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比較:向野田古墳と沖出古墳3 玉類と埴輪



比較:向野田古墳と沖出古墳3 

玉類と埴輪



嘉麻市と宇土市という離れた所にある前方後円墳の比較シリーズ、副葬品の続きです。


8 玉類







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向野田古墳は勾玉、管玉、小玉です。勾玉は緑色。大きいのと小さいのが一緒なのは珍しいと思いますが、どうでしょう。玉類のセットは弥生時代のものとそう変わりがないような印象です。

沖出古墳は残念ながら盗掘されていますが、きっと目立つような宝だったんでしょうね。もし玉類が沢山あったなら、被葬者が女性ではないかと推測できたんですがね。残念です。





9 埴輪を比較しましょう








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向野田古墳の埴輪はやや厚いそうです。朝顔形の円筒埴輪が出ています。

沖出古墳の円筒埴輪も朝顔形というそうです。これを見ると、向野田古墳の埴輪も想像できますね。
この朝顔形が4世紀後半の特徴だと、朝倉市の宮地嶽古墳の説明板にありました。

沖出古墳の円筒埴輪に舟の線刻が見つかっています。これはキャビン付の二本の櫂(?)というエジプト太陽の船風のデザインですね。浮羽の装飾古墳などに沢山描かれています。

家形埴輪のレプリカを載せましたが、現物には直弧文があると、ある本に書かれていました。確認したいな。碓井郷土館にあるそうです。近場の人見てみてください。




さて、以上で主だった副葬品の比較を済ませました。

一つずつ比べていくと、これから何を基準に見学したらいいのか、少し分かったような気がします。


遠く離れた同じ時代の二つの古墳が古墳の形が同じ前方後円墳の柄鏡型で、副葬品も同じような雰囲気でした。同じような価値観を持っているような印象を受けました。

古墳を造る氏人に土師氏がいますが、自由に招かれて長たちのために造ったのでしょうか。それとも通説の許可制なのでしょうか。西暦300年代後半、卑弥呼から150年後頃の世界をもっと知りたいですね。

宇土市立歴史資料館では撮影許可をいただき、どんどんSNSに載せてくださいと言われました。ほんの一部の紹介でしたが、テーマを決めて蔵出しもしていきたいと思います。



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by lunabura | 2018-12-17 20:32 | <古墳>手光は宮地嶽へ | Comments(0)

比較してみた 向野田古墳と沖出古墳1 4世紀後半 竪穴式石室 石棺


比較してみた 

向野田古墳と沖出古墳1 

4世紀後半 竪穴式石室 石棺




熊本県宇土市にある向野田古墳(むこうのだ)は4世紀後半で竪穴式石室です。
全長が約86メートルの前方後円墳ということで、先日紹介した福岡県嘉麻市の沖出古墳とキーワードが重なります。

重なるのは「4世紀(後半と終わり頃)、前方後円墳、竪穴式石室、石棺」です。

沖出古墳は全長68メートルだったので、向野田古墳の方がずっと大きいです。

が、向野田古墳の石棺は「舟形石棺」なので、沖出古墳の「割竹形石棺」と似ています。

舟形石棺と割竹形石棺の差というのはそれほど明確ではないそうですが、遠く離れた宇土市と嘉麻市に造られたほぼ同じ時代の古墳について比較してみたいと思います。



1 北を上とした場合の比較

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地図上で北を上にした場合、二つの古墳は同じ方向を向いているのか。
それを比較した画像です。

宇土市の向野田古墳は後円部が南にあり、主軸はやや傾いていますが、石室だけは南北を採っているようです。現地説明でも石室の向きが重要だと言われていました。

これに対して嘉麻市の沖出古墳の主軸は全く南北を意識していません。主軸は田川の位登八幡神社と名の無い山のピークを意識していました。少しずらして脊振山頂と位登八幡神社のラインも候補に上がりましたね。

