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バスハイク 久留米~大川~柳川~みやま 今回は掲示板が気になった


バスハイク

久留米~大川~柳川~みやま 

今回は掲示板が気になった


一昨日、3月16日、「歴史と自然を守る会」のバスハイクの案内をしてきました。

久留米市の赤司八幡神社から市内の大善寺玉垂宮まで小一時間かかります。
赤司が水沼君の聖地なら大善寺と三潴町は政治の地。
大変広大な地域を水沼君が治めているのを実感できました。

代々の水沼君の墓所の一つ御塚古墳・権現塚古墳などは大変保存状態がよく、三重、あるいは一重の水濠が見事に残っています。福岡では水濠が残っているような古墳を初めてみました。ここは必見の古墳です。


弓頭神社は水沼と通婚した国乳別皇子(くにちわけ)を祀る神社で、その墓所が烏帽子塚古墳とされています。人家の庭先を通っていきます。最近発掘が始まるという話を聞きましたが、まだのようでした。


ただ、墳頂部に家庭菜園が広がり始め、じきに埋め尽くすような印象です。歴史を学び、遺跡の保存の必要性を知っていただく必要があるように思われました。
神社から祭礼の行列が行くという、全国的にも稀な古墳です。
道案内の看板などもあればよいかと思われます。



この烏帽子塚古墳から歩いて月読神社の境内にある高良玉垂廟に向かいました。
地図を見誤って少し迷いました。順調に向かっているのは分かるのですが、神社の周囲に新たに家が立ち並び、状況がすっかり変わっていました。

路地を教えていただき、1メートル幅の道を歩いて到着しました。


ここは高良玉垂命の墓所で、歴史的にも重要な所で、『高良玉垂宮神秘書』にその歴史が書かれています。こちらは幸いに神社の境内ということで、失われることは無いとは思いますが、神社に至る入り口などの案内板が欲しいところです。



大川の風浪宮では阿曇宮司がちょうどいらっしゃって、思いがけない話を聞きました。
沖ノ島祭祀は宗像族より前に安曇族が関わっていた史料が出て来た」そうです。
すでに昨年発表されたそうですが、お願いしたら、資料を送ってくださるとのこと。楽しみです。





柳川市の鷹尾神社では「みやま市郷土史部」が二人迎えに来てくださって、みやま市を案内していただきました。

一人は同じエキサイトブログの「千寿の楽しい歴史」さんです(^^)/
バスに乗って道案内をしていただきました。

みやま市は農業が盛んで、重要な神社や古墳などは農道やクリーク沿いにあったりします。何度行っても道が分からなくなり、前回も星読さんと行って、道を間違えたので、本当に助かりました。

特に太神は重要な物部の里です。

中大兄皇子の足跡を残す太神宮釣殿宮など、物部氏や白村江の前後の研究にクローズアップされていくことでしょう。



ここも地元の歴史会が手作りで資料を掲げてあります。おかげでその歴史を知る事ができました。是非とも行政の方で本格的な案内板の設置をお願いしたいところです。



「こうやの宮」が新しくなり、釣殿宮の境内にある「西の宮」まで祭の行列が行ったそうです。「西の宮」には物部阿志賀野神が祀られています。
こうやの宮は正式名が磯上物部神社です。そこから釣殿宮まで行列が行く!
なんと凄いこと。



「こうやの宮」は案内なしには着きません。
迷って地元の方に尋ね尋ねして迷惑をかけるより、マップと掲示板があればと心より思います。

1300年以上も前の出来事の場所がそのまま伝えられている奇跡的な太神(おおが)の地。何度行っても感動します。




バスは太神の物部の里から田油津姫の墓所へ。日本書紀に出てくる人物ですね。

田油津姫、もしくは葛地目の墓とされる老松神社の蜘蛛塚の掲示板は見えるようになっていましたよ。かつて掲示板の前に植樹されていたので、見えなかったですものね。


最後は女山神籠石に行きました。

観光案内所でかつて尋ねた時は、「行けば分かる」と言われたのですが、外部の人間には全く分かりませんでした。
駐車場が無く、入り口は道路沿いにありましたが、案内板がないので、素通りしてしまいます。

