ブログトップ

ひもろぎ逍遥

タグ:神功皇后伝承地 ( 331 ) タグの人気記事

三種の神器の行方


三種の神器の行方


仲哀天皇が崩御したあと、三種の神器はどうなったのでしょうか。

これについて考えたこともありませんでしたが、『高良玉垂宮神秘書』にはこの行方が書いてあります。第1条に書かれているのですが、これは人物の書き換えが行われているので、分析して得たものは、
  剣⇒神功皇后
  鏡⇒武内宿禰
  八尺瓊勾玉⇒安曇磯良
です。三人で分け合って持っていたのです。

神功皇后が剣を預かるのは「なるほど」という感じですね。








c0222861_19383983.jpg

磯良が勾玉を預かると干珠満珠と合わせて三つの珠になります。

この三つの玉が合体した霊力が「山上の一火」となって、高良山の上宮に鎮座し、毎日その「山上一火」の霊力がそこから出て、八葉の石畳などを巡って毎日照らしたそうです。

「もしこの火が消えることがあれば、当山は滅亡する。二、三日照らさなければ必ず苦節が来る。」
とまで書かれています。
この八尺瓊勾玉はのちに神功皇后が皇居に行く時に返しています。



ところが、八咫鏡は武内宿禰が預かりましたが、自分の子供である日往子(ひゆきこ)に伝世してしまいました。

ですから、麓の大祝家に祀られました。
日往子の墓が祇園山古墳と言われています。

八咫鏡の霊力は「麓の一火」となり、麓の集落や祇園山古墳を巡ったといいます。

こうして、高良山については「上の高良は玉垂」(磯良)、「下の高良は武内宿禰」と言われるようになったのです。




※昨夜は十時ごろからエキサイトがアクセス不能になりました。
2時間ほどで解決したようです。
投稿しようとしたブログも大した内容でなかったので、ボツにしましたよ♪

20190110




c0222861_15184581.gif

by lunabura | 2019-01-10 19:39 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Comments(1)

書き変えられた絵巻




 神功皇后の本を書いてから各地で講演をしましたが、志賀島や海ノ中道あたりの話になると、何故か久留米の高良大社の絵巻を使って話すととても便利でした。







c0222861_21275873.jpg

(高良大社で許可をいただいて撮影しました)

「高良」は武内宿禰。黒の武内ですね。
「磯良」は安曇磯良。白の磯良です。

八乙女が浜辺で舞を舞うと、磯良が鞨鼓を叩きながら現れています。
それから「高良」と「磯良」が対面しています。

そして上の方では「豊姫」が干珠満珠を貰って武内宿禰に渡しています。
ここは志式神社の浜と志賀島舞能ケ浜の話が合わさったものです。

これを説明しながら腑に落ちない点が一つありました。
何故「磯良」は「高良」に手を付いているのだろう。
本来なら「磯良」が船と水軍を出すのだから、「高良」の方が挨拶するのではないか。

と、説明に困っていたのです。









c0222861_21281971.jpg

ところが、佐賀の千栗八幡宮の絵巻に出会いました。
そこでは毅然とした磯良に武内宿禰が軽く頭を下げています。

「かたじけない」「よろしく頼む」と武内宿禰が礼を述べているシーンです。
これこそが、本来のストーリーなんですね。
これで物語が上手く進みます。

ですから、高良玉垂宮の方は意図的に書き変えられたのが分かりました。

それでも高良玉垂宮と志賀島、安曇磯良の縁の深さに変わりはありません。






20190107



c0222861_15184581.gif

by lunabura | 2019-01-07 21:30 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Comments(0)

「神秘書」を読むときに気を付けること




『高良玉垂宮神秘書』(以下『神秘書』)は第1条が難しいので、一部だけを読んで論じる人が多いです。私もその一人でしたが、全体を読み通して気づいたことは、大きく分けて三部構成になっている点です。

