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ひもろぎ逍遥

タグ:佐賀県 ( 124 ) タグの人気記事

第2回小城 歴史カフェでした 



今日は小城鍋島家Tenでの歴史カフェ。
ご参加の皆様、ありがとうございました。

今日は藤原房前(ふささき)と持統天皇の話。
まさに、ここに房前は来た、という
当地だからこその臨場感があります。
やっぱりすごい所だったんだなあ。

お茶タイムの時、
天山に手を合わせているうちに不思議なことがあったという話を聞きました。

遠い飛鳥時代から現代に至るまで、
見えない力が働いていることを改めて知りました。

今日はスタッフの方に案内いただいて、
三つの天山神社下宮のうち、岩蔵と晴気(はるけ)に参拝しました。






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これは晴気に向かう道から見える天山の雄姿です。
左端のピークが天山です。

川沿いの道で、かつて天山に向かった道はここだったことを思い出しました。

画像など、少しずつUPしますが、七つの珠も積み残しで、
どちらを先にするか、悩みどころです。

次回は佐賀の女神たち、ヨド姫、トヨ姫、トヨタマ姫の話をします。
6月9日(土)です。
また、詳細をお知らせします。

20180312




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by lunabura | 2018-05-12 21:23 | 歴史カフェ | Comments(0)

明日は小城 日本遺産の条件



明日は小城 

日本遺産の条件
 

最近、歴史カフェや講座などの前日は他のテーマに触れないようにして、頭の中をシンプルにするように心がけています。

それで、動かすのは身体の方。
掃除をチョコマカやって過ごしました。

天山神社関連の話を明日もするのですが、実はまだ神社には行っていない。

現地入りせずに話をするのは初めてです。
そこで、明日は早めに出て案内していただくことになりました。

先月、帰る時に高速に向かいながら霧が晴れていく山里の景色をみました。
それがとても幽遠な風情だったんです。
いかにも日本の山里の原風景のような美しさでした。

藤原安弘は逆に、天山山頂の雲が降りてくるのを見たわけで。

地名を見ていると、八丁ダムや愛宕山という地名があるので、大体見当がつくのですが、持統天皇が何故ここを知っていたのか、謎が解けると面白いなと思います。

明日は日本遺産の勉強もするのです。

日本遺産はストーリー性を重んじ、一市町村で完結するケースと複数の市町村でネットワークを結ぶケースがあるようですが、それを考えているとどんどんと思考が広がってしまいます。

例えば、天山に飛んできた光は安芸の宮島から来た光で、それを追って来た人たちが宮島姓だと伝えていますが、その方たちが実際に住んであるそうです。

そうすると、市杵島姫つながりで宮島と結べます。

奈良の天河弁財天社から毎年参拝してあったことを確認できれば、弁財天つながりで天河と結べます。役行者が匂います。

空海が佐賀に寄港しているのですが、チェリーさんによると、空海の廟は天河の真西に鎮座するとか。ここも調べたら意外なものが出てくるかも。

さらには、三つの下宮社のライン上に乗ってくる明星山。これはどうも本来の祭神の天御中主命が関連する気配。滅んだ倭国の神。


記録されていた藤原四兄弟の房前の生前の名、そして忘れ去られていた十代の歴史。
持統天皇や文武天皇の勅命がどんどん届くことから、奈良との縁。

何処とつないでも「天山」の名にふさわしい広大なネットワークの姿が浮かぶのです。

日本遺産登録に必要な条件は「国指定・選定文化財」が含まれること。

でも一番必要なのは、地元の人たちの熱い思い。

歴史を知ってアイデンティティーを深め、熱い心で語り合うこと。

小城や厳木の人たちの心に火を点けたい。

何故かそう思われて仕方がないのです。






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by lunabura | 2018-05-11 22:22 | 「ウーナ」 | Comments(6)

第2回 歴史カフェ小城512のご案内  天山神社創建を喜んだ持統天皇



第2回 歴史カフェ小城

512のご案内

天山神社創建を喜んだ持統天皇



5月の第2回 歴史カフェ小城のご案内です。

タイトルは
1部:天山神社創建の人たち 
晴気の里を与えられた藤原房前 晴気の奇瑞を喜んだ持統天皇

2部:神功皇后の伝承
香椎宮への遷都
です。


<第1部>
三つの下宮が一直線に並ぶ不思議な天山神社。
その創建は701年のことでした。

その直前、持統天皇の御代に異国人が対馬に上陸しました。

持統天皇は藤原安広にその討伐を命じ、安広が討伐に成功すると、褒賞として小城市の晴気(はるけ)の里を与えました。

そして晴気で奇跡が起こると持統天皇は大変喜びました。

この持統天皇がまだ鸕野讚良(うののさらら)と呼ばれた頃、祖母の斉明天皇に付いて福岡に来て、草壁皇子を出産しています。

里中満智子の「天上の虹」の主人公として知られる鸕野讚良とは持統天皇のことです。



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また、天山神社を創建した藤原安広とは藤原不比等の子で、のちの房前のことです。藤原四兄弟の一人として知られています。

