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ひもろぎ逍遥

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「神秘書」を読むときに気を付けること




『高良玉垂宮神秘書』(以下『神秘書』)は第1条が難しいので、一部だけを読んで論じる人が多いです。私もその一人でしたが、全体を読み通して気づいたことは、大きく分けて三部構成になっている点です。

で、『神秘書』を読む人へのアドバイスとして、その構成の概略を書いておきたいと思います。









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緑の1条と青の550条、551条は新しく付けられた表紙と考えてください。

黄色の部分(2条~549条)が本文に当たりますが、長い歴史の断片を集めたものです。それはバラバラでも、とにかく記録された断片です。

これを時系列に直していくと、最初はアントンイソラが干珠満珠を持ち込んで玉垂命となっています。

それから400年以上経って、白村江の戦いのあと、仏教が入って来ます。

それまでは神道のみだった高良山は仏教を受け入れるために一芝居うちます。

玉垂命は大菩薩になってしまったため、物部氏が「神を抱きまいらせる」ようになったと宣言して、物部氏が神と同一となったのです。

ところが、そのあと、さらに住吉信仰が入って来ます。神功皇后の夫は底筒男だと主張する訳です。それを説明したのが第1条です。

宇佐にも同じような話がありますが、宇佐ではそれでもOKでしたが、高良山の地元では皆、本当の歴史を知っていたために、整合性が取れず、追及されたのでしょう、第1条でいろいろと説明をしたのですが、嘘を重ねてしまい、ついに自己矛盾してしまいます。

そのため、最後の550条は1条とも違った話を書いています。さらに551条の系図も1条とは矛盾してしまいます。

ですから、『神秘書』を研究する場合は三つの構成で分けて読むと、嘘に引っ掛かりません。

第1条は最後の最後に読むのがベストです。

武内宿禰は日下部氏系図では物部保連(やすつら)となっています。

一般には応神天皇の父は武内宿禰だと印象操作されました。

でも、第1条では応神天皇の父は底筒男だと主張したため、物部氏=住吉族という変な話になりました。
こうして玉垂命は一体誰なのか分からなくなったのです。

玉垂命は江戸時代の御殿様が武内宿禰に決めた、と高良大社で伺いました。

高良下宮社の古い祭神を見ると、「高良玉垂命」と「武内宿禰命」が並んでいるので、やはり別人だということが分かります。

『神秘書』は最初の第1条と最後の二条には騙されないように読むのがコツです。


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by lunabura | 2019-01-06 22:18 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Comments(2)

バスハイク 2019年1月と2月 ご案内



バスハイク 2019年1月と2月




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来年、2019年の1月と2月のバスハイクのご案内です♪


小郡~鳥栖   ヒメコソ神の里めぐり 2019年1月31日(木)
 



筑紫野市の五郎山古墳は装飾古墳で、すぐ近くに筑紫神社があります。小郡市の竈門神社は山下影姫(武内宿禰の母)の神廟と伝えられ、近くに壮大な小郡官衙遺跡があります。

福童神社は火明命を祀り、二つのヒメコソ神社は肥前風土記に出てきます。これらヒメコソ神とニギハヤヒ神信仰の里を訪ねましょう。

藤原広嗣創建の大中臣神社も近くです。このほか、井ノ浦古墳公園や前方後方墳の焼ノ峠古墳なども見学します。

天神8:30―(筑紫野市)五郎山古墳―筑紫神社―(小郡市)井ノ浦古墳公園―竈門神社玉母宮―小郡官衙遺跡―福童神社―(鳥栖市)姫古曽神社―(小郡市)大中臣神社―媛社神社―(筑前町)焼ノ峠古墳―天神 



中間・水巻・鞍手 

日本武尊と斉明天皇の足跡を訪ねて 2019年2月22日(金




天神8:30―(中間市)御館山―(水巻町)八所神社―八剣神社―立屋敷遺跡―水巻町歴史資料館―(八幡西区)杉守神社―(鞍手町)剣神社と鎧塚古墳群―新延大塚古墳―熱田神社―八剣神社―六嶽神社ー天神



