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ひもろぎ逍遥

タグ:古賀市・糟屋郡 ( 68 ) タグの人気記事

光正寺古墳 3世紀中~後半 前方後円墳 箱式石棺・割竹形木棺



光正寺古墳 

卑弥呼を知る世代





光正寺古墳は福岡県糟屋郡宇美町にあります。








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施設入り口から、後円部がど~んと目に入ります。



博多湾に注ぐ宇美川の右岸の丘陵の上で、宇美川流域を見下ろしています。


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後円部から前方部の中心ライン上で撮りました。







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これは前方後円墳ですが、柄鏡型なので、これまで見て来た4世紀後半の古墳に繋がっていくような存在になります。

やはり竪穴式の墓壙がありますが、何よりも特徴的なのは三種類の棺が並んでいる点です。これを見て何としても見たいと思ったのです。

そして、驚いたことに、沖出古墳の真西にあることをチェリーさんが発見しました。
埋葬施設も東西軸です。今日のキーワードは「東西」ですね。


埋葬の様子がよく分かる絵が掲示板に掲げられています。








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番号順に埋葬されているそうです。
注意してみると、1→2、それから3→4→5なので、二つのグルーブには少々時間差があります。

一つずつ見ていきましょう。

①は川原石を敷き詰めて箱式石棺を組んでいます。これは福岡では各地でよくみられる棺ですね。

そして興味深いのは、その石材が能古島、月隈、若杉山から持ち込まれたものだという事です!これはいったい何を伝えているのでしょうか。

能古島も月隈も奴国のエリアにあります。

若杉山はどうでしょうか。神功皇后がこの木の杉を香椎宮に植えたという話があるように、地元では聖山です。当然ながら、この被葬者は神功皇后の話を知っています。

三ヶ所から運び込まれた石は被葬者の縁がその三ヶ所に繋がっているから使用したのでしょうね。

しかもこの人が一番最初に埋葬されています。男性か女性かは分かりませんが、立地からは首長なのでしょう。

②の小さな箱式石棺はその人の子供と思われます。地元の砂岩の石棺に納められました。親に続けて亡くなったのでしょうか。すぐそばに埋葬されています。






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この復元レプリカは宇美町歴史資料館にあります。朱のようすが良く分かりますね。

宇美八幡宮の右手にある資料館です。隣接しています。




③は割竹形木棺です。配偶者と思われますが、自分の故郷の埋葬型式を持ち込んだのだと思います。

割竹形木棺で、これまで出会ったのは糸島市、那珂川市、宗像市です。もちろんこのほか沢山の地にあるので、特定はできないのでしょうが、印象としては福岡県の西部や西南部の感じがします。この人の脇にも子供が一人埋葬されているんですね。それが④です。

④の甕棺はやはり奴国や伊都国のイメージと重なってしまいます。子供が甕に埋葬されるケースは板付遺跡でも見ましたね。ちなみに宗像市では甕棺は出ないそうです。
(一点のみ吉備式が出土している)

⑤の箱式石棺も小さいですね。一人だけ方角が違っています。両親の上座に埋葬されたような印象です。

これらを見ていると、夫婦と子供たちの家族が一緒に埋葬されているように見えます。子供が小さいので若夫婦だったのでしょう。流行り病などで短期間の内に亡くなったのかとも思いました⑤の子だけは少し生き延びたけど、やはり幼くして亡くなったような。

この夫婦は、別の国の首長同士の縁で結ばれたように見えますが、仲が良かったのでしょうね。

そして、この埋葬の優しさからは、あまり男女の格差が無いクニの姿が思い浮かびます。


さて、二つ目の特徴は「東西のライン」です。
古墳自体は東西軸ではないのですが、埋葬施設が東西軸で造られ、頭は西向きだそうです。

西が開けています。被葬者は自分の治めた国を向いているのでしょう。
でも、完全な東西なら、また何らかの思想があるのかもしれませんね。仏教に西国浄土の思想があるように。


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もう一つ、特徴は、沖出古墳の東西ラインに重なっている点でした。

何故一致しているのかは謎です。
るな的には血縁関係があったのだろうかと、考えたりしています。

この光正寺古墳が造られて100年ほど経ってから、真東の嘉麻市に沖出古墳が造られたんですね。古墳の形は同じ柄鏡型で、竪穴式石室です。でも棺は板で造ったものから、石を削って造ったものに変わりました。