安弘は十代の時に船団を指揮して天皇の命令で対馬に向かったことになります。その祖父は藤原鎌足です。全く知られなかった十代の頃の歴史が佐賀に刻まれていました。

遠い奈良の人物と思われた持統天皇と藤原房前は佐賀や福岡でそれぞれ青春時代を過ごしたのです。

天山神社の創建に関わる二人について学び、天山神社と小城市晴気の歴史を探っていきます。


<第2部>
仲哀天皇と神功皇后が遠賀水軍の長・熊鰐の案内で遠賀川に至り、香椎宮に向かう道筋をパワーポイントで案内します。古代の歴史を画像で楽しみましょう。



小城では毎月、第2土曜日の開催を予定しています。

第2回 5月12日(土) 3時~5時

1部:天山神社 創建の人たち
2部:神功皇后の伝承  香椎宮への遷都

会場:小城鍋島家Ten 佐賀県小城市小城町208-2 0952-72-5324
会費:1500円(別途ドリンク代)

申し込み先:小城鍋島家Ten あるいは 当ブログ コチラへ

  当ブログに申し込む方は
①氏名(あればハンドル名)
②簡単な住所(例 小城市小城町)番号は不要です。
③「歴史カフェ512希望」
と書いてください。

『神功皇后伝承を歩く』の本を購入希望の方は「上巻」「下巻」を書いて、申し込みの時にその旨伝えてください。当日お持ちします。


歴史と自然をまもる会
バスハイクの旧記事はコチラ

5月18日(金) 安曇の里
申し込みは「歴史と自然をまもる会」の方へどうぞ^^


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by lunabura | 2018-05-11 09:43 | 歴史カフェ | Comments(0)

ウーナ37 持統天皇3 31度もの吉野行幸は占いや祈祷のためか



ウーナ37

持統天皇3

31度もの吉野行幸は占いや祈祷のためか
 



持統天皇が崩御する前年の701年に厳木町広瀬の天山神社は創建された。


実は、私自身が奈良の天河大弁財天社に行った時、宮司に「奈良吉野と同じ地名が佐賀にある」事を話すと、「毎年、佐賀の天山神社に参拝している」と伺った。

当時の私は天山登山を二度試み、一度目は霧で、二度目は突然の雷雨のために断念していた。

だから天山といえば登山のイメージを持っていたので、天山山頂だろうと思いこんだ。

天山神社には三つの下宮があることを今知って、いったい何処に参拝されていたのか、思いを馳せている。

天山(てんざん)と天河(てんかわ)の関わりは深い。

その天河は吉野にある。




さて、持統天皇の話に戻るが、天皇は自ら吉野行幸を行っている。生涯で31度もの吉野行幸を行ったという。701年も行われた。

吉野は夫の天武天皇が壬申の乱で逃げ込んだ時、持統天皇(讃良皇后)も随行した所だ。そこで、天武天皇は國栖(くず)から腹赤魚を献上されている。


そこで思い出されるのが「ひめちゃご」で登場した「釣殿宮」のことだ。

みやま市(旧山門郡太神)の「釣殿宮」は別名「腹赤宮」という。物部の天文観測所と思われるが、ここで景行天皇や天智天皇が漁師から腹赤魚を献上された。

この腹赤魚を見て喜んだ天智天皇は「毎年朝廷に献上せよ」と言い、のちには大宰府経由で節会(せちえ)に献上されるようになった。

節会では皆でそれを食す。

この腹赤魚とはウグイのことだが、この魚を天智天皇が何故それほどに喜んだのか。その謎は読者の方々からいただいた数々のヒントで解けた。

腹赤魚という名は産卵期になると腹が赤くなることからついている。

この腹赤魚は北天に出る赤いオーロラ(赤気)の象徴だったのだ。

北天は天帝の座、紫微宮とされている。
そこに出る赤いオーロラは、天帝による「天皇即位を許可する知らせ」のシンボルと解けたのだ。








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天武も持統も筑紫にいて、天智の即位の状況を見守っていて、腹赤魚の意味を良く知っていたはずだ。