お二人の案内があってようやく行ける所でした。

車を降りて展望台に向かうと神籠石には着きません。途中から分かれ道があるのですが、そこにも案内板がないと全く分からないのです。
ここも行政の方に掲示板の設置をお願いしたい所です。


みやま市の歴史資料館は閉鎖されていました。近々小学校跡に設置されるそうですが、全国的にも「邪馬台国論争」の候補地の一つとして有名な所。本格的なものを楽しみにしています。外部の者には地名や地形が一番のネックですので、分かりやすい展示をお願いしたいところです。

邪馬台国論争の候補地といえば朝倉の歴史資料館にも考古物が展示されていませんでしたね。どちらも残念です。



案内していただいた「みやま市郷土史部」のお二人に心より感謝します。









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これは女山の展望台からの桜です。
このアングルで全部桜!満開の桜が撮りたい!









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つぼみがぷっくりとしてきていました。2018年3月16日現在。


隣の山は最澄の清水山で、桜や紅葉が有名ですが、この桜景色、穴場スポットですね。





★4月6日のバスハイク、佐賀編。杵島~武雄は残席があるそうですよ!
歴史はもちろんですが、武雄の大楠、川古の大楠、鍋島家庭園の桜、ツタヤが入った武雄図書館など、お楽しみが沢山です。

申し込みは「歴史と自然をまもる会」の方へどうぞ^^
歴史と自然をまもる会
バスハイクの旧記事はコチラ
歴史と自然をまもる会はコチラ
4月6日(金)
武内宿禰の里と豊姫、壱岐真根子の終焉地 磐井の砦 桜見!
武雄の大楠、川古の大楠、鍋島家庭園桜、武雄市図書館(ツタヤ)など


★佐賀の歴史カフェの詳細案内文がまだでした。少々お待ちくださいね。
歴史カフェ小城
4月14日(土)第1回 3時~5時
1部:天山神社と天河弁財天
2部:神功皇后 豊浦宮から
申し込みはコチラへ
詳細はコチラ
会場:小城鍋島家Ten






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by lunabura | 2018-03-18 18:22 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

筑後の回り方2 安曇、物部、田油津姫の里



筑後の回り方2 

安曇、物部、田油津姫の里



前回に続いて筑後地方の神功皇后伝承地を回るコースの紹介です。
大川、柳川、みやまを回ります。

ここは皇后の時代に加えて、天智天皇の西国修行時代に滞在したみやま市瀬高町太神が重なってきます。

この太神の里を地図に乗せると、物部氏と土蜘蛛とされる渡来人たちの対立構造がはっきりと見えてきますね。








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⑤の風浪宮は神功皇后が新羅遠征の帰りに帰着した所で、阿曇磯良丸にわだつみの神を祀らせています。つまりこの国際港を使用する権利を褒賞として与えたと考えます。

