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ひもろぎ逍遥

「柴崎るり子作品展~そらの庭~」


季節が歩みを止めたような暖かな日々が続きます。

『ガイアの森』の扉絵を描いて下さった柴崎るり子さんの作品展の案内が届きました。

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『アネモネ』の表紙を描かれる方といえば、分かる方も多いと思います。

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寒くなる前に庭の手入れをと、柿の木を大胆に剪定して、
大量の枝葉の後片付けをしましたが、とても幸せな気持ちになりました。

柴崎るり子さんが妖精を描かれることを思い出し、
そうか、どんな庭でも妖精がいて、そばにいてくれるんだと気付きました。

だから、畑も草取りも心が満たされるんですね。

作品展の案内は下記の通りです。
ナチュラル派には魅力的な出店もたくさん。
近隣の方、素敵な空間を共有してみてくださいね。



「柴崎るり子作品展~そらの庭~」
2014.12/6(土)~11(木) 11:00~18:30
*6日の夜はちょっとしたパーティーなど企画中です!
中央区銀座6-7-18デイム銀座8F
TEL03-6274-6633
http://www.creche.jp/page4/page4.html


さて、私の方も、もう今週末は久留米大学での公開セミナーです。

ありなれ川の話。
レジメもほぼ出来あがり、沢山の画像も準備できました。

真鍋大覚の解釈が基本の流れですが、これで解けそうな、いくつかの謎。
相島の積石や久米八幡宮の石づち。
水城の水は上流と下流のどちらに貯えられたのか。
(当ブログでは解決済みではありますが)

橘広庭宮、観世音寺の鐘。
河童と言われた人たちの真実。
それに、何といっても古代豪族たちの領地。

あまりにも盛りだくさんなので、ゆっくり話していくつもりです。
きっと、皆さんの謎解きのヒントも沢山あるのではないかと思います^^

パワーポイントの枚数は最大数 (^_^;)
今から時間調整に入ります。




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# by lunabura | 2014-11-24 20:28 | にっき | Comments(0)

蘇我はどこ?


蘇我はどこ?

今日、メールで蘇我の場所の問い合わせがあったので、
ブログの方でお答えします。

Q 平群は早良区にありますが、蘇我または石川は何処にあるのでしょうか。

早良区(さわらく)は福岡市の西にあります。
平群は残っていますが、蘇我や石川の地名が残っていないんですね。

それでは、真鍋大覚の本から蘇我の記述を抜き出しましょう。

昔、祖先に「かひ」と「とひ」の二つの氏族があった。「かひ」とは夏至を元日とする氏族であり、「とひ」は冬至を元日とする氏族であった。(略)敏達帝12(583)年に百済の暦書を太宰府が編輯する頃から、万邦世界に普遍な暦法も必要になってくるところから、次第に両方併用の時代に移り変ってきた。

かすかな口伝ではあるが、平群氏は望旦夏至に固執し、曽我氏は朔旦冬至に改革したと説かれる。皇極帝4(645)年はまさに暦法の採否をめぐって中大兄皇子(619~672)の激烈な論争と対決が背景にあったことを心得なければならない。

「そが」は素娥と書き、月の東洋的異称であった。これに対して「へぐり」は平群と書き、月の西洋的異称であった。

和名鈔には筑前国早良郡の条に、まだ平群、蘇我の郷名が記録されているが、今はない。所は脇山であって、改名の由来は文書にはない。月を女人に事寄せる泰西の民族の伝統に「わき」なる異邦人の租界の古称を重ねて作り上げたものと古老は語っていた。『儺の国の星拾遺』p245

結論としては、「蘇我」の場所は福岡市早良区脇山です。

◆蘇我は脇山に改名した。
蘇我と言う地名が脇山に変わった事情は文書にはないけど、
古老の伝えでは、
「月を女人に事寄せる泰西の民族の伝統に「わき」なる異邦人の租界の古称を重ねて作り上げたもの」
となっています。

「ソガ」とは「月」。
「泰西」とは「西洋」。
「ワキ」とは「異邦人の租界」すなわち「外人居留地」。

「月を女人に事寄せる」とは、「月を見て女性をイメージする」。
世界には、月を男神とする民族と女神とする民族があり、
日本の場合、月読命を男神とするのが主流です。

以上から、蘇我氏は西洋から来た異邦人だったので、
その居留地という意味で「わき」と呼んだという解釈になりますね。

地図を見ると、山裾にあるので、「ワキ山」となったということでしょう。

◆皇極四年
「皇極帝4(645)年は、まさに暦法の採否をめぐって中大兄皇子(619~672)の激烈な論争と対決が背景にあった」
「皇極四年」とは、蘇我入鹿が殺された年です。
ウィキペディアより。
乙巳の変
皇極天皇4年6月12日(645年7月10日)、中大兄皇子らが宮中で蘇我入鹿を討ち、翌日、入鹿の父の蘇我蝦夷が自害する(乙巳の変・大化の改新)。その翌日の6月14日、皇極天皇は同母弟の軽皇子(後の孝徳天皇)に皇位を譲った。日本史上初の譲位とされる。