向野田古墳は地山を整形して削った土を円墳の墳丘に盛ったというので、地形に影響を受けたのかもしれませんが、あるいはやはり何かのライン上に築造されたのかもしれません。(チェリーさんの宿題が増えますねえ)






2 主軸を揃えて形を比較 石棺の方向は?
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今度は主軸を水平にそろえてみました。
形がそっくりですね。柄鏡形でいいのでしょうか。円墳に向けて細長い方形墳があるのは古式だそうです。そのあと段々バチ形に開いていくとN氏に習ったのですが、ネットで検索すると、バチ形→柄鏡形→バチ形と変貌していました。

もちろん、一番左のバチ形は箸墓古墳のことですね。ずいぶん無理な変遷史に変貌していますね。

脱線はこれまでにして、二つの古墳の、主軸と石棺の方角を比較しましょう。
全く違っていますね。法則性はあるのでしょうか。謎が出てきました。







3 竪穴式石室の比較

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どちらも竪穴式石室なので、設計を比較してみましょう。
向野田古墳は床を整形して石を並べ、石棺ギリギリに石を置いています。蓋は石を並べています。
沖出古墳は崩れていたせいか、少し乱雑に積まれてみえます。







4 石棺の比較
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向野田古墳は舟形石棺です。沖出古墳は割竹形石棺です。
いずれも縄掛け突起(なわかけとっき)は付いていますが、その違いは底の形です。

ウィキペディアで両者の違いを調べました。
〈【舟形石棺】刳抜式の石棺の一種であり、身と蓋を合わせた断面は扁円形をしており、同様の方法で作られた割竹形石棺より安定性があり、両端が斜めに切られている形状が船に似ていることからこの名称が付いている。

割竹形石棺の変容形と目されており、縄架け突起が付けられていたり、石枕が作り出されていたりする。

主に4世紀中葉~6世紀前葉に熊本・佐賀・宮崎・香川・島根・福井・群馬・茨城などの各地で在地の石材を用いて首長の棺として造られ、各地に普及した。〉

以上からは「割竹形石棺→舟形石棺」と変化しているようです。
弥生時代の糸島市の平原遺跡が割竹形木棺なので、木から石に変化していくのでしょうか。

向野田古墳(4世紀後半)と沖出古墳(4世紀終わり頃)の年代を比較すると
向野田古墳の方がやや古いのでしょうが、石棺の時代変遷は逆転しています。
時代が接近しているので、どちらが古いとは一概に言えないようですね。

が、二つをじっと見ていると、形に込められた思想があるのではないかと思えて来ました。

木の中に永眠するのと、船の中に永眠するのとでは、葬送の思想が違うような気がしてきたのです。

私は一般人ですから、考古学的な素養はありません。
ですから自由な素の観点で印象を記録しておきたいなと思います。


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by lunabura | 2018-12-12 21:30 | <古墳>手光は宮地嶽へ | Comments(0)

沖出古墳3 古墳が見つめる先、はるかに脊振山が 後円部の先は位登




沖出古墳3 

古墳が見つめる先、はるかに脊振山が 

後円部の先は位登







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沖出古墳の後円部から前方部の向こうに見える山を写しました。
遠賀川の向こうに見える山の名前。さっそくチェリーさんが調べてくれた上に、主軸ラインなど思いがけないものを提示してくれました。



チェリーさんの画像と説明文です。

「lunaさん、こんばんは。
画像を作成しましたので、お送りします。」






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「沖出古墳から撮影されたお写真と同じ方向を、カシミール3Dにて望遠で撮影しました。
真ん中の赤い点のピークが、lunaさんが撮影した正面になると思われます。
その右側の白い印の向こう側に脊振山があります。」

-まあ!同じ場所をカシミール3Dで撮影出来るなんて(;’∀’)
赤い点のピークには名前が無いんですね。
で、左の山は弥山岳!これを見た時はゾクッとしましたよ。
この麓に出雲があるのです。
そう、ワダツミで新しく登場しているエリアで王塚古墳の近くです。
それが出てくるなんて。シンクロだらけです。

