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第4回 歴史カフェ小城のご案内 綾部八幡神社 



第4回 歴史カフェ小城のご案内

綾部八幡神社

聖徳太子の弟と共にやって来た忍海漢人
 


小城鍋島家Tenでの歴史カフェ、7月は綾部八幡神社です。



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綾部八幡神社には八幡神など以外に、
風の神バアヤベイと火の神が祀られています。

毎年旗を掲げて、天候を占うという古来の方法が伝わっています。

真鍋大覚の伝える旗による古代の気象観測法が現実に伝わる稀有な神社です。

ここには日本書紀に書かれている忍海漢人(おしみあやひと)がやって来ました。

日本書紀によると、
推古天皇の628年にも新羅討伐計画があり、
聖徳太子の弟・来目皇子が将軍に抜擢されます。

この時、忍海漢人の集団が軍隊と共に九州へ来るのですが、
佐賀に来て兵器を作り、そのまま残ったことになります。

この話は肥前国風土記にも書かれています。
鉄を作っていたのは東に流れる寒水川だったそうです。
寒水川という名こそ、鉄の民の痕跡を示す名で、
これも真鍋の話と一致します。



来目皇子はご存知のように、糸島で亡くなってしまいますね。

第4回は歴史書と神社と地形が一致する奇跡的な神社の紹介になります。

第2部の「神功皇后伝承を歩く」は、香椎宮を拠点として精力的に祭祀をする仲哀天皇と神功皇后が訪れた久留米や糸島の話からです。




歴史カフェ小城
7月14日(土)第4回 3時~5時
1部:綾部八幡神社 忍海漢人と糸島で亡くなった来目皇子
2部:神功皇后の伝承 久留米~
申し込みはコチラへ
もしくは小城鍋島家Tenへ電話で 0952-72-5324
①氏名(フリガナ)②住所(市町村字)③714小城希望
会場:小城鍋島家Ten 小城市小城町西小路208-2
会費 1500円(別途ドリンク代)


歴史と自然をまもる会
HPはコチラ
バスハイクの旧記事はコチラ
申し込みは 092-408-7140
6月14日(木) 住吉の里 裂田溝 春日市奴国の丘
詳細はコチラ

◆歴史カフェ福津◆
7月8日(日)第19回 2時~4時

シリウス ー倭人と渡来の記憶ー
六嶽神社とシリウス、 真鍋大覚の記録(完全版)
受付開始 詳細はお待ちを
申し込みはコチラへ
①氏名(フリガナ)②住所(市町村字)③708福津希望




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by lunabura | 2018-07-10 14:30 | 歴史カフェ | Comments(0)

金立で金龍(*’▽’)




金立で金龍(*’▽’)



金立とは地名で「きんりゅう」と読みます。
佐賀市にありますが、高速のサービスエリアの名前でもあります。

この高速道路建設の時に、古墳群が発見されて、移転されています。
「上り」にあると聞いていましたが、ようやく訪れました。

サービスエリアから歩いていけます。









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う~ん。
これは只者ではない。
すごい古墳群です。
久保泉丸山遺跡といいます。


イクヒは「相島の積石塚みたい」と言い、私は「ケルトみたい」と言いました。

よく考えると同じような連想です。
相島とケルトの墓はそっくりさんですからね。









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で、帰りしな空を見ると金龍が(^^♪

で、タイトルの「金立で金龍」となったのでした(;’∀’)
きんりゅうできんりゅう、と読んでね(笑)


金立は徐福が上陸した所でもあるので、
古代は最先端だったと想像しています。

この古墳群について詳しい事は資料を見て調べたいと思います。
ここは、與止比咩神社と吉野ケ里の間にあります。

何気に、佐賀ってすごい。
佐賀には何もないって、昔言ってなかった?