中間市に斉明天皇の行宮を伝える御館山があります。斉明天皇は近くの八所神社で戦勝祈願をしますが、そこは日本武尊も祭祀をした所でした。

周辺には日本武尊の足跡が多く、愛姫の砧姫を伝える八剣神社、香月氏の発祥の杉守神社、武尊が鎧を脱いだという剣神社、武尊を歓待した八剣神社、熱田神社などがあります。

また、三女神の降臨を伝える六嶽神社や新延大塚古墳なども回りましょう。


◆申し込み 歴史と自然をまもる会 092-408-7140 (火~金)10時~16時
      4000円


 
◆神功皇后100社巡りが終わって、新たにポイントを決めてバスハイクの案内をします。取りあえず、物部氏関連の神社を回ろうと思って企画しました。真冬なので平地を中心にまわります。雪の心配がなくなったら山の方にも行きたいですね。


1月31日(木)はヒメコソ神とニギハヤヒ神関連です。古墳も沢山あるのでそれも回ります。そのエリアに小郡官衙があるので、神社や古墳などと共に地域の特徴が掴めたらいいなと思っています。焼ノ峠古墳は前方後方墳で、卑弥呼の次世代の頃になります。帰り道に寄ります。



2月22日(金)は日本武尊とそれを支えた物部氏がメインですが、そこに斉明天皇がやってきています。後半は「脇巫女」舞台の中心的存在・六嶽神社に行きます。新延大塚古墳の石室見学もします。石室のキラキラ光る石とか、必見です。この日はヤマトタケル関連ばっかりです。



20181218





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by lunabura | 2018-12-18 19:45 | バスハイク | Comments(0)

宙ぶらりんになった「高良玉垂宮神秘書 抜粋本」



宙ぶらりんになった

「高良玉垂宮神秘書 抜粋本」




2015年の夏、「高良玉垂宮神秘書 同紙背」を手にしたら、猛烈に訳をしたくなり、あっという間に訳してしまいました。訳をして、一条ごと、すべてに解説をつけました。

もう二年半前のことになります。

これは祭神の変遷が分かる部分だけ抜粋して口語訳をし、項目別に分類したものです。全551条のう86条を抜粋して、項目別に書き分けました。

その結果、高良玉垂宮の祭神は白村江戦の前と後で大きく変化したことが分かったのです。

それを発表したのは2017年。歴史カフェと久留米大学の講座の時でした。

その後、出版の話が二件ほどあったのですが、あいにくどちらも駄目になり、自分で印刷して手売りしてはどうか、というアドバイスをいだたきました。


その方法も有りで、粗末な手刷り本でも構わないと思われる古代史ファンに届ける一つの方法で、最終的な方法かなと思っていたのです。

ところが、いざ印刷してみようとすると、パソコンの買い替えでワードの字が変貌していました。

パソコンのワードはバージョンアップする度に文字が一部変わるのですが、これに引っ掛かってしまいました。

ビスタの時代に作成したワードをウィンドウズ8・1で開くと、前使っていた文字が別の字体に変わっていました。さらにウィンドウズ10では更にお気に入りの字体が無くなっていました。

ルビをたくさん打っていたのですが、新しいワードでは行間が広がってしまい、意図したものとは違ってしまったのです。

再び編集していかねばなりません。これに取り掛かるとしたら、ずっと先かな。

そこで、今年の目標として、もう一度スポンサーを探すなりして出版できる方法を模索することにしました。

それが駄目なら、自分で印刷するかな。


この抜粋本の特徴として、目次を工夫して、タイトルだけで内容が分かるようにしています。
以下は目次の一部です。
実際は縦書きのものを横書きにしました。数字はページです。


1章【高良大菩薩】

高良山の名の起こり 一四三条     15
四方の固め 五一一条        16

【神籠石と八葉の石畳と馬蹄石】
住厭・八葉の石畳の起こり 一四四条16
八葉の石畳 一二四条         16
神籠石 一二九条            16
馬蹄石 高牟礼を出し抜く 三二八条17
高良内は高良の結界の内 一八二条   19

