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ひもろぎ逍遥

磐瀬行宮あと



磐瀬行宮あと




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磐瀬行宮跡は福岡県中間市、JR中間駅のすぐ近くにある。


駐車場がないとの情報があったので、
車中で待ってくれるパートナーが休みの日を待って訪れた。


史料通り、駅のすぐそばだ。
JRが削ったというので、本来はまだ広い小山だったのだろう。

この山を御館山(みたてやま)という。
史跡案内板はない。



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立派な石段が付いていてほっとしたが、
すぐに草ぼうぼうとなり、女一人ではどうかと、考えた。

しかし、夏野菜が見え、男性が手入れをしている姿が見えたので、
安心して上った。





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一面、畑だ。


私は間違ったのだろうか。
ここは史跡ではないのか。



男性に尋ねると、
「だれか天皇がここに立ち寄られたという話は聞きましたよ」
ということだった。


「斉明天皇ですね。石碑とかないのでしょうか」
「向こうの方に、祠の跡と祠の一部がありますよ」



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と案内されて見たのがこれ。




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この石の台の上には祠があったという。


「のり面の所有者は市です。道路を作る時に削られました。
この場所自体は地番がないのです。
祠は神社の方に行ったと聞きます。


昔、ここは公園だったのですが、誰も来なくなって荒れて来たので、
一組の夫婦が桜を植えたり、いろいろ植えたりして、
畑を作るようになったのです。
それを受け継いでいます」


確かに、笹竹があちこちから出てきている。
もし、畑がなかったら、足を踏み入れることも出来なかっただろう。

一体どうなっているのだろうか。





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一つだけ、昭和13年の石碑があったが、
奉納した氏名だけが見えていて、内容が分からない。





ここが、『日本書紀』にも書かれた磐瀬行宮なのだ。

中間市に入ると岩瀬の字があちこちに見える。
また、長津の地名もある。

『日本書紀』では磐瀬行宮を長津宮と名称変更したとあり、
当地でも、明治時代になって、それにちなんで長津の地名も使うようになったらしい。


市に問い合わせると、史跡に指定する予定はなく、
説明版も立てる予定はないとこのことだった。


市の観光マップにも載っていない。
ここもいつか消失してしまうかもしれない。




磐瀬行宮 御館山 中間市





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# by lunabura | 2016-05-10 22:05 | <遺跡・史跡> | Comments(0)

天智


ことのかたり

天智
てんじ
 


我々は遠賀川の磐瀬宮には船で来た。
嵐に巻き込まれたのだ。
海から入ってきた。

当時の日本の列島のようすか?
三つの大きな部族でできていた。
日本国。
倭国。
青い目をした部族。(蝦夷)

日本国がヤマトの国だ。

物部の目の色か?
物部は黒だ。

天武との関係を知りたいのか?
我と天武とは母が違った。

筑紫にはいろいろな国から船が入って来て、もめておる。
新羅の船も襲って来ておる。


唐と戦うための布陣か?
本陣は長崎の諫早にあった。
もう一か所は門司~山口あたり。

我らの船団は七艘だ。
倭国の船の方が多かった。
われらの船には3本の帆柱があった。

我は航路をいつも考えておったぞ。

白村江か?
我が船も百済に行った。
が、この地に流れ着き、助けてもらった。

白村江のあと、日本がどうなったかを知りたいのか?
新羅の後陣が二回攻撃してきた。
唐は来なかった。


                 




小文。

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# by lunabura | 2016-05-09 20:27 | <ことのかたり> | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25