2016年 01月 04日
脇巫女 28 薬王寺 清滝寺
脇巫女 28
WAKIMIKO
薬王寺 清滝寺
福岡県古賀市
朝早くから七色のメールが何通も来た。
薬王寺、清滝寺に誘う内容だ。
あまりに回数が多いのでよほど緊急性があるのだろうと、
勘違いして午後から出かけることにした。
結果としてはそれほど急ぐ事ではなかったが、
チェリーさんのブログを見て、清滝寺の今を確認したいと思った。
速報版 七色さんへのレポート 清水寺(宮若市黒丸)
http://sakurasaku0911.blog.fc2.com/
埴生(はぶ)神社からラインが届いていた。
それは西山断層の守りの配置とも思われた。
埴生神社は仲哀天皇と神功皇后が船を泊めて祭祀をした所だ。
当時は島だった。
今は美しい湖と桜の宮だ。
古遠賀湾の水が取り残されたような景観だ。
(『神功皇后伝承を歩く』上巻13)
そこにある横穴墓群の線刻画を何とかして残してくれまいかと
願っている所でもあった。
「はぶ」とは南十字星を表すことばでもある。
今、古月さんはここを中心とした祭祀線を発見していた。
チェリーさんの祭祀線にも出てくる。
各人が同時進行形で様々な発見をしていた。
とてもブログには書きおおせない。
七色は各地の寺社を回るうちに、
鞍手に限らず、遠賀川流域の過去の災害を教えられていた。
そして、今回、絵都(えと)とも会えた。
絵都はこのブログにコメントを入れてくれていた女性だ。
ブログの縁でこうして三人が会った。
七色によると、絵都は「海の民」の脇巫女の一人だという。
三人はまずは薬王寺に向かった。
何故か昨年秋、ひょんなことで、ここの龍頭観音を私は知った。
まっすぐにそこに案内すると、七色は夢で見た所だと歩を止めて見回す。
そのお堂の下からは清らかな水が流れ出していた。
薬王寺の水は格別に上手い。
人を癒すために発見された水が多くの人に届けばと思う。
帰りに絵都が砂防ダムを気にしたので行ってみることにした。
右手にはかなり低いところを谷川が流れていたが、
最初の砂防ダムは既に満杯だった。
横の崖から木々が押し流されている。
久山町の天照皇大神宮を思い出した。
そこは社殿の真後ろに迫っていた。
このような分野の管轄は何処なのだろう。
通報システムなどはないのだろうか。
ご存知の方は教えてほしい。
この山は断層地帯なのだ。
次に清滝寺に向かった。
清滝寺は薬王寺から北の方にある。
かつて巨大な磐座を見た記憶があった。
久しぶりに磐座に会える。
清滝寺に向う道を走っていて驚いた。
清滝寺はそそり立つ神奈備山の中腹にあった。
地形を見るようになって、初めてその特異な立地を確認した。
急な細い一本道を上がると思いがけず開けた所に御堂があった。
すがすがしい。
私は磐座を求めて山に入った。
あと二人が一緒だから安心だ。
普段は慎重な私がずんずんと登ってしまった。
山頂に行くには時間が足りなかった。
さっき傾く夕陽を見たあとなのに、時間を気にしなかったとは。
足元からさっき見た鐘を突く音がする。
途中で断念したが、下山の時、何度も道を失った。
そのたびに七色が道を見つけてくれたのだが、
このような無鉄砲な行動をしたのは初めてだった。
七色と絵都には申し訳ないことをした。
これも意味があるんですよ、と七色が言ってくれたが、
低山で遭難はいただけない”(-“”-)”
七色の目的は水源を見つけることだった。
寺に尋ねると、御堂の裏に古くは滝があったという。
今はその痕跡もない。
また七滝があったともいう。
さっきの山の中は杉だらけだった。
これでは水が無くなるのも無理はない。
降った雨は表層を流れていく。
これが重い課題として迫って来ていた。
この清滝寺は糟屋の中でも一番古く、
また、大宰府~英彦山を回峰する修験道のルートでもあったという。
天台宗だ。
瑠璃光山行基院。
行基は水の祈りのために回ったのか。
七色は「るなさん、今夜は続きの夢を見ますよ」とメールしてきた。
そういえば、今年の初夢はまだだった。
(阿弥陀堂)
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