さて、チェリーさんの続きを見ましょう。








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「脊振山から沖出古墳をつないだ直線をそのまま延長すると位登八幡神社に至ります。
ピンクの直線が赤点のピークへのライン、赤い直線が「脊振山-位登八幡神社」のラインです。
赤い直線は、やはり前方後円墳の軸線とは少しずれるようですねぇ…
方位の角度に意味はなさそうです。」

― ここで位登八幡神社が出てくるとは思いませんでしたよ。
神功皇后が半年近くも滞在して子育てした神社です。
周囲には神功皇后の天皇即位、応神天皇の皇太子即位を伝える可能性のある帝階八幡神社があります。ブログには書いていないけど、『神功皇后伝承を歩く』の下巻「位登八幡神社」に書いています。中国正史や日本書紀の記述、GHQによる操作など、拙著をお持ちの方は御覧になってください。タイミングが合えば、こちらでも紹介します。

後円部の先にこの神社があるのは、やはり意味付けがあるのでしょう。いかにも古代氏族の聖地です。





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「位登八幡神社のすぐ西側の山稜のライン上から、カシミール3Dにて撮影をしました。
沖出古墳と脊振山が直線上にあることがわかります。
反対側を振り返っても、位登八幡神社を見ることはできません。」










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「沖出古墳には東西関係があります。
両子山→沖出古墳 270.00°距離 81.693km
両子山→光正寺古墳後円部 269.98°距離 102.269km
両子山から沖出古墳へのラインをそのまま延長すると、光正寺古墳前方部の端から8mくらい北側の地点になります。
両子山-沖出古墳―光正寺古墳が直線上にあると考えていいと思います。

沖出古墳で、改めて真北を測定した場合は
沖出古墳→七夕池古墳 269.97°距離 20.616km になります。」

―今度は光正寺古墳がラインに乗って来るんですか。
そこもまだ詳細を書いていませんね。
光正寺古墳は山を見ている感じがあって、その延長上に沖出古墳があるなら、早く調べなきゃですね。

沖出古墳 → 稲築八幡宮
     → 位登八幡神社
     → 光正寺古墳
どこから書こうか…



「詳しくはこちらを御覧ください。」



これを見てまたもやビックリ。
冬至の日の舞台「イソラ2018」が描くラインなんです。
チェリーさんの研究結果が生かされているんですね!
この舞台は明日ご案内します。


※今日はラジオ放送日でした。
RKBラジオで放送がありましたが、河村哲夫さんの続きに私、という意外なコラボ企画でした。

仲哀天皇の崩御についてが本日のテーマで、その亡くなり方は日本書紀にも複数書かれているんですね。その一つが御勢大霊石神社だったので、私の説明を放送していただきました。古賀市の小山田神社までです。上巻をやってます。



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画像©チェリー (使用は許可を得てください。)


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by lunabura | 2018-12-01 21:33 | <古墳>手光は宮地嶽へ | Comments(2)

沖出古墳1 4世紀末 竪穴式石室 前方後円墳




  沖出古墳1

 4世紀終わり頃 竪穴式石室

 
  
 

沖出(おきで)古墳は福岡県嘉麻市漆生78番地1及び2にあります。
古墳で番地があるのは珍しいですね。
嘉麻市(かまし)漆生(うるしお)と読みます。






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素晴らしいフォルムです。
4世紀の終わり頃の築造ということで、西暦370年~390年代ということでしょうか。
卑弥呼より約150年後と位置づけしておきましょう。

筑豊地方では最も古い前方後円墳だそうです。
この長さは約68メートルで、前方部は2段、後円部は3段ということです。

この丘は標高約40メートル。遠賀川を望む地形です。

埴輪も壺形、円筒、朝顔形、家形のものがあったそうです。
家形埴輪は後円部の墳頂付近と前方部の先端に立っていたそうです。







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ということは、この画像がその復元のものでしょう。
南方系の屋根ですよね。