⑥の鷹尾神社では田油津姫攻撃の時に民衆が料理を作って待っていた所で、すぐ北に上陸地が伝わっています。田油津姫たちと対立していたことが分かります。

⑦こうやの宮、⑧太神宮、⑨釣殿宮は物部氏の里で、景行天皇や天智天皇に関わる神社群がある所です。やはり天皇方です。

⑩⑪⑫は田油津姫の領土で、神功皇后軍が侵攻して行った所です。

これら日本書紀に書かれたくっきりと現代に残っているのですが、この古代の戦いについて、中国正史は記録しているのでしょうか。いつも気になる所です。

以下はバスハイクの具体的なコースです。
自分で回る時の参考にしてください。




風浪宮(下77)大川市酒見726-1 
         神功皇后は阿曇磯良丸に少童命を祀らせた

鷹尾神社(下58)柳川市大和町鷹ノ尾956 
         漁人たちはブリ料理とハンヤ舞で皇后を迎えた

こうやの宮 みやま市瀬高町太神1660 
        七支刀を持つ神像がある

太神宮 みやま市瀬高町太神 
        中大兄皇子(天智天皇)が毎朝祈った

釣殿宮 みやま市瀬高町太神2686 
        中大兄皇子が腹赤魚を献上された

車塚古墳(下59)みやま市瀬高町山門1461
        神功皇后軍の陣営地

老松神社(下59)みやま市瀬高町大草311 
        田油津姫の墓と言われる蜘蛛塚

女山神籠石 みやま市瀬高町大草1086 
        田油津姫の終焉地


(下)は拙著『神功皇后伝承を歩く』の下巻のことです。

来週、バスハイクで回ります。週間天気予報を見ると、天気が安定してきたようですね。




歴史カフェ小城
4月14日(土)第1回
3時~5時

1部:天山神社と天河弁財天
2部:神功皇后 豊浦宮から
申し込みはコチラへ
あるいは、小城鍋島家Tenに直接どうぞ。
詳細はコチラ
会場:小城鍋島家Ten


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by lunabura | 2018-03-09 20:51 | 神功皇后伝承を歩く ガイド | Trackback | Comments(0)

一本桜



一本桜


夕べ、一本桜の夢をみた。
大きく枝を広げた桜は満開だった。
さらにもう一本、桜があった。
場所を記録しなくちゃ、と思った。

そんな夢だった。

今日は、空海の映画を鑑賞に行った。
その時代感をつかみたくて行ったのだが、
そこに一本桜が出て来た。
夢と同じ。

目まぐるしい展開の画面と夢の桜が交錯する。

ああ、懐かしい。
深い瞑想の世界。

さて、映像は想像以上に美しかった。
近くだと目が回るので、もう一度見るときには後ろに座ろう。

映画の時間処理が秀逸だ。

私は今、新たに取り組んでいるものがある。
時間処理。
これだ。
ヒントをもらった。







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by lunabura | 2018-03-08 23:20 | にっき | Trackback | Comments(0)

筑後の回り方1 久留米編 水沼君の聖地を巡る



筑後の回り方1 

久留米編 水沼君の聖地を巡る



昨日から気持ちを切り替えて、バスハイクの資料を作成しています。

神功皇后伝承地、前回は朝倉を紹介しましたが、今回は久留米の中でも、水沼君(みぬまのきみ)に絞った回り方の紹介です。


神功皇后は朝倉で羽白熊鷲討伐に成功すると、大本営(松峡八幡)に戻り、いったんありなれ川の対岸に出て、小郡まで下ります。


ここで水沼の水軍が皇后軍を迎え、赤司八幡神社へ招きます。そこで、皇后は道主貴(みちぬしのむち・三女神)に祈ったあと、有明海に出ます。

その途中、景行天皇(けいこう)の皇子である国乳別皇子(くにちわけおうじ)の政治の地、弓頭神社に立ち寄りました。

そこでは皇子と武内宿禰の軍議があったと伝えています。ここは高三潴(たかみずま)と言います。


同じ三潴の聖地、大善寺玉垂宮がすぐ近くにありますが、高良玉垂命(磯良)が三韓征伐後、皇后の船を操縦してここに入港します。


それから何十年か経ち、自分の死期を悟った磯良はここに来て船を燃やさせます。その竜骨がご神体になったと伝えています。

玉垂命の墓も国乳別皇子の墓も高三潴の方にあります。
大善寺玉垂宮の近くの御塚古墳などの古墳群もまた水沼君の代々の墓と伝わっています。



今回バスハイクでも次の順で回ります。2時間強で回るコースです。水の女神たち水沼三女神の聖地めぐりの旅ですよ。



赤司八幡神社(下56)久留米市北野町赤司1765 
水沼の君は神功皇后を有明海まで渡し、のちに皇后は蚊田で出産した

大善寺玉垂宮(下78)久留米市大善寺町宮本1419-3 
高良玉垂命は御座船を楠につないだ
御塚古墳 権現塚(下57) 水沼君の代々の墓といわれる

弓頭神社(下57)久留米市三潴町高三潴521 
国乳別皇子は弓大将として参戦した
烏帽子塚古墳(下57) 国乳別皇子の墓といわれる

月読神社 高良玉垂廟(下78)久留米市三潴町高三潴139-2 
高良玉垂命の墓といわれる

道の駅おおき 三潴郡大木町大字横溝1331−1 

(下)は『神功皇后伝承を歩く』の下巻です。
古墳に関しては大善寺玉垂宮と弓頭神社の両方に混在して載せているので、照らし合わせて確認してくださいね。




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歴史カフェ小城/4月14日(土)第1回/3時~5時/1部:天山神社と天河弁財天/2部:神功皇后 豊浦宮から/申し込みはコチラへ/詳細はコチラ/会場:小城鍋島家Tenc0222861_15184581.gif

