ひもろぎ逍遥

lunabura.exblog.jp ブログトップ

大嶽神社(4)祭神の大濱の宿禰は阿曇の連の祖/さばめく海人たちを束ねた人


大嶽神社(4)

祭神の大濱の宿禰は阿曇の連の祖
さばめく海人たちを束ねた人


貝原益軒の『筑前国続風土記』にその名前が出てくるので、現代語訳します。 

神功皇后新羅に行かれる時、御船は夜来て、
粕屋郡資河(しか)島に停泊されました。
お付きの者に大濱小濱(おおはま・こはま)という者がいました。
皇后は小濱を呼んで、「この島に行って火を貰って来なさい」と言われたので、
小濱は手に入れて帰って来ました。
大濱(おおはまー日本紀の応神天皇紀に、阿曇(あずみ)の連(むらじ)の祖、
大濱宿禰とあるのがこの人であろう。)は尋ねました。
「近くに人家があったのか。」
小濱が言いました。
「この島は打昇浜(うちのぼりはまー奈多の浜)と近く、連なっています。
ほとんど同地と言ってもいいほどです。」
それで、近島と言ったのが、今は訛って資河島といいます。


大濱は神功皇后のそば近くに仕えた人
久し振りに神功皇后が出て来ました。これは新羅と戦う前の話です。
原文では大濱と小濱は「陪従」とあるので「お付きのもの」と訳しました。
これから分かるのは大濱は神功皇后のそば近くに仕えたという事です。

志賀島の語源
また、この話では「ちかしま」→「しかしま」となった語源の説明をしています。
博多の人の会話を想像しました。
「しかの島は、何で、しかの島と言うとね。」
「ああ、志賀島と奈多が近かったからじゃなかとね。
ほら、神功皇后が火ば貰って来いちゆうて、すぐに貰って来たろうが。」
「そうな。近かったから近島ね。チカ島がシカ島になったとね。なるほど。」
と噂し合って、神功皇后の話と結びつけましたとさ。

でも、真鍋大覚氏の研究では、
福岡県の博多周辺は海の中にあって、沢山の島があり、
多島海を千顆海(ちかのうみ)と言っていたという事なので、
これがもともとの語源ではないかと思いました。
今でも、壱岐の島からフェリー船で博多湾に入って行く時には、
沢山の小島が見られる、とても美しい多島海です。
眞鍋氏はこうも言っています。
枕詞として有名な「ささなみの」は「志賀・なみ・寄る・夜」などにかかりますが、
「ささの海」に浮かぶ「ささらふね」から来ていたとは、もう誰も知りません。

暦法家の家だからこそ、言い伝えたのでしょうね。
c0222861_1645144.jpg

(ここが舞台となった打昇浜(うちのぼりはまー奈多の浜)です。
志式神社の裏手になります。
水平線の左の島影が濃いのが大嶽神社のある所。
その右奥の色の薄い丸い島が志賀島。)

大濱の宿禰には海人たちを束ねた功績があった
大濱については日本書紀の応神天皇の所に書いてあるというので、
そちらも調べました。
応神天皇3年の冬、10月3日に東(あづま)の蝦夷がことごとく貢ぎ物を献上した。蝦夷を使って厩坂道(うまやのさかみち)を作らせた。

同年の11月に、あちこちの海人サバメイテ(訳のわからない異国の言葉を話して)命令に従わなかった。そこで、阿曇の連の祖(おや)、大濱の宿禰(すくね)を派遣して、その海人たちを平定した。それから海人の統率者になった。こうして当時の人たちのことわざで「サバアマ」と言う由来となった。
と書いてありました。
応神天皇神功皇后の子供ですから、さっきの話から20年位後でしょうか。
大濱は同一人物の可能性がある訳です。
新羅に勝利した神功皇后と竹内宿禰は国内でも
蝦夷や海人などを支配下に治めたのですが、
まだまだ不安定な時代だったのがこの記事で分かります。
面白いのは海人たちがサバメク事。
異国語を話すために言葉が通じなかったと解釈されています。
海人族といっても、いろんな氏族がいたのが想像されます。
その海人たちを平定した人が大濱の宿禰です。
彼の出自はこの志賀島を中心に活躍した阿曇族(あずみぞく)。
故郷の島にある、この大嶽神社に神として祀られていたのですね。

