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ウーナ31 持統天皇は筑紫で出産 中大兄皇子は普通に即位していた!



ウーナ31

持統天皇は筑紫で出産

中大兄皇子は普通に即位していた!
 

 
中大兄皇子は白村江戦の時、天皇の地位にあったはずですが、
日本書紀の天智紀に「称制」と書いてあるので、
天皇代行のまま即位しなかったと解釈する人が殆どです。

しかし、「太歳」という即位前後に行う暦制選定儀式を行っているので、
「称制」は斉明天皇の崩御年だけで、
年が明ける前、みやま市(旧山門郡)の太神宮で日々祈ったあと、
翌年には即位している。

そういう話を歴史カフェなどでしたのですが、
今日、持統天皇紀を読んでいると、
「持統天皇は天智天皇元年に草壁皇子を大津宮で出産された」と書かれていて、
天智天皇元年=662年となり、
やはり中大兄皇子は普通に即位していたことが判明しました。

なんだ。
やはり一部分だけで解釈するのは良くないですね。

また、「大津宮」とは「娜の大津」ということなので、
(通説=高宮、真鍋説=那珂川)
持統天皇は筑紫で草壁皇子を出産したということになります。

佐賀の天山神社の奇瑞を何故、持統天皇は敏感に反応するのかな、
そういう観点で調べていて、
まずは斉明天皇や父の中大兄皇子に付いて朝倉に来て、
筑紫や佐賀の土地勘があっただろうと書きましたが、
やはり、滞在は少なくとも2年以上、
しかも白村江の敗戦のトラウマを持っていることは間違いないなと
思いました。

この時の持統天皇の名は鸕野讚良(うののさらら)で、
夫は大海人皇子です。
657年に13歳で嫁ぎ、出産は18歳。

そのあと壬申の乱に巻き込まれたり、
草壁皇子がわずか25歳で亡くなったりするのですから、
悲しみの多い、波乱万丈の人生だったようですね。

<20180415>

分類に悩んだけど、天山つながりで、<ウーナ>に。


歴史カフェ福津
4月29日(日)第18回 2時~4時
「消された大王 アントンイソラ
安曇姓とアベ性の王たちは日本書紀から封印された」
詳細は コチラ 過去記事はコチラ

歴史カフェ小城
5月12日(土)第2回 3時~5時
1部:天山神社創建の人たち 藤原房前・持統天皇など
2部:神功皇后の伝承
申し込みはコチラへ    
第1回詳細はコチラ
会場:小城鍋島家Ten

歴史と自然をまもる会
バスハイクの旧記事はコチラ
5月 安曇の里



 



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by lunabura | 2018-04-15 21:54 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(0)

小城での第1回 歴史カフェでした



小城での第1回 歴史カフェでした


今日は雨。
天山の話だから龍神さまですよ、と言ってくださった方もありました。
かつて天山登山にチャレンジした時も2回とも雨か霧だったので、何故か現地に入れない、るなでございます。

今日は第1回目の小城鍋島家Tenでの歴史カフェ。
現地の方に現地の神社縁起を話すという体験はとても喜ばしいものです。
参加の皆様ありがとうございました。

三つの天山神社の由緒を時系列に並べてみると、
この小城と皇室がダイレクトに繋がっていることをさらに強く感じました

次回は創建に関わった藤原房前や持統天皇など、同時代に生きた人たちの略歴を学んで、晴気の里の重要性にアプローチできたらと思っています。


高速道路も小城にスマートインターが3月に出来て、カードがあればダイレクトに乗り降りできるようになりました。
霧がかかる美しい山里を降りていきます。
早く現地調査したいですね。

歴史カフェ小城の2回目は5月12日(土)です。


さて、今から福津の歴史カフェの準備です。
今回は流れをパワーポイントで追ったあと、
『高良玉垂宮神秘書』を読み合わせしていこうかなと思っています。

今日も、原文を綾杉訳ではありますが、皆さんと読んでいると、原文の持つ力というものを強く感じました。

あれこれと説を説くよりも「読む」という体験は、縁起の持つ力をダイレクトに伝えてくれます。

この感覚を『神秘書』でも体験したいと思います。

「玉垂命とは誰か」「玉垂宮とは何か」
それがダイレクトに書かれた文章を読む。
想像すると、ワクワクしてきます。


それと、5月のバスハイクでは宮地嶽古墳の中に入る許可をいただきましたよ。
ネットの公開日が楽しみです。


歴史カフェ福津
4月29日(日)第18回 2時~4時
「消された大王 アントンイソラ
安曇姓とアベ性の王たちは日本書紀から封印された」
詳細は コチラ
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歴史カフェ小城
5月12日(土)第2回 3時~5時
1部:天山神社創建の人たち 藤原房前・持統天皇など
2部:神功皇后の伝承
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第1回はコチラ
会場:小城鍋島家Ten

