2015年 12月 26日
脇巫女 25 神秘のセイリオス
脇巫女 25
WAKIMIKO
神秘のセイリオス
2015年12月25日。
ようやく天気予報に星マークがついた。
六ケ岳に出るシリウスを観測するチャンスだ。
カレンダーを見ると、すでに「シリウス観測」というメモを
その日の所に書き込んでいた。
星読から初めて聞いた日に書き込んだものだ。
結局、当初の直観が正しかった。
この日をメモしたのには理由があった。
古代の人が冬の間ずっと出続けるシリウスを祀るために
祭日を設けるとしたら、新月か満月の時だろうと睨んだのだ。
しかし、新月を待つとしたら来年になってしまう。
それなら、満月しかないな。一番星が見えない日だけど、
と思いながらチェックしたのだった。
今年は満月とクリスマスが重なる。
ベツレヘムの星はシリウスとも言われている。
何か意味ありげでもある。
タツさんの予測した時刻は20:30。
シリウスが六ケ岳山頂で輝く時間だ。
実際に確認した星読が「その10分ほど前に稜線に現れて山頂に昇っていく」
という興味深い現象を話したので、20時頃に現地入りすればよい。
いや、待てよ。
夜だから場所が分からない事もあるかもしれないから、もう少し前だ。
と考えて7:50には到着するようにした。
六嶽神社に行って参拝を済ませて境内の右手から出れば目的の公民館がある。
しかし、夜中の神社は漆黒の闇に包まれていて、さすがに恐ろしげだった。
すぐにあきらめた。
次に公民館を目指すが、ナビに出てこない。
最初の路地から入ってみて、星読を待つことにした。
まもなくやって来た星読に先導されて六嶽神社の裏手に出た。
やはり、案内人がいなくては夜中の探査は無理だった。
公民館の周囲は明るかった。
「ボッコン、ボッコンの左の方」
と星読が崎戸山を教えてくれるが、それじゃあ分からん。
ボッコンという単語は私には引っ込んだ所という印象なのだ。
星読にとっては山を指す表現らしい。
星を見ているうちに、二つのピークの左手が「崎戸山」ということが分かった。
「崎戸山」(さきとやま)こそ、三女神が降臨したと言われる山なのだ。
観測ポイントを決めたので、裏手から入って六嶽神社に参拝する。
初めて当社に来た時もこの道からだったが、
木の根に足を取られ、記憶とは違う道のように思えた。
社前に出て、ようやく見慣れた景色を思い出した。
常夜灯が一つだけ、境内を照らす。
参拝を済ませて上空を見ると満月が木の枝の向こうに輝く。
足元はまるで木漏れ日を通したような影が出来ている。
そして、拝殿の屋根の上方にオリオンの三ツ星がかすかに姿を見せていた。
星読がメールで「三ツ星が三女神ではないか」と言った理由が腑に落ちた。
三女神を祀る神社の上空に三ツ星が掛かろうとしていた。
もうすぐ、真上に来るだろう。
まっすぐ。立ち上がって。
「ここに座って見上げると、六ケ岳が正面に見えて、
シリウスと三ツ星が縦に並ぶのが見えたのでは」
と星読が言う。
星読の心にはアグラをかいて星の出を待つ氏族の長(おさ)の姿が
あるようだった。
その発想は私にないものだった。
星読自身が過去世で、ここでそうやって祀ったのだろう。
そして、2700年経って再発見した。
そう考えると面白い。
過去世をやり直すことは、ままあることだ。
私は初めて三脚を設置した。
デジカメも「星空」バージョンだ。
こんなことは明るいうちにして置かねばならない、
とテレビで言っていたが、本当だった。
夫が懐中電灯で照らしてくれて、シャッターを押せる状態になった。
――ようわからん。押してみるわ。
すると、いきなり「15秒」が出てきて、
カウントダウンし始めたのでびっくりした。
何と便利なのだ。
こんな風にごたごたしていると、
星読が公民館の方から「ミルザムが頂上に出た」という。
三脚を持って移動する。
もう、少し離れていた。
「撮れた?」
「分からない」