とんでもない。
宝庫。
佐賀は史跡の宝庫ですね。




コメントありがとうございます。
返事、少しお待ちくださいね。




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by lunabura | 2018-06-12 21:04 | <古墳>手光は宮地嶽へ | Comments(2)

気持を切り替えて



<気持ちを切り替えて>

歴史カフェが近づいたので気持ちを切り替えて異次元から現実世界へ。

それでも、今回は豊玉姫の話や鞍手が出てくるので、
あまり変わらない世界に留まっています (;’∀’)

昨日今日は資料の見直しをしながら、分かりやすいように画像を入れました。
パワーポイントも造りました。

今回からは少し星の話が出てきます。
シリウスや北極星の話。
北極星が変わるって話すとまずは驚かれますから。
難しくならないように、まずは名前を憶えて行くことからと心がけています。

古代エジプトの時代の北極星は竜座のツバーン。
今はこぐま座のポラリス。
それと神話がつながり、女神と結ばれる。
星の話が一番ワクワクします。

資料の印刷は前日ではなく、二日前にするようにしています。
夜中にプリンタが壊れたり、インクが切れたりすると大変ですから。

で、今日は印刷に取り掛かりましたが、プリンタの調子が悪く、
メーカーに問い合わせたりして、作業は夜になりました。
検索で「○○メーカー 印刷が止まったりする」
とか入れると答えのページに飛ぶから便利な世の中になりましたねえ。







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これから「ウーナ」「七つの珠」で展開していく豊玉姫(左の画像の赤い衣装)。
右の画像の赤毛の神がワダツミノ神、左手に干珠満珠を持ってますねえ。

今回は私も車を乗り合わせていきます。
一人分乗れますよ。


歴史カフェ小城
6月9日(土)第3回 3時~5時
1部:佐賀の女神たち よど・とよ・とよたま姫
2部:神功皇后の伝承
申し込みはコチラへ
①氏名(フリガナ)②住所(市町村字)③609小城希望
あるいは 小城鍋島家Tenへ直接電話を。
詳細はコチラ
会場:小城鍋島家Ten

歴史と自然をまもる会
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バスハイクの旧記事はコチラ
申し込みは 092-408-7140
6月14日(木) 住吉の里
詳細はコチラ

◆歴史カフェ福津◆
7月8日(日)第19回 2時~4時

シリウス ー倭人と渡来の記憶ー
六嶽神社とシリウス、 真鍋大覚の記録(完全版)
募集開始 詳細はお待ちを
申し込みはコチラへ
①氏名(フリガナ)②住所(市町村字)③708福津希望




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by lunabura | 2018-06-07 22:30 | 歴史カフェ | Comments(2)

第3回 歴史カフェ小城 「佐賀の女神たち」のご案内



第3回 歴史カフェ小城 

「佐賀の女神たち」のご案内



佐賀には多くのヨド姫神社があります。そこにはヨド姫、トヨ姫、トヨタマ姫などの女神たちが祀られています。

ヨド姫とは有明海から寄せる津波を知らせる女神です。

トヨ姫とは海神から秘宝の干珠満珠を授かった巫女(みこ)で、武雄で亡くなりました。神功皇后の妹にあたり、武雄神社に祀られる武内宿禰の妻でした。

また、トヨタマ姫とは海神の娘ですが、干珠満珠の「満珠」に例えられています。
 今回はこれらの女神たちの由緒から、水の恵みと怖(おそ)れに手を合わせた古代の人々の営みを探りましょう。


 また、第2部の神功皇后伝承は福岡の鞍手(くらて)町から香椎宮へ向かう話です。

小城の土蜘蛛を滅ぼしたヤマトタケルはこの町から出立しました。
ヤマトタケルは神功皇后の舅(しゅうと)すなわち義理の父に当たります。

皆様のご参加をお待ちしています。








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第3回 6月9日(土) 3時~5時

1部:佐賀の女神たち ヨド姫、トヨ姫、トヨタマ姫
2部:神功皇后の伝承  香椎宮への遷都 鞍手から

会場:小城鍋島家Ten 佐賀県小城市小城町208-2 0952-72-5324

会費:1500円(別途ドリンク代)

申し込み先:小城鍋島家Ten あるいは 当ブログ コチラへ

  当ブログに申し込む方は
①氏名(あればハンドル名)
②簡単な住所(例 小城市小城町)番号は不要です。
③「歴史カフェ609希望」
と書いてください。

『神功皇后伝承を歩く』の本を購入希望の方は「上巻」「下巻」を書いて、申し込みの時にその旨伝えてください。当日お持ちします。



◆歴史と自然をまもる会◆
5月18日(金) 安曇の里
申し込みは「歴史と自然をまもる会」の方へ





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by lunabura | 2018-06-07 09:46 | 歴史カフェ | Comments(0)

