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ひもろぎ逍遥

無事ですか



2016年4月14日の熊本の地震、
皆さま、無事でいらっしゃるでしょうか。

一夜明けたテレビの画面、被害の大きさに息をのんでいます。


私は福岡在住ですが、
就寝後、何度も余震がありました。


ご縁の方が何人もいる熊本。
一日も早く余震が終息しますように。

そして、早く日常が取り戻せますように、
祈っています。







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# by lunabura | 2016-04-15 09:14 | にっき | Comments(10)

脇巫女54 サヨリ姫(イチキシマ姫)



脇巫女54

サヨリ姫(イチキシマ姫)

 
◇◇ ◇
ミヤズ姫を差し出したことを後悔している「熱田もののふ」は、
「六ヶ岳」と「サヨリ姫」はどんなことをしても守りたいと、
そのことだけを考えていた。

そこで、差し出す姫はもういない
この地にはもう差し出すものは何もない

そうすれば、一行はこの地を離れると思っての策

戦わずにこの地を去っていくものと願っていた

「六ヶ岳」の秘密を守り通すために・・・

◇◇ ◇
ミヤズ姫は「熱田もののふ」即ちサンジカネモチの幼(おさな)なじみだった。
ヤマトタケル側は和議の証として、ミヤズ姫との婚儀を求めたようだ。

そして、熱田はミヤズ姫を差し出していたことがこれで分かった。

熱田モノノベにとって、このミヤズ姫以外にもう一人、重要な姫がいた。
それがサヨリ姫だったという。

サヨリ姫が死んでしまえば、もうこれ以上、差し出すものはなく、
ヤマトタケル側はあきらめてくれると、考えての偽の葬儀だったようだ。

さて、このサヨリ姫とはどんな姫だったのか。
菊如と崋山の結願のようすを星読は記録していた。

今回はそれを読もう。
「イチキシマ姫」とは通称で、本名は「サヨリ姫」だった。

結願の時、サンジカネモチが現れて、答えた記録である。


◇◇ ◇
(サンジカネモチに)「イチキシマ姫」のことを尋ねてみた

われわれは、かの地から一族で海を渡ってきた
この地は、土地は痩せており、農耕には向かない

そこで暮らす「やまとの民」は貧しい暮らしをしていた
しかし、われらは知っていた
この地で採れる「黒だま」の価値を

われらの「たたら衆」の技術は「やまと」のものとは比べられないほど
優れていた

われら一族は、この地を奪いに来たのではない
この地に、ただただ住みたかった
われらの農耕の術も優れていた
だが、われらの風貌は「やまとの民」には異様に見えた
体は大きく
身に着けているものは鮮やかな色彩をしておる
言葉も通じない

当時、壱岐は貿易の要衝であった
壱岐・対馬は危険な場所でもあったがな

そこの「姫」はわれらの言葉を操ることが出来る
この地に暮らす「やまとの民」にわれらのことを説得してくれた

われらは、直ぐに打ち解けることが出来た
「姫」のおかげじゃ

だが、言葉が分からん
「姫」はわれらに「やまとことば」を教えるために残ってくれたのじゃ

この「姫」のことを
われらは「壱岐・対馬の姫」じゃから
「イチキシマ姫」と呼んでおった

本当の名は・・・確か・・・「さより姫」と言っておった
心優しい姫だった
いつも「黒だま」では武器は造らぬように、と言っていた

「サンジカネモチ」は「熱田」をまとめる者であった

懐かしそうに話すと、「サンジカネモチ」は戻っていった


◇◇ ◇
サヨリ姫は壱岐対馬の姫ということから、
なまって「イチキシマ姫」と呼ばれたようだ。

サンジカネモチたち、渡来人が鞍手に定着できるように、
通訳として残っていた。

「黒だま」を製錬する技術者を連れていたサンジカネモチたちにとって、
サヨリ姫は恩人だったのだ。

サンジカネモチはミヤズ姫に続いてサヨリ姫まで要求されることを恐れて、
死を偽装したことが分かった。


記憶は時系列に呼び戻されるものではない。
行ったり来たり、ぐるぐる回りながら、深層へと辿りつくものだ。

星読の記憶もまた、ぐるぐると螺旋を下りながら、再現されていった。

さて、「六ケ岳」の秘密とは如何なるものか。
まだ、ここでは明らかになっていない。
すでに、星読は思い出しているのかもしれないが。





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# by lunabura | 2016-04-13 20:32 | 「脇巫女」 | Comments(6)

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