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by lunabura | 2018-03-06 20:20 | 神功皇后伝承を歩く ガイド | Trackback | Comments(0)

小城歴史講座 お礼と第1回歴史カフェ小城のご案内



小城歴史講座


お礼と第1回歴史カフェ小城のご案内





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あらまあ。







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ふふ♪


こんな幸せな会場で、歴史講座をしましたよ。

今日は初めて小城鍋島家Tenでのお話会。

武雄温泉、嬉野温泉、大町、唐津
など、神功皇后の足跡と天皇家を支えた武内家の話でした。

これらの歴史を地元の方々に伝えられて一安心です。

お話しをしながら、小城や佐賀の古代史、これからも
少しずつ解き明かして、地元の皆さんと共有したいという思いを持ちました。

小城鍋島家Tenは古民家というより武家屋敷なので何と呼んだらいいのだろう。
古いお屋敷は癒しの力をとても持っていました。
本物の木の床にも久しぶりに触れました。

そこに加えられたスタッフの愛情ある装飾ともてなし。
居るだけで活力が養われましたよ。


この会場で新たに歴史カフェを始めます。

小城市での歴史カフェは毎月第2土曜日。3時~5時です。
申し込み先も当ブログになります。
(小城鍋島家Tenでも受け付けてくださいます)

歴史カフェ小城の第1回は
  1部天山神社と奈良天河弁財天の整理(スポット)
  2部神功皇后伝承を歩く 豊浦宮から
です。
拙著『神功皇后伝承を歩く』上巻をお持ちの方は持参してくださいね。
無くても大丈夫です。


会費:1500円 (別途ドリンク代)

会場:佐賀県小城市小城町208-2 (おぎ市おぎ町)
小城鍋島家Ten
0952-72-5324

申し込み方法 どちらか選んでください
①「歴史カフェ小城414希望」と書いて、住所(番号は不要) 氏名 をご記入の上、メールでコチラに送ってください。
(コメントでハンドルネームを使われた方、よかったらそれもご記入くださいね♪)
メールはサイドバーの「メールはコチラ」からでも大丈夫です。

「一度参加された方」は、
メールフォームを使わずに綾杉の返信からお申し込みください。住所は書かなくても結構です。
申し込みがあれば必ず返信しております。返信が無い場合はブロック解除、あるいは「アドレス違い」がないか、調査をお願いします。

②小城鍋島家Ten 0952-72-5324 直接電話にて申し込み






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by lunabura | 2018-03-04 20:56 | Trackback | Comments(0)

ウーナ20 天山4 広瀬天山神社 祭神は天御中主尊だった



ウーナ20

天山4 広瀬天山神社

祭神は天御中主尊だった
 


今回は天山神社三社の西に位置する広瀬(唐津市厳木町)について、『東松浦郡史』(大正14年)を読んでみたい。

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驚いたことに、祭神がこれまでの二社と全く違っていた。
いったいどういうことだろうか。
まずはその記事を読んでみよう。

<天山宮 厳木村字広瀬
祭神 天御中主尊、稚産靈尊(わかむすび)、倉稲魂尊(くらいなだま)
天山嶽の麓、小城郡二社、松浦郡一社嶽の艮(うしとら)にある。 
祭日11月2日

記事にいわく、
そもそも人王41代持統天皇の御世に、鎮西に船が来て、対馬が異国風俗の者に奪われようとした。

そこで参議藤原安弘が勅命をたまわって退治した。この時、天皇からの恩賞として晴気の里を賜った。民は安弘の徳を慕って集まり、天山の下に住んだ。

そこで安弘は天御中主尊を天山の嶺に祠を建てて祀り、庶民の擁護と五穀豊穣を祈った。

そののち、文武天皇大宝元年(701)11月15日、安弘勧請の天御中主尊を広瀬、本山、岩蔵に勧請し、三か所を天山宮とした。山上を上宮、下を下宮と呼ぶ。>

このように広瀬の祭神は弁財天ではなかった。天御中主尊だったのだ。
藤原安弘が天山山頂に尊を祀り、広瀬、晴気、岩蔵の三社を下宮社とした。

これはいつのことか。
持統天皇の在位を調べると690~697年となっている。
この頃、対馬が異国人に奪われようとしたため、参議の藤原安弘が勅命を受けて敵を退治し、その褒美として晴気の領土をもらった。これを機に民が晴気に移り住み、民の安寧を祈願して天御中主尊や五穀豊穣の神々を祀ったという。