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5月 安曇の里





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by lunabura | 2018-04-14 21:33 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

第1回 歴史カフェ小城 何と!天山神社は「日本遺産」レベル!



第1回 歴史カフェ小城 

何と!天山神社は「日本遺産」レベル!



今週末、4月14日に小城鍋島家Tenで歴史カフェ第1回を開催します。
2部構成にして、第1部は天山神社、第2部は神功皇后の伝承を話します。

第1部の構成は次のようになります。

三つの天山神社の始まり 年表を作ろう 祭神の変化
1章 広瀬 天山神社 
2章 黒尾大明神(九郎)は藤原安弘(房前)藤原四兄弟の一人
3章 岩蔵 天山神社
4章 晴気 天山神社
5章 奈良 天河大弁財天社
6章 年表

資料を作っていて、これは「日本遺産」レベルだ!!
という気持ちがあふれて来てやまないんです。

「世界遺産」に対して「日本遺産」はストーリー性が重んじられます。
以下は文化庁による定義です。HPより。


「日本遺産(Japan Heritage)」は(地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。

ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を,地域が主体となって総合的に整備・活用し,国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより,地域の活性化を図ることを目的としています。
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/nihon_isan/



天山神社が創始されたのは701年。
その時の状況がきちんと残っていて、ストーリー性が高いです。
しかも、広島の宮島とも繋がっています。

 この歴史を掘り起こして日本に発信することはとても有意義です。
小城は観光地ですが、皆さん、歴史興しに積極的です。

歴史カフェ小城では、皆さんに「日本遺産」への取組みも推奨してみたいと思います。

そこで、今回は「年表づくり」をテーマにしました。

天山三社の縁起を調べながら年表を作りましょう。
(私が既に作っているので、確認作業になりますが♪)

また、第2部は拙著を資料として、一番目の豊浦宮から解説していきます。

豊浦宮は現在、忌宮神社といいます。シルクが伝来した所でもあります。吉野ケ里の古代絹のエピソードなども交えてお話ししていきます。
こちらはパワーポイントで画像を楽しんでください。




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歴史カフェ小城 第1回
4月14日(土)3時~5時 会場:小城鍋島家Ten
1部:天山神社の始まり 2部:神功皇后の伝承 豊浦宮から
申し込みは直接、小城鍋島家Ten、あるいは当ブログコチラへ
詳細はコチラ

歴史カフェ福津 第18回 予定(明日10日に決定します)
4月29日(日) 2時~4時 会場:福津市中央公民館
消された大王 アントンイソラ
―安曇と阿部(阿倍)姓の王たちは日本書紀から封印されたー

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5月  安曇の里





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by lunabura | 2018-04-09 20:26 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

バスハイク12回武雄行ってきました



バスハイク12回
武雄
行ってきました



今日は雨の予報でしたが、予定通り、バスハイクで佐賀に行ってきました。
高速では土砂降りのエリアもありましたが、
杵島郡の福母八幡神社に着いた頃には小雨になっていました。

境内の楠の木がとても神秘的でみんな歓声を挙げていました。

雨の日の神社参拝はあまりしないので、
しっとりとした美しい風情の魅力を改めて知った思いです。




武雄神社や磐井八幡宮など、武内宿禰、磐井一族、
大伴氏、物部氏、平群氏などの痕跡を辿りました。



雨の日の画像は暗いので、写真を撮らないつもりが
やはり撮ってしまいたい美しさ。

でも、やっぱり画像処理が必要なほど暗くて、投稿できません。
午後から少し明るい画像が撮れました。










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唐津 玉島神社 磐座


今日も、四国から飛行機で参加される方がありました。
三度目です。ありがとうございます^^




次回はいよいよ安曇の里。
遠方の方も一日で回れる魅力的なコースになりますよ♪

歴史と自然を守る会が広報されたあとに、お知らせします。




歴史カフェ小城
4月14日(土)第1回 3時~5時 会場:小城鍋島家Ten
1部:天山神社の始まり 2部:神功皇后の伝承 豊浦宮から
申し込みは直接、小城鍋島家Ten、あるいは当ブログコチラへ
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5月  安曇の里





