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ひもろぎ逍遥

タグ:北九州市 ( 31 ) タグの人気記事

18回 バスハイク いよいよラスト回は小倉、門司、下関へ



18回 バスハイク 

いよいよラスト回は小倉、門司、下関へ




神功皇后伝承を伝える宮々を巡る旅が12月6日(木)にありますが、ついにラストの回を迎えます。

ラストというのは、拙著『神功皇后伝承を歩く』で選出した100社が基準です。

これまで福岡と佐賀を巡りましたが、まだまだ長崎(壱岐・対馬)にも多くの伝承地が残されているんですね。

主催の「自然と歴史をまもる会」は、九州と山口位が対象のエリアとなります。
今回、回る所です。

① 96篠崎八幡神社 神功皇后は皇子を立たせて「穴門は近し」と群臣に言った
② 91到津八幡神社 小倉北区上到津 神功皇后の御座船が港に着いた

③ 99甲宗八幡宮 門司区旧門司 三韓からの朝貢船が門司ケ関に泊まった
④ 100和布刈神社 門司区門司 神功皇后は比売神と安曇磯良たちを祀った

  唐戸市場(昼食)

⑤ 彦島八幡宮 下関市彦島迫町 伊都県主五十迹手がここに迎えに来た
⑥ 宗像ユリックスプラネタリウム  古墳広場 久原古墳群

小倉北区と門司区を回り、関門海峡を越えて伊都国から五十迹手(いとて)が迎えに来たという彦島へ。
ここで「神功皇后伝承のたどる旅」のラストを迎えます。特段、イベントはありませんが…。

この「彦島」日本書紀では「引島」の名で出てきます。
この伝承による地形の変化の話などは、ブラタモリで聞く話と重なって面白いです。
ちなみに、ルナブラの名はブラタモリの前に付けましたよ♪

さて、お昼ご飯の楽しみは人気の高かった唐戸市場です。

門司で団体で食事をするところが見当たらないので、海を越えて行きます♪
海といっても、アレですが^^

ここは最初にバスの運転手さんが連れていってくれたのですが、それを知らなかった参加者の方がわざわざ私に「ありがとうございました」と言われたほど(汗)
もちろん、お礼なら運転手さんに、と伝えましたが(笑)

で、天神に戻りながらプラネタリウムに案内します。
私の大好きな世界へという訳です。

真っ暗になって星が現れます。
毎晩見上げる福岡の空の星がでてくるのです。
それを生で解説され始めると、涙が…。とても感動的です。



さて、参加希望の方は直接「自然と歴史をまもる会」へ電話で申し込んでください。
ネットには申し込み期日が書かれていますが、前日でも大丈夫です。
空きがあれば行けます。キャンセル待ちも確立高いです。

飛行機で飛んでくる方も時々あります。


申し込みは 092-408-7140(火曜日~金曜日)
歴史と自然をまもる会まで



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by lunabura | 2018-12-05 23:01 | バスハイク | Comments(0)

やっぱり、ティラノサウルスかな




良いお天気に恵まれてバスハイクを案内してきました。
北九州市の八幡区や山鹿半島。

熊鰐(くまわに)の居館あとを中心に回ってきました。

午後からは「いのちのたび博物館」や狩尾岬へ。









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う~ん。
やっぱりティラノかな。

これが一番撮りたかった^^




20181115






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by lunabura | 2018-11-15 21:05 | バスハイク | Comments(0)

17回バスハイクは八幡区 再び熊鰐の里へ



17回バスハイクは八幡区 

再び熊鰐の里へ



2018年11月15日(木)のバスハイクのスケジュールです。

主催はいつものように『歴史と自然をまもる会』で、神功皇后の足跡を拙著を基本に回っていますが、百社の内、あと十社ほどを残す所となりました。

一日で十社は無理なので、二回に分けて、今回は八幡(やはた)を中心にまわります。



神功皇后は再び北九州に戻ってきますが、熊鰐が皇子の衣装を準備して迎えました。今回は熊鰐の居館があった仲宿八幡宮、お礼に祀った豊山八幡神社、皇后を守って武内宿禰が陣営を張った旗頭神社、香坂王たちとの戦いに向けて祈った熊野神社、皿倉山から戻って乳を与えた乳山八幡宮を訪問します。