2章 【三種の神器と干珠満珠】

神代に干珠満珠 五四二条      20
干珠満珠は五寸の勾玉 五〇九条   20
玉垂宮の由来 五〇九条         20
山上の一火は三つの玉の霊力 二一四条21
麓の一火は鏡の霊力 二一五条      22
ホウクハンを内裏へ申さず 二三九条24


目次を見て例えば15ページを開けば、その条が出てきます。



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一条ごとに
   1 漢字平仮名混じり文
   2 口語訳
   3 要約
   4 解説
を書いています。


誰が読んでも理解できるように。

今の世代、そして次の世代への贈り物として取り組みました。

アドバイスがあれば教えてくださいね。
今年の終わりまでには何らかの形にしたいと思います。



<2018年1月1日>



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by lunabura | 2018-01-01 20:06 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Comments(4)

ひめちゃご101 物部神社2 板部城と中津隈城



ひめちゃご101

物部神社2 

板部城と中津隈城
 


さて、物部神社の西から聞こえてきた
「私たちはここにいます」という森について、
密かに筑後国造の調査を期待していたが、やはり調べてくれた♪

以下はそのコメントだ。

<物部神社の西の森は、板部城という中世の城跡で、古墳は無いようです。
しかし物部神社の西500mの宝満神社
(祭神は玉依姫命であり、息長足姫命、市杵島姫命、大山咋命も合祀されています)
の境内には、前方後円墳である中津隈宝満宮古墳や
他の古墳の石室の石材が露出しています。
また、三階松紋もあります。>

このように、西の森には板部城があることが分かった。

また、さらに西にある中津隈宝満神社にも三階松紋があるという。
「宝満神社と三階松」は珍しい組み合わせになる。

実は、これと前後して、地元に詳しい方が
その宝満神社の画像と掲示板の説明文を寄せてくれた。








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幡の上部に赤い三階松紋が見える。
この石垣が古墳の形状を残しているのだろうか。
ほかの古墳の石材もあるということで、
もともと複数の古墳が築造されていたようだ。

この宝満神社自体は732年に松本というところに勧請されたのが、
812年に現地に遷されたということだ。

すでに古墳があったので、神社を建てる時に一部の古墳が壊されたのだろう。

「城」の話を手掛かりに『北茂安町史』を調べてみた。
すると、ここにも中津隈城があったという。
そして、この中津隈宝満神社が城の核とされていた。

つまり、中津隈城の丘の歴史は、もともと古墳があり、
神社が建ち、城が建てられたことになる。

これと同様の歴史を辿ったのが物部神社と板部城のようだ。



町史によると、板部城の敷地に関しては、
西の森説と、物部神社を含んだ敷地説の二つに分かれるという。











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物部神社の境内には上のように古墳の奥壁が並んでいる。
城を建造するときに、奥壁だけ残されて祀られたような趣だ。

この古墳は物部神社敷地にあったものか、
あるいは西の森から移されたのではないか。














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この場所について、チェリーが新たに作成してくれていた
現地周囲の地図があるので、見てみよう。

物部神社の西に島が見える。(「スーパー地形」の「形」の右側)
これが「中津隈西」といい、中津隈宝満神社が鎮座する所と思われる。

そして、物部神社の南に涙の形をした島(岬)が見える。
そこを「中津隈東」と呼ぶようだ。

「隈」は天文観測所の可能性がある。

「西」と「東」があるということは、中央があるということだ。
「西」と「東」に挟まれた岬には重要な施設があったのではないか。

地名と地形からそんなことを考えた。

なお、『風土記』には物部神社の北、綾部八幡宮の南の地点に
「郡役所」があったことが書かれている。
その場所が神社の形で残っていたら素晴らしいが。

そして、綾部~物部の舌状台地の東を流れる川が寒水川だ。
寒水川といえば、先日の朝倉の水害で氾濫した川と同じ名だ。

綾部~物部の東の寒水川も土砂崩れが起こって、僧が祈っている。
(九千部山の語源由来)
周囲は花崗岩質の風化土からなる丘陵地帯で、
綾部の民が故郷に戻らず居ついたのも納得できる。