星影のような小さなものはパソコンに移さないと分からないだろう。
「ミルザムを撮ってから、神社に戻って三ツ星だね」
「そして、公民館でシリウスの出を撮る」
結局は、もう一度神社に戻って三ツ星を撮った。
次回はこれで行こう。
本来、境内から見えていたと思われる景色は
社殿と杜があるので、行ったり来たりして撮らねばならない。
外気温は5度。
満月に照らされる崎戸山を見つめる。
宙でピカッピカッと何かが光った。
そしてその真下からついにシリウスが出て来た。
樹木の間からクリアなプラチナ色がぽつんと見えた。
太陽と違って光芒がないのでクリアだ。
色は赤、青、緑、黄色、白と変化しながら光彩を放っている。
白銀色ではあるが、チカチカと変化しているのだ。
全体が出ると、シリウスは稜線を昇り始めた。
速い。
シリウスの動きが目で観測できるのだ。
木のいただきを一つ一つ辿りながら動いているのがよくわかる。
まるで意思を持つ者のように。
三分の一ほど稜線を辿るとシリウスは上を見た。
そしておもむろに稜線を離れていく。
離陸した飛行機より大きな角度でぐんぐんと頂上を目指す。
シリウスが頂上のラインに達した時には山頂からかなり上だった。
タツさんが計算した通りだった。
そして、私たちは更にその上で淡く輝くオリオンの三ツ星も気にしていた。
山頂と三ツ星とシリウスが一直線に並ぶのではないか。
シリウスがガンガン昇ってくるのを三ツ星は歩調を緩めて待っていた。
それはまるで三女神がセイリオスを待つ姿に見えた。
シリウスの別名、セイリオス。
これがセオリスと変化したのなら、まさしく
セオリツ姫を三女神がお守りするような位置関係だった。
だから、六つのピークのうち、三女神が降臨したのは
「崎戸山」でなければならなかったのだ。
三女神が降臨したというのはこの瞬間ではないか。
そして、何故その時、セイリオスが山頂にあるのか。
その訳は星読の託宣にヒントがあった。
クマソの絶対神セオリツ姫の血を受け継ぐ巫女が三女神なのだ。
「周囲の四つの星は三女神を祀っているように見えるね」
と星読が言った。
――まるで四天王のように、と言いかけて私は止めた。
それは仏教的思想だ。
しかし、思えば三つの星を囲んで四方に鎮座する星々の位置関係は
仏教の曼荼羅とそっくりだ。
阿弥陀の両脇を脇侍仏が固め、四天王が四方の睨みを利かす。
まるで、オリオン座そっくりだ。
四天王の発想もまた、オリオン座から生まれたのかもしれない。
知識による先入観は豊かな発想を封じ込める。
こうして現地で感じるものこそ、古代の人の発想を知ることになるのだ。
崎戸山の稜線は黒く神奈備山のシルエットを描いていた。
シリウスを追う間、残像が白い雪のように山を覆ったり、
雲のように下がったりする。
二人の男性は神秘的だという。
山のオーラが変化しながら輝いているという。
この不思議な山の変化を残像と思い込んだ私は
どうやら男性陣より夢のない人間のようだ。
そして、私たちは拝殿前に戻って三ツ星を見上げた。
ようやく三ツ星が真上に移動してきた。
シリウスがあれほどの距離を移動した間に
三ツ星はほんの少ししか移動していなかった。
もう一度シャッターを切った。
これがその写真だ。
三ツ星信仰がここにあったに違いない。
しかし、シリウス信仰は?
それは長谷寺の主仏が十一面観音という形で残されているかもしれない。
十一面観音はセオリツ姫のもう一つの姿とされているからだ。
こちらがシリウスの出。
三ツ星とシリウスと崎戸山。
試しに撮ってみると、想像以上に撮れていた。
しかし、キラキラと色を変えるシリウスはやはり静止画像では分からない。
いつか、町おこしとして、撮影大会を催してこの神秘の現象を
多くの人に見ていただきたいと思った。
それが、物述の魂たちを呼び出す手段になるのかもしれない。
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