この古墳は既に盗掘されていて、盗掘穴に向かって見学道が作られています。
ガラスで覗けるようになっているのですが、良く見えませんでした。

竪穴式石室なので、被葬者だけの為に造られた石室です。









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こんな感じだったそうです。

実は、何よりも興味があったのは石棺の形です。「割竹形石棺」なのです。


「割竹・木棺」と言えば平原遺跡。それにまだ詳細を書いていない宗像イセキングの墓。
木棺が「石棺」に変化していくのでしょうか。
それとも別の文化?

何と、今夏行った宇土半島の向野田古墳も同じように前方後円墳で、時代は4世紀後半。竪穴式石室で、石棺は「舟形石棺」となっています。被葬者は巫女的な女王。

つまり、同じ4世紀後半に熊本の宇土半島と福岡の嘉麻市によく似た墳墓があるのです。

一つひとつ丁寧に見ていって比較したいとずっと思っていました。



しかも、この沖出古墳の丘には神功皇后ゆかりの稲築八幡宮があるのです。
ここは面白いぞ。



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by lunabura | 2018-11-29 20:22 | <古墳>手光は宮地嶽へ | Comments(1)

ひめちゃご31 馬見神社からニギハヤヒの山が見える



ひめちゃご31

馬見神社からニギハヤヒの山が見える
 


昨日、馬見神社の参道からの眺めを投稿したが、
早速チェリーが確認してくれた。

その結果、香春岳かと言った山はボタ山だった。
ボタ山かあ。

県外の方は分かるだろうか。
ボタ山とは、石炭を掘った時に出る不要な石を積み上げて出来た山だ。
そんな石の山も、今では緑の山となっている。

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チェリー「写真の二つの山は、残念ながら香春岳ではなく、
筑豊炭鉱を象徴する「忠隈炭鉱のボタ山」の威容だと思います。」

カシミールでの画像(100mm望遠相当)を添付します。



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ボタ山とは残念だったが、その向こうに笠置山と宗像の連山が見えている!
これは素敵だ。
笠置山はニギハヤヒの降臨地なのだから。

ニニギを祭る馬見山からニギハヤヒの笠置山が見えるなんて、面白い。
二神は一応、兄弟神だ。






さて、チェリーがもう一枚、画像を作ってくれた。

チェリー「樹木がなれば、馬見神社から香春岳が見えるはずです。
このカシミールの画像も添付します。

 幻想的な画像になりました
(100mm望遠相当:目盛は1°刻みです 太陽が二個入るくらいの角度です)。」





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馬見神社からの眺めだ。
現場ではあいにく木々が茂っていて、隙間から辛うじて見えていた山が
こうしてくっきりと描かれているのを見ると感無量だ。

香春の三山が見えている。
そして、その奥には北九州の山々。

香春の向こうの谷に田川の現人神社がある。

那珂川町の現人神社と田川の現人神社が馬見神社を介して繋がるかな、
と思ったが、上手くはいかなかった。

ちなみに、祭神は 
那珂川町の現人神社は住吉三神、
田川の現人神社はツヌガアラシト。

祭神の関係も分からない。




この馬見神社に祀られているイザナギ神とニニギ尊は
この景色を日々眺めて、
人々の営みの安寧なることを祈られているのだろう。

そして、木花咲耶姫もまた然り。






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by lunabura | 2016-11-22 23:46 | 「ひめちゃご」 | Comments(10)

