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ひもろぎ逍遥

タグ:飯塚市・宮若市 ( 38 ) タグの人気記事

小正西古墳 飯塚市 6世紀後半 美人巫女 円墳 二つの石室 



小正西古墳 

飯塚市 6世紀後半 美人巫女 円墳 二つの石室 



小正は「おばさ」と読みます。
飯塚市小正の丘の上、住宅に囲まれて古墳公園として残されています。




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何よりも、巫女の埴輪が魅力的な古墳です。
頭に「かふり」を付けていますね。これが島田髷という髪型ではないのがよく分かる埴輪です。アジアの民族衣装に残されている「布製のもの」です。







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かわいい古墳です。






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石室が二つあるのが印象的でした。







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正面にあるのは1号石室です。掲示板に
「盗掘のため奥壁の一部と右壁が破壊されていました。長軸4.5m、短軸2.1~2.9mを測る平面羽子板形の横穴式石室です。奥壁より約0.7mの位置に碓井板石を立て、屍床として区画し、石室壁面には赤色顔料が塗布されていました。
出土遺物 木芯鉄張鎧、壺鐙、f字形鎧板、鉄刀、鉄鏃、翡翠製勾玉、碧玉製管玉、ガラス玉等」
とあります。

6世紀後半で鎧や馬具などが出ています。磐井の乱527年ですから、その後も武具が副葬される時代が続いていることになります。



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これに直角に造られた石室は2号石室で、盗掘犯も気づかず、未盗掘でした。

こちらは小ぶりです。人骨が四人分検出されています。

主な出土品は銅鏡(珠文鏡)、鉄刀、鉄鏃、鉄刀子、鉄鉇、鉄鑿、鉄鋸、水晶製勾玉、瑪瑙製勾玉、石炭性算盤玉、ガラス玉等
となっています。

武器以外にノコギリ、ヤリガンナなど、大工道具が納められていますね。

当初から石室を二つ設計したと想像していますが、一家が埋葬されているのか、DNA検査など進むといいですね。

これらの出土物や埴輪をどこで見学できるのでしょうか。不明です。







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これまでブログに挙げたもの、訪問してまだ挙げていないものを載せてみました。

6世紀の前半と後半に分けたいのですが、「6世紀」だけしか書かれていない古墳があるので、取りあえず100年分を載せました。 

大型古墳からだんだんシンプルな円墳に変化していくようです。小さな古墳群や横穴も出てきて、磐井の乱後は首長中心の世界観から、個人や集団を第一に考える意識が芽生えていくようにも見受けられます。価値観が変化していくような気がします。

この分布図を作成していると、行った所が多いので驚きました。神社巡りの時に近場の古墳もついでに回る程度でも、意外に沢山の古墳を見学していました。

これに加えて歴史資料館の出土物も見るように心がけていますが、こうして掲示されていないとすご~く困難な作業となります。

「古墳―出土物―歴史資料館」この連動が大切ですね。


20181227





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by lunabura | 2018-12-27 20:17 | <古墳>手光は宮地嶽へ | Comments(0)

ワダツミ35 ヤキター村のマクロ―1



 ワダツミ35  

ヤキター村のマクロ―1

 
  
 

この物語の始まりが2017年10月10日だった。
それから一年経って、2018年10月10日に、菊如と崋山は再び気になる所を回る事にした。

菊如は、大国主が動き始めている、という。
そして、「朝倉の大己貴神社はどうかしら」と私に尋ねた。

私は、
「大国主なら、飯塚に「出雲」があって、最近の統廃合で地名が失われたけど、信号機にかろうじて名前が残っているから、そこはどう?」
と言った。続けて、
「その南の土師(はじ)には老松神社があって、そこに大国主と少彦名がやって来たという、大変珍しい縁起があるの。
大国主の足跡を伝える神社はめったにないのよ。

そこから山越えしたら朝倉の大己貴神社にも行ける。
出雲に行ったなら、一度は王塚古墳を見たらいいよ」

そんな話をした。

菊如は「大国主神社にもう一度行こうかな」と言った。
「それはいいね!」
そうだ、再びそこから始めて思いつくまま南下すればよい。
二人は導かれるまま必要な所に行くだろう。


そして、二日後、10月12日に私たちは結願のために再び集まった。

そして、一人の男が崋山に懸かった。
その男は両手首が縛られているようにみえた。
そして、しきりに自分の左肩を示す。
菊如は尋ねた。
「どうされました?手が結ばれているんですね。」
男は言葉は返さず、右手でやはり左の肩、正確には上腕を掴んでみせた。