築造時代は3世紀中頃~後半です。ということは、卑弥呼の死248年の同世代か次世代の人たちです。

被葬者たちは卑弥呼について知っている人たちです。







粕屋郡宇美町 光正寺古墳




見学するのは古墳が先か、宇美町歴史資料館が先か。悩みますね。
宇美町には宇美八幡宮があり、その西には巫女たちではないかと思っている古墳群があります。またいつか紹介します。

【宇美町HPより】
光正寺古墳の築造年代は、第1主体部から出土した古式の土師器で甕の制作年代が3世紀中頃から後半であり、県内の前期古墳の中でも最古期の古墳に位置づけられます。また、光正寺古墳は糟屋郡内最大の前方後円墳であることから古墳の被葬者は、当時糟屋地域を支配した豪族(王?)の墓と考えられます。

墳丘規模は全長約54m、後円部径約34m、前方部長20mで前方部2段築成、後円部3段築成の糟屋郡内最大の前方後円墳です。





20181221




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by lunabura | 2018-12-21 20:12 | <古墳>手光は宮地嶽へ | Comments(1)

いそしんでます




帰福してから、ずっと文章校正に取り組んでいます。

いや、構成を変えている所。

先程、中間点を通過しました。

全体が見えるようスピード感を持って、いそしんでます。








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画像は九大の森。落羽松。珍しいアングルでしょ。

これで羽根が下向きに見えるので落羽松というのが良く分かりました。




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by lunabura | 2018-07-31 22:31 | にっき | Comments(0)

九大の森 福岡県篠栗町



九大の森 

福岡県篠栗町






7月12日のバスハイクの下見で、九大の森に行ってきました。


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落羽松(らくうしょう)の神秘的な光景です。

二日間の雷雨の後の道のようす、時間配分などを確認しました。

南口の駐車場にはトイレもあり、すぐに入り口があるので迷うことはありません。







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今日は37~8度の気温でしたが、
遊歩道は蒲田池の湖畔めぐりなので、ずっと木陰で熱さは感じませんでした。








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起伏はなだらかで問題なし。






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道は赤土に落葉が乗り、ぬかるみが何度も出てきます。
汚れてもいいスニーカーがお勧めです。
サンダルの人結構いたな。









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反時計回りに30分歩くと、落羽松のスポットへ。










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波が寄せていて、心躍る美しさでした。


帰りは10分ほどで駐車場へ。

2キロを遊びながら40分ほどでした。
でも、真夏に後の行程を考えると疲れる人が出てくるかも。

ということで、北口の入り口から時計回りで往復20分のコースを歩くことにしましたよ。

時間がある方は南口駐車場からの40分コースをお勧めです♪
とても素敵な散歩道です。

閉鎖にならぬよう、マナーを守っていきたいものですね。





九大の森
福岡県糟屋郡篠栗町和田1009








歴史カフェ福津
7月8日(日)第19回 2時~4時
シリウス 真鍋大覚の世界 ー倭人の暮らしと渡来の記憶ー
六嶽神社 真鍋大覚のシリウス完全版
詳細はコチラ
申し込みはコチラへ
①氏名(フリガナ)②住所(市町村字)③708福津希望

歴史カフェ小城
7月14日(土)第4回 3時~5時
1部:綾部八幡神社 糸島で亡くなった来目皇子と綾部一族と旗占い
2部:神功皇后の伝承 久留米~
申し込みはコチラへ
もしくは小城鍋島家Tenへ電話で
①氏名(フリガナ)②住所(市町村字)③714小城希望
会場:小城鍋島家Ten

歴史と自然をまもる会
HPはコチラ
バスハイクの旧記事はコチラ
申し込みは 092-408-7140(火曜~金曜)
7月12日(木)9:00 皇后の出産 糟屋の里
詳細はコチラ
8月2日(木)8:30  安心院 
神武天皇と水沼族の足跡と謎の巨石群を訪ねて






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by lunabura | 2018-07-01 20:44 | バスハイク | Comments(2)

【「ご来福」しよう】に私の文を掲載していただきました(^^)/



【「ご来福」しよう】に

私の文を掲載していただきました(^^)/



福岡県の古代史発信の拠点・HP【「ご来福」しよう】に
「古代史コラム」がありますが、
そこに私の書いた文章を掲載していただきました。

今回は3本です!