(ちなみに蝦夷も平安時代の本には外国語を話す国として描かれているので、
古代の日本ではいろんな国の言葉が話されていたのが分かります。)

                        (つづく)

c0222861_1649460.jpg

境内の裏手のようすです。




気が向いたら、ポチっと応援してくださいね。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
# by lunabura | 2010-10-17 16:54 | 大嶽神社・おおたけ・福岡市 | Comments(4)

大嶽神社(5)ウケモチの神から五穀と蚕が生まれた・ハイヌウェレ神話と日本の神話


大嶽神社(5)

ウケモチの神から五穀と蚕が生まれた
ハイヌウェレ神話と日本の神話


さて、今日は最後の祭神、「保食神」です。「うけもちの神」と読みます。
字から分かるように食べ物の神さまです。日本書紀に出て来るので訳してみます。
天照大神が天上にあって、言いました。
葦原の中つ国保食(うけもち)の神がいると聞いています。
そなた、月夜見尊(つくよみのみこと)、行って見て来なさい。」と。
月夜見尊は命令を受けて降りました。そして保食神の所に行きました。

保食神は首を回して国土を見ると口からを出しました。
又、海を見ると、のひれの大きいもの、小さいものを口から出しました。
又、山を見ると、毛の荒い動物、柔らかい動物を口から出しました。
その各種の物を全部揃えて、沢山の机に並べて饗応しました。

この時、月夜見尊は顔色を変えて怒って言いました。
「けがわらしい。いやしい。どうして、口から吐き出したものを、
あえて私に食べさせようとするのか。」
と言って、即座に剣を抜いて、殺してしまいました。
それから天上に戻って、詳しくその状況を話しました。

すると、天照大神は大変怒って、
「お前は何と悪い神だ。もう会わない。」と言いました。
そこで月夜見尊と、一日一夜隔てて離れて住むようになりました。

この後、天照大神はまた天の熊人(くまひと)を遣わして、
どうなっているか見に行かせました。この時には保食神はすでに死んでいました。
すると、その神の頭頂からは牛と馬が生れていました。
額からは(あわ)がなっていました。眉の上には(かいこ)が生まれていました。
眼の中には(ひえ)が生まれていました。腹の中にはが生まれていました。
陰部からは麦と大豆や小豆が生まれていました。

天の熊人はこれを全部持ち帰って、献上しました。
天照大神は喜んで、
「これはこの世の青人草(人間―青い目の人とも言う)が食べて生きるものです。」
と言って、粟(あわ)稗(ひえ)麦豆を畑の種子としました。
また稲は水田の種子としました。
また天の邑君(むらきみー農民の長)を定めました。
そこで、その稲種を初めて天の狭田(さなだ)や長田に植えました。
その秋に実った穂は大変長く垂れて、豊作でした。
また口の中に蚕を含んで絹糸を引き出すことが出来るようになりました。
これから初めて養蚕が始まりました。

ウケモチの神を訪ねた月読尊(つくよみのみこと)は、
その神の口から食べ物が出て来るのを見て、殺してしまいました。
その為にアマテラスと絶交状態になります。
これが太陽と月が一緒に空にいられない理由となっています。
いかにも神話らしいですね。

ところが思いがけない事に、ウケモチの神の死体から五穀の種と蚕が生まれました。
これが倭人に豊かな作物を与えてくれました。
この話は一見残酷な話のようですが、
殺された神や女神から食物が生れるパターンの神話は
ハイヌウェレ伝説といって、東南アジアなど各地の神話に見られるものです。
作物は国によって違います。
インドネシアでは身体をバラバラに土に埋めると、タロイモが生まれて来ます。
なんだか、縄文土偶がバラバラに壊されて埋められる話を連想しませんか?
次の写真は三内丸山遺跡(縄文時代)の出土状況です。
c0222861_152184.jpg