さらに古くは阿蘇Ⅳの火砕流が及んだ所でもあるという。
これは9万年前の話だ。

三人の情報のおかげで、漠然としたまま素通りするところが、
地形と由緒をしっかりとみることができた。
三人に感謝。

<2017年10月30日>





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by lunabura | 2017-10-30 21:08 | 「ひめちゃご」 | Comments(7)

資料完成^^



歴史講座の資料が出来上がりました。
来週の分です。
8ページにもなりました(^^;

最近は紙を節約する事より、
ページ配分をゆったりとして、見て楽に思える方を優先しているので、
ページ数がだんだん増えてます(;’∀’)
(空白が増えている^^)

二時間内にまとめるのに、また一工夫が必要なのです。

今回は物部氏や賀茂氏。
シンボルを理解していくと、随分昔から各地に展開していたのが
見えてきました。

どちらも冶金の民と言えますが、
物部氏は武器を造ってたのかな。
賀茂氏は農機具などがメインということでしたよね。

七支刀は鉄の刀です。
各地に出土するのは青銅器が多いですよね。
どの部族が作ったのかが分かると面白いんだろうなあ。







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by lunabura | 2017-08-21 21:29 | にっき | Comments(0)

ひめちゃご37 ヒメコソ三社参り



ひめちゃご37

ヒメコソ三社参り
 



今日はヒメコソ神を祀る三社に参拝した。
ウメとタケが同行してくれた。

エリアは小郡市から鳥栖市、みやき町にかけて。

特に鳥栖市とみやき町には同じ地名「姫方」があるが、
それは物部とイチキシマ姫祭祀によるものと考えられた。

二つの姫方を結ぶ夏至日の出冬至日没ラインを柱にして東から西へと回った。

この行程の計画をしているうちに、
朝日山がそのラインに乗っていることが分かったのだ。

今日は写真整理をしているが、なんと10か所も回っていた。


本日は備忘録として、リストを書いておきたい。

1 媛社神社 小郡市
2 福童神社 小郡市
3 大中臣神社 小郡市
4 姫古曽神社 鳥栖市 姫方
5 朝日山宮地嶽神社 鳥栖市
6 千栗神社 三養基郡 
7 物部神社 三養基郡
8 若宮八幡神社 三養基郡 中原
9 北浦天神 三養基郡
10 雌塚 三養基郡 姫方

このうち、ヒメコソ神三社とは次の三社を指す。

1 媛社神社 小郡市
4 姫古曽神社 鳥栖市 姫方
8 若宮八幡神社 三養基郡 中原

9時から3時ごろまで、ゆっくりと昼食を取ったので実質5時間の行程だった。
皆さんの参拝の参考までに。







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4 姫古曽神社にて







                     <2016年12月8日>



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by lunabura | 2016-12-08 23:16 | 「ひめちゃご」 | Comments(3)

歴史カフェ 次回は「物部とヒメコソ神」



歴史カフェ 

次回は「物部とヒメコソ神」



今日の歴史カフェ、第一日目、ご参加ありがとうございました。

テーマは中大兄皇子(天智天皇)の
福岡での事績、水城や漏刻、指南車、観世音寺などでした。

中大兄皇子や斉明天皇の存在は福岡では語られることがなく、
記憶から消え去っている印象を受けます。

二人(に限らす大田皇女や額田も藤原鎌足も)が福岡に来たことを、
私たちは子供のころから教えられなかったので、
『日本書紀』の話が奈良や京都の話と思い込んでいたんですね。