当ブログで何度も出てくる、るなのお勧めの、心に残る神社ばかりです。




コラム 6

相島 新宮町 猫にも会いたいけど、豊玉姫の出会いの井戸に行かなくちゃ」

相島の若宮神社には豊玉姫が山幸彦と出会った「わたつみのいろこの宮」の井戸があります!!

相島は猫で有名ですが、恋活と安産には是非とも見逃せない神社です。
せっかく島に行ったら、訪ねてみましょうね^^




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コラム7
楯崎神社 福津市 巨大な磐座がそそり立つ岸壁の宮で癒されよう」

ここも何度も紹介している所。岸壁の上の参道を通って行くだけで癒されます。






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見えている海は「恋の浦」 。

大国主命と二女神が一緒に敵を撃退したという歴史があります。
西行や最澄ファンも歩いてみましょう。

磐座と海。心のよりどころとなるお宮です。










コラム8 「二つの釜屋神社(八女市) インスタ映えの竜宮は瀬織津姫のおわす宮」







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「ひめちゃご」で紹介した竜宮の絶景。これが内陸の矢部川にあります。
瀬織津姫ファンは見逃せませんね。

ここまで来たら八女津媛神社もすぐそこですよ(^^♪




コラム1 「女神に逢いたい 八女津媛神社(やめつひめ)」
で紹介してもらっています。
神秘的な聖地を体感したい方にお勧めです。





この四つは豊玉姫、二女神、瀬織津姫、八女津媛と、
筑紫(ちくし)におわす女神たちの聖地です。

画像は猫以外は全部、私が撮ったものです。
大判の迫力にびっくりしました。



以下からどうぞ







<20180321>





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by lunabura | 2018-03-20 20:24 | ご来福しよう | Comments(0)

ムーミンの木にまた会えた


ムーミンの木にまた会えた




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バスハイクの皆さんと一緒にムーミンの木を仰ぐ。
みんなで見ると楽しい♪

古賀市 五所八幡宮にて。

ここは青柳街道沿いの楠が茂る岬状の境内。
仲哀天皇が崩御したために、
祟った神を知ろうとして向かった小山田斎宮の途中に位置付けています。









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こちらは綿津見神社で遊んでいたコ。

にゃーーー。
と大きな声で鳴きながらみんなについてくる。
撫でて―と、頭をゴッツンしてくるコ。









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初対面なのに、なでなでさせてくれた。

神社で会うネコ、あるある(=^・^=)





「神功皇后伝承を歩く」
五所八幡宮 上巻35 神功皇后は龍輿を休めた






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by lunabura | 2017-06-24 20:21 | バスハイク | Comments(2)

相島 鼻栗瀬2 春分の日の出はこんな感じ


相島 鼻栗瀬2 
あいのしま はなぐりのせ
春分の日の出はこんな感じ


福岡県の相島。猫の島で有名ですね。

その相島の鼻栗瀬をポイントとした春分の日の日の出の画像を
チェリーさんが早速作ってくれましたよ。
ありがたいです。







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さて、鼻栗瀬の西から撮影すると、








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こんな感じに見えるらしい。う~む。でかい。
ここに穴が開いていると想像しましょう。

2017年3月20日、6時27分頃、向こうの山から朝日が昇り、
光線が鼻栗瀬の穴をギリギリ通るかもしれないという感じですね。

チェリーさんいわく、
「鼻栗瀬の形が随分違いますねぇ〜
このどこの部分が穴になるのかわからないですけど、
直接日の出が見えるのか微妙ですね〜

鼻栗瀬から見た画像も添付します。
直接じゃなくとも、海面に反射した日の出は見えるのでは?
それはそれで神秘的かもしれませんねぇ…

ちなみにそのまま東にラインを延ばすと鞍橋神社になりました。」


ほう、鞍手の鞍橋神社ですか (@_@
(はい、来月のテーマですね(^^; やりますよ)









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これは鼻栗瀬から撮影した状態だそうです。
靡山(なびきやま)の少し南(90.4度)から太陽が出ています。