ウーナ43 天山11 晴気天山神社2 1002年に現在地へ



ウーナ43

 天山11 

晴気天山神社2 1002年に現在地へ
 


晴気天山神社の縁起を「小城郡誌」から紐解こう。

「参議藤原安弘文武天皇の口宣をこうむり、大宝2年(702)10月15日天山池の中に島を築き、蓬莱(ほうらい)島(仙人が住む島)と名付け、上に祠を建立して天山神の上宮と定め、下宮を靈貴山(一名烏帽子嶽という)に建立す。

長保4年(1002)、康家烏帽子嶽の下宮を当所に遷座し、諸祭祀を興した。

建立当時には文武天皇の口宣をいただいて小城郡神祇官領を下され、次に永代神領として郡内居住の四方三百町を寄進された。」

のちに参議という高い身分になった藤原安弘とは房前(ふささき)のことだ。
文武天皇は持統天皇の孫にあたる。

安弘は702年の10月15日に天山池に島を築き、祠を建立して上宮とした。
持統天皇はこの時、存命していたが、二か月後の12月22日に崩御している。

だから、上宮と下宮が出来たことの報告を受けていた可能性がある。


縁起の続きには、ちょうど300年後、1002年に烏帽子嶽の下宮を現在地に遷座したとある

すると、「烏帽子嶽(561.27m)の下宮」とは現在「中宮」と呼ぶところで、川内分校付近にあり、巨石を神体としている所となる。(広瀬天山神社の縁起による)


以上から、明星山と結ばれた二つの下宮(岩蔵と広瀬)のライン上に晴気が乗って来て、三つの下宮が揃うのは1002年のこととなる。


【長崎県肥前国小城郡村誌】には
「郷社、村の北内浦にあり。今の本社は天山社の下宮で、畑田ケ里天山絶頂9合目にあり、高山にあって、修繕保護が困難なため、中古に下宮の地をもって云々。」

とある。






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現地は急な斜面で、はるか遠く佐賀平野が見渡せる地だ。
しかし、ここからは他の下宮も上宮も見えない。
特殊な測量をして、意図的にここに遷座したということだろう。


【肥前古蹟集】によれば、
「大宝2年(702)霜月15日、弁財天が天山岳に飛来した。本山烏帽子ケ岳に影向された。ここを宮床と名付ける。(略)」


とあり、702年11月15日に新たに弁財天の飛来をみている。
その場所が天山で、影向したのは烏帽子嶽ということだ。
詳しい状況は書かれていない。




さて、ここで天山の神の変遷について整理しておこう。
701年の少し前に天御中主命が祀られたが、
光が飛来する奇瑞があり、安芸の宮島から光を追って来た人たちの話から、
市杵島姫および二女神、合わせて三女神が加わる。

そして、弁財天の飛来を見て、弁財天信仰となる。
市杵島姫と弁財天は同一で、神式から仏式となったともいえる。

これらがわずか数年の間に起きたことだ。

そうすると、持統天皇が与えた「晴気の里」とは、中宮、すなわち川内分校を含めた地域がメインと考えられる。



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チェリーが地図を作ってくれた。
中宮から東南の方向に、他と比べて傾斜が緩い小平野がある。
天山山系の稜線には赤いラインで示されたような、崩落と思われる地形がある。

氷河期が終わると、雪解け水は山を削りながら山津波となって下っていった。

土砂崩れに流された流木が途中に引っ掛かって堆積して、湖沼の地下で天然の亜炭になっていく。
土砂には粉砕された鉱物が含まれていた。


賀茂氏はわざわざそのような地を選んで入植していくという。

すぐ南に「八丁ダム」など、「八丁」(はっちょう)の地名が見られる。
「八丁さま」こそ、賀茂氏のことである。

おそらくは、ここで金属加工をする賀茂氏がいて、
その生産品の所有権を持統天皇は褒美として与えたのだと思う。


それと似たような例が東の方、綾部神社にある。
「忍海漢人をこの地にとどめ、兵器を造らしめたが、そのまま土着し」たという
綾部一族にとって、そこが工人として魅力的な土地だったのだ。

背振~天山の山塊は鉱物資源と薬草を生み出す黄金の地だった。
黄金と弁財天の名もまた融合していく。




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さて、もう一つの下宮が残っている。
広瀬があるが、参拝したあとに記録しようと思う。