それから701年11月15日に、下宮三社を創立した。
この時までは天御中主尊が祭神だったことになる。

ところが、前回まで調べたように、702年に岩蔵で光と水と神託の奇跡が起こってから三女神信仰が加わった。こののち、人々の間では女神信仰が広まったのだろう。
いつしか、天山は三女神となり、弁財天となった。

しかし、厳木の広瀬天山神社にはその影響が及ばなかったのだろう。当初のままの神が祭祀されていると考えられる。

昔から天山の祭神の論争があったようで、<俗に弁財天と称するは非なり>とも書かれている。


晴気の里が褒賞だとすると、当時、何か産業があって大きな価値があったことが想像される。

持統天皇も、父の天智天皇が佐賀(田手神社)に来たことがあるし、本人も朝倉橘広庭宮に付いて来ていたはずで、この辺の土地勘があったと考えられる。

702年に起きた光と湧水と神託の奇跡がダイレクトに帝と持統太上天皇に届いて、その反応が早かったことを不思議に思ったが、藤原安弘が参議正三位民部内大臣で、天皇と直接会える身分だったことを考えると、当然の事となる。


予習してみると、想像だにしなかった歴史があった。
この話はその後のいろいろな事件を理解するための重要なキーワードになりそうだ。



年表
690~697年 参議藤原安弘が対馬を奪おうとした敵を退治して晴気を褒賞としてもらう。
701年 11月15日、藤原安弘は広瀬、本山、岩蔵に天御中主尊を勧請する。
702年 4月1日、岩蔵の北山の松に光が留まり、翌日水が湧き出し、東海から来た神という託宣があった。(岩蔵)
    10月15日 藤原安弘が天山池に蓬莱島を築いて天山神の上宮とした。(晴気)
    11月15日 弁財天が天山に飛来。烏帽子嶽に影向した。(晴気)
705年 広島の宮島から人が尋ねてきて光は宮島からと分かる。(岩蔵)
    10月天山大神宮とし、北山は天山岳と名付けた。(晴気)
1002年 烏帽子嶽の下宮を現在地に遷す。(晴気)




小城の天山神社三社に天河弁財天の年表を加えると、面白そうですね。
小城鍋島家Tenでの歴史カフェ第1回で整理しましょう。

それでは明日、佐賀の皆さん、お会いするのを楽しみにしています。





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by lunabura | 2018-03-03 20:54 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(6)

小城羊羹




今日は小城羊羹(おぎようかん)をいただきましたよ。
え?
2週間後に歴史講座のある小城の名産が!(^^♪
なんだか嬉しいですね。

かつて三輪山登山を決めた時、三輪そうめんをいただいたことを思い出しました。
白山比咩神社に参拝した直後、白山の無農薬リンゴを頂戴したことも。
ちょっとした話ですが、忘れがたい経験です。

小城は天山をいただく町ということで、天山の資料を読み込んでみると、面白い発見があります。(私にとっての発見なので、一般には知られていることかもしれませんが)

でも、これをまとめるには時間が必要なので、ブログ記事に書くに至っていません。
もどかしいです。
目の前の仕事を一つ一つ片づけていく事を優先しているので、仕方ないなと思っています。


この最近の出来事を思い出すと、
先日の歴史カフェの直前から、「ガイアの森」の話になったり、神道の話を伺ったりして、久しぶりにスピリチュアルな世界の内容が増えました。

いや、「脇巫女」も「ひめちゃご」も十分にスピですね。見えない世界と現実世界の融合でしたから。

ただ、スピ系は先生と生徒みたいな関係が強くなるので、あまり触れないようになっていました。

で、歴史カフェでは自由な対話の時間が無くなって、ガチンコ古代史になっていきました。


4月から始めることになる小城鍋島家Tenでの歴史カフェに関しては、古代史はもちろんですが、見えない世界の話などもオープンに話せるといいなと思っています。

質問や会話が無ければ古代史一本になるのかな。でも、古代史に登場する人物はみんな神様として祀られていますから、その歴史を伝えることが自分の役目だとも思っているのです。