また恐竜の骨格が展示された、歴史資料館がある「いのちのたび博物館」に行き、帰路に千畳敷の遊歩道、天智天皇の狩を伝える狩尾神社に寄りましょう。

天神  
①97熊野神社 謀反を聞いて皇后は皇子の安泰を祈った
②94旗頭神社 武内宿禰がここに陣営を敷いた
③92仲宿八幡宮 神功皇后は熊鰐の館で中宿りして忌籠りをした
④93豊山八幡神社 神功皇后は熊鰐から皇子の御衣を贈られた
⑤95乳山八幡宮 神功皇后は皇子に乳を与えた
⑥いのちのたび博物館
⑦ 狩尾岬  なみかけ遊歩道20分 
⑧ 狩尾神社 天智天皇の狩り場跡
天神 
(社号の前の番号は『神功皇后伝承を歩く』の下巻の番号)

北九州での拠点は熊鰐の館があった「仲宿神社」で、そこで帆船の帆柱が折れていたので修理をしたことを伝えていました。

仲宿神社の近くに「いのちのたび博物館」があるので、恐竜が楽しみですが、3階には歴史ゾーンがあります。

ここに岩戸山古墳の土器があって驚きました。皆さんに見ていただきたいのです。


最後に天智天皇ゆかりの狩尾岬に行き、波しぶきを浴びるかもしれないウォーキングをします。以前行った洞島が見えるので、皆さんのリアクションが楽しみです^^

『歴史と自然をまもる会』の方の申し込みが終了した段階で座席が余っていたら、どなたでも参加できます。4000円です。別途入館料徴収です。

問い合わせは
一般社団法人 歴史と自然をまもる会
電話&FAX 092-408-7140
メール  info@rekishi-shizen.com











20181105





by lunabura | 2018-11-05 20:22 | バスハイク | Comments(0)

洞(くき)と企救(きく)の地名の由来



洞(くき)と企救(きく)
の地名の由来


北九州市に「くき」と「きく」という間違えやすい地名があります。

洞海湾を昔は「洞の海」と書いて「くきのうみ」と呼んでいました。
また、その東にある企救半島は「きく」と読みます。
菊や聞の字を当てるケースもあります。

「くき」の海と「きく」半島の地名の由来は
「北斗七星」から来ていると真鍋大覚は伝えています。


「北斗七星」を「規矩の星」(きくのほし)と呼ぶ集団がいました。
中国語で「規」とはコンパス、「矩」とはサシガネ(L字型定規)のことです。








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北斗七星の柄をサシガネに見立て、
マスの部分をコンパスで描いた円に見立てたのです。

そのサシガネと円の形を洞海湾と企救半島に重ね合わせた結果、
クキとキクという表現が生まれました。

洞海湾と企救半島に地名がまだ無い時代、
北斗七星になぞらえて表現した訳です。

サシガネとコンパスはいつの時代からあるのでしょうか。

伏羲(ふっき)と女媧(じょか)は
中国神話に出てくる「人類を創造した神」ですが、
女媧の手にはコンパス(規)、伏羲の手にはサシガネ(矩)があります。

太古からこの二つの製図道具があった証しです。

北斗七星は北にあるので、南に住む人が名付けたことになりますが、
真鍋は宇佐からの見立てだと言います。

宇佐に住む集団が北斗七星を見て、規と矩を連想し、
宇佐の北にある北九州市の地形を呼ぶとき、
洞海湾はサシガネのように細く曲がった地、
企救半島は円の中に入る地、
そんなイメージを持って、北斗七星の印象を重ねたということになります。

「キ」と「ク」だけでは分からないので、
「キクのキ」「クキのク」と強調表現をしたのでしょう。

新羅が攻めてこないように、関門として、北斗七星を並べたそうです。
北斗七星(規矩の星)の守護を願ったのでしょうか。




<2017年3月19日>

※ コメント欄が現在使えないようです。連休明けに直るかな? (´-ω-`)


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by lunabura | 2017-03-19 21:42 | <地名の由来> | Comments(2)

北九州の豊かな自然を楽しんだ



北九州の豊かな自然を楽しんだ



12月2日の洞海湾沿いのバスハイクは天気に恵まれました。

かつて参拝した神社でも、アプローチの方角が違うと全く違う顔を見せます。

取材の時には縁ごと、バラバラに探査するので全体像はよく見えないのですが、
今回のように洞海湾に絞って回ってみると、
遠賀水軍の長である熊鰐一族がどのように洞ノ海(くきのうみ)を
掌握したのか、かなり体感することができました。


今回、心に残ったのは北九州の自然の豊かさ。
特に、山沿いの神社の杜は深く、植物相が豊かに残されています。









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最初に行った一宮神社(上巻2)の磐境神籬は神秘的な世界。