だから、逃げ込んだ吉野で国栖(くず)に腹赤魚を献上された時、すぐに意味が理解できたのだ。「天皇即位の許可は我に下りた」と。


筑紫と奈良に共通するのは「国栖」の存在だ。国栖は福岡では河童と呼ばれた氏族だが、天文観測に長けていて、占星術が出来たという。
 

國栖は占星術により、壬申の乱が天武天皇の勝利になると読み、「腹赤魚の献上」によって結果を知らせたのだろう。浄御原神社では今でもウグイが献上されている。




天武天皇の崩御後、愛する草壁皇子も失い、政争に明け暮れる朝廷にあって、持統天皇は生きていく術を占いに求めたのではないか。

そして、さらに修験者に出会い、祈祷を頼みにして吉野行幸を繰り返したのではないか。

自分の犯した罪、父の犯した罪、などなど、神道には存在しないカルマの思想も学んだことだろう。

自分の死後、天皇初の火葬を望んだのがその証拠だ。

この時代、役行者も生きていた。701年に大赦を受けているのも、持統天皇の判断による可能性も考えたい。

次々に襲ってくる困難を国栖や修行僧の占いと祈祷で、乗り切ろうとする一人の女性の細い肩が浮かんでくるのである。

それが31度もの吉野行幸の目的であると考える。


<20180505>


異世界小説 




歴史カフェ小城
第2回 5月12日(土) 3時~5時
1部:天山神社 創建の人たち
2部:神功皇后の伝承  香椎宮への遷都

会場:小城鍋島家Ten 佐賀県小城市小城町208-2 0952-72-5324
会費:1500円(別途ドリンク代)
申し込み先:小城鍋島家Ten あるいは 当ブログ コチラへ
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①氏名(あればハンドル名)
②簡単な住所(例 小城市小城町)番号は不要です。
③「歴史カフェ512希望」
と書いてください。

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5月18日(金) 安曇の里
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by lunabura | 2018-05-05 21:11 | 「ウーナ」 | Comments(2)

ウーナ31 持統天皇は筑紫で出産 中大兄皇子は普通に即位していた!



ウーナ31

持統天皇は筑紫で出産

中大兄皇子は普通に即位していた!
 

 
中大兄皇子は白村江戦の時、天皇の地位にあったはずですが、
日本書紀の天智紀に「称制」と書いてあるので、
天皇代行のまま即位しなかったと解釈する人が殆どです。

しかし、「太歳」という即位前後に行う暦制選定儀式を行っているので、
「称制」は斉明天皇の崩御年だけで、
年が明ける前、みやま市(旧山門郡)の太神宮で日々祈ったあと、
翌年には即位している。

そういう話を歴史カフェなどでしたのですが、
今日、持統天皇紀を読んでいると、
「持統天皇は天智天皇元年に草壁皇子を大津宮で出産された」と書かれていて、
天智天皇元年=662年となり、
やはり中大兄皇子は普通に即位していたことが判明しました。

なんだ。
やはり一部分だけで解釈するのは良くないですね。

また、「大津宮」とは「娜の大津」ということなので、
(通説=高宮、真鍋説=那珂川)
持統天皇は筑紫で草壁皇子を出産したということになります。

佐賀の天山神社の奇瑞を何故、持統天皇は敏感に反応するのかな、
そういう観点で調べていて、
まずは斉明天皇や父の中大兄皇子に付いて朝倉に来て、
筑紫や佐賀の土地勘があっただろうと書きましたが、
やはり、滞在は少なくとも2年以上、
しかも白村江の敗戦のトラウマを持っていることは間違いないなと
思いました。

この時の持統天皇の名は鸕野讚良(うののさらら)で、
夫は大海人皇子です。
657年に13歳で嫁ぎ、出産は18歳。

そのあと壬申の乱に巻き込まれたり、
草壁皇子がわずか25歳で亡くなったりするのですから、
悲しみの多い、波乱万丈の人生だったようですね。

<20180415>

分類に悩んだけど、天山つながりで、<ウーナ>に。


歴史カフェ福津
4月29日(日)第18回 2時~4時
「消された大王 アントンイソラ
安曇姓とアベ性の王たちは日本書紀から封印された」
詳細は コチラ 過去記事はコチラ

歴史カフェ小城
5月12日(土)第2回 3時~5時
1部:天山神社創建の人たち 藤原房前・持統天皇など
2部:神功皇后の伝承
申し込みはコチラへ    
第1回詳細はコチラ
会場:小城鍋島家Ten

歴史と自然をまもる会
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5月 安曇の里



 



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by lunabura | 2018-04-15 21:54 | 「ウーナ」 | Comments(0)