(写真提供:青森県教育庁文化課)
土偶がわざわざ壊されてあちこちに埋められているのは、
この保食神やオオゲツヒメの神話で説明できるのではと思いました。

対応していた朝鮮語
驚いたのは、岩波文庫の訳注に朝鮮語の事が書いてあった事です。
この保食神の神話が朝鮮語で読み解かれるというのです。
岩波文庫の訳注を写します。
牛馬・粟・蚕・稗・稲・麦・大豆・小豆が生るとあるが、
これらの生る場所と生る物との間には、朝鮮語ではじめて解ける対応がある。
以下、朝鮮語をローマ字で書くと、(aは逆様のaですが、aで書きます。)

頭(mara) と    馬(mar)
顱(cha)  と    粟(cho)
眼(nun)  と    稗(nui白米に混じった稗類)
腹(pai古形はpari)と稲(pyo)
女陰(poti) と    小豆(pat)

これは古事記の場合には認められない点で、書紀の編者の中に、朝鮮語の分かる人がいて、人体の場所と生る物とを結びつけたものと思われる。
(金沢庄三郎・田蒙秀氏の研究)

なるほど。すごい研究ですね。
(韓国語は一日で挫折したルナです。その重要性は分かるんだけど…。
それはさておき)
日本書紀の編者に朝鮮語が分かる人がいるのは当然じゃないかな。
当時、仏教も寺院も仏像も壁画も全部朝鮮半島経由ですもん。

日本書紀を開いて驚いたのは、百済・新羅・高句麗の人たちが
あちこちに登場する事。ひょいひょいと玄海の荒海を越えて、
行ったり来たりしている。
だから『日本書紀』という歴史本を中国語(漢文)で書こうとする時も、
正史の書き方、中国風の年代の計算なんかは、
中国や百済の人たちなんかから習いながら書いたんだろうなと思います。
古代日本って、今より国際的みたい。

話を戻しましょう。まとめです。
このウケモチの神の神話は、モチーフは南方から、
こまかい作物の対応は北から来たのが分かりました。

古事記にも似たのがあるけど
あれ?もう一つ気になるのは、古事記に出てくるオオゲツヒメ
同じような話だけど…。混乱しそう。
こっちも訳してみよう。
高天原から追放されたスサノオの命は食べ物をオオゲツヒメに乞いました。
すると、オオゲツヒメは鼻や口や尻からいろんな食べ物を取り出して、
いろいろと料理を作りそろえて献上しましたが、
スサノオの命はその様子を覗き見して、汚らわしいものを献上すると思って、
即座にオオゲツヒメを殺しました。
こうして、殺された神の体からは、頭から蚕が生じ、両目からは稲の種が生じ、
両耳からは粟が生じ、鼻からは小豆が、
陰部からは麦が、尻からは大豆が生じました。
これを見て、カミムスビノミオヤの命はこれを取らせて種としました。
やっぱり同じモチーフの話でした。
殺されたオオゲツヒメからも食べ物が生れるのですが、
眞鍋大覚氏はその語源を大月氏胡語に見つけていました。
大月氏(だいげっし)って聞いた事あるけど、どうなってるの?
月氏
秦・漢の時代、中央アジアに拠ったイラン系またはトルコ系の民族。
前漢の初め、甘粛省敦煌地方から匈奴に追われてイリ地方に、
紀元前2世紀ごろ、さらに烏孫に追われてアム河畔に移り、
大夏を征服して一大国家を建てた。
紀元前1世紀の中葉、その諸侯の一人によって滅ぼされた。
匈奴に追われて西走したものを大月氏、故地に残留したものを小月氏という。
(広辞苑)