朝という時間帯は格別で、異次元への祈りの場として、
聖地のパワーを今なお留めていました。

ここに神武天皇が立ち、神功皇后も立った。

そんな場所がそのままの地形で残されています。
福岡はこんな聖地が自由に参拝できて、素晴らしいなとよく思います。

太陽の方角から、この天円地方は南に向いている印象を受けました。








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勝山勝田神社(上巻3)は深い森が、参拝者の心を癒します。










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飛幡八幡宮(上巻6)は前日、戸畑祇園大山笠が世界遺産に登録されたばかり。
晴れの日に参拝です。











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お昼ご飯は高塔山。
熊鰐一族がここから出入りする船を見張っていたのが良く分かりました。











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若松恵比須神社(上巻7)は、おえべっさんの縁日!
くじに当たった人もいましたね^^




魚鳥池神社(上巻8)や貴船神社(上巻9)では標高から
古代の海の地形を想像。







芦屋歴史民俗資料館で縄文のシャーマンを見学して、
近くの洞山(どうのやま)で磯歩きをしてきました。









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「足場が悪いから、不安な人は待っていてください」
というと、
「そう言われたら(じっとしておれん)」
とワンパク時代の心が蘇り、
全員が凸凹の荒磯を歩いて大きな穴を見学。







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ここにも神功皇后の伝承がありました。


山あり、海あり、の北九州!
その魅力を満喫するバスハイクでした。




私の新しいカメラは知らないうちに動画になって、
足ばかり写っていて、びっくらこん。(;’∀’)

動画ボタンがすぐ横にあった(´・ω・`)

少しずつ親しんで行こうと思います。








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by lunabura | 2016-12-04 20:10 | バスハイク | Comments(0)

白鳥座 規矩星 きくのほし



白鳥座

規矩星(きくのほし)






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<「さきくさ」は聖書の百合であり、天文学でいう星座の白鳥キグナスであった。

古事記允恭記には木梨軽皇子(きなしかるのみこ)と
衣通郎女(そとおしのいらつめ)の名が見える。

白鳥座の古名は十薹星(そとうのほし)、木梨星(きなしのほし)、
軽子星(かるのほし)などがあった。

機久(規矩・木魂)星(きくのほし)。物干し竿を衣透(そとほし)といった。

星は記紀の頃にはすでに古人の心に身に溶けてしまって、
表にはもはや出てこなかったのである。>

『儺の国の星』p188


白鳥座もまた見る人によって異なる物語を持っていました。

『古事記』の衣通姫、軽大郎女は同じ人で、
白鳥座の名を持った人ということになります。
でも、『古事記』の時代には星の意味は忘れ去られたようですね。




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(画像出典 ウィキペディア)

白鳥座を規矩(きく)の星とも言ったそうです。

確か、規矩の星と言って北斗七星を指すという話も載っていたと思います。

さて、企救(きく)国は白鳥座なのか、北斗七星なのか。
どっちかな。



以下はウィキペディアから。

衣通姫(そとおりひめ、そとおし-)は、記紀にて伝承される女性。衣通郎姫(そとおしのいらつめ)・衣通郎女・衣通王とも。大変に美しい女性であり、その美しさが衣を通して輝くことからこの名の由来となっている。本朝三美人の一人とも称される。

『古事記』には、允恭天皇皇女の軽大郎女(かるのおおいらつめ)の別名とし、同母兄である軽太子(かるのひつぎのみこ)と情を通じるタブーを犯す。それが原因で允恭天皇崩御後、軽太子は群臣に背かれて失脚、伊予へ流刑となるが、衣通姫もそれを追って伊予に赴き、再会を果たした二人は心中する(衣通姫伝説)。




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by lunabura | 2016-10-29 20:06 | <星の和名・天文> | Comments(0)

「規矩県主・耳熊丸」と「企救の重留遺跡」の広形銅矛はどうなんだろう。



「規矩県主・耳熊丸」と「企救の重留遺跡」

の広形銅矛はどうなんだろう。



さて、先日「いのちのたび博物館」に出向いたのは
「企救の国の青銅器文化」展があっていたからだ。

北九州から巨大な銅矛が出土した。


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これはそのチラシ。
卑弥呼の時代だ。
この時代は銅矛がここまで大きくなっている。

