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ウーナ45 七つの珠10 綿津見神社にて



ウーナ45

七つの珠10

 綿津見神社にて
 
 

第一回目の大島紀行については
「ウーナ10 宗像大島行 市杵島姫の縁はつづく」
https://lunabura.exblog.jp/28323964/ 
に簡単に記している。
昨年の11月21日のことだった。

それから互いに連絡取り合うこともなかった。
七つの珠の奉納は菊如と崋山の課題だった。
二人は上手くやってくれるだろう。


しかし3月に入っても動き出している気配がなく、心配になってきた。

聞くと「豊玉姫と綿津見神の関連社」「福岡県内」に絞られていた。
期限も「5月3日の竜宮祭」と分かったらしい。
そして、何処に行こうか相談中だった。



私は自分の知っている神社をとうとうと並べていくうちに、案内しないと分からないだろうと判断して、同行することにした。

何せ、バスハイクやら執筆取材などで何度も出掛けた所ばかりなのだ。
まずは福岡市東区から糸島方面に奉納先を探しに行くことにした。

それが2018年3月11日のことだった。

ウーナ22 七つの珠1 に簡単に記している





そして「5月3日」の満願の日のことも簡単にメモしている。

ウーナ36 七つの珠9 任務完了






今回から、3月11日当日の記録を詳細に残していこうと思う。

その日は午後12時の出発だった。
菊如と白皇と私の三人だった。



まずは福岡市東区の綿津見神社に案内した。





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着くと、菊如はここが奉納先の一つとすぐに分かったようだ。



c0222861_21175816.jpg

祭神は志賀三神と豊玉姫命。
志賀三神とは綿津見三神のこと。

まさしく、始まりにふさわしい宮だった。





菊如は神前に七つの珠を入れた宝箱と志賀島金印を置いて祝詞を上げた。





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祝詞が上がる間、左手の木の上でカラスの鳴き声がする。
仲睦まじい。サインかもしれない。





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すると、祝詞を終えた菊如がその木の下に立った。
そして白皇に何やら指示をしている。

木の幹にはちょうど目の前の高さに、枝を落として丸く成長した部分があった。
白皇はそこに珠を一つ納めた。
そして、何か代わりの法具を貰って宝箱に入れながら、
「丸くて暖かい」と感想を述べた。

もちろんどちらも肉眼では見えない。


崋山が後で鑑定すると、それは「太陽の鏡」だという。
足つきの鏡で、鏡の周囲にフレアがある。

高祖神社(糸島)に置かれた「石の鏡」に良く似ていた。

それは人を写すものではなく、太陽の光を海に反射するものだそうだ。










c0222861_21195827.jpg

その後、私は二人を三苫海岸に案内した。
3月11日のあの日に手を合わせて。

この海からは相島が正面に見えた。
そう、若宮神社には豊玉姫が祀られている。







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そして、左手を見ると志式神社の渚が見えた。
今からそこに行く。
そこには豊玉姫が荒ぶる神として祀られていた。



今更ながらに気づいた。
ここは豊玉姫が、
相島、綿津見神社、志式神社と、海を囲んで祀られていたエリアだったのだ。


この海域を通る船は帆を半分降ろして通るという。
それは志式の神に対して表す敬意の印だった。


拙著『神功皇后伝承を歩く』
「下巻75綿津見神社」
「下巻72志式神社」

20180531






歴史カフェ小城
6月9日(土)第3回 3時~5時
1部:佐賀の女神たち よど・とよ・とよたま姫
2部:神功皇后の伝承
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# by lunabura | 2018-05-31 21:55 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(0)

