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ひもろぎ逍遥

バスハイク 3月は八女津媛 4月はニギハヤヒ




バスハイクの案内が解禁となりました。

3月は岩戸山古墳と八女津媛神社がメイン、
4月はニギハヤヒの降臨地・笠置山の麓と鹿毛馬神籠石がメインです。

3月は桜より少し前の22日ですが、今年は花が早いようなので、日向神ダムで咲いていたら寄りたいですね。

午前中は八女古墳群の中の三つほどを訪ねます。岩戸山古墳は行った方も多いでしょうが、何度行っても発見があります。今回は古墳全体も回ります。

午後からは「ひめちゃご」で登場した夢のような釜屋神社、そしてあの八女津媛神社です。

4月は物部氏関連のニギハヤヒ降臨地や天照神社。そして午後からは三女神の厳島神社と神武天皇の鹿毛馬神籠石などです。沢山歩きますよ~。

ブログの読者の方の参加、大丈夫です。



 八女市 八女古墳群と八女津媛神社 2019年3月22日(金) 

 八女古墳群には多くの古墳がありますが、その中から石人像が古墳を守る石人山古墳、その隣にある装飾古墳の弘化谷古墳、そして筑紫君磐井の墓とされる岩戸山古墳を回ります。

後半は瀬織津姫を祀る二つの釜屋神社、八女津媛を祀る八女津媛神社に行きましょう。

天神8:30―こふんピア広川―石人山古墳―弘化谷古墳―岩戸山古墳―釜屋神社―釜屋神社―八女津媛神社―天神









宮若市・飯塚市  ニギハヤヒと三女神の伝承地 2019年4月25日(木)


宮若市の笠置山は弥生時代の石包丁の生産地として知られていますが、饒速日尊の降臨地とも伝えられています。その下宮の穂掛神社から遷ったのが天照神社です。

飯塚市の日尾山を通った三女神が麓の厳島神社に祀られ、近くに鹿毛馬神籠石があります。

椿八幡宮は神功皇后が平和を祈って剣の鍔を奉納した所と伝えています。今回は筑豊の伝承地を回りましょう。


天神8:30―(宮若市)天照神社―仙石峡―穂掛神社―(飯塚市)川島古墳公園―厳島神社―鹿毛馬神籠石―椿八幡宮―天神



前回は東京や熊本からも参加されました。

個人で回れば探しながら二日は掛かるような行程を一日で回るので、レンタカーよりずっと楽ですね。昼は道の駅や大きな商業施設で弁当や定食などを食べるようにしているので、これも気楽です。ディープな福岡巡りです^^

申し込みは「歴史と自然をまもる会」まで。
092-408-7140
火曜日~金曜日 10:00~16:00

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# by lunabura | 2019-02-02 19:27 | バスハイク | Comments(0)

バスハイク 五郎山古墳は面白かった




昨日は冷たい雨が降りましたが、バスハイクはもちろん元気に出発です。

筑紫野市の装飾古墳、五郎山古墳では、最初にビデオを20分ほど見て石室の造り方や、描かれている文様を学びました。

これが結構面白くて、壁画見学にも役立ちました。

この古墳はレプリカが石室の石も一つひとつ復元されていて、
最初はひざまずいて入っていく所から臨場感たっぷりです。

そして前室で立ち上がって玄室で迫力の壁画を見学します。
天井は持ち送りの丁寧な造りではないのですが、蓋のようすもよく分かりました。

で、肝心のカメラのシャッターが下りない(-_-)
なんてこったい。
それで、フラッシュを焚くモードにしてみたら、ようやく写せました。
館内はカメラOKです。

で、驚いたのは、船がデカイ!!!
ざっと見て70cm近くあったような。
重要なものほど大きく描くという特徴がある古墳がありますが、これもそのパターンだとしたら、船こそ最重要なものになります。
この古墳に関してはどうなのか分からないけど、この船の大きさは、他の文様とは別次元でした。




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「魂を乗せる船」と解釈されています。
椅子があるのが謎でしたが、前回オシリスが椅子に座っている壁画を見て、五郎山古墳はオシリスの椅子と月の神のキャビンが一緒になっているのかなと思ったのですが、どうでしょうか。

もう一度、一人でゆっくりと味わいに行きたいです。

本物の石室もガラス越しに見ることが出来ました。
11メートル先の画がよく見えたので感動しました。

次の小郡市の井ノ浦古墳も同じ時代のものでしたが、中は見ることができません。
「石室は~」と期待の声が。
「ここは見れません」
と言うと、不満の声。
こうして、古墳ファンがまた一人増えて行くのでした。(^^♪