前漢の初めって、紀元前3~4世紀?
あの敦煌壁画のある辺りにいた民族が追われ追われて移動したんだ。
その人たちの使った言葉の一部が古代日本にも伝わって残っていたとは。

今回は保食神やオオゲツヒメという古い神話のルーツを見て来ましたが、
東南アジアからやって来たモチーフに、
遠くは中近東から、近くは朝鮮からの言葉が重なって、
新たな日本神話が形成されたのが分かりました。

古代の日本では、春分の日に五穀豊穣の神・オオゲツヒメを祀ったそうです。
ですから、この大嶽神社ウケモチのカミもかつては
春分の日には作物の神さまとして、
シナツヒコと共に盛大に祀られたかも知れません。

ウケモチノカミウカノミタマの神とも同一視されています。
ウカノミタマはお稲荷さんと呼ばれて人々の暮らしに密着しています。
それで、この神社は古代祭祀と稲荷信仰が融合したように見えるのですね。
c0222861_15263964.jpg

これで一件落着と思ったのですが、二日後に、人から預かった書類の束に
とんでもないメモが紛れ込んでいました。
朝鮮古代語研究家 I先生
イナリ=稲荷とは鉄器保管庫(兵器)の司をして農民に農機具として貸し与え、
使用が済んだら又保管していた所。
使用者(農民)はそのお礼に農作物(米、麦…)を差し出していた。
それで稲荷となった。つまり兵糧(代金)米である。

うっ。また古代鉄。そうか、古代は貴重品だからレンタルだったんだ。
これで多くの謎が解ける!ここの稲荷も、鉄器が置かれていた?
実は近くの名島神社には、そんな伝承の小島があるのです。
戦後の鉄不足の時代、みんなそこに拾いに行ったそうです。

あちこちに散在する鉄の伝承。
ルナの頭の中には少しづつ古代の地図が出来て来たのですが、
記事にするには力不足です。
でも、今日コメントで面白い情報貰ったから、また頑張ります。

ブログ「徒然なるままに、、、」さんに、
その鉄器と農具が埋納状態のまま出土した写真が掲載されているので、
紹介します。

  だれも埋葬されていない古墳
http://jumgon.exblog.jp/14827713/
 





気が向いたら、ポチっと応援してくださいね。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
# by lunabura | 2010-10-16 15:41 | 大嶽神社・おおたけ・福岡市 | Comments(2)

吉野ヶ里にて「よみがえる邪馬台国」展が始まる・吉野ヶ里と纒向が同時展示


吉野ヶ里にて
「よみがえる邪馬台国」展が始まる

九州説(吉野ヶ里遺跡)VS畿内説(纒向遺跡)
両地方の出土品を同時に展示して、討論会があります。



昨日から佐賀県の吉野ヶ里歴史公園内の「弥生くらし館」で、
邪馬台国論争で注目される九州と畿内の遺跡の出土品が
それぞれ100点ずつ並べて展示されています。

九州の代表は吉野ヶ里(よしのがり)遺跡・中原遺跡。 
勾玉や鉄剣・人髪・方格規矩鏡ほか。
畿内の代表は纒向(まきむく)遺跡・唐子(からこ)・鍵遺跡
三角縁神獣鏡・130センチの銅鐸のレプリカ・弧文円板のレプリカ
楼閣を描いた土器・木器ほか。
なんと贅沢な展示でしょう。自分の目で比較が出来るなんて!

c0222861_22481924.jpg

    これは現在展示中の土器類。手前が吉野ヶ里。奥が纒向。
(西日本新聞より転載)

企画展 日時2010年10月2日~11月28日まで
討論会 10月10日10時半~午後4時。
  桜井市埋蔵文化財センター主査で纏向遺跡の発掘調査に当たった橋本輝彦氏
  兵庫県立考古学博物館の石野博信氏
  県社会教育文化財課で吉野ケ里遺跡の発掘に携わってきた七田忠昭氏
  旭学園理事長の高島忠平氏
  静岡大学名誉教授 原秀三郎氏
(論者の名前は各新聞から抜き出したので、違う可能性があります。)