「そこ、どうされたんですか。どういう意味ですか。お話しください。肩をどうされたのですか」
「肩に二本の線があるやつらが攻め入って来た」

「どこに?10日に行った川ですか、遺跡ですか」
「遺跡」
それは王塚古墳を指していた。

「集団で来たのですか」
「色は浅黒かった」

「私は菊如と申します。あなたさまのお名前は?」
「私の名前か…、私の名前…は、マクロ―。肩に二本の線が…。
あの辺りには我らの村があった」

「何という村ですか」
「我らの村はヤキタ―」

「あの一帯に集落があったのですね。今は王塚古墳となっている所ですか」
「我らの村はあの反対側の山の麓だ。もともと鉱山があった。様々な集落が集まって奥深く金を掘っていた所だ」

「(王塚古墳は)立派な方のお墓だったみたいですよ」
「私は誰が入っているか知らん。私の時代は金を深く掘っているしかない」

「あなたがいた頃からあったのですか」
「あの場所は我らが掘っていた場所。深く掘っていた場所。山ではなかった」

どうやら王塚古墳が出来る前の話だ。この古墳には石炭の層があり、それを掘ろうとして見つかった古墳だ。危うく壊される所を、一人の男が命を張って守った。

この石炭層のさらに下に金鉱脈があったのだろうか。あるいはピンポイントではなく、その付近一帯の話なのだろう。

マクロ―は山側の方に住んで、金を掘っていたという。そのヤキター村に、ある日浅黒い顔の集団が襲って来て、マクロ―は捕えられたようだ。その集団は左肩に二本の線を彫っていた。入れ墨だろうか。



                        (つづく)






(この記事、2012年10月10日にUPしてた(*_*)








ヤキタ―の村は左手の山の麓かな?






(今の考えとは少々違っていますねえ。想像の部分は思考の過程と思って読んでください)




下の「ワダツミ」をクリックすると過去記事が出てきます。


異世界小説 c0222861_15184581.gif

by lunabura | 2018-11-13 20:09 | 「ワダツミ」 | Comments(0)

ひめちゃご78 綱分―日若―無名山―飯土井神社 レイライン



ひめちゃご78

綱分―日若―無名山―飯土井神社 レイライン

まさかの、続きがあった
 


前回の厳島神社の投稿のあと、チェリーから新たなライン図が届いた。

「最早、言葉はありません」と。
それを見て私も驚いた。

確かに!
それを見ると、あのラインの続きが赤色で描かれていた。
私も、驚いて、何を返事したらいいのか言葉が無かった。


それは飯土井神社へのラインだった。
(福智町神崎)

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厳島神社の縁起では、
日王山で祀られていた天照大神が勧請されたのが飯土井神社とある。
それは14世紀の半ばのことだった。

飯土井神社を調べると、もともと仁徳天皇一柱を祀る宮だ。
かつては若宮神社と号したそうだ。
そこに天照大神が合祀されたことになる。

チェリーが驚いたのは、
「綱分八幡宮―日若神社―無名山(189.3m)」のレイラインの
「延長のポイント」が見つかったことなのだ。

まさか、こうして迂回してポイントが見つかるとは私も思いもしなかった。

例の調子で私の勘違いで始まった
ひめちゃご71からの一まとまりのシリーズだ。
無名山をバスの中から撮って、載せたことが始まりだった。

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この山が無名山と分かり、
「綱分八幡宮―日若神社―無名山(189.3m)」のラインが
日王山を通らないのが残念だったのだが、どっこい、
それは飯土井神社(いどい)に達した。

チェリーによると、
<189.3mのピークから綱分八幡宮を見て、その反対側に
ラインを延ばしていったと考えられます。(飯土井神社は見えません)>
ということだ。

これで、無名山の隠れた価値が見えて来た。
その姿の美しさからも、聖山だったことは間違いない

この発見に何らかの見えない世界の意図を感じずにはいられない。

あとは、誰か、現地踏査する人が出てくるだけだ。(*´з`)
(^^;

あるいは、誰か祈る人が出てくることだろう。

何せこのシリーズは集団幻想による小説なのだ。
それぞれの得意分野を持ち寄って何かが分かればいい。


さて、私が驚いたのは、
日若神社には神武天皇の馬の話が出ていて、
前回の鹿毛馬神籠石の話に連なるようなので、

もう一度、あの漢字だけの縁起を読み直そうと思った矢先だったことなのだ。
中国語と日本語が全部漢字で書かれているため、

文法がぶっ飛んでいる和製中国語( ゚Д゚)