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by lunabura | 2018-04-06 20:25 | バスハイク | Trackback | Comments(2)

平群氏が糸島と武雄に展開する謎



平群氏が糸島と武雄に展開する謎




明後日のバスハイクで武雄神社に参拝するのですが、
その下宮に平群木莵(へぐりのつく)が祀られています。

武雄神社の祭神が武内宿禰なので、
その第4子に当たる平群木莵が祀られているのは
不自然なことではありません。

武雄神社の祭祀の始まりは神功皇后時代で、
御船山に武内宿禰が祀られるようになります。

武雄の湊の経営を第4子に任せたのかもしれません。

対岸の風浪宮では安曇磯良が第1子に湊を任せているのと同じです。


この平群木莵は糸島の宇美八幡宮でも社家として80代以上になります。
現在の姓は武内姓です。

武内宿禰が平群氏に妻問いして生まれた男子が平群木莵ということでしょう。

それでも、糸島と武雄にその名を見つけたのは驚きでした。
ずいぶん離れている感じがします。



そこで思い出したのが、真鍋の記録。
平群氏は脊振山系と志摩山系を治めて北方貿易を掌握していたとあります。
(儺の国の星p200)

そうすると、糸島の宇美八幡宮も地理的に妥当なことになります。

真鍋は他に、太宰府を支配していたのは平群氏とも書いています。(拾遺p108)

太宰府と平群氏の関係は未調査ですが、佐賀に来ると大宰府の話が結構出てきます。
その長クラスの経済が直結している印象があるのです。

「武内宿禰が大宰府にいた」という話が佐賀に出てきます。
今は断片が出て来た所です。
これがつながると面白いですね。
備忘としてメモっておきましょう。

<20180404>



宇美八幡宮 『神功皇后伝承を歩く上巻』32






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(武雄の大楠♪)





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4月6日(金)武内宿禰の里と豊姫、壱岐真根子の終焉地
磐井の砦 桜見! 残席あり
歴史カフェ小城
4月14日(土)第1回 3時~5時 会場:小城鍋島家Ten
1部:天山神社の始まり 2部:神功皇后の伝承 豊浦宮から
申し込みは直接、小城鍋島家Ten、あるいは当ブログコチラへ
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by lunabura | 2018-04-05 00:06 | メモ | Trackback | Comments(0)

一部咲き





桜の満開の便りがアチコチから届いていますが、
福岡は一部咲きという感じ。
見頃は今週末になりそうです。






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(3月25日)


さて、今日は気持ちを切り替えて、佐賀の天山の資料作り。
読者の方から厳木(きゅうらぎ)の天山神社の掲示板の画像を送っていただいたので、それを見ると、中宮もあることが書かれていました。


三社の縁起をまとめてみると、意外にもボリュームがあって、
スポット講座では済まない感じになってきました。



謎を解くと、次の謎が出てくるような印象です。

持統天皇が何故喜んだのか。
そういうことが分かると面白いですが、謎は深いです。

それでも、この天山の話を是非とも地元の方々に伝え、
その深い歴史を掘り起こしていただく機会になればと思いました。




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4月6日(金)武内宿禰の里と豊姫、壱岐真根子の終焉地
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by lunabura | 2018-03-26 23:06 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(2)

第1回 歴史カフェ小城414 のご案内



第1回 

歴史カフェ小城414 のご案内



4月から小城鍋島家Tenで歴史カフェを始めます。
今日は第1回歴史カフェのご案内です。

「初めての古代史」というスタンスで、分かりやすい神功皇后の話から始めます。

佐賀の神社には神功皇后の時代の人たちが多く祀られています。

神功皇后の夫君が仲哀天皇で、その父がヤマトタケル。さらにその父が景行(けいこう)天皇です。この人物たちが『肥前国風土記』にも登場しています。


第1回は仲哀天皇と神功皇后が皇居とした下関市の豊浦宮(忌宮神社)からです。武雄神社の祭神の武内宿禰も登場しますよ。

テキストは拙著『神功皇后伝承を歩く上下』ですが、パワーポイントで説明していくので、本が無くても大丈夫です。

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また、「スポット」として佐賀の神社や神々の話を解説していきます。