2月のバスハイクでも石室に入るので、各自懐中電灯を持って来てくださいね。
百均のキーホルダー型で充分です。


※五郎山古墳のレプリカの見学はいつでもOKですが、本物の石室見学希望の方は5日前までに要予約とのことでした。


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# by lunabura | 2019-02-01 21:21 | バスハイク | Comments(0)

林重徳 ついに水城の「多段型閘門式運河」説登場




今、西日本新聞の聞き書きシリーズで小田富士雄氏の「夢掘りびと」が掲載されている。

福岡の考古学の話は毎朝の楽しみだが、今日は「林重徳」の名を見つけて驚いた。

先週、その名を何度も見ていた。「水城」に関する私の原稿の中で。

数年前、私は、真鍋大覚の「天智天皇は水城に疎水を通した」という口伝の裏付けを求めて、水城に関するシンポジウムなど、行きうる限りの講座に出掛けた。

しかし、講演者の話は日本書紀の記事をなぞるばかりで664年に造ったという説ばかりだった。

しかも、土塁の下手に水を貯めて、矢を防御するというお決まりのパターン。

50mは矢の届かぬ距離だと言うが、弩なら数百メートルの距離を飛ぶ。
そして、二年前に西門には数メートルしか掘がないことが確認されて、防御説は覆された。
(しかし、いまだに防御説を唱える人はいる)

水は土塁の上流に貯めるものだという常識に対して、述べる人もいなかった。


敷粗朶という土塁の底に木を敷く工法が必ず出て、それは5~7月の頃の枝という。

それはもちろん大事な情報なのだが、もし初夏に一番底部の工事をするなら、わずか半年で完成させたことになる。
あれほどの工事を半年で出来るはずはない。
それに加えて80メートルの長大な木樋を四本も造って土塁の下に埋めている。

それについて何ら疑問を出さない講演者たちに、期待はしていなかったが、暗澹たる思いをしていた。


ところが一人、工学的に私の疑問に応える人が現れた。

それが林重徳氏だった。

水城の築造の試算をされ、一例を挙げると、4800人が毎日働くと一年で出来るが、それらには設計や複数の種類の土の探査や道路建設、道具の制作なとは含まれていない。食糧まで加えると1万人近い人員が必要になるという試算だった。

また、水城の上流に水が貯められている光景を読んだ和歌を紹介された。

水城の水は上流に貯めた。

これこそ、私の知りたい話だった。

そして、土塁の中央が切れている点について林氏だけが見解を述べた。

欠堤部からは古代レンガや石敷きが出ている。

林氏はそこに矩形の道の痕跡を見つけた。

そして、その理由を井関(洗い関)があったのではないかとされた。

しかし、私はそここそ、疎水が建造された跡ではないかと思った。

それまでは東西の門のそばだろうと思っていたので、久留米大学ではそう話し、歴史カフェあたりでは、中央説を採るようになった。

私はシンポジウムの時、林氏に「水城の水は上流に貯めたのではないか」という質問を書いて提出した。

林氏は壇上で喜ばれて、次の週にも別の所で話すので是非来てくださいと言われた。
もちろん、質問者が誰なのかはご存知ない。


そこで私は翌週も出かけて拝聴したのだが、この時、真鍋大覚の資料を持っていった。
多分、久留米大学で配布した資料だと思う。
閘門式の疎水があったという資料だ。

林氏はそれを一目見るなり、はっとされたのが印象的だった。

氏なら、あの欠堤部にある矩形から疎水を見出すのではないかという期待があった。



そして、今朝の新聞で林氏が亡くなったのを知った。
その病床で完成されたのが「水城に関する土木計画・技術・構造論的考察」だ。

そこには「多段型閘門式運河」を推定したと書かれていた。
まさに、私の思いは通じていた。

氏の最終的な説は「一日3200人で施工日数303日」

「門の開閉で水位を調整し、上流にある政庁東の「学校院」まで船を通す、パナマ運河と同じ仕組みがあったのではないか」
というものだ。

これこそ、真鍋が伝えている疎水を具現化したものだった。

ここに、その研究に感謝したい。

そして、ご冥福を祈る。



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# by lunabura | 2019-01-30 21:27 | 真鍋大覚ノート | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25