小城での第1回 歴史カフェでした



小城での第1回 歴史カフェでした


今日は雨。
天山の話だから龍神さまですよ、と言ってくださった方もありました。
かつて天山登山にチャレンジした時も2回とも雨か霧だったので、何故か現地に入れない、るなでございます。

今日は第1回目の小城鍋島家Tenでの歴史カフェ。
現地の方に現地の神社縁起を話すという体験はとても喜ばしいものです。
参加の皆様ありがとうございました。

三つの天山神社の由緒を時系列に並べてみると、
この小城と皇室がダイレクトに繋がっていることをさらに強く感じました

次回は創建に関わった藤原房前や持統天皇など、同時代に生きた人たちの略歴を学んで、晴気の里の重要性にアプローチできたらと思っています。


高速道路も小城にスマートインターが3月に出来て、カードがあればダイレクトに乗り降りできるようになりました。
霧がかかる美しい山里を降りていきます。
早く現地調査したいですね。

歴史カフェ小城の2回目は5月12日(土)です。


さて、今から福津の歴史カフェの準備です。
今回は流れをパワーポイントで追ったあと、
『高良玉垂宮神秘書』を読み合わせしていこうかなと思っています。

今日も、原文を綾杉訳ではありますが、皆さんと読んでいると、原文の持つ力というものを強く感じました。

あれこれと説を説くよりも「読む」という体験は、縁起の持つ力をダイレクトに伝えてくれます。

この感覚を『神秘書』でも体験したいと思います。

「玉垂命とは誰か」「玉垂宮とは何か」
それがダイレクトに書かれた文章を読む。
想像すると、ワクワクしてきます。


それと、5月のバスハイクでは宮地嶽古墳の中に入る許可をいただきましたよ。
ネットの公開日が楽しみです。


歴史カフェ福津
4月29日(日)第18回 2時~4時
「消された大王 アントンイソラ
安曇姓とアベ性の王たちは日本書紀から封印された」
詳細は コチラ
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歴史カフェ小城
5月12日(土)第2回 3時~5時
1部:天山神社創建の人たち 藤原房前・持統天皇など
2部:神功皇后の伝承
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会場:小城鍋島家Ten

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5月 安曇の里





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by lunabura | 2018-04-14 21:33 | 歴史カフェ | Comments(0)

第1回 歴史カフェ小城 何と!天山神社は「日本遺産」レベル!



第1回 歴史カフェ小城 

何と!天山神社は「日本遺産」レベル!



今週末、4月14日に小城鍋島家Tenで歴史カフェ第1回を開催します。
2部構成にして、第1部は天山神社、第2部は神功皇后の伝承を話します。

第1部の構成は次のようになります。

三つの天山神社の始まり 年表を作ろう 祭神の変化
1章 広瀬 天山神社 
2章 黒尾大明神(九郎)は藤原安弘(房前)藤原四兄弟の一人
3章 岩蔵 天山神社
4章 晴気 天山神社
5章 奈良 天河大弁財天社
6章 年表

資料を作っていて、これは「日本遺産」レベルだ!!
という気持ちがあふれて来てやまないんです。

「世界遺産」に対して「日本遺産」はストーリー性が重んじられます。
以下は文化庁による定義です。HPより。


「日本遺産(Japan Heritage)」は(地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。

ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を,地域が主体となって総合的に整備・活用し,国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより,地域の活性化を図ることを目的としています。
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/nihon_isan/



天山神社が創始されたのは701年。
その時の状況がきちんと残っていて、ストーリー性が高いです。
しかも、広島の宮島とも繋がっています。

 この歴史を掘り起こして日本に発信することはとても有意義です。
小城は観光地ですが、皆さん、歴史興しに積極的です。

歴史カフェ小城では、皆さんに「日本遺産」への取組みも推奨してみたいと思います。

そこで、今回は「年表づくり」をテーマにしました。

天山三社の縁起を調べながら年表を作りましょう。
(私が既に作っているので、確認作業になりますが♪)

また、第2部は拙著を資料として、一番目の豊浦宮から解説していきます。

豊浦宮は現在、忌宮神社といいます。シルクが伝来した所でもあります。吉野ケ里の古代絹のエピソードなども交えてお話ししていきます。
こちらはパワーポイントで画像を楽しんでください。




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歴史カフェ小城 第1回
4月14日(土)3時~5時 会場:小城鍋島家Ten
1部:天山神社の始まり 2部:神功皇后の伝承 豊浦宮から
申し込みは直接、小城鍋島家Ten、あるいは当ブログコチラへ
詳細はコチラ

歴史カフェ福津 第18回 予定(明日10日に決定します)
4月29日(日) 2時~4時 会場:福津市中央公民館
消された大王 アントンイソラ
―安曇と阿部(阿倍)姓の王たちは日本書紀から封印されたー