詳細が分かりました。
〈特別企画展〉来て、みて、知ろう、邪馬台国
フォーラム情報 10月10日
「吉野ヶ里VS纒向 対論!邪馬台国」

c0222861_1462412.jpg
■ 会場:公園東口エントランス
■ 内容:10:30 基調講演 原秀三郎
      13:00 基調講演 中山千夏
      13:45~パネルディスカッション
■ パネリスト:石野博信 七田忠昭 高島忠平 
         玉城一枝 中山千夏 原秀三郎

吉野ヶ里歴史公園 案内
c0222861_1445880.jpg
開園時間 9:00~17:00(6~8月は18:00まで)
休園日12月31日 1月の第3月曜日とその翌日
利用料金 一般400円
駐車場 普通車 300円
詳細は公式HP
弥生人の声が聞こえる
吉野ヶ里歴史公園 http://www.yoshinogari.jp/

色んなイベントがあってます。HPも楽しいよ。
問い合わせ 歴史公園管理センター 0952(55)9333

最新の邪馬台国論争が聞けますが、私はあいにく行けません。
面白そうだなあ。
吉野ヶ里はずいぶん昔に行ったのですが、次の写真を見て、また行きたくなりました。

c0222861_22495752.jpg


c0222861_22502113.jpg
c0222861_22504662.jpg

衣装の豊かな色彩は出土した糸から再現されました
c0222861_22514682.jpg

武器庫
c0222861_22521391.jpg

巫女と琴を弾く男
(古賀市歴史資料館館長 石井忠氏提供)

(男性が琴を弾くようすについては『古事記の神々』の
「神功皇后」の所で、仲哀天皇が弾く話が出ています。)




気が向いたら、ポチっと応援してくださいね。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
# by lunabura | 2010-10-03 23:00 | <催しもの・あそび> | Comments(5)

宗像大社(6)みあれ祭・市杵島姫が姉姫さまたちを海上までお迎えに


宗像大社(6)みあれ祭

市杵島姫が姉姫さまたちを海上までお迎えに
秋季大祭は大船団の海上神幸から始まった


2010年10月1日。よく晴れた青空のもと、神湊(こうのみなと)へ。
宗像大社 みあれ祭についに行って来ました。

例年10月1日はこの日は三か所に分かれて祀られている三女神が
辺津宮(へつみや)に集まる日です。
遠い沖ノ島には田心姫(たごりひめ)。宮司さんだけが住む無人島です。
大島には湍津姫(たぎつひめ)。ここまでは女性が行けます。
辺津宮には市杵島姫(いちきしまひめ)。いわゆる宗像大社です。
その三柱が三日間だけ集まって秋季大祭が行われます。
遠い島に住む姉姫さまたちをお連れするのは地元の漁師さんたちです。
みなさんが力を合わせて大船団を組んで神湊(こうのみなと)までお迎えします。
この海上神幸がみあれ祭です。
今日は、その祭りのレポートです。

9時半に御座船(ござふね)が大島を出発して、約一時間で入港すると聞いて、
神湊のフェリー乗り場の第一駐車場に入ったのは8時11分。
あと四台分開いていますよ、と言われて、ぎりぎりセーフ。
波止場の防波堤の上に陣どりました。左右にはずっと年上のお兄さまたち。
情報交換をしながら、楽しく待ちました。
c0222861_14174822.jpg

