
昨日の佐賀、長崎のバスハイクは35度以上の酷暑でしたが、海辺の町々は風が抜けて快適に過ごせました。
今日は長崎県大村市の市杵嶋神社を記録しておきたいと思います。
この日の旅は多良岳が形成する麓の多良海道を通る道を辿って佐賀県から長崎県へと海沿いに走り、終着点の大村市に来ました。
その海に浮かぶ小島に市杵島神社はあります。

島の名前は寺島です。一時期この島に妙音寺があったことから寺島と呼ばれるようになったといいます。

木漏れ日の中の心地良い境内の奥に行くと、神祠が二つありました。

掲示板を見ると、市杵島神社の祭神は書かれていませんが、
「江戸時代に七福神で知られる弁財天が祀られていましたが、明治三年に廃され、今は市杵島神社が祀られています。」
とあったので、一つには弁財天すなわち市杵島姫が祀られているのでしょう。
また、「竜神社は玖島崎竜神島に建てられ、明治八年、寺島へ遷座したもの」とあるので、もう一つの神祠には八大龍王が祀られているようです。
小さな島ながら、人が住んだ気配があるのはお寺があったからなんですね。
寺島の周囲を一周する遊歩道があり、時計回りに回って見ました。
キラキラと陽光が海面に輝いて夢のように美しい光景を見せてくれました。

忘れられない日本の風景の一つとなりました。
さて、掲示板にはもう一つ話が書かれていました。
藤原純友の孫が上陸した地点だというのです。
孫の名前は藤原直澄(なおずみ)といい、伊予国(愛媛県)大洲に住んでいましたが、純友の乱を起こした祖父の罪が許されて、肥前国の藤津、高来、彼杵(そのぎ)の三郡を賜ったといいます。
かなり広範囲です。
藤原直澄は朝長、富永、久門、河野、堀池氏らの家臣を従えて大村湾に入り、この寺島の南側の夫婦岩に船の艫綱を掛けて上陸したといいます。
その時には久原(くばら)の乙名(おとな)たちが歓迎に駆け付け、久原城に入り、大村を治めたそうです。
そして、大村氏の祖となりました。大村氏は藤原氏だったんですね。
各地にバスハイクに行くと、時々、藤原純友の乱の話や敵が祈願した所に出会います。それは教科書で学ぶ歴史とは少し異なる顔を持っています。
ここも、久原の乙名が歓迎したというので、もともと地元と何らかの繋がりがあったんだな、と思った次第です。
市杵島神社 大村市
それにしても、とても美しい海と夢のような小島。
一周する遊歩道は、またとない海の景観を見せてくれる神社でした。
<20250804>
大村市玖島1丁目134
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