がんばるべ。






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by lunabura | 2017-05-17 21:40 | 「ひめちゃご」 | Comments(2)

ひめちゃご77 厳島神社 日王山から遷された三女神





ひめちゃご77

厳島神社 

日王山から遷された三女神
 


英彦山からの三女神と大己貴のレイライン。

それはどれもが日王山を経由する。
そこで景行天皇が三女神を祀ったという。

その日王山の祭祀は麓に下りていった。
後光厳天皇の御代、延文年間(1356~1360)のことだ。

アマテラスは福智町神崎の飯土井神社へ。
三女神は飯塚市鹿毛馬へと下った。







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それを厳島神社という。









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鹿毛馬川から上がって南西の丘に向かう位置が選ばれた。












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祭神は市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命。
三女神が一所に祀られている。


『福岡県神社誌』では
豊前国の宇佐島から宗像の沖津島に鎮座するとき、
当村、日尾山を越えられたという古実から
景行天皇の御宇に三女神を祀ったとある。








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「日王山」の表記は「日思山」だったともいう。

それは三女神が山頂の「方丈の瑞石」に神をって
天照大御神を祀ってからの名だそうだ。

烏尾峠の地名由来も、
三女神が道に迷った時、烏に導かれたことからついたという。


地図を見ると、烏尾、船尾、日尾と、「尾」がついた山名が集中している。

これらを「八咫烏」「天鳥舟」「太陽の尾=彗星」と、
なんとなく変換してみた。



近くの田の中には三女神が休憩したといわれる「神休所」という磐座がある。

英彦山からの帰り道、車で走りながら左手に見えたが、写真は撮っていない。
またの機会に撮ろう。

その斜め上に向いた姿は御許山を指す磐座を思い起こさせた。

厳密に測量された三女神レイラインはいったい何を現すのか。
この磐座との組み合わせがヒントになるかもしれない。

が、何かあるという事自体が幻想なのかもしれない。









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参拝を済ませて戻る参道の向こうに鹿毛馬神籠石がある。
この史蹟は鉄の生産施設だと確信している。

山城ではない。

列石は二重三重に誤解されてきた。

「神籠石」という名の発祥である『高良玉垂宮神秘書』では結界となっている。

高良山の神籠石は巨大な磐座だ。
そう、磐座信仰が神籠石なのだ。




この「鹿毛馬」という地名は神武天皇にちなむ名だそうだ。

『福岡県神社誌』によると、
神武天皇がまだ狭野命という時に、筑紫をまわるために
豊前国からこの村に来られた。

馬牧から足毛の馬を献上されてその馬に乗って馬見村に向かった。
その姿を老翁が見送ったという。

これからこの村を駈馬村というようになった。

その牧の跡を大石で区域を残したという。

鉄生産施設が後に牧として利用されたと考えているが、
その形状が鉄を生産する熊本の一目神社と全く同じものだという記事は
ずっと前に書いた。


神籠石はひとくくりで論じる前に、個々について精査する必要がある。

山城として論じる人は、どこに主を住まわせて守るのか
一つ一つ説明する必要があると、最近よく思う。




福岡県飯塚市鹿毛馬1088







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by lunabura | 2017-05-15 22:34 | 「ひめちゃご」 | Comments(4)

ひめちゃご70綱分八幡宮ー日若神社―189.3mの無名山 謎のラインが発見された



ひめちゃご70

綱分八幡宮ー日若神社―189.3mの無名山

謎のラインが発見された
 
 
前回は飯塚市の宮地嶽勝守神社について記したが、
今回はそこから東に話題を移そう。

日若(ひわか)神社と綱分(つなわき)八幡宮だ。
同じ飯塚市に鎮座する。

「ひめちゃご63 景行天皇の三女神祭祀」に両社を書いたあと、
そこから水沼に話題が移ったが、今回、再び戻ってきた。

しかし、やはりここでも再び三女神の話題に戻っていく。

「ひめちゃご」では三女神を堂々巡りしているのに驚かされる。






さて、事の発端はこの画像だ。

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烏尾トンネルに入る直前に撮ったのだが、
この隠れた神名備山についてチェリーが調べてくれた。
c0222861_20215188.jpg


