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ひもろぎ逍遥

多賀神社 (1) イザナギとイザナミの夫婦神を祀る宮

多賀神社 (1)
福岡県直方市
イザナギとイザナミの夫婦神を祀る宮
シンボルはセキレイと桃の子だよ


多賀神社は小高い丘の上にありました。長い石段が堂々と高く高く伸びています。

駐車場へは、丘を迂回して、裏側から上ります。
境内がとても広い上に、直方の町がぐるりと見渡せる、神が鎮座するにふさわしい一等地でした。
山門がかなり大きいです。

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これをくぐって行くと、本殿。
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おお、これもまた大きい。
創建は不明ですが、江戸時代や炭鉱時代に、大変あつく信仰された所のようです。

お祭りも、大名行列があって、平安時代から江戸時代までの衣装の人々が練り歩くのが見られるそうです。
御神幸は御輿(みこし)でなく、神馬に載せられてのお渡りとか。御輿でないのは全国でも珍しいそうです。
そうそう、馬を見に来たのでした。

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等身大の立派な像です。

さあ、御祭神はどなたでしょうか。
由緒書きがありました。(口語訳)
御祭神 イザナギの大神とイザナミの大神。
寿命の神である多賀大神は天照大神のご両親で、この宮は古く日の若宮と言いました。
奈良朝の養老三年に再建し、天平八年に妙見(みょうけん)大明神と称えました。
ここにはイザナギとイザナミの夫婦神が祀られていました。
この二人の神が生んだ子供の数は大変な数です。
日本の島々を生み、海や山や自然の神々を生み、最後の最後にアマテラスを含む三貴神を生みました。

ちょうど、この二柱の神を現代語訳した所ですが、この二柱が日本神話の中枢にある、
大事な神々だというのがよく分かりました。

夫婦の始まりであり、出産、死去、子殺し、死後の世界、禊、国生み、神生みと、
あるいは人口の増加の謂われ、などなど人間の普遍的な営みをシンボル化した夫婦の神なのです。

この神社のシンボルは鶺鴒(せきれい)と桃の実だって!
なるほどですねえ。
セキレイとは、雀の大きさの可愛らしい小鳥です。白と黒色で、尻尾がシュッと長く伸びています。
(よく、自動車のサイドミラーに映った自分を見てる変わった鳥です。)

この鳥は尻尾を上下に振り振りして歩きます。
これを見て、イザナギとイザナミの神は夫婦の交わりの方法を学んだといういわれがあります。
だから、セキレイと言えば、夫婦の円満を象徴する鳥なのです。

桃の子は、この夫婦が死に別れした後のエピソードから来ています。
黄泉の国に妻を探しに行ったイザナギですが、約束を破って妻の亡骸を見てしまい、
恐れおののいて逃げ出してしまいます。イザナミはそれを恥じ、追っ手を差し向けます。

次は古事記の該当の部分です。

(イザナミの命が差し向けた)軍勢はさらに追いかけて来て、黄泉比良坂(よもつひらさか)のふもとに着きました。その時、イザナギの命が、そこに、なっていた桃の子を三つ取って、待ち構えて投げつけると、みんな逃げて帰りました。

そこで、イザナギの命はその桃の子に言いました。
「お前は、私を助けてくれたようにして、葦原の中つ国にいるすべての青人草(あおひとくさ=人々)が苦しい瀬に落ちて憂(うれ)い悩む時に助けてあげなさい。」
と言って、オオカムヅミの命と名を授けました。

こうして、助けてくれた桃の子に大神の実という名前を授けました。
桃って可愛らしい姿をしながら、災いを払ってくれるすごいパワーの持ち主でした。
この桃の子が神社のシンボルです。

お祭りには桃のお菓子が与えられるそうですよ。魔を払い、人々を幸せにしてくれる。
神話の世界が今でも生きていました。

セキレイや桃と言えば、イザナギとイザナミの事だって、昔の人はよく知ってたんですね。

(つづく)
二人の神について、現代語訳しました⇒サイドバー
次回はここが妙見神社となった訳にチャレンジです。



# by lunabura | 2010-03-10 20:47 | 多賀神社・たが・直方市 | Comments(0)

多賀神社(2)ここは北斗七星を祀る宮だったよ


多賀神社 (2)
ここは北斗七星を祀る宮だったよ

多賀も妙見もイザナギ夫婦も
みーんな同じ星座の事だった

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今日も由緒書きをひも解いて行きましょう。

御祭神 イザナギの大神とイザナミの大神
寿命の神である多賀大神は天照大神のご両親で、この宮は古く日の若宮と言いました。
奈良朝の養老三年に再建し、天平八年に妙見(みょうけん)大明神と称えました。
この由緒書きにはこの宮が日の若宮とも言っていたと教えています。
なんともゆかしい名前ですね。

また、奈良時代になると妙見大明神と称えたとも書いてあります。
すると、イザナギ・イザナミ夫婦を妙見大明神と呼んだんだ。
どういう関係があるんだろ。今日はその由来を考えてみました。

辞書で確認すると、妙見とはもともとは北極星の事でした。
のちに北斗七星とごちゃまぜになったそうです。

その原因は歳差運動のせいじゃないかな~
もともと5000年前の中国では天子のシンボルが北極星でした。
当時は竜座のツバーン星が北極星として真北に輝いていました。
ですから、天子のシンボルは竜とツバーン星になりました。

ところが、歳差運動のために北極星は移動して行き、数千年たつと真北には星が無くなりました。

そんな時代に、北極星の信仰は、言葉だけは残っているのに実際に星が見当たらないので、
人々は近くにある北斗七星を当てはめるようになったのではないかと考えました。

それから、さらに数千年たった現在、私たちの夜空にはポラリスが北極星となって輝いています。

こんな事情で、妙見は北斗七星でも北極星もOKになっちゃったと考えました。
(歳差については、高良大社でも少し書いてます。)

それじゃあ、この多賀の地に祀られたのは
北斗七星かな、北極星かな?


その手がかりはイザナギとイザナミにありました。
『儺の国の星』によると、北斗七星のうち、四角い枡(ます)がイザナギで、
三つの星の柄(え)がイザナミだと言い伝えていました。

柄が、はまる所がタガ(多賀)です。
こうして、北斗七星を多賀の星と呼んでいました。

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(ついに星座が作れるようになりました!)

まとめてみると、北斗七星をイザナギ・イザナミの神に例えた氏族がいて、
多賀の星と呼んでいたけれども、仏教が入って来たので、新たに妙見とハイカラに呼び方を変えた
と解釈しました。

いずれにしろ、ここは北斗七星を祀る聖地でしたよ。
氏族によって、聖なる星が違うので、ここの里人は北斗七星。
覚えておかなくちゃ。
(つづく)

# by lunabura | 2010-03-09 17:54 | 多賀神社・たが・直方市 | Comments(4)

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