歴史カフェ小城
6月9日(土)第3回 3時~5時
1部:佐賀の女神たち よど・とよ・とよたま姫
2部:神功皇后の伝承
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①氏名(よみがな)②簡単な住所(字まで)③609希望
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会場:小城鍋島家Ten

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6月14日(木) 住吉の里
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異世界小説 最c0222861_15184581.gif

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by lunabura | 2018-05-28 23:12 | 「ウーナ」 | Comments(3)

ウーナ42 天山10 晴気天山神社1 三つの下宮社の中央の宮



ウーナ42

天山10 晴気天山神社1 

三つの下宮社の中央の宮
 



さて、三つの下宮の内、中央に鎮座するのが晴気天山神社だ。
晴気は「はるけ」と読む。



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天山から流れる川沿いに登っていくので、ずっと天山を見ていく感じがする。
右手の川の名は晴気川で良いのだろうか。







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道が途中で別れる地点だ。

正面奥が天山で、最終的に天山が望めるポイントになる。
天山にはどちらから行っても着くようだが、下宮に行くには右手に進む。

駐車場は民家が庭を提供してある風情で、数台止められる。








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「あめやまはし」を渡って行く。







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川の名は晴気川だろうか。
大岩がゴロゴロしていて、雨が降れば激流になりそうな川だ。










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一の鳥居。


山につけた石段をいくつも上っていく。






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拝殿前の広場に出た。


祭神は【小城郡誌】によると、
多紀理毘売命、狭依理比売命、多岐津比売命。
市杵島姫は「サヨリ姫」の名になっている。同一神だ。
古い名を伝えていると考えていいのだろうか。







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神殿の千木は縦と横の中間程度の趣。



住所は小城郡の頃、春田村大字晴気字本山だった。

「春田」は「原田」という表記を縁起で見かけた。
また「本山」という地名も縁起に出てくる。

20180527



歴史カフェ小城6月9日(土)第3回 3時~5時
1部:佐賀の女神たち よど・とよ・とよたま姫
2部:神功皇后の伝承
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by lunabura | 2018-05-27 21:59 | 「ウーナ」 | Comments(3)

ウーナ41 天山9 岩蔵天山神社2 七面天王



ウーナ41

天山9 岩蔵天山神社2 

七面天王
 

前回、岩蔵天山神社から見える山を載せると、すぐにチェリーが作図してくれた。






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以下、メールより。
「岩蔵天山神社からのカシミール画像を作成してみました。

(かなり広角にしてありますので、実際と少し違った感じになるかもしれません)
「天山」は見えるようです。直線距離で5.5kmくらいです。


「あめ山」と「上宮」は419mの山にギリギリ隠れてしまうようです。

きれいな三角形に見えるのは、ピークではなく、愛宕山から延びる稜線の端になります。
ここからなだらかに愛宕山まで登る地形になっていますので、愛宕山の頂上は見えません。
この三角形の左下を、明星山からのラインが通ります。

参道から社殿の方向は、真西より南へ2°くらい傾いた方向のようです。
少し角度がずれますが、lunaさんが感じられたように、この三角形に見える山か、ラインの通過点を意識して社殿が建てられたのでは?と私も思います。

まあ、その、たまたまラインの通過点を白い印にしてあるのですが、松の梢にとどまった「光」の場所をここに仮定すると、ちょうど「里に照り渡った」という感じになるんじゃないかと、ふと思いました。」
以上、メールから。

見えている三角形の山は愛宕山の稜線の端だそうだ。
ちょうど三角屋根の家を横から見たら三角形に見えるようなものだ。

此処から見える姿の美しさからは、このように見える場所だからこそ、
ここを聖地として選んだようにもみえる。



さて、光が松の梢に留まった場所についてはまだ不明だが、「あめやま」の頂点近くではないかと思っていた。

チェリーはラインが通る白い点の場所だったら、里に照り渡ったという描写に合致するのでは、という意見だ。
なるほど。
異なる意見を交わすことでより詳細な世界が描きだせる。








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これは境内の右手の道路から天山方面を撮ったものだ。

正面の少し尖ったピークより左奥に見えるフラットな山頂が「あめやま」のようだ。








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これは境内の池のようす。小島がある。
弁財天を祀る池のパターンと思われるが、その水の透明さは格別だ。







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そして、これは境内にあった祠。
石で作った神像が鎮座していた。

