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ひもろぎ逍遥

香椎宮(5)神木綾杉・死しても日本を守ると誓った皇后


香椎宮(5)

神木綾杉
死しても日本を守ると誓った皇后


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香椎宮に行くと必ずこの神木の前を通るようになっています。

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杉の一部は倒れながらも再び空を目指しています。「綾杉」と言います。立札を読んでみましょう。
神功皇后様が「とこしへに本朝を鎮め護るべし」と
祈りこめられてお植えになった杉で紀元860年(西暦200)のことであります。

ちはやふる 香椎の宮の あや杉は 神のみそきに たてる成けり
                      読み人知らず 新古今和歌集
秋立や 千早ぶる 世の杉ありて  夏目漱石

この「綾杉」については福岡県神社誌に詳しいので、それを訳して行きましょう。
神木綾杉
綾杉は本宮の神木で、神功皇后が三韓より帰られて、ここに三種の神器((御剣御鉾鐡御杖)を埋めて、その上に杉を植えて、「後世の人が杉のように真っ直ぐな心で君に仕えるならば私はその人を必ず守護する。後代までも我が霊をこの杉に留めて異国を降伏する。」と誓われた。

それからこの杉が繁茂していったが、その葉が他の杉とは違って海松(みる=海草)の房のように葉が交わって綾の紋のようになっているので綾杉という名がついた。

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左は綾杉の葉。右は海中の海松の房。ホントそっくりですね。
この綾杉の下には神功皇后が納めた三種の神器が埋められているそうです。
三種の神器が「剣・鉾・杖」というのは珍しい組み合わせです。

皇后は死後も神霊となってこの杉に留まり、真っ直ぐな心で君に仕える人とこの国を守ると誓いました。
「君」とはこの時代は天皇家の事でしょうね。

つづきを見ましょう。
また養老7年(723)2月6日と12月28日の御託宣で、
「私がこの杉に霊を留めて長く異国を降伏し、かつまっすぐな杉の木のように正直な人を守る。」とお告げがあり、そののち天平神護元年に初めて綾杉の葉朝廷に献上した。

これが恒例となって毎年朝廷に献上する事となった。太閤秀吉が朝鮮征伐の時、神官らがこの杉の葉を肥前名護屋に献上したので太閤は大変喜び、外国への旅立ちなのでと言って諸将に分けられたという。
この養老7年の託宣でも再び皇后の誓いが告げられました。
この神託の詳細を調べると、
「神功皇后を聖母大菩薩と呼び、笴襲(かしい)聖母大菩薩と唱えるように告知した。
(しょうも・しょうぼ)
朝廷の尊崇する神社は1伊勢・2香椎・3宇佐という順だった。
天皇の即位など国家の事が香椎宮に報告された。
三年に一度神殿を改築するようにと告げられた。
西海道巡察使太宰府・国府などの就任者は香椎宮に参詣してから任地につく。」

という内容で、当時の重要性がよく分かります。

香椎宮はもともと「香椎廟」(かしいびょう)と言われていました。
「廟」とは中国式の呼び方で「先祖の霊を祀る建物」を「廟」と言います。
11世紀の末頃には「廟」が「香椎宮」に変わっています。

秀吉の名前が出て来ました。ブログにはまだ書いていないのですが、
秀吉は九州を制圧する時、神功皇后の足跡と重なるところがあり、
神功皇后にあやかっているなと思われる事が所々に見受けられました。

その神功皇后が鎧の袖に杉の小枝を挿して渡海したと言われていたので、
秀吉も綾杉が届けられると喜んだことでしょう。
諸将にも分けたというのですから、お守りにしたのですね。

つづきを読みましょう。
また筑前国続風土記糟屋郡・若杉山の条に、
太祖権現イザナギ尊を祀っているが、神功皇后が三韓征伐の前にこの神にも祈って、御帰朝ののち、そのお礼に香椎の綾杉を分けてそこに植えたので「分杉(わけすぎ)」と名が付いた。後世なまって「若杉」という。」
と書いてある。
若杉山(標高681m)は東南約10キロの所にある篠栗町の神山で、
篠栗お四国霊場のお遍路の一つになっています。その頂上にあるのが太祖宮です。

「神功皇后は太祖宮の御神木の綾杉の小枝を自ら手折り、鎧の袖に挿してお守りとし、凱旋後、香椎宮の境内に三種の神器(剣・鉾・鎧)を埋めて、綾杉の小枝を植えた。」(篠栗町の昔話の一部抜粋)
と、順序が反対の伝承もあって、綾杉はどちらが先か分からなくなっています。
三種の神器も少しずつ内容が違いますね。(いかにも彼女らしい選び方ですが。)