約85センチだったと思う。
このサイズだと、もう女性では簡単に抱えられない。
持つとき、必ず刃の部分を支えないといけないので危険だ。

だからなのか、刃の研ぎ出しはしていないようだ。

北九州で出土した銅矛は出雲のそれとサイズも似ている印象だが、
出雲の剣身に見られた矢羽のような研ぎ出しは見当たらない。

これが住居の隅に一本だけ埋納されていたという。
何度か使用しては埋め戻していた痕跡があるそうだ。

この地域は「企救(きく)郡」があった所なので、
「企救国」が想定され始めている。



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「企救」で思い出すのは、ここに県主(あがたぬし)の名が
伝えられていることだ。

その名を「耳熊丸」という。





拙著『神功皇后伝承を歩く』下巻をお持ちの方は96番を見てほしい。





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神功皇后は京都郡(みやこぐん)の生立八幡神社(おいたつ)から
何処に向かったのか、
海上の行き先を探していたとき、次の伝承を知った。


「豊前国の葛城藤丸と規矩(きく)県主の耳熊丸は
神功皇后を筑豊の境に迎えに行った。」


寒風の吹く冬に船を仕立てて皇后たちを迎えにいった人たちの名が伝わっていた。

葛城藤丸。
規矩県主の耳熊丸。

この名は記紀には出てこないが、篠崎八幡神社に伝わっていた。
(小倉北区篠崎)

もともと高尾山の麓に鎮座していたのが、現在地に遷宮している。

この耳熊丸と同時代に生きていたのが

岡県主の祖の熊鰐であり、

伊都県主の祖の五十迹手(いとて)だ。


耳熊丸は紫川流域、
熊鰐は遠賀川流域と棲み分けていたのか。


「きく」は企救、規矩、菊とも表記される。
「企救国」が想定されるなら、この耳熊丸が治めていたと考えられる。

「きく」で思い起こすのは菊物部という名称だ。
耳熊丸が物部かどうかは分からない。

ただ、一緒に出て来た葛城藤丸は葛城氏だ。
篠崎八幡の葛城小藤丸は葛城襲津彦の末裔だという。

そして、時代は違うが、中大兄皇子の諱(実名)は葛城皇子だ。

こう連想すると、当地には物部氏、葛城氏のいずれかの
リーダーの存在が考えられる。


重留遺跡のすぐ北にある「城野遺跡」には
伊都国の平原遺跡と同様の「方形周溝墓」が発見されていた。


2基の石棺には水銀朱が塗られ、子供が埋葬されていたという。

規模は城野の方が大きいそうだ。

棺が平原遺跡は割竹木棺なので、こちらが石棺なのは興味深い。

しかも、水銀朱愛は同じ。

この城野遺跡は国有地だったのが、民間企業に売却されてしまったそうだ。
実に惜しい。
が、まだ間に合うはずだ。



この重留、城野遺跡と篠崎八幡神社の距離は2キロ未満だ。
その元宮と遺跡の関わりは深い。

これを探っていくことで、
企救国の古代が立体的に描き出せる予感はするのだが。

いちブロガーではどうにもならない。






「企救の国の青銅器文化」2016年11月6日(日)まで。
いのちのたび博物館
北九州市八幡東区東田2-4-1 スペースワールド駅下車






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by lunabura | 2016-10-28 21:03 | <遺跡・史跡> | Comments(4)

いのちのたび博物館 恐竜がいっぱい sanpo



いのちのたび博物館

恐竜がいっぱい




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でか(;゚Д゚)











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すごすぎ。(;’∀’)
画面に入らない。











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どれも全身骨格?

数も半端ないっす。

これが何と常設展示。



え?
ホントは「企救の国の青銅器文化」展(~11月6日)
を見に来たんですがね。

なかなか行きつかないのです。(^^;

たのしい~~~




いのちたび博物館
北九州市八幡東区東田2-4-1









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by lunabura | 2016-10-23 20:49 | <歴史資料館・博物館> | Comments(0)

バスハイクのお知らせ 12月2日 「洞ノ海 魚鳥池」 


バスハイクのお知らせ 
12月2日 (北九州市)

「洞ノ海 魚鳥池」 




「歴史と自然をまもる会」のバスハイクのご案内です。

12月のバスハイクは「神功皇后の足跡をたどる②」で、
北九州市の洞海湾の湾岸地域をまわります。

1.一宮神社(上巻2)八幡西区 熊鰐一族が守った神武天皇の岡田宮跡 磐境神籬
2.勝山勝田神社(上巻3)八幡西区 大倉彦の領地 竹竿供出
3.飛幡八幡宮(上巻6)戸畑区 仲哀天皇が祈った千曳の岩
4.若松恵比須神社(上巻7)若松区 武内宿禰が祈った光る石
5.魚鳥池神社(上巻8)若松区 神功皇后の船が立ち往生した洞ノ海あと
6.貴船神社(上巻9)若松区 船留の松 神功皇后が貴船の神を祀った
7.芦屋歴史の里 山鹿貝塚 赤ん坊を抱いた縄文人

