちびき)とするようにと、告げた。烏に従って山を踏み分けて行った。



ここでは八咫烏は天照大神が遣わしたことになっています。

八咫烏が導いたルートは山道ですね。
日本書紀では宇佐を筑紫国としています。正しくは豊国です。

が、足一騰宮がある安心院(あじむ)には
筑紫君の水沼という記事が出てくるので、
一概に豊国が正しいと言えないようになりました。

足一騰宮については過去記事があります。
歴史カフェでは今回は時間をかけて見ていきます。





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# by lunabura | 2018-02-04 20:49 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

八咫烏2 古事記



八咫烏2 古事記



それでは、まず『古事記』を概略ですが、読みましょう。

神武天皇が登場しますが、
その名を神倭(かむやまと)伊波礼毘古(いはれびこ)命といいます。
兄の名は五瀬命(いつせのみこと)。
夢を見た人は高倉下(たかくらじ)と読みます。
竺紫=筑紫(ちくし)です。



神倭伊波礼毘古命(神武天皇)は兄の五瀬命と高千穂宮で相談して
日向(ひむか)を出て筑紫に行った。

豊国の宇佐に着いた時、宇沙津(うさつ)比古宇沙津比売
足一騰(あしひとつあがりの)宮を造って宴を催した。


そこから竺紫の岡田宮に一年滞在した。

さらに
(阿岐国七年→吉備八年→難波(戦い)→紀国(五瀬命の死))
と移動する。



神倭伊波礼毘古命が熊野村に着いた時、
大熊が出て(みこと)も軍隊もみな失神した。

この時、高倉下が横刀(たち)を持って来たので、命が目覚めた。
命がその横刀を受け取ると熊野の荒ぶる神はおのずから切り倒された。

高倉下が横刀を手に入れた事情を話した。

夢の中で、天照大神高木神が、建御雷神(たけみかづちのかみ)に
「命を助けよ」と命じたが、建御雷神は
「自分の代わりに横刀で十分です」
と言って、高倉下の倉に降ろした。

また、高木神は
「この先には荒ぶる神が多い。八咫烏を遣わすので、それについていくように」
と言い、目覚めると実際に横刀があったという。

(建御雷神は出雲平定の立役者)

命が八咫烏の後を付いていくと、魚取る人、
井戸から出て来た尾がある人、岩を押し分けて出て来た尾ある人に会った。



ここでは八咫烏は高木の神が遣わしています。

八咫烏が案内する道は井戸から出てきたり、岩を押し分けて
尾がある人たちがいるところです。

「尾がある」というのは皮を腰に下げた人たちで、
古代日本に入植していた鉱山従事者のことだと思われます。






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# by lunabura | 2018-02-03 20:12 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

八咫烏1 




さて、今日から2月11日の歴史カフェの予習復習です。

昨年は賀茂氏について、
八咫烏 -賀茂氏と鉄の民―
というタイトルで、
「古事記や日本書紀に書かれた八咫烏」と
「高句麗壁画に書かれた三足烏」について、
真鍋大覚の資料を元に、その関係を紐解きました。

高句麗壁画は6世紀のものなので、
当然ながら日本の神武天皇の方が古くなる訳です。
何もかもが朝鮮半島から来たとする説を採ると、時系列が合いません。

高句麗壁画には三足烏と共に鍛冶の民が描かれています。
三足烏は太陽の中に描かれています。
鍛冶の民の奉斎する神が太陽の中の三足烏なのです。

この壁画は北朝鮮と国交が無いのに日本であった展覧会のカタログを
たまたま購入していて画像が手元にあるのです。
このカタログを持っている人は日本でもあまりいないと思います。

前回は古事記や日本書紀の文献を読み、
日本書紀に書かれた神社の実例は簡単に紹介しただけとなりました。

今回は逆に、日本の神社の方から見ていきます。

日本の開拓者 
賀茂氏
古代の北部九州に展開した出雲と水沼のハイブリット
―観世音寺の鐘、安心院・浮羽・高良山―

というタイトルです。

「日本の開拓者」と言ったのは真鍋大覚です。
賀茂の一族の名前が大宰府の観世音寺の鐘に陰刻されています。
これは天智天皇の時代のものですね。

そこに至るまで、福津や唐津、浮羽、安心院などなど、
北部九州に点在した賀茂氏の痕跡を見ていきます。
もちろん、ウィキペディアには出ていません。

ということで、2月11日の歴史カフェでは
古事記や日本書紀を読む時間がないので、ここで予習復習です^^

遅くなったから、続きは明日。





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# by lunabura | 2018-02-02 23:57 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

今日



今日はRKBラジオの収録でした。
何と、鞍手の剣神社の続き、古物神社からでしたよ。
そこから高良玉垂宮まで、仲哀天皇と神功皇后の足跡も当然ですが、
その行程を支えた物部氏などの話をずいぶんしました。

高良玉垂宮を話すのは難しかったです。
少しカットしてもらう方がシンプルでいいのかな。
そんなことを考えましたよ。

それから、急な用事でみやま市へ。
夜になったのですが、帰りしな、
女山(ぞやま)の後ろの山脈から十六夜の月が昇るのを見ました。
煌々と照らす月は、昨夜とは全く趣が違います。
とても良いものを見ました。
来月にはまたみやま市に行きますよ。

月ではなく、太陽の話になりますが、
この山脈から上る朝日を毎日二年間観測した方の話を思い出しました。
いつか、この話も紹介しなきゃ。
と思いつつ帰って来たのでした。





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# by lunabura | 2018-02-01 23:04 | にっき | Trackback | Comments(0)
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