ひめちゃご30 馬見神社にふたたび



ひめちゃご30

馬見神社にふたたび
 




女神シンポジウム以来、「馬見山」の言霊が随所に出て来ていた。

シンポジウムの会場となった「かほ夢サイト」からの馬見山。
新聞記事の嘉穂アルプス。
町史、などなど。


そして、チェリーの発見した
宇美八幡神社(糸島)―現人神社(那珂川町)―馬見神社の東西ライン。


これは決定打だった。
馬見神社に行こう。

11月13日に嘉麻市に行く用事があったので、
馬見神社参拝を日程に組み込んだ。




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この冬は何度も探訪を重ねることになる筑豊の地。
まずは、そのご挨拶に。








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晩秋の候、桜の葉は既に散っていたが、











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やはり、古社の佇まいは夢のようだった。









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丸い飛び石を見て、かつてデジャヴを起こした所だということを思い出した。

ブログに書いていなかったら忘れ去っていた話だ。
もう、映像を思い出そうにも心もとない。








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最後の急登を上って拝殿に出た。

イザナギ尊。
そしてニニギノ尊が祀られている。
后の木花咲耶姫と共に。

糸島には二人の出会いが色濃く残っていた。
何故に、この地に二人は祀られているのだろうか。

それはニニギ尊の父、天忍穂耳が英彦山に祀られていることと
無縁ではないだろう。

英彦山と馬見山。
この二つが遠賀川の神の山だ。

これまで訪ねて回った遠賀の神々の系譜が浮かぶ。



今回、改めて境内を回ってみると、
周囲が急斜面になっている小ピークだったことに気付いた。
よく出会う稲荷と同じ地形だ。






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裏にはピークに至る細道があるが、左右は絶壁だ。
特異な地形で左右に石垣が見える。
ハタと、これは谷を埋めて造られた裏参道かもしれないと思った。

このような山中に稲荷という鉄生産の地形があるのは不思議な感じだった。

思い起こせば同じような地形とサイズに稲築八幡宮や撃鼓神社があった。

全体的に遠賀川流域の稲荷地形の境内は、ありなれ川流域のそれよりも広い。
測量した訳ではないが、二回りほど広い印象を受ける。





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遥拝所が山に向かっていた。
あとで地元の人に聞くと、
9合目(?)の磐座を向いていると言われているとか。





そして、もう一度正面に回って神紋を確認した。


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馬見神社の神紋。
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下はあの緑の川の美しい釜屋神社(立花町)の紋。

同じ紋?違う?
?????
どうなっている?
繋がっている?

まだ紋の名も知らない。




さて、チェリーの調査によると、
この馬見神社の真西に遠く那珂川町の現人神社が鎮座するという。
さらにその西に糸島の宇美八幡宮。

どれもこれもが神功皇后ゆかりの宮だった。


ラインが結ぶ神々に意味はあるのだろうか。

宇美八幡宮(仲哀天皇・ニニギ尊・気比大神ほか)平群木莬の末裔が祀る
現人神社(三筒男尊)住吉族の始まりの宮
馬見神社(イザナギ尊・ニニギ尊・木花咲耶姫)神武天皇が参拝した

繋がりは、見えそうで見えない。









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そして、参道を下る時に開けた平野が見えた。
ここからは、箱庭のような、神が作った庭のような美しい盆地だ。

今日もPM2.5のガスが掛かっている。

左手に見える二つの山は田川の香春岳だろうか。
二つの山が傾斜の厳しい姿を見せている。

もし、あれが香春岳だとすると、
その北にもう一つの現人神社が鎮座していることになる。
そうなると、ちょっと面白いのだが。

                 <2016年11月21日>







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by lunabura | 2016-11-21 21:45 | 「ひめちゃご」 | Comments(2)

遠賀川流域の弥生遺跡へ



今日は遠賀川流域の弥生時代の遺跡巡りに参加してきました。

まずは嘉麻市の鎌田原遺跡・原田遺跡。(かまたばる・はるだ)
この規模は吉野ヶ里遺跡に匹敵する広さだそうで、
なんと古処山が向こうに美しい姿を見せていました!
羽白熊鷲とどんな関係だったのかと、ついつい思いを馳せてしまいました。