左の女神は「七面天王」と書かれている。
これは七面天女のことだろうか。そうすると弁財天となる。

「ひめちゃご」で七色が七回、七面山に登ったことを思い出した。





異世界小説 
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by lunabura | 2018-05-26 22:05 | 「ウーナ」 | Comments(1)

にっき 豊姫信仰など



二日もブログを書いていませんね。

その間、小城鍋島家Tenでの歴史カフェの資料を作成していました。
淀姫と豊姫と豊玉姫
ブログではもう何度も過去記事に書いていますねえ。

今回は與止日女(よどひめ)神社(佐賀)と止誉比咩(とよひめ)神社(下巻56赤司八幡神社の古称)の比較もしてみます。


すると、豊姫信仰が筑後川流域に広がっていたのが見えてきました。
豊姫とは神功皇后の妹ですね。
武内宿禰の妻となりますが、なかなか子宝に恵まれなかったようすも與止日女神社の話から伺えます。

それでも、シャーマンとしての力が広く信仰されていたのでしょう。
志式神社の浜で干珠満珠を海神から授かった巫女ですから。

與止日女神社と止誉比咩神社の共通点は数メートルもの高さが変わる有明海の波が寄せる所ということです。

そこは夜渡(よど)七十という七十年に一度の大津波が有明海から遡上する地域。

女神たちの祭祀から古代の人の営みが見えてきます。






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by lunabura | 2018-05-22 22:01 | 歴史カフェ | Comments(0)

ウーナ40 天山8 岩蔵天山神社 七歳の童女に神が懸かった



ウーナ40

天山8 岩蔵天山神社 

七歳の童女に神が懸かった
 

さて、今日は岩蔵の天山神社の紹介をしよう。


天山の麓にある三つの下宮社のうち、一番東に鎮座している宮だ。

九州横断自動車道で長崎に向かい、小城パーキングに新たに設置されたスマートICから下りていくと、すぐに三叉路に当たる。右折して祇園川沿いに遡っていくと、まもなく天山酒造が右手に見える。

その正面が岩蔵天山神社だ。ここにも「天山橋」があった。









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社前のようす。






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参道の途中に池があって橋が架かっていた。
橋は一枚岩でとても珍しい。古来のものが残されているのだろうか。






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肥前鳥居。









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祭神は『小城郡誌』によると、
多紀津毘売命、市杵島毘売命、多紀理毘売命の三柱となっている。
宗像三女神だ。

社殿は黒を基調にした色で、女神の宮にしては珍しい色に思えた。







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拝殿には鍋島家の杏葉紋(ぎょうようもん)が掲げられていた。











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神殿は赤と水の色。








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社殿の向こうに三角形の山が見える。
愛宕山らしい。真後ろではなく、微妙にずれているが、この山を見ていると思われた。


社殿は東に向いているので、ここで手を合わせると厳密ではないが、晴気(はるけ)や厳木(きゅうらぎ)の天山神社方面にも手を合わせることになる。



『小城郡誌』を口語訳しよう。

<当社は天山頂上にある上宮に対し、晴田村天山社、東松浦郡厳木村大字広瀬天山社と共にその下宮である。

当社は文武天皇の大宝2年(702)口宣によって建立したもので、伝記書によれば、42代文武天皇の大宝2年(702)4月1日、小城郡高隅の里(のち岩蔵と改めた)の北山に不思議な奇瑞が現れ、松の梢(こずえ)に清らかな光が輝いてとどまった。

 その松のそばに木こりの家があった。光は里に照り渡った。人々は奇異の目でその光を見守った。

その日の夕方、村の七歳の童女が急に物狂いして話し始めた。

「われは東海より飛んできた神である。この地に長らく留まって国家を守護し、もろもろの災難を祓おう」と。

 その翌朝、松のそばに池が出来て清水が湧き出した。この里の九郎康弘という者が、清水の湧出を見て里人を集め、その松のそばに社を建てて神霊を祀った。


 この時からこの村を松本村と呼び、この松を「影向(ようごう)の松」と呼ぶようになった。

 この童女の子孫代々は命婦(みょうぶ)となって神事、祭祀を預かり神座を勤めた。そして九郎康弘が亡くなると里人はその末社に祀り、九郎大明神と名付けて本社の側に安置した。>