第1回目は、三つの天山神社の始まりについてです。藤原四兄弟の一人が創設したという、驚きの由緒を紐解きましょう。


小城では毎月、第2土曜日の開催を予定しています。

第1回 4月14日(土) 3時~5時


1部:天山神社の始まり
2部:神功皇后の伝承  豊浦宮での軍備と祭祀・新羅軍の襲来

会場:小城鍋島家Ten 佐賀県小城市小城町208-2 0952-72-5324
会費:1500円(別途ドリンク代)

申し込み先:小城鍋島家Ten あるいは 当ブログ コチラへ

当ブログに申し込む方は
① 氏名(あればハンドル名)
② 簡単な住所(例 小城市小城町)番号は不要です。
③ 歴史カフェ414希望」
と書いてください。

『神功皇后伝承を歩く』の本を購入希望の方は「上巻」「下巻」を書いて、申し込みの時にその旨伝えてください。当日お持ちします。



福津の歴史カフェはもう少しお待ちくださいね。準備を進めています。




★4月6日のバスハイク、佐賀編。杵島~武雄は残席があるそうですよ!
歴史はもちろんですが、武雄の大楠、川古の大楠、鍋島家庭園の桜、ツタヤが入った武雄図書館など、お楽しみが沢山です。

歴史と自然をまもる会
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4月6日(金)
武内宿禰の里と豊姫、壱岐真根子の終焉地 磐井の砦 桜見!
武雄の大楠、川古の大楠、鍋島家庭園桜、武雄市図書館(ツタヤ)など

申し込みは「歴史と自然をまもる会」の方へどうぞ^^




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by lunabura | 2018-03-19 21:00 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

ウーナ21天山5 広瀬天山神社 驚愕!安弘とは房前すなわち不比等の子だった!



ウーナ21

天山5 広瀬天山神社 

驚愕!安弘とは房前すなわち不比等の子だった!
 


『東松浦郡史』(大正14年)の広瀬の天山宮に「黒尾大明神」という末社のことが書かれている。

そこには、
藤原安弘があの房前(ふささき)公の諱(いみな)だ、と書かれていた
(驚愕)!!!

まさかのビッグネームの登場だ。
安弘とは、のちに内大臣になる房前のことだったのだ。

藤原房前の父は藤原不比等。その父は藤原鎌足だ。
房前は藤原四兄弟の一人なのだ。

公に出てこない歴史が当地にあったことになる。

「東松浦郡史」をまずは訳そう。

<黒尾大明神
 右は末社である。参議正三位民部内大臣藤原安弘がこの神で、天山宮の社司の祖である。すなわち房前公の諱(生前の実名)である。
藤原姓の祖とする神である。
天平神護元年(765年)(称徳天皇の)勅宣をたまわって、安弘公を黒尾大明神とした。>

藤原房前は681年生まれ、737年に56歳で薨去。
ここに天御中主命を勧請した701年は21歳の時になる。
この年、父・不比等は43歳。文武天皇は19歳。持統太上天皇は57歳。

房前はその直前に対馬で戦って勝利したことから、天山に関わってくる。

天山神社の由緒には「勅」という字がたびたび出てくるが、これは「天皇の命令」を意味する。

天山神社の三宮は、天皇家が格別な意味を持って勧請したことになる。
チェリーが指摘した強い意志は天皇家の意志と置き換えられる。


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中央の「晴気」はあとでラインに乗って来たが、意図してそのライン上に遷ったといえよう。

始まりは明星山と岩蔵、広瀬のラインだ。

明星山は「ひめちゃご」で散々調べた山だ。

くじらがコメントをくれた。
<新唐書に記述がある、『其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城。』
( 王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。)

矢野一貞は更に明星山の史跡につき、次のように述べている。
「上古、天津赤星が此の要害に拠る。
武内大臣久しく此山中にて西海を監護す。
筑紫君も代々当山に処る。」(ひもろぎ逍遥)