また、木槨墓が出た丘陵では、
長方形と推定される周溝の周囲から甕棺などが出土。
ずっと行きたかった所だったので、望外の喜び。

丘陵の突先にある墓と集団墓地という組み合わせは
祇園山古墳の立地を思い出さずにはいられませんでした。

久留米の祇園山古墳は『高良玉垂宮神秘書』などには、
物部日往子(ひゆきこ)の墓と書かれています。

祇園山古墳は方形墓ですが、頂上部の石槨墓だけが発掘されていて、
男女が一緒に埋葬されていたと、新聞に大々的に発表されていたけど、
久留米市史では消えていると言う、不可思議な古墳です。

歯科医が直接歯を見て確認した証言も得ていますが、
歴史からは消えてしまったようです。

江戸時代には墳丘墓の中の方を発掘したらしいです。

関係ないけど、ちょっと思い出しました。

鎌田原遺跡・原田遺跡。
地元の方の脚光を浴びて、発掘調査される機運が生まれればいいですね。
途方もないものが眠っています。


この日は、飯塚市の立岩遺跡にも行けました。
どちらも自力で訪問するには道が分からなさ過ぎ(^^;

弥生人の好きな丘陵地帯歩きとなりました (^^)/



コメントありがとうございます。
返事は少々お待ちくださいませ。




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by lunabura | 2016-09-10 22:38 | にっき | Comments(0)

鮭神社・山幸彦とウガヤフキアエズとを祀る宮・鮭は豊玉姫の使い

鮭神社
福岡県嘉麻市大隈
山幸彦とウガヤフキアエズとを祀る宮
鮭は豊玉姫の使い


鮭が戻って来て、鮭神社に奉納されたという話を
前から聞いていましたが、ようやく参拝する事が出来ました。
九州に鮭?
そう、遠賀川流域の神社の話です。
昭和の初期までは鮭が遡上していたのが、
石炭産業による川の汚染のために見られなくなりました。
しかし25年ほど前から地域住民が稚魚を放流して、
最近では、年に数例の鮭が確認されているとか。
場所はうまく説明が出来ない…です。

鮭神社の二の鳥居です。
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この石段を上れば境内です。
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拝殿と境内です。拝殿の中には、鮭に関する絵馬が奉納されていました。

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鮭の剝製だよ。
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鮭の拓本もある。昭和53年12月13日のものだって。
体長81センチとは、かなり大きいですね。
捕獲場所は遠賀川!見事、地元に鮭が帰って来ました。
そう。ここは、名前のとおり「鮭の神社」なんです!

どんな謂われがあるのでしょうか。まずは「筑前国続風土記拾遺」から。

鮭大明神祭礼の9月23日、この社に奇事があり、毎年鱖魚が社辺の川に登って来ることがあるというが、鱖魚の字はいぶかしいと思う。(鮭の間違いだろう)
長さ2~3尺(40~90センチ)の鮭が社辺まで上ってくるが、これは海神・豊玉姫が御子のウガヤフキアエズのミコトのもとへ鮭をお使いとして遣わされるという。

上大隈から遠賀川の河口の芦屋の海までは12里(48キロ)余り。この間には100以上の井関もあり、無事に上ってくればその年は豊作であり、これを途中で捕えて食べれば災禍に遭うと言い、盲目になるとか、家が絶えるなどの言い伝えがあって、広く信じられている。
鮭を神の使いとする村の氏子の人々は、今だに鮭は食べない習慣が残っている。
鮭は神の使いと崇められている。

