2009年 10月 21日
香椎宮(5)神木綾杉・死しても日本を守ると誓った皇后
香椎宮(5)
神木綾杉
死しても日本を守ると誓った皇后
香椎宮に行くと必ずこの神木の前を通るようになっています。
杉の一部は倒れながらも再び空を目指しています。「綾杉」と言います。立札を読んでみましょう。
神功皇后様が「とこしへに本朝を鎮め護るべし」と
祈りこめられてお植えになった杉で紀元860年(西暦200)のことであります。
ちはやふる 香椎の宮の あや杉は 神のみそきに たてる成けり
読み人知らず 新古今和歌集
秋立や 千早ぶる 世の杉ありて 夏目漱石
この「綾杉」については福岡県神社誌に詳しいので、それを訳して行きましょう。
神木綾杉
綾杉は本宮の神木で、神功皇后が三韓より帰られて、ここに三種の神器((御剣御鉾鐡御杖)を埋めて、その上に杉を植えて、「後世の人が杉のように真っ直ぐな心で君に仕えるならば私はその人を必ず守護する。後代までも我が霊をこの杉に留めて異国を降伏する。」と誓われた。
それからこの杉が繁茂していったが、その葉が他の杉とは違って海松(みる=海草)の房のように葉が交わって綾の紋のようになっているので綾杉という名がついた。
左は綾杉の葉。右は海中の海松の房。ホントそっくりですね。
この綾杉の下には神功皇后が納めた三種の神器が埋められているそうです。
三種の神器が「剣・鉾・杖」というのは珍しい組み合わせです。
皇后は死後も神霊となってこの杉に留まり、真っ直ぐな心で君に仕える人とこの国を守ると誓いました。
「君」とはこの時代は天皇家の事でしょうね。
つづきを見ましょう。
また養老7年(723)2月6日と12月28日の御託宣で、この養老7年の託宣でも再び皇后の誓いが告げられました。
「私がこの杉に霊を留めて長く異国を降伏し、かつまっすぐな杉の木のように正直な人を守る。」とお告げがあり、そののち天平神護元年に初めて綾杉の葉を朝廷に献上した。
これが恒例となって毎年朝廷に献上する事となった。太閤秀吉が朝鮮征伐の時、神官らがこの杉の葉を肥前名護屋に献上したので太閤は大変喜び、外国への旅立ちなのでと言って諸将に分けられたという。
この神託の詳細を調べると、
「神功皇后を聖母大菩薩と呼び、笴襲(かしい)聖母大菩薩と唱えるように告知した。
(しょうも・しょうぼ)
朝廷の尊崇する神社は1伊勢・2香椎・3宇佐という順だった。
天皇の即位など国家の事が香椎宮に報告された。
三年に一度神殿を改築するようにと告げられた。
西海道巡察使や太宰府・国府などの就任者は香椎宮に参詣してから任地につく。」
という内容で、当時の重要性がよく分かります。
香椎宮はもともと「香椎廟」(かしいびょう)と言われていました。
「廟」とは中国式の呼び方で「先祖の霊を祀る建物」を「廟」と言います。
11世紀の末頃には「廟」が「香椎宮」に変わっています。
秀吉の名前が出て来ました。ブログにはまだ書いていないのですが、
秀吉は九州を制圧する時、神功皇后の足跡と重なるところがあり、
神功皇后にあやかっているなと思われる事が所々に見受けられました。
その神功皇后が鎧の袖に杉の小枝を挿して渡海したと言われていたので、
秀吉も綾杉が届けられると喜んだことでしょう。
諸将にも分けたというのですから、お守りにしたのですね。
つづきを読みましょう。
また筑前国続風土記糟屋郡・若杉山の条に、若杉山(標高681m)は東南約10キロの所にある篠栗町の神山で、
「太祖権現はイザナギ尊を祀っているが、神功皇后が三韓征伐の前にこの神にも祈って、御帰朝ののち、そのお礼に香椎の綾杉を分けてそこに植えたので「分杉(わけすぎ)」と名が付いた。後世なまって「若杉」という。」
と書いてある。
篠栗お四国霊場のお遍路の一つになっています。その頂上にあるのが太祖宮です。
「神功皇后は太祖宮の御神木の綾杉の小枝を自ら手折り、鎧の袖に挿してお守りとし、凱旋後、香椎宮の境内に三種の神器(剣・鉾・鎧)を埋めて、綾杉の小枝を植えた。」(篠栗町の昔話の一部抜粋)
と、順序が反対の伝承もあって、綾杉はどちらが先か分からなくなっています。
三種の神器も少しずつ内容が違いますね。(いかにも彼女らしい選び方ですが。)
いずれにしろ、この香椎宮と太祖宮の縁が深い事を示しています。
若杉山は古代祭祀線を引こうとすると必ず出て来るポイントで、山頂には巨大な盤座があります。
さて、つづき。
その後、延享元年、本宮に奉幣勅使として飛鳥井中将・藤原雅重朝臣が参向した時に、綾杉の葉を朝廷に献上する事が再興されて、明治元年まで124年間、綾杉の葉に「寶祚延長天下太平」を祈った札と不老水を添えて献上したが、その後再び廃絶した。
また太宰府に新任の人は本宮に参拝して、神主から綾杉の枝を冠に挿してもらうのが習わしだった。
江戸時代には綾杉の葉と札と不老水を朝廷に献上し、
もっと古い時代には太宰府へ新任の人の冠にその枝を挿したという優雅な話です。
これらは皇后の誓いを人々が長らく忘れなかった事を示しています。
前回にも書いたように、このブログは香椎宮から始まったのですが、
この二年間に世界はすっかり変わってしまいました。
自然大災害を体験し、日本近海諸島も穏やかでなくなりました。
平和な時代が終わろうとしているのでしょうか。
竹内宿禰は織幡神社で日本を守り、神功皇后は香椎宮で日本を守っています。
「死しても日本を守る」と誓った人たちがいます。
これからの平和は自分たちで守るという時代になりました。
戦いでなく、魂の進化の中で新しい平和を産み出す時代の到来です。
蛇足
私のペンネーム。皆さんが薄々感じるように、この神木から戴いたのですが、
このような誓いの神木とは知りませんでした。(なんだか畏れ多くなった…。)
地図 香椎宮と太祖宮
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