で、『神秘書』を読む人へのアドバイスとして、その構成の概略を書いておきたいと思います。









c0222861_22171199.jpg

緑の1条と青の550条、551条は新しく付けられた表紙と考えてください。

黄色の部分(2条~549条)が本文に当たりますが、長い歴史の断片を集めたものです。それはバラバラでも、とにかく記録された断片です。

これを時系列に直していくと、最初はアントンイソラが干珠満珠を持ち込んで玉垂命となっています。

それから400年以上経って、白村江の戦いのあと、仏教が入って来ます。

それまでは神道のみだった高良山は仏教を受け入れるために一芝居うちます。

玉垂命は大菩薩になってしまったため、物部氏が「神を抱きまいらせる」ようになったと宣言して、物部氏が神と同一となったのです。

ところが、そのあと、さらに住吉信仰が入って来ます。神功皇后の夫は底筒男だと主張する訳です。それを説明したのが第1条です。

宇佐にも同じような話がありますが、宇佐ではそれでもOKでしたが、高良山の地元では皆、本当の歴史を知っていたために、整合性が取れず、追及されたのでしょう、第1条でいろいろと説明をしたのですが、嘘を重ねてしまい、ついに自己矛盾してしまいます。

そのため、最後の550条は1条とも違った話を書いています。さらに551条の系図も1条とは矛盾してしまいます。

ですから、『神秘書』を研究する場合は三つの構成で分けて読むと、嘘に引っ掛かりません。

第1条は最後の最後に読むのがベストです。

武内宿禰は日下部氏系図では物部保連(やすつら)となっています。

一般には応神天皇の父は武内宿禰だと印象操作されました。

でも、第1条では応神天皇の父は底筒男だと主張したため、物部氏=住吉族という変な話になりました。
こうして玉垂命は一体誰なのか分からなくなったのです。

玉垂命は江戸時代の御殿様が武内宿禰に決めた、と高良大社で伺いました。

高良下宮社の古い祭神を見ると、「高良玉垂命」と「武内宿禰命」が並んでいるので、やはり別人だということが分かります。

『神秘書』は最初の第1条と最後の二条には騙されないように読むのがコツです。


20190106



c0222861_15184581.gif

by lunabura | 2019-01-06 22:18 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Comments(2)

奉射祭と「子(ね)の日の松」



奉射祭

「子の日の松」




今夜はRKBラジオの「古代の福岡を歩く」は志賀海神社のレポートがあっていました。
私の出演ではないですよ。

ラジオを持って来て聞こうと思ったけど、ラジコで聞けるじゃん、と思い出しまして。
昨年はパソコンでラジコが上手く聞けなかったのですが、今日はばっちり。
ということは、全国でリアルタイムで聞けるんですね。


来週、1月13日(日)9時から志賀海神社で奉射祭(ほしゃさい)があるのですが、その関連行事の説明があっていました。






c0222861_21523659.jpg

射手士が沖津宮で禊祓いをし、ガラモを潜って採る話があっていました。

新参がガラモを採るのですが、ガラモを採っても長老が「違う」と言い、何度か潜ってようやく「それだ」というと、それを沖津宮に奉納して位を貰うそうです。

それから中津宮に行って「まいのうのきし ひめまつや」という「舞能の歌」を歌います。

奉射祭の由来は景行天皇の御代に阿曇百足(ももたり)が八人の若者と共に土蜘蛛を討伐したことによるものだそうです。






c0222861_21531065.jpg

これは2016年の奉射祭のようすです。的が意外に遠いので驚きました。






c0222861_21533532.jpg






で、思い出したのですが、昨年、バスハイクで参拝した時、絵巻について尋ねました。

絵巻の一番上に松が三本描かれているように見えるのですが、確認できないので、それを伺ったのです。

その由来は上に書いた「舞能の岸 姫松や」のことではないかと言われました。

「舞能の岸」とは先日投稿した志賀島の勝馬にある浜です。
沖津宮に向かって左は「下馬ケ浜」(神功皇后が馬から下りた所)右は「舞能ケ浜」(神功皇后が舞を奉納した所)といいます。

これも江戸時代の書物を手に何年か前にお尋ねした内容でした。

で、聞いたとき、高良山の「子(ね)の日の松」(子の日に松を三本植える)の行事のルーツではないかと思ったのです。

高良の神が小松を植えたのが始まりとされているのですが、玉垂命が安曇磯良と分かった今、志賀島の沖津宮の縁起が高良山に持ち込まれたのだと確信したのです。







c0222861_21541846.jpg

(舞能ケ浜から沖津宮を見る。射手士は海を渡って禊をする)

この舞能ケ浜は「御手洗(みたらい)」「日向(ひむか)」とも呼ぶそうです。
大戸、小戸がある話も書きましたね。
海流によって泡が立つ所だそうです。

イザナギ尊がここでミソギをして神々を生んだ話も伝わっている訳で、ここがあの神話の原点だと私は確信していますが、神職が「各地にもいろいろありますので」と謙虚に言われるようすは本物ならではの表現だなと思ったのでした。