これは江戸時代の本です。
鮭が秋になると海から上って来る、けなげな姿を見て、
豊玉姫が我が子恋しさに使いをよこしている姿と重ね合わせているんですね。

この神社の御祭神は
彦火々出見尊 鸕鷀草葺不合尊 豊玉姫尊
ヒコホホデミのミコト ウガヤフキアエズのミコト トヨタマ姫のミコト

豊玉姫の夫と子供が一緒に祀られていました。ヒコホホデミは山幸彦の事です。
このあたりの神話は何度読んでも、こんがらがります…。
もう一度、おさらいしましょ。

釣り針を失くしたヒコホホデミ綿津見の宮に行って、豊玉姫と結ばれます。
三年たつとヒコホホデミは中つ国に戻って行きました。
しかし、妊娠していた豊玉姫は天つ神の子供を生むために、葦原の中つ国に行き、生む所を決して見てはいけないと言って、ウの羽根を葺いた産屋の中で出産しました。
しかし夫は覗き見をしてしまいました。それを知ると、豊玉姫は子供を残して海神の国に戻って行きました。
その子供はウガヤフキアエズの尊と名付けられました。


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境内にある石碑です。
「私共氏子は鮭を捕えた人々が持参してくれたら、神前にお供えして
神官を呼び祝詞を上げて頂いて、鮭塚へ埋める習慣になっていた。」そうです。

神社には興味深い伝承がありました。(分かりやすく書き換え)

古事記中巻 神武天皇は兄の五瀬命高千穂宮で相談なされて、天下を治めるのによい所を求めて、東をめざして日向を出発なされた。

豊後豊前をすぎて筑紫の岡田宮に一年滞在されたとある。その時途中で天皇は自ら親しく神籬(ひもろぎ)を設けて、高木の神当村岩岳山尾上に祭り給うとある。詳細は別書「社伝」にある。

神武天皇の名前が出て来ましたよ。
古事記によると神武天皇はこの遠賀川の下流の宮で1年滞在しています。
古事記ではわずか一行で済ませていますが、
神武天皇の足跡を伝える神社がこの地方には数か所あります。

この社伝からは、神武天皇はこの大隈村にもやってきて、
「高木の神」を祀っているのが分かりました。
高木の神天照大御神と一緒に高天原を経営した人で、
後に神武天皇がピンチになった時に、高倉下を通して神剣を授けた神です。

謎の多い神ですが、この川の上流にも多く祀られています。
高良山では、神の交代劇として伝えられています。
神武天皇から見たら、祖先にあたります。
(天照大御神でなく、高木の神を祀った所が興味深いですね。)
系図を見てみましょう。
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この遠賀川流域で出す系図は古いな~といつも思います。
神武天皇が父や祖父母でなく、高木の神を祀った点からも、
この神社には幾層にも渡る伝承があるように思われます。
社伝を読む機会があればいいけどな…。

「鮭神社」は出雲にもあった。  

この名前の神社は全国でもここだけと言われていたのですが、
昨年(2010年)、雲南市にも「鮭神社」があるのが分かりました。
そのきっかけが、雲南市の宮司さんの兄が嘉麻市を通りかかって、
鮭神社を見つけた事だったそうです。
両神社に同じような伝説や習慣、方言があるとか。
この嘉麻市の鮭神社は奈良時代に創建。雲南市の方は鎌倉時代の建立。
どちらも、昭和の初めまでサケが上って来ていたそうです。
これをきかっけとして両神社の交流が始まりました。
遠い昔に氏族が神社とともに移住した可能性があり、
また、鮭が遡上する事も加えて興味深い神社です。


遠賀川流域の神武天皇の伝承を伝える神社
日若神社(2) (日少神社)
         神社史を訳すと、古事記の空白を埋める記事が現れた
         霊泉をめぐる神と神武天皇と神功皇后の話
馬見神社 (2)
         上宮の白馬大明神とはニニギノ命だという。
         そうすると、ここは天孫降臨の山になってしまうが…。

『古事記の神々』ウガヤフキアエズについては「豊玉姫」でどうぞ。

地図 鮭神社のある大隈町


さてっと、神武天皇が出てきたら、やっぱり岡湊神社と神武天皇社ですよね。
次回はどっちを先にしようかな。




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by lunabura | 2011-01-20 20:35 | (サ行)神社 | Comments(5)

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