新たな視点を得て読んでみると、
『日本書紀』は身近な歴史を伝えてくれているのがよく分かりました。

改竄や捏造も納得しながら読み込めば、
もっと故郷の歴史を導き出せることを確信しました。

「ひめちゃご」は中大兄皇子を通して見せられている部分もあり、
女神だけでなく、日本を守った人たちを知ることでもあるのだと
思うようになってきました。


百済が滅びて唐軍が占領し、
難民が筑紫に押し寄せるのを目の当たりにした中大兄皇子は、

続けて筑紫もまた唐軍に占領されることを恐れ、
筑紫の神々を守るために京都などに神々を遷したのではないか。

中大兄皇子の筑紫での祭祀を見ていると、そうも思われてくるのです。



「脇巫女」と「ひめちゃご」は同じテーマでありながら、
別の時代を教えられてもいるようです。

奇しくもその舞台は、鞍手、姫方、太神長島という「物部の里」でした。
(くらて、ひめかた、おおが・おさじま)

次回のお題は「物部とヒメコソ神」です。

物部の祭祀、出自、ヒメコソ神など、
これまでブログに出て来た内容を整理して、一緒に考えていきいと思います。

目次など詳細が決まったら、また案内しますが、募集は開始しますね。
ご参加お待ちしています。


また、本日(10月30日)の内容を11月10日にも話します。
興味のある方は申し込みお待ちしています。





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by lunabura | 2016-10-30 22:10 | 歴史カフェ | Comments(4)

杉守神社  香月氏



杉守神社

 香月氏


遠賀川流域の物部氏の中では、香月氏の系譜がかなり詳しく伝わっている。

物部氏は文字を持っていて、記録を残す氏族だったのだろう、とよく思う。

香月氏の祖はニギハヤヒであり、かつ田道命ということなので、
物部と皇族の末裔の両方の性格を持つ。

だからだろう、
小狭田彦の代に景行天皇や日本武尊の遠征に絶大なる支援をしている。

その結果、日本武尊は小狭田彦に「香月」姓を賜ったという。

簡略な縁起はネットでも見ることが出来るが、
文脈から、どうしても分からない事があった。

それは、香月氏の本貫地は杉守神社のある所ではないのではないか、
という疑問だった。

それを確認するために、杉守神社に出かけることにした。

場所は前回の磐瀬行宮(中間市)からわずか4キロ程度の所だ。





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田園に突き出た丘陵があり、その突端に宮は鎮座していた。







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急な石段を上りきると境内に出た。








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拝殿は左側にあった。
宇佐や熊本で見かけた横参道のようなタイプだった。







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神紋は鳥だ。
後で教えていただいたが、「白い鳥」と言う。
何か特別な鳥を指すわけではなかった。
ヤマトタケルの象徴である「白鳥」のことだろうと勝手に思った。

これまで「白鳥」を「はくちょう」と思い込んでいたが、
「しろいとり」と読むのが正しいのかもしれない。





初夏の嵐のあと、クスノキの落ち葉がおびただしい季節だ。
落ち葉掃除をしてあった宮司に話を伺う事が出来た。

それによると、やはり、香月氏はもともとここではなく、
黒川の上流、「ヨモギが原」という所に住んでいたという。
「フツ」と似ているでしょうが、とも言われた。

「ヨモギ」は一般に「ホウ」「ブ」と音読みするから、
何か特別な呼び方があったのだろう、なるほど、
物部らしいと思った。
そう、「フツの御魂」という剣神霊を信仰しているのが物部氏だ。


小狭田彦が娘の常磐津姫とヤマトタケルの縁組をしたのも、
そのヨモギが原ということになる。

戦うときには香月氏は宗像氏と共に戦ったという。
香月氏の祖に市杵島姫の名前も見えることから、
両氏は長い間共闘関係にあったのだろう。

宗像氏の動向の伝承を初めて採取した。
宗像氏は大国主を祖とするので、遠賀川流域で活躍していたのだ。
なるほど。
ミッシングリングが少しずつ繋がっていく。



さて、香月氏は何故ここに移って来たのか、伺った。

もともと黒川の上流、シラキ川が注ぐ所に住んでいたが、
水が無かったので、現在地に移ってきたという。
氏子が周辺に多いのも理由の一つだと言われた。

移ってきたのは、古代の話だ。
現在地には近年まで水質のよい井戸があったが、
炭鉱のために水が出なくなったという。

また、黒川も洪水で氾濫して、一面水浸しになるという話も伺った。

当宮はもともと「日本武尊」のみを祀っていたが、
先祖の夢で、それでは寂しいからと、新たに三祭神を合わせ、
四柱を祀っているという。
三祭神とは神功皇后、仲哀天皇、仁徳天皇だ。