山鹿半島は、かつては島で、
陸との間の穏やかな海を「洞ノ海」(くきのうみ)と言いました。
今は洞海湾(どうかいわん)と言いますね。

この海域で船団を組織し、造船をして修理もしていたのが
岡県主(おかのあがたぬし)の祖(おや)である熊鰐です。

遠賀水軍の長と言われています。

当ブログではよく登場しましたね^^

豊浦宮(下関)から周防にいったん疎開していた
仲哀天皇と神功皇后を熊鰐は迎えにいきます。

その途中から天皇と皇后は別の船に乗って遠賀川に向かいます。

皇后の船が魚鳥池(ぎょちょうがいけ)で立ち往生した話が
『日本書紀』に載っていますが、
その現場が田んぼになって残っています。

その周囲の神社も廻っていきます。

勝山勝田神社と貴船神社は水の神様をまつるので、
独特の神秘性があります。
私ももう一度行けるのが楽しみです。

最後に時間があれば「芦屋歴史の里」で縄文人の埋葬復元を見ます。
二人の女性が赤ん坊を挟んで眠っていますが、
その胸には大きな緑の石がかけられていました。
北九州の歴史を知りたい人必見の資料館です。

拙著『神功皇后伝承を歩く』上巻の2~9までのうち、
6社をまわります。

申し込みは「歴史と自然をまもる会」までどうぞ。
http://rekishi-shizen.com/

2016年12月2日(金)
天神8:30出発です。

(第一回は弁当を作って持っていったのですが、
唐戸市場に行ったので、海鮮丼を買って食べちゃいました。
自分の弁当はお持ち帰りです( *´艸`)

今度もおいしそうな所に連れていってもらったら、やばいから
弁当なしで参加します。

もちろん、歴史の案内は私がします!)



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by lunabura | 2016-10-20 20:41 | バスハイク | Comments(0)

ひめちゃご20 天智ゆかりの二社 狩尾神社 厳島神社



ひめちゃご20

天智ゆかりの二社 狩尾神社 厳島神社
 




今日は調べものをしていると
何故か、天智天皇関連の神社が新たに二つ出て来た。
北九州市の狩尾神社と朝倉市の厳島神社だ。

狩尾神社は山鹿半島の西部、狩尾岬にある。
「千畳敷」という、面白い岩盤の海岸があるので、
バスハイクの時間調整の候補としてリストアップしたのだが、
道を覚えておらず、確認していてヒットした。

社号の「狩尾」は山城国岩清水の狩尾神社を勧請したとあるが、
天智天皇がここで狩をしたことが由来するともいう。
主祭神は大国主命。

狩をするほどなので、磐瀬宮での滞在時間は長かったのだろう。

現地には岬をまわる「なみかけ遊歩道」があって、
潮風の中の楽しい散歩道となっている。

潮が満ちていたからか、全く記憶にない風景だった。
しかもカメラ忘れ。

狩尾神社はすぐに分かったが、長らく人が足を踏み入れていない気配で、
参拝を遠慮した。

どうしても風景が記憶に合わず、後で調べると、
やはり場所が違っていた。

ということは千畳敷という地層はかなり広く分布していることになる。
地球のダイナミックな動きが目に見える響灘(ひびきなだ)沿岸だ。

例の如く、勘違いから天智天皇ゆかりの宮へと繋がった。



さて、天智天皇ゆかりの神社、もう一つは、
歴史カフェのために分かりやすい地図を探していた時に見つかった。

朝倉の平松バス停付近に厳島神社があり、
斉明天皇が中大兄皇子に創建させたとある。
祭神は「市杵島姫」一座。

これで、斉明天皇は「志賀様」と「市杵島姫」を祀って、
安曇水軍と宗像水軍の神助を祈願したことになる。

しかし、祀ったのが三女神でなく、「市杵島姫」のみという点が
「ひめちゃご」のテーマに引っかかる。

今日も天智天皇と関わった不思議な一日だった。

カテゴリは「にっき」でもよかったのだが、
どうも気になるので、「ひめちゃご」に投入した。







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by lunabura | 2016-09-22 19:53 | 「ひめちゃご」 | Comments(2)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25