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5月  安曇の里





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by lunabura | 2018-04-09 20:26 | 歴史カフェ | Comments(0)

バスハイク12回武雄行ってきました



バスハイク12回
武雄
行ってきました



今日は雨の予報でしたが、予定通り、バスハイクで佐賀に行ってきました。
高速では土砂降りのエリアもありましたが、
杵島郡の福母八幡神社に着いた頃には小雨になっていました。

境内の楠の木がとても神秘的でみんな歓声を挙げていました。

雨の日の神社参拝はあまりしないので、
しっとりとした美しい風情の魅力を改めて知った思いです。




武雄神社や磐井八幡宮など、武内宿禰、磐井一族、
大伴氏、物部氏、平群氏などの痕跡を辿りました。



雨の日の画像は暗いので、写真を撮らないつもりが
やはり撮ってしまいたい美しさ。

でも、やっぱり画像処理が必要なほど暗くて、投稿できません。
午後から少し明るい画像が撮れました。










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唐津 玉島神社 磐座


今日も、四国から飛行機で参加される方がありました。
三度目です。ありがとうございます^^




次回はいよいよ安曇の里。
遠方の方も一日で回れる魅力的なコースになりますよ♪

歴史と自然を守る会が広報されたあとに、お知らせします。




歴史カフェ小城
4月14日(土)第1回 3時~5時 会場:小城鍋島家Ten
1部:天山神社の始まり 2部:神功皇后の伝承 豊浦宮から
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5月  安曇の里





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by lunabura | 2018-04-06 20:25 | バスハイク | Comments(2)

平群氏が糸島と武雄に展開する謎



平群氏が糸島と武雄に展開する謎




明後日のバスハイクで武雄神社に参拝するのですが、
その下宮に平群木莵(へぐりのつく)が祀られています。

武雄神社の祭神が武内宿禰なので、
その第4子に当たる平群木莵が祀られているのは
不自然なことではありません。

武雄神社の祭祀の始まりは神功皇后時代で、
御船山に武内宿禰が祀られるようになります。

武雄の湊の経営を第4子に任せたのかもしれません。

対岸の風浪宮では安曇磯良が第1子に湊を任せているのと同じです。


この平群木莵は糸島の宇美八幡宮でも社家として80代以上になります。
現在の姓は武内姓です。

武内宿禰が平群氏に妻問いして生まれた男子が平群木莵ということでしょう。

それでも、糸島と武雄にその名を見つけたのは驚きでした。
ずいぶん離れている感じがします。



そこで思い出したのが、真鍋の記録。
平群氏は脊振山系と志摩山系を治めて北方貿易を掌握していたとあります。
(儺の国の星p200)

そうすると、糸島の宇美八幡宮も地理的に妥当なことになります。

真鍋は他に、太宰府を支配していたのは平群氏とも書いています。(拾遺p108)

太宰府と平群氏の関係は未調査ですが、佐賀に来ると大宰府の話が結構出てきます。
その長クラスの経済が直結している印象があるのです。

「武内宿禰が大宰府にいた」という話が佐賀に出てきます。
今は断片が出て来た所です。
これがつながると面白いですね。
備忘としてメモっておきましょう。

<20180404>



宇美八幡宮 『神功皇后伝承を歩く上巻』32






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(武雄の大楠♪)





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4月6日(金)武内宿禰の里と豊姫、壱岐真根子の終焉地
磐井の砦 桜見! 残席あり
歴史カフェ小城
4月14日(土)第1回 3時~5時 会場:小城鍋島家Ten
1部:天山神社の始まり 2部:神功皇后の伝承 豊浦宮から
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by lunabura | 2018-04-05 00:06 | メモ | Comments(0)

一部咲き





桜の満開の便りがアチコチから届いていますが、
福岡は一部咲きという感じ。
見頃は今週末になりそうです。






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(3月25日)


さて、今日は気持ちを切り替えて、佐賀の天山の資料作り。
読者の方から厳木(きゅうらぎ)の天山神社の掲示板の画像を送っていただいたので、それを見ると、中宮もあることが書かれていました。


三社の縁起をまとめてみると、意外にもボリュームがあって、
スポット講座では済まない感じになってきました。



謎を解くと、次の謎が出てくるような印象です。

持統天皇が何故喜んだのか。
そういうことが分かると面白いですが、謎は深いです。

それでも、この天山の話を是非とも地元の方々に伝え、
その深い歴史を掘り起こしていただく機会になればと思いました。




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by lunabura | 2018-03-26 23:06 | 歴史カフェ | Comments(2)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25

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