そうそう、江戸時代の志賀島の本の話、歴史カフェでする予定ですが、まだまだ準備に取り掛かれないでいます。今やっていることを仕上げてからご案内しますね。



20190105



c0222861_15184581.gif

by lunabura | 2019-01-05 21:55 | 志賀海神社・しかうみ・福岡市 | Comments(0)

原点の海へ



雲が切れ始めた。








c0222861_2213935.jpg

今日はこのブログの原点となった志賀島の沖津宮へ。









c0222861_2215689.jpg

まずは始まりの二見岩。
あの日、全天曇りだったのに丸く雲が開いて、スポットライトのように光が海を照らした。
「竜宮門だ」と勝手に思った。
今は向こうに見える山や島の名も告げられる。








c0222861_2221711.jpg

勝馬へ。
神功皇后伝承を通して、ワダツミの神とイソラ神の物語を紡ぐ日々だったと今更ながら思う。






c0222861_2223546.jpg

イザナギはここでミソギをして神々を生んだ

神々は洞窟から出て遊ぶ

タラシ姫はここに磯良を召した

イソラの白い覆面

黄金の亀

干珠満珠のもたらしたもの

干珠満珠を垂れる命






c0222861_223198.jpg

渡来の記憶





c0222861_2234073.jpg









c0222861_22404.jpg


始まりの地






c0222861_22425100.jpg

この始原の海のエネルギーが皆さまに届きますように





          20190102


c0222861_15184581.gif

by lunabura | 2019-01-02 22:06 | 志賀島の各地 | Comments(4)

香椎宮の雅楽を聞いてきました





c0222861_233013100.jpg


今夜は香椎宮の雅楽保存会の演奏会を聞いてきました。

生で雅楽を見る機会は一生ないだろうな、と思っていたので、有り難い機会でした。


なんと、雅楽は神功皇后が持って帰って来たものだそうです。
これは全く知りませんでした。

でも、梁塵秘抄(りょうじんひしょう)が香椎宮にもともとあったというのも、これで理解できます。


香椎宮には多くの曲が収集されていたというのは真鍋の話ですが、納得しました。
火災に遭う前はどれほどのものが残されていたことでしょうか。

さて、今回は雅楽を奏でる楽器と奏法と音色を知るのが大きなテーマでした。
昔は傍で聞いていたはずなので、最前列で聞きました。

笙(しょう)に一番興味がありました。
これに加えて篳篥(ひちりき)の塩梅(えんばい)という上下の奏法に心が奪われました。
越天楽などでよく聞く奏法です。






c0222861_23304229.jpg

雅楽の空間が美しい。







c0222861_23305824.jpg

で、目の前には鞨鼓(かっこ)!!!!!

磯良が胸に下げている楽器を間近に見ました。
小太鼓のバチに似た物を左右に持って演奏します。

絵巻と同じです。

雅楽の演奏は素晴らしいものでした。
アナログの音は細胞の隅々まで伝わってきます。

帰りも雅楽で送られました。


素晴らしい体験でした。



20181209




c0222861_15184581.gif

by lunabura | 2018-12-09 23:31 | 香椎宮・かしい・福岡市 | Comments(0)

18回バスハイク行ってきました




小雨がぱらつく一日で、傘を差したり畳んだりしながらでしたが、神功皇后伝承地巡りも予定通り行ってきました。








c0222861_2023220.jpg

ここは下関の彦島。行ってみると、縄文時代からの遺跡がある所に彦島八幡宮が鎮座していました。

伊都県主五十迹手(いとて)が迎えに来た港で、古代からの交通の要衝だったのがよく分かりました。






c0222861_20231867.jpg

この後、宗像ユリックスのプラネタリウムです。

今、秋の星が中心ですが、アンドロメダとかケフェウスとかが南の空で絢爛豪華な神話を語っていたんですね。
知るのと知らないとでは大違い。
急に星の世界が豊かになりました。


素敵な音楽と満天の星。(生の語り!)