チェリーさんいわく、
「見える地点は鼻栗瀬に面した海岸の崖になるみたいです。
舟じゃないと行けないんじゃないかなぁ…撮影は標高2.3m位からです。」

舟に乗ったらこんな角度ということですね。
もし観測点があったとすると崖か海になります。

海なら海退期のころ、すなわち海岸線が下がっている時代に
観測点を設置したかもしれませんね。

真鍋は宗像市の大島が島になったのが雄略帝9年(465)と記録しているので、
それまでは相島も陸が上がっていたかもしれないです。

大島と陸の間に出来た倉良瀬戸の測量が
明治22年(1889)では15・0mの深さなので、
この変動の時には大きな影響があったことでしょう。

例の沖ノ島の海底の石柱もあることだし。
どんな時代のものか、だんだん妄想が膨らんできます。




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これは空中写真。船を出すならここらへん。




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見事な画像ですねえ。チェリーさんいわく、
「航空写真で見てみたら、少し入江っぽくなっていました。

どのくらいの傾斜かわからないですけど…
ごめんなさい、撮影地点は海の中になっていました!

ここの標高2.3m位になってるとは思いますが…
ということは、西側にラインを延ばせば地面と交わる地点があると思います。」


いくつものレベルでの画像作成、チェリーさんありがとうございました!!!


g22さん、これでかなりポイントが絞れますね。
スマホを持っていけば楽々アプローチとなりそうです。




思えば志賀島の二見岩に穴がるのも同じ理由かも。
(と、チェリーさんに謎を掛けるのであった^^)




相島





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by lunabura | 2017-03-13 20:16 | 相島 | Comments(6)

相島の鼻栗瀬


相島の鼻栗瀬




鼻栗瀬とは新宮町の相島の横にある小島で、大きな穴が開いています。

ブログ訪問者の方が、この穴に注目して、
春分の日にどこから朝日が差し込むのかを確認したいと話されたので、
現地入りする前の下調べ用に在庫から画像を少々取り出しました。








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これは漁港から撮ったものです。水平線の中央の岬の横の小島が鼻栗瀬です。







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フェリーから撮った鼻栗瀬です。穴が少し見えています。
左の岩は蒙古塚の巨石です。











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これは蒙古塚の遊歩道。奥に先ほどの巨石が見えています。
角度的にはこの巨石上から鼻栗瀬の穴が正面に見えそうですね。










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これは積石塚古墳群から撮ったもの。矢印が宮地岳です。
穴は向こうに向いています。










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宮地浜から撮ったもの。こんなんしか、なかった。
確か穴が見えた記憶があります。



宮地嶽神社の「光の道」が正しい東西でなく、やや角度がずれているので、
天文祭祀線ではないだろうと結論づけているのですが、
この鼻栗瀬の穴に春分・秋分の光が差し込むとしたら、
ついに天文祭祀線の発見となります。

海上からの観測となるのでしょうか。
天文観測所なら、陸地にあるはずですね。

るな探偵は蒙古塚の巨石が一番の候補と考えましたよ。
当たるかはずれるかはお楽しみ。

結果報告をお待ちしています。
天気次第ですが。










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さて、相島にある剣神社はこんな感じです。
視界は効きませんね。
ご参考までに。




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by lunabura | 2017-03-10 20:00 | 相島 | Comments(2)

ひめちゃご33 再会



ひめちゃご33

再会
 

白山神社への道は伊野天照皇大神宮の山沿いではなく、
もう一本、平地寄りの道沿いにある。

鳥居が道路沿いに無いので見つけにくい。
七色と星読は口々に「ここだとは」と驚いていた。

私が道案内しないと、行きつくのに苦労しただろう。

私がこの宮の存在を知ったのは、福岡の研究者の本からだった。

著者の名前は忘れたが、鉄工所を経営する人で、
この宮のご神体は「鉄滓」だと書いてあったのが強く印象に残った。

言い換えれば、鉄の民の宮だということになる。
それで、ご神体を見てみたいと思って出かけたのだが、それは遠慮された。

現在の祭神は「五十猛神」で、かつては「菊理姫神」など、と掲示板にあった。
この宮は祭神が書き換えながら、変遷していったようだ。

社殿は急な石段を上った所にある。



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参拝を済ませて、境内を回ってみると、
ここもまた小さな山のピークを平らに削ったものだと分かった。