まだ「スギモリ」も「杉森」から「杉守」と変わった。


家に戻って黒川の水域を調べていると、金剛山を回りこんでいることが分かった。
金剛山!
そう、そこには川上タケルの弟がいたはずだ。


「脇巫女27」でそのことを考察している。
◇◇ ◇

小狭田彦は本名は常盤津彦と言った。
幼少より賢明で、いつも山間の狭い土地を開墾していたから、
小狭田彦と言うようになった。

景行天皇が来て、しばし小狭田彦の居館に留まり、移っていく。

のちにヤマトタケルもやって来て滞在する。
小狭田彦の住まいは香月庄。現在杉守神社の所か。
あるいは寿福寺か。

小狭田彦は娘の常磐津姫を差し出した。

この近くの金剛山に熊襲が住んでいた。
そのクマソとは火国の川上梟師の弟で、江上梟師(たける)と言った。
日本武尊は黒崎より上陸して笹田の小狭田彦とともに黒川を渡り、
熊襲の軍を屠ったという。

杉守社伝に日本武尊が
「あな楽し、花の香り月清きところかな。
今よりこの地を香月のむらと名づくべし」
と名を賜ったのはこの時だろうか。
小狭田彦は香月氏となった。

◇◇ ◇

やはり、金剛山にいた江上タケルと一戦交えていた。


ヨモギが原に居た小狭田彦は娘をヤマトタケルに嫁がせた。

それから江上タケルや川上タケルとの戦いに勝ち、
褒賞として香月の姓を賜った。

その後、小狭田彦の夢に亡くなったヤマトタケルが現れて、
白鳥となって、この地に飛んで来よう、
と言ったことに因んでここに祀るようになったとする。





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杉守神社では宮司さんにお忙しいなか、お話を聞かせていただきました。

改めて、お礼を申し上げます。



杉守神社






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by lunabura | 2016-05-12 22:00 | (サ行)神社 | Comments(6)