名が無い189.3mの山で、麓に日若神社があることが分かった。
実際は、日若神社は尾根に阻まれて見ることができない。
透視した位置になる。








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当初私はこの189.3mの山を金石山と勘違いしたのだが、
撮影地点までも特定してくれたうえ、
金石山は烏尾トンネルの南にあることが分かった。

しかも、日若神社と189.3mのピークのラインの延長上に綱分八幡宮が乗ってきた。


このラインは一体何だ!
またもや驚きのラインが発見された。

両社は「水」を介してつながり、189.3mの神名備山を介して結ばれていた。

山に深い意味があるはずだが、これ以上は分からない。






さて、次の画像を見てみよう。

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さらにそのラインを延ばした所に日王山がある。

赤いラインが繋がっていないということは、
チェリーの厳しい基準には合致しなかったのだろう。

微妙に逸れているということだ。

(画像はカシミール3Dにて作成)


チェリーはこのあと、さらに驚きの発見をする。
すでにコメントには書かれているが、次回はその画像と共に紹介しよう。


<2017年4月25日>



『神功皇后伝承を歩く』
日若神社 下巻87 飯塚市 
綱分八幡宮 下巻86 飯塚市










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by lunabura | 2017-04-25 20:24 | 「ひめちゃご」 | Comments(4)

ひめちゃご69 勝盛公園と飯塚宮地嶽神社の謎の祭神・勝守2



ひめちゃご69 

勝盛公園

飯塚宮地嶽神社の謎の祭神・勝守2
 


勝盛公園の赤い橋を渡ると舗装道路が横切っていた。

正面に道はない。

右手に山に登る遊歩道があったので上っていくと鳥居があった。






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しかし、道がない。
初めての体験だ。

向こうに社殿が見えるが、まさか山の斜面を登るようになっているとは。

右手に迂回したが、結局やはり斜面を登って脇から拝殿の横に到達した。


さらに回って、参道の中途に出て拝殿に向かった。








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拝殿の前。









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この神紋は何というのだろう。
三階松ではなかった。宝珠が三つ重なっているような印象の紋だ。

コンクリートの拝殿の正面には鉄の扉がある。それを迂回して横から参拝した。









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この神祠に前回載せた「勝村大神・勝守大神、勝頼大神」の神名が刻まれている。










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遊歩道の途中にあった石碑には
「宮地岳勝守神社拝殿建築」の文字があった。

やはり、勝守大神がメインだ。
その「勝守」の名から勝盛公園の名称が採られている。


何故、ここに宮地嶽が祀られているのか。

勝守が勝村・勝頼の兄弟だとすると、葛子の子に当たる。
もちろん、磐井君の孫だ。
鞍橋君とも兄弟になる。

これが意味するのは、
磐井の乱で勝利した物部氏と、それを差し向けた大伴氏が勢力を拡大したあと、
この飯塚市(旧穂波郡)は鞍手町と同様に
磐井の末裔が奪還した可能性があるということなのだ。

だから、創始がいつなのか、が重要になってくる。






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参道を降りていって正面に回った。(これは途中の鳥居)
ここは桜の名所なのだろう。
桜の花の茎がびっしりと折り重なっていた。

今日中に解決しよう。
そう思って、私は図書館に向かった。


司書の方たちも一緒に調べてくれたが、
『飯塚市史』(誌?)には勝盛公園の沿革が載っていないし、
宮地嶽神社も由緒不明となっていた。

『飯塚市誌』(昭和27年)には宮地嶽神社の名も載っていなかった。

とりあえず、
「勝盛公園」はかつて「勝守公園」と表記されているのは分かった。
麻生太郎の父・太賀吉が造った公園だ。

ネットで探すと、麻生グループの記事があった。
以下、その一部

<勝盛公園の前身である旧勝盛公園ができたのは大正10年のこと。

まだ地方都市に公共の公園があること自体が珍しかった時代に、
頂上に宮地嶽神社を持つ小高い丘に遊歩道や植栽などを整備した4896坪の
公園としてスタートしました。

勝盛公園が現在の規模になったのは、昭和になってからのことです。

昭和10年1月、麻生の2代目・太賀吉が、
昭和8年12月に亡くなった初代・太吉を記念して、
旧勝盛公園に隣接した8895坪の土地を飯塚市に寄付。
「櫨山(ろざん)遊園地」として開放しました。>

https://www.aso-group.jp/history/achievement_01.html


これで、この丘陵の頂上に宮地嶽神社が
大正10年以前から鎮座していた事が分かった。

何故か、市誌からはもれていた。

この丘陵には古墳もあったということなので、
古代社会でも争奪の対象となるような重要拠点だったことだけが分かった。


<2017年4月23日>

追記
※宮地星が北極星なら、南に何かあると思って探すと、
大将陣山(112m)があり、大将神社が鎮座している。

その近くには「七星」を祀る祠があったという。
やはり北斗七星と宮地嶽勝守神社は関連があるのだろう。





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by lunabura | 2017-04-23 20:19 | 「ひめちゃご」 | Comments(0)