当社は、文武天皇の大宝2年(702)に口宣によって建立された。
「口宣」とは天皇からの勅命を口頭で伝えたものを文書化したものだ。
だから、天皇の命令で造られたことになる。
文武天皇はこの時、16歳。そばには祖母の持統太上天皇が控えていた。

晴気(はるけ)の里は持統天皇が授けたものだから、文武の口宣は実質、持統天皇の命によるものと考えてよいだろう。

概要は、北山に光が飛んで来て、松の梢で光輝いた。
その村の七歳の童女に神懸かりがあり、国家鎮護を約束すると、翌日松のそばに泉が湧き出した。

そこで九郎康弘がやってきて村人を集めて社を造ったということだ。

この九郎康弘のことは広瀬天山神社の方では「安弘」と記され、藤原房前の生前の名ということが明らかにされている。
だから、小城と朝廷の連絡が直結していた理由がここにあることが分かった。

その3年後、この「光」が安芸宮島から飛来したもので、「北山」が「天山」となったことが『小城郡誌』の続きに【参考】として書かれている。



<【参考】
それから3年後、慶雲2年(705)に芸州厳島(安芸の宮島)の人が当地にやってきて尋ねた。
「近頃、宮島から清らかな光が輝き起こって、西の海の方に飛び去りました。それからずいぶん経ちますが、どこに飛んで行ったのか分かりません。不思議に思ってその光が留まった所を尋ねると、当地に留まったのが分かりました。何か不思議なことはありませんでしたか」と。

 里人が、奇瑞が起こって託宣が降りた話をすると、社人は大変驚き、宮島には帰らず、永らくここにとどまって社務をつかさどっているというのである。現在、馬場に宮島姓が多いのはこのためである。

 最初に松本に神霊が影向した時には、はるか南の松林からも清らかな光が見えたので、小さな石祠を建てて、下の宮というようになった。
それから後、祭の時には神輿(みこし)をそこまで降すといい、今は南松と称し、小祠がある。 

 同年の冬10月、国司が右の奇瑞を帝都に上奏して天山大神宮と勅許をえて、北山は天山岳と名付けた。>


文脈からは、下宮が建った所は神霊の影向が見えた「はるか南の松林」とあることから、この岩蔵がその地点という解釈でいいのだろうか。

広瀬天山神社の縁起の方には、
701年に白雲が天山から本山、広瀬、岩蔵の上に降りるのを見て、天御中主命を勧請して三つの下宮としたように書かれている。

光の飛来が見えたのは翌702年のことで、705年に宮島から来た人の話で光が市杵島姫と判明する。

安芸の宮島すなわち厳島神社(広島)は593年佐伯鞍職が市杵島姫を祀ったことから始まっている。当時、市杵島姫単独か、三女神合祀かは不明だ。

縁起からは下宮を一直線にするための積極的な理由は見当たらなかった。







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境内の右手から後ろの天山山系を撮ってみた。
天山そのものが見えているかは分からないが、光がここから見えたということになるのだろう。





20180516


小城市岩蔵2348









異世界小説 
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by lunabura | 2018-05-16 21:19 | 「ウーナ」 | Comments(0)

ウーナ39 天山7「あめやま」と「てんざん」



ウーナ39


天山7

「あめやま」と「てんざん」
 



先日の画像からチェリーが山の名を特定してくれた。






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なんと、「あめ山」と「天山」がある。
左端のピークが「あめ山」だそうで、その頂上すぐ下に「天山神社上宮」があるという。
右のピークが「てんざん」だ。

何故、このように二つの似た名前となったのか。







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晴気天山神社の前の橋は右手に「天山橋」左手に「あめやまはし」と書かれていた。
比較的新しい橋だ。
つい最近まで「あめやま」だったのだろうか。

時系列から考えると、古代は訓読みで「あめやま」と思われ、「てんざん」は次の時代だと思う。
しかし、二つのピークによく似た名前をつけたのは何故だろう。

地元の人は二つの山の名を区別して呼んでいるのだろうか。


「てんざんスキー場」とか「♪酒はてんざん、男なら♪」としか聞いたことがない。

一つ分かれば一つ新たな謎が出てくる(´・ω・`)



ま、いいか。
せっかくワインを飲んだんだし。





異世界小説 

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by lunabura | 2018-05-13 21:14 | 「ウーナ」 | Comments(27)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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