今回の話も、「佐賀の神々」とでも言うべきものなんですね。
皆さんが初詣に行かれる神社の神様たちの歴史の話になるわけです。

「場」に合わせた展開にしてみたいと思っています。



つなぎレンガ座
3月4日(日)3時~5時
佐賀の神功皇后伝承
「天皇家を支えた武内宿禰の里」
-神功皇后は三度、訪れたー
会場 小城鍋島家Ten
詳細はコチラ






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by lunabura | 2018-02-20 20:17 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(4)

邪馬台国論争 拝聴



邪馬台国論争 拝聴



今日は飯塚コスモスコモンで「古代の鉄」のフォーラムがあったので、
拝聴してきました。

鍛冶施設が全国規模で展開する話など
普段は聞けない内容がありました。

中国北部から朝鮮半島にかけて古い形態の鉄生産があり、
漢などに先進の鉄が出てきても、その技術は渡らないようにしていたそうです。

古い形態のエリアが、ちょうど一目国~高句麗壁画の分布と重なります。
賀茂氏が全国に展開するのも似ていますね。

「戈」(か)は北部九州独特のものらしいです。
飯塚の綱脇神社境内から出土したのも銅戈でしたね。

「鉄戈」もまた段々巨大化していくそうです。

武器が「祭器」となっていくのは日本独自の展開ですが、
武器が殺傷のためでなく、神を宿すものとなっていく様子は、
例えば物部氏が「ふつのみたま」「ふるのみたま」など、
「剣の霊力」を神として祀る点と符号します。

また、剣から三女神が生まれてくるという思想も武器とは違う霊性を
剣に見出したからといえます。


鉄の素材を朝鮮半島に求めたと魏志倭人伝などにありますが、
弥生時代の製鉄遺跡は朝鮮半島ではまだ出てこず、
古墳時代からようやく出てくるそうです。

素材としては鉄鋼石か砂鉄しか話題に出てきません。
スズ鉄に関しては、これまで一度も考古学では調査結果を聞くことができないので、誰も研究していないのかな、と寂しく思いました。
工学系の古代鉄にはスズ鉄の話がきちんと出てきます。



邪馬台国の時代は鉄に関しては北部九州が圧倒的に進んでいたそうで、
奈良ヤマト説の論拠として、北部九州が進みすぎでいる。
卑弥呼のクニはもっと原始的な世界だ、
だから奈良なのだという話が出ました。

鉄は国家というほど、重要な要素ですが、
鉄が無いクニが鉄を持っているクニを支配したような論の矛盾を感じます。

そして、北部九州より原始的な奈良ヤマトが、
その時代にいきなり日本で一番進んだ前方後円墳を造ったようなデータを出されたので違和感を感じました。

奈良の前方後円墳だけが弥生時代になってしまった考古学の世界。
全国のデータもきちんと整理してほしいです。

奈良ヤマト説の方々は最終的に「そうあってほしい」という言葉を言われましたが、感情や希望論は捨てて、論理的な整合性のある話を聞きたいなと一般人は思うばかりです。



20180218


RKBラジオ
「古代の福岡を歩く」
毎週土曜日20時~20時30分
「神功皇后伝承を歩く」
⑧2月17日⑨2月24日
RKBラジオ→ラジコで生視聴
HP→番組→アーカイブ
ラジオクラウド→アーカイブ

つなぎレンガ座
3月4日(日)3時~5時
佐賀の神功皇后伝承
「天皇家を支えた武内宿禰の里」
-神功皇后は三度、訪れたー
会場 小城鍋島家Ten
詳細はコチラ




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by lunabura | 2018-02-18 20:46 | ◆古代鉄・スズ鉄 | Trackback | Comments(4)