いずれにしろ、この香椎宮と太祖宮の縁が深い事を示しています。
若杉山は古代祭祀線を引こうとすると必ず出て来るポイントで、山頂には巨大な盤座があります。

さて、つづき。
その後、延享元年、本宮に奉幣勅使として飛鳥井中将・藤原雅重朝臣が参向した時に、綾杉の葉を朝廷に献上する事が再興されて、明治元年まで124年間、綾杉の葉に「寶祚延長天下太平」を祈った不老水を添えて献上したが、その後再び廃絶した。

また太宰府に新任の人は本宮に参拝して、神主から綾杉の枝を冠に挿してもらうのが習わしだった。

江戸時代には綾杉の葉と札と不老水を朝廷に献上し、
もっと古い時代には太宰府へ新任の人の冠にその枝を挿したという優雅な話です。
これらは皇后の誓いを人々が長らく忘れなかった事を示しています。

前回にも書いたように、このブログは香椎宮から始まったのですが、
この二年間に世界はすっかり変わってしまいました。
自然大災害を体験し、日本近海諸島も穏やかでなくなりました。
平和な時代が終わろうとしているのでしょうか。

竹内宿禰は織幡神社で日本を守り、神功皇后は香椎宮で日本を守っています。
「死しても日本を守る」と誓った人たちがいます。
これからの平和は自分たちで守るという時代になりました。

戦いでなく、魂の進化の中で新しい平和を産み出す時代の到来です。


蛇足
私のペンネーム。皆さんが薄々感じるように、この神木から戴いたのですが、
このような誓いの神木とは知りませんでした。(なんだか畏れ多くなった…。)


地図 香椎宮と太祖宮







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# by lunabura | 2009-10-21 19:45 | 香椎宮・かしい・福岡市 | Comments(3)

香椎宮(6)武内神社・不老水・高倍神社・竹内宿禰について


香椎宮(6)

武内神社・不老水・高倍神社
竹内宿禰について


武内神社
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本殿の左側に武内神社があります。

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拝殿です。

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拝殿と神殿です。祭神はもちろん竹内宿禰です。
タケシウチには「武内・竹内・建内」という表記があります。
私は「竹の一族」であり、「内の一族」であり、
竹斯(ちくし)の王者という意味を合わせて「竹内」と書いています。

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竹内宿禰は記紀では最高位の大臣として、また知略に長けた武将として、
また霊力の優れた者として描かれています。

彼の両親を探すと父は佐賀県の武雄市武内の武雄神社に祀られていますが、
母の山下影姫も同じ武雄市の黒尾神社に祀られている事が
久留米地名研究会の古川清久氏の調査で判明しました。

「黒」と言えば竹内宿禰と言われますが、久山町の黒男神社もまた竹内宿禰です。
武雄市で両親が揃うとなると竹内宿禰の出身地の可能性が高いです。

武雄市の地名は父の名「ヤヌシ・オシオ・タケオ・ココロ」に含まれています。
徐福の上陸地に近く、早くから新進の大陸文化を受け入れた一族
という姿が見えて来ました。

武内屋敷
この香椎宮の境内を出て不老水に向かうと隣に「武内屋敷」があります。
末裔の家として知られていて、史跡になっていますが、今でも末裔の方が暮らしてあります。

不老水
その隣に不老水があります。

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泉が今でもこんこんとわき出ています。

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その横に仲哀天皇と皇后、竹内宿禰などが描かれています。
「不老水」という名は長寿の竹内宿禰に因むのかと思っていましたが、
大善寺玉垂宮や赤司八幡宮に行ってからは、これは「変若水」(おちみず)という、
「月から降りて来る若返りの水」だなと思うようになりました。
仲哀天皇はわずか一年の滞在でしたが、二人はきっとこの泉で禊をした事でしょう。

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不老水の遠景です。

高倍神社(こうべじんじゃ)
この山の左の方に進むと、高倍神社があります。

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御神体石に
「祭神 香椎武内家始祖 香椎廟廟司 大膳紀宿禰氏連命」
と書いてあります。当初から香椎宮を守り続けた一族です。

「武内宿禰は大和朝廷に従ったのか、それとも、朝廷と共に香椎に来たのか」
という質問をある方から いただいたのですが、

竹内家の発祥は佐賀県で、物部氏とともに血縁関係のあった仲哀天皇を支え、
神功皇后と共に近畿に行って、関西の開発に貢献したという姿が見えて来ました。
また久留米の方には、神功皇后の死後、再び筑紫に戻って来たという伝承もあります。


さて、まだまだ香椎宮には史跡が残っていますが、ひとまず おいとまして
次回は縁のある壱岐神社に行って見ましょう。 (^-^)




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# by lunabura | 2009-10-20 21:42 | 香椎宮・かしい・福岡市 | Comments(6)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25

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