このふたつの文を見比べるに、明星山に天御中主を初代とし、
筑紫氏に至る、筑紫城があったのでは? という想いを抑えることが
出来ずに困っています。>


阿毎は阿倍と発音は同じで、阿倍磐井と通じる。
安曇族だ。
その安曇族は志賀島の沖津宮に天御中主を祀る。

佐賀の天山神社は明星山の神を引いている。
ただ、明星山の神は未詳だ。

しかし、佐賀の天山神社が当初、天御中主を祀っていたのだから、明星山には天御中主が祀られていたと推定できる。

驚きの連続だ。

そして、小城の「晴気」という所は天皇家がその価値を知っていて下賜した所となる。
晴気にはどんな価値があったのか。

現地入りが必要だが、おそらく鉱物資源や武器工房があったのではないか。
鉄、銅、金あるいは水銀か。
祀られる神が分かればある程度推測できるのではないかと思われた。





天山神社年表

690~697年 参議藤原安弘が対馬を奪おうとした敵を退治して晴気を褒賞としてもらう。(安弘は藤原四兄弟の一人、房前のこと)
701年 11月15日、藤原安弘は広瀬、本山、岩蔵に天御中主尊を勧請する。
702年 4月1日、岩蔵の北山の松に光が留まり、翌日水が湧き出し、東海から来た神という託宣があった。(岩蔵)
    10月15日 藤原安弘が天山池に蓬莱島を築いて天山神の上宮とした。(晴気)
    11月15日 弁財天が天山に飛来。烏帽子嶽に影向した。(晴気)
705年 広島の宮島から人が尋ねてきて光は宮島からと分かる。(岩蔵)
    10月天山大神宮とし、北山は天山岳と名付けた。(晴気)
1002年 烏帽子嶽の下宮を現在地に遷す。(晴気)



烏帽子嶽をチェリーが調べてくれている。現地の人が調べるのが一番良いのだが。




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by lunabura | 2018-03-10 20:28 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(7)

小城歴史講座 お礼と第1回歴史カフェ小城のご案内



小城歴史講座


お礼と第1回歴史カフェ小城のご案内





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あらまあ。







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ふふ♪


こんな幸せな会場で、歴史講座をしましたよ。

今日は初めて小城鍋島家Tenでのお話会。

武雄温泉、嬉野温泉、大町、唐津
など、神功皇后の足跡と天皇家を支えた武内家の話でした。

これらの歴史を地元の方々に伝えられて一安心です。

お話しをしながら、小城や佐賀の古代史、これからも
少しずつ解き明かして、地元の皆さんと共有したいという思いを持ちました。

小城鍋島家Tenは古民家というより武家屋敷なので何と呼んだらいいのだろう。
古いお屋敷は癒しの力をとても持っていました。
本物の木の床にも久しぶりに触れました。

そこに加えられたスタッフの愛情ある装飾ともてなし。
居るだけで活力が養われましたよ。


この会場で新たに歴史カフェを始めます。

小城市での歴史カフェは毎月第2土曜日。3時~5時です。
申し込み先も当ブログになります。
(小城鍋島家Tenでも受け付けてくださいます)

歴史カフェ小城の第1回は
  1部天山神社と奈良天河弁財天の整理(スポット)
  2部神功皇后伝承を歩く 豊浦宮から
です。
拙著『神功皇后伝承を歩く』上巻をお持ちの方は持参してくださいね。
無くても大丈夫です。


会費:1500円 (別途ドリンク代)

会場:佐賀県小城市小城町208-2 (おぎ市おぎ町)
小城鍋島家Ten
0952-72-5324

申し込み方法 どちらか選んでください
①「歴史カフェ小城414希望」と書いて、住所(番号は不要) 氏名 をご記入の上、メールでコチラに送ってください。
(コメントでハンドルネームを使われた方、よかったらそれもご記入くださいね♪)
メールはサイドバーの「メールはコチラ」からでも大丈夫です。

「一度参加された方」は、
メールフォームを使わずに綾杉の返信からお申し込みください。住所は書かなくても結構です。
申し込みがあれば必ず返信しております。返信が無い場合はブロック解除、あるいは「アドレス違い」がないか、調査をお願いします。

②小城鍋島家Ten 0952-72-5324 直接電話にて申し込み






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by lunabura | 2018-03-04 20:56 | Trackback | Comments(0)