稲荷地形だ。
前日の馬見神社と同じだった。
やや、こちらが狭いか。
左右には溜池があった。

すると、奥には裏参道があるのか、と思っていくと、やはりあった。
途中まで車のワダチがあるが、あとは山道のようだった。

七色がスマホで確認すると、これが首羅山に通じている道のようだった。
前回、まおからも「首羅山に白山神社から登った」というコメントが入ったので、
これが登山道なのだろう。

三人はそれぞれに地形を見ていった。
七色が来なければならないのは、ここだったのだろうか。
弥生の遺跡のような姿を夢で見せられたというが。



首羅山は道昭が仏教を開いたという。
法相宗なら、ヨガセンターのような感じで、多くの人が瞑想をしたのだろうか。
350ほどの坊があったという。
それを感得したのか。



ここで、斉明天皇の菩提を弔ったというのだが、
その出典が何だったのかも、忘れてしまった。

中大兄皇子に乞食の相があるのを見抜いたのは道昭かもしれないと、
淡い期待を持っているのだが。

「乞食(こつじき)とは、単なる物乞いの意味ではない」と、
タケが話してくれたのを思い出す。

改めてウィキペディアを引くと、
<僧侶は比丘(びく)というが、これはサンスクリット語の音写訳で、
「食を乞う者」という意味である。
これが後々に中国で仏典を訳した際に乞食(こつじき)、
また乞者(こっしゃ)などと翻訳されたことにはじまる。>
とある。
比丘と乞食は同意となる。

また、続きに、
<『大乗義章』15に
「専行乞食。所為有二。一者為自。省事修道。二者為他。福利済世利人」>
とあった。

乞食には二つの目的があり、一つは自分の為、そして、もう一つは
他者のためとある。

言い換えると、私たち一般人が托鉢僧に布施をするのは、
僧を助けるためではなく、
自分のカルマを浄化してもらうためということだ。

僧は布施をした人のカルマを引き受けて修行する。

だから、托鉢僧は頭を下げないのだ。

これは傀儡子(くぐつ)と同じ思想だ。
人形に穢れを移して祓う。
あるいは自らに穢れを移して祓う。
これが、のちに雛祭りに変化していく。

中大兄皇子は天皇という最高祭祀者に即位するに当たって、
仏教にも同じような思想があることを知って、心魅かれたのかもしれない。

神道の最高祭祀官が、仏教徒に母の弔いを依頼するということは、
よく考えると、驚天動地の出来事なのだ。

死後の世界観が違うのだから。

中大兄皇子は人を殺めたその手を見る時、
そして、自分の御代に倭国を滅亡させてしまうのかと、その罪深さにおののくとき、
仏教にも「自らに受けて祓う」という思想が在ることを知り、
「乞食の行」に救いを求めたのかもしれない。

それが、旧山門郡の長島(おさじま)の太神宮へと彼の足を進めさせた。

この数か月、私はそんなことを考えていた。

私が白山神社の参拝を欲したのは、天智天皇の心を覗きたかったからだった。




七色が、三人が出会ったのはちょうど一年前だった、と言った。
そうか、そうだったのか。
11月に三人が出会い、「脇巫女」が始まった。

「きっとこれから何かが始まる」
と、七色が言った。


              <2016年11月25日>




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by lunabura | 2016-11-25 22:22 | 「ひめちゃご」 | Comments(8)