ウーナ44 七つの珠9 筑前大島へ



ウーナ44

七つの珠9 

筑前大島へ
 


2017年11月11日に糸島で七つの珠を預かった。
それは年を越した4月までに七つの神社に奉納すればよかった。

ことの起こりを尋ねると、崋山が何故か大島に行きたくなったので、
菊如を誘って観光に出掛けたことから始まったという。

フェリー乗船まで時間があるので岡垣町の大国主神社に参拝することにした。
ところが、そこにいたのは豊玉姫の分御霊で、崋山に懸かってしまった。

豊玉姫は「志賀島に帰りたい」という。
しかし、その日は手立てがないので、豊玉姫が懸かったまま二人は
大島に渡ったという。

大島の巡回バスに乗っているとき、菊如のビジョンに神社の映像が浮かんだ。
港に戻ってその神社を探すうちに、辿り着いたのが厳島神社だった。

大島といえば宗像大社の仲津宮が有名で、厳島神社の存在は全く知られていない。
地図を見ると、港から東の方の岬の上にある。

二人のアンテナは厳島神社の近くの氏子の家を指した。
二人は導かれるまま民家に上がり、祭壇に祝詞を上げた。

すると、床の間に掛軸が懸かっているのを知った。
その掛軸に二つの亀が描かれていた。
その亀には筆のようなしっぽがあった。

この時、崋山に懸かっていた豊玉姫が現れて、
その亀に乗って志賀島に帰ると言い出したという。
そして、豊玉姫は志賀島に戻っていった。


二人が豊玉姫に関わりだしたのはこの時からだった。
それから糸島に行って七つの珠を預かった。11月11日のことだ。

それから十日後。
菊如と崋山はお世話になったお礼もかねて、
厳島神社の祭に参加することにしていた。
それが11月21日だった。

私はまだ大島に渡ったことが無かった。
訪ねる予定の先方が入院されたり、
大島の回り方が分からなかったり、とご縁が出来なかった。

そこで、今回はチャンスとばかりに二人に同行させてもらうことにした。

当日、朝9時25分のフェリーに乗って初めての大島行となった。

少し早目に集合して、すぐ近くの宗像大社の頓宮に参拝した。
みあれ祭の時に沖ノ島と大島の姉姫たちと市杵島姫が三柱の神輿が揃って神事がある岬だ。


20180530


その時の記事の再掲をしよう。





辺津宮―大島―沖ノ島

海底に沈んだ陸と遺跡

いまだに信じられない。

かつて大島は陸続きだったという。


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神湊の頓宮から大島を撮ったのだが、この間は陸地だったというのだ。

しかも、この海が出来たのは475年。倉良の瀬戸という。

今から約1500年前のことだ。

そんな話を伝えるのは、もちろん真鍋大覚ぐらいしかいない。






しかし、海底に沈んだのはこちらだけではない。

大島の向こう、沖ノ島の手前にも海底に沈んだものがある。




30mほどの石柱が四本。一本には螺旋階段がついている。

これは真鍋の口碑の裏付けになろう。



もしかしたら、両方とも同じ時期に沈んだのだろうか。


鼻栗瀬もそのとき、一部が崩壊したのか。



合わせ鏡の舞台だ。





話は逸れるが、大島には洞窟が沢山あるそうだ。

かつてそこで金を採掘していたという。

陸地の方も孔大寺山は金を産出していた。

金の鉱脈が繋がっているのか。





<2017年12月4日>


リンクをいくつかしているがリンク先が出ないので、上の記事のリンクを次に。

https://lunabura.exblog.jp/28469444/








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# by lunabura | 2018-05-30 20:51 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(1)

ウーナ44 七つの珠9 庸(よう)は玉依だった



ウーナ44

七つの珠9

庸は玉依だった
 


玉依(たまより)とは個人名でなく、養育係の役職名だったという。
庸(よう)はその一人だった。
ワダツミの力を持つ者と人間の間に生まれた者で、他の玉依たちと共に、豊玉姫の姉妹のようにして育てられた。

豊玉姫は双子を生んだが、縁起が悪いと言われて一人が殺された。
怒ったワダツミの神は豊玉姫を海神の宮に連れ戻した。

双子の一人、生き残ったのがウガヤフキアエズだった。

庸はウガヤフキアエズの養育係となった。

そして三日間育てると、自分で育てたくなってしまった。
四日目。
ひそかにウガヤフキアエズを抱いて陸へと向かった。

ところが、途中、海の中でサメに襲われた。
子供を奪った罪で足を食われ、しゃべらぬように舌を取られた。

庸は砂浜に打ち上げられた。
そこは志賀島だった。

庸は姉の玉依に子供を預けた。


20180529

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# by lunabura | 2018-05-29 23:40 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(1)

ウーナ43 天山11 晴気天山神社2 1002年に現在地へ



ウーナ43

 天山11 

晴気天山神社2 1002年に現在地へ
 


晴気天山神社の縁起を「小城郡誌」から紐解こう。

「参議藤原安弘文武天皇の口宣をこうむり、大宝2年(702)10月15日天山池の中に島を築き、蓬莱(ほうらい)島(仙人が住む島)と名付け、上に祠を建立して天山神の上宮と定め、下宮を靈貴山(一名烏帽子嶽という)に建立す。

長保4年(1002)、康家烏帽子嶽の下宮を当所に遷座し、諸祭祀を興した。

建立当時には文武天皇の口宣をいただいて小城郡神祇官領を下され、次に永代神領として郡内居住の四方三百町を寄進された。」

のちに参議という高い身分になった藤原安弘とは房前(ふささき)のことだ。
文武天皇は持統天皇の孫にあたる。

安弘は702年の10月15日に天山池に島を築き、祠を建立して上宮とした。
持統天皇はこの時、存命していたが、二か月後の12月22日に崩御している。

だから、上宮と下宮が出来たことの報告を受けていた可能性がある。


縁起の続きには、ちょうど300年後、1002年に烏帽子嶽の下宮を現在地に遷座したとある

すると、「烏帽子嶽(561.27m)の下宮」とは現在「中宮」と呼ぶところで、川内分校付近にあり、巨石を神体としている所となる。(広瀬天山神社の縁起による)