旅のエンディングとして、良かったなと(自画自賛ですが)思いました。


神功皇后の百社巡り、この日は3名が達成したので、私が知っている限りで合計6名が達成したのかな。

私自身、まさか再び百社を回れるとは思っていなかったので、ありがたい企画でした。
お礼参りが出来て良かったです^^

1月はヒメコソ神とニギハヤヒ神の里、2月は日本武尊の足跡。
興味がある方は時々、「歴史と自然をまもる会」を覗いてくださいね。
当方でもお知らせします。


20181206




c0222861_15184581.gif

by lunabura | 2018-12-06 20:24 | バスハイク | Comments(0)

18回 バスハイク いよいよラスト回は小倉、門司、下関へ



18回 バスハイク 

いよいよラスト回は小倉、門司、下関へ




神功皇后伝承を伝える宮々を巡る旅が12月6日(木)にありますが、ついにラストの回を迎えます。

ラストというのは、拙著『神功皇后伝承を歩く』で選出した100社が基準です。

これまで福岡と佐賀を巡りましたが、まだまだ長崎(壱岐・対馬)にも多くの伝承地が残されているんですね。

主催の「自然と歴史をまもる会」は、九州と山口位が対象のエリアとなります。
今回、回る所です。

① 96篠崎八幡神社 神功皇后は皇子を立たせて「穴門は近し」と群臣に言った
② 91到津八幡神社 小倉北区上到津 神功皇后の御座船が港に着いた

③ 99甲宗八幡宮 門司区旧門司 三韓からの朝貢船が門司ケ関に泊まった
④ 100和布刈神社 門司区門司 神功皇后は比売神と安曇磯良たちを祀った

  唐戸市場(昼食)

⑤ 彦島八幡宮 下関市彦島迫町 伊都県主五十迹手がここに迎えに来た
⑥ 宗像ユリックスプラネタリウム  古墳広場 久原古墳群

小倉北区と門司区を回り、関門海峡を越えて伊都国から五十迹手(いとて)が迎えに来たという彦島へ。
ここで「神功皇后伝承のたどる旅」のラストを迎えます。特段、イベントはありませんが…。

この「彦島」日本書紀では「引島」の名で出てきます。
この伝承による地形の変化の話などは、ブラタモリで聞く話と重なって面白いです。
ちなみに、ルナブラの名はブラタモリの前に付けましたよ♪

さて、お昼ご飯の楽しみは人気の高かった唐戸市場です。

門司で団体で食事をするところが見当たらないので、海を越えて行きます♪
海といっても、アレですが^^

ここは最初にバスの運転手さんが連れていってくれたのですが、それを知らなかった参加者の方がわざわざ私に「ありがとうございました」と言われたほど(汗)
もちろん、お礼なら運転手さんに、と伝えましたが(笑)

で、天神に戻りながらプラネタリウムに案内します。
私の大好きな世界へという訳です。

真っ暗になって星が現れます。
毎晩見上げる福岡の空の星がでてくるのです。
それを生で解説され始めると、涙が…。とても感動的です。



さて、参加希望の方は直接「自然と歴史をまもる会」へ電話で申し込んでください。
ネットには申し込み期日が書かれていますが、前日でも大丈夫です。
空きがあれば行けます。キャンセル待ちも確立高いです。

飛行機で飛んでくる方も時々あります。


申し込みは 092-408-7140(火曜日~金曜日)
歴史と自然をまもる会まで



c0222861_2054394.jpg



20181126





c0222861_15184581.gif

by lunabura | 2018-12-05 23:01 | バスハイク | Comments(0)

ワダツミ33 大国主神社



 ワダツミ33  

大国主神社

 
  
 

 

さあ、大国主神社に行ってみよう。
記憶だけでは心もとない。









c0222861_16143899.jpg

目指す方向を雲が指し示している。


と、思ってナビを入れようとすると出てこない。
取りあえず行ってみよう。
何とかなるだろう。

ところが、鳥居らしきものが見つからない。
あきらめて帰る前にちょうど公民館があったので、人に尋ねると、地図を書いてくれた。
あと少しの所だった。

教えられたように行き止まりに出ると右の方に鳥居が見えた。







c0222861_1615596.jpg

それにしても、何と心地よい参道だ。

一気にイヤシロ地だ。
太陽の方向に歩いていった。
この参道は横参道になる。










c0222861_1615238.jpg

祭神はまだ分からないが、大国主命は祀られているのだろう。
裏手には天満神社があって道真公がまつられていた。
鍛冶の痕跡がある。

ここは遠賀郡岡垣町手野だが、「手野」の語源に「天野からの変化」説があった。
雨乞山に祈る所だという。





c0222861_1615489.jpg

正面参道の向こうにまっすぐ神奈備山が見えた。
これが雨乞山なのだろうか。

神はいつもこの山に向かっている。

そして、神功皇后はここに鎧の小手を捧げたという。

そう、私の本でも百五十か所は書いたと思われる神功皇后の足跡がここにもあった。
まだまだ書ききれないほどの足跡があるのだ。
座学では何も分からない世界がある。

チェリーが
「ウーナのお話は島々を巡るお話のようにも思えますねぇ…」
とコメントに書いてくれたが、そうなのだろう。

神功皇后は私の知らない福岡の美しい里山や海辺に私を連れて行ってくれた。

そして、ウーナの物語はさらに私の知らない福岡を教えてくれている。

海面がもっと高くて、人々が船で行き交った時代。
地形を見ると、ここも昔は入り江があったようだ。
津波が来れば潮が高く昇って来ただろう。
歩いてみると、クグマ族の話が妙にリアルに感じられる。










