2010年 03月 28日
馬見神社(2)そうすると、ここは天孫降臨の山になってしまうが…。
馬見神社 (2)
福岡県旧嘉穂郡足白村大字馬見字宮小路
上宮の白馬大明神とはニニギノ命だという。
そうすると、ここは天孫降臨の山になってしまうが…。

霧が晴れていく中を登ったせいでしょうか、しっとりとした、この空間では
五感が開かれていく感じがしました。
ここが、古代の人々が憧れた所です。それが、清浄なまま、静かにたたずんでいました。
もう一つの大事な山・英彦山の方は今でも多くの参拝者を迎えていますが、
この馬見神社はほとんど知られていないようです。
でも、エネルギーとはそのようなものかも知れません。陽があれば、陰がある。
ここは人知れずにいたお蔭で、数百年の昔そのままの姿を残しています。
それでも、営々と築かれた石段や鳥居、神殿を見れば、
氏子さんたちがどれだけ大切にしてこられたかが、良く分かります。

忘れられた聖地が紐解かれるのかもしれない。
ここは遠賀川の源の一つです。
ここに向かって、荒穂神社―日天宮―馬見のレイラインがうっすらと見えたのは、
日天宮と荒穂神社に行った時でした。
御祭神がニニギの命と、祀られていない荒穂の神。複雑な歴史を匂わせていました。
さらに下流の多賀神社に行って知ったのは、
イザナギの命が多賀の地に玉を鎮めた理由が英彦山と馬見山を控えた丘だったからという事でした。
この馬見山に向かう古代の人々の視線。それが気になって訪れました。
ここの御祭神はこれに呼応するかのように、イザナギの命とニニギノ命の名前がありましたよ。
神社入り口に手書きの由緒書きが貼られていました。
馬見神社由緒(句読点のみ追加しました)
1祭神 伊弉諾尊(イザナギのみこと)
天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)
木花咲哉姫命(このはなさくやひめのみこと)
(大山津見の女(むすめ)日本一の美人神)
2 祭日 4月18日
10月30日
3 由緒 ○上宮の創立は不詳であるが、3千年前と言われる。
馬見山頂(987M)の頂上近く御神所(ごしんじょ)岩の
巨岩あり、ここに鎮座。
瓊瓊杵尊は天孫降臨の御神で、日本民族の祖。
比類なき神徳をもって尊崇される。
○中古仏法隆盛の頃、約1300年前、鎮西八郎為朝現在の神社(下宮)建立。
また神木寺も建つ。
○天正前後、武家政治となり、秋月藩主秋月種実公、毎年参拝せられ尊崇を集めた。
○黒田藩となり嘉穂郡の総社として、代々尊崇あり。
2月、8月、5昼夜の五穀豊作の祈願祭を行う。
○大正12年11月24日。県社に定めらる。宮司江藤貞利氏。
○福岡県神社誌によれば、神武天皇ご東征の時、ここに参拝せられ、
その御神馬が足が白い馬で(足白)又、馬見の地名が起こったとも言われる。
4 境内2500坪。
郡内最高の景勝地にあり、又馬見キャンプ村、又リンゴと梨の産地として、
その美味は県下に知られて有名である。
平成8年春 縄田小観 記
御祭神はまず、イザナギの命でした。
それに、ニニギノ命とコノハナサクヤ姫の夫婦神です。
由緒には「その祭神は分からない」と書いてありますが、すぐ続けて、ニニギノ命の
天孫降臨の話が書いてあるので、本当は、「ここはニニギノ命の降臨の地だ」と、
言いたいのではないかと考えました。
由緒については他の本にも載っていたので書いてみます。
『筑前国続風土記附録』から抜き出します。
馬見大明神社
産土神である。御祭神は天津彦ホホデミの尊・ニニギノ命であって、賀茂大明神・荒穂大明神をも相伝に祭っている。
馬見山が東にそびえ、渓水が西に流れて、人里離れて潔浄の宮所である。馬見山の山上に社があって、白馬山大明神ともいう。どんな神を祀っているか分からないという。
ここでは、御祭神に、イザナギの命の名はありません。その代りに、ホホデミの命が出て来ました。
ニニギノ命の子供です。山幸彦の名の方が有名です。
また、山頂の神は白馬大明神だと言っています。どんな神なのかは分かっていません。
二つに共通するのはニニギノ命でした。そろそろ系図なしには理解が出来ませんねえ。
(と言って、パッと出てくる。親切ですねえ。)

三つの由緒書の祭神を色分けして囲みました。
これで分かるように、共通するのはニニギノ命でした。
江戸時代のガイドブック『筑前名所図会』にも、白馬大明神について書いてあります。
馬見大明神
古宮は馬見山上にあり。
御神域という大岩の辺に石の祠あり。
今の社は山下にあり。
白馬大明神とも申して、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)なり。
この神、葦毛の馬を忌むという。
この里に飼うを忌むのみならず、
他のことろから来ても、村の方で留めて置くという。
ここでははっきりとニニギノ命が白馬大明神だと書いています。
○福岡県神社誌によれば、神武天皇ご東征の時、ここに参拝せられ、
その御神馬が足が白い馬で(足白)又、馬見の地名が起こったとも言われる。
このように、神社の由緒書きには神武天皇もここに来て、
その馬の脚の色が白いので、馬見の地名が起こったと書いています。
この神社の地名が旧嘉穂郡足白村大字馬見字宮小路です。
神武天皇と馬については、馬が暴れて逃げたのを見送ったというエピソードや、
また、老人が馬を提供して、天皇を見送ったという話もあります。
これらから推測すると、全体に流れるモチーフは、
山頂にニニギノ命が白馬大明神として祀られていて、後に子孫の神武天皇が参拝された
という事のようです。
その時、馬が暴れて逃げたなどという何らかのトラブルがあったのでしょう、
その毛色の馬がタブーとなったり、地名が起こったりしたようです。
3000年前について
神社の由緒書きには始まりは3000年前の事だと書いてあります。
縄文時代になります。縄文です…。でも、もう驚かなくなりましたよ。
神武天皇は2600年前と(日本書紀から計算して)言われています。
年代については、例の如く、暦の大家の真鍋大覚氏が、訂正せずに、このまま使ってあるので、
それに倣いたいと思います。
ニニギノ命は神武天皇のご先祖ですから、3000年というのも、そう見当違いではないかとも思いました。
この辺りの神社にはこんな古い年代がどんどん出て来ますよ。
古い遺跡が出ているよ
ここからずっと下った盆地の中央に位置する飯塚市の立岩遺跡が2000年前の頃のものだそうです。
2000年前と言えば、キリストが生きていた時代です。これで、覚えやすいですよね。
鏡の完品が沢山出ていて、大変価値のある遺跡だと言う事を知りました。
(飯塚市歴史資料館は撮影禁止だったので、そのお洒落ぶりをお見せできないのが残念です。)
この馬見地区からは、その立岩遺跡よりも、もっと古い遺跡が出ているそうです。
この山の近くには早くから人々が住んでいたのですね。
3000年前という数字も、それほど無理な数字ではないと思いました。
そのころには、すでに馬見山への信仰があったという事でしょう。
ここの文化圏の氏族たちが馬見山をニニギノ命の降臨の地と考えて祀っていた
というのが伺えます。
言葉に出すのをはばかる内に、忘れ去られてしまったのでしょうか。
(つづく)





