ひめちゃご68  勝盛公園と飯塚宮地嶽神社の謎の祭神・勝守 1



ひめちゃご68

勝盛公園

飯塚宮地嶽神社の謎の祭神・勝守 1
 


今日は所用があって飯塚(いいづか)に行った。
日が長くなったので、一ヵ所探索しようと地図を広げた。

そうだ、勝盛公園と宮地嶽神社を確認しに行こう。

何故なら、飯塚に宮地嶽神社があり、
勝村・勝頼兄弟ともう一柱が祀られていて、
それが「勝守」というのだ。

知られていない謎の兄弟がいる。
「勝盛公園」の名は謎の「勝守大神」から来ているに違いない。

その因果関係を確認しにいこう。
第三の祭神の存在は、宮地嶽一族が飯塚を治めた可能性も秘めていた。
新しい勧請か、古い勧請か知りたかった。






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これが最後に見つけた三柱の名を刻むご神体だ。

「勝村」「勝頼」兄弟の間に勝村大神がいる。
ということはやはり三兄弟だったか。


「勝盛公園」の近くは時々通るが、駐車場を見たことがない。
ナビでも出てこない。

とりあえず周囲を廻ってみると
「勝盛公園入口」(記憶曖昧)の小さな案内板を見つけて
鋭角の角を曲がり、駐車場を見つけた。

多くの市民が集っている。





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噴水が印象的な池があった。

二つの山が東の方に見えた。
いずれかが「勝盛山」で宮地嶽神社が鎮座しているはずだが、
鳥居は見えない。

まずは池の周囲を歩いて地形観察をすることにした。







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駐車場から左手の丘に登ると見晴らしの良い広場に出る。
昼下がりの太陽が傾き始めているので、
南西を向いた岬状の丘になっている。

いかにも古代豪族の治めるにふさわしい地形だ。

散歩する人に「神社がありませんか」と尋ねると、
全く知らないようで「すみません」と逆に言われてしまった。









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公園の沿革を書いた掲示板なんかも見つからない。









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遊歩道を辿って赤い橋に出た。
参道に違いない。
正面に山がある。


しかし、鳥居は全く見えなかった。

                    <2017年4月21日>



勝盛公園









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by lunabura | 2017-04-21 22:37 | 「ひめちゃご」 | Comments(9)

ひめちゃご63 景行天皇の三女神祭祀



ひめちゃご63

 景行天皇の三女神祭祀
 



ヤマトタケルの父、景行天皇は九州の各地を回った。
その戦いの記録は『日本書紀』にも書かれているが、
祭祀については触れられていない。

パワーポイントをつらつらと流していると、
どうしてもここで止まってしまう。

何度も書いてしまうが、
今日も、水沼(みぬま)の話にお付き合い願おう。







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福岡県の筑後川。向こうに見えているのは耳納(みのう)山脈。
かつては水縄とも書かれていた。


こちら岸に赤司八幡神社が鎮座する。



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主祭神は道主貴(三女神)だ。
『日本書紀』には水沼君がもちいつくと書かれている。

止誉比咩命は豊姫、すなわち神功皇后の妹。(武内宿禰の妻)
與止比咩命は淀姫、すなわち津波を知らせてくれる水の女神。






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古くは筑紫中津宮といい、止誉比咩神社となった。

しかし、守り続けた水沼氏はキリシタン大名の大友氏に
神殿を燃やすか、名を捨てるか、選択を迫られて、名を捨てた。
今は宮崎氏となっている。

この時、八幡神社となった。


かつて景行天皇がここで三女神を祀り、皇子を御手代として残した。
その皇子が国乳別皇子だ。

神功皇后でさえ、妹の豊姫を神形代に立てた。
何度も書いた話だ。



この国乳別皇子(くにちわけのみこ)の墓所が在る所が高三潴。
だから、古代の連玉ビーズが出ても何の驚きもない地だ。





そして飯塚での話で、景行天皇は日尾山(ひおさん)でも
三女神を祀ったと聞いた。
それが飯塚の厳島神社の由来だ。







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これは飯塚市の日若(ひわか)神社だが、
右の画像に日尾山が写っているので、ご紹介。
右の道を走ると行き止まり。