ひめちゃご32 白山神社へ



ひめちゃご32

 白山神社へ
 


馬見神社に参拝した翌日の11月14日。

思いがけず白山神社に参拝することになった。
この白山神社は糟屋郡久山町にある。

少し前に七色からメールが入っていた。
糸魚川巡礼の準備の最中だったようだ。

<2016-11-12 >
「こんばんは。
昨夜 チェリーさんとお話しまして糸魚川巡礼の打合せをしました。

その直後 能生白山神社を発見しまして
こちらへ行きたい希望をメールして、寝ました。

すると今朝夢を見ました。
「糸魚川巡礼へ行く前に『久山の白山』へ行くように」
と上空から久山の白山を見せられている夢でした。

夢の中では久山の白山は、吉野ヶ里遺跡みたいな感じのスペースでした。

このような夢を見たので、本日
るなさんブログ過去記事の白山を読ませて頂きました。

なぜに?
糸魚川巡礼と久山の白山の関係がまだわかりません…

というような事がありました。

今朝の夢に るなさんに話している場面がありましたので、
勝手ながらメールさせて頂きます。
何かあれば…宜しくお願い致しますm(_ _)m 」

はてさて。
戸惑った。
糸魚川と久山の白山神社?
白山つながりなら、白山比咩神社のことしか思い浮かばない。

るな「加賀の白山比咩神社のことでしょうか。
位置を調べると、糸魚川からは逸れているようですが、
泰澄が白山の女神を感得したんですよね。」

と返信した。

久山の白山神社の過去記事は、最近自分も読み直していた。
その上の山の首羅山で斉明天皇の菩提を弔ったというが、
登山道などが分からず、手が付けられずにいた。

もう一度確認しにいこうと思いながら延び延びになっていた。

翌日、返信が来た。
<2016-11-13 >
「こんばんは能生白山神社は、糸魚川市の隣町付近にあります。
加賀の白山比咩神社は、来年行く予定です。

今回は、2日間をかけて糸魚川とその周辺へ行きます。
フォッサマグナミュージアムへ行きお勉強してまいります。
何かの発見がアリアリかな?(笑)

すでにお知らせが半端なく出ている現状です。
本当に困ります。
なので動いてみます。

そして久山の白山神社へ参拝に行かなかったら、本日寝込んじゃいました(泣)
なので…
星読さんに連れてって欲しいメールを致しました。

星読さんも何かを感じているようで。
みんな不思議です。

穂高神社へ行く日の朝の夢に、
るなさんたちメンバー、星読さん、そして夫が別々に出てきました。

なので夢を見たメンバーは、フォッサマグナ地帯関連なのかな?
~なんて妄想しちゃってまぁす(o≧▽゜)o

又々 不思議メール失礼致しましたm(_ _)m 」

星読か。
懐かしい名前が出て来た。

久山の白山神社に再訪するのに良い機会かもしれないが、
資料の締め切りがいくつもあって、身動きが出来ない。
日程を考えたくなかった。
必要があれば、一緒に行くこともあろうし、
時間が合えば合流するまでだ。

流れに委ねることにした。

「星読さんと二人で日程を決めてください。合えば合流します」
と、そっけない返信をした。

すると、バタバタと日程が決まって、11月14日の午後という知らせが来た。
それなら、動ける。

こうして、久山の天照皇大神宮の駐車場で待ち合わせをすることにした。




五十鈴川の紅葉が始まっていた。


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                      <2016・11・23>


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by lunabura | 2016-11-23 21:39 | 「ひめちゃご」 | Comments(12)

磐井君の末裔たちのレジメ完成



磐井君の末裔たちのレジメ完成




次回の歴史カフェのレジメが仕上がりました。


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神社の縁起を調べていくうちに、磐井君の末裔について、
子供は四人、孫は六人、合わせて十人の存在が分かりました。

今回はこの十人について、磐井君に近い順から、
系図や伝承、また墓や神社など、分かった事をお話ししていきます。

パワーポイントではなく、史料を読んでいくので、
かなりの理解が進むのではないかと思っています。

この史料を読み込めば、
磐井君が新羅寄りではなく、百済寄りだったこと。

宮地嶽神社の境内にある宮地嶽古墳の被葬者は
宮地嶽神社の祭神であること、
など、おのずと明らかになります。

徳善説の誤解
宗像族の人物が安曇族の聖地に葬られることはあり得ません。

胸肩徳善説を唱える方は、時代が100年以上違う点について、
説明すべきでしょう。

なにせ、徳善は天武天皇の時代に活躍した人物ですから、
生まれる前に墓を作ったということを立証するのは出来ないことです。



新羅寄り説の誤解

また、磐井君新羅寄り説の方は、
磐井の孫の鞍橋君が百済王子と共に戦っていることを知らないのでしょう。

宮地嶽古墳から出土した「鉛系ガラス板」は磐井と百済の深い関係を物語っています。





逆賊という汚名を、しかも濡れ衣を着せられながらも、
自分たちの矜持を守り続けた磐井君の末裔たち。

今回は、久留米と糟屋、福津を結んで「磐井の乱の後の世界」を描いていきます。




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by lunabura | 2016-06-20 20:50 | 歴史カフェ | Comments(4)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25