今朝の太陽のオーラは舞扇を広げたようで、気分が高まります。
海には光の道が出来てきらきらととても綺麗です。
8時38分。辺津宮の市杵島姫を奉斎したお神輿が神湊に到着しました。
ひとり静かに姉姫さまたちを迎えに出る時を待ちます。

c0222861_14183647.jpg

今頃は御座船2隻と150隻の大船団が大島に集結しています。

9時30分。二人の姉姫さまの神輿が御座船に乗って、大島を出立しました。
御座船に選ばれた船はその年一年の豊漁を約束されるとか。
今は、新造船がその名誉を担います。
この波止場からも、大島が見えていて、はるかかなたの水平線に、
真っ白な船が真横に走っていくのが見えます。
大船団は一直線に鐘の岬の方に向かいます。
そう、織幡宮がある鐘の岬です。

c0222861_14202169.jpg

すると、こちらの市杵島姫の神輿も船に載って、姉姫さまたちを迎えに出ました。

三女神が合流すると、船団は直角に曲ってこちらに方向を変えました。
何隻も何隻も。大船団です。正面からこちらに向かって来ます。
その迫力に胸が熱くなって来ます。

c0222861_1421119.jpg

「どれか分からん。」とルナが興奮すると、
「一番高いが立っているのが御座船。」と隣の人が教えてくれました。
みなさん、望遠レンズで三脚もバッチリ。連続シャッター音の響く中、
ちっちゃなデジカメで限界に挑戦。なんとか、遠い船団が写りました。

すると花火が鳴って興奮も最高潮。
「あの花火が船団の解散の合図ですよ。」と隣の方。
それから船たちは各地の漁港に帰って行くのだそうです。
その直後、船たちは派手なパフォーマンスを始めました。
急カーブを描いたり、蛇行運転をしたり。
べたなぎの海面がうねって白いしぶきがあがります。
波が高くうねって、船はまるで嵐の中のように波間に見え隠れします。
各船それぞれに派手な運転で御座船に別れをつげて離れて行きました。

c0222861_14221699.jpg

残った三隻の御座船が粛々と入港して来ます。
神官や奉仕の人たちの姿もよく見えます。
すると海上の船から再び花火。
廻りの島々に届けとばかりに入港を知らせる花火が轟きました。

c0222861_1423486.jpg

三艘の御座船が岸壁に横付けされて、それぞれの船から神輿が降ろされると、
一年ぶりに三姉妹が揃いました。
この神輿を奉斎した船の人々の見守る中、清め祓いの神事が催行されました。

c0222861_1424982.jpg

それから、神輿はすぐそばの高台にある頓宮(とんぐう)へ。
「おー~。おー~。」という清めのケイヒツの声を先頭に神輿が練り歩きます。
空の雲までも鳳凰のよう。
向こうに見える右の島は地島。左が中津宮のある大島です。
c0222861_1425361.jpg

頓宮には建物は何もありません。古式そのものです。
頂上のひもろぎにて、改めて御迎えの神事「頓宮祭」が行われました。
ここでは三女神が揃っていて、こんなに間近で拝観する事が出来ます。
ただ今11時半。このあと、いよいよ本宮への行列です。


天気も最高で、おだやかな秋の一日。お祭りの初日のレポートでした。
永年の憧れだった「みあれ祭」。縁あってようやく見る事が出来ました。
一生に一度は見たかったので感慨もひとしおです。

まだまだこれから3日間、神事が続きます。
港では、日程の分かるパンフレットが配られたんですよ。
ここにその日程表を掲載しておきます。
 みあれ祭について
宗像大社の秋季大祭に先立ち、9月中旬に大島より御座船(ござふね)を仕立て、沖ノ島の沖津宮に向かい、まず田心姫(たごりひめ)の御神霊を大島の中津宮までお迎えする「沖津宮神迎え神事」が斎行されます。
 そして、10月1日に大島の中津宮より神湊(こうのみなと)まで、沖津宮と中津宮の神輿をお運びするのが海上神幸「みあれ祭」です。
 神湊では辺津宮の神輿がお出迎えになり、一年に一度、三宮の御神璽がお揃いになります。このおまつりは古くから行われた御長手神事(長い竹に布を付けたもの)を神のしるしとして辺津宮にお迎えした神事を再興したものです。