車で走ってもかなり大きな山塊だ。
ひおさんは「日尾山、日王山、日思山」の表記があった。








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この日尾山の重要性は何を意味するのだろうか。




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右の画像の川の右手の方から山道があるという。
古代の銅の道だ。

この日若神社そのものには景行天皇関連の伝承はないが、
日尾山が写っていたのでUPしてみた。

何故、景行天皇はこの山に三女神を祀ったのか。

三女神に祈り続けた景行天皇は何を知っていたのか。

『日本書紀』からは全く伺えない、筑紫の女神信仰。
景行天皇より古い時代からの水の女神。

それを消し去ろうとしたキリシタン大名。

そこらへんにも手掛かりがあるんだなと思う。





(神社についている番号は
拙著『『神功皇后伝承を歩く』の掲載番号。
ゆっくりと読み直してくださいませ)





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by lunabura | 2017-03-28 20:59 | 「ひめちゃご」 | Comments(17)

明日19日は飯塚で羽白熊鷲、田油津姫との戦いの話です



明日19日は飯塚で

羽白熊鷲、田油津姫との戦いの話です。



明日は飯塚での古代史講座、「神功皇后講座」の3回目です。

前回までは仲哀天皇が崩御して、亡骸を忌宮神社に届けると、
小山田斎宮で教えを垂れた神々の名を尋ねたと『日本書紀』に
書かれた場所が実存することなど紹介しました。

3回目はその『日本書紀』に書かれた
荷物田村(のとりたのふれ)の羽白熊鷲を攻撃し、
山門(やまと)の田油津姫を攻めていくルート上の伝承を話します。

これらもまた書紀に書かれた所が神社となって残っていました。
そして、それを補う神社群がルート上にありました。

神功皇后が大本営とした夜須には松峡八幡宮(上巻41)があります。
皇后軍が敷いた七か所の陣営の跡地は「七ケ森」と呼ばれ、
そこを辿っていくと、羽白熊鷲の終焉地に着きました。

その終焉地には寺内ダムが出来ましたが、
幸いにも墓所は陸地にあります。(上巻50)

その墓が施設のプールに引っかかったため、
現在、直ぐ近くに大きく再興されています。






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地元で採取した話なども紹介します。




さて、神功皇后軍が羽白熊鷲を討伐したあと、寺内から下山すると、
武人たちは武器を研ぎ(太刀八幡宮下巻52)、
次なる田油津姫攻撃の準備をしました。

神功皇后は水沼水軍(下巻56)の出迎えを受けて、
山門に上陸し、ついに田油津姫を討ち取ります。





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(田油津姫あるいは葛築目の墓と言われる、女王塚。今は蜘蛛塚という)
下巻59


田油津姫が何故、殺されなければならなかったのか。


その理由は田川の若八幡神社(下巻60)に書かれていました。

田油津姫は神功皇后を暗殺しようとしたというのです。

『日本書紀』だけでは解けない神功皇后の謎。
今回は朝倉から山門にかけて、次々に現れてくる伝承を辿ります。





この古代史講座はスポット参加ができます。
興味をお持ちの方は、以下に連絡の上、ご参加ください。
パワーポイントで楽しむ古代史講座です。


2017年1月19日 13時半~15時

麻生西日本新聞TNC文化サークル 
アイ&カルチャ あいタウン飯塚
電話 0948-22-3356(申し込み先)

福岡県飯塚市吉原町6-1(あいタウン3階)








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by lunabura | 2017-01-18 18:47 | お知らせ | Comments(0)

嘉麻市「筑豊の女神伝説探る」西日本新聞切り抜き20161007



「筑豊の女神伝説探る」 

西日本新聞切り抜き
20161007




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来週16日の古代史シンポジウムについて共催の西日本新聞に記事が出ました。

古代史で女神を扱うのは珍しいですが、
話者が三人とも女性という、前代未聞の企画です。

三人のリレーで、それぞれのテーマで話すことになります。

私は神功皇后の話をしますが、
他のお二人は壮大な話をされるようです。

地形や女神の話が新しい分野を拓(ひら)いていくのでしょう。

遠賀川の古代、魅力的です!






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by lunabura | 2016-10-09 21:00 | お知らせ | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25