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ひもろぎ逍遥

かたどりて、あれなれ河と名付けたり 『神秘書』533条


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縄文時代の海進期、また弥生時代の小海進期、海は今より標高が高い位置にあって、福岡県の玄界灘と有明海は一本の水系で繋がっていた。それを「ありなれ川」と呼んだ。

これは真鍋大覚による話だが、当時は否定されたらしく、私費でボーリングして中央部から海の貝が出てくることを証明した。

そんな話を久留米市の地名研究会で発表したら、ざわめきが起きた。理由を尋ねると、「大善寺のそばの川をありなれ川という」という話だった。今でもその名が伝わっていたのだ。

それからどのくらい経った頃か、『神秘書』を読んでいて、それが出て来た。その一部が次の行だ。

「河ノ名ヲ カタトリテ、カノトコロヲハ アレナレ河トハ名付ケタリ、」

この一文は分かるようで、分からなかった。
霧の中から舟影が出てくるような、不明瞭な姿をしていた。
しかし、これは大善寺での話だった。

「アレナレ河」は玄界灘に至る水系だと分かったが、「カタトリテ」の意味が分からなかった。それが「(天の川を)象りて」であることを理解するには、かなりの時間を要した。

上の一行を含む該当部分を訳すると、次のようになる。

533条 【口語訳】
大善寺のこと。高良大菩薩はタイタウ あれなれ河という所から御舟に乗って筑前宇美の河内にお着きになった。そこから神功皇后と共に都に上られた。(略)
川の名を(天の川に)なぞらえて「あれなれ河」と名付けられた。

***
ここでの高良大菩薩は阿曇磯良丸のことを指す。

三韓からの凱旋後、神功皇后を乗せた御座船は長崎回りで有明海に入った。大川市の風浪宮で海神への感謝の祈りが捧げられ、その後、筑後川を遡って大善寺玉垂宮の前の湊に着いた。

御座船を楠に係留して川船に乗り換え、阿曇磯良丸は神功皇后と共に「あれなれ河」を遡って筑前宇美に向かった。
神功皇后が無事に出産を終えると、磯良丸は皇后と共に都に行ったという。

「あれなれ河」は『日本書紀』では「阿利那礼河」と書かれている。
そこでは、天の川そのものの話として登場する。

これに対して地上の「ありなれ川」は筑後川から宝満川、三笠川を北上して博多湾まで繋がっていた。

しかも、それを名付けたのは阿曇磯良丸だということになる。

次の写真は「ありなれ川」の描写を記した『日本書紀』の口語訳。拙作の一ページ。

画像
拙作『星の迷宮へのいざない』より

<20260611>


# by lunabura | 2026-06-11 19:43 | 大善寺玉垂宮・だいぜんじ久留米 | Comments(0)

志賀海神社と高良大社をつなぐ「子の日の松」

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『高良玉垂宮神秘書』に「子の日の松」のことが出てくる。

【196条
白鳳二年の御託宣の後、上津荒木(こうだらき)の青性山(しょうしょうざん)の松を採って、高良山の後方の野山に植えられるようになった。そこを青性山の青の字を取って青山と名付けた。