佐賀県小城鍋島家Tenカフェにて歴史講座があります



小城鍋島家Tenカフェにて

歴史講座です




来月、3月4日(日)、佐賀県小城市のNPO法人「つなぎレンガ座」主宰の歴史講座で講師を務めることになりました。

会場は同市にある武家屋敷のカフェ「小城鍋島家Ten」です。

佐賀県は古代文化が栄え、考古学的出土物も多く、その歴史が『風土記』にも書かれているような古代史の宝庫の地です。

思えば、当ブログでも、景行天皇や日本武尊(親子)、物部氏、ヒメコソ神などを訪ね、その伝承や地形を報告してきました。
「ひめちゃご」の始まりの舞台でもありましたね。

日本武尊と共に佐賀で戦ったのが武内宿禰です。

武雄市の市名は武雄神社から採られたと聞きましたが、そこには武内宿禰の父や子も祀られています。また、母の山下影姫も近くに祀られています。

武内宿禰は歴代天皇や神功皇后を支えた大臣で、神功皇后が武雄温泉に来たのも、その縁からでした。
また、武内宿禰をかばって亡くなった壱岐真根子も川古に祀られていますね。

今回はこれら、ばらばらに伝わって謎となっている歴史の点と点をつないで、佐賀の古代史を描きたいと思っています。
パワーポイントを使って画像で楽しむ歴史紹介です。





佐賀の神功皇后伝承

「天皇家を支えた武内宿禰の里」 -神功皇后は三度、訪れたー


2018年3月4日(日)3時~5時

会場は佐賀県小城市小城町208-2 (おぎ市おぎ町)
小城鍋島家Ten

申し込みも「小城鍋島家Ten」 (おぎなべしまけ・てん) にどうぞ。
0952-72-5324
会費は今回は無料です。


25名まで。
以下はそのチラシです。(画像の都合上、二つに分けました)





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赤い囲みの中は次のように書いています。

福岡の香椎宮で仲哀天皇が亡くなったあと、神功皇后は羽白熊鷲(朝倉)や田油津姫(みやま)と戦い、そののち唐津に出た、と『日本書紀』に書かれています。

筑後川から唐津には何処を通って行ったのでしょうか。

佐賀を訪ねると、高橋、福母、武雄にその足跡が残されていました。
武雄には武内宿禰の父や母を祀る神社があります。

また、神功皇后の妹や武内宿禰をかばった壱岐真根子も当地で亡くなりました。

ここには『日本書紀』に書かれなかった、天皇家を支えた重要なクニがあったのです。

神功皇后は三度も当地を訪れています。
神功皇后はいつ訪れたのか、今回はその全体の流れをお話しします。




この歴史講座をご挨拶代わりとして、
4月14日(土)からは当カフェで新たに「歴史カフェ」をスタートします。
まずは分かりやすい神功皇后の話から始めます。
佐賀の皆さま、また、近郊の皆様、よろしくお願いします。



小城鍋島家Ten
〒845-0001
佐賀県小城市小城町208-2

0952-72-5324

小城鍋島家Tenは鍋島家の武家屋敷をギャラリーとカフェにしたものです。
私も伺うのを楽しみにしています。

小城鍋島家TenのHP






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by lunabura | 2018-02-12 20:40 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

歴史カフェありがとうございました



今日の歴史カフェ、無事に終了しました。
ご参加の皆さん、ありがとうございました。

県内、県外そして東京から、とありがたいことです。

今回は自分的にも発見が多く、いろいろと謎が解けた回でした。
皆さん同士でも活発に情報が交換されていて、興味深く思いました。

これまでは物部氏に注目していましたが、
賀茂氏の存在は確かに、日本の古代社会で
文化的な基盤を作った功労者という側面があることを知りました。

案外身近な神社にそのシンボル、トーテム、祭神、地名、
考古学的出土物などを残しています。

天智、天武天皇が信頼して水城の監理を任せた賀茂氏。
それを知るために歴史カフェも「天智天皇」「ありなれ川」と重ねて
その実態をようやく理解できました。

賀茂氏に関わる神社の地形、境内のようす、小川のようすをいくつも見ていくと、
ある程度、パターンがあるのも分かってきました。

これをもとに、あと一つ、賀茂氏と神籠石の関連を突き止めたいな、
という新たな思いも生まれました。

さて、3月は佐賀で神功皇后の話をします。
詳細はお待ちくださいね。





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by lunabura | 2018-02-11 21:33 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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