中大兄皇子と蘇我氏の対立の原因に暦の採用があったと真鍋はいいます。

「曽我氏は朔旦冬至に改革したと説かれる」とあるのは、
「一年の始まりを冬至の新月の朝とする」太陰暦だったということです。

中大兄皇子はのちに太陽暦の鐘を太宰府で鳴らさせたということなので、
全体としては太陰暦と太陽暦の対立だったと解釈できます。

どの暦を採用するかということは、
それを担う一族が滅ぶかどうかという重大事で、
蘇我氏はこのために中大兄皇子に滅ぼされたということになります。

◆百済
あと一点。
上記の段には、ものすごく重大な内容がサラリと書かれています。

「敏達帝12(583)年に百済の暦書を太宰府が編輯する頃から、」
太宰府が百済の暦書を編集したというのです。
「天子は暦を配る」のですから、
百済は倭国の属国だったという意味になります。
重要すぎてビビってしまいそうです。

実際、先日、これを別の方のメールの返事に書きこんだら、
メールが消滅してしまった (^_^;)
今日は大丈夫かな…。

◆蘇我稲目
もう一か所、真鍋の本から。

稲目は伊儺面(いなめ)と書き、怡土郡と那珂郡の間に新開の土地を開いた業績を讃えられたのであって、継体帝21(527)年に出る筑紫国造磐井と共に雄略帝17(473)年の洪水を修めたのであるが、神埼の物部氏と那珂中臣氏の間に水利の紛争が昂じて欽明帝13(552)年の仏像を巡っての対立に及んだのである。『儺の国の星拾遺』p134

蘇我稲目は「怡土郡と那珂郡の間に新開の土地を開いた」とあります。
これが、先程の脇山でしょうか。

稲目は磐井の君と共に、洪水を治めて、水城の建造に関わっています。


脇山の神社を調べると、何か手掛かりがあるかも知れませんね。
すぐ近くの「横山神社」の祭神は分かりませんが、
ネットを見ると、背振神社の下宮だと書いてあります。

葵祭はもともと脊振山の祭だったのを、
中大兄皇子が京都でも行うようにしたそうですから、
脇山という場所はこれから、注目したい場所ですね。

以上、Aさんへのお返事です。
Aさん、あとの調査、よろしくお願いします^^
なお、質問の石川は情報を持ち合わせていません。

大伴武以に関しては、もう少しお待ちください。





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# by lunabura | 2014-11-22 20:31 | <真鍋大覚儺の国の星> | Comments(8)

「キトラ古墳」NHK


キトラ古墳


今、NHKで「キトラ古墳」の話を見て、面白かったです。
コンピューター・グラフィックのチカラはすごい。

イメージがつかみやすいですね。

被葬者が誰か、最後に二人に絞ってありました。
皇族派の先生が、その論拠として
天井画の「中央に北斗七星がある」と言われていましたが、
それは勘違いではないかな、と思いました。

内規という赤い輪の中に北斗七星はありましたが、端っこでしたよね。
北斗七星は天子の「乗り物」ですから、それを皇族の印とするのは勘違いでしょう。

天子はやはり北極星です。
不動の星。

もし、北斗七星が中央にあって、皇族のシンボルとするなら、
あの内規という円の中にある他の星についても、調べてみるべきでした。


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出発点が残念なので、結果も残念です。



私が古墳壁画のデザイナーなら、
皇族の為には華やかな女官や官人、また豪華な乗り物とか描きます。

もう一人の候補者は、阿部御主人(あべのみうし)でした。
安部清明の父?と言ってましたね。

陰陽氏の一族の壁画ならどんなデザインにする?
やはり暦の根源である星座。
キトラ古墳の画は質実なデザインなので、阿部御主人の方に軍配を挙げたいですね。

しかも、地名が阿部山なら、なおのこと。
皇族なら、宮山とか、そんな雰囲気の地名だと思うな…。


で、番組全体はとても面白かった。
それぞれの古墳について、あんなふうな検証番組があればいいなあ。





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# by lunabura | 2014-11-20 22:10 | にっき | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25