2010年 09月 08日
王塚古墳(1)感動の装飾壁画を知らなかったよ
王塚古墳(1)
福岡県嘉穂郡桂川町寿命
感動の装飾壁画を知らなかったよ
さて、今日は王塚古墳に行きましょう。日本で一番華やかな装飾古墳です。
飯塚市の県道200号線の裏側に回り込むと、緑濃い美しい里に出ます。

川沿いに進むと、左の方にキラキラとUFOのような丸い建物が見えてきて、
目指す王塚装飾古墳館だとすぐに分かります。
最近は、古墳周囲の景観の観察も大切な事が分かったので、
ちょっと手前から車を降りて歩いて行きました。
古墳の手前に橋があって、そこで驚きました。
上流を見ると二本の川が合流していました。
それって、風水上のイヤシロ地じゃない?期待が高まります。
橋を渡るとすぐに古墳館があって、その奥に丸い墳丘が見えてきます。

王塚古墳は前方後円墳でした。
円墳の中は完全密封保存されていて、年に2度だけ見る事が出来ます。
方墳の方には上がれるように階段が付いています。
それを上ってまた驚き。四方にぴたりと高い山が配置されているのです。
いや配置するのは不可能ですね。
聖なる山をつないで焦点となるポイントがここだという事です。
イヤシロ地です。とても気持ちがいい所です。
この古墳は珍しく平地にあります。
これまでは台地や山の斜面ばかり見たので印象的です。
この古墳を降りると、王塚装飾古墳館が待ってます。

装飾古墳館は撮影禁止ですが、今回は撮影許可がおりました!
書類手続きを済ませていざ中へ。

これはまたアートな入口。気分が高まります。
そして、わっ赤い!
石室が実物大で復元されていました。中に入る事が出来ます。

これが石室の入り口です。迫力満点。落ち付いて見ると、沢山の壁画があります。
右下の岩に二頭の馬が描かれていますが、これが前々回「蕨手文」で紹介した絵です。
左側にも馬が三頭います。全体で合わせて5頭の馬が描かれています。
その周りにも蕨手がいっぱい。
門のように渡してある頭上の岩も蕨手のアレンジがいっぱいです。
なんだか興奮します。では、中に入りましょう。

これが玄室です。正面には三角文が全面に描かれています。
色があふれています。
棚になった所が遺体のためのベッドで、左の方には石の枕があります。
二人分の広さです。その下の基台の絵を見ると蕨手文がいっぱい。
そして、手前の左右にある直方体の岩を見てください。
蕨手と靫(ゆぎ)が大きく描かれています。

右の壁を見てください。大きな靫が並んでいます。
まるで人が控えているように見えます。

左の壁には盾(たて)が三段になって並んでいます。
写真を見直して気づいたのは、右は靫(ゆぎ)だけ、左は盾だけです。
これは?もしかして。
「蕨手文」の所で、文様は氏族のシンボルではないかという説を紹介しました。
ルナ的にはこの説をかなり気に入っています。
その氏族説でこの壁画の解読が出来るんじゃないかな…。
と言う事で、今回はその説を元に解読にチャレンジしてみます。
右の壁にある大きな靫は靫負(ゆげい)氏です。
左の盾より大きく描かれているので、身分が上か、被葬者に近い関係です。
左の盾族もきちんと描かれていて、数が多いので、靫族に準じた存在です。
その重々しさと統制からは、被葬者への礼節が伝わって来ます。
被葬者の家臣たちに見えて来ました。
死床の奥を見てください。小さな靫がずらりと控えています。
それは、まるで家族が亡き人を見守っているかのように見えます。
その数は5人。それに写真には見えませんが白っぽい靫が
もう一つ上の方に描かれています。母と五人の子供のように見えます。
小さな靫がそばについている事から、被葬者は靫負氏の一員ではないかと思いました。
右壁にはその靫負氏の親族たちが被葬者を見送っています。
そして、左壁には王とともに戦ってきた武人たちが控えています。
とまあ、好き勝手に想像しました。
これは6世紀の古墳です。
と言う事は、前回紹介した高句麗の集安古墳と同じ時代です。
同じ時代の壁画でも、ずいぶん感じが違いますね。
追記
2018年にこれを読み返してみて、少し自分の考えが違っているので修正しました。
時代的には磐井の生きた時代に重なる人物で、
鳥栖の装飾古墳、大田田代古墳に絵が繋がりがあるのではと気になっています。
20181113
(つづく)
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