脇巫女43 物部サンジカネモチ


脇巫女43

物部サンジカネモチ


依代(よりしろ)の口を借りて語った物部某
その話のあらすじを書くことにする。

物部某はこの話を書くかどうかは私の判断に委ねた。

数日間、そのサインを待っていると、
今朝の眠りの中で、私はあらすじを辿っていた。
GOのサインだ。

良く分からない部分もあったので、違っていたら訂正を乞う。


物部某の語る古代。

海面が高くて、九州がまだ半分の面積だったころ、
物部氏は鉱物を求めて鞍手に入った。

鞍手で「黒玉」という重い物質を発見すると、
それで刀や槍や矢を作った。

農耕をして、ようやく安泰に暮らせるようになったころ、
ヤマトタケルが来て、土地を明け渡すように言った。

この時、物部は二つに分裂した。
一つは受け入れ派。もう一つは反対派。

受け入れ派は小狭田彦だった。
娘の常磐津姫を差し出した。


物部某のいた熱田には宗像物部がいた。
武器を作っては熱田神社の裏山に集積していた。

長年、苦労しながら鞍手を開発した熱田の物部にとって、
ヤマトタケルの要求は理不尽で受け入れがたかった。

受け入れるか、戦うか。
熱田の物部の内部でも二つに分裂した。

古物神社には物部の姫君、ミヤズ姫がいた。
他の姫君と違って、幼い頃には男の子たちと走り回るような姫だった。

そんなミヤズ姫は物部の民に愛されていた。

ヤマトタケルを受け入れる事は、ミヤズ姫を差し出すことでもあった。

物部にとって、これも許しがたかった。

熱田の物部某は物部サンジカネモチをそそのかして
ヤマトタケル討伐の策を持ち込んだ。

サンジカネモチは正義感に駆られると、その策を実行に移した。



サンジカネモチはヤマトタケルを襲った。

ヤマトタケルは草薙剣を持って戦ったが、
サンジカネモチの剣が急所を捉えた。

ヤマトタケルは草薙剣を捨てて逃げた。

深手を負いながら五人の護衛とともに逃げたが、鎧が重すぎて脱いだ。
追っ手に見つかることを恐れて、鎧を土に埋めた。

泉水(せんすい)に着くと、ヤマトタケルはその水を飲んだ。
ところが、その水は水銀を含んだ毒水だった。



ヤマトタケルはついに絶命した。



五人の護衛は遺体を剣岳に埋葬しようとしたが、
死が発覚することを恐れ、麓に埋葬した。

五人は一計を案じ、影武者を仕立てた。
こうして、何事もなく、ヤマトタケルは存在することになった。


物部サンジカネモチは奪った草薙剣を持って熱田に戻ると
一族に言い放った。

  われにひれ伏せ、この地に残りし者よ
  われにひれ伏せ。この地を汚す者よ
  われこの地に君臨したる者 この地を浄化する者
  われにあがなう者よ、われにひれ伏せ
  われに従え

そうして、熱田の武器を持ち出すと
草薙剣を持って古物神社に駆け付けた。


以上が私が理解したあらすじだ。



この話に呼応するように鞍手には「鎧塚」という地名があり、
ヤマトタケルの鎧を埋めた所と伝わっている。

また、泉水は?
どうだろう。
そこには小学校があるという。


以下は三か月前の星読の記録だ。

◇◇ ◇
<17>2015年11月22日

熱田神社にも参拝しようと「七色」が言った
星読は初めてだった

参拝していると、体が前に引っ張られるような感じがした・・・強い力ではない

この時、星読の心に言葉がよぎった

われにひれ伏せ、この地に残りし者よ
われにひれ伏せ。この地を汚す者よ
われこの地に君臨したる者
この地を浄化する者
われにあがなう者よ、われにひれ伏せ
われに従え


「七色」は説得している・・・そんな感じが伝わってきた

帰りに気になったので振り返り・・ひれ伏せ

「七色」は「もののべ」たちの神社として教えてくれた

◇◇ ◇


依代を借りて出て来た物部某が言うには、
物部サンジカネモチの転生者が星読だそうだ。

星読の心によぎった「われにひれ伏せ」という言葉は、
ヤマトタケルを討って草薙剣を取り上げ、
熱田神社に戻ってきた時の言葉だったそうだ。

三か月前の記録は、こうして繋がった。



鞍手 熱田神社 泉水




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by lunabura | 2016-02-27 18:07 | 「脇巫女」 | Comments(14)

脇巫女42「物述」が語ったが


脇巫女42
「物述」が語ったが


「歴史カフェ」を始めたが、
この時を契機として何かが始まる予感を持つ人もいた。

そして、四日後の今夜、2016年2月24日。
思いがけず、「物述」が語り出す所に居合わせることになった。

それは「菊如」の祈りによって呼び出された見えない存在が、
「崋山」(かざん)の口を借りて語ったものだった。

物述の男は怒りに満ちていたが、
最後には「良き日かな」と言って去っていった。

そこで語られた鞍手での出来事は想像を絶した。
通説とはあべこべの世界だった。

私はまだ理解しきっていないのだが、星読はすべてを飲み込んだようだった。



そして、私には受け入れられない話も出て来た。
想定外というか。

「受け入れて、その立場でみると、いろいろと思い出しますよ」
と「崋山」は言った。
その微笑は先ほどの「物述」とは別人だった。

「そうですね」
そう答えながら、受け入れるには時間が必要だと分かった。

コメント欄で同じ悩みを書いてくれた人がいたが、
自分の立場になるとこれが難しいことを知った。

やはり、ミラー現象は起こる。

さて、この話を今書くのは困難だ。
「星読」が書いてくれたら、綴ることにしようか。





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by lunabura | 2016-02-24 23:08 | 「脇巫女」 | Comments(2)

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