青性山の木を青山に植えたことから、(混乱を避けて)青性山は「上津荒木の本山」と呼ぶようになった。】

***
子(ね)の日に高良山で松を植える行事があった。これは玉垂命が大菩薩になった白鳳二年以降に始まったものだ。

玉垂命が子の日に松を三本、高良山に植えたことにちなむ行事で、松は青性山で採る。

植える場所は高良大社の裏手で、青性山の一字を取って青山と呼んだが、名前が似て混乱するので、松を採取した所は「上津荒木の本山」と呼び変えたという。

この「子の日の松」は福岡市の志賀海神社の複数の祭事に出てくる。

「鞨鼓(かっこ)の舞」では阿曇磯良丸が「子の日の松や」と言って三回まわって舞う。神幸祭の時にもこの言葉が中津宮で唱和される。

さらには、当社の縁起絵巻にも上の方に三本の松が描かれている。
当社でその由来を伺ったが、その意味は伝わっていないという。

しかし、この行事は明らかに、志賀海神社と高良玉垂宮の縁の深さを物語っている。

近年、高良大社では「子の日の松」の行事が復活した。

バラバラに知ったことが、『神秘書』の解読中に繋がった。

<20260604>



# by lunabura | 2026-06-04 14:49 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Comments(0)

綿積神社 豊玉姫と父と子と

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小説『豊玉』の舞台は、ほぼ海です。


それも福岡県の北にある玄界灘(げんかいなだ)や響灘(ひびきなだ)。
今日はずっと心に残っている海の画像を。


画像
糸島市 綿積神社


海で禊をするために手すりがついています。
禊は名乗藻(なのりそ)を採って海の神様に捧げること。

柿本人麻呂が詠っていますが、ヒジキのことなんです。

人麻呂って、女性が寝乱れた髪を海藻で表すんですね。
この神社にもその歌が掲示板にありました。

こちらは、私の『癒しの万葉集』から。


画像
『癒しの万葉集』-人生の四季を歌うー


海の向こうに見えるのは可也山(かやさん)。
好きすぎて、『星の迷宮へのいざない』にも書いちゃいました。
可也とは「ベガを祀る天壇」があったところ。


画像
『星の迷宮へのいざない』
日本人が忘れた星の和名と渡来の記憶

そして、『豊玉』の舞台でも何度も出てきます。

綿積神社の祭神を豊玉姫の観点から書くと、父と子なんですね。

祭神 豊玉彦命、鵜茅葺不合命、豊玉姫命

『光る君へ』でも元寇の時の舞台として出て来たのはここです。


<20260531>




# by lunabura | 2026-05-31 17:24 | 小説『豊玉』 | Comments(0)

『神秘書』入門書 6月には出せそう

『神秘書』入門書 6月には出せそう_c0222861_13284653.png


『神秘書』の組版をしながら推敲しています。
全部で551条あるうち、163の条を取り上げました。

たぶん15年ほど、書き写しては解釈しています。
その間、神功皇后の本を書き、真鍋大覚の本を出しました。
これと合わせて3部作のような形になるんだな、と思いました。

とくに祭神の「磯良丸」、『神秘書』に出てくる「ありなれ川」「斗永手長」が星の名前だと分かったのは真鍋の本のおかげでした。ちなみに「シリウス星」「天の川」「こぐま座と大熊座」に対応しています。

干珠満珠でさえ、ポラリスとツバーンのシンボルです。

真鍋の本も難解ですが、三つの本を螺旋階段を登るように著したおかげで、最大の難関である『神秘書』も形になろうとしています。

原文の確認の突き合わせも数回行い、見直すたびに理解が深まって、謎の単語が意味を成すようになりました。

今日から『神秘書』の「解説」を読み直していますが、残った謎の答えをそこからも見つけたりしています。

『神秘書』は6月末には出版できそうです。その後、「季刊邪馬台国」で連載した筑紫君磐井の論文を一冊にまとめます。

何故、磐井君が高良山麓に磐井城を作って拠点にしたのか、ずっと抱えていた謎が『神秘書』の解析で解けて来たように思います。

神功皇后の伝承ー『高良玉垂宮神秘書』ー筑紫君磐井
高良山で営まれた倭国の歴史。

必ず本の形にしよう、と、気持ちを逸らさず日々を過ごしています。

高良山で、まだ行っていない場所がいくつか出てきました。
本を出したら訪ねたいな。
風薫る日に。

<20260526>



# by lunabura | 2026-05-29 13:29 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Comments(2)

今日はありがとうございました!

今日はありがとうございました!_c0222861_23044820.png



今日のくるま座さん、東から南からと、遠方から集まってくださってありがとうございました。バスハイクで懐かしいお顔も。


ゆったりとそれぞれのお話も聞けて楽しかったです。


歴史は総合的な世界。
皆さんの話を聞くのは、とても視野を広げてくれます。


今、仕上げの最中の『神秘書』もまた、こうしてお届けできたらいいなと思います。


『神秘書』に書かれた時代は1400年間です。
神功皇后の時代から秀吉公の時代まで。
秀吉公は高良山に来てますからね。


おいおいお伝え出来たらと思います。

またお会いしましょう!


<20260523>


# by lunabura | 2026-05-23 23:04 | にっき | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『豊玉』『星の迷宮へのいざない』   Since2009.10.25