以上から、明星山と結ばれた二つの下宮(岩蔵と広瀬)のライン上に晴気が乗って来て、三つの下宮が揃うのは1002年のこととなる。


【長崎県肥前国小城郡村誌】には
「郷社、村の北内浦にあり。今の本社は天山社の下宮で、畑田ケ里天山絶頂9合目にあり、高山にあって、修繕保護が困難なため、中古に下宮の地をもって云々。」

とある。






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現地は急な斜面で、はるか遠く佐賀平野が見渡せる地だ。
しかし、ここからは他の下宮も上宮も見えない。
特殊な測量をして、意図的にここに遷座したということだろう。


【肥前古蹟集】によれば、
「大宝2年(702)霜月15日、弁財天が天山岳に飛来した。本山烏帽子ケ岳に影向された。ここを宮床と名付ける。(略)」


とあり、702年11月15日に新たに弁財天の飛来をみている。
その場所が天山で、影向したのは烏帽子嶽ということだ。
詳しい状況は書かれていない。




さて、ここで天山の神の変遷について整理しておこう。
701年の少し前に天御中主命が祀られたが、
光が飛来する奇瑞があり、安芸の宮島から光を追って来た人たちの話から、
市杵島姫および二女神、合わせて三女神が加わる。

そして、弁財天の飛来を見て、弁財天信仰となる。
市杵島姫と弁財天は同一で、神式から仏式となったともいえる。

これらがわずか数年の間に起きたことだ。

そうすると、持統天皇が与えた「晴気の里」とは、中宮、すなわち川内分校を含めた地域がメインと考えられる。



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チェリーが地図を作ってくれた。
中宮から東南の方向に、他と比べて傾斜が緩い小平野がある。
天山山系の稜線には赤いラインで示されたような、崩落と思われる地形がある。

氷河期が終わると、雪解け水は山を削りながら山津波となって下っていった。

土砂崩れに流された流木が途中に引っ掛かって堆積して、湖沼の地下で天然の亜炭になっていく。
土砂には粉砕された鉱物が含まれていた。


賀茂氏はわざわざそのような地を選んで入植していくという。

すぐ南に「八丁ダム」など、「八丁」(はっちょう)の地名が見られる。
「八丁さま」こそ、賀茂氏のことである。

おそらくは、ここで金属加工をする賀茂氏がいて、
その生産品の所有権を持統天皇は褒美として与えたのだと思う。


それと似たような例が東の方、綾部神社にある。
「忍海漢人をこの地にとどめ、兵器を造らしめたが、そのまま土着し」たという
綾部一族にとって、そこが工人として魅力的な土地だったのだ。

背振~天山の山塊は鉱物資源と薬草を生み出す黄金の地だった。
黄金と弁財天の名もまた融合していく。




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さて、もう一つの下宮が残っている。
広瀬があるが、参拝したあとに記録しようと思う。





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# by lunabura | 2018-05-28 23:12 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(3)

ウーナ42 天山10 晴気天山神社1 三つの下宮社の中央の宮



ウーナ42

天山10 晴気天山神社1 

三つの下宮社の中央の宮
 



さて、三つの下宮の内、中央に鎮座するのが晴気天山神社だ。
晴気は「はるけ」と読む。



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天山から流れる川沿いに登っていくので、ずっと天山を見ていく感じがする。
右手の川の名は晴気川で良いのだろうか。







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道が途中で別れる地点だ。

正面奥が天山で、最終的に天山が望めるポイントになる。
天山にはどちらから行っても着くようだが、下宮に行くには右手に進む。

駐車場は民家が庭を提供してある風情で、数台止められる。








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「あめやまはし」を渡って行く。







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川の名は晴気川だろうか。
大岩がゴロゴロしていて、雨が降れば激流になりそうな川だ。










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一の鳥居。


山につけた石段をいくつも上っていく。






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拝殿前の広場に出た。


祭神は【小城郡誌】によると、
多紀理毘売命、狭依理比売命、多岐津比売命。
市杵島姫は「サヨリ姫」の名になっている。同一神だ。
古い名を伝えていると考えていいのだろうか。







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神殿の千木は縦と横の中間程度の趣。



住所は小城郡の頃、春田村大字晴気字本山だった。

「春田」は「原田」という表記を縁起で見かけた。
また「本山」という地名も縁起に出てくる。

20180527



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# by lunabura | 2018-05-27 21:59 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(3)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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