ウーナ20 天山4 広瀬天山神社 祭神は天御中主尊だった



ウーナ20

天山4 広瀬天山神社

祭神は天御中主尊だった
 


今回は天山神社三社の西に位置する広瀬(唐津市厳木町)について、『東松浦郡史』(大正14年)を読んでみたい。

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驚いたことに、祭神がこれまでの二社と全く違っていた。
いったいどういうことだろうか。
まずはその記事を読んでみよう。

<天山宮 厳木村字広瀬
祭神 天御中主尊、稚産靈尊(わかむすび)、倉稲魂尊(くらいなだま)
天山嶽の麓、小城郡二社、松浦郡一社嶽の艮(うしとら)にある。 
祭日11月2日

記事にいわく、
そもそも人王41代持統天皇の御世に、鎮西に船が来て、対馬が異国風俗の者に奪われようとした。

そこで参議藤原安弘が勅命をたまわって退治した。この時、天皇からの恩賞として晴気の里を賜った。民は安弘の徳を慕って集まり、天山の下に住んだ。

そこで安弘は天御中主尊を天山の嶺に祠を建てて祀り、庶民の擁護と五穀豊穣を祈った。

そののち、文武天皇大宝元年(701)11月15日、安弘勧請の天御中主尊を広瀬、本山、岩蔵に勧請し、三か所を天山宮とした。山上を上宮、下を下宮と呼ぶ。>

このように広瀬の祭神は弁財天ではなかった。天御中主尊だったのだ。
藤原安弘が天山山頂に尊を祀り、広瀬、晴気、岩蔵の三社を下宮社とした。

これはいつのことか。
持統天皇の在位を調べると690~697年となっている。
この頃、対馬が異国人に奪われようとしたため、参議の藤原安弘が勅命を受けて敵を退治し、その褒美として晴気の領土をもらった。これを機に民が晴気に移り住み、民の安寧を祈願して天御中主尊や五穀豊穣の神々を祀ったという。

それから701年11月15日に、下宮三社を創立した。
この時までは天御中主尊が祭神だったことになる。

ところが、前回まで調べたように、702年に岩蔵で光と水と神託の奇跡が起こってから三女神信仰が加わった。こののち、人々の間では女神信仰が広まったのだろう。
いつしか、天山は三女神となり、弁財天となった。

しかし、厳木の広瀬天山神社にはその影響が及ばなかったのだろう。当初のままの神が祭祀されていると考えられる。

昔から天山の祭神の論争があったようで、<俗に弁財天と称するは非なり>とも書かれている。


晴気の里が褒賞だとすると、当時、何か産業があって大きな価値があったことが想像される。

持統天皇も、父の天智天皇が佐賀(田手神社)に来たことがあるし、本人も朝倉橘広庭宮に付いて来ていたはずで、この辺の土地勘があったと考えられる。

702年に起きた光と湧水と神託の奇跡がダイレクトに帝と持統太上天皇に届いて、その反応が早かったことを不思議に思ったが、藤原安弘が参議正三位民部内大臣で、天皇と直接会える身分だったことを考えると、当然の事となる。


予習してみると、想像だにしなかった歴史があった。
この話はその後のいろいろな事件を理解するための重要なキーワードになりそうだ。



年表
690~697年 参議藤原安弘が対馬を奪おうとした敵を退治して晴気を褒賞としてもらう。
701年 11月15日、藤原安弘は広瀬、本山、岩蔵に天御中主尊を勧請する。
702年 4月1日、岩蔵の北山の松に光が留まり、翌日水が湧き出し、東海から来た神という託宣があった。(岩蔵)
    10月15日 藤原安弘が天山池に蓬莱島を築いて天山神の上宮とした。(晴気)
    11月15日 弁財天が天山に飛来。烏帽子嶽に影向した。(晴気)
705年 広島の宮島から人が尋ねてきて光は宮島からと分かる。(岩蔵)
    10月天山大神宮とし、北山は天山岳と名付けた。(晴気)
1002年 烏帽子嶽の下宮を現在地に遷す。(晴気)




小城の天山神社三社に天河弁財天の年表を加えると、面白そうですね。
小城鍋島家Tenでの歴史カフェ第1回で整理しましょう。

それでは明日、佐賀の皆さん、お会いするのを楽しみにしています。





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by lunabura | 2018-03-03 20:54 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(6)
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