秋季大祭日程表
10月1日     午前9時30分  中津宮出港(海上神幸)みあれ祭
           午前10時30分 神湊入港
           午前11時     頓宮祭(宗像市神湊)
           午前11時20分 陸上神幸
           午前11時40分 入御祭斎行(主基地方風俗舞奉奏)

10月2日     午前8時     流鏑馬神事
           午前11時    秋季大祭第二日祭(喜多流翁舞奉奏)

10月3日     午前11時    秋季大祭第三日祭(浦安舞奉奏)
           午前11時40分 高宮祭
                      第二宮・第三宮祭
                      宗像護国神社秋季大祭
           午後6時     高宮神奈備祭(600年ぶりに復活)
     日程は変更になる場合があります。

高宮神奈備祭 (たかみやかんなびさい)
高宮神奈備祭は、秋季大祭を締めくくる祭典です。みあれ祭でお迎えした宗像三女神に秋祭りの無事斎行を感謝すると共に、新たな霊力を戴かれた宗像三神の神威の無窮を祈念する神示です。高宮は宗像大神降臨の伝承地で、神奈備山・神奈備の杜と崇めれられてきました。
神奈備とは神々が降りてくる山や杜を意味します。

高宮神奈備祭のレポートは宗像神社(3)に書いています。

るなメモ
●みあれ祭に行く時は、日焼け対策、風よけなどをしておくこと。
●第一駐車場料金 12時間300円。(2010年時点)

●御座船は一隻と思い込んでいたけど、三柱にそれぞれの御座船があったのを知ったのはとてもよかったです。

●神輿の先導のケイヒツの声を初めて聞きました。源氏物語に出てくるのですが、本では分からない、生の声が今に伝わっていました。

●海上神幸の航路がいったん鐘の岬に向かって行ったのは、現場に行かなくては分からなかった事。そこは海路の難所ですが、その岬にはこのブログで紹介した織幡宮があって、竹内宿禰が祀られています。この海路の安全と国を守る為です。そして、「御長手(おんながて)」という竹に幟を付けた始まりの宮でした。
船団がまるでそこに挨拶するように見えたのも、とてもゆかしかったです。

●地元の小学校では、男子生徒全員が船に乗ってこのみあれ祭を体験すると聞きました。残りの人たちは浜に出て、知っている船に手を振るとか。子供たちに祭りを体験させるのは、文化の継承のために一番必要な事なんだと思いました。

●遠方の人がこのみあれ祭を見るためには、地元のホテルや国民宿舎、民宿に前日から泊まるのが一番です。バスなどで祭りを見に連れて行ってくれます。神代の時代からの風景がそのまま残る宗像路の旅はルナのお勧めの旅です。


《ブログ内で宗像の旅をするなら》
       三女神の元宮を訪ねる  六嶽神社⇒神興神社⇒宗像大社       
       海と祈りの宗像路    宗像大社⇒織幡神社⇒玄界灘の黒船騒ぎ  
  
地図 宗像大社 神湊





気が向いたら、ポチっと応援してくださいね。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
# by lunabura | 2010-10-02 14:46 | 宗像大社・むなかた・宗像市 | Comments(6)

日本最古の山城まつり・ユミン・笛木優子さんが審査員でしたよ!


「日本最古の山城まつり」
福岡市大野城市
ユミン・笛木優子さんが審査員でしたよ!