c0222861_16161473.jpg


境内にハートの手水鉢があった。
「インスタ映えするって、こんなのかな」
カメラを向けると、夫が「光が写るよ」という。

(何か徴(しるし)を下さい)

と思いながらアングルを取っていると、水面が細かく揺れ出した。
「え?風も無いのに」
とあたりを見回す。









c0222861_16164435.jpg

そして、カメラを覗くと、虹が現れた。












c0222861_16165969.jpg

空を見ると彩雲だ。

何と嬉しいことだろう。
あとでタイムを見ると、11月11日、午後1時ちょうどのことだった。












c0222861_16171112.jpg

帰りながら振り返ると、太陽が正面にあった。




さあ、再びワダツミの物語に戻ろう。



20181111



異世界小説 c0222861_15184581.gif

by lunabura | 2018-11-11 16:19 | 「ワダツミ」 | Comments(0)

手野の語源 高倉神社の毘沙門天像を立てた須藤駿河




手野の語源 

高倉神社の毘沙門天像を立てた須藤駿河





『筑前国続風土記巻14遠賀上』に「手野」という地名の語源が出て来た。
珍しい地名で、語源のイメージがわかない。

「手野」には大国主神社がある。
ずっと昔参拝したが、まだデジカメを持っていない頃なので画像がないが、印象に強く残っている。


口語訳しよう。

〈○天(て)野村
今は手野村という。しかし古い文書には天野と書いている。
村中に須藤駿河の家の跡がある。
この人は大富豪で、高倉神社の毘沙門天を立てた人である。
この村の境内に雨乞山がある。
昔、ここで雨乞いをして天に祈ったので天野というが、
一説には神功皇后が高倉神社に詣でてお帰りになった時、鎧(よろい)の小手をここに残されたゆえ、小手村といったのを、後世「小」の事を取って手野村という。〉

ということで、二説あった。
1.天に雨乞いしたので天野といい、それが手野に変わった。
  天野は昔、「ん」が発明されていない時代に読み仮名を付けると「ての」と書いて「てんの」と読ませていたが、のちにそのまま「ての」と発音するようになったようだ。

「遠賀」は「おか」と書いて「おんが」と読ませたのと同じケース。


2 神功皇后が高倉神社から戻る途中、鎧の「小手」を残したことからついた。










c0222861_20213956.jpg

地図を見るとどうやら小舟で移動したようだ。



高倉神社には室町時代の毘沙門天像があって、技術的にかなり優れているらしい。



c0222861_2022841.jpg

これを奉納したのは須藤駿河という人で、手野に住んでいたという。

今年高倉神社に行ったが、銅像は調査のために東京かどこかに出張中だった。







c0222861_20223199.jpg

さて、上記の本には香月の杉守神社にある鉄の鳥居は蘆屋の鋳物師須藤氏が制作したものだと書かれていた。
同じ須藤氏だ。


香月村に次郎太という力持ちがいて、鳥居を蘆屋から船に載せて黒川まで来て、そこから杉守神社まで6、7町(6~700メートル)の距離を一人で鳥居の柱を一本ずつ持って行ったそうだ。

ブログに書いている神社が出てくるので面白い。画像もあった。
(2月にバスハイクでも行く所)

須藤氏は鋳物の関連で銅も鉄も扱っていたのがこれで分かる。



さてさて、この手野の大国主神社で崋山に豊玉姫が憑依した。
まだ謎解きの途中だが、語源が出て来たので記録しておこう。

ここで関連して出て来たクグマ族は金を扱ってひどい病気になっていたが、上の画像に出てくる孔大寺山では金が採れ、大島でも盛んに金が採掘されていた。

「手野」は異世界でも同じ風土なので面白く感じた所なのだ。



20181109





c0222861_15184581.gif

by lunabura | 2018-11-09 20:23 | <地名・地形・伝承> | Comments(2)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25