大野城市の広報課の方とメールのやりとりをしている内に、
古代山城サミット」がある事を知りました。
ところが、それは翌日開催と言います。午前中は仕事。あきらめました。
ところが、HPを見るとなんと笛木優子さんがシンポジウムに
パネラーとして出演すると書いてあるではないですか。
女優・笛木優子
私が彼女の事を知ったのは昨年の事。
2009年4月 NHK教育 ETV特集
「日本と朝鮮半島2000年 古代 人々は海峡を越えた」の番組です。

その内容は伽耶を訪ねて、古代の日本と朝鮮の交流を
考古学的に見て行くものでした。
当時から交流が活発だったのを知って、驚いたのですが、
韓国語を話す若い日本の美しい女性に釘づけになりました。
彼女は女優。え?韓国でドラマの主役を務めたという。

その笛木優子さんがパネラーなら聞きたいと思いましたが時間的に無理。

ところが午後から「日本最古の山城まつり」パフォーマンス・コンテストがあって、
彼女が審査員をすると書いてあるではないですか。
1時からとしか書いてない。この手のは大体2時間だ。
間に合うかもと、車でかけつけました。
会場は大文字公園。中に入ると、いきなりチマチョゴリの美人たち。
一瞬、古代の筑紫に紛れ込んだのかと思いました。

c0222861_06406.jpg

推測するに、韓国舞踊を披露してくれたのでしょう。あいにく、遅かった。

次々に地元の子供から大人まで、趣向をこらしたパフォーマンスが披露されました。

そして、圧巻は福岡大学付属・若葉高校。あっ、もと九州女子高だ!
ダンスチームはBチーム、Cチームが出演という。すごい大所帯です。
彼女たちが毎年、全国大会で優勝しているのをテレビで見ています。
それをナマで鑑賞できるとは。
c0222861_073367.jpg

出番を待つ彼女たち。この余裕ぶりは明らかに納得する稽古量があってこそ。
テーマは「玄海の海と人々」・「炭坑節」。郷土をテーマにするのは素晴らしい。

デジカメを買って知ったのですが、シャッターを押すと、
映像はその0.5秒ぐらい後が保存される。
だからダンスを撮ると、タイミングがずれて間の抜けた映像になるのですが、
彼女たちの踊りはどこで切り取ってもスキがない。
どれだけ努力したか、よく分かります。

c0222861_082141.jpg

c0222861_09151.jpg

若葉高校のダンス部のみなさん、パワフルで素敵なダンスをありがとう。


さて、いよいよ審査の発表です。
すると、韓国の舞踊団が一等席に集まって来ました。
その表情をみると、期待十分。
c0222861_095753.jpg

憧れのまなざしの先には

c0222861_0103130.jpg

ワンピース姿のユミン笛木優子さん登場。
彼女たちの熱狂ぶりを見ると、やっぱり韓国じゃ有名女優なんだ。
c0222861_0113495.jpg

笑った顔の目線はこちら♡

c0222861_0121881.jpg

話している人を必ず見ている姿が人柄を伺わせる。
ルナはどうしても笛木優子さんに会いたい。会って伝えたい事がある。
それまでは、日韓友好の懸け橋となって、輝いていて下さい。


祭りの記録
2010年9月24日(土)
古代山城サミット~神護石系山城・朝鮮式山城~大野城まどかぴあ大ホール
日本最古の山城まつり 大文字公園

笛木優子の登場するETV特集
2009年4月 「日本と朝鮮半島2000年1~古代 人々は海峡を越えた~」
2009年6月 「日本と朝鮮半島2000年3~仏教伝来~」
2010年1月「日本と朝鮮半島2000年SP「海峡を越える国宝の美」

出演ドラマのほんの一部
わが家(原題 (우리집)MBC 2001年) チョン・ダイン
(韓国MBCのTVドラマ「わが家」で聴覚障害者ダイン役)
オールイン 運命の愛(原題 올인 SBS 2003年) 落田リエ役
ホテリアー(テレビ朝日 2007年) - 柏木真由美 役
アイリス(原題 IRIS|아이리스 KBS 2009年) 日本内閣情報調査室国際部 佐藤えりこ役

カメラは5倍ズームしかなく、今日はピンボケの写真ばかりです。




気が向いたら、ポチっと応援してくださいね。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
# by lunabura | 2010-10-01 00:25 | <